Space for being, not for doing 19RA210 永崎 悠 主査 乾 久美子 教授 0.はじめに
るエーリッヒ・フロム(Erich Fromm)は
私は縁側で過ごす時間がとにかく好きだ.特に何をする
英語では「人」は“human being”であるはずだが,今のわたしたち は“human doing である
場所でもないが,風が心地よかったり,近所で遊ぶ子供の
と述べている.近代社会が行動(Doing)に価値を過剰に置
声が聞こえたり,母の夕飯をつくる香が届いてきたり,猫
き,スピードと生産力をひたすら向上させ続け,行動
と一緒に日に当たっていたり,とにかく居心地がよく落ち
(Doing)していない人間に対しては価値が無いと捉えら
着く場所である.
れてしまう近代以降の社会に警告を発している.
そこでは私は何をするでもない,ただ自分や身近な人が
そもそも,近代以前の社会では行動(Doing)と存在
その場にいるだけでいい,そのような場所である.
(Being)は切り離せないもので,かつて鍛冶屋の息子は鍛
そして,ただそこにいたという時間や記憶が自分の心を豊
冶屋,騎士の息子は騎士などと,職業とその人の出生は
かなものにしていると思う.
別々のものではなかった.しかし,近代的な人間は地縁と 切り離され,存在(Being)に関係なく自由に自分の仕事や 住む場所を選択できるようになった結果,その人が何を行 ったか,何を成し遂げたか,つまり行動(Doing)のみでそ の人の価値を判断するようになっていった. 2.目的-Human being のための空間を考える. 用語を以下のように定義する事から始める.
自身の実家のアクソメ図
1.背景
Space for doing…何らかの行動(Doing)が指示される 空間.行動(Doing)を行っていなければ違和感を感じた
I am a human being, not a human doing.
り,人が排除されてしまう空間.
これはアメリカのライターのカート・ヴォネガット
Space for being…人間(Human being)が人間らしくい
(Kurt Vonnegut)の作品“And so it goes”での言葉で
られる空間.その存在が行動(Doing)に無関係に受け入
ある.Human being と Human doing を和訳するとどちらも
れられる.
「人間」となるが,その意味は大きく異なっているという. Human doing… 人の価値を行動(Doing)によって捉え ようとすること.その人が何をしたか,成し遂げたか, その人の行動(Doing)を価値とする考え方. Human being…人の価値を状態(Being)によって捉えよ
3.Space for doing 建築家青木淳は論考『動線体としての生活』において, 以下のように述べている. 近代的な思考というのは,生活という不定形なものを,努めて意図と いうナイフで切り分けようとする. (中略) くつろぐ,食べる,眠る,と生活を機能ごとに切り分けて考える.
うとすること.その人が何をしたかに関係なく,人の全
近代的な人の思考で人を認識するときに「意図をもった行
体像,その人が存在する事それ自体に価値をがあると
動(Doing)」を基準に置かれている事が述べられている.
いう考え方.
3-1. 分割された行動(Doing)ごとに計画される近代住宅
ヴォネガットは人の価値はその人が何を成し遂げたか
近代以降の住宅を象徴するひとつの形式として,建築
という行動(Doing)で捉えられるのではなく,その人の存
家・吉武泰水の提案したもので,日本で初めて食寝分離が
在(Being)自体によって捉えられるべきであると説いた.
行われた 51C 型住居が挙げられる.
この概念は小説にとどまらず,多くの研究者によって研究
この住居の平面図を見てみると,食事をするための食室,
されており,社会心理学者であり精神分析学・哲学者であ
料理を作るためのキッチン,休むための居間,寝るための
Space for being, not for doing Yu NAGASAKI Key Words: Space for being, Space for doing, Before Doing, Being Doing, Between Doings, After Doing
寝室.住居内での生活を行動別に切り分け,断片化された
Before Doing…Doing の始まる前.元初.
行動に対して名前を付け,空間をつくっているのである.
Being Doing…Doing の状態化(Being 化).
近代以前の住宅の例として旧太田家住宅を見てみると,そ
Between Doings…Doing 同士の間.
こでは部屋に行動の名前はなく,土間,広間,座敷というよ
After Doing…Doing の終わった後.終末.
