人工物は進化しない Artifacts do not evolve 松井実1) 小野健太2) 渡邉誠2) Matsui Minoru 1) Ono Kenta 2) Watanabe Makoto 2) 千葉大学大学院1) 千葉大学2)
Abstract : Artifacts do not evolve while design and design strategy do. From double inheritance theory via memetics to evolutionary economics, various theories constructed by the means of universal darwinism are introduced. What drives artifacts to change form throughout time is the group of genetic, hierarchically higher dominant mechanisms. Considering
Lamarckian form of feedback loop as active and conscious, Darwinistic feedback loop reveals larger scale ecosystems where stronger, more stable design strategies consume our resources, namely ourselves.
Key Word : Universal Darwinism, Memetics, Evolution 1.
ヒトと設計:二重相続理論
文化なしには人類は存在しない.文化が人類を定義し,文 化的であることがあなたを人間たらしめる.
昧にする.エピジェネティクスなどをのぞき垂直方向の伝播 を基本とする遺伝的な進化とはちがい,ネットワーク的な水 平方向の伝播を考慮しなければいけない文化の進化は形質自
二重相続理論は人間の文化が人間の遺伝子を,人間の遺伝
体が次の形質を励起するフィードバックを持ち込む.これを
子が人間の文化を影響するという観点から分野横断的に捉え
ラマルク的な意図的な教化(学習とも)とするか,それとも
る理論である.武器の進化は人類の肩を進化させた.石器が
あくまで普遍ダーウィニズムの一環として選択圧と考えるか
進化するにつれ,石器をより上手に製造できるように我々の
は主要な論点となっている.以下に 3 つの異なるスケールを
手首は進化した.牛乳を飲んでお腹を壊す日本人は西洋人に
伴ったアプローチを俯瞰し,設計の進化との関連を考えよう.
比べて多い.これは乳糖不耐症とよばれ,文化的に酪農の歴
進化経済学的アプローチ.進化経済学では遺伝子に相当す
史の長い地域では乳糖耐性をもたせる遺伝子型が広く観察さ
るものとしてルーティンという概念を採用する [ 渡部 2000].
れる.設計は人類の遺伝子に影響をおよぼしうるし,その影 響が更なる設計の進歩に影響をおよぼすだろう. 2.
脳と設計:ミーム学
遺伝子の進化は進化生物学にまかせるとして,文化はほん
組織内でのルーティンが組織的記憶として記録,貯蔵される. 変異にあたるものが探索 search である.法人にとって業績が 落ちてきたと感じられるときに研究開発などで代替案を探る
なり異なるルーティンを探るなりする.自然選択圧は市場競
とうに進化するのだろうか.もしするのだとしたら,どのよ
争のアナロジーで説明される.
うに進化するのだろうか. 人工物が文化的な遺産であるからには,設計はミーム学の範
用がみえてくる.上記の個体としての組織の群が採用する戦
疇といえよう.たとえば料理のレシピはミームの完璧な例であ
略が,市場競争でいかな利得をもたらすか,またその結果い
る.我々はそれを模倣し改変し他のレシピと結合させる.ミー
かなバランスで安定するかをモデリングできる.進化的に安
ムを飽くまで脳内の回路と捉えるか,それとも計算機や人工物
定な戦略 Evolutionary Stable Strategy や集団安定性 Collective
に付帯する情報まで拡張するかは議論のわかれるところだが, ひとまずここでは設計の手順と設計の理念という脳どうしでの 情報のやりとりにのみ着目しよう.ここで設計の手順とし,設 計物としなかったのは,設計物は「設計された」対象であるの に対し,設計の手順はその実現を目指した思念であるからだ.
3.
進化学アナロジーの概略
進化経済学や進化心理学は遺伝子の進化のメカニズムを他
つぎに少しスケールを拡大すると,進化ゲーム理論の援
Stability の概念により,いわば「ぽっと出」の起業集団が既 存の組織に対抗できるかについて論じることができる.
