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日本語発音の置換による新しい作曲の試み An approach at composition via the substitution of Japanese pronounciation

情報科学芸術大学院大学 a領域 11110 後藤天


情報科学芸術大学院大学メディア表現研究科メディア表現専攻 修士論文提出者 学籍番号

修士論文題名

11110

名前

後藤 天

日本語発音の置換による新しい作曲の試み

音楽にも、言語と同様に構造が存在する。それは、音階や音律など、書き言葉における文字、話し言 葉における発音などの構造の基本単位に相当するものから、西洋音楽における和声法や対位法など、 言語における「文法」に相当する音の構成法(作曲技法)などである。一方、歌謡、歌曲などの例を待つ までもなく、音楽と発話される言語とは歴史的にも密接に結びつき発展してきた。例えばイントネー ションやアクセントを考慮した歌の旋律線や「韻を踏む」発音(歌詞)と旋律の反復などがある。言うま でもなく、発話される言語には 「響きの連なり」という音響/音楽的側面と文法的規則による構造、 そしてその結果として現れる意 味内容があり、特に「詩」は、「意味内容の伝達」という目的に支配 されない人間による自由な言語の芸術である。新しい音楽の可能性を模索してきた筆者は、ここで詩 における、特に「響きの連なり」という面に着目した。それは詩の朗読において顕著に現れるだろう が、たとえ黙読していても人は心の中で詩の言葉の響きを聴いているはずである。言い換えれば、詩 に限らず、人は日々母語による「言語生活」を営んでおり、その言語生活には必ず「響き」が有形、 無形に伴っているに違いない。そうであるのならば、私の母語の響き、すなわち発音が違っていたら どのようなことが起こるのだろうかと考えた。言語学者のソシュールは、そこに差異があれば、ある 言葉がその言葉、発音でなくてはならない理由はないと言う。つまり、日本語の文法や文字はそのま まに、しかし発音だけがまったく異なる架空の日本語を考えてみる。それによって新しい「詩作」が 可能になるのではないか?それは同時に(日本語の)文法規則によって構造化された「響きの連なり」と いう意味では、新しい音楽と呼べるものになるのではないか。

序章では、研究背景並びに研究の動機を述べる。 第1章では、音楽と言語の類似点・相違点を検討する。それにより言葉の定義や以降の章での観点を 設定する。 第2章では、先行作品や事例をあげて述べる。様々な音と言語に関する作品や現象を第1章において 定めた観点から検討する。 第3章では、第2章を受けて考えられた「日本語発音の置換による作曲」についての概要を述べる。 第4章では、第3章で述べた趣旨に対して本研究で制作された作品について述べる。 第5章では、作品制作における技術的な方法について具体的に説明する。 第6章では、本研究の成果を修士作品を元に考察し、本研究において見いだされた可能性を述べる。

論文審査員

主査

三輪眞弘

副査

前田真二郎

副査

小林昌廣


Institute of Advanced Media Arts and Sciences, The Graduate School of Media Creations, Course for Media Creations Submitter

Student ID

11110

Title

An approach at composition via the substitution of Japanese pronounciation

Name

Takashi Goto

For music, structure exists just as it does in language. That structure ranges from those corresponding to the basic unit of structure of musical scales and rhythms, characters in the written word and pronunciation in the spoken word, to the construction method (technique of composition) of sound that corresponds to harmonization and counterpoint in Western music and “grammar” in language. Meanwhile, music and spoken language have historically and closely joined together and developed, not waiting for examples of songs or melodies. For example, there are melody lines of songs that take intonation and accent into account, pronunciations (lyrics) that “rhyme”, and repetitions of melodies. Needless to say, for spoken language there is a structure according to a “sequence of sound”—an acoustic/musical aspect—and grammatical rules, as well as semantic content that appears as a result of that. In particular, “poetry” is free language art by people that is not dominated by the goal of “communicating semantic content”. Youths that have searched for the potential of new music have focused on the “sequence of sound” found here in poetry. That likely appears prominently in the recitation of poetry, but even if they read silently, people should hear the sound of the words of poetry in their minds. To put it another way, aside from poetry, people lead “lives of language” daily via their native language, and in those lives of language “sound” accompanies them, whether it is tangible or intangible. I thought that, if that is the case, if the sound, in other words the pronunciation, of my native language was different, what would happen? Linguist Saussure states that if there is a difference, then there is no reason that a word should be that word or have that pronunciation. Put simply, imagine a fictitious Japanese language, whose grammar and characters are the same, but whose pronunciation is completely different. Wouldn’t a new kind of “poetry composition” become possible because of that? And, in the meaning of “sequence of sound”, which is structured by grammatical rules (of the Japanese language), wouldn’t it also be referred to as new music? In the introductory chapter, I will describe the research background and motivation for this research. In Chapter 1, I will consider the differences and similarities of music and language. Accordingly, I will establish the definition of words and my point of view in following chapters. In Chapter 2, I will discuss previous works and case studies. I will also discuss works and phenomena that relate to various sounds and languages through the point of view established in Chapter 1. Chapter 3 gives an overview on the “composition by substitution of Japanese pronunciation” that was discussed in Chapter 2. Chapter 4 describes the work that was produced in this research for the purpose described in Chapter 3. Chapter 5 describes in detail the technical method in work production. In Chapter 6, I will discuss the results of my research using my master’s work, as well as state the potential of music and language hereafter, which was discovered in this research. Examination Committee Chief Examiner

Masahiro Miwa

Co – Examiner

Shinjiro Maeda

Co – Examiner

Masahiro Kobayashi


日本語発音の置換による新しい作曲の試み

11110 後藤 天

序章.  0-1.始めに

0-2.背景/動機

第1章.音楽と言語の構造  1-1.音楽と言語の構造とその類似点  1-2.話し言葉と書き言葉  1-3.言語的コミュニケーションの形態/詩的言語  1-4.基本単位(文字・発音/音階・音律)  1-5.構成法(文法/和声法・対位法)  1-6.音楽作品の形態、形式の個別性  1-7.音楽における言語  1-8.幼児期の言語/身体器官に基づいた言語としての喃語  1-9.1章まとめ

第2章.「音の連なり」として言語/先行作品  2-1.音から観た言語/音声学   2-1-1.発音記号を用いた作品:ディーター・シュネーベルの合唱作品   2-1-2.音によって組織される言語芸術  2-2.言語の構造と響きの構造   2-2-1.ルールに基づいた言語作品   2-2-2.言語情報を用いた音楽作品  2-3.2章まとめ

第3章.本論 日本語発音の置換による作曲  3-1.日本語発音の置換による作曲について(1)   3-1-1.音素  3-2.日本語発音の置換による作曲について(2)  3-3.置換語での擬音語、擬態語  3-4.意味を音に変換すること  3-5.人間による演奏  3-6.本研究の狙い

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第4章.作品について  4-1.予備審査作品“misd”   4-1-1.作品概要   4-1-2.スコア   4-1-3.発音置換ルール   4-1-4.テキスト   4-1-5.構成   4-1-6.練習   4-1-7.結果  4-2.修士作品“ɴɨ ɟø”   4-2-1.作品概要   4-2-2.スコア   4-2-3.発音置換ルール   4-2-4.テキスト   4-2-5.構成   4-2-6.練習   4-2-7.結果  4-3.4章まとめ

第5章.技術仕様(発音置換シミュレータ)   5-1.発音置換シミュレータの技術仕様   5-2.日本語形態素解析の実現形態   5-3.子音/母音の分離・結合機能の実現形態

第6章.結論  6-1.本研究の考察  6-2.今後の展開  6-3.参考文献  6-4.謝辞

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序章. 0-1.はじめに 音楽にも、言語と同様に構造が存在する。 それは、音階や音律など、書き言葉における文字、話し言葉における発音などの構造の基本 単位に相当するものから、西洋音楽における和声法や対位法など、言語における「文法」に 相当する音の構成法(作曲技法)などである。一方、歌謡、歌曲などの例を待つまでもな く、音楽と発話される言語とは歴史的にも密接に結びつき発展してきた。例えばイントネー ションやアクセントを考慮した歌の旋律線や「韻を踏む」発音(歌詞)と旋律の反復などが ある。言うまでもなく、発話される言語には「響きの連なり」という音響/音楽的側面と文 法的規則による構造、そしてその結果として現れる意味内容があり、特に「詩」は、「意味 内容の伝達」という目的に支配されない人間による自由な言語の芸術である。 新しい音楽の可能性を模索してきた筆者は、ここで詩における、特に「響きの連なり」とい う面に着目した。それは詩の朗読において顕著に現れるだろうが、たとえ黙読していても人 は心の中で詩の言葉の響きを聴いているはずである。言い換えれば、詩に限らず、人は日々 母語による「言語生活」を営んでおり、その言語生活には必ず「響き」が有形、無形に伴っ ているに違いない。そうであるのならば、私の母語の響き、すなわち発音が違っていたらど のようなことが起こるのだろうかと考えた。言語学者のソシュールは、そこに差異があれ ば、ある言葉がその言葉、発音でなくてはならない理由はないと言う。 つまり、日本語の文法や文字はそのままに、しかし発音だけがまったく異なる架空の日本語 を考えてみる。それによって新しい「詩作」が可能になるのではないか?それは同時に(日 本語の)文法規則によって構造化された「響きの連なり」という意味では、新しい音楽と呼 べるものになるのではないか。

0-2.背景・動機 人にとって歌とはどのようなものなのであろうか。あるインディアンの部族では、成人する 為の通過儀礼として「自分の歌」を探しに旅に出るという話を読んだことがある。筆者は、 音に関する表現に興味を持ち、広い意味での音楽、あるいはサウンドパフォーマンスと呼ば れる作品を制作してきた。特に、近年は声を用いた表現を行ってきた。そのような折、上述 の「自分の歌」の民話の記述を読んで、筆者の「歌」とはどのようなものであるか考えるよ うになった。他方、詩は「歌」にとても近しいものである。一般的に詩は、韻文などリズム をもったものも多く、そして「語感」が重視される。この「語感」とは、言葉から受ける主 観的な印象であるが、その印象に影響を与えるのは多くの場合「発話された時の音」である に違いない。詩は、そのように音によって組織される傾向が顕著であるから「歌」に近しい ものだと言える。中でも、詩においては音響詩と呼ばれる試みがあり、2012年には東京で初 めて「国際音響詩フェスティバル」が開かれている。この音響詩とは「意味をなくされて作 1


