a
序章 a.1 「戦後に増加したコンクリートダム」 わが国では、戦後、急速な経済発展を遂げるなかで、電力需要の拡大、人口増加に伴う水需要の拡 大に伴い、全国各地にコンクリートダムの建設が推進された。
日本の既設ダム
250
竣工ダム数 ( 累計 )
200
1,600
150
1,200
100
800
50 0
竣工年
竣工ダム数 / 年
400
0 0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 00 10 0 20 19 19 データ出展:ダム便覧
a.2 「ダムの維持管理」 コンクリートダムの寿命を決定するのは、コンクリートの寿命よりも先に、水とともに貯水池内に流入する土砂の堆積に因る。 一般に 50-70 年で堆積土砂によって必要な貯水容量が確保できなくなり、 「浚渫」と呼ばれる土砂の排除が必要となる。その際、高額な費用、 そして発生した土砂の処理が問題となる。
2,000
a.3 「死が近づくダム」 戦後、高度経済成長期に建設されたダムが、次々とその寿命に近づきつつある。 その土木構造物の解体や転用の国内での実例は殆どまだ無く、有用な解決法は 見出されていない。 人口減少の進む地方自治体で、税収の低下に伴い維持管理、浚渫工事の継続 が困難になっているダムもある。管理が行き届かなくなり放置されたダムは、 洪水調整の治水機能が低下するだけでなく、地震時等に決壊の危険性も孕む。
2011 -05-2 1 付 中日新聞朝 刊 2014-10-1 6 付 朝日新聞朝 刊
a.4 「求められるグリーンインフラへの転換」 ダムや高速道路、堤防といったインフラ構造物を、「グレーインフラ」と呼ぶ ことがある。それらは、永久のものではなく、維持管理が必要であり、放置す
ダム
高速道路
堤防
森
湿地
棚田
れば「負の遺産」化してしまう。 一方、近年、森や湿地、棚田といった、これまでグレーインフラの構造物が 果たしてきた役割を自然の力によって果たすものを、グレーインフラに対して、 「グリーンインフラ」と呼ぶ。 過疎化の進む地方都市、高齢化、人口減少のすすむ今後の日本において、こ うしたインフラのグリーン化が求められている。
b
敷地 ;神戸・布引ダム b.1 「近代化遺産」 布引五本松堰堤 ( 以下、布引ダム ) は、1900 年、明治初期の近代産業化、人口増加に伴 う水需要の拡大の進む神戸に、国内初のコンクリートダムとして建設された。当時の欧米 の最高水準の土木技術を結集し建設された布引ダムは 100 年以上が経過した現在も現役で 機能を継続しており、国の近代化遺産にも指定されている。 近代化、世界大戦、大震災、復興。神戸の激動の1世紀を見守ってきた。
b.2 「都市とダム」 大都市神戸に近接するダムであり、新神戸駅からハイキングロードを徒歩で 30 分ほど、ロープウェ イで 10 分ほどというアクセスの良さ、そして日本三大神滝のひとつである、ダム下流の「布引の滝」 などの名所があり、ハイキング客、観光客に親しまれる場所である。
「布引の滝」
b.3 「予測される機能の終了とその後」 神戸市の水道が大部分を琵琶湖、淀川水系に依存するようになったことや、人口減少に伴う水需 要の低下などから、将来的に現在の上水道用水のダムとしての機能は終了することが予測される。 機能の終了したダムに対しても、これまでと同様に浚渫等の維持管理を継続していくことは困難 である。近代化遺産の保存のあり方としても、先の見えない管理を継続していくことに対しては、 違和感を覚える。 神戸市の水資源確保量の内訳 布引貯水池 (2.1%) 烏原貯水池 (3.5%) 千苅貯水池 (12.6%)
市内河川等 (4.5%)
神戸市の人口と水需要の推移 ( 平成 27 年以降は推計値 )
兵庫県水道用水供給事業 (3.2%) 呑吐ダム・青野ダム
自己水源 200,000m3/ 日 (22.7%)
購入分 681,381m3/ 日 (77.3%)
( 万人 ) 160
阪神水道企業団 (74.1%) 琵琶湖・淀川
150
250
140 人口推移
200
130
150
水需要の推移
120
Site. 布 引 五本 松 堰 堤
100
110 1日当たりの 全体供給能力 881,381m3/ 日
布引ハ ー ブ園
( 百万 m3/ 年 ) 300
50 65
19
70
75
80
85
90
