4th Issue
April 10.20
Natsumi Imai aspiring fashion designer
Nobuhiko Inuzuka musician
photography, Masanobu Shigemoto
Kumiko Oguri
小椋 久美子
1. 小栗さんが今やっている仕事を教えてください。
今はマリンバとベトナム楽器・トルンの演奏活動と、 自宅で音楽教室をやっています。 音楽教室で教え ているのはピアノとマリンバです。 元々は母が運営 する音楽教室で、私が引き継いでやっています。 - 音楽教室ですか。
母が大学で声楽を専攻した音楽家で、 オペラなど ではなく、 どちらかというと童謡など日本の歌を中 心にやっていました。 現在は学校で古き良き歌を 教えることが少なくなってきたので、教室で 【浜辺 の歌】 や 【赤とんぼ】 などの童謡を子供に伝える活 動をしています。 2. いつ楽器を始めたのですか。
母にピアノを習い始めたのが3歳のときです。 小さ い頃から音楽が好きです。 マリンバは、 中学に入る13歳の頃に友達がやって たのがきっかけで始めて、 習い事でずっとやってい ました。 指導してくれた先生が活発にコンサートを される方で、 アマチュアの頃から国内外で演奏活 動する場がありました。 3. 大学は音大ではなかったとお聞きましたが。
院に進学して、ベトナムに留学するつもりでした。
味を持って。 先生もあんまりトルンのことを知らなく
留学のために休学していた間、 母が血液のガンに
て、ベトナムの楽器じゃない?ぐらいで。
かかってしまったんです。母の闘病生活をサポー
実際にベトナムに行った時にもっと大きいのを見た
トしていて、 その間に母の音楽教室のレッスンを手
んだけど、 でも今思うと、 それもあんまり大きいのじ
伝いました。
ゃなかった。
母は一度元気になったので留学にも行けたんです
大きいサイズのトルンは、 バチがすごく特殊で、 上
けど、帰国して修士論文を書いて2006年に卒業
と下両方に頭があって、両方を竹に当てるの。そ
する頃に母の病気が再発し、入退院を繰り返すう
れを知ったのは習いに行ってから。大学2年生が
ち、病気で体が麻痺して、母は一人で生活できな
終わった春休みにハノイの先生に習いに行って、
い状況になってしまって。
初めて大きいサイズのトルンを見たんです。 だから
その後、母を自宅で介護するようになったので、
本物を知らないで習いに行ったんですよ。
就職することは選択肢に入らなくて、 自然と母の
最初に習ったのは大学生の春休みの3週間だけ
教室を手伝う生活になっていたんです。
でした。 帰ってきてちょっと演奏したらお客さんが
母は2007年に他界してしまいましたが、 生徒は私
喜んでくれたので、 トルンをちゃんと研究して演奏
のことを先生だと思ってくれていたので、 そのまま
できるようになろうと思って、 大学院に進学してトル
母の音楽教室を引き継ぎました。
ンの歴史を調べつつ実技を学びつつ、1年留学し て、 そこからはちょこちょこ演奏活動をしています。
4. 4月のテンテンマガジンのイベントでトルンを演奏し
母が亡くなった年にリサイタルをやっているので、 リサ
てくださると聞きました。 どうやってトルンを知ってご自
イタルをしてからかなあ、 演奏の機会は増えていま
分で始めることになったのですか。
す。
トルンは大学に入るまで知らなかったんですね。 よ く、楽器をやりたくてベトナム語学科に入ったの?
5. 話しが少し飛びますが、 これまで受けた一番大きな
って聞かれるんですけど。 ベトナム語を勉強するこ
影響は誰からの、何ですか。
外国語学大学でベトナム語を専攻したので、 全然、 とになった時に、初めてトルンを知りました。 音楽のプロとしてやってくつもりはなかったんだけど。 大学でトルンに出会い、 トルンを研究するため大学
私は飽きっぽいところがあるのに、 ずっとマリンバを
最初にトルンを見たのは、 教授の研究室にあった
続けてこられたのは、 マリンバが楽しいっていうもの
ミニチュアのトルンで、 マリンバに似ているから興
あるけど、祖父のおかげでもあります。
まだマリンバが家に無かったころは自分で模造紙
私、一人娘なんですよ。だから、本当は花嫁姿
はさすがに飲まないけど。 コンサートの後で飲みた
に鍵盤を描いて練習していたんです。 ある日突然
を見せてあげたかったんだけど、 たぶん見せてあ
くなるけどね。
トラックが着いて、 家の中に新しいマリンバが運び
げられないなって思って。 できることがあるとすれ
でも、 コンサートの前にお腹があまりすいていると
込まれてきて、 これどうしたのって聞いたら、 「おじ
ば、 リサイタルの晴れ姿を見せたいなって、母が
元気出ないから、 けっこうちゃんと食べます。 食べ
いちゃんからのプレゼントよ、 おじいちゃんがこれ
生きているうちにやってみようと企画したんです。
過ぎちゃってアオザイ (ベトナムの民族衣装)が入
からも頑張ってマリンバ続けなさい」 って。
母のお友達の素晴らしいピアニストがいたのでそ
らなくなるのを気にするぐらいで。 アオザイって細く
ずっと高いから買えないって親に言われてきたか
の方に伴奏してもらって、 みなとみらいホールで、 できているから。
ら、 おじいちゃんがマリンバをプレゼントしてくれて
リサイタルすることにしました。
前の日とか、 朝からとかだと疲れちゃうので、 演奏
びっくりした。 嬉しい反面、 どう恩返ししたら良いか
でも、結局、母の病気が悪化しちゃって、本番の
をする直前に気持ちを高めるようにしています。
と聞いたら、 ただ 「頑張って続けなさい」 って。 そし
1か月前に亡くなってしまって、 リサイタル当日母
舞台の袖に立った時というか、衣装を着た時に、
て 「おじいちゃんにしてくれることがあるとしたら、
は聴けなかったんですよ。 だけど準備している段
けっこうスイッチが入ります。衣装を着ると、背筋
おじいちゃんに手紙を書いて」 って言われたんで
階でピアニストの方が家に来てくれて合わせる練
が伸びて、 ステージに立つ小栗久美子になりま
す。
習をして、 それを見た母はすごく喜びました。 だか
す。
おじいちゃんは母方の祖父で、 母は実家でもレッ
らリサイタルはそういう思いが詰まったものになり
スンをしていたので毎週水曜日に実家に通ってい
ました。
8. 音楽以外で好きなことは?
