被災地と被災地をむすぶ 実践 −物神化するモノと 象徴的な意味の共有 −

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日本災害復興学会大会(2018・東京) JSDRR Annual Conference – 2018/Tokyo

被災地と被災地をむすぶ実践 −物神化するモノと象徴的な意味の共有− Boundary spanning between present and future disaster-affected-areas — Fetish and share of symbolical meanings— ○大門大朗*1,渥美公秀*2 Hiroaki DAIMON, Tomohide ATSUMI 1.はじめに

に、制度的なつながりではなく、自然発生的に生まれる

日本国内の至るところで、災害が発生している。そし

災害ボランティアのような水平的な関係に着目した。そ

て、災害の発生後には、不特定多数の人々が被災地に駆

の中で、いかにそれぞれの被災地が相互に結び付けられ

けつけた。特に、そうした現象は、1995 年の阪神・淡路

ていくかについて、リレーされるモノの側面に着目し、

大震災を一つの契機として「ボランティア」と呼ばれは

記述することを目指した。

じめ、2018 年の現在では、ボランティアは災害復興を担 う存在として社会の中で定着したと言ってよいだろう。

3.方法

そうした中で、徐々に、災害復興期の人々の(被災地に

3.1

行くボランティア以外の募金などの行為も含めた)利他 的な行動に対する研究も蓄積され始めている。

方法

著者らは、2016 年 4 月に発生した熊本地震の被災地の 一つである熊本県益城町において、アクションリサーチ

1995 年の阪神・淡路大震災を期に、新たな社会的意味

を行った。著者らは、2016 年 4 月 15 日より、継続的に

をもつようになった「ボランティア」は、20 数年を経た

被災地での支援活動を行った。第一著者は、25 回、計 89

現在、その災害一回限りの枠組みではなく、複数の被災

日間滞在した。また、活動は、当日ないし翌日には、フ

地との時系列の中で考察されるべき対象となっているこ

ィールドノートとして記述し、それらをエスノグラフィ

とである。

ーとして理論的にまとめた。また、エスノグラフィーは、

こうした複数の被災地を結びつける例として、「被災

著者らに加え、同時期に並行してアクションリサーチを

地のリレー」がある(渥美, 2014; Atsumi, 2014)。 「被災地

行っていた第二著者と同研究室内の複数の学生のエスノ

のリレー」とは、災害によって助けられた被災地がお世

グラフィーを参照しながら行う、チーム・エスノグラフ

話になったことのお返しの感覚から、別の被災地でのボ

ィー(藤田・北村, 2013)としてまとめている。

ランティアとして、リレーのようにつながっていく事例

3.2

のことである。 こうした広義の意味での「借り」や「負債」的感情が

フィールドの概要

本研究のフィールドは、熊本県上益城郡益城町(以下、 益城町)である。益城町は、熊本県の中でも中央に位置

もとになって、支援の輪が広がることは、複数の調査か

し、熊本市の東部に位置する人口約 34,000 人(震災直後)

ら明らかになっている。 「災害で助けられた経験」が、ボ

の町である。その中でも、2016 年 4 月 14 日と 16 日とそ

ランティア行動を高めたこと(三谷, 2015)、支援行動全

れに続く一連の地震(熊本地震)によって大きな被害を

般を高めたことが(Daimon & Atsumi, 2018)、また、シミ

受けた市町村の一つである。その被害は、死者 23 名、重

ュレーションからも支援が大きく広がる可能性が示唆さ

傷者 81 名を出し、主な家屋の被害は全壊が約 2700 棟、

れている(Daimon & Atsumi, 2018)。だが、支援が「負債」

半壊が約 2900 棟と、一部損壊を含めると実に 9 割近い世

を介した一つのリレー的側面をもつことは実証されつつ

帯が住居に何らかの被害を受け、最大で 18 箇所の仮設住

あるが、リレーを駆動する実践への考察は不十分である。

宅が設立された。益城町の多くの住民は、仮設住宅やみ なし仮設などへの移転を経験することとなった。

2.目的 本稿は、災害が発生した後の復興期の被災地間のつな がりを駆動する実践的な側面ついて考察することを目的 とし、具体的な事例を報告するものである。その際、特

4.結果 継続的に行った被災地での活動の中でも、特に被災地 どうしのつながりについて着目した 2 つの実践を記述

*1 大阪大学大学院人間科学研究科 大学院生, デラウェア大学災害研究センター, 日本学術振興会Graduate Student, Graduate School of Human Sciences, Osaka University. Disaster Research Center, University of Delaware. Japan Society for the Promotion of Science. *2 大阪大学大学院人間科学研究科 教授・心博Professor, Graduate School of Human Sciences, Osaka University, Dr.Psy. ©2017 日本災害復興学会


