トゥアレグ族の難民キャンプで米 を洗う女性。2013年1月、マリ軍 の要請でフランスが軍事介入し、 「テロとの戦い」が行われたが、5 月にフランス軍が撤退した後も、 イスラム過激派のテロ攻撃は続い ており、マリ北部では緊張が高ま っている。アザワド地域キダル、 マリ北部。2013年6月12日
独立宣言した
遊牧民トゥアレグ族
イスラム世界では珍しい自由な女系社会のトゥアレグ族。 先祖から受け継いできた土地、 アザワドを守ろうとするが、 その想いはマリ共和国 (以下、マリ) 政府、 イスラム過激派の両者によって阻まれている。
写真/ファルハ・ブーダ 文/デコート豊崎アリサ Photo by Ferhat BOUDA Text by Alissa DESCOTES—TOYOSAKI
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ファルハ・ブーダ フォトジャーナリスト。写真エージェント Vu’ 所属。 デコート・とよさき・アリサ ライター、 ジャーナリスト、写真家。サ ハラ砂漠の遊牧生活を支援する団体 「サハラ・エリキ」主宰。
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ことから、MNLAと対立を始めた。
「聖戦」という名のテロ行為を続けた
アザワドか死か トゥアレグ族はアフリカ大陸サハラ 砂漠西部を中心に生活する、ベルベル ため、 国は大混乱に陥った。その結果、
さらに、同地域では、アザワド独立 とは関係のないイスラム過激派組織が
人系の遊牧民だ。彼らは 世紀の初め 現在のアルジェリア、ニジェール、リ
にフランス植民地政策が始まるまで、 徐々に失った。 年、 フランスが軍事介
MNLAは制圧したマリ北部の都市を
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ビア、マリなどのサハラ砂漠西部の広 たが、トゥアレグ族や「白い肌」をもつ
入すると、一度はテロ組織が排除され アラブ系の人々に対して、マリ軍によ る排除や報復が激しくなっていった。 一連の混乱により、アザワド地域一 帯 に 住 む ト ゥ ア レ グ 族 を 中 心 に、約 万人が難民となり、近隣のモーリタ
が与えられたが、同化を嫌ったトゥア
レグ族にはマリ人としての「市民権」
1960年、フランスの植民地支配 が終わり、マリが独立すると、トゥア
られるまで、マリ北部へは戻らないと
「アザワド」の独立が国際社会に認め
現在、マリには新政府が誕生したが、
どに逃げた。紛争から1年以上たった
3都市を占領し、同年4月、独立宣言
北部のキダル、トンブクトゥ、ガオの
軍駐屯地を襲撃したMNLAは、マリ
LA)による武装蜂起が起きた。マリ
された、アザワド解放民族運動(MN
独立意識は高まっていった。 2012年1月、アザワド地域で独 立を求めるトゥアレグ族によって結成
虐殺を行った。以来、トゥアレグ族の
に対し戦い続けるアザワド地域の市民
グ族は独立をあきらめていない。テロ
このような困難な状況にありながら も、 「アザワドか死か」と、トゥアレ
疑問だ。
ために、 テロを止めることができるか、
する。トゥアレグ族の難民が帰還する
め西欧諸国は、テロ組織排除という名
結果、 年にマリ軍はトゥアレグ族の
を行った。しかし、同地域で同じく独
社会が成熟した時、サハラ砂漠に咲く (翻訳・ノディイシドロ)
には潤沢な資源を狙う思惑が見え隠れ
目でアフリカに介入してくるが、そこ
立を求めてマリ軍と戦っていたイスラ 一輪の花となるだろう。
リ全体のイスラム国家樹立を要求した
ム系組織アンサール・ディーンが、マ
主張する難民が多い。フランスをはじ
レグ族は 年に反乱を起こした。その
ガオ州の一部から成る地域のことだ。
マリ北部のトンブクトゥ州、 キダル州、
と独立を望んでいる。アザワドとは、
現在でも彼らは、アザワドと名付け られた先祖の土地である地域の、自治
大な土地を支配していた。
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ニア、ニジェール、ブルキナファソな
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カリファ(18歳) 。2013年2月 下旬に起きたテロ攻撃で負傷し た。この地域では治療用の医療機 器が不足している。カリル地域、 マリ北部。2013年6月13日
アザワド民族解放運動 (MNLA) の 軍事訓練。 彼らは 「ジハード (聖戦) 」 という名のテロ行為を仕掛けるイ スラム過激派組織と混同され、メ ディアでも、 「テロリスト」と誤解 されることが多い。 アザワド地域、 マリ北部。2013年6月9日 2012年初旬に始まったマリ紛 争では、トゥアレグ族の女性も MNLAの一員として、戦い始め た。 トゥアレグ族の歴史のなかで、 女性が武器を取ることは初めてだ った。アザワド地域、マリ北部。 2013年6月8日