られた語が入り混じる、言語の音声的価値にもとづいた詩」とフィリップロベールが『エク スペリメンタル・ミュージック』の中で述べるように、意味を持たない音そのものを文字に よって記述した詩の1形式であると言える。また、佐々木敦は『(H)ear』において音響詩の 位置づけとして

詩人自身の「声=音」による様々なアーティキュレーションと、そのイメージ化で あり、書かれたものとしての「詩」であり、一種の「譜面」でもある「(非)言 語」とが、まったく同等の意味を持ち得ていったのである。

と述べている。音響詩は言語の意味内容に依拠するものではなく、むしろまず最初に音に 依っており、それを言語の要素である文字によって記述しているものであると説明されてい る。また、非楽音としてそれまでの音楽では音の素材として扱われなかったものを音楽の素 材とする試みも20世紀の始め頃から行われている。そのような試みの中から、言語音を素材 とした音楽行為の一つとして音響詩をみることも出来る。 音楽においても声を巡る表現は近年注目されている。デイヴィッド・コープは『現代音楽 キーワード辞典』の音色に関する章の「声」の項においてこの様に述べている。

声は、独唱と合唱の場合の両方でテクストの劇的用法と一種の独立楽器として両面 から、近年、革新的な表現手法上、注目の的となっている(pooler and pierce 1973)。打楽器的、弦楽器的そして管楽器的に振る舞うことのできる声の能力は、標 準的なオーケストラの楽器が持つ音色の可能性のほぼすべてを網羅する。それぞれ の演奏家の身体的限界だけが、作曲家の想像力への妨げとなる。

(1)あえぎ、口笛、吸う音、キッス、シーッという音、舌打ち、笑い声、おしゃ べり、ささやきなどの効果がハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、クシシュトフ・ペン デレツキ、(中略)の作品に見られる。 (2)重音̶​̶特にハンス・ヴェルナー・ヘンツェの<豚についての習作 Versuch über Schweine>(1969)に見られる。 (3)ハミング、両手で口をふさぐ、ゆっくりと口を開閉する、といった方法の ミュート効果は、特にドナルド・アーブとロバート・モリスの作品に見られる。

このように音色の探求として声を用いた表現は様々に試みられている。また、コンピュータ 上で架空の歌手をシミュレートし歌わせることの出来る「初音ミク」は大変に流行してお り、DTM(デスクトップミュージック:パーソナルコンピュータで音楽をつくること)を 趣味とする人だけではなく、芸術音楽の作曲家もその表現を試みている。例えば、2012年に

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は、YCAM(山口情報芸術センター)でおこなわれた渋谷慶一朗と岡田利規によるオペ ラ“THE END”や冨田勲による交響曲“イーハトーヴ交響曲”などがある。 他方、近年の音楽史において、現代の音楽は調性と呼ばれるそれまでの音楽の構造を離れ、 作曲家達は次々と新しい音楽の構造を作り続けている。 デイヴィッド・コープは『現代音 楽キーワード辞典』で

音楽史におけるコモン・プラクティス時代*には、明らかに豊穣で複雑な音楽言語 が成立していた。その基本文法は調性であり、それは今でも今日のほとんどのポ ピュラー音楽に広く浸透している。

̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶​̶ ̶​̶​̶​̶​̶ *西洋音楽史上の1600年から1900年の期間。様式としてバロック音楽、古 典派・ロマン派時代にあたるが、大きく捉えれば西洋音楽の諸概念が形成 された期間である。調性に基づく旋律・和声・リズム・形式構造のみなら ず、記譜法や楽器法、演奏法なども含め、一般的な西洋音楽のイメージは この期間に形成され、また世界の西洋的近代化の過程で世界中に浸透し た。現代音楽は、このコモン・プラクティス時代の音楽を、歴史的・空間 的に相対化し、音楽の可能性や多様性を求める運動である。用語としては 現代音楽の解説書で1980年代から使われるようになった。

と述べている。ここでは、調性そのものについて詳しく説明することはしないが、音楽もま た明確な構造に基づいて創られているとだけ述べておきたい。そして引用にもあるように 「現代音楽」はそういったそれまでの調性音楽の構造に対して、異なる構造を提案するもの だと言える。それらの音楽の構造は「音楽言語」という単語を用いて説明されるように、言 語と似たものとして扱われているということを指摘しておきたい。また、歴史的様式に従っ た様々な音楽の構造をコンピュータによってシミュレートする試みも行われている。その成 果は音楽の専門家が聴いても、当時の作曲家の様式と聴き分けがつかない程であると報告さ れている。そのような現代社会において、作曲家の仕事は実際に一つづつ音を選んでいくと いった職能的な作業よりむしろ、音楽の新しい構造そのものを設計することになるのではな いだろうか。言い換えれば、現代の音楽の創造は、その構造の創造と言うことが出来るはず だ。とすれば、これまでの音楽の構造すなわちその作曲技法に関する専門教育を受けて来た 者で無くとも、その構造を再定義することでなら、新しい音楽の創造が可能になるのではな いかと考えた。そして、言語も音楽もそれぞれ構造をもっており、似ている側面が少なくな い。この二つの事象の間に新しい音楽の可能性があるのではないだろうか?

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次章では、言語と音楽について考察をしていく。

第1章.音楽と言語の構造

1-1.音楽と言語の構造とその類似点 第1章では、主に構造の観点から言語と音楽について見ていき、使われる言葉の定義や観点 の設定を確認する。 まず、構造とは何か。音楽にも、言語と同様に構造が存在する。構造とは、石田英敬の『記 号の知/メディアの知』によれば

対立と差異による要素間の相互規定の関係,分節化された全体と部分との有機的な関 係,一つの要素は決して孤立したものではありえず他の要素とのネットワークにおか れ,他のすべての要素との差異にもとづく相対的な価値しかもつことがないような関 係,システムがつくりだすこのような関係性の総体の仕組みこそが「構造(la structure)」と呼ばれたものです.

と説明されている。以下に構造における言語と音楽の類似点について考察する。例えばま ず、音階や音律など、書き言葉における文字、話し言葉における発音などの構造の基本単位 に相当するもの、西洋音楽における和声法や対位法など、言語における「文法」に相当する 音の構成法(作曲技法)などがある。音楽と言語の類似点について矢向正人は『音楽と美の 言語ゲーム』において、音声言語の特徴と音楽との類似点/相違点について以下のように述 べている。

まず、音声言語の特徴とはどのようなものか。音声言語は母音と子音から構成され る文節的特徴(segmental features)と、音の高低、強弱、長短という韻律的特徴 (prosodic features)の二つの特徴をもつことが知られる。一方、音楽も音の高低、強 弱、長短をもち、韻律的特徴をもつ。しかし、音楽が韻律的特徴の一つであるピッ チ(高低)の変化により意味を生成するのに対して、音声言語におけるピッチの微 妙な変動は意味の変化をもたらさない。音声言語では音素と形態素のみによって意 味が形成される。しかし概して、音声言語は音楽と共通点が多いと言うことができ る。 音高、音価、音色、音質、音の大きさ、アクセントなどをそれぞれパラメータ としてもつことでも両者は共通している。 人は文節化されていない叫び声を発する こともあるし、表情や身振りを伴って意思を通じることもある。

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ここで、矢向は言語について「音声言語」と限定して言及している。言語における分類とし て「書き言葉」と「話し言葉」( ここで言う「音声言語」)については、次の項で述べ る。

1-2. 話し言葉と書き言葉 言語は大別して聴覚的な情報としてやり取りされる「話し言葉」と視覚的な情報としてやり 取りされることを前提とした「書き言葉」とに分類することが出来る。書き言葉も話し言葉 も意味内容を伝達することはあり得るが、どちらもそれがすべてではない。例えば「嗚 呼!」は言葉だが意味内容を伝達するためだけに発せられたものではない。そこには「叫 び」の中にある、「コードとメッセージが不可分な状態」が見てとれる。これについては 1-8.において詳しく述べる。書かれた形式と話された形式は、言語学者エドワード・サピア の『言語』において

書かれた形式は、話された形式の二次的な記号̶記号の記号̶である。それでも対 応関係が極めて密接なので、理論上だけでなく、一部の黙読者や、ことによると、 あるタイプの思考の場合は実際上でも、話された記号にまるごと取って代わること がある。とはいえ、聴覚・運動神経の連合は、おそらく、少なくともつねに潜在し ていると思われるのだ。すなわち無意識のうちに利用されているのだ。

と説明されている。ということは例えば詩作品を観賞する際、「無意識のうちに」読者は頭 の中で鳴る音を聴いていると言える。 また、音楽においては、楽譜に書かれたものが書き言葉に対応し、演奏されたものが話し言 葉に対応すると言えるだろう。

1-3. 言語的コミュニケーションの形態/詩的言語 言語学者ヤコブソンの言語的コミュニケーションの形態の中の「詩的言語」について石田英 敬は『記号の知/メディアの知』においてこのように述べている。

コミュニケーションを構成する六つの要素のうち「メッセージ」に焦点が当てられ たことばの働きは「詩的機能」と呼ばれ,二つの定義が与えられていました.第一の定 義は,詩的機能は,「言語によるメッセージそのものの志向である」というものであ り,第二の定義は,詩的機能は,「等価性の原理を,選択軸から統合軸へと投射する」と いうものです.(中略)第一の定義が述べているのは,記号からなるメッセージが自ら の記号としての形式,様態,作用を際立たせ,自らの記号性を前景化するような働きこ そ,「詩的機能」あるいは「美的機能」と呼ばれるような記号作用だという考えです.

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まず、第一の定義としての「詩的機能」は例えば広告に強くあらわれるものである。それは 「商品の記号としての側面がクローズアップされ,かたちや配置や作用といった記号性が全 面に押し出されている」からだ。第二の定義は、本研究にとって一層重要である。これにつ いて石田はこのように述べている。 1950年代のアメリカ大統領選挙におけるアイゼンハワーの陣営のスローガン「I like ike」(中略) I

like ike.

ay ay

ay

layk ayk (中略) 「I」,「like」と「ike」とは,単語としてはなんら必然的な結びつきも類義性もない わけですが,音韻的に呼応関係にある配置が生み出されることで,意味論的なエコーの 関係に導き入れられるというわけです.このスローガンの組織によって,人は「Ike」 の中に「I」が内包され,「like」の中に「Ike」という対象がすでに含まれているの を聞き取るようになる.

