p o r t o f o l i o
永 崎 悠 Y u
n a g a s a k i
性別:男 出身地:兵庫 姫路 所在地:神奈川 横浜
2014
兵庫県立姫路東高等学校 卒業
2015
横浜国立大学 理工学部 建築都市環境系学科 建築 EP 入学
2015
「身体と空間のデザイン 9square gurid」
最優秀賞
2019
同校 卒業
2016
「デザインスタジオⅡ 第一課題 Archifurniture」
最優秀賞
2019
横浜国立大学大学院 都市イノベーション学府
2017
「デザインスタジオⅢ 第二課題 アートセンター」
最優秀賞
2017
「建築デザインスタジオⅠ 第二課題 街に開かれたこども園」
E-mail:e7.0@outlook.jp LINE:yn.523 WeChat:nagasakky Instagram:nagasakky
建築都市文化専攻 Y-GSA (Yokohama Graduated School of Architecture) 入学 2021
同校 修了
優秀賞
Auto CAD I l l ustrator P hotoshop Sk etch up Rhi noceros Grasshopper P ython scri pt V-ray Lumi on Tw i n moti on Rev i t
ਦॽؙ
●大地のリノベーション 美術館課題
横国 3 年春季第 2 課題
公園 もともと山だった場所を
GROUND LEVEL PLAN
そのまま自然を残し公園 にしている。
UNDER GROUND LEVEL PLAN
ミュージアム ������ ミュージアムショ��
Խֺಌ 駐車場
搬入口
事務室
倉庫
事務室 �ントランス
倉庫
映像作品展示室
搬入口
トイレ 更衣室 EV
広く低い展示室
公園と連続する
暗く高い展示室
広く高い展示室 男子トイレ
展望台
狭く高い展示室
展望台
みなとみらいが一 倉庫 倉庫
倉庫
明るく大きな展示室
狭く低い展示室 女子トイレ 女子トイレ
外部と連続する
地上�面図������ � �
��
3
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S E C T I O N
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3
��
��
桜木町駅へ
地下�面図������
地上部の大地
地上部の屋根
周囲の山や急斜面と連続する新しい大地
既存の図書館、音楽堂の前に緩やかな広場を作 るような屋根をかける
地下部の建築 地下にできる空洞部分に美術館機能を埋め込む
敷地について About the site
土地を分断する擁壁
造成により断裂されてきた豊かな丘陵地を再構築し、周囲との関係性を回復する
美術館
現在設計敷地と音楽堂・図書館の前の広場の間にはおよそ3mの高さの擁壁によって区切られている。前川国男のつくった
横浜の開発とともにひな壇状に整地されてきた丘陵地。場所が細かく分断され、それぞれの関係やつながりが断ち切られている状態。ひな壇をかつての丘陵地のような緩やかな傾斜に再構築させ、周囲の環境との連続性を取り戻す。地
前川國男の設計した図書館・音楽堂の前に新しく美術館を計画する。いわゆるホワイトキューブの
広場が周辺の環境とは隔離された状態にある。
下になった部分には美術館機能が入る。
美術館でない、この土地ならではの展示空間の設計が求められる。 Art museum This is a plan that an art museum is designed newly next to the library and the concert hall which Kunio Maekawa designed.
The retaining wall which divides land divided now between a design site and the open space in front of a concert hall, the library by the retaining wall of the
元来の豊かな起伏を回復させる。
ひな壇状に造成さ
original rich ups and downs are revived.
The hilly area which has been levelled the land of into a tiered stand for dolls form with development of Yokohama. A place is divided finely and is in condition that each relation and connection is cut off. I let the gentle slope such as the former hill country rebuild a tiered stand for dolls and regain a continuity with neighboring environment. An art museum function enters the part which became the basement.
れてきた土地を、
altitude of about 3m. It is in condition that the open space that Kunio Maekawa made was isolated with the neighboring environment.
Designing the display space only in this land is demanded, which is not the art museum of
等高線の変化
so-called white cube.
ひな壇状であったときに比べて等高線の感覚が緩やかになり、周囲との連続性が 生まれる。 アクソメ図 擁壁によって階段状に削り取られて来た土地が美術館として生まれ変わる。美術館の機能は主に地下に配置される。
Change of the contour line When it was a tiered stand for dolls form, I compare it, and the sense of the
Figure of axonometric drawing
擁壁
The land which has been scraped off step-like is reborn by a retaining wall as an art museum. The function of the art museum is placed underground mainly.
contour line becomes slow, and the continuity with the neighborhood is born.