95
20
00
05
10
15
20
25
30
35
0
Sh in-Ko be
人口:総務省 国勢調査:日本の市区町村別将来推計人口 神戸市水道局:神戸市水道ビジョン 2017、平成 27 年4月
新神戸
水需要:神戸市水道局:神戸市水道ビジョン 2017
Sa nn om iy a
三宮
(b.3-1)全国のダム事情と布引ダム改修工事 (2005 年実施 ) にみる維持管理の継続の困難性
・全国的な社会問題として
布引 五本 松堰堤 ( 布引ダム ) 地方の人口減少に伴う税収の減少
浚渫による発生土砂の処分方法
兵庫県神戸市中央区 ダム形式 河川 / 水系
・布引ダム改修工事 (05 年 )
着工年 / 竣工年
にみられる事実として
用途
27.4 億 ( 当時の金額 )*2
神戸・ポートアイランド第Ⅱ期整備の
工事用トンネルの建設・浚渫・補強工事
埋め立て土砂として
生田川 / 生田川水系 1897 年 /1900 年 上水道用水
事業主体
神戸市
堤高
33.3 m
堤頂長 堤体積
浚渫工事はダムの維持管理として数十年に1度の実施が必要となり、その費用は税収の減少が問題となっている地方自治体では特に、
流域面積
その継続が社会問題となっている。更には、浚渫によって発生した土砂の運搬や処分方法などの問題も大きな負担となっている。
湛水面積
*2;神戸市水道局:「布引水源地水道施設記録紙」より参照
重力式コンクリートダム
総貯水容量 有効貯水容量
110.3 m
22,000 m 3 10.7 km 2 4.8 ha
417,000 m 3 417,000 m 3
b.4 「六甲山系とグリーンインフラ」 エネルギー源が薪であった産業革命以前、木材の過伐採により六甲山系は「はげ山」化した。 森林が担保していた治水能力が失われ、六甲山系での土砂崩れ等の災害は増加した。今日の 六甲山の緑は、明治期の砂防事業として植林されたものである。 自然のもつ力を見直す、近年注目される「グリーンインフラ」と共通するところがある。
b.5 「近代化土木遺産の保存のあり方」
・近代化遺産 … 「日本の近代化に貢献してきた産業・交通・土木に関わる建造物」 (文化庁) 必ずしも、文化財の完全保護を目的とするものではなく、「いかに使い続けていくか」とい う再生・再利用の発想も求められている。 建築分野では、当時の様子を伝える貴重な財産として、 「役目を終えた」産業遺構を違う用 途で再び利用する「コンバージョン」も行われている。ダムを始めとする、土木構造物は、 規模が大きいこと、代替、更新が容易ではないことからそうした提案が行われることは国内 では皆無であった。 しかし、近代化の立役者である土木構造物が、各地で「負の遺産」状態化していくことを 無視することはできない。
横浜赤レンガ倉庫
KIITO( デザインクリエイティブセンター神戸 )
港湾倉庫 → 観光施設
生糸検査所 → デザイン・芸術拠点施設
「外国から神戸に来航する船員は、ここで『布引の水』を積み込むことを楽しみにし ていた。なぜなら、この水は長い航海の間も腐ることがなく、うまかったからである。」 司馬遼太郎『街道をゆく』より
布引の 滝のしらいと なつくれは
久かたの 天津乙女の 夏衣
絶えすそ人の 山ちたつぬる
雲井にさらす 布引のたき
藤原定家
藤原有家
『伊勢物語』、『栄花物語』…。 平安時代から現代に至るまで、数十もの名歌、文学作品の舞台となった。
c
提案 c.1 「100 年の貯水の終了、湿地化」 需要の低下に伴い上水道用ダムとしての機能が終了したとき、近代化土木遺産の新たな余生が始まる。 100 年以上、水を堰き止めた堤体に穴をあけ、貯水を終了する。 湛水域周囲一帯に湿地化整備を行い、これまでダムが担保していた治水能力を引き継ぐ。表れた地表には次第に植生が繁殖し、風景は変容してゆく。
「はげ山」 からの 緑
/
1900 年
湛水域 /
WL=210.5M
六 甲 山 系 は 江 戸 時代 の 過 伐 採 に よ る 土 砂 災 害 の 増 加を受け、
周囲 6 0 0 Mの人工的な水面は
砂 防 対 策 と し て 植林 事 業 に よ っ て 作 ら れ た 人 工 林 である。
100 年以上自然の中に存在し続けてきた。
緑 に よ るイ ン フ ラ を 具 体 化 し た 環 境 で あ る。
貯水 の 終了 /
湿地への転生