ここでは、その音によって規定された文字列がそのものでは単に音遊びであるというだけの ものが、実際にはその音の構造によって情報を持つと述べられている。 続く2項1-4.と1-5.で、言語と音楽を基本単位と構成法の二つの区分において検討する。

1-4.基本単位 まず、基本単位として言語においては文字と発音がある。音楽においてはそれに対応するも のとして、音階や音律があげられる。用いる音の基本単位を選ぶその体系は調性と呼ばれ、 近代までの音楽は基本的にその調性に則ったものである。調性とは『図解音楽辞典』による と

素材音階から音が選び出され、1つの<中心音>または<基音>をめぐる座標系の なかでまとめられる.この座標系を調性と呼ぶ.

とある。という事は、使う音のパレットの体系のようなものと言える。これは、使う記号あ るいは音響のパレットとしての文字と発音と対応して考えることが出来る。言語においては さらに、それらを連ねる単語の単位での法則が加わる。単語は、音楽において旋律的特徴を 規定する「動機」に相当するものと言えるのではないだろうか。「動機」とは、『図解音楽 辞典』によると

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動機はたいてい旋律的な最小意味単位,記憶に残りやすい特徴的な形象であって,自立 化への力によって定義される.すなわち動機は<反復>されたり,他の音度でもあらわ れたり,あるいはまた変化することもできる.

とある。これを単純にいうと、何度も繰り返される特徴的な音の連なりの形の最小単位と言 える。それは、文章においての「単語」に対応するもので、同一の、あるいは似通った動機 は多くの作曲家たちにおいて「共有」され、互いに引用されていると言っても間違いではな いだろう。引用について、デイヴィッド・コープが『現代音楽キーワード辞典』の中で「ほ とんどの作曲家は、自分の作品のなかに1回か2回は他の作曲家から音楽あるいは様式を引 用したことがあるだろう」と述べるように、非常に一般的なものと言える。しかしながら、 「単語」のように引用したものの意味のみで作曲をすることはほぼ不可能であり、その意味 では対応するものとして論じるのは無理がある。ここでは、言語と音楽を比較する際に対応 するのではないか?とだけ指摘しておきたい。

1-5.構成法 構成法として、まず言語はその文法をあげることが出来る。文法とは、『新明解国語辞典』 によると

その言語体系において、語句と語句とがつながって文を作る時の法則。

とある。そして音楽において、文法に対応するものとして作曲技法があげられる。作曲技法 論とは『図解音楽辞典』によると

作曲技法論は作品の構造を分析する.これは対位法,和声法,旋律法,リズム法,形式など の分野で作曲史的研究を行う(「音楽理論」).

また、作曲技法の具体的な一つの例として対位法をあげておく。同じく『図解音楽辞典』に よると

対位法は多声書法において実現される.多声書法の諸声部は<水平の>旋律的次元を, その同時的な響きは<垂直の>和声的次元をもち,いずれも協和音を指針とするのが 普通である.

ここでは対位法そのものについて説明することを目的としないので、詳細な説明は避けるこ とにするが、引用における<水平の>次元とはごく単純に言うと音が出現する順番である。 そして<垂直の>次元とは、同時に鳴る音の組み合わせである。そして<水平の>次元が言 7


語における語句や文法と対応すると言える。また言語においては<垂直の>次元、すなわち 言語においては複数の話者の発話の重なりを記述する構造を、演劇などの特殊な場合を除い て基本的に持たない。これは言語と音楽との相違点である。 現代においてはコンピュータの技術は様々な所で用いられているが、コンピュータでの言語 の構造分析は一般に自然言語処理と呼ばれる。自然言語処理とは、『自然言語処理(Natural Language Processing) 』によるとこのように述べられている。

自然言語処理は日常生活で話したり書いたりする言葉のことで,コンピュータ用の人 工言語と区別するために「自然」言語といっている.『処理』はそのような自然言語 をコンピュータが扱うための操作で,コンピュータが自然言語を理解したり生成した りするためのものである.

特に同著で「文の構造の理解」の項では

日本語や英語の構造を解析するには,次のようなステップが必要である. (1)文を構成する単語を品詞別に切り出すこと(形態素解析) (2)単語の品詞の並びが文法的にあっているか否かをチェックすること. (3)主部̶述部関係,修飾̶被修飾関係,文の型(平叙文,疑問文など)の抽 出. 実際に現在動いている言語処理システムはこのようなステップで文の構造を分析,抽 出している場合が多い.

と述べられている。一方、音楽における構造のコンピュータでの分析としてはデヴィッド・ コープの“Experiments in Music Intelligence”がある。これは「そのデータベースにある 音楽様式で音楽を作る」(コープによる『現代音楽キーワード辞典』による)ものである。

1-6.音楽作品の形態、形式の個別性 言語の形式はその言語においては辞書や文法などが共有されるのに対して、音楽の形態や形 式はその音楽作品毎に意味が異なるという言語と音楽の相違点がある。図解音楽辞典ではこ のように述べられている。

音楽作品の形態,また同時にその形式は個別的である.したがって,あらゆる形式的現 象は作品に内在する法則に従い,その作品においてのみ有効な機能を果たす.

これまで音楽と言語を対応させて述べてきたが、この「個別性」が音楽その作品においてと 言語の構造において異なる点だと言える。「音楽言語」は時代や作曲家によって異なるもの 8


の、まったく個別的だという訳ではない。そこで、例えば音楽における「単語」として「動 機」をあげることでこの部分を整理してみたい。「動機」が何度も繰り返される特徴的な音 の連なりの形の最小単位と言え、それは文章においての「単語」に対応するものであるとい うことは既に述べた。しかし、音声言語においての「たまご」の音の連なりは異なる作者に よる、異なる文章においても「鳥・虫・魚などの雌から産み出される、殻や膜に包まれた球 形のもの」を意味するが、例えば音楽での「ソファソ」の音の連なりの意味は、その作品に よって異なる。これが音楽作品の形態、形式の個別性であり、言語との相違点である。

1-7.音楽における言語 音楽と発話される言語とは歴史的にも密接に結びつき発展してきた。例えばイントネーショ ンやアクセントを考慮した歌の旋律線や「韻を踏む」発音(歌詞)と旋律の反復などがあげ られる。

1-8.幼児期の言語/身体器官に基づいた言語としての喃語 ここでは音楽に深いつながりを持つ言語的なものとして、幼児期の言語や言語的なものとし ての喃語について説明する。『音楽と美の言語ゲーム』において矢向正人は「コードとメッ セージとが不分離」なものとして幼児期の言語についてこのように述べている。

初期言語はコードとメッセージが不分離な状態での発声であり、言語よりは音楽に 類似する。エレン・ディサナヤク Ellen Dissanayakeは、幼児と親との声によるコ ミュニケーション行為から音楽が生じた可能性があると述べている(Dissanayake 2000)。声はこのコミュニケーション行為の中で身振りや表情と強く結びついてお り、相互に補強しあっている。ディサナヤクは、音楽の始原には、感情と結びつい た声のこの身振り的な表現があったとする。なお、ここでは幼児と親とが互いの声 を模倣しあう段階が想定されている。(中略) また、幼児は外部から聞き取った音の中から、発音しやすいもの、すなわち聴き馴 れたものを音声として発する傾向がある。音声によるこの模倣は、模倣する対象の 意味や機能を明確にする。

初期言語に顕著に見られるこのような「コードとメッセージが不可分」な状態は、例えば詩 の朗読においてや叫びなどにも現れる。それは言外の雰囲気を伝える「言葉のニュアンス」 のようなものであるとも言える。また幼児による聴き取った音を発する行為も、成人の言語 における擬音語に相当するものであると言える。また、前言語、言語の前段階の言語的なも のとして喃語がある。喃語とは『大辞林』によると

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乳児期の、まだ言語とは言えない意味のない音声。言語習得の最初期における発 声。

とある。すなわち、乳児の実際的な身体の制約に合わせて作られた言語的なものと言える。 喃語はコミュニケーションを成立させないので厳密には言語ではない。 また、喃語におい ても上述のように「コードとメッセージが不分離な状態にあり、それは言語というよりはむ しろ音楽に近い」(矢向)ものと言える。喃語の特徴とは ・身体的な制約に基づく音の体系であること ・コードとメッセージが不分離な状態にあること の2点であると言える。この2点は後述の発音置換による音楽作品と共通する特徴でもあ る。

1-9.1章まとめ 以上、第1章では音楽と言語の構造としての類似点と相違点について述べた。 次章において、特に言語を「響きの連なり」として捉え、主に音の要素から見た言語につい て、そして先行作品について述べていく。

第2章.「響きの連なり」としての言語/先行作品 2-1. 音から見た言語/音声学 ここで、言語を音の側面から見たものとして音声学をあげておく。音声学とは、J.C.キャッ トフォードによる『実践音声学入門』によれば

音声学は人間の言語音の組織的な研究である。音声学は,人間の声道で作ることので きる事実上すべての音を記述し分類する方法を提供する。

また同著において音声学は3つの分類がされている。1つは器官的段階に基づくもので、そ の言語音が身体のどの場所において調音されて(音がつくられて)いるかという部分に着目 した調音音声学と呼ばれるものである。2つ目は「例えば、口から外に流れる空気の量の速 度変化を見ることや,また口内の圧力を測ることなどによって」空気力学的な部分に着目し た空気力学音声学である。3つ目は音響分析の為の電子機器を用いたもので、音響音声学と 呼ばれる分野である。調音音声学は一般音声学の最も基本的なものであり、本研究において も主にこの段階に関する部分として、ほぼ全ての発音を網羅した国際音声記号を参照してい る。以下に国際音声記号の表を添付する。

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図 1 国際音声記号

この国際音声記号は、発音の調音(音をつくること)の方法や調音位置によって発音を区別 し、記述したものである。例えば最上部の表においては、子音を口腔内での位置と方法に よって配置してある。左右の軸が調音位置の前後を表現しており、左端が一番前の位置、具 体的には口唇音(唇でつくる音)であり、その右隣は歯唇音(歯と唇でつくる音)となり、 右にずれるごとに口腔内において後ろで作られる音となる。上下に軸では調音方法(音の作 り方)で分類してある。例えば一番上の行は鼻音であり、日本語においては「め」「な」な ど、鼻にかかった種類の子音にあたる。その下の行は「破裂音」であり、空気の通り道とし 11


ての口腔を閉鎖してから一瞬で解放した時の音である。日本語では「ぱ」「て」などにあた る。ここで国際音声記号の全てを説明することはしないが、それが発音の実際的なやり方に よって可能な限り音を区別、記述しようとするものであるとだけ述べておく。

2-1-1. 発音記号を用いた作品 ここで、発音記号を用いた音楽作品を挙げて、その特徴を分析したい。興味深いものとして ディーター・シュネーベルの合唱曲“ : ! (MADRASHA Ⅱ)”がある。 この作品は1930年の 作品で3つのグループの為の混声合唱曲である。以下に楽譜の一部を引用する。