図書館
音楽堂
豊かな丘陵地に還 す。
多様な展示空間をつくる 周囲の地形に沿った起伏を持つ建築をつくることで、建築の中に様々な高さを持った空間が自然と生まれる。天井の高いところには、大規模なインスタレーションや巨大な絵画の展示を行うことができ、また天井の低い空 間では彫刻や、通常の絵画、映像作品など狭い場所で集中して鑑賞するものの展示ができるなど、展示に合わせた空間を見つけ出すことができる。 Space with various height is born with nature in a building by making a building with ups and downs along the neighboring topography. The high place of the ceiling can display large-scale installation and the huge picture and can display the thing to concentrate on it in the crawlway again at the small places such as a sculpture and a normal picture, a picture work, and to appreciate, and display can find out the space.
断面ダイアグラム
広い展示場
小さな展示場
高い展示場
●街路と街路樹とホワイエ
横国 4 年春季第 1 課題
隅田川
課題名「PARK FOYER]
壁と木と屋根の組み合わせで人が自由に過ごせるよ うな場を作る。
東京において最も歴史のある歌舞伎の劇場のひとつである「明治座」。 その敷地の前にある緑道が今回の設計の舞台である。この地域には江戸時代から続く商店街である「甘酒横丁」やかつての武家 屋敷の跡地にある「浜町公園」、東京一の流域面積を持つ「隅田川」といった自然環境や文化的資産をもっている。この緑道はこ れらのそれぞれの環境の接点となるような場所に位置しており、甘酒横丁を散策してきた人たちが明治座に行ったり、浜町公園 で休んだりする時に必ず通る場所である。この接点としての場所に、明治座のホワイエでありながらも、街に人に開かれた建築 空間の設計が求められる。
明治座の前にゆるやかに人の居場所ができるような
浜町公園
空間を作る。
SITE 〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2丁目 明治座通り 1929 年頃 100 年の歴史を持つ街路 日本橋浜松町は 1923 年の関東大震災で大きな被害を受け、その後
明治座
火事が広がってしまうのを防ぐ目的で幅の大きな緑道がとられまし
公園側の自然と連続するような建築。
明治 7 年(1873 年)に創業する。
た。それが今のこの敷地になっている。
3 回にも及ぶ建物の焼失による移転
震災から 6 年後の 1929 年に整備が行われたことから、当時植えた
を繰り返したのち、1993 年から現
まだ小さかった欅の木が街路樹として植えられたが、現在ではどれ
人と車が共存するような建築を作る
在の場所に落ち着いている。
も 30mを超す大きさまで成長し、樹齢ももうすぐ 100 年に届こうか という所である。 私の設計では、この場所の歴史である街路樹と共存するような建築
街路樹と周辺の環境と一体化するような小さなスラ
をつくるとともに、浜町公園と甘酒横丁の接点となる町の人に開か
ブを入れていく。
れた空間を提案する。
建築の中を車寄せが貫通する。
既存
提案
現在は樹齢 60 年以上のイチョウ並木の歩道となっている設計敷地。
既存の樹木を残したまま、建築と樹木と歩道がより一体となったあり方
現在
全体アクソメ図
甘酒横丁からの動線の連続性をつくる。
甘酒横丁
設計
2 建築ダイアグラム
三つの要素が組み合わさって建築が構成される。
甘酒横丁の通りの空間性を浜町公園にまで延長するような建築をつくる。 まず、街路の方向と平行に壁を立てることによって横丁から公園までの透明性を 挙げることによって二つの場所を緩やかにつなぐ。 次に、街路樹をよけるように屋根を配置する。これによりこの場所を訪れた人が 何となく休憩できるような場所や、歌舞伎が始まるまでの時間を街の中で過ごす ことができ、劇場の一部が街と同化したような状態を生み出す。
「ホワイエ」
街路樹に寄り添うように居場所をつくる屋根
と 「街路樹」
既存の街路樹
と 「街路」
街の動線を豊かにする壁
長手断面図 Section
3 既存の街路樹について 樹齢 60 年以上のイチョウの木が立ち並ぶ場所。この木を残し有効に活用できるようなホワイエを考える。
黄葉時の美しさと、剪定に強いという
30m~45mに成長する
通常よく使われる基礎を用いて建築を建てようとする と、べた基礎やフーチン基礎であると街路樹の根と干
特性から、街路樹として利用される
渉を起こしてしまい、樹木の近くに建築を立てること は難しい。 また、現在社会の中でも、地面のアスファルト化によ
イチョウ科の中で唯一現存する 植物で、生きている化石といわれる。
り樹木の根の成長が妨げられ、突然倒れてくるという 長寿の樹木で中には、樹齢が
ような事故が多々発生している。
2000 年以上のものも存在する
私の提案では、建築の基礎として杭を用いた設計を行 うことで、樹木との干渉を最低限にし、また建築と樹
イチョウ (銀杏、公孫樹、鴨脚樹、学名:Ginkgo biloba)
杭による工法
フーチン基礎 街路樹と共生する工法
木をより一体に設計することができる。
植物の根が傷つく
植物の根を傷つけない
●夕方サードプレイス 保育園課題
横国 3 年秋季第 2 課題
プール → お風
遊戯室 → 体育館
保育室 → 居間スペース
園庭 → 公園
プール → 銭湯
プール → お風呂
建築のダイアグラム
一階平面図
Diagram of design
床面積:2000m2
公共物である「公園」と、営利目的という側面のある「保育園」の建築空間による共存。
公園の休憩所
Coexistence of "the park" which is a public property and "the nursery school" hascommercial purpose by designing architecture.