堤 体 に 穴を あ け 、 貯 水 を終 了 し 、 一 帯を 湿 地化 整 備 す る。 ダ ム が 果た し て い た 治 水 機能 を 引 継ぎ 、 グ リ ー ンイ ン フ ラ へ の 転 換が 果 た さ れ る。
研究拠点 会議場、情報ライブラリー、研究所、 展望塔、カフェスペース等
ミュージアム
観光拠点 レストラン、温泉スパ、ショップ、 ラウンジ、宿泊室
「プログラム」 堤体
都市から人々をこの地に呼び込む「観光拠点」、グリーンインフラへの転換の象徴の場と して「研究拠点」 、 そして 100 年以上続いたこの地、このダムの記憶をメモリアルする「ミュー ジアム」を計画する。
c.2 「都市から人々を誘う」 これまでの山と神戸の都市の関係は、山が人々の都市生活を支えるために必要となるものを都市へ供給し続ける、という一方向的なインフラであった。 かつてはエネルギー源、薪を都市へと送り、やがて水を送る。山と都市は、生活のなかで確かに関係を繋いでいた。
ダムの役目が終わったとき、この縁が絶たれ、隣り合う都市と山が分断されるのを防ぐため、都市から人々を誘う。 堤体は、都市とこの地をつなぐ「門」に変わる。
都市からやってきた人々は、このダムの跡を巡り、この時間が止まった土木遺産と日常の都市の縁を想い、変わらず絶えず流れ続ける水とともに都市へと還っ ていくのである。
100 年以上、水を堰き止め、この地に人工的な水面、風景を創り出して いたコンクリートの堤体は、都市とこの地をつなぐ「門」に変わる。
訪れた人々は、初めにこの堤体と向き合う。
配置計画
水盤へと導く水系に沿うように巡路が続く。
湛水域、かつての水の高さを記憶する、 ランドスケープ。
Ⅲ. ランドスケープ
ラウンジ、宿泊室
レストラン、温泉スパ、ショップ、
Ⅰ. 観光拠点
会議場、情報ライブラリー、研究所、 展望塔、カフェスペース等
Ⅱ. 研究拠点
2 軸の交点であり、この地の中心となる点を、ミュージアムのクライマックスとして、集中させる。
2 軸目は、神戸において山と海、山と都市を貫く、南北軸である。
1 軸目は、この地の象徴である「堤体」に直交する軸。
2 つの軸を強調する。
c.3
ダムの象徴である堤体に対して直交する軸
直交 軸
人々は、この門をくぐって、また、 都市へと還っていく。
日常・都市から訪れた人々に対峙し、
100 年以上水を堰き止め、風景を創っていた堤体は、 都市とこの地を結ぶ「門」へと生まれ変わる。
Ⅴ. 堤体
南北 軸
N
神戸において山と海、山と都市をつなぐ軸
風景を記憶する水面高さの水盤、 中心点へとアプローチする直階段、 落ちる水を軸に螺旋状に続く展示空間、 保存された湖底の地表に立ち、水面を見上げる空間。
Ⅳ. ミュージアム
Ⅰ.
観光拠点
レストラン、温泉スパ、ショップ、 ラウンジ、宿泊室
ウッドデッキ
レストラン ショップ 風除室
レストラン
宿泊室 ( ツインルーム 6 室 )
温泉スパ
オーディトリアム 宿泊室 ( メゾネットタイプ 6 室 )
+212M Plan
温泉スパ
レストラン
機械室
ウッドデッキ 更衣室
機械室
更衣室
レストラン ラウンジ
オーディトリアム オーディトリアム
宿泊
(メゾネットタイプ)
宿泊
(ツインタイプ)
+208M Plan
+204M Plan
Ⅱ.
展望塔
研究拠点
会議場、情報ライブラリー、研究所、 展望塔、カフェスペース等
軸上で堤体、その向こうに都市を臨む
カフェスペース
ワークスペース グリーンインフラの研究拠点
オーディトリアム 発表会などの目的に使用される
情報ライブラリー 人々が研究に触れる場となる
ダムから湿地、グレーインフラからグリーンインフラ への転換の象徴として、研究拠点を整備する。 市民が研究と関わることのできる、ライブラリーや オーディトリアムなどを内包する。
オーディトリアム
ROOF PLAN
カフェスペース
情報ライブラリー
オーディトリアム
テラス
1F Plan
2F Plan
3F Plan
4F Plan
Ⅲ.
ランドスケープ
湛水域、かつての水の高さを記憶する、 ランドスケープ。 水盤へと導く水系に沿うように巡路が続く。
展望塔
カフェスペース オーディトリアム
情報ライブラリー
レストラン 温泉スパ
0
10
20
40
60
100
(m)
堤体直交軸 断面図
湿地化した一帯を巡る湛水域の巡路を進む。
ミュージアム
堤体
Ⅳ.