図 2 “ :! (MADRASHA Ⅱ) ” のスコアの一部

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この作品では声の記譜の為に発音記号を用いるのに併せて、線や矢印により音高や発音の移 り変わりを指示したり、リズムにおいては五線譜による記譜を用いるなど、多様な方法で同 時的な音や響きの移り変わりを表現しているが、基本的に西洋音楽の記譜法に則っている。

2-1-2.音によって組織される言語芸術 次に、音によって組織される言語芸術として詩作品やダジャレを検討する。言語は必ずしも 伝達の為の道具としてのみ働くわけではなく、例えば詩は何かを伝える具体的な目的があっ て詠まれるものではなく、伝達という目的に支配されておらず、多分に作者の裡なる感情、 感覚によって綴られるものである。そして特に、他の言語生活に比べてより大きな比重で音 によって組織される特徴をもつ。また、もし「書き言葉」の活動としての詩作であったとし ても、頭の中で音を伴っているということについては、1-2.において既に述べた。 一般にダジャレと呼ばれている音のおかしさを用いた言葉遊びは正しくは地口と呼ばれるも のである。『日本国語大辞典』によると

地口 ふつう世間に行われている成語に語呂を合わせたことばのしゃれ。「柿本人麻呂」 にかけて「垣の外の四斗樽(しとだる)」、「春眠暁を覚えず」にかけて「遊人杯 を押えず」という類。

と説明されている。 普通ダジャレというと、似た発音の違う言葉を意図して使うことで、 ある言葉と音とのあいだにある「おかしさ」を表現するものである。その「おかしさ」とは 単語を、当てはめられている音によって違う言葉に関連付けるという作為によるものであ る。言い換えれば、音を頼りに単語を関係づけるという事である。そしてダジャレは言葉に おける音と意味の関連づけを意識化させるという意味で、詩と似ている。そして、言語活動 の多くが意味情報が先行してその文章の構造を決定するのに対してダジャレにおいては、音 によって明確に文章が構造化される点で特徴的であり、新しい記号(文字)と音の関係を模 索する上で考慮しておきたい。 次に、Kurt Schuwittersによる音響詩“URSONATE”を検討する。音響詩の概要について は1-1.において既に述べたので、この“URSONATE”(日本語では“原ソナタ”と訳され る)について解説する。『エクスペリメンタル・ミュージック』では、この様に述べてい る。

シュビッターズにとっては、詩の原初的な素材は、言葉よりも文字だっ た。(中略)<原ソナタ>は、能う限りプリミティブではあれ、やはり作 られた曲であり、変形された音節にもとづいて現実の演奏のなかで演じら 13


れる曲であることに変わりない。(中略)一九二七年のテキストで彼が強 調するのは、序曲とフィナーレを備え、四楽章で区切られた<原ソナタ> の、論理的かつ厳密な構成だ。たとえば第一楽章はロンド、第三楽章はス ケルツォ。またそれらのリズムは、強調されるか簡潔か、強いか弱いか で、それによって魅惑的なコントラストが生まれる。

「言葉より文字だった」ということは、つまりそれが意味の羅列としてではなく、音を記述 する為のものだったと解釈出来る。また、引用から解る通り、この“URSONATE”が意識 としては全く音楽として作られ、その記述として「文字」を用いているということが解る。 以下に作品のテキストを引用する。

図 3“URSONATE” Kurt Schuwitters

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2-2.言語の構造と響きの構造 2-2-1.ルールに基づいた言語作品 次に、書き言葉における文字列の操作による詩作品を検討する。 ルールに基づいた言語作品を作った集団としてoulipoというグループがある。このoulipo は、論文『OULIPOについて』によると

1960年11月24日.そのかみの大押韻派(Les Grands Rhétoriqueurs)を大先達として 言語遊戯を実践し、JARRY, ROUSSEL, QUENEAU らを水先案内人として新たな 文学形式を開発せんという目標のもとに,ポテンシャル文学工房(Ouvroir de Littérature potentielle̶​̶略称 OuLiPo)なる実験的グループが誕生した.

と説明されている。1960年代のフランス、パリにおいて生まれた文学表現のグループであ る。。彼らが作ったもののひとつに、あるルールで文章を改ざんするというものがある。 彼らは「改作行為の正当性と必要性について力説している」と同論文で報告されている。 次に改作の例を同論文から引用する。

置換練習(Exercies permutatoires)は,原テクストに使用されている語の位置をいれか えるだけの操作であって,ある語を削除したり,別の語を添加したりすることはない が,すでにそれだけでも,原テクスト(たとえばRACINE, MUSSETの詩)に対して十分 な異化効果を発揮することができる.反義詩法(Poésie autonymique)と呼ばれる操作 の場合は,原テクスト中の名詞・形容詞・動詞のいずれかまたは全部が,反義語によっ て置換される.

このような試みを、ある定式に則って文章に手を加えることによる表現行為としてあげてお きたい。そしてまた、文字単位での置換を試みるケースもあり、例えば、有名な詩を脱意味 化し、音韻のみを残すというような結果となる。そのような場合には、言語の音響化と捉え ることも出来る。これは、置換による音響化として、本研究での作品と似た経路を辿るもの である。本研究でのそのような意味から音への変換に関しては3-1-1.において後述する。

2-2-2.言語情報を用いた音楽作品 ここでは、言語情報を用いた音楽作品について述べる。 まず、今日私たちが慣れ親しんでいる「ドレミファ」の原型となるソルミゼイションを生み 出したグイード・ダレッツォをあげておきたい。以下『新西洋音楽史』よりテキストと図を 引用する。

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11世紀の修道士グイード・ダレッツォは、視唱を教えるために、ut、re、mi、fa、 sol、la、という一連の音節を案出し、ト音またはハ音から始まる6段階の全音・半 音の配列型を歌い手に覚えさせることをもくろんだ。この配列型では(たとえばハ ̶ニ̶ホ̶ヘ̶ト̶イ)、第3音と第4音のあいだが半音で、ほかはすべて全音で ある。これらの音節は<貴方の僕たちがUt queant laxis[(ラ)ウト・クエアン ト・ラクシス]>という讃歌の詞(少なくとも800年まで遡れる)から取られ た。旋律は、この配列型の例示とすべく、グイード自身が前述の詞につけたものか もしれない。讃歌の6つの詞句はこの配列型の音の1つで始まり、第1句はハ、第 2句はニという具合に、規則的に上昇するようになっている(例2.5参照)。ここか ら、6つの詞句の第1音節 ut、re、mi、fa、sol、la、[ウト、レ、ミ、ファ、ソ ル、ラ]が段階の名前になった。これらのソルミゼイションsolmization音節(ソ ル・ミから取ってそう呼ばれる)は、ウトの代わりにドと言い、ラの上にティ ti([シ si ])を付け加えている点を除けば、そのまま今日の教育においても用い られている。

図 4 ソルミゼイション解説図「例2.5 讃歌<貴方の僕たちが>」

このように、ドレミのもととなる音高の表記は讃歌の詞をヒントに創り出されたと言える。 同時に、この仕組みを教えるために詞にあわせて旋律をつくった可能性も指摘されている。 いずれにせよ、言葉と音の関わりによって現在私たちが慣れ親しんでいる音の仕組みが作ら れたということが言える。 次に現代において言語の構造を用いた作曲技法について述べる。2000年代に作られた「アン ケート・アート」のいくつかの作品群において、日本語の品詞や単語の文字数の情報を用い てメロディをつくるという試みが行われている。論文『アンケート・アートとその手法を用 いた作曲技法』によれば

「アンケート・アート」とは、様々な問題に対する意見をアンケートによって集 め、その回答の文章を品詞分解し、品詞の種類により音程を決め単語の長さを音符 の長さとして、メロディを作り出すという、文章の構造に基づいた作曲法である。 16


と説明されている。また、その作曲法に基づいて作られたメロディを楽譜化し、演奏家に よって演奏する音楽作品のことを「アンケート・アートの手法を用いた音楽作品」と呼び、 「アンケート・アートの手法を用いた音楽作品」では、演奏家の身体性を加えることによっ て音楽的表現になるということも述べられている。同作品には、様々なアンケートを取るこ とを作品化するというような、日常空間の事柄を作品に持ち込むというような面白さも含ん でいるが、ここでは、「言語」の「構造」に着目するものとしてあげておく。

2-3.2章まとめ この章では様々な、音から見た言語に関する先行作品やその特徴を考察した。 そのうえで、日本語の文法規則によって構造化された「響きの連なり」としての音楽と言え るものとは、どのようなものが考えられるだろうか。そしてそこには、意味情報の伝達の目 的から自由な「コードとメッセージが不可分」な状況が現れているものである筈である。ま ず始めにイメージ出来るのは伝統的な詩作であろう。しかし、詩作以上の音響の連なりを期 待したい。そして次に考えられるが音響詩であろう。「 コードとメッセージが不可分」な 要素も含んでいる。しかし、前述したとおり音響詩はまず最初に音に依っており、それを言 語の要素である文字によって記述しているものであるから、「言語の構造から響きの連なり を得るもの」とは言えない。また、発音記号を用いた音楽作品としてのディーター・シュ ネーベルの合唱曲“:!(MADRASHA Ⅱ)”をあげたが、同様に言語の文法情報で構造化され ていない。 それでは、グイード・ダレッツォの発明はどうであろうか。しかし、こちらは言葉からとい うよりはむしろ、音を言葉によって記述する発明である。記述されるのは楽音であり、やは り発音の音響情報とは関わりをもたない。しかし、記述するということで音楽は大変な発展 を遂げた。そのことをヒントに、次にOULIPOの作品をあげてみたい。これは書き言葉であ り、基本的に声に出されることを前提にしておらず 「コードとメッセージが不可分」な部 分も無い。だが、彼らの作品でユニークなものとして文字の置換によって、文章を脱意味化 し、元の詩の押韻の情報にしてしまうという点が挙げられる。それは「置換」によって「音 響」を得るものだと言える。そこから「置換」を用いた音楽作品として、アンケート・アー トの手法を用いた音楽作品を連想してみたい。それは文章の品詞を楽音に「置換」するもの と言えるからだ。ということは、言語の文法構造を音楽の構造として用いており、本研究に 大変に近いものに思われる。しかし、アンケート・アートは器楽曲として、扱われる音を音 高や音価といった従来の音楽の記譜法によって取り扱っている。そこで、発音の持つ複雑な 音響情報は取り扱わないという点でやはり異なる。 上記の考察をまとめると、日本語の文法規則によって構造化された「響きの連なり」として の音楽とは、複雑な音響情報を持った言語的な、しかし意味情報の伝達の目的から自由なも のでありながら、意味の体系からも影響を受け、音によって音の連なりの関係性をもつよう 17