鉄骨造一階建て
5 歳児保育室 居間スペース
園庭
To Station
敷地について
Shopping Mall Street
敷地は東京郊外のニュータウンにある公園の一角である。 ファミリー世帯がその人口の大半を占め、中には両親が共 働きの世帯もある。多くの家庭では子供を保育園に預け、 都心に働きに出るというライフスタイルが一般的になって いる。
美しが丘公園 およそ 2.5ha の大きな広さ 親子連れの利用が多く、賑わっている
保育園という施設の問題
提案する保育園のあり方
This park is about 2.5hectares 285.61
Many parents and their childrenplay together.
親子の夕方サードプレイス
平日、保育園に通う子供と親とは非常に単調な関係である。
仕事を終えた夕方にこの場所で、子供とご飯を食べ、一緒に遊び、本を読み、お風呂に入り、帰って次の朝を迎えるような生活を提案する。
保育園自体が親と子の関係をもっと多様なものにできないだろうか ...?
親子に家以外の場所をつくる。 子供は保育園
帰宅後は単に家で生活
レストラン・バー
子供は保育園
の空間の変化を連続的なものにする。
Architecture which change its space to a nursery school from the park
Connecting each buildings and make them integrated with the park.
Furthemore, by changing a roofs into continuous shapes, the change
graduatelly with sandwiching the garden between bulidings.
In addition, they are designed for the function of management of the
from a public place (park) to the space of the nursery school becomes
nursery school.
more continuously.
居間スペース
Depending on the time, the rooms are avairable for parents and children.
thier jobs. In many cases, they leave a child at the 子供を拾いに行くだけ
親子の多様なアクテビティを行える 親は仕事
夕方
夜 公園の休憩所
居間スペース
公園の休憩所 5 歳保育室
場所をつくっていく。
園庭
親子の夕方サードプレイス
公園
0,1,2 歳児保育室 厨房
4 歳保育室
厨房
遊戯室
園庭
公園 銭湯
プール
居間スペース
3 歳保育室
4 歳保育室 園庭
レストラン
2 歳保育室 0.1 歳保育室
園庭 厨房
体育館
車寄せ
搬入口
居間スペース
広場 プール
園庭 食堂
平日はこのサイクルを繰り返す
低学年の園庭
公園の休憩所
お風呂
児童クラブ
in this town.
職員室
In normal nuesry school, the children who is picked up lately are gathered in one room. Then, the rooms which is not already used as the part of nursery school is opend as the place that parents and children can spend
帰宅後は家で生活 広場
use park and who attend nursery school, and who live
公園
2 歳児保育室
お昼
the population, and usually both of the parents have
親は仕事
幼児の園庭
体育館
Households of parents and children occupie most of
nursery school, and commute to downtown.
お風呂
クティビティーが成り立つ。
保育園で親子が集合する
suburbs of Tokyo.
At this town, I designed archiecture for people who
さらに屋根を連続的なものに変化させることで公共の場(公園)と保育園
の機能としても成立する。
プール
together.They eat dinner, exercise, sew clothes, take a bath toghether. These activities which is not done in home.