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筆者らは、大阪大学学生ら、日本災害救援ネットワー

表 1. 炊き出しに集まってきた被災地のモノ・ヒト 内容 被災地 おにぎり 白米 刈羽村 塩(のだ塩) 野田村 削り昆布 野田村 お茶菓子 洋菓子 西宮市 器具 大釜 益城町 NVNAD ボランティア 西宮 矢野さん 益城町 スタッフ、大学生、また、地元高校生も一緒にボランテ

ク(NVNAD)と協力しながら、この安永仮設において、

ィアとして参加し、炊き出しを行うことになった。12 時

継続的な訪問を行ってきた(詳細は、崎浜(2017)に詳

から開催された交流会では、仮設に住む相当数の人が出

しい)。安永仮設住宅は、益城町に 18 ある仮設住宅団地

てこられ、子供連れの家族の方から高齢の方まで、かな

のうちの一つで、震災から約 3 ヶ月後の 2016 年 7 月 12

りの人が参加することとなった。

する。具体的には、1) 「おにぎり交流会」、2) 「はる かのひまわり」の 2 つである。 4.1

「おにぎり交流会」

近年多くの仮設住宅団地には、かならず集会所が設け られるようになっている。この熊本地震後の仮設住宅も 例外ではなく、少し奥まった場所にあるグラウンド跡地 の上に作られた益城町安永地区仮設住宅(以下、安永仮 設)にも、集会所が設けられていた。

日に入居が始まっており、その多くの方が、もともと安

「交流会」という目的からも、集会所の小上がりにな

永地区の住人の方々であったが、同じ地区内とは言え、

った場所を活用しながら、交流スペースを設けられた。

集まりの機会のきっかけもなく、自治会が立ち上がって

忙しい方も多くおられたが、年配の方を中心に多くの人

いなかった。

が集まり、賑やかな空間ができていた(図 1)。実際には、

こうした背景と徐々に避難所から、仮設へとフェーズ

安永仮設の集会所は、ほとんどの物品がまだ使われたこ

が移っていく 7 月末に、安永仮設の集会所を借り、住民

とがなく、テーブルすらもまだ搬入されてはいなかった。

相互の集まる場所を作るというニーズを目的としながら、

そのため、物品を入れたダンボールに布を貼ってひっく

炊き出しが少なくなった仮設での炊き出しニーズに答え

り返し、テーブルとして代用しながら、そうしているう

る形で「おにぎり交流会」を行う運びとなった。

ちに、不十分な集会所の状況を見かねた仮設に住む方の

この際、 「被災地のリレー」としてこの炊き出しをコー ディネートしようという流れが、NVNAD スタッフを中

一人が部屋からテーブルを持ってきてくれるなど、不完 全ながらも即席の交流会が行われた。

心にできていった。おにぎりには、お米が必要になる。 依頼をしたのは、これまでも、交流のあった 2007 年の新 潟県中越沖地震刈羽村の被災地に依頼をすることになっ た。刈羽村からは、刈羽産のコシヒカリが届けられるこ とが決まった。 このようにして、東日本大震災で被災した野田村の貫 牛氏からは、野田村の名産の「のだ塩」をつかい、塩む すびにしてはどうか、そして、三陸沿岸の削り昆布を巻 いておにぎりにしてはどうか、そうした提案が相互にな されることになった。NVNAD は阪神・淡路大震災を契 機として設立された NPO であるが、炊き出しの際に継続

図 1. 集会所内で交流する人々

的に、支援を頂いている企業から洋菓子の差し入れが、

(手前のテーブルは住民の方が持ってきてくれた)

