英語の時制 ローラ・ミヒャエリス Laura A. Michaelis, "Tense in English," in Bas Aarts & April M. S. McMahon (eds.)
The Handbook of English Linguistics, Blackwell, 2006, pp. 220-243
1 導入 Introduction 人間は時間を捉えるときに空間の用語=観点を利用する.時間の関係を語るときに私 たちがつかう言葉にみられるとおりだ:私たちは普段,活動を「引き延ばす」(streching out)
とか「縮める」(compressing) と言ったり,未来に「向かう」(heading toward) とか過
去に「戻る」(return) と言ったりする(Whorf 1956; Lakoff and Johnson 1980; Binnick 1991: ch (1)) .時制の意味を記述するとき,これまで言語学者がとくにたよりにしてきた時
間‐空間の類推がある:それは時間軸 (TIMELINE) だ.時間軸とは両端が閉じていな い直線(または同じことだけれども点の順序集合)で,3 つの部分に分けられる:過 去・現在・未来の 3 つだ.時間軸上の点は時間そのものの場合もあれば,その時間 に結びついた事象の場合もある.時間軸上の点どうしにはいろいろな関係があって, 私たちはそれを記述できるけれども,時制の関係として記述できるのはたったひと つのタイプだけだ:それは,その発話
(linguistic act)
が起きている時間を含むような
関係だ.Lyons (1977: 682) が述べているように,「時制に関して(…)決定的に大 事なことは,直示的な範疇だという点である.このため,時制のある命題はたんに 時間に縛られているだけではなく(…)発話のゼロポイントによってしか同定でき ない時点や期間を指示できない.」 記述される状況と発話時の関係は,過去時制のように直接的な絶対時制 (ABSOLUTE TENSE)
の場合もあれば,未来完了のように間接的な相対時制 (RELATIVE TENSE) の場合
もある.たとえば未来完了の I will have left [by the time you read this letter]〔キ ミがこの手紙を読むときにはぼくはもう立ち去っている〕では,発話時に対して未来にひと
つの時点(手紙が読まれる時点)があって,その時点からみて立ち去る出来事は過去 にある.発話の‘いま‐ここ’に投錨する言語の参照点はみんなそうだけれども, 時間のゼロポイントもまた,しかるべき条件のもとでは話したり書いたりしている 1
時点とは別の時点に同定されることもある.そういう場合の例をひとつあげると, 書き手がメッセージをつくる時点ではなくメッセージを解釈する時点をゼロポイン トにすることがある(Declerck 1991: 15).たとえば,「ホールの向かいにいます」と いう書き置きを残すときに I will be across the hall と言わずに I'm across the hall を選んだりする.時間のゼロポイントの移行は時間・条件どちらの従属節でも 起きる.たとえば When/if you have finished your test, [raise your hand]〔テスト が終わったら/終わったときは[手を挙げてください]〕という具合だ.この例では,参照
点は発話時ではなくて(仮定の)未来時におかれているにもかかわらず,現在完了 の述定が使われている(McCawley 1981). このように時間のゼロポイントの‘位置づけ’について語っているとき,言うま でもなく私たちは時間‐空間の類推を用いている.しかし,ゼロポイントが時間の ランドマークであるとして,それに対して位置づけられているのは何だろうか? Comrie (1985: 14) が言うには,「時制は状況を位置づける.その位置は,現在と同 時(…)であるか,現在に先立つか,現在に後続するかのいづれかである」 この定 義は空間‐時間の類推に訴えていて明快だ.しかし,じつのところ,時制が「状況 を位置づける」かどうかを疑う理由はある.もし当該の状況が出来事なら,これは たしかに正しい.たとえば,(1a) のような過去時制の文ではタクシー乗車が発話時 x の以前に位置づけられる.しかし,(1b) のような状態を述定する過去時制の文では,
状況は同じように位置づけられているだろうか? (1) a. I took a cab back to the hotel. 〔タクシーに乗ってホテルに帰った〕 b. The cab driver was Latvian. 〔タクシーの運転手はラトヴィア人だった〕 話し手が (1a) に続けて (1b) を断定したとしよう.このとき,まともな聞き手なら 「その運転手はいまでもラトヴィア人かい」なんて聞いたりはしない.これはおそ らく,乗車の後にラトヴィア国籍が変わってしまうなんてことはきわめてありそう にないためだろう.そうすると,どうして (1b) の話し手は運転手のラトヴィア国 籍を過去に「位置づけた」のだろう? その答えは,ドイツの論理学者 Hans Reichenbach が 50 年以上も前に提示してくれている.それによると,時制は記述 される事態と時間のゼロポイントの関係を表すものではない.そうではなくて,時 制は発話時とある期間の関係を表すのだ.この期間を Reichenbach は参照時 (reference time; R)