にとっての建築をつくる。 The site is a corner of the park in the new town of the
公園と空間的に連続するように各建物をつなげる。また保育園の経営のため
化する空間を考える。
公園
迎えの遅い子どもたちは 1 つの部屋に集められる。保育園として使わなくなった場所を親子が一緒に過ごせる場所として開放する。一緒にご飯を食べ、運動したり、お裁縫をしたり、お風呂に入ったり、家ではできないようなア
保育園利用者の一日。
この土地に、公園と保育園、保育園とそれを利用する親子 the site
公園としての要素の強い園庭を挟みながらグラデーション的に保育園に変
居間スペース
高学年の園庭
園庭
園庭
時間が経つごとに保育園を開放していく
Utsugushi-ga-oka Park
学童保育
公園
公園
公園
3 歳保育室
2 歳保育室 0.1 歳保育室
居間スペース
レストラン 体育館
広場
厨房
居間スペース
広場
夜間保育室
食堂
遊戯室
3 歳児保育室
4 歳児保育室
レストラン
体育館
居間スペース
居間スペース
夜間保育室
●多様な建築群の辻
Y-GSA 2020 春西沢スタジオ
能楽堂
掃部山公園
図書館
伊勢山皇大神宮
青少年センター
マンション
くるような街に︒
拝者の立ち寄る場所になる︒
創設年:1872 年
用途:能楽専門の公演場
用途:駅
敷地の前身:奉行所→屋敷
敷地の前身:なし(埋立地)
1872 年に旧横浜駅として建設され、開港した横浜と東京を繋ぐ重要な線路で あった。 現在は周囲に駅ビルが立ち並ぶほか、付属する駅前広場では路上パフォーマン
現在でも毎週のように公園が行われており、横浜の文化の重要な一端を担う建
スが時折行われている。
敷地の前身:神宮の鎮守の森の一部
5
345
ツリー型
45
34
同じく前川国男の設計による建築である。音楽堂図書館の竣工から 8 年後に 建てられている。 青少年育成のための様々な機能を詰め込んだ複合施設である。学生が音楽やダ ンスの練習や、勉強の自習などに使われる。
4
それぞれの機能があるグルー 5
6
本町小学校 セミラティス型
プに属すかまったく属さない
あるものが複数のグループに
1
状態。
を持っている状態。
それぞれの土地でばらばらに開発されてきた横浜
海
崖
創設年:1924 年
創設年:2000 年
創設年:2005 年
用途:小学校
用途:ケアハウス
用途:オフィス、商業、観光など
敷地の前身:ガス局
敷地の前身:家屋
敷地の前身:なし(埋立地)
2000 年に設立された高齢者のためのケアハウスである。地域の高齢者のため
東京に労働者が流出し横浜がベッドタウンになることを防ぐためにオフィス街
れていた場所であったが、需要の変化から用途転換が行われた。
の福祉保健サービスを行う目的でつくられた。
として計画された埋立地。実際はオフィスで土地が埋まることはなく、観光や
延命院(成田山横浜別院)
萬徳寺 創設年:1870 年
創設年:1893 年年
用途:寺
用途:寺
用途:教会
敷地の前身:なし
敷地の前身:なし
敷地の前身:家屋
開港によるキリスト教の拡大を防ぐ目的で建てられる。御本尊に価値のある仏
キリスト教の過度な拡大を防ぐ目的で建てられた。曹洞宗布教所として 1870
1893 年に創立されたキリスト教会で、横浜の中でももっとも古い教会の一つ
像が置かれていたり、横浜の中心地にある寺であるためか、多くの参拝客がい
年に創建された寺社である。一家相伝で受け継がれている寺社である。
である。通常の教会のように、季節によってイベントを行ったり、日曜学校を
開港前に更地であったことが、右で述べているようなバラバラな近代都市とし
①音楽堂
婦人会館 創設年:1924 年 用途:レクチャー
開港後から戦後(1959-1945 年頃)
開港後、別々のものが同時に開発されていく。
横浜道
海
開港後の横浜は湾岸部の開発が一気に進んだ。この敷地は関内と旧宿場町であっ
奉行所
1924 年に婦人連合会が関東大震災事業の一環として寄付金を募り建設した。 1975 年に前川国男が設計によって現在の姿に建て替えられる。 近隣に住む夫人のための教養講座などが開かれている。
た現在の横浜駅周辺を繋ぐための横浜道の途中であったために監視のための奉
造船所
行所が置かれた。 また、同時期にキリスト教の過度な広がりを防ぐ目的で、伊勢山皇大神宮、成 田山不動尊の寺社仏閣が建てられる。
創設年:1954 年
用途:コンサート
用途:図書保存・閲覧
敷地の前身:奉行所→屋敷
敷地の前身:奉行所→屋敷
前川国男が設計した音楽堂。1954 年の竣工当時は東洋一の音楽堂と称される
音楽堂と同様に前川国男により設計された図書館である。音楽堂と併設されて
ほどの完成度であった。
いながらも一体的な利用はされておらず、連絡橋にはかつてレストランがあっ
現在でもプロの演奏家から学生の演奏会までが様々行われており、現在でも市
たものの現在は閉店している。