熊本地震の被災地の矢野さん家族からも、100 戸近い世

住民の方からも、 「安永も広いから、初めて会う人も多

帯におにぎりを作るための大きな釜を貸していただける

い」、「自治会を作って欲しいが、役場からの声掛けがあ

ことになった。

るとよい」というような同じ地区であれど、顔見知りの

こうして、 「おにぎり交流会」という大枠が決まってか

方が少なく、なかなか音頭を取るのが難しいという声が

ら、そのアイデアに複数の被災地から、ボランティアと

多く聞かれた。その後、8 月 9 日に仮設自治会が立ち上

いう形ではない、様々な差し入れ(支援物資)として集

がることになるが、こうした立ち上げのきっかけの一つ

まってきた交流会が出来ようとしていた(表 1)。

になったと考えられる。むしろ、これからの生活への不

このような背景の中、7 月 30 日は、午前から、NVNAD

安やそうしたことを話し合う場所の無いことへの不満が


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大きく、そしてこの炊き出しには、楽しい歓談の場が設

の心の支えとなってきました。そのひまわりは、

けられていたということが一番に重要であった。

これまで新潟県中越地震や東日本大震災などの被 災地に種が引き継がれてきました。 […]このひま

4.2

「はるかのひまわり」

もう一つの動きは、ボランティアというよりも、むし ろ地元住民によって主導された「はるかのひまわり」プ ロジェクトである。 「はるかのひまわり」とは、阪神・淡 路大震災で命を失った当時 11 歳の加藤はるかさんが亡 くなった場所に咲いたひまわりである(指田・鈴木, 2005)。 その後「はるかのひまわり絆プロジェクト」となり、復 興の象徴として様々な被災地で植えられるようになった (はるかのひまわり絆プロジェクト, 2018)。 熊本地震の被災地であるここ益城町においても、「は るかのひまわり」を植えようという動きが益城町立木山 中学校から生まれた。そのきっかけは、熊本地震以前か らこのはるかのひまわりを震災学習として劇を用いて授 業で取り扱っていたことであった。そして、木山中学校 の卒業生の生徒会の生徒らと教職員が中心となり、自分 たちからも何か住民を勇気づけたい、という思いから益

わりを受け取ってください」(一部略) 自治会長は、 「復興にむけて頑張りたい」と手紙を受け 取り、ご挨拶をされた。その後は、少し元気のないひま わりを囲みながら、住民の方と記念撮影を行った。ちょ うど、震災から 4 ヶ月に当たる日であった。 この贈呈式には、後日談がある。この後、ひまわりは 仮設に寄付されたが、わたしたちが 2 週間後に訪れたと きにはすでにひまわりの花は種を実らせるため茶色くな っていた(図 2)。しかし、そこでは、いつも集会所を管 理して出さっていた住民の方の一人がつくったオリジナ ルのキャプション「復興ひまわり」が、そして安永仮設 と書かれたいくつかのじょうろが大切におかれていた。 そして、使われなくなったプランターにはムラサキツユ クサが植えられ始め、また、枯れた花からできる新しい 種は来年また植えよう、という話が持ち上がっていた。

城町でもプロジェクトが始まった。 このプロジェクトの発起人の一人である矢野明子さ んは、実は、前述した安永仮設での炊き出しでも一緒に 関わってくれていた高校生の一人であった。5 月 13 日か ら 5 月 15 日にかけて、始まったプロジェクトは、最終的 に、約 1 ヶ月後の 6 月 12 日に実施された。そこでは、 100 名を超える生徒・住民、ボランティアが参加し、 「地 域の人を元気にしたい」という思いのもと、ひまわりが 益城中学校のそばに植えられた。 このようにして、被災地の一つである益城町の中から 始められた「はるかのひまわり」プロジェクトであった が、そのひまわりが咲いたあとも、被災した方々にその

図 2. 新たな種を実らせたひまわり(崎浜氏撮影)

ひまわりを見てもらうことがその一つの目的であったこ とから、安永仮設での継続的な関わりをもっていた矢野

5.考察

明子さんとわたしたちは、花を咲かせた「はるかのひま

ここでは、この 2 つの「被災地のリレー」の実践事例

わり」の一つの行き先として、安永仮設を選ぶことにな

をもとに、熊本地震の被災地の一つである益城町の安永

った。それはちょうどお盆のころ、8 月 14 日であった。

仮設と、それまでの様々な被災地がどのように結び付け

当日は、お盆にもかかわらず、30 人近い仮設の方、ス タッフを入れると 40 人近い方が参加してくださってい

られたかについて考察を加える。 5.1

被災地が橋渡しされるとき

た。そして、いよいよ贈呈式である。この日は、明子さ

「おにぎり交流会」の事例からは、 「おにぎり」をつく

んが参加できなかったため、妹の祝子さんが、ひまわり

るということから、お米や塩、昆布、そして、おにぎり

を贈呈することになった。自分の孫の発表を見守るかの

だけでは寂しいからスープやお茶菓子も、といった形で

ような優しい雰囲気の仮設の集会所の中で、自治会長に

多様な支援が集まってきていた。そこには、「おにぎり」

手紙を読み上げてくれた。

の炊き出しがもつ、いろいろな被災地が合わさった支援 という象徴的な意味が阪神・淡路大震災や中越沖地震、

「ひまわりは、 […]復興のシンボルとして、人々

東日本大震災の被災地の方と共有される中で、支援が加


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速していった。しかし、安永仮設の住民にとってそれが

が加速的になるためには、単なるモノがネットワークの

その時点で、どういう意味を持っていたのかについては、

結節点として存在するだけでは不十分であること、つま

十分に共有されていたとは言えなかった。

り、単なるモノである以上に、象徴的な意味の共有が十

一方、 「はるかのひまわり」の事例は、地元の被災者の

分になされる必要があるということが明らかになった。

一人である高校生を発端に始まったという意味で、すで

これまで、グループ・ダイナミックスにおけるボラン

に今まさに「被災地」である益城町から始まったリレー

ティア論においては、規範の伝達の蓋然性(大澤, 1990)