うな空間が(人にとって)どのような状態かだけが示され ている.つまり,近代化により我々の思考ともに,我々の生
以下,事例を交えつつこれらの概念を見ていく. 4-1-1. Before doing
活空間においても,空間が行動(Doing)によって定義され
建築家ルイスカーンは『ルイスカーン建築論集』にて,
る Space for doing が支配的になっていったと言える.
ルームは建築の元初です.それは心の場所です.自らの広がりと構 造と光をもつルームのなかで,人はそのルームの性格と精神的な霊 気に応答し,そして人間が企て,つくるものはみなひとつの生命に なることを認識します.
と述べている.Doing の始まる前の元初の状態を「ルー ム」と呼び,それを人の心の場所であると示している. Before doing の事例 1951 年,吉武泰水助の提案した 51c 型住居(左)旧太田家住宅(右)
3-2. 行動(Doing)に基づき計画される近代的都市・建物 近代的な都市の代表として横浜を例に挙げる.横浜は開 港以来,山と海しかない更地だった場所に,建物が用途 (Doing)単位での開発が行われてきた.例えば,音楽をす るための音楽堂,勉強をするための学校,展示をするため のギャラリー,結婚式をするための結婚式場,本を読むた めの図書館,住むためのマンション,婦人たちの会議をす るための婦人会館.これらはまさにその建物で何をするか, 明確な行動(Doing)に基づいて計画されている. しかしながら,人の生活を分割し,切り出した施設である がために,人の行動は分断されており,人々は目的の場所 で目的の活動が終わると,自宅や駅にまっすぐに帰ってし まう.都市はただ個別の建物で行われる個別の行動(Doing) 同士の無味乾燥な隙間にしかなっていない.
ボローニャ大学はもともと単なる学生の集まりであっ たものが時間を経て大学になった.一度に開発されたので はなく,徐々に出来上がっていったため,街のいたるとこ ろにある居場所(Being)が少しずつ教室になっていった. また,ボローニャの都市の特徴として,建物の道路側に 連続するポルティコが挙げられる.このポルティコは,暑 い日差しを避け,雨宿りもでき ,学生にとっても都市の中 での学びのための Space for being として重要なものに なっている.ポルティコは家屋の街路沿いに連続してある ため,街を歩いている人が自然と足を止めたり,椅子や机 を出して休んだり,そこでは学ぶという行動が想定されて いるというよりは,街にいる人達や学生たちがなんとなく 集まって話しているうちに自然と学びの場が出来上がっ ている状態である.学び(Doing)の前に居場所(Being) があるのである. 4-1-2. Being Doing 近代以前の世界で成り立っていたような人の職業と存 在が密接に関係し切り離せないような状態である事.
横浜都心部航空写真,Doing と建物の相関
4. Space for being 人間(Human being)が人間らしくいられる空間,その存 在が行動(Doing)とは無関係に受け入れられる. 4-1. Space for being のための 4 つの概念
町屋をみてみると狭い空間ながらも,表の商空間と裏の 住空間が奥性をもって接続されている.商業は個人の生活 の延長線上にあり,住むこと(Being)と働くこと(Doing) が渾然一体となっている. また,現代においても Being Doing は一部で見られ,横
Human being と Human doing としての価値観の中で揺れ
浜のハーモニカ横丁の個人が営むスナックや,原宿の小さ
動く我々近代以降の人間にとって Space for being を直
なショップなどがある.これらの場所では自分がどのよう
接考える事は難しい.本論では,まずは行動(Doing)の排
な人間であるかが仕事と切り離せない状態にある.
除,または一部排除された状態である次の 4 つの概念から
4-1-3. Between doings
Space for being を考えていく.
建築内部の Between doings の事例
大正時代につくられた中廊下型住居では,近代以前に比
5. 研究結果
べると台所,寝室,応接間といったように Doing による計
以上の事例研究から,Doing の観点から捉えることによ
画がされたが,依然として縁側や座敷といった Space for
り,我々近代以降の人間にとっても Space for being を具
being が Space for doing の間として存在していた.
体性を伴って考えることができる.
