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旧正月の大晦日 –子供の頃の思い出

Laura Ni

Cultural Bridges誌編集長

私の名前はLaura Niです。私はアメリカに23年以上住んでいます。それでも子供の頃に中国では春節と呼 ばれる旧正月を祝った記憶は、つい昨日のことのように鮮明に残っています。

私は中国の上海で生まれ育ちました。クリスマスイブに始まるクリスマスのお祝いのように、旧正月のお 祝いは旧正月の前日に始まります。その日、両親は黄色や赤の冬に咲く花、色とりどりのネコヤナギや中 国の水仙で家を飾り、回復、勇気、忍耐、信頼の力を持った生産的な成功の1年を迎える事ができるよう 願った事を覚えています。ドアに貼られた逆漢字の福の文字は、新年の祝福の到来と万事の円滑化を象徴 しています。

日中は、みんなで夕食の準備を手伝います。私の好きなことは、両親が石臼で卵餃子と手作りのもち米粉 を作るのを手伝うことです。卵餃子は、手作りの卵の皮で豚肉のあんを包んだ富と繁栄を象徴する中国の 金塊のような形をした餃子です。石臼で米と水を挽いて米のとぎ汁にし、もち米粉に加工します。私の父 は餡入りの団子を作りました。私の記憶では、旧正月の必需品はいつも餃子ではなく、団子でした。私は 子供の頃、旧正月に餃子を食べたことがありませんでした。私が食べ始めたのは、アメリカに引っ越して きてからです。

旧正月の大晦日には家族が集まり、いつも15品以上の料理が振る舞われました。その夜は大人も子供もお しゃべりや中国の麻雀などのゲームを楽しみ、テレビを見たりして真夜中まで起きていて、象徴的な年の 暮れを過ごします。時計が12時を指すと、みんな外に飛び出し、花火や爆竹を鳴らして賑やかに騒々しく 新年を迎えました。大人は新年の挨拶やお祝いの言葉を交わします。爆竹を鳴らした後、子供たちはしぶ しぶ眠りにつきます。私が寝た後、両親はこの1年が安全で円滑な年になるよう願いを込めて、お金の入 った赤い封筒をこっそり枕の下に置きます。赤い封筒を開けるのは旧正月の朝に目が覚めるといつも最初 にすることでした。おめでたい気持ちより、赤い封筒の中に入っているお金の額が気になっていたからで す。

記憶では、私たちはいつもランタンフェスティバルまでの15日間旧正月を祝いました。毎日が家族や友人 からの笑いと幸せ、そして愛に満ちていました。振り返るたびに温かい気持ちを思い出します。今、私に は自分の子供がいますが、彼らに旧正月の思い出を話し、私の物語の中で中国文化の重要性を感じてもら えたらいいなと思っています。

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