たんですよ。 その時におじいちゃんへの手紙をお
母が亡くなった9月から本番のまで1カ月しかなか
色々好きですよ、本当に。旅行が好きだし、 スキ
母さんに渡すって約束を交わしたんです。
ったんですけど、 「最後の1カ月は、何にも考えな
ーしたり。散歩も好きですね、普通の散歩。家の 方はけっこう田舎で、四季折々に、お花が咲いた
最初は毎週書いていたんだけど、 そのうちだんだ
いで自分のことに集中して思いっきり練習しろって
んフェードアウトしちゃって、 2週に1回になり、 3週
桜もきれいだし。 ブラブラするのも好きだし。 絵 いうお母さんからのプレゼントの一ヶ月なんだよ」 り、
に1回になり、 とうとう書かなくなっちゃって、 途中
って父が言ってくれて。 それで気持ちを切り替えて
を描いたり、 物作ったりするのも好き。 紙とかペン
からは約束を忘れちゃったんですよ。 でもおじいち
すっごい頑張って練習して、 本番でいい結果を出し
とかあったら、 なんとなく落書きしちゃうタイプ。 昔
ゃんは文句を言わなかった。
ました。
から絵とかは好きで、 ギャラリーへ見に行くのも好
おじいちゃんが亡くなってから急に約束を思い出
その時から自分の力で母が喜んでくれるようなこと
き。最近は時間がなくて、美術館とか行ってない
したんですよ。 そして手紙を書かなくなったことを
をやっていきたいなっていう思いがベースにありま
ですけど。
後悔して、 お墓の前ですごく謝って。 おじいちゃん
す。
からもらったプレゼントだから、 マリンバだけは頑張 ってやってくよって約束をしました。
9. 音楽を仕事にすると嫌いにならないですか? 6. 演奏活動も活発にされていると思いますが、 コンサ
母は私に音楽大学へ行くのを勧めなかったんで
そのときから、 マリンバを一生やっていこうって思
ート前に自信がなくなることはありますか?
す、 最初は。 「あなたは色んなことに興味を持っち
ったんですよ。 今使っているマリンバの一台はおじ
それはありますよ。毎回不安はあります。緊張も
ゃう性格だから」 って。 最初から 「これをやれ」 と言
いちゃんのマリンバです。 (行空け削除) それか
するし。いっぱい準備していても、毎回どの本番
われたら、多分嫌いになる。音楽大学に行って音
ら、やっぱり母のことは大きいですね。
にも不安や緊張があります。
楽ばっかりやっていると嫌いになっちゃうから、 好
マリンバの先生が 「大学生になったら一回ソロのリ
だけど、 ステージによっては、お客さんの雰囲気
きな事やりなさいって。
サイタルをやりなさい」 ってずっと言ってくれていた
でそれがなくなることがあるんですよね。 特にお客
好きでやっている方が良いみたい。 仕事にしちゃ
んです。けれども、私は自信がなくて、 自分はソロ
さんを感じるというか、 会場が温かい空気だと、 不
うと嫌いになっちゃうかも。 自分はちょっと変な楽
リサイタルをやるような腕じゃないと思っていまし
安とか緊張とかって、実際ステージに上がってし
器に出会ったから、 やりたくなくなったりはしてない
た。
まえば、 意外となくなるものですよね。 そしていつ
けど。仕事にしたら嫌いになるってよく言うよね。
そうこうしているうちに大学院に進学して、 母が病
もよりもいいものが出たりとか。
気になっちゃって、 母の病気は難しくて先はあまり
10. あなたの人生にとって大切なものを10コあげてく
長くないって言われました。 ちょうど母が再発して
7. コンサートの前に特別にすることはありますか?
ださい。
ひどくなっちゃった時に、 長く付き合っていた彼氏
あまりないですねえ。 けっこうね、 気にする人は気
1.家族 2.先生 3.友達 4.恋人 5.思い出
と別れていました。 その人と結婚しようと思ってい
にするし、 コンサートの前にコーヒーを飲まない人
6.出会い 7.感謝の心 8.美味しいものを食べる
たんだけど、 うまくいかなくなっちゃって。
もいるけど。 私はあまり気にしないです。 お酒とか
こと 9.寝ること 10.笑うこと(笑顔)
衣装を着ると、背筋が伸びて、 ステージに 立つ小栗久美子になります。
1. Please tell us about your job. I am a musician.
I play the marimba and a Vietnamese
instrument called “trung.”
I am also currently teaching
piano and marimba lessons in my home.
Originally,
these music lessons were taught by my mother, but I have taken over the lessons.
-Please tell us more about your music lessons. In university, my mother majored as a singer -- but not opera.
I would have to say that she was especially focused
on teaching children and on traditional Japanese songs. Because there weren’t many schools that taught good, traditional songs, she taught them songs like ‘Hamabe’ (Song of the Seashore) and ‘Akatonbo’ (Red Dragonfly).
2. When did you start playing musical instruments? I began to learn piano from my mother at the age of 3. enjoyed music from a very young age.
I
When I was 13
years old, in junior high school, I had a friend who was playing the marimba, so I started as well and practiced all the time.
After a bit of guidance, my teacher actively put
me in concerts.
Even from when I was just a beginner,
I was already performing both domestically and internationally.
3. Is it true that you did not attend a music college? Because I majored in Vietnamese at a foreign language college, I had no intention at all to become a professional musician.
When I encountered trung at university,
I thought of studying it when I entered graduate school. Afterwards, I thought that I should study it abroad in Vietnam. In order to study abroad, I took some time off of school -my mother had also developed cancer around that time. I supported my mother through her battle with cancer and helped teach her music lessons.
My mother recov-
ered and I was able to go on my exchange, but when I returned from abroad to write my master’s thesis in 2006, my mother’s cancer also returned.
She was in and out
of the hospital and was eventually completely paralyzed. She was unable to live by herself, so I became my mother’s caretaker.
Since there aren’t so many options for em-
ployment when you’re a caretaker, I took over her music lessons.
She passed away in 2007.
However, her former
students have come to think of me as their teacher, so I’ve continued to teach them.
4. So you’ll be performing at 10. Magazine’s 4.10.10 Spring Sound Party. How did you first get started with trung? The first time I tried out trung was during my university’s three-week spring break. a performance.
When break was over, I gave
The audience enjoyed it and made me
think that I could study trung seriously and improve my playing skill.
When I put on my ao dai, I become the Kumiko Oguri that you see on stage.
When I entered graduate school, I re-
searched the history of trung, practiced a lot in order to increase my skill, studied abroad for 1 year, and played more concerts. recital.
The year my mother passed away, I had a
I wonder if it all stemmed from that recital, but af-
terwards, my opportunities to perform began to increase. I really didn’t know anything about trung before I entered university.
Often I’m asked, “Did you want to play
the instrument and so you began to study Vietnamese?” But it’s actually the opposite:
When I first began to study
Vietnamese, that was the first time I found out about trung.
The first trung I saw was actually a miniature in my
professor’s office, and because it resembled a marimba, I photography, Michael Beaty
became interested.
My professor also didn’t know much
about trung, and could only offer, “It’s a Vietnamese in-
was too expensive to buy, so I was incredibly surprised
In addition to my grandfather, of course my mother was
strument, isn’t it?”
when one came as a present from my grandfather.
also a huge influence on me.