都市空間の Between doings の事例 セントラルパーク.オフィスビルの立ち並ぶニューヨー
以下実践を通してさらに考察を進める. 6. 実践
クにあるセントラルパークは都市の中心に位置する巨大
6-1. ケーススタディ①(大西スタジオ)
な公園である.ここでは,人々は気軽に休んだり,散歩した
学び(Doing)を誘う通り(Space for being) (Space
り,大道芸をみたりなど,Doing から解放されて思い思い
as after doing と Space as before doing の実践)
の時間を過ごしている. 辻.辻は複数の道が交差する点であり,多種多様な「意図
課題名: 「理想郷,教え学び合う場として」 選択した敷地:横浜関内本町通り
を持った行動のない」 (Being)人が集まる点であるも考え
概要:2020 年横浜市庁舎が関内の中心部から湾岸部へ
られる.近代以前の日本の辻には,掛茶屋で休む人や物乞
移転する.市庁舎機能は関内のいたるところに点在してい
いをする人がいたり,辻相撲や辻芸や祭りなどの催し行わ
たが,移転に伴い空きテナントの急増,また関連商業の衰
れたりなど都市のなかでも非常に活気のある場所である.
退が見込まれている.関内の市庁舎街としての機能(Doing)
辻にいる人の多くは,辻自体には目的がないにもかかわら
が終わろうとしているのである.一方で,同年関内に大学
ず,ふと立ち止まって人と話したり,催しを眺めたりする.
が移転してくることが決まっているが,いわゆるビルキャ
何か決まった意図があるわけではなく,ただそこに存在す
ンパスとしての開発が予定されており,学ぶという行動
るだけ(Being)で,意図無く人と出会い,そこで何をするで
(Doing)が街から分断されて建てられようとしている.
もない人が多くを占める空間が辻である.
提案:そのような関内だが,開港から続く道が街の特徴
建築家槇文彦は『アナザーユートピア』において,
として残り続ける.人が歩き行き交うという原初的な行動
既存施設の存在しない新しいコミュニティをつくろうとするとき に,施設からではなくオープンスペースにクリティカルな重要性を まず与える.あるいは,施設と並行して計画を考える際にも,施設と 同等の重要性をオープンスペースに与える姿勢があってもよいの ではないかという問いである.
を誘発する空間が残るのである.スタジオのテーマとして, 横浜の未来を考えるための場所の提案が求められたが,こ れを逆説的に提案する.初めから学ぶ場をつくるのではな
「施設(Space for doing)」以上に,または同様にこれ
く,道を行き交う人々がふと立ち止まったり,一休みした
らの「オープンスペース(Space for being)」が都市形
りなど都市空間に滞在し,学生や市民が出会い,一緒の時
成,社会形成に対しての重要性を問いかけている.
間を過ごせる状態(Being)をまずはつくる.その結果とし
4-1-4. After doing
て,街が自然と学ぶ(Doing)場所になっていくような空間
青木淳の論文『「原っぱ」と「遊園地」 』において廃校に
を提案した.行動(Doing)から解放された関内(After
なった旧牛込原町小学校を 取り上げ, 建築がそ の機能
doing)の死と,それでも残る人が行き交う(Before doing)
(Doing)を終えた時,人に行動(Doing)を指示しない空
空間特性からの再生の提案である.
間になっていることが述べられている.
建築の内部に広い吹き抜け空間をもつ中庭をつくり,そ こで学生と市民が参加できる学びの場を生じさせる.道か ら中庭には大きな開口により接続され,行き交う人々が自 然と立ち止まり,滞在できるような空間とした.また,関内 に残るビルを改修して大学とすることで,Doing から解放 された After doing である関内を読み換え,道空間との関 係性で成り立つ学びの場へと作り変えることを試みた.