民から愛されている建築である。
書籍の増加に伴い北西側に新館を建てたものの、周囲とのいった的な利用とは
しかし、付随する広場はうまく活用されておらず、活動は建築内にとどまる。
程遠い状態である。
横浜市教育会館 創設年:1996 年
創設年:1993 年
ニューヨーク タイムズ・スクエア
渋谷 スクランブル交差点
インド バラナシ ゴードウリアーの交差点
難波 なんばひろば
用途:ホール・レクチャーなど
敷地の前身:奉行所→屋敷
敷地の前身:家屋
階段
敷地の前身:造船所
現代の交差点 創設年:1999 年
用途:能楽専門の公演場
用途:オフィス・商業
でバラバラな開発が行われていった。 その中で、それぞれの関係性を考えられることはなく、現在の孤立した建物群
寺
につながっているのではないだろうか。 みなとみらいの開発の先駆けとして建設された高層ビルである。アメリカの建 築家ヒュー・スタビンスによって設計された。
高度成長期から現在(1970 年 -2020 年)
現在でも観光地やオフィスとして重要な場所であり、設計敷地までは直線の道 でつながっている。
個別の論理で用途転換や住宅地開発が進む。
ランドマーク タワー
ビル 住宅地
丸 日本
音楽堂
ビル
館
桜
書
ビル
小学校
区 セ ン タ ー 地 毛
住宅地
野
寺
ている。 現在でも毎週のように公園が行われており、横浜の文化の重要な一端を担う建
市民ギャラリー
マンション
100m
教育に関係するレクチャーなどを行っているものの、近接する神宮などの周辺
100m
100m
環境とのつながりは少ない。
創設年:1962 年
創設年:1996 年
用途:展示会
用途:ホールや資料室、レストランな
用途:能楽専門の公演場
多くの観光客とそれを目的にした
渋谷の駅前の交差点。普段から人
難波駅前の交差点の真ん中に道路
インドのバラナシにある交差点で
敷地の前身:横浜市職員厚生施設
どの複合施設
敷地の前身:奉行所→屋敷
大道芸や店が集まる交差点。Cats
通りが多い場所であるが、サッ
で囲まれた広場がある。ここでは
ある。現代の交差点としては最も
をはじめ劇場などの施設もあり、
カー日本代表の試合のような全国
日常的に路上ライブが行われてい
原始的な姿を残している例として
にぎやかな都市空間が生まれてい
的な行事の後には、行きかう人た
たり、時折イベントが行われたり
取り上げる。人や物が行き交う姿
る。
ちが日本の勝利を祝って盛り上が
など、辻広場として有効的に活用
は人の密度こそ違えど、この交差
広告のモニターが明るいために夜
るなど、現代的な辻として着目す
されている。
点を見ていると、かつての日本の
でも昼のような明るさがあること
べき点がある。
これらの開発の真ん中に設計敷地は位置しており、多くの人々が往来する場所 である。
100m
戸部 住宅街
創設年:2014 年
住宅が建てられていった。
野毛
にこの地に移ってきた。
に海側、山側に開発が行われていく。
海側ではみなとみらいの開発と共にさらに埋め立てが進み、山側では小規模の
ビル
1937 年から横浜での民主教育の推進を目的として設立された団体で、1996 年
戦後から高度経済成長を経て、かつての建物群が用途転換を行いつつも、さら
敷地の前身:奉行所→屋敷
は小学校に、造船所はオフィスビルにバラバラに変化していった。
駅
結婚 式場
楽堂の後ろ側になってしまっていてその存在は分かりにくく、孤立してしまっ
築としての可能性を持っている。
用途転換については、奉行所が音楽堂図書館のような文化施設になり、ガス局
町
木
年 青少 ター セン
みなと みらい
能楽専門に建てられた建物である。掃部山公園の一角に建てられているが、音
1964 年に旧中区役所に開設されたのち、老朽化のためにこの土地に移転して
能楽専門に建てられた建物である。掃部山公園の一角に建てられているが、音
能楽専門に建てられた建物である。掃部山公園の一角に建てられているが、音
きた。かつては立地の良さから多くの芸術家を輩出してきたが、現在は山の上
楽堂の後ろ側になってしまっていてその存在は分かりにくく、孤立してしまっ
楽堂の後ろ側になってしまっていてその存在は分かりにくく、孤立してしまっ
に孤立した状態で立っている。
ている。
ている。
現在でもさまざまなアートイベントが行われている。
現在でも毎週のように公園が行われており、横浜の文化の重要な一端を担う建
現在でも毎週のように公園が行われており、横浜の文化の重要な一端を担う建
築としての可能性を持っている。
築としての可能性を持っている。
辻の豊かさを想像する手助けにな
も、一日中に戸でにぎわっている
るだろう。
要因であろうと感じた。
立・断面図
桜木町駅 マンション
マンション
マンション
アパート
マンション
公園 ケアハウス アパート
レストラン
小学校からの帰り道が楽し
運動場
祭りの際には辻はこのような広場的な性質を持つ。
②図書館 創設年:1954 年
能楽堂
ランドマークタワー