When I went to Vietnam, I saw a much larger trung, but
while I was happy to receive it, I also wondered how I
When I was a university student, my marimba teacher
thinking back now, even that one wasn’t really a big
could repay such a present.
told me that I should try to do a solo performance.
one.
When I asked my grandfather how I could repay him, he
didn’t have the self-confidence and I didn’t think that
you hit with head and the toe of the stick when play-
just said “Do your best and keep practicing.”
it was something that I could do myself.
ing the instrument.
if my grandfather did something for me, I would write
thinking about this, I entered graduate school and my
A large trung has very special sticks for playing, and I understood that from when I went
And
Usually,
While I was
When I finished my second
him a letter to say thank you. My grandfather was on my
mother’s cancer returned.
year at university, I went to study in Hanoi with a trung
mother’s side of the family, and every Wednesday my
broke up with my long-time boyfriend.
teacher, and that was the first time I saw a very large
mother would go to my grandfather’s house to teach
marrying him, but in the end it didn’t work out.
trung.
music lessons.
only daughter.
to learn how to play trung.
So, without even knowing what the real thing
So I would give my mother the letter
I
Around the same time, I also I was thinking of I am an
For this reason, I really wanted to be able
that I wrote to my grandfather, and she would pass it
to let my mother see me in a wedding dress.
onto him.
At first, I was writing a letter every week, but
I decided that if I couldn’t give her a wedding, I could
5. Changing the topic a bit, what has been your biggest influ-
over time it became one letter every two weeks, and
appear in a recital and show her just how well I could
ence so far in your life?
then every three weeks, and finally I stopped writing.
play.
Although I change my mind a lot, and while the marim-
had forgotten the promise that I had made to myself to
is an excellent pianist, I performed at Minatomirai Hall.
ba is fun in itself, I would have to say that my grandfa-
write every week.
However, my mother’s condition deteriorated and she
ther played a large role in my life.
anything.
passed away one month before the recital.
Back when I still didn’t have a marimba in my home, I
When my grandfather passed away, I suddenly remem-
able to perform onstage for her, after all.
used to make a fake marimba by drawing the keys and
bered the promise that I had made. I began to regret the
all the trouble that I, and her pianist friend, had gone to
practicing as if it were real.
fact that I had stopped writing letters, and I apologized
preparing, practicing, and organizing before her illness
profusely at my grandfather’s grave.
I had promised my
took a turn for the worse. She had been so happy to see
what was going on, I was told, “This is a present from
grandfather that I would do my best and keep practicing
all of the preparation going on, so I went ahead with the
your grandfather.
the marimba, so I began to think that I should pursue the
recital and it was filled with memories of her.
you to keep doing your best and continue with the ma-
marimba even further.
My mother passed away in September and the per-
rimba.”
the same one that my grandfather gave me years ago.
looked like, I went to learn how to play trung!
One day, a truck arrived and
delivered a new marimba to my house.
When I asked
He wanted to express his desire for
My parents had always told me that a marimba
I
My grandfather, however, never said
The marimba that I play now is
However,
Together with one of my mother’s friends, who
So I wasn’t She had seen
formance was less than a month later, in October.
My
father said, “That one month was a present from your
to drink alcohol before a performance.
mother; a time for you to concentrate and rehearse
feel like having a drink after a performance though.
I do sometimes
well for the performance.”
been able to go to any museums.
With that, my funereal
Then again, if your stomach is empty during a perfor-
9. By making music your career, have you come to dislike it at all?
mood changed and I was incredibly focused during my
mance, then you don’t have enough energy to perform
At first, my mother didn’t recommend that I go to music
practice sessions, so I was able to put on a fantastic per-
well, so you have to be sure to eat properly.
school.
formance.
Since then, I’ve become determined to do
only worry about eating too much, and then not be-
type of person who has many different interests,” she
things in life to a standard that would bring my mother
ing able to fit into my ‘ao dai’ (traditional Vietnamese
said.
happiness.
dress), because it fits quite snugly.
because I would have started to hate it.
If I use my energy before a performance, I feel tired
mother thought that if I went to music school to prac-
6. I think it’s obvious that you are very focused when perform-
when I am performing, so I relax during that time and
tice and study nothing but music, I would begin to dis-
ing, but do you ever get stage-fright before a concert?
pump myself up just before the performance.
like it, so she told me: “Do what you enjoy.”
Yes, I do.
Even if I prepare as
am standing just off-stage, a switch goes off in my head.
“It’s better to do something that you enjoy doing.”
much as I possibly can, every time I have a performance
When I put on my ao dai, I become the Kumiko Oguri
was the feeling that I got from her.
I feel uneasy and nervous beforehand.
that you see on stage.
sic your job, there is a chance that perhaps you might
I feel anxious every time.
However, on
I usually
When I
“I didn’t push you into it because you are the Truly, my mother never said, “do this!”, probably
begin to dislike it.
the stage, with the atmosphere of the crowd, those bad
Most likely my
If you do make mu-
For me, though, because I found an
8. What things besides music do you enjoy doing?
instrument that’s a bit unusual compared to other in-
crowd, I guess you would say, or maybe the synergy of
I really like a variety of things.
struments, I haven’t felt like I want to quit playing mu-
the venue, stage, and crowd all together.
ing, too.
feelings disappear.
Especially when you can ‘feel’ the With support
like that, I can give an even better performance.
I like traveling, and ski-
I also enjoy simply walking.
My house is lo-
cated in quite a rural area, and as the seasons change, flowers
bloom,
including
cherry
blossoms,
which
7. Do you have anything special that you do before a perfor-
quite beautiful.
I also enjoy just passing time.
mance to prepare?
and creating things are other pastimes that I enjoy.
sic.
Though there are certainly people who do say that
they come to dislike whatever they do as a job..
are
Painting I am
10. Please tell us 10 things that are important to your life. 1. Family 2. Teachers
3. Friends
4. Lovers
really the type of person that, if there are pen and paper
ries
about their rituals or special preparations before con-
available, I’ll just draw and scribble.
things to eat 9. Sleep 10. Laughing & Smiling
certs, or things not to do, such as drink coffee.
But I
paintings for a long time, and like visiting galleries, too.
Of course, I make sure not
Recently, though, I haven’t had much time and haven’t
Nothing special really.
There are people who care
don’t really worry too much.
I’ve also enjoyed
6. Chance meetings
7. A grateful heart
5. Memo8. Delicious
Lelele Tres
レレレトレス 1. レレレトレスの意味とバンド名にしたその心を教え てください。
<岳夫> ブラジルにいる時に、 いろいろな人と仲良くなって 一緒にバーやライブハウスで演奏しました。 その時 の仲間の一人、Inacioと優と僕とで小さなレスト ランで演奏した時に付けた名前が”Lelele Tres” です。 フランス語の冠詞”le”を三つつなげたんで す。 それと”tres”というのはポルトガル語でトリオと いう意味です。 日本に帰ってからも、 ブラジルで演 奏していたときの雰囲気を大切にしたかったので、 今もこのバンドの名前を使っています。 2. 大学生の時出会ったと聞いたのですが、お互いの印 象はどうでした?