な音楽作品が、「置換」という方法によって可能になるのではないかと考えられる。 次の 章において、それをどの様な考えで実現したかを述べる。

第3章.本論 日本語発音の置換による作曲 3-1.日本語発音の置換による作曲について(1) 前章までの論旨をもとに作曲するにあたって、どのような方法が考えられるだろうか。 「日本語の文法規則によって構造化された響きの連なり」であるから、まずは日本語をベー スとしたものが考えられる。また複雑な発音の音響情報を扱う記号として、発音記号を使う ことが適していると考えた。そして「意味情報の伝達目的から自由かつ意味の体系から影響 を受ける」詩の形式が有効だと考えた。そして、その言語としての意味を音響化することは 「置換」によって可能になるに違いない。そこでまず、言語のどの要素を「置換」するのか 検討する。まず、思い浮かぶのは、書き言葉の「ひらがな」であろう。しかし、「ひらが な」同士の置換では、音としての現れにおいてあまり日本語と変わらない、言葉遊びの暗号 のようなものにしかならず、前章のシュネーベルに見たような複雑な音響情報を扱っている とは言い難い。そこで、扱う記号の単位として発音記号を用いるのが妥当だと考えた。そこ で日本語の音素を発音記号で表し、それを別の発音記号に一定のルールで「置換」すること とした。そして、その行程を含んだ詩作により日本語の発音の置換による作曲が可能になる と考えた。

3-1-1.音素 ここで、音韻論で言う音素について説明する。まず音韻論とは、『実践音声学』(J.C. キャットフォード)によれば「音声がどのように体系に組織されて言語に用いられるか」に ついての研究であり、さらに音素とは、同著によると

音素(phoneme)は言語の音韻において最小の連続的で対立的な単位である。最小 (minimal),連続的(sequential),対立的(contrasive),という3つの用語はそれぞれ説明を 要する。  対立的という用語をまず取り上げる。音素はある語と別の語を区別する音声の断 片であるという意味において対立的である。音韻的に/bit/と表記される英単語bitに ついて考えてみよう。この語は最初の子音/b/と/p/の違いによってのみ,pit/pit/と いう語と区別される。また,pitは/p/と/f/の間の対立によってfitと区別され(中略) といった具合である。これらの対立を担うあるいは表す音の断片が音素なのであ る。

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音素は最小の連続的単位である。なぜならばもし一続きの音声を取り出して連続 した音韻単位に切り分ければ,語の音韻形式の構成要素の中で対立的単位として機能 する最も短い範囲の音声が音素だからである。

と説明されている。音素は音声記号で記述されることもあるが、厳密に見た音響現象として は違った音であったとしてもその言語内で区別されない(対立的でない)ものの差異に関し ては記述しない。このことを日本語における「が」を例にして説明する。「が」は発音記号 で表記した場合[ŋa]あるいは[ga]と発音される。この二つの発音の違いを単純に言うと、鼻 にかかったような「が」かそうでないかということであるが、日本語はその二つの音の違い によって意味が変わることが無い。その為、日本語の音素/g/は [ŋ]と[g] を区別無く含んで いる。これが、音素が対立的でないものの差異を記述しないということである。すなわち、 発音における差異の記述として音素を考えることが出来る。また、言語学者のソシュールは 「言語には差異しかない」と述べている。これについて『記号の知/メディアの知』におい て石田英敬が述べているのもこの音素における差異の体系としての話であり、

記号のシステムのような関係論的な集合においては,差異こそが基本である,というこ となのです.「言語体系には諸々の差異しかない」というソシュールの定式が示して いるのは,言語記号におけるそのような差異を基本とする記号の成立の仕方なのです.

と述べている。その言説を「音素」において考えると、「音素」は言語の発音における 「諸々の差異」である。言い換えると音素としての「対立的な単位」が音声言語を成立させ いていると言える。

3-2.日本語発音の置換による作曲について(2) 上述のように音素は言語の発音の差異の体系であるから、決まったルールによって別の発音 に置換されたとしても「対立的な単位」であることには変わらない。そうであるならば、発 音の置換が行われたとしてもソシュールの言うように言語は成立するに違いない。というこ とは、その言語から発音だけが異なる言語の体系、すなわち音素が別の発音に置き換えられ た言語を考えることが出来る。そのような架空の言語で詩作をしたとしたらそれはどのよう なものになるであろうか。例えば、日本語の音だけが全く異なった体系の架空の日本語(以 後本論において「置換語」と呼ぶ)が存在したとして、その詩の朗読というものはどのよう なものであろうか。また、1-2.において述べたように、書かれている文字だとしても人は頭 の中で言葉を(声に出すように)読みあげている。 特に詩作は、意味と音の両方の要素に よって作られるものであるから、 置換語での詩作においても頭の中でその置換された発音 での詩が鳴っていなくてはならない。それは、その発音の体系での言葉同士の関連づけをす るということである。そうしたその発音の体系での言葉同士の関連づけをすることにより、 19


日本語→置換→発話というプロセスではなく、言語(文法)的には日本語でありながら置換 語で考えるということ、すなわち置換語での詩作が可能になるに違いない。そこで筆者は、 コンピュータで発音の置換をシミュレートすることとした。コンピュータによる日本語の発 音置換シミュレータ(以後「発音置換シミュレータ」と呼ぶ)が詩の頭の中での読み上げの 行程を代行することによって、置換語の音による詩作が可能になるからである。具体的に は、一旦記述した置換語によるテキストをコンピュータによって逐次発音のシミュレートを 行う事によって、そのテキストがどのような発音(音響)として現れるのかを確かめながら 詩作を行うことが出来るのである。 そのようにして、日本語発音の置換シミュレータを制 作/運用することにより置換ルールと作品の形態を決定することに繋がると考えた。 そし てそれにより上演の為の楽譜を制作し、演奏者の決定、練習の行程を経ることで、最終的に 人間により上演することが可能になると考えた。

3-3.置換語での擬音語、擬態語 発音置換シミュレータが詩作の一部を担うことにより、置換語による詩作が可能になること は既に述べた。その上で、筆者は置換語による擬音語や擬態語による表現を試みた。これ は、置換語に基づいた聴取の試みであると言い換えることが出来る。擬音語・擬態語とは 『日本語オノマトペ辞典』によると

擬音語・擬態語の定義は、ものの音・声などを表した語、音のない仕草や動作を音 に表した語、のように定義されます。

であるがここで、日本語で擬音語がどのように作られるか考えてみたい。擬音語は「ものの 音・声などを表した語」であるから、ある音響を言語によって記述したものである。言語に よって音響を記述する際には、その言語にある発音から選ばれている。加えて当然、人間の 口腔を用いた音の表現には身体的な限界があるので、現実の音響現象をそのまま模写するこ とは出来ない。従って、擬音語はその音響現象の特徴を誇張するかたちでつくられる。とい うことは、擬音語はその音響現象の「聴き方」を語としてあらわしたものに違いない。擬態 語に関しては、心象の音(頭の中でのみ聴こえる音)を表現したものであるから、よりそれ が現れていると言える。

3-4.意味を音に変換すること 一般的な音楽作品同様、この置換語の詩作を用いた作曲においても、制作あるいは楽譜の段 階と実際に上演された段階でその受け取り方が異なる。同時に言語情報としての置換語によ る詩作としては、鑑賞者はその音の体系での言語の話者では無い為、置換語で発音された詩 は、鑑賞者自身の日本語の語彙との連関を失う。 例えば紙面のテキストの配布等によりそ の発音に対応する意味の提示を行うとしても、 観客にとっては発音が置換された時点で音 20


のもつ意味情報は直接的な意味では失われる。そしてそれはOULIPOのしたような意味情報 の音響情報への変換である。音響詩が音を最初にイメージし、それを言語的な記号で記述す るものであるということは既に述べた。そのような順番で考えると発音置換による作品と は、言語を先にイメージし、その発音が異なったものとなる。言うなれば「詩音響」とでも 言うようなものである。

3-5.人間による演奏 コンピュータによる上演あるいは再生を発表の形態とすることも考えられたが、人間による 上演の形式を採用した。詩作においてその一部をコンピュータの機能が担っているとして も、上演においては人間によって身体化され発声される必要があると考えた。それは私たち の言語生活の一部が既にコンピュータによって担われている現実を映し出すものと考えたか らである。そのような現実を「携帯電話のメール機能」を例にとって検討してみたい。日常 において携帯電話で文章を作成する際、私たちはペンでは書けないような漢字を抵抗無く用 いて携帯電話メールの文章を作成している。加えて今日の多くの携帯電話では、文章作成補 助のために予め設定されたり、それまでに打ち込まれた単語の記録から使用頻度の高い単語 を優先的に表示する「予測変換機能」も一般化している。私たちはコンピュータの助けに よってつくられた言葉を日常的に使っているのである。そのような現実を映し出すものとし て人間による上演を採用した。

3-6.本研究の狙い 日本語の文法や文字はそのままに、しかし発音だけがまったく異なる架空の日本語を考えて みる。それによって新しい「詩作」が可能になるのではないか?それは同時に(日本語の) 文法規則によって構造化された「響きの連なり」という意味では、新しい音楽と呼べるもの になるのではないか。 そこでまず、筆者の母語である日本語を対象にその体系の発音、すなわち音素をどのような 発音に置き換えるべきなのか、そして発音を置換することでどのような新しい表現の可能性 があるのかを探る事が本研究の狙いである。

第4章.作品について 第4章では、具体的に作品をあげて解説する。ここで予め2作品に共通する制作の流れを説 明しておきたい。2作品は共に、3章で述べたように置換された発音の日本語を人間によっ て上演される形式をとっている。その上演の為のスコアの作成においては、コンピュータで 作動する発音置換シミュレータを用いてそれがどのような音の現れとなるかを確認しながら

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行った。具体的には日本語のテキストを発音置換シミュレータを通し、発音を置換した時に どのような発音になるかを逐次確認し、その作業を繰り返して最終的なスコアを作成した。 以下において、作品毎に個別に説明していく。

4-1.予備審査作品“misd” 4-1-1.作品概要 舞台上で人間によって上演される音楽作品とした。一人の演奏者による「独唱」である。 演奏は作曲者が行った。舞台上で譜面を見ながら演奏する、一般的なコンサートの形式を採 用した。