これを発話時
と呼ぶ.原則として,参照時は発話時ともちがうし(Reichenbach は
(SPEECH TIME)
または S と呼ぶ),話し手が記述している状況の時間とも
ちがう(Reichenbach はこれを事象時 (EVENT TIME) または E と呼ぶ).Klein (1992: 535) によると,参照時は「あるときにそれについて主張がなされている時間」のこ とだ.たとえば (1a) では R は話し手・聞き手がともに同定できる特定の過去時と
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なっている.他方,(1b) では R は (1a) で確立された時間となっている:つまり, タクシー乗車の時間だ.この (1b) からわかるのは,話し手が過去時制の状態文を 確言するとき,その状態が成立している全期間のうち一部だけについて,それが話 し手・聞き手双方の考えている期間に一致していると彼/彼女は主張しているとい うことだ.後のセクションで,参照時の概念とそれが過去完了のような相対時制に おいて果たす役割,それから出来事と状態という 2 つの基本的な状況タイプにこれ がどう関わっているかについて,さらにくわしく考察する. ここまでの議論で,さらにもうひとつの疑わしい前提に言及しておいた──それ は,相
(aspect)
を参照しなくても時制を分析できるという前提だ.たしかに,Comrie
(1985: 6-7) が観察しているとおり,これら 2 つは概念的に分離できる:相は状況の 内的な時間構造(e.g., 変化が含まれているかどうかなど)に関わり,発話時に対する 時間軸上での状況の位置には関わらない.時制と相が意味的に別物だという考え方 は,英語の動詞形態論の構成的モデルで基本となっている.たとえば Klein (1992) がそうだ.こうした説明は,意味解釈の要素はそれぞれに異なる形態・統語的な要 素に結びついていると仮定している.たとえば,現在進行形のような迂言的形式に は,時制の要素(定形の助動詞が表す)と相の要素(現在分詞補部が表す)があると 分析される.時制と相が分離できることは,Herwig (1991) のような時間関係への 論理的アプローチでも仮定されている.このアプローチでは時制は相演算子を作用
域に含む演算子として表示され,その相演算子は述語‐項の複合すなわち時制なき 命題(e.g., I take- a cab back to the hotel)を作用域に含んでいるとされる.しかし, すでにみておいたように,状態と出来事では,それが成り立つと主張されている参 照時との関係が異なっている.このことから,時制と相は「(…)密接に関連してお り,さまざまな相互作用をする」のだと考えられる(Hornstein 1991: 9). そうした相互作用のひとつを Comrie (1985: 7) が観察している:「多くの言語に は時間上の位置と内的な時間構造の両方を特定する形式がある.たとえばスペイン 語の hable は完結相と過去時制を兼ねている.」 ここで Comrie は,De Swart (1998) の記述した相感応性 (ASPECT SENSITIVITY) を例示している:時制は特定の相ク ラスを選択することがあるのだ.たとえばスペイン語の完結的過去は出来事や過程 のクラスを喚起する.一般に相感応性を例示するときにはロマンス系諸言語の完結 的過去と非完結的過去(半過去)が引き合いに出されるけれども,英語にも相感応 性を示す時制はみつかる.その中でも英語の現在時制は相クラスセレクタであり, そ の用法の多 くがこの特 性に由来し ていること をあとでみ ることにし よう . Langacker (1991: 259-60),Smith (1997: 110-12) などが観察しているように,現 在(あるいは Langacker の言い方では発語の出来事
(event of speaking))は瞬時として
捉えられている.出来事には均質でない内部構造がある(異なる下位フェイズがあ
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る).このため,出来事が起きるのには時間がかかる.したがって,任意のタイプの 出来事について,その出来事が展開していく時間のうちほんの一瞬にしかアクセス できない場合には,その出来事の成立を確証できない.それに対し,状態は実質的 に無時間的
(atemporal)
だ(Bach 1986) :ある状態がほんの一瞬でも成り立っていれば,