<岳夫> 僕と彼女は大学のジャズ研究会のメンバーだった んです。出会ったとき僕は23歳で彼女は18歳で した。第一印象はとてもよく覚えています。彼女に 初めて会ったのは大学に入学したばかりの時で、 研究会の新入生歓迎のパーティーでした。 そのパ ーティーでは、 僕は研究会のメンバーと意気投合 して、和気あいあいと、あれこれ音楽やギターの 話をしたのだけど、 彼女は先輩に口説かれていて 他の人と話ができずになんだかかわいそうだと思 っていました。 彼女はそのころからとても明るくて、 エネルギッシ ュで、みんなの人気者、そんな女の子でした。そ れからトロンボーンがとっても上手でしたね。 <優> 岳夫くんは入学前の数年間をロンドンで音楽をや りながら放浪していたそうなので、 新入生のみんな より年が5歳上で、大人な感じでしたね。髪が長く て、洒落た服をきて、いつもギターを抱えていて、 周囲とはちょっと違った雰囲気がありました。 話し 方やしぐさがフェミニンで、 今までそういう人が周り にいなかったので、 初めて会ったときは衝撃だった のを覚えています(笑)。
photography, Patrick Lydon
ブラジルの人はほんとにフレンドリーで、その街でたくさんの 音楽家と知り合って、昼は打楽器やギターを教わったり海に行 ったり、夜は演奏したりライブを見に行ったり踊ったり、毎日 とても楽しかったです。
3. 二人はいつ音楽を仕事にしたいと思いまし
スクールバンドの仲間の影響でだんだんジ
た?
ャズにも興味を持つようになりました。 それ
<岳夫> 音楽を始めた頃は楽器も下手だったし、僕 は今でもそうですが、 あまり人前で演奏する のが好きではなかったんです。 音楽のことを ずっと考えていたし、 楽器に触るのが大好き だったから、音楽家には憧れていました。 で もジャズやボサノバを演奏することになるとは 思いもしなかったです。 もっと小さい頃は、江戸川乱歩という作家 の、子供向けの探偵小説が大好きで、将来 は探偵になりたいと思っていました。 <優> 音楽はいつも身近にあったけど、 それを職業 にしようとは、 始めたときには思っていません
からStevie WonderやBeatlesや Sly and the family stoneなども友人に教えてもら い大好きになりました。ジャズトロンボーン では、Bennie Green 、J. J. Johnson、Slide Hampton、Steve Davis が大好きで、 とても 影響を受けました。 5. ここでこの曲を歌いたい、演奏したいという理 想の場所がありますか。 どんな状況、雰囲気か 具体的に妄想(描写) してください。 私はある映画の影響だったのか、ある日、パリの 地下道でヴァイオリンをひいている、妄想に近い 夢を見たことがあります。気持ちよかったです。
<岳夫>
でした。大学で心理学を専攻していたので、 その映画見たことある!パリの地下道かあ。 卒業した後は精神保健福祉士として都内の
クリニックで働いていました。 やり甲斐があっ て楽しい仕事だったのですが、 音楽をもっと やりたい!という情熱が日に日に強くなって いったので、 思い切って音楽を選ぶことにし たんです。それから今に至っています。小さ い頃は花屋さんになりたかったですね!きれ いな花たちに囲まれて毎日過ごせたら素敵 だなあ、 と思っていました。
気持ちいいだろうなあ! ! 僕はロンドンにいるときよく仲間と路上で演奏 してました。 多いときにはお客さんが100人ぐ らい集まって、服を脱ぐ人、踊る人、鼻から 変な薬を吸ってる人、 いろんな人が喜んでく れて、 すごく盛り上がりました。 僕らはみんな 貧しくてガスも電気も無い家に住んでたし、 服もボロボロ、 食べ物にも不自由していたの で、みんな必死で演奏しました。その上、そ の頃からロンドンでは路上で演奏することが
4. 10代の時、好きだった音楽はなんですか? 私
禁止されていたので、毎晩警察の目を盗ん
の場合は、美術塾に行くバスの中でよくStevie
で演奏してたんです。 すごくスリリングでした
Wonderを聴いたりしました。 彼の音楽に荒んで
けど、 とっても楽しかったなあ。
いた私が何回、救われたか...(笑)
妄想するとしたら...やっぱりまたロンドンに帰っ
<岳夫> そうですね。僕も荒んでたなあ。僕はギター を弾く前には、 ベースギターを弾いていたの で、 部屋に篭ってずっとベースギターを弾い たりしてました。週末は一晩中、一日20時間 以上弾いてることもありました。 僕 の 1 0 代 の 頃 は 8 0 年 代 の 終 わりの 頃 で、U2とか、WHAM!とか、いわゆる80年代 のポップミュージックを聴いてました。当時 のガールフレンドが好きだった50年代のサ ーフ・ミュージックも聴いてたなあ。 それから 1990年ごろにヒッピー・リバイバルの波が来 るのですが、 Beatlesとか古いイギリスの音楽 を聴くようになりました。 どれも荒んでる友達 からの影響でした。 (笑) <優> 私はピアノを習っていたこともあり、 クラシッ クを、特に父が買ってくれた名曲クラシッ ク集というボックスセットが好きでよく聴い ていました。高校生になってオーストラリア に留学して、 その時トロンボーンで所属した
て演奏したいですね。警察も国境も無い街 で、ひたすらギターを弾き続けたい。 でもお なかはすくから食べ物はあったほうがいいか もね。 <優> 今年の2月にトロンボーンの勉強でニューヨ ークに行っていたのですが、 さすがに本場の ジャズマンはすごく自然体で、 とてもヒップで かっこよくて刺激を受けました。 私もニューヨ ークでそんな素晴らしい音楽家たちと一緒に 仕事ができたら幸せだろうなあと思ってしま います! でも演奏している自分たちも、聞いてくれて る人たちも、みんなが”最高だね!”と思える 瞬間を共有できるとしたら、 それは場所に関 係なく、 ほんとうに素晴らしいことだなって思 います。 6.ブラジルはどんなところでした?行くことになっ たきっかけなどを聞かせてください。
<岳夫>
2002年のワールドカップの決勝戦がブラジル対
うに、 誰かが僕らの演奏を聞いて幸せを感じてく
人々に出会い、ボーダーレスというか、 より広い
ドイツで、 それを見に、 なんとなく新横浜のスタジ
れるときです。音楽ってほんといいですよね。
視野を持てるようになったこと。 日本は狭い国だ
アムに行ったんです。 チケットもなかったんだけ
<優>
から、 日本にいるとボーダーだらけで窮屈なんで
ど、 スタジアムはうちの近所だし、世界中が注目
私も、 聞いてくれる人がよろこんでくれている時が
すよね。でも僕は自分を日本人だと思ってませ
してるし、 何かが起こりそうな予感がしたんです。
一番幸せですね。
ん。 これは音楽を自由に演奏する上でも、 生きる
行ってみたらやっぱりブラジル人がたくさんいて、
あと、バンドがスイングして一体になった瞬間!