さらに大きなスケールで考えれば,生物学 biology から生
態学 ecology へのスケールアップと同時に,こういった組織
のアナロジーの援用になるだろう.進化生態学的アプローチ である.個々体の考察をはなれ,集団 population の集合的な
分布を論じる.そして淘汰圧を生き残るのは「信頼性と責任」
の分野に拡張し適用している.組織や制度の進化(もしする
によるものであるとするので,ブランディング戦略との関連
として)が生物学的な有機体の進化とのメカニズムと同値の
までみえてくるだろう.
ム理論や進化経済学のアプローチでの主要な問題となる.模
4. 文化の進化はラマルク的か 前に述べたように,ラマルク主義を採用するか否かは経済や
倣や突然変異,自然選択の作用が経済や心理のメカニズムと
心理,また人工物など遺伝子に対応するような頑強で安定な伝
して採用し,より合理的な説明を与えようとする点で共通す
承メカニズムがない事象を対象とする場合大きな問題となる.
る.特徴的なのは,形質そのものが遺伝子型となる導かれた
科学的知識の進化過程は問題の暫定的解決と,そこからの誤り
変異 guided variation の導入だ.20 世紀初頭には息絶えたは
排除,排除後にまた新たに生まれる問題,というフィードバッ
ずのラマルキズムはここにきて息を吹き返したようにおもえ
クループが考えられる.生物学的な有機体の進化が問題を解決
る.その要因はミームの更新速度だ.生命のような先天的・
「しているようにみえる」現象を,客体(学習したもの,たと
後天的な形質の獲得の差を本質的にもたない連続的な進化の
えば変異した生物個体)と主体(学習させるもの,例えば環境
構造が,形質とそれを発現させた遺伝子型との因果関係を曖
変化)による学習として説明する.逆に主体(個体)の「解決
もの,またはそのアナロジーで説明できるか否かは進化ゲー
したい」とか「よりよくなりたい」という意思による学習がラ
アを下落させ,遂には絶滅させることもある.しかし人工物は
マルキズム的な学習といえる.これらは両立しうるか,または
あくまで設計にとっての乗り物,肉体,形質であり,設計その
ダーウィニズムが包含できるものだと渡部 [2000] はまとめて
ものではない.生物にとっての遺伝子と遺伝形質の関係と同じ
いる.乱暴にいえば,ラマルキズムにおける適応的学習は「発
である.人工物にとっての遺伝子は設計理念ではないだろうか.
見的 heuristic な学習能力が高く,意識的に正しい道を選ぶ優秀
「強くつくりたい」 「たくさんつくりたい」など.これらの得,
なものが勝つ」のであり,ダーウィニズムにおける環境による
価値は遺伝子と同じように頑丈で長期間変化しないが,時代を
強制的な学習は「学習せず適応しなかったものが負け,本人の
経るにつれ確実に変質する.
意思にかかわらず適応してしまったものが生き残る」のである.
ミームの進化は劇的で高速である.人工物の変化もめまぐる
ダーウィニズムが文化の進化とそぐわないと考えられるのは文
しく,またそれを後押しする技術革新や適応価の更新も生物的
化の進化に指向性があるように思えるからだが,指向される「文
な遺伝とは比べ物にならない.設計の変更は日夜行われるが,
化的理想」もまたそれの進化の結果であると考える.
設計理念はそこまでではない.「優れた戦略は自身に似た,少
5. 設計と設計:境界の問題 設計の進化を考える際,個体の定義と,生物における種分化
し違う突然変異種の発生に脅かされない」という遺伝的に安定
のようなクラスの考察は避けて通れない.複雑な機構をもつ人
全力で走り続けなければならない」が示すとおり,獲得した製
工物,例えばスマートフォンは,数々の性能=形質を実現する
品ニッチを維持するには製品は他の競争相手にたいして優位な
ための無数の部品と,それをはるかに上回る無数の設計理念に
適応価を維持しなければいけない.設計理念はほとんど変化し
より生まれている.部品ひとつひとつは彼らだけでも売買され
ないが時折変異し,時間が経つにつれ選択,淘汰されるという
ているのだし,経済ニッチを占有しているからには製品と捉え
基本的な進化のメカニズムを持っている.