ミュージアム
風景を記憶する水面高さの水盤、 中心点へとアプローチする直階段、 落ちる水を軸に螺旋状に続く展示空間、 保存された湖底の地表に立ち、水面を見上げる空間。
ROOF PLAN S=1/250
Ⅳ-1
風景の記憶「湛水域の水盤」 1900 年から、常時満水位 210.5M の人工的な水面が創り出していた 100 年の風景を残す水盤。
かつての水の高さに創られた水盤に、堤体、周囲の緑が映る。
ROOF PLAN
Ⅳ-2
中心点へのアプローチ
Ⅳ-3
パンチングメタル
神戸の南北軸に従う 2 つの壁に挟まれた階段を下り
中心部の逆円錐台形のミュージアムを孔径の変化するパンチング
ていきながら、中心点へとアプローチする。水面の記
メタルのファサードが囲む。下降するにつれ、徐々に孔径を小さく
憶の環からの水面の中心点への突入を強調する。
変化させていくことで、最下層部のクライマックスに向け、人々の 視線を中心へと集中させる。
中心点へと向かうアプローチ。
中心点の円形孔。
周囲を囲むパンチングファサード。
n
dow
+201M PLAN
Ⅳ-4
ダム湖の地形がつくる空間
ダム湖特有の急斜面の高低差を利用し、露出した地表を体験する。 上部の水盤の水が地表をつたって流れ、水槽に溜まり、また、中心 部へと流れ出る。
水がダム湖の地表をつたって水槽に溜まる。
水は、ミュージアムの中心点へと向かう。
。
+195M PLAN
Ⅳ-5
螺旋状に続く展示空間
+192M PLAN
Ⅳ-6
展示計画
円形孔から落ちる糸のような水を軸として、
ダム湖特有の急斜面の高低差を利用し、露
展示空間が螺旋状に続く。人々は螺旋を下降
出した地表を体験する。上部の水盤の水が地
していきながら、最下層部のクライマックス
表をつたって流れ、水槽に溜まり、また、中
へと向かう。
心部へと流れ出る。
常設展示
Literature Museum / 文学の記憶
企画展示
布引の地及び、属する生田川水系は古くから景勝地であり、あらゆる古歌・文学作品の舞台となっていた。
Nunobiki & Ikuta River-History Museum / 布引・生田川の記憶 WL Museum / 水面高さ (Water-level) の記憶 GL Museum / 地表面 (Ground-level) の記憶 Civil-Heritage Museum / 土木遺産の記憶 Kobe-History Museum / 神戸の近代化の記憶 Special Exhibitions / 特別企画展
時節によって変わるイベント・企画展を開催する。
展示内容は、6 つの常設展示と、時節によって変わる企画展示によって構成される。
落ちる水を軸に螺旋状の展示空間が続く。
湛水域高さの水盤 かつての水面高さに配置され、100 年続いた、 水面に映る堤体、周囲の自然という「風景」を遺す。
水槽
do
w
n
かつての湖底の地表の保存
円形孔
展示空間 落ちる水を臨むステージ。 down
+189M PLAN カフェスペース
かつての湖底の地表に立ち、頭上の水面を見上げる。 100 年続いた現象を思い知る。
0
5
10
20
30
50
(m)
ミュージアム 断面図
Ⅴ. 堤体 100 年以上水を堰き止め、風景を創っていた堤体は、 都市とこの地を結ぶ「門」へと生まれ変わる。 日常・都市から訪れた人々に対峙し、人々は、 この門をくぐって、また、都市へと還っていく。
堤体部 断面構成
堤体に開けられた穴は、湿地の水位変化によって様々な表情を見せる。 重力式コンクリートダムの、コンクリートの充填された土木構造物の 壮大なスケール感によって、人々に、都市を支えたコンクリート構造物 の命を印象づける。 この門を通って人々は流れる水とともに、また、日常・都市へと還っ ていく。
SDL160066
d
終章
建築がそうでないように、土木も永遠ではない。 100 年を超えた風景も、やがては終わりを告げる。 神戸の特別な歴史のなかで生きてきたこの土木遺産が、 これから新たな歴史のなかで生まれ変わっていく。 人々がこの地を訪れ、過去を見つめなおし、 また都市へと還っていく。 都市との間で新たな縁が結ばれる。
私は、神戸に生まれ、今日までの 22 年間を神戸で過ごしてきました。 「布引ダム」を初めて訪れたのは、小学校高学年の秋の校外学習であったと記憶しています。 以来、数年に一度この地に訪れるようになり、私が愛する神戸のなかでも思い入れのある場所です。 自然の谷の間に突然、巨大な構造物、そして水平な水面が現れる。 この現象に対する感動を表す言葉は今でも見つかりません。 この場所が永遠に残るために、この場所が神戸と人々にとって特別な場所になるように。 私は卒業設計として、その答えを追い求めました。
神戸・布引ダムの転生