上でも役立っていると思います。 これにはイギリス に行かせてくれた両親に感謝です。
彼らが路上に置かれたテレビの前でサンバを演 奏して踊ってるのを見て、 とっても感動しました。
8. ボサノバの魅力はなんでしょうか。そして、絶対と
<優>
ほんとに生きている音楽を目撃したんですね。
言えるおすすめの曲を教えてください。
私は天真爛漫なところでしょうか。 わりと、 子供の
それがブラジルに行くきっかけになったと思いま
<岳夫>
まま大人になったようなところがあるので、音楽
す。 ちょうどノブちゃんという友達もブラジルに行く
例えばジャズは誕生した時はダンス音楽だった
とより純粋に向き合うには助かっているかもしれ
ことになってたから、 ブラジルに行く前も行ってか
のだけど、 次第に洗練されて聴くためだけの音楽
ません。 のびのび育ててくれた両親のおかげです
らも彼にはいろいろお世話になりました。
になってしまいました。 でもブラジルでは音楽は
ね(笑)
<優>
今も生きています。ボサノバは、 そんなブラジル
大学の時に友人のPEIXEというバンドにトロンボ
で生まれた、 ジャズの洗練された和声と、 サンバ
ーンで参加したのですが (ちなみにそのバンドで
のしなやかなリズムを兼ね備えた音楽で、 そこが
<岳夫>
は岳夫くんがギターを弾いていました) 、 そのうち
魅力ですね。
そうですね、彼女と僕は何から何まで正反対な
何曲かボサノバを歌うようになって、 それからブラ
CDを一枚というと、Astrud Gilberto の The Es-
んですけど、 例えば僕は理屈っぽいので、 大切な
ジルの歌を Wilma de Oliveira に習い始めまし
sential Astrud Gilberto でしょうか。 これは僕が
ことはじっくり考えてから決定しますが、 彼女は直
た。 ある日彼女が里帰りでブラジルに帰るときに”
1992年にロンドンで初めて買ったボサノバのレコ
感で勝負します。 僕にはそんな危険なことは怖く
サンパウロに一緒に行く?”と誘ってくれたときに
時にはもう少し考えてから行動して ードなんですけど、 ジャケットも歌もかっこよくて、 てできないし、
10. 二人の(お互い)好きな所を教えてください。
は、 ちょうど状況とのタイミングもばっちり合って、
曲も素敵だし、何よりもJoao Gilberto のギター
欲しいと思うこともありますが、 でも世の中は理屈
もちろん行く!ということになり、3ヶ月間行くこと
が驚異的で、毎日毎日聴いてました。僕にとって
だけではつまらないですよね。 むしろ直感とか感
にしました。
はバイブルみたいなレコードです。
情とか、 そういったイレギュラーな力が世の中を
最初の2週間はSão Paulo、それからRio、その
最近ではジャズやボサノバ以外にも、今どき
面白くすると思っているので、彼女の持っている
後はバイーア (赤道近くの場所で、 かつて奴隷港
の新しい人の新しい音楽も聴いています。感
直感力にはとても敬意を持っています。 よく意見
があったところ。 アフリカ系のブラジル人が人口の
覚は常に更新して磨いていないとだめになっ
が食い違ってけんかになることはあります。 でもこ
8割を占める) というところがとても気に入り、 そこ
てしまいそうなので、いつもラジオで世界中の
れは仕方ないですよね。
でアパートを借りて生活しました。 田舎の町だった
音楽をチェックしています。 日本でも Giulietta
それから彼女はとても真面目ですね。僕は基本
ので、私たちを家族のように受け入れてくれて、
Machine、ARAKI Shin、Studio 75 などの素晴ら
的に自分がやりたいと思ったことしかやりません。
毎晩のようにどこかで一緒に演奏させてもらいま
しい音楽家がたくさんいますね。 こちらもおすすめ
でも彼女はトロンボーンの練習でも歌うべき曲で
した。 日本に帰ってくるときは別れがとても辛かっ
です。
も、 やるべきことはきちんとこなします。 偉いなあ
たです。 また必ず会いに行きたいと思っています!
<優>
と思います。僕には絶対できません。
<岳夫>
私もボサノバの魅力はサンバのリズムとそこに乗
あとは彼女の奔放なところ。 例えば友達にチョコ
バイーアに行ったらそこには思い描いたとおりの
せる美しいコードとメロディーだと思います。 とても
レートの詰め合わせの箱をもらったとすると、 包み
ブラジルがありました。 昼も夜も打楽器が鳴り響
心地の良い音楽だと思います。 ジャズのようにパ
紙をびりびり破いて一番おいしいところから食べ
き、人々は踊り、歌い、人生を楽しむ、そんな素
ワフルには演奏しないけど、 そこに詰まっている
るのが彼女。 僕は一番おいしいところは最後にと
晴らしい街でした。 とにかく気温が高くて、 毎日40
世界はとても豊かで広いですよね。
っておくかな。 それかチョコレートは食べないかも
度とか。 日焼けするというより、 ほんとに肌が焦げ
絶対といえる曲は...1曲に絞るのは難しいです
しれません。虫歯になるのが嫌なんですよ。(笑)
ましたね。
ね!
<優>
ブラジルの人はほんとにフレンドリーで、 その街で
でもバイーアで出会った Palmyra e Levita のこ
彼は、 私に持っていないものをたくさん持ってい
たくさんの音楽家と知り合って、 昼は打楽器やギ
とは忘れられません。Palmyraの歌声、Levita の
るのが魅力ですね。正反対なのがいいんだと思
ターを教わったり海に行ったり、 夜は演奏したりラ
ギター、彼らのアパートで話してくれた Joao Gil-
います。 お互いに足りないものを補い合っている
イブを見に行ったり踊ったり、 毎日とても楽しかっ
bertoやJoaoDonatoとのエピソードは、 今も音楽
感じがするし、 自分にないアイディアを与えてくれ
たです。
を演奏する時の糧になっています。
るのでいつもとても新鮮です。 それから、 彼には目先や周囲のものにとらわれず に本当に大切なものを大切にできる強さがあると
7. 音楽を職業にして一番幸せを感じる瞬間はいつ
9. 自分が持っている能力の中で一番感謝している (
ですか。
神様や、 ご両親にどっちでも) ところはなんでしょうか。
思います。 音楽に対してもその他のものに対して
<岳夫>
<岳夫>
も、 愛情に溢れている人なので、 そばにいられる
やっぱり、 僕が誰かの演奏を聞いて幸せになるよ
若いときにイギリスで暮らして、 いろんなイカレた
人はみんな幸せだと思います。
surrounded by pretty flowers.