図 5 “misd”演奏風景

4-1-2.スコア スコアにおいては発音記号で発音の種類を指定し、 単語の区切り等のリズムの情報と音高 アクセントの音高情報を5線譜上に伝統的な歌のスコアの形式で記述した。音高アクセント は上がる/下がる/そのまま、のパターンで区別し五線譜上の音符に書き換えた。リズム は、ひらがな1文字を、また休符としては品詞等の区切りをそれぞれ170ミリセコンドとし た。また、譜表上部にその発音の意味を示すものとして元となった日本語のテキストを書き 入れた。以下に楽譜を引用する。

カ ン ラ ー ム ケフェフィ  パ シヒパ ル ー     カ ン ラーム ネ ユ ーセ

シ ュ ル モ    ギ    シュウィティ  ニョ  シュシャネ ザ ウィ

パ シ ヒ パ ル ギ      ヒュファネピョー オトゥギン

ラ イ メ ト ゥ   シュウィラ ゴ     イ ラ シ   ウ ィ シ ラ

図 6 “misd”スコアの一部に目安の音表記をカタカナを用いてつけたもの

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図 7 “misd”スコア

4-1-3.発音置換ルール 置換のルールとして子音については無作為に選んだ日本語とは違う発音を割り当てた。母音 については日本語で使われているa,i,u,e,oを別の母音に割り当てる形で使用した。日本語の音 素中唯一子音と母音のセットで扱われない/ɴ/については実験的に口唇音/ʘ/を採用した。 置換ルールの割り当てをランダムなものとした理由としては、身体の制約とは無関係に決定 し、それでも可能なものであるか確かめる為である。

4-1-4.テキスト 街中で実際に話されている声をスコアの元となる日本語として設定した。日常の言語生活に おいて繰り返しや決まった形の変化などを探したところ、ファストフード店店員の声が適し ていると考え、岐阜県の大垣駅前のファーストフード店の店員の発話を採用した。店員の音 声を録音し、次にテキストに書き起し、発音置換シミュレータによって確認しながら選定や 編集を行った。以下にテキストを添付する。

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“misd”テキスト全文

いらっしゃいませ。こんばんはー

こちらでお召し上がりですか? ショコラがおひとつー。ポンデリングがおひとつー。

いらっしゃいませ。こんばんはー

はい。ショコラがおひとつ、ポンデリングがおひとつで、二百円です。

お次でお待ちのお客様、お決まりでしたらお伺いいたします。 こちらでお召し上がりですかー

ショコラがおひとつー。ポンデリングがおひとつー。ポンデショコラがおひとつー。 カスタードショコラがおひとつー。カスタードクリームがおひとつで、五百十円です。

お次でお待ちのお客様、大変、お待たせ致しました。

4-1-5.構成 テキストの選定・編集は行ったものの作品内の時間の構成については、作曲者自身が細部ま で操作することは極力避けた。これは、日常における言語生活を音楽の構造にそのまま対応 させることを試行したからである。また、「いらっしゃいませ∼」などの繰り返しや会計の 際の定型句により、ある形式を感じさせることを期待した。

4-1-6.練習 上演に向け、発音を置換した日本語を実際に身体化するということがどのようなものである のかを実験した。“misd”の練習においては、まず発音置換シミュレータをによって上演 されるべき音を録音し、それを繰り返し繰り返し聴いたり、おうむ返しのように真似をする という方法で身体化を行った。

4-1-7.結果 上演後の考察として試行した事柄について検証したい。 スコアについて 問題点として演奏がリズム・音高ともに非常に狭い音域や少ないパターンのリズムになって しまった。これは記譜上の問題と考えられる。五線譜の扱いに習熟していれば、ある程度複 雑なイントネーションやリズムのパターンを記譜出来る。しかし、会話が平均律の音階で書 24


き表せないことは当然で、五線上の音符は単に音高の上下運動を指示するものにしかならな かった。リズムに関しても、日常の言語生活は一定の速度を前提としないので同様である。 譜表上部に書き入れた意味としての日本語テキストは、ニュアンスの表現に貢献した。

発音置換について ここで置換ルールが妥当なものであるかを検証する。置換のルールを子音についてはランダ ムなもの、母音については日本語と同じ「aiueo」を用いかつ異なる母音に割り当てるとし たが、これは全く理にかなっていないものであった。子音については、身体の制約を考慮し ていない為、非常に「言いづらい」音の連なりが多数生まれてしまった。これは逆に言え ば、日本語がその歴史において使われていくなかで身体の制約を受けながら発音の連結を最 適化していったということを実証した、とも言える。そしてまた母音については、発音を選 び出す段階において日本語のものを用いなくてはならない理由は無く、同時にその結果は、 ある部分で日本語と「似た」印象となる。この結果も、「ありえたかもしれない別の発音の 日本語」の想像力の少なさとして現れてしまった。

テキストと練習について テキストは街中の生き生きとした売り子の声を用いたのであるが、後述する練習が「シミュ レータの真似」であった為に、ニュアンス、言い換えると「コードとメッセージが不可分」 な領域の情報が抜け落ちてしまった。結果、作品上演がシミュレータのコピーという印象を 観客に与えてしまった。これは人間による上演の意義を失わせる大きな問題であった。

構成について テキスト内の繰り返しによってある程度の構造を感じさせることは出来た。しかし、繰り返 しの文言でない部分は突然現れたような印象となった。これは上述した音楽作品の形態、形 式の個別性によるものと考えられる。観客が、置換された発音の体系を言語として習得して いない以上は、作品の始まった時間以降に出現していない「響きの連なり」はそのような印 象になると考えられる。

他に上演して気付いた問題点としては観客から観た時に、即興で(もともと)意味の無い発 音の羅列を聴くこととの違いが無くなってしまった。この作品は構造として「日本語の構 造」をもっており、加えて「発音の置換ルールの構造」も持っているのであり、それらを楽 譜化し(再演可能なものとして)上演するものである。ということは当然「デタラメな即興 パフォーマンス」とは、性質を異にするものであるから、観客がそのように受け取るという ことはすなわち表現の失敗を意味する。

以上の問題点を踏まえて次の作品“ 窓 [ɴɨ ɟø] ”を制作した。 25


4-2.修士作品“ 窓 [

ø] ”(発音を日本語のカタカナで表記すると(ン)イジュ)

4-2-1.作品概要 発音置換された日本語による「詩作」が文法規則の構造による「響きの連なり」としての新 しい音楽の可能性を持っているということは既に述べた。そこで実際に詩の朗読の形式を用 いて音楽作品として制作した。作品は“misd”同様に舞台上で人間によって上演される音 楽作品とし、舞台上で譜面を見ながら演奏する、一般的なコンサートの形式を採用した点も 同じである。異なる部分としては 男声二重唱とした(演奏者に作曲者を含む)点である。 加えて異なる点として、上演時に紙面に日本語の文字で記述したテキストを配布した。本研 究は「発音」の置換であるので、文字での記述は日本語であるのが当然であるが、スコアに おいては上演の為に音声記号を用いている。そこで、どの「文字」で記述しているのかとい うのは明確に区別する必要がある。その為にあえて「日本語の文字による」と表記した。本 作品は、2012年12月12日に情報科学芸術大学院大学新校舎5階ホールにて初演され、その後 同年12月22日に東京電機大学で行われた“インターカレッジコンピュータ音楽コンサー ト”で再演された。

図 8 “ 窓 [ɴɨ ɟø] ” 演奏風景

4-2-2.スコア スコアにおいては“misd”同様に発音記号で発音の種類を指定し、意味としての日本語の 併記をしたが、音高に関しては記述せず日本語のイントネーションに準ずるものとした。リ ズムに関しては、複数の演奏者によるタイミングの同期を主な目的として、発音記号の位置 26


を合わせることで記した。また、厳密な速度や強弱は記述せず、意味としての日本語を演奏 者が「感じること」をニュアンスの指示とした。これは、一般的な詩の朗読の形式に準拠し たものである。五線譜での記述をやめたのは“misd”の項において述べた記譜法に関する 反省からである。以下に楽譜を引用する。

フェッフェーゲ

② -

ゲェァーゲェァーテュ フィリヒェヴィニフェ

fɛ Q fɛ- χɛ /

-

ø / χɛ cø

nʌ / sʌ

χɛ- χɛ- cø / f

çɛ v /

ʌ fɛ / fɛ Q fɛ- χɛ /

fɛ /

わーわーのふとんに響く、 くっくーふ。(ファンファーレ)

フィーフィーニョ ゲェァテュパノァ ソァギァフェァ フェッフェーゲ

図 9 “ 窓 [ɴɨ ɟø] ” スコアの一部に目安の音表記をカタカナを用いてつけたもの に無いのは本当に当然か。

①nʌ / ②

ʌ ø

/ hø

cø- nʌ / cø- nʌ

cøf / / cø- θɛ- nʌ / ɛ cçɛ- /

当人は投球に夢中。 みい、みい、みい、みい、と、男が泣く。

① ʌ-

ʌ- / ʌ-

ʌ- / cø / ø cø fø / v /

②χɛ- χɛ- /χɛ- χɛ- / cø / f ふー、ふー、ふー、ふー、と、

-

fɛ /

が鳴く。

くっくーふ(ファンファーレ)。ふーふー、と

① ② -

çɛ / v /

fɛ /

が鳴く。

fɛ Q fɛ- χɛ / ø / χɛ cø nʌ / sʌ

χɛ- χɛ- cø / f ʌ fɛ / fɛ Q fɛ- χɛ /

çɛ v /

fɛ /

わーわーのふとんに響く、 くっくーふ。(ファンファーレ)                  途中走る。

②vø- vø- / vø vø nʌ / θɛ- θɛ-

/θɛ- h Q ʌ

cø cçɛ- / h

ʌ ɛ/

/

ごう、ごう、午後に救急車は急発進。 アームーロ。(e-メール)

① - ɛ- ø / ②nʌ Q c /

nʌ /

蜷(ニナ)ってなに?