(左上から)ボローニャのポルティコ,町屋の平面図,中廊下型住居, セントラルパーク,湯殿山道中略図,旧牛込原町小学校
概要:原宿ではもともと小さなショップが多く存在し, そこで働く人が自分の好きなファッションを店に並べ,そ れを売る.自分の存在(Being)と仕事(Doing)が非常に 近しい場所であった.しかしながら,現在では大資本によ 昔からの大通りを学びの場とする(左)提案平面図(右)
6-2. ケーススタディ②(西沢スタジオ) 多様な建物群(Space for doing)と辻空間(Space for being) (Space as between doings の実践) 課題名: 「新しい時代の建築をめざして」 選択した敷地:横浜紅葉坂周辺 概要:用途別に街区単位の開発が行われてきた都市で, 都市はただ個別の建物で行われる個別の行動(Doing)同 士の無味乾燥な隙間にしかなっていない.(※3-2 参照) 提案:それぞれの建物からの道の集まる敷地に注目し, 辻として提案する.それぞれの建物(Doing)に向かって 行き交う途中の人達(Between doings)が立ち止まり, 「意図を持った行動(Doing)」がなくてもいられる場所 をつくることで,今まで建物内部で行動(Doing)してい た人達にとって街の中での滞在を促す.ただみんなでいら れ,誰がいてもいい空間をつくる.これにより今まではか
るショップやコンビニ,薬局などが乱立し,原宿で働く人 はただの従業員(Doing)になろうとしている. 提案:大資本のショップを引き受けながらも,小さなシ ョップの共存できる建築の提案を行う.スタジオで再読し た菊竹清訓の東光園の構造からヒントを得て,一つの建築 のなかで大きな空間や小さな空間を共存させ,また敷地の 表通りに大きなショップを,裏通りに小さなショップ,ま た建築の階層によってもそれぞれの空間の特徴にあった ショップの配置を行った. さらには,そこで働く人の住居空間を建築内に持つこと で,事例研究で行った町家のような職住一体の環境の空間 をつくる事で,より原宿で働く人が Being Doing であれる 空間をつくる. これらの提案により原宿のもつ個人が発信していくフ ァッション文化を支え,原宿という都市が持つ魅力をより 豊かなものにすることを目指した.
かわりのなかった人たちが同じ空間にいることができ,街 の住人同士が関係を形成することを目指した. また行き交う人々はそれぞれの建物での特色ある Doing を行う人々であるので,辻空間では季節や時間によ り様々な出来事が起こる.学校帰りの子供とケアハウスの 老人が出会ったり,演奏会の練習をする人々がいたり,夏 には神輿が集まったりなど, 街の中 心である辻 空間に
ファッションビル断面パース
7. 総括
Doing を指示されない Space for being が存在させること
事例研究と実践を通して考察を進めてきた結果,Space
で複数の人々の人間関係の形成,さらには豊かな社会形成
for being は単に 1 人の人間のための場所という事を超え
を目指した.
て,人間関係の形成や文化形成,社会形成,また都市の成長, 衰退,再生にとって重要である. 近代以降の人間(Human doing)としての価値観を見直 し,人間(Human being)としての価値観を取り戻し,Space for being を考え続けていくことは,人間(Human being) らしい建築・都市とは何かという問いに対して,有効な一 辻建築鳥瞰パース
手となるだろう.
6-3. ケーススタディ③(乾スタジオ) [参考文献]
現代の大都市に小さなショップを共存可能にさせる建築
『建 物の 間の アク ティ ビテ ィ』
ヤン ゲー ル( 著)
構造(Space as Being Doing の実践) 課題名: 「新しい部分と全体」 選択した敷地:原宿
『ア メリ カ大 都市 の生 と死 』 ジェ イン ジェ イコ ブス (著 ) 『か くれ た次 元』 エド ワー ド・ T ・ホ ール (著 )
『新 建築 住 宅 特 集 1994 年 5 月号< 動線 体と して の生
活> 』青 木淳 (著 ) 『原 っぱ と遊 園地 』青 木淳 (著 ) 『 D OIN G よ り B EIN G へ ―ロ レン スの ポス ト近 代認 識』 古 我正 和( 著)
『ア ナザ ーユ ート ピア 』槙 文彦 (著 )
『 T O H A VE
『日 本の 広場 』都 市デ ザイ ン研 究所 (著 )
『 SO
『ル イス カー ン建 築論 集』 ルイ スカ ーン (著 )
『 A C ITY
OR
T O B E ? 』E RICH F RO M M( 著)
IT G OES 』K URT IS
N OT
A
V ONNEGUT (著 )
T REE " 』 C HRISTO PHER A LE XANDER ( 著) 以下 省略