1. Tell us why you named your band Lelele Tres and the mean-
and as he was five years older than all the first years
ing behind it.
he was more mature and adult-like. He had long hair,
<Takeo>
wore smart clothes, always had his guitar with him,
4. What kind of music did you like as a teenager?
When I was in Brazil, I made friends with a number of
and carried himself differently than other people. His
In my case I often listened to Stevie Wonder on the bus to my
people and played with them in bars or live houses.
way of speaking and gestures were quite feminine,
art school. I wonder how many times I was “saved” by the
Performing at a small restaurant with Yuu and Inacio
and because I didn’t know anyone else like that; I was
emotion in his songs… (laughs)
(a friend from that time), we’d call ourselves, “Lelele
a bit taken aback when we first met (laughs).
<Takeo>
Tres”. “Le” is a French word meaning “the” repeated
Yeah, I was moved by him, too. I’d hole up in my
three times and ‘tres” is the Portugese word for “trio”
3. Did the two of you always think that you’d like to turn your
room and just play my bass guitar. There were times
or three. When we returned to Japan we wanted to
music into a career?
on weekends that I’d play the whole night, maybe 20
honor the feeling and atmosphere of our time in Bra-
<Takeo>
hours in one day. I learned the bass before the guitar.
zil, so we’ve continued to use the name for our band.
When I started doing music I was pretty bad at play-
I was in my teens when the 80’s were coming to an
ing—I still am—and I didn’t like performing in front of
end; I listened to pop music like U2 and Wham. I also
2. What did you think of each other when you met at
people. Because I was always thinking about music
listened to 50’s surf music that my girlfriend (at the
university?
and loved handling my guitar, I admired musicians.
time) liked. In the 90’s there was a sort of hippie reviv-
<Takeo>
But I didn’t think I’d end up playing jazz or bossa
al and I listened to a lot of The Beatles and old English
We were both members of the Jazz Club at university.
nova. When I was younger, I loved Edogawa Ranpo’s
music. In either case, my musical choices were highly
When we met I was 23 and Yuu was 18. I remember
detective stories written for children. I wanted to be a
influenced by my friends (laughs).
our first meeting very well. I met Yuu when I’d just
detective when I grew up.
<Yuu>
entered the university, at the club’s welcoming party.
<Yuu>
I learned the piano for a while and often listened to a
I was chatting with the other members, getting along
There was always music around me, but I didn’t think
box set of classical music that my dad bought me. Dur-
well talking about music and guitars, but poor Yuu
that it would be something I’d do for a living. I ma-
ing high school, I went on exchange to Australia and
was stuck listening to a senior Jazz Club member and
jored in psychology at university and after gradua-
played the trombone in the school band. I got into
wasn’t able to talk with anyone else—I felt a bit sorry
tion I worked as a social worker in mental health at
jazz through my friends and also started listening to
for her. When I did get to talk to her I found her to be
a clinic downtown. It was a worthwhile and fun job,
Steve Wonder, The Beatles, Sly and the Family Stone;
bright, energetic, everyone’s friend, that kind of girl.
but day after day the feeling of wanting to do more
all of which I love.
And very good at the trombone, as well.
with music became even stronger, so I made up my
been greatly influenced by Bennie Green, J.J. Johnson,
<Yuu>
mind and decided on my music. That’s how it’s been
Slide Hampton and Steve Davis.
I knew Takeo had traveled around while doing music
up to now. And actually, as a child I wanted to be a
in London for several years before entering university,
florist. I thought it would be great to spend my day
5. Do you have an ideal place that you’d love to perform
In terms of the jazz trombone, I’ve
music at? Flesh out the situation for us.
But at the same time, I think that when both the peo-
her; the timing was good so I went. We ended up be-
I was probably influenced by a movie - one day I had a dream
ple playing and people listening have that instant of
ing there for three months.
where I was playing violin in the Paris underground - which
mutual connection through their shared experience—
The first two weeks were in San Paulo, then Rio, and
is pretty close to what I had imagined. It was a really good
it’s pretty awesome and location doesn’t matter. I
then on to Bahia. Bahia is a place near the equator
dream.
think that’s something special.
where there used to be several African slave ports - the majority of the population being black or multi-racial
<Takeo>
6. What kind of place was Brazil? Tell us all about what got
I really liked the area, so we rented an apartment and
ground - that’d feel pretty good!
you there.
lived there for a while.
When I was in London, I’d often perform on the road-
<Takeo>
the people there were kind and treated us like family,
side with my friends.
I’ve seen that movie!
Playing in the Paris under-
As this was a country, town
As many as 100 people would
The final of the 2002 world cup was Brazil versus
letting us perform anywhere, almost every night.
watch - people who’d take their clothes off, people
Germany, and I went as far as the Shin-Yokohama sta-
was sad when we had to part ways and return home.
who’d dance, people who’d snort strange drugs up
dium to go and see it.
I definitely want to go back there!
their nose - all sorts of people would gather and have
stadium was in my neighborhood, the whole world
<Takeo>
a good time.
was watching, and there was the feeling of some-
When we went to Bahia, it was Brazil just as I had
thing special about to happen.
imagined.
We were all poor at the time, living in
a house with no gas or electricity.
Our clothes were
I didn’t have a ticket, but the
When I went there, of
It
Day and night drums would ring out,
ragged and we ate -crap, but we played with energy.
course there were a lot of Brazilians - they were danc-
people would dance, sing, and enjoy life: it was just
At the time it was illegal to play on the side of the
ing the samba on the streets in front of the TV, and I
a wonderful place.
road, so we had to keep out sight from the police—it
was really impressed by their dancing.
about 40 degrees every day.
was thrilling and a lot of fun..
witnessed music that was really alive.
Just imagining... I’d still like to return to London and
think attracted me to the idea of going to Brazil.
As a
The Brazilian people were mostly friendly, we met
perform there.
friend of ours, Nobu, was leaving for Brazil soon, we
many musicians, and we spent the day learning the
asked him a lot of questions and because of his assis-
drums or guitar and going to the beach.
gry, so it’d probably be a good idea to be somewhere
tance we are really indebted to him.
played music or went to a live house, danced, and had
with food.
<Yuu>
a great time everyday.
<Yuu>
When I was in university I joined a friend’s band called
I went to New York in February to learn more trom-
PEIXE with my trombone, and came to sing a few
7. What’s happiest time you’ve had after choosing music as
bone,
bossa nova songs (Takeo was also in the band).
On a street without police or borders,
I’d love to do nothing but play my guitar.
I’d get hun-
and was impressed at just how hip, cool, and
natural the jazz players were.
It’d be great if I could
get a gig playing in New York with the met there.
musicians I
I felt that I had That’s what I
The temperature was very hot, In the sun rather than
tanning, your skin would just burn.