現在の小学校のある場所にはガス局が置かれるなど、開港と同時に個々の敷地
ガス局
ギャラリー
れずに、一体となるあり方
の見せ場であり、多くの見物人が辻に集まり、その様子をうかがっている。
薬売り,飴売り,のぞきからくり,へび遣いなど,その種類は多い。
海沿いになっていたために、山地を利用することの合理性がなかったと予想さ れる。
神宮
ケアハウスが街から隔離さ
担ぎ手が音頭に合わせて神輿を回転させ方向転換を行う。辻回しとは巡行のなかでの一番
放下,猿回し,物まね,歌祭文,辻講釈,居合抜き,曲独楽 ( きょくごま ) ,
開いたりなど、地域の繋がりをもった活動をしている。
る。
敷地の前身:奉行所→屋敷
くなるような道になる。
祇園祭とは京都の伝統的な祭りで、京都の街中を神輿が巡行していく。
した。
キリスト教会
創設年:1870 年
横浜は開港前は一つの小さな寒村で、人口はおよそ 100 人程度であっただろう
て開発されてしまう下地であった原因の一つであるだろう。
住宅地
撲であったと言われている。
住宅地などとして複合的に利用されている。
場所にあった土着の小さな神社と、現在も残っている万徳寺のみだあった。 といわれている。漁業を主要な産業としていたため、住人の住む場所は自然と
崖
門 専 校 学
現在とは違い実績のない力士でも登壇できたりなど、即興性にあふれた相
少ない。
崖
図
れる。
を請う。開帳,祭礼,縁日の行事が盛んになる江戸時代には一層その数を増
開港当初は未開拓な山であった。唯一その中にあったのは、伊勢山皇大神宮の
崖
能楽
る。
1924 年にこの土地に移転してきた小学校である。かつてはガス局として使わ
かつては小さな神社と寺だけがあった場所。
崖
公園
て建設されたものであるが、経営不振から破産し、現在は経営者が変わってい
祇園祭 辻回し
辻や盛り場の街頭で,いろいろな芸能を演じてみせて通行人を集め,見物料
属し、ここに多元的な関係性
2
開港前(1959 年以前)
住宅地
1991 年に宮司の一族によって設立された結婚式場。神宮での挙式にあやかっ
辻芸(大道芸)
る場所がなく、周囲が都市に囲まれているため、子供が自由に遊べるの場所は
横浜の変遷
野毛切通し
辻相撲
みなとみらい
ケアハウス
4
3
提案敷地との間を登下校する事もがたくさんいるが、現在は登下校中に立ち寄
山
多くの人が行き交う辻では、行き交う人々を目的に様々なイベントが行われたり、見世物をする機会に恵まれている。この時辻は広場のように人が滞在し活動する場所になる。
ての重要な要素である。
3456
神宮
用途:結婚式
江戸時代より辻で行われる相撲。寺社で行われる神事相撲と対比して称さ
ち方をしている。年に 46 回の祭りが行われるため、参拝者も多く、街にとっ
12345
山
創設年:1991 年
敷地の前身:奉行所→屋敷
そのため、正式な参道や、門前町を持たないため、周囲の街からは孤立した建
123456
広場のように使われる日本の辻
どの複合施設
目的など特殊な目的のために建てられた側面を持つ。
マンション
浮世絵から見る日本の辻 浮世絵師・歌川広重が描いた絵。1843 年ごろに出版されたもので、多くの人が道を行き交う様子が描かれている。その中には白装束の参拝者たち、茶
用途:ホールや資料室、レストランな
横浜開港とともに健創された神宮。開港に伴うキリスト教の過度な拡大を防ぐ
3
子供達が遊んでいたり、運動をする人がこの公園を利用している。
結婚式場
創設年:1962 年
創設年:1970 年
住宅街
2
旧藩士の土地であったが、1914 年に横浜市へ寄付され、公園として整備された。
『湯殿山道中略図』 歌川広重・画
辻という空間の豊かさ 屋を商う人々、モノを売る人々、宿を経営する人、道を尋ねる人、一人でいる人、大勢でいるなど多様な人が入り乱れている様子がうかがえる。
青少年センター
この都市に豊かな辻を提案することによって、個々の関係を接続させ、セミラティス的な関係性をつくっていく。
1
敷地の前身:奉行所→屋敷
ている。
敷地の前身:土着の神社
234
用途:公園
楽堂の後ろ側になってしまっていてその存在は分かりにくく、孤立してしまっ
用途:寺社
123
創設年:1914 年
能楽専門に建てられた建物である。掃部山公園の一角に建てられているが、音
伊勢山皇大神宮
同士の関係性はトップダウン的であるか、もしくは全く関係ないような状態である。
結婚式場に向かう人たちにとっての
身だしなみを整え心を引き締める︒
あるときは神宮の参道の一部になって︑参
結婚式場
音楽堂
創設年:1996 年
築としての可能性を持っている。
横浜では近代的な計画によって、つくられた歴史の浅い都市である。個々のたてものは別々に計画され、建物
いたるところから︑中から音楽が聞こえて
教育会館
建物どうしの関係がつくられてきていない計画先行の都市
掃部山公園
桜木町駅
戸部 住宅街
1 つの建物=1 つの機能で構成される。
キリスト教会
音楽堂の帰りに演奏者と客が出会ったり ...