なければならない.さらには部品の素材ひとつひとつも製品と みなせる.経済複雑性指標は巨大で複雑な,例えば国家のよう
8. まとめ:設計させられる設計者,設計させる設計理念 本論の中盤で組織の学習の主体と客体を問うた.ダーウィニ
な経済システムの複雑さを測る指標であり,複雑性経済学から
ズムに則って考える限り, 「学んでいるのではなく手痛い経験
派生している.そのサブ指標である製品複雑性指標は遍在性の
から全体としてみると学んでいる」という構図はどんな切り取
低さとその製造に必要な知識の量を推し測ることができる.そ
り方をしても同じはないかと考える.個々人の設計者も,設計
れに則ればメタクリル樹脂のような一般的には素材として捉え
者に設計させるデザイン室も企業でも同じである. 「儲かる」 「楽
られ「デザインされていない」人工物が極めて高い複雑性をもっ
しい」「褒められる」「他社と差をつけられる」などありとあら
ていることがわかる.
ゆる適応価に支えられて,より優れた設計と設計理念を思いつ
道具はエピジェネティックな臓器で,人体の拡張である.人
な戦略(ESS)の説明,赤の女王仮説「その場にとどまるには,
くために,それら自身にドライヴされ,ライオンにとってトム
工物と人間のあいだに「ここに人工物おわり人体はじまる」と
ソンガゼルのタンパク質が資源であるのと全く同様に,健康,
いう標識はどこにも見当たらないし,どこにたててもよい(切
労働時間,オフィススペース,設備など色々な資源を費やさせ
断の任意性) .だから複雑な人工物は一個体というよりもそれ
られている,という構図が浮かび上がってくる.設計「される」
らの複合体であり,ネットワークとしての性質をもち,様々な
のは人工物であっても,設計「させられている」のは設計者で,
分化した種が共生している.動物に見られるようなそれぞれの
設計「させる」のは「より優れた設計や設計理念そのもの」だ.
機能に分化した細胞というよりも,サンゴ礁のような生態系そ
無から有を生み出しているのではなく,地球がはじまった時点
のものが生態としてみなせる構造がみられる.
でわずかながら生命が,たとえば人類が誕生する確率があった
6. 人工物は進化しない 生物学が科学の一分野として成立した 19 世紀よりこのかた,
ように,まだ想起されておらず重要視されていなくても 0 と 1
生物学的なアナロジーの援用はデザイン論において蔓延してい
に,設計者は宙に浮かんでいるありうべき理念 idea の組合せを
る [Steadman, 2008:xv].例えば Petrosky[2010] はのどかに日用
思いつくように仕向けられ,それを広め,より適応価のある他
品そのものの進化を説き,Steadman[2008] もまたリヴァースら
の理念と組合せたりして,世に出すように仕向けられる.そこ
多数の考古学的な人工物の進化を紹介するが,そもそも「人の
にはあなたの脳が新たな価値を生み出す創造行為はなく,資源
手のかかっていない」物体,例えば波により削られた岩と,人
としてのあなただけがある.
の手により削られた人工物を分け隔てるものはないので,前者
9.
もまた進化であるといわなければならなくなる.人工物は進化
Steadman, Philip. The Evolution of Designs. Taylor & Francis e-Library, 2008 渡部直樹.2 つの進化論と組織行動,ダーウィニズムとラマルク主義 . 三 田商学研究.鈴木清之輔教授追悼号.2000. p.31-50. Petrosky, Henry. フ ォ ー ク の 歯 は な ぜ 四 本 に な っ た か. 平 凡 社,2010. 480p.
しない.進化が起こりうるとすれば,人工物をつくる知識とし ての技術と意志である.
7. 設計理念と設計:何が競争しているのか? 「優れた」人工物は他の類似の「劣った」人工物の市場シェ
の間にはありとあらゆる組合せの数字をもった小数があるよう
参考文献