At night, we
After
a career?
that I started learning Brazilian songs from my friend,
<Takeo>
Wilma de Oliveira.
go home for
In the same way that I can be really happy listening to
a while, she asked if I wanted to go to San Paulo with
someone else’s music, it’s when people can be happy
When she decided to
listening to our music. Music really is a great thing.
melodies.
<Yuu>
perform it with the same intensity of jazz, but hidden
It’s really comfortable music.
You don’t
intuition.
Me too, I’m happiest when the audience is really en-
within is a very rich world.
like that, and there are times when I’d prefer her to
joying our performance.
If I were to pick just one song...
And when the band is swinging in unison!
ficult!
But I can’t forget Palmyra e Levita who I met in
Baiha.
Palmyra’s voice, Levita’s guitar, the time when
versely, using irregular strengths such as intuition or
8. What’s the attraction of bossa nova? Could you also tell us
we discussed Joao Gilberto and Joao Donato in their
feelings makes the world a more interesting place,
some must-hear tracks?
apartment - even now when I play their music it’s
and I really respect that part of her.
<Takeo>
nourishment for the mind.
when we don’t see eye-to-eye and argue. But that’s
well that’s really dif-
through, but Yuu makes decisions through using her I’d get anxious and couldn’t do something
think things through a little before acting, but if the whole world was logical it would be very dull.
There are times
just natural.
For example, when jazz was born it was music made to be danced to, but as it was refined it became music
9. Of the talents that you possess, which is the one that you
Yuu’s also very serious.
that you just listened to.
are the most thankful for?
in doing.
But in Brazil, there is music
Con-
I only do what I’m interested
But for the trombone songs or the songs
<Takeo>
where she sings, Yuu practices it all properly.
born in Brazil, and it’s music with the refined harmo-
I lived in England when I was younger, met so many
ally great. I just can’t do that.
ny of jazz, overlaid with the flexible rhythm of samba.
different people, and you might say that my percep-
After that, it’s her eccentric qualities.
That’s the attraction of it.
tion widened or became borderless.
As Japan is a
we receive a giftbox of chocolates, she’s the one
If I were to list just one CD it would be Astrud Gilber-
cramped country there are so many borders set up
who rips open the wrapping paper and starts from
to’s The Essential Astrud Gilberto.
that it’s boring.
the tastiest one.
that is still alive and strong today.
Bossa nova was
It’s the first bossa
But, I don’t really think of myself as
It’s re-
Such as when
I might leave the tastiest one until
nova record that I bought back in London in 1992, but
Japanese. More than being able to play music freely
last.
the cover and songs are cool, the tracks are great, and
or being alive, I think I’m doing some good.
ties (laughs).
above all Joao Gilberto’s guitar work is so wonderful
I’d like to thank my parents who let me go to England.
<Yuu>
that I listen to it all the time.
<Yuu>
What I admire about Takeo is that he has a lot about
It’s a record that’s like a
For that
Or not eat them at all.
him that I don’t have.
bible to me.
For me it’s that I’m unsophisticated.
Recently, apart from jazz and bossa nova, I’ve been
there are parts of me that have remained childish de-
complete opposites.
listening to music by newcomers.
Pretty much as
I don’t want to get cavi-
I think it’s good that we’re
I get the feeling that we both
spite turning into an adult, I can face music in a fairly
supplement the parts of each other that we’re miss-
updating your music sense or you’ll out-of-touch, so
pure fashion.
ing, and that he can provide ideas that I wouldn’t
I’m always checking out world music on the radio.
me carefully (laughs).
have—it’s refreshing.
There are also a lot of talented musicians in Japan
Besides that, he doesn’t get caught up in his sur-
such as those in Guilietta Machine, ARAKI Shin, and
10. Tell us what your like about each other.
roundings. I believe that he has the strength to treat
Studio 75. I’d recommend them, too.
<Takeo>
the important things as important; be that music or
<Yuu>
Well yeah, the two of us are through and through
other
I also think that the attraction of bossa nova is the
complete opposites.
and brings happiness to the people around him.
rhythm of samba as well as the beautiful chords and
cal
You have to keep
and
That’s thanks to my parents who raised
make
For example,
decisions
after
I’m fairly logi-
thinking
something
things,
he’s
someone
overflowing
with
love,
Day and night drums would ring out, people would dance, sing, and enjoy life: it was just a wonderful place.
Thank you to all of the art lovers who attended Gallery Night on 3.10.10! We hope you enjoyed the exhibition, live painting, meeting the artists, new music by DJ Umag from Clave de Sol, and our specialty cocktails sponsored by Żubrówka & Appletiser!
ギャラリーナイトに来てくださった皆さん、 本当にありがとうござい
ました!生のアート作品に触れたり、実際にゲストアーティストに 会ったり、 また、Clave de SolのDJUmagの新曲やスポーンサーの Żubrówka&Appletiserによるスペシャルカクテルなどなど皆さん楽
しんでいただけたら幸いです 。
Editorial Executive Director & Design: Jungna Lee Creative Director & Editor: Dawn Jin Lucovich Photography: Michael Beaty, Patrick Lydon English Editor: Cylinda Marquart Japanese Editor: Asako Maekawa Translation: Thomas Kaiser, Michael Beaty Translation Editors: Tomoko Mabuchi, Marketing: Kiran Sharma, Colleen Lum, Cylinda Marquart Cover Photography: Patrick Lydon Events The Editorial Team Adiyasuren Lkhagvaa, Clave de Sol (DJs Umag, shu, & LA4), Hiraku Arai
3月10日にありました、ギャラリーナイトと4月10日 の’春のささやき’ イ ベント の専門コクテールメニューはŻubrówka & Appletiserの提供です。 Our Gallery Night(3.10.10) & Spring Sound Party(4.10.10) specialty cocktail menus are proudly sponsored by Żubrówka & Appletiser!
Special Thanks Kumiko Oguri, Lelele Tes, OFloor www.10tenmag.com
広告についてのお問い合わせ ads@10tenmag.com
スポンサーのお問い合わせ editor@10tenmag.com
ウェブサイトのお問い合わせ webmaster@10tenmag.com
インタビューのお問い合わせ jungna@10tenmag.com / jin@10tenmag.com
The Smrt way to commute with your iPhone. SmrtCase Glide for iPhone 3G/3GS.
Available for ¥1980 in Snow (白) Midnight (黒) Flamingo (ピンク)
ICカードなどをスマートに収納!SmrtCase Glide機構で カードを簡単に出し入れできるiPhone 3G/3GS用ケース
www.focal.co.jp/product/glide
Adam Schneider, president of PacRim Wines & Spirits, fills 10. Magazine in on the wonders of Zubrowka! 1. When did Zubrokwa hit Japanese shores? Zubrowka has been in Japan for over 35 years. It has been here so long that no one really remembers the exact date!