マンションの出口で住人たちが立ち話し
レストラン
近くのマンションのママ友と食事
屋根の勾配と、地形で活動同士のゆるやかな重なりを生む
レストラン
ケアハウス
音楽堂の帰りに演奏者と客が出会ったり ...
イベント時にはギャラリー展示にもなる
キリスト教会
広場を見ながらふと座ったり寝転んだりできる斜面
ヨガ教室をしたり ... 祭りの時には参道になる
ケアハウスの老人とマンションの 住人が将棋をしたり ...
日曜の礼拝にだれでも参加
お祭りやちょっとした演奏会もできる広場
桜木町駅
寺子屋を開いたり ... アーティストの製作する場所
できるような街
小学校
多方向からの動線の集合場所
子供の帰り道をみんなで見守る
親の帰りが遅い鍵っ子たちのたまり場になったり… 参拝途中に一休み
0
辻のレストラン
マンションと小学校の辻
南の辻
細い辻
辻にあるレストラン。音楽堂でのコンサートの後に演奏者と観客が出会うことができ
マンションにすむ子供たちの通学路上にある辻。子供な帰りを待つ親たちのたまり場
下校途中の小学生やマンションの住人、神宮への参拝者などが出会う辻。マンション
子供が過ごしやすいような小さな空間の辻。
たり、広場での出来事を見ながら食事を楽しめる。
になっていたり、こどもの登下校を地域の人たちが見守ってあげれたりする場所にな
の住人通しのたまり場になったり、参拝途中の参拝者が一休みしたり、公園で遊んで
辻で行われる祭りや参拝者、コンサート、中高生の兄姉の姿、ギャラリーなどに出会
食事を通して様々な人と出会える空間を目指す。
る。
いる子供の活動がゆるやかに重なっていく。
うような豊かな場所になることを目指したい。
北の辻
10
20
30
辻の化粧室
40
50m
東の辻
仕事帰りの一休み
結婚式の帰り道にみんなで立ち話し
0
教会・ケアハウスの出入り口との辻
音楽堂や能楽堂、結婚式場に向かうための道の途中にある化粧室。身だしなみを整え
桜木町やみなとみらいなど通勤に行く人が良く通る辻。仕事帰りに何となく立ち寄る
現状、ケアハウスも教会も施設の中での活動にとどまっているが、それらの出入口付
なみを整えるための化粧室や、講演が終わったあとに立ち寄れるようなレストランや、
てると同時に心を引き締めるような場所として街に貢献する場所。
と、教会やケアハウスの人たちの活動が見えたり、中高生が演奏の練習をしていたり、
近に庇や縁側のような半屋外のスペースをつくったり、広場への動線をつくることで、
子供が遊んでいたりする景色が見える。
積極的に外へ活動を広げられるような空間をつくる。
ある。
偶然立ち寄った人がご老人と過ごしたり、キリスト教の教えに出会えたりできる。
結婚式に行く途中に身 だしなみを整える
急な上り坂の途中で少し休憩 ...
音楽堂・能楽堂・結婚式場など様々な文化施設がある側の辻。公演前や式前に身だし 半屋外の休憩所のスペースをつくる。様々な文化施設から帰ってくる人が集まる辻で
化粧室
10
20
30
40
50m
広場の辻
辻の変動的に使われる部屋
広場としての辻。祭りの時には神輿が集まったり、屋外コンサートを行ったりできる
様々な活動の重なる辻では、季節や時間によって変動的に使われ方が変わっていく。
広場。かつて辻で行われた辻相撲や大道芸のような多くの人が集まるような辻の豊か
この部屋では、時にはギャラリーになったり、時には子供のための寺子屋を開いたり、
さをつくるための広い空間をつくる。
教会のクリスマスパーティーが行われたりする。
●個人ショップとブランドショップが共存するファッション建築
Y-GSA 2019 春季乾スタジオ
ラフォーレ原宿
「東光園」の再読
Reconsideration about ʻʻToko-enʼʼ
メガストラクチャーにより「多様な空間が共存」している東光園の構造を読み解く。 乾スタジオでは建築家・菊竹清訓が設計した東光
In inui studio, we reconsider about ʻʼ Toko-enʼʼ
園に関してリサーチ、現地調査を行いその設計手
which was designed by ,an architect, Kiyonori
法や思想などを再読した。
Kikutake. We actually visit there, research the
東光園は梁成 3mにも及ぶ巨大なメガストラク
history, and review the way of his design.