巻貝。      努めて          投球に夢中。

θʌ v ʌ /

②cø c ɛ

nʌ / kʌ

c ɛ cø

cø- c ɛ

c /

ø / - ɛ- ø

/ hø

cø- θɛ- nʌ / ɛ cçɛ- /

cø- nʌ / cø-

f /

突然にぴぇめとーつ(コンピュータ)のアームーロ(e-メール)は本当に当然か?      突飛な発想ちぴろーてぃを溶かしこむ。

①          cø / kʌ / / h / çø- / cçʌ kʌ ø- c ②f nʌ / ø / f Q cø / f Q cø / c fø / カワニナをかっとかっと溜め込んだ。

図 10 “ 窓 [ɴɨ ɟø] ” スコアの一部

27

ø / cø f

ʌ fø ɛ /


4-2-3.発音置換ルール 発音置換のルールは“misd”において問題となった身体の制約を考慮していない故の「言 いづらい」音の連なりを「言いやすい」ものにする為、発音記号を「口腔内での音を作る位 置」と「口腔内での音の作り方」の2つの要素で区別/数値化し、特に「 口腔内での音を 作る位置」の数値を平均の数値を軸に反転した。これにより、日本語のもともと持っている 発音同士の関係をそのままに、異なった発音に置換することが可能になると考えられる。と いうことは現れは全く違った発音であるのに「日本語の持っている言いやすさ」は保持する ことが出来るに違いない。また“misd”では、母音は日本語の「a,i,u,e,o」から選び出して いた為、日本語と似たものになってしまう問題があったが、本作においては上述の法則で子 音、母音ともに選び出した。それによって「ありえたかもしれない日本語」の可能性の想像 力は、日本語で用いられている範囲の発音の外に及ぶことを意図した。 以下で母音の発音置換を二つの子音の置換のルールを例にとって図により説明する。

図 11 国際音声記号表 子音部分の抜粋

以上の図は、2-1.で既に述べた国際音声記号の表の一部、子音の部分を抜き出したものであ る。上述のとおり、国際音声記号の子音の表記においては左右の軸が発音位置の口腔内での 前後の位置として表されており、上下の軸が調音(音をつくること)の方法で区別してあ る。“ 窓 [ɴɨ ɟø] ”では、この表の発音位置の前後、すなわち左右の軸に注目した。発音方 法である上下の軸はそのままに、左右の位置を丁度正反対の子音によって置換するという ルールを試みた。例として、図11では「m」と「ɰ」に赤丸で印をつけた。この「m」は日 28


本語では「ま」行の子音であり「ɰ」は「わ」行の子音である。そこでこの表を口腔内の真 中として設定した青い線を境に反転させて見ると図12のようになる。反転させた表において は赤丸のあった「m」の場所に「ɴ」が来ており「ɰ」の場所に「ʋ」が来ているのがわか る。そこで子音「m」の発音を「ɴ」に、子音「ɰ」の発音を「ʋ」に置換するというように 発音の置換ルールを設定した。

図 12 国際音声記号表 子音部分の抜粋 反転後

この発音置換ルールを適用すると調音の位置そのものは全く逆になるが「調音における前後 の位置関係そのもの」の体系は維持される。例えば「たまご/ta ma go/」という単語におい て子音は「t」「m」「g」の順に現れる。これは調音位置で言うと「前側」「最前」「後ろ 側」という順に前後に移動する。この「/ta ma go/」の子音のみを上述の置換ルールによっ て置換すると発音記号としては「/ga ɴa to /」となる。これを調音位置で言うと「後ろ側」 「最後ろ」「前側」という順に発音位置が移動する。ということは、前後の位置関係に関し ては、ひっくり返した形で維持されている。それが「日本語のもともと持っている発音同士 の関係」であり「言いやすさ」なのではないかと考えた。母音については、調音位置の前後 のみならず、舌の高低の位置が数値化可能であったため、その2つの数値によって、子音と 同様に表を反転させた位置の発音に置換することとした。以下に図を示す。

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図 13 (左)国際音声記号表 母音部分の抜粋 図 14 (右)国際音声記号表 母音部分の抜粋(上下左右反転したもの)

母音においても子音の時同様に左右(調音位置の前後)反転、かつ母音においては上下(舌 の位置の高低)反転し、その場所の発音に置換するというようにルールを設定した。 ここでは、例として「a」が「ɨ」に、「ɯ」が「ɛ」に置換される様を示している。

4-2-4.テキスト 用いるテキストは発音置換された日本語として、詩作を行うことで制作した。3-1.で述べた ように、置換された日本語においても発音置換シミュレータを用いることであたかも頭の中 で発音がなるのと同じ状態で(すなわち従来日本語で詩をつくるのと同じように「置換語 で」)詩作を行う事が出来る筈である。また、3-4.で述べた置換語による擬音語・擬態語を 用いる試みも本作で行った。そして、それは“misd”で問題となった「コードとメッセー ジ」が不可分な部分、すなわちニュアンスの部分が表現される為にも有効なであるに違いな い。以下に詩のテキストを添付する。

『窓』

①朗読者1のテキスト ②朗読者2のテキスト

①②「窓」

① ②ふーわーゆうを失った。

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①みい、みい、   みい、みい、   みい、みい、と、  泣き出す。 ②   みい、みい、   みい、みい、   みい、みい、 泣き出す。

①毎月1日(いっぴ)には塔の上にからす。 ②

① ②必ず得るにぇーて(ノート)をとうとう発破。息詰まる。

①ふーわーゆうを失った。 ②

ピェ

トー

ツ(コンピュータ)

②カワニナをかっとかっと溜め込んだ。務めて。

①に無いのは本当に当然か。 ②      当人は投球に夢中。

①みい、みい、みい、みい、と、男が泣く。 ②ふー、ふー、ふー、ふー、と、鴉が鳴く。

①     くっくーふ(ファンファーレ)。ふーふー、と鴉が鳴く。 ②わーわーのふとんに響く、        くっくーふ。(ファンファーレ)

①                 途中走る。 ②ごう、ごう、午後に救急車は急発進。

①アームーロ。(e-メール) ②蜷(ニナ)ってなに?

①巻貝。      努めて          投球に夢中。 ②突然にぴぇめとーつ(コンピュータ)のアームーロ(e-メール)は本当に当然か?

①     突飛な発想ちぴろーてぃを溶かしこむ。 ②カワニナをかっとかっと溜め込んだ。

①         かっとかっと溜め込んだ アームーロ。(e-メール) ②ごう、ごう、午後に救急車は急発進。未開封、アームーロ。(e-メール)

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①ふー。 ②みい。

①ふーわーゆう! ②ふーわーゆう! からすが鳴いた。

以上が詩のテキストの全文である。ここで、いくつかの語句を抜き出してそれらがどの様な 意図で用いられたかを説明したい。 語句[発音記号]「カタカナで表現した(おおよその)音」…語句や用法の解説、の形式で説 明する。 みいみい[ɴʌ ɴʌ]「(ン)オァ(ン)オァ」…発音置換語における擬音語である。人が泣い ている様子を表現しようとしたものである。 くっくーふ[fɛ Q fɛ- χɛ]「フェァッフェァーゲァ」… 外来語として英語のfanfareを置換語の 音の体系によって聞き取り、表現したものである。 例えば日本語での「カレー」や「コッ プ」のようなものである。そして、 例えばフランス語ではrの発音はχで発音されることか らもわかるように英語のrの発音は口蓋垂を揺らして発音するχの発音と近い位置で発音さ れる。その為、置換語でも同様の「聞き取り」としてχを用いて表現した。 蜷ってなに[nʌ ɲɨ Q cɤ ɲɨ nʌ]「ノァニットァ ニノァ」…回文である。回文とは「しんぶ んし」のように順序を逆に読んでも日本語として意味を成す文のことである。例の文では正 確には「っ」の位置がズレているので厳密な回文では無いが「っ」はごく短時間の休止であ る為発音の順番としては回文と言える。 ふーわーゆう[χɛ- ʋɨ- ɹɛ- ]「ゲァーフィーレァー」…全く意味のない、この詩特有の単語で ある。宮沢賢治の童話“やまなし”における「クラムボン」のようにそれが何を意味するの かは観客の想像にゆだねられている。また、上述した音楽における作品の個別性の詩の形で の現れとも言える。

4-2-5.構成 本作は男声二重唱曲として考え、構成した。重唱と言っても、全く同じ内容を同時に演奏す るユニゾンの部分を含んでいる。これは“misd”で問題となった「デタラメなものに聴こ えてしまう」という問題を解決する試みである。また、特に発音記号一つ分だけユニゾンす るというパートを全体に配置し、発話のタイミングのズレと同期において同時的な(発音 の)音の響きを作ろうとした。これについては、2章で述べたシュネーベルの作品を参考と した。また「コードとメッセージが不可分」な部分の要素としての、「悲しく」「楽しそう に」などを二人の演奏者でそれぞれ別のニュアンスや、強弱の指示をすることによって、よ り強く現れるよう、構成においても工夫した。また、その意味において詩は歌すなわち音楽

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に近いものであるから、日常の言語生活での言葉よりも、繰り返しなどはより自然に用いる ことが出来、構造を感じさせることが出来ると考えた。

4-2-6.練習 “misd”での問題として、「発音置換シミュレータのコピー」になってしまうというもの があった。そこで“窓 [ɴɨ ɟø]”においては発音置換シミュレータは発音を確認するに留 め、その後は演奏者がテキストの意味を感じながら演奏出来ることを目指して練習した。

4-2-7.結果 上演後の考察を以下に記す。 スコアについて 五線譜による記述を止めたことで、むしろ演奏者がテキストの意味を感じることでの音高や リズムの表情は豊かになったことは成功だと言える。しかしながら、練習をしながらイント ネーションの上下や表情の指示としてアーティキュレーションを演奏者が書き込む形とな り、それが作曲の形として正しいものと言えるかどうかは議論の余地がある。

発音置換のルール 「言いやすさ」については、“misd”に比べ大変向上した。その意味で、本作で採用した 調音の位置による関係性の設定は「日本語のもともと持っている発音同士の関係」であり 「言いやすさ」であると言え、それを用いた置換ルールは一定の成功を納めたと言える。し かしながら、発音置換の後においても発音の体系を維持したかどうか自体には、現段階にお いて確たる検証の術を持たない。これについても議論の余地があると言わざるを得ない。

テキスト 擬音語・擬態語の表現において発音置換特有の表現が可能になり、そのような意味では成功 だったと言える。またニュアンスに関する表現としても向上した。しかし、発音置換された 日本語での詩作としてはよりよい「音の連なり」すなわち、発音の連なりの美しさの基準を 作る必要があり、その為には置換語での詩作を重ねるほかに手段は無く、その意味ではまだ まだ不完全なものである。

構成 ユニゾンの手法により、構造を観客に感じさせることには成功したと考える。 上述のように、発音置換された日本語での詩作として構成においてはよりよい「音の重な り」「音の連なり」の為の価値基準を設定する必要がある。その部分において、構成が向上 する余地があると考える。