少なくとも35年前には日本市場に登場していたので すが、歴史が長すぎて誰も正確な上陸年を知らな いのです。 2. Can you give us a brief history of Zubrowka? Four hundred years ago, vodkas did not taste quite the same as they do today. They were rough and unfiltered, and triggered a terrific hangover the next day. As a result, many small producers used local herbs and flavorings to minimize the unpleasant flavors and impurities associated with vodka. In the forest of Bialowieza in Eastern Poland, a unique beverage was developed by infusing vodka with sweet-smelling bison grass -- also known by its Latin name of Hierochloe odorata. In the mid-1500s, this infusion became very popular with the Polish royal court who hunted game in the region.
400年前のウォッカといえば、 現在私たちが飲んでい るものとは似ても似つかない味わいのものでした…雑 味が多く、無ろ過で、二日酔いの原因となる成分が いっぱい。 そのため、 小規模のメーカーでは、 アルコ ール度数の高い酒につきものの、 不快な味わいと不 純物を隠すために地元のハーブや香味料を用いま した。 そんななか、 ポーランド東部にあるビアウォヴィ エジャの森に、 甘い香りの 「バイソン・グラス」 -ラテン 名Hierochloe odorataを漬け込んだ、ユニークな飲 み物が誕生しました。 このお酒がついには1500年代 半ば、近隣諸国の略奪の合間にこの森で狩猟を楽 しんでいたポーランド王族の間でとてもポピュラーな ものとなったのです。 Today, Zubrowka is still made in the town of Bialystok on the outskirts of the same forest. In fact, it is the only primeval forest remaining
in Europe and is where the oldest herd of wild European bison still live.
現在、 ズブロッカはこの森の裾野にあるビアリストック の町で製造されています。 実はこの森は、 ヨーロッパ の中で唯一、 いまもなお野生のヨーロッパ・バイソンが 生息する原生林なのです。 The actual wild bison grass is hand-harvested by licensed family operators who have limits on the amount of grass that can be taken from the forest since a balance must be maintained with the bison who love the grass, too. The first distillation of the vodka is still made in the traditional way in small family distilleries, which creates a product with real nuances -- in contrast to the product of mass producers. This base vodka is then sold to Polmos Bialystok, where it is purified using some of the most advanced distillery equipment and techniques in Europe. At the end of the production process, a piece of bison grass is added to each bottle of vodka -- by hand. Zubrowka’s production is a perfect balance between the old and the new worlds, and respects nature, history, Polish heritage, and artisanal expertise.
バイソン・グラスは、 認可を受けた農家によって手摘 みされますが、森から収穫できる量は制限されてい ます。 なぜなら、 ここに棲むバイソンたちもまた、 この 草の愛好家であり、 彼らとうまく分かち合っていかな ければならないからです。 このウォッカの蒸留の第一 段階はいまだに、小規模の家族経営の蒸留所で、 最も伝統的な方法でなされています。 ここでは (大手 メーカーによるブランド製品とは違い) 真のきめ細かさ をもって製品が作り出されています。 3. Where can I buy Zubrowka in Tokyo? Zubrowka can be bought in nearly any bar that serves quality liquor. It can also be found in all major liquor stores (Yamaya, Minemart, Kawachiya, Kakuyasu, etc.) and a number of super-
market chains.
ズブロッカはうまい飲み物を提供してくれるバーでし たらほとんどのお店で楽しんでいただけます。 さらに、 ウチ飲み用でしたら、 大手酒販店のどちらでもお求め いただけます (やまや、 マインマート、 河内屋、 カクヤ ス、などなど) 。 それから一部のスーパーにも置いて いただいています。 4. Could you name a few bars/restaurants/ lounges that feature Zubrowka? Fireking in Yoyogi-Uehara, Two Rooms in Omotesando, Oak Door in the Grand Hyatt, Duke in Shimo-Kitazawa, Tokyo Main Dining in Shibuya, SNAPPER & GROUPER in Ginza, Tsuya in Shiroganedai, and Agave in Roppongi.
代々木上原の「Fireking Cafe」、表参道AOビルの 「TwoRooms」 、 グランドハイアット東京内の 「オークド ア」、下北沢の「DUKE」、渋谷の「TOKYO MAIN DINING」、銀座の「SNAPPER & GROUPER」、白金台の「 艶」、六本木の「AGAVE」です。 5. Please describe Zubrowka’s taste for us in a few words. The reason that Zubrowka has done so well in Japan is based not only on its long history, but also on its aromatic bison grass, which contains the same natural chemical compound that gives the sakura (cherry tree leaves) its flavor and scent. In fact, Zubrowka smells very similar to traditional Japanese ‘sakura mochi’ (cherry tree leaf-flavored sticky rice cakes). Zubrowka is a product that is imported to Japan. . yet its taste is a familiar one.
ズブロッカがこれほど日本で好調なのには、歴史の 長さだけでなく、 バイソン・グラスの芳香が桜の葉の 風味と全く同じ天然化合物であることも理由のひとつ です。 その香りは、伝統的な和菓子である桜餅の香 りと非常によく似ています。 ですから、 ズブロッカは海 外からの輸入品でありながらも、なぜか親しみ深い 感じがするのです。
For those of us not so lucky to have grown up with sakura mochi, the smell is slightly sweet, refreshing, reminiscent of cut grass, with an almond and woodruff bouquet and flavor. To me, that just means that it tastes good. . I mean, what is woodruff, anyway? There are a number of imitations - many illegal - but none compare with the quality found in a real bottle of Zubrowka. Most people who start drinking Zubu don’t see a point in going back to their regular brand. . Why bother? I suggest drinking Zubrowka with a good tonic, a mix of cranberry and tonic water, or Appletiser sparkling apple juice. Just as it is served at 10. Magazine parties!
桜餅を食べて育ってきた人たちにとっては、 ズブロッ カの香りは、 「あの、 ちょっと甘くて、 さわやかで、刈り たての草にアーモンド、 それにクルマバソウのような 芳香と風味~」 を思い起こさせるのです。 まあ、私に 言わせればシンプルに 「おいしい」 、 それだけです… だいたい、 「クルマバソウ」 ってなに?!類似品は山 ほどありますが (多くは違法です) 、 本物のズブロッカ にまさる品質のものはひとつとしてありません。 ズブロ ッカを飲んでしまったら、 もうそれまでの自分の「定 番」 に戻ることにあまり意味を見出せなくなります… 戻らなくていいじゃないですか!私のおススメの飲み 方は、 ちゃんとしたトニック (サーバーから出てくるよう なシロモノじゃなくて!) 割り、 クランベリージュース& トニック割り、 それと100%リンゴ果汁のスパークリン グジュース「アップルタイザー」割りですね。 One last point, many people don’t realize that a cocktail or shot has the same total alcoholic content as a can of beer or a full glass of wine. So don’t be afraid to give it a try!
最後にもうひとつ、 気づいている人は少ないようなん ですが、 カクテル一杯やショット一杯は、 ビール一缶 やワイン一杯と同じアルコール量なんですよ。だか ら、 こわがらないでさあ、 レッツ・トライ!