であった。そこでは「はるかのひまわり」を中心として、

は指摘されてきたが、それがヒトとモノ(モノとモノ)

一つの物語が共有され、復興の象徴として地元の高校生

へと拡張した議論はほとんどなされてこなかった。今後

が動き始めるなかで、地元住民や物品の支援がひまわり

は、人間中心的な議論にとどまらない方向へも議論がな

を中心としながら集まってきていた。そうした中で、以

され、実践的に被災地へと還元される必要があるのでは

前から継続的に支援を行っていた、安永仮設へプレゼン

ないだろうか。

トされることになる。 こうした中で、復興の象徴としての「はるかのひまわ

参考文献

り」は、安永仮設の中で新たに「復興ひまわり」として

1) Atsumi, T., (2014). Relaying support in disaster-affected

育てられることになった。そこでは、新しいひまわりの

areas: the social implications of a ‘pay-it-forward’

意味が付加されながら、花の手入れなど安永仮設住民の

network. Disasters, 38(s2), pp.s144–s156.

主体的な活動が展開されるきっかけとなっていた。 5.2

象徴的な意味の共有:被災地間の実践にむけて

2) 渥美公秀(2014)災害ボランティア:新しい社会への グループ・ダイナミックス 弘文堂

この 2 つの事例は、大きく 2 つの点において考察でき

3) Daimon, H., & Atsumi, T. (2018). “Pay it forward” and

るだろう。第一に、モノを巻き込んだアクター間の実践

Altruistic Responses to Disasters in Japan: Latent Class

(Latour, 2005)として解釈できるということである。お

Analysis of Support Following the 2011 Tohoku

にぎりとひまわりの種は、徐々に被災地をつなぐアクタ

Earthquake.

ーとして自立性を獲得しながら、その配置が調整され、

Voluntary and Nonprofit Organizations, 29(1), 119–132.

変化する実践の中心的アクターとなっていた。 また、第二に、アクターネットワーク理論による解釈 に加えて、象徴的な意味の共有に着目する必要があると

VOLUNTAS:

International

Journal

of

4) 藤田結子・北村文(2013)現代エスノグラフィー:新 しいフィールドワークの理論と実践 新曜社 5) はるかのひまわり絆プロジェクト(2018)はるかのひ <https://haruka-

いう点である。社会運動における「境界の橋渡し」の議

ま わ り 絆 プ ロ ジ ェ ク ト

論においても、道具の橋渡しがなされる際には、集合的

project.jimdo.com/>(アクセス日 2018 年 8 月 12 日)

なアイデンティティの象徴が橋渡しされることが、現実

6) 日比野愛子(2016)生命科学実験室のグループ・ダイ

的な道具の共有以上に重要であると指摘されている

ナミックス: テクノロジカル・プラトーからのエスノ

(Wang, Piazza, & Soule, 2018)。ここでは、被災地間の象

グラフィ 実験社会心理学研究, 56(1), 82–93.

徴的な意味の共有が、連携のネットワークをつなぎとめ る意味で重要な役割を果たしていたと考えられる。

7) Latour, B. (2005). Reassembling the Social: An Introduction to Actor Network Theory. Oxford University Press. 8) 三谷はるよ(2015)一般交換としての震災ボランティ

6.本研究の限界とまとめ 本研究には大きく 2 つの限界がある。第一に、被災者

ア 理論と方法, 30(1), 69–83. 9) 大澤真幸(1990)身体の比較社会学〈1〉 勁草書房

のニーズからみた視点の不足である(被災者のニーズの

10) 崎浜公之(2017)被災者と災害ボランティアの共生を

議論については、すでに崎浜(2017)を参照)。第二に、

めざして:熊本地震の現場から被災者のニーズを問い

モノを介在させることによる実践の質的な違いと効果に

直す 大阪大学大学院人間科学研究科修士論文

ついては十分に検討・議論できていない。 まとめると、熊本地震後の被災地である益城町の実践 事例からは、被災地間の連携において、第一におにぎり

11) 指田和子・鈴木びんこ(2005)あの日をわすれない は るかのひまわり PHP にこにこえほん 12) Wang, D. J., Piazza, A., & Soule, S. A. (2018). Boundary-

やひまわりのような「モノ」を介在とした実践が有効と

Spanning

in

Social

Movements: Antecedents

なる可能性があったということ、第二に、こうした実践

Outcomes. Annual Review of Sociology, (May), 1–21.

and


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