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練習 演奏者がテキストの意味を感じながら演奏出来ることは実現出来た。しかし、作曲者が演奏 者として現場に居たために可能だった部分も多くあると考えられる。本来ならばスコアだけ が演奏者に届く状態を想定するべきであり、そういった場合の検証も必要であると考える。

4-3.4章まとめ 3章で本研究の狙いとして述べられたように、日本語の発音を置換することによって新しい 詩作を試み、同時にそれを日本語の文法規則によって構造化された「響きの連なり」という 意味での新しい音楽として作品を制作した。発音の置換のルールとして考案された口腔内で の調音(音の作り方や舌の位置)の場所による数値化とその場所の関係性を考慮したルール は、身体の制限を持つ人声にとって妥当なものであったと考えている。 しかしながら、こ れは主に音響音声学の見地からのものであり、他の見地からの置換ルールも考えられる。特 に日本語音韻論の見地からの置換ルール、例えば日本語の単語において発音がどのように関 係しているかなどについては考慮しなかった。その点については今後の課題としたい。 発音を置換することで可能になった表現の可能性としては、置換語での擬音語・擬態語が挙 げられる。これを作品として具体的に言うと、“

ø”において、鴉の鳴き声の擬音語と

して、国際音声記号によって記述すると「χɛ χɛ」となり、口蓋垂を震わせる「ゲー (カー)」といった子音と口を広めにあけた「エ」の形で発音する母音「エァー」を組み合 わせた「ゲェァー」といったような音になる。日本語での鴉の鳴き声と言えば「カー、 カー」だが、これは3-4.で述べたようにその言語によって規定された聴取の結果と言える。 それと同様に、発音を置換した発音の体系によって規定されるこの「χɛ χɛ」が鴉の鳴き 声として表現されるのは理にかなっていると言える。それゆえこの「χɛ χɛ」は、発音の 置換無くしては不可能であった擬音語の表現なのである。

以上を4章のまとめとして、次章においては作品制作における技術的な事柄を説明する。

第5章.技術仕様(発音置換シミュレータ) 5-1.発音置換シミュレータの技術仕様 発音置換シミュレータは、主にmax6というビジュアルプログラミング言語を用いて制作し た。このmax6を選んだ理由としては特に音響処理を得意とし、かつユーザーインター フェースの制作が容易であり、加えて他のプログラミング言語の機能を利用することが可能 だったことである。シミュレータは、まず日本語の文章を入力するための部分があり、文章 34


を自然言語処理することで形態素(区切る事が出来ない単語の最小単位)に分解、次に辞書 を参照して漢字かな混じり文を一旦カタカナに変換する。そしてカタカナ文を一文字あるい は拗音においては二文字ずつ、対応する発音記号へと変換する。この際、発音記号は子音と 母音のセットで取り扱われている。その次に、発音記号を一つづつの発音記号へと分解した 後に、定められた置換のルールに則って置換を行う。その後、再び発音記号を子音と母音の セットにする。そして置換された発音に対応する音声ファイルを文章の先頭から順に再生す るというものである。予め、置換ルールと日本語のルールによって考えうるすべての発音を 子音と母音のセットで録音した。 発音置換シミュレータのシステム図を以下に記す。

図 15 発音置換シミュレータプログラムパッチ 発音置換シミュレータパッチの説明 [mxj divlong] 長音の母音の入力があった時にbangを出力。 [p longvowel] (長音を示す)bangが来た時に次の音声ファイルの再生を170ミリセコンド遅らせる。(音を延ばす 為) [p pitch] イントネーションの為に音声ファイルのピッチをMIDIの入力により操作する。 [p atack] 音声ファイルの再生の継ぎ目のゲインを調整する。 [p sendmora1-2] 全ての音声ファイルの再生時間を操作する。

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[p sound] 日本語発音の音声ファイルの再生をする。 [p soundnewvowel] 日本語発音の置換の後の音声ファイルの再生をする。 [p texttoph] テキスト文字列を発音記号列に変換して一文字づつ出力。

図 16 発音置換シミュレータプログラムパッチ中 [p texttoph]内部  [p texttiph] 内部説明 [mxj kurouni] 自然言語処理により文章を形態素に分解し、順次出力する。また漢字かな混じり文をカタカ ナに変換。 形態素の品詞を出力。(※javaアプリケーションの「 kuromoji 」を利用) [mxj twochar] 入力された文字列の最初の2文字のみを出力。 [coll japan] カタカナを日本語の音素として、発音記号に変換。 [mxj divcv] 子音と母音を分離。

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[coll new] 日本語音素を異なる発音記号に置換。 [mxj gluecv] 発音記号を子音と母音のセットに合成。

5-2.日本語形態素解析の実現形態 日本語形態素解析の実現には、javaで動作するオープンソースのプログラム『kuromoji』を 用いた。max6ではjavaによって書かれたプログラムをmxjというオブジェクトによって利 用することが出来る。また、拗音の抽出や子音と母音の分離と結合にもjavaを用いて書いた プログラムを同様にmxjオブジェクトによって実装した。

5-3.子音/母音の分離・結合機能の実現形態 子音/母音を分けて置換し、再び結合して、発音置換シミュレータ内の音声ファイルを再生 した。分離/結合ともにjavaを用いて制作した。

第6章.結論 6-1.本研究の考察/成果 当初は、日本語の持つ音の連なりの構造をそのまま音楽作品の構造へと対応させることを期 待し、1-6.で述べたように音楽がもつ個別的な形式、形態の為に日常の言語の構造をそのま ま音楽の構造とすべく作品を制作した。それは、2章のまとめで考えられた「 複雑な音響 現象の情報を持った言語的な記号を用いて、しかし意味情報の伝達の目的から離れたもので ありながら、音によって音の連なりの関係性をもちながらも、意味情報の構造からも影響を 受けるような音楽作品」であり、3章において述べられた「日本語の発音だけが異なる架空 の日本語によって新しい「詩作」となり、同時に(日本語の)文法規則によって構造化され た「響きの連なり」という意味での新しい音楽」として万全なものとは言えないながらも、 ある程度達成したと言える。そして発音を置換した日本語での擬音語・擬態語の表現は従来 の詩作や演劇など、それまでの日本語には無かった表現であり、本研究の主たる成果であ る。また、言語の文法に従うのと同時にその発音を定まったルールで置換するという二つの 構造を重ねて音楽の構造に対応させる新しい作曲の試みとしても意義があったと考える。し かしながら「音によって音の連なりの関係性をもちながらも、意味情報の構造からも影響を 受けるような」部分に関しては、従来の詩の域を越えたとは言い難い。今後の制作におい て、より深く考察していきたい。

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6-2.今後の展開 上述の通り、音楽の個別性によって言語の文法はそのままでは音楽の構造にすることは不可 能だった。かわりに置換語での擬音語は、独自の表現を生み出したと言える。そしてまた、 ダジャレが音と意味によって従来とは異なった意味との関係を結ぶことは既に述べた。そこ で次に来るべきなのは、音によって構造化され、かつ意味の繋がりをもつ「置換語によるダ ジャレ(地口)」であり、それこそ次の展開であると言える。 また、現段階では具体的な方法を提示することは出来ないが、複数人の発音における同時的 な響きの構造の考案が考えられる。 他方「コードとメッセージが不可分」な部分においては、演劇の一部分やダンスなどでも共 通するものであるから、そういった芸術の他の形式への置換語の適用も可能であると考える ことが出来る。 幅広い「音」と「記号」の狭間における芸術活動に関して、解明出来た点は必ずしも多くは 無いが、若干なりとも新しい試みであったことを信じ、ここで筆を置くことにする。

6-3.参考文献 「記号の知/メディアの知」石田英敬著(2003)東京大学出版 「実践音声学入門」J.C.キャットフォード著 竹林滋 設楽優子 内田洋子訳(2006)大修館書店 「言語」エドワード・サピア著 安藤貞雄訳(1998)岩波書店 「音楽と美の言語ゲーム」矢向正人著 (2005)勁草書房 「カラー 図解音楽辞典」角倉一郎監修 (1989)白水社 「現代音楽キーワード辞典」デイヴィッド・コープ著 石田一志 三橋圭介 瀬尾史穂訳(2011)春 秋社 「新明解国語辞典」金田一京助 山田忠雄 柴田武 酒井憲二 倉持保男 山田明雄編(2000)三省 堂 「(H)EAR」佐々木敦著(2006)青土社 「エクスペリメンタル・ミュージック」フィリップ・ロベール著 昼間賢 松井宏訳(2009)NTT出 版株式会社   「新西洋音楽史(上)」ドナルド・ジェイ・グラウト クロード・V・パリスカ著 戸口幸策 津上 英輔 寺西基之訳(1998)音楽之友社 「自然言語処理(Natural Language Processing)」石崎俊著(1995)昭晃堂 「大辞林」松村明 三省堂編集所 編(1995)三省堂 「日本オノマトペ辞典」小野正弘(2007)小学館 「日本国語大辞典」日本国語大辞典 第二版 編集委員会 小学館国語辞典編集部(2001)小学館 「アンケート・アートとその手法を用いた作曲技法について」松本祐一 早川和子(2009)茨城大学 教育学部紀要

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6-4.謝辞 本論文の作成および作品制作にあたり、多くの人から貴重な御指導を頂きました。 特に担当教員であり主査の三輪眞弘教授には、2年間を通じて作品制作および論文指導にお いて、根気強く本当に丁寧な御指導をしていただきました。この場を借りて心から感謝申し 上げます。筆者の思想と本研究の動機は同教授の御助言無くして着想し得ませんでした。 副査である前田真二郎准教授には三輪教授とともに、2年間を通じて、新しい時空間の表現 研究プロジェクトで作品および論文について相談にのっていただき、なんとか完成にこぎ着 ける事ができたと思っております。ありがとうございました。同じく副査の小林昌廣教授に は、作品についての御助言や、特にどのように修士論文として作品を言語化していくかとい うところで非常に重要な示唆を頂きました。深謝申し上げます。また、赤松正行教授には、 新しい時空間の表現研究プロジェクトにおいてアドバイスを頂くことが多く、大変お世話に なりました。日本語の発音置換シミュレータのプログラムの部分では、山田晃嗣講師に多く のアドバイスと助力を頂きました。また、1年次よりたびたび作品について御助言を頂きま した、前林明次准教授に感謝申し上げます。城一裕講師には、研究発表の際にアドバイスを 頂きました。そして、修士作品を演奏してくださった、アディリジャン ヌリマイマイティ さんに心より御礼申し上げます。 また、大垣市より1年間、報奨費をいただけたおかげで、研究活動に専念することができま した。感謝申し上げます。

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