チャーを基本として、その周囲に様々な構造形式
It consists of Mega-structure which has 3m
の空間がまとわりつくような構成で計画されてい
beam depth. And the structure can let various
る。
type of space existed.
このような多様なものが集まっていることから、
upside of Mega-structure, hanged floor by
「空間のコンプレックス」といえるような状況が
ラフォーレ原宿は原宿のアパレル文化を牽引してきたファッショ
Mega-structure, space made by supporting
メガストラクチャーによって生み出されているの
pillar, etc...
ではないかと考えた。
I call this situation ʻʼ complex of spacesʼʼ .
東光園の構造
吊り階(中階)
メガストラクチャー(上階)
提案 proposal
A stractual form which mixes more
さらに多様な空間を混在させる事の できる構造形式を考える。
various type of spaces.
東光園の構造形式を参考に、新たに2種類の添え柱の形式を増やす。
In addition to Toko-enʼ s structure, I propose two more types of
下階では、添え柱の種類に応じてそれぞれの規模のショップが入る。
supporting pillar. At the lower floor, according to supporting
また、吊り階では大店舗。
pillar,each size of shops are locted.
メガストラクチャー内部では中店舗。
On the hanged floor, large or medium sized shops locate.
メガストラクチャー上部では更に大きな床面積が必要な大店舗が入
On the upper side of the Mega-structure, the largest shop lacates.
る。
Onthe middle of the Mega-structure, medium sized shops locate.
このように構造の設計から多様な空間を作り、多様なショップが混
like these, by designing the sturucture, so many various shops can
在する建築をつくる。
coexist in a building.
メガストラクチャー(上階)
吊り階(中階)
ンビルである。 いわゆるマンションメーカーのような無名なブランドからの買い 付けを行い、販売するなど、先進的な経営を行ってきた。
メガストラクチャー 下階を吊り柱でつるす
今回、このラフォーレにさらに、そのあり方にふさわしい建築の
3m
あり方を考える。
添え柱(下階)
様々なショップが入り乱れる原宿にさらに活気を与え、アパレル 文化を牽引する都市にあるべきファッションビルをつくる。
添え柱(下階)
3m
添え柱 主柱のまわりに囲うよう に配置され、主柱にかか る水平力をもつ
多様なアパレルショップが入り乱れる原宿という街
小さな空間をつくる柱
東光園の空間形式の種類 メガストラクチャー上部 メガストラクチャー内部 吊り階 吹きさらし階 添え柱階 吹き抜け空間
大通り沿いの大規模なショップ
小規模なショップ
路地沿いの小規模なショップ
UPPER MEGASTRUCTURE
INSIDE MEGASTRUCTURE HANGED ROOM HANGED ROOM HANGED ROOM HANGED ROOM HANGED ROOM HANGED ROOM
wind-swept
SMALL ROOMSMALL ROOMSMALL ROOMSMALL ROOM SMALL ROOM SMALL ROOM SMALL ROOM SMALL ROOM
ATRIUM
中くらいの空間をつくる柱
広い空間をつくる柱
UPPER MEGASTRUCTURE INSIDE MEGASTRUCTURE UPPER MEGASTRUCTURE INSIDE MEGASTRUCTURE
HANGED ROOM
ATRIUM
wind-swept SMALL ROOM SMALL ROOM SMALL ROOM
HANGED ROOM
wind-swept SMALL ROOM SMALL ROOM
建築中央をつなげる吹き抜け
断面パース 立体的に様々な大きなの空間が入り乱れ共存する。東光園を再読し、そこから学 んだ様々な構造形式による空間の作られ方によってそれを可能にする計画であ る。これにより原宿により多様性を持ったショップを共存させ、ひいては原宿と
大通り沿いには大資本による大衆点が立ち並ぶ
路地側からの風景 大通り沿いとは違った環境をつくる
大衆的ではないニッチな層に向けたショップが集まる
大小さまざまなショップが混在する
いう都市の持つファッション文化を育てる事の出来る建築を目指していく。
断面パース