それに基づいてその状態の成立を確証できる.このことから,現在時制は意味的に 状態述語としか両立しないことが帰結する.しかし,この説明は現に (2)-(3) のよ うに出来事動詞も現在時制で現れる事実を説明しない: (2) The flight arrives at noon. 〔この便は正午に到着する〕 (3) My sister walks to work. 〔私の妹は歩いて通勤している〕 確実に,飛行機の到着も妹の徒歩通勤も,発話時に重なっていないと間違った確言 になってしまうわけではない.したがって,こういった例からは,現在時制には発 話時において進行中の状況を報告する以外の機能があるのがうかがえる.じっさい, 英語の時制の研究者たちはそうみている(この議論については Kučera 1978; Binnick 1991: 247-51; および Dahl 1995 を参照).しかし,第 3 節でみるように,例 (2-3) が
示している機能の分析には,現在時制が状態のクラスを選択するという仮定と両立 するものもある.この見解によれば,(2) のような「予定された未来」の現在時制の
述定も (3) のような総称的な現在時制の述定も,ともに強制 (COERCION) あるいはこ れと同等だが暗示的なタイプ変換
(implicit TYPE SHIFT)
の産物だということになる(De
Swart 1998; Jackendoff 1999).強制を説明するには,英語の名詞的表現にこれが適用
されているのを例にとるのがいいだろう.不定冠詞のような英語の限定詞は,an apple にみられるように,加算の実体を明示する名詞を選択する.しかし,不定冠 詞が結合した名詞類が境界のある実体ではなく質量を明示するものだった場合,不 定冠詞はその実体を境界でとじた一定の量として解釈するよう強いる.たとえば a wine の場合,それが明示するのはある量のワインまたはワインの1種類となる.い まの例にみられるように,こういった場合には,文法標識の意味的要請によって, それと結合した単語の内在的意味特性が取り消され,その結果として単語の明示内 容に変換が生じる.これと同様に,状態セレクタとしての現在時制は,それと結合 したどんな動的動詞にも状態としての解釈を押しつける.これにより動詞とそれに 結合したこの屈折との意味的衝突が解消されるのだ.後ほどみるように,現在時制 述定の未来読みや総称読みはこの強制メカニズムの産物として分析できる. 意味的に相互作用するのに加えて,任意の文法的構文において時制と相の具現形 どうしも英語の時間指示システム内で相互作用する:相の構文は時制の屈折と同じ 基本的な時間関係を表す場合がある.こうした重複については第 4 節で論じよう. 英語の現在完了構文,たとえば We've lost out lease のようなものは,そうした機
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能の重複の例として悪名高い.論者たちは英語の完了構文について意見の一致をみ ていない.時制と分析する論者もいれば,相と分析する論者もいる(この議論には, Fenn 1987; Declerck 1991: 10-13; Klein 1992; および本書収録の Binnick §3.1 を参 照).しかしながら,このあとみるように,完了形は相の構文,それも特に状態化の
構文とみなすべき理由がある(Herweg 1991).この機能は,完了形の歴史を反映して いる:完了形は古英語において動詞の直接目的語と一致する受動態の分詞を含む結 果構文として出現した.それ以降の再分析をとおして,この分詞はその主語が指示 する個体の作用を述定するものとして捉えられるに至った(Bybee et al. 1994; Hopper and Traugott 1993: 57-8).現在完了と過去時制が同義になったのは,このときだ:
McCawley (1981) が指摘するとおり,過去完了を「過去における過去」の形式と呼 ぶのは理のあることではあるが,現在完了を「現在における過去」と呼んでみても それほど意味をなさない.単純過去時制もまさしくそうだからだ.同様に,完了を 相対時制と呼ぶのも適切ではない.なぜなら,現在完了が符号化している時間関係 は単純過去のそれと同じ,発話時に出来事が先行するという関係だからだ.このよ うに,単純過去と現在完了は意味論の水準では区別がつけられないようにみえる. これに代えて Slobin (1994) と Michaelis (1998: ch. 5) はともに,過去時を指示す るこれら 2 つの形式はその使用の条件によって区別されると論じる.この談話‐語 用論的な分業が発達したことで,2 つの類似した構文が区別されるのだ. 相の構文がその相特性をなくさないまま時制として機能することがあるというさ らなる証拠は,いわゆる英語の未来時制から得られる.法動詞 will を主要部とする 迂言的な構文が未来時制にあたる.Binnick (1991: 251-2) や Hornstein (1991: 19-20) を含めて多くの研究者たちが,英語の法助動詞の未来は副詞との共起パター ンからみて未来時指示でなくむしろ現在時指示だと論じてきた.このことから,英 語の法助動詞で未来を表す文は実のところ現在時制の状態述定だという結論が出て くる.第 4 節でみるように,英語の法助動詞の未来に関するこの分析は,第 3 節で 発展させる現在時制の分析と考え合わせると,英語の時制体系を記述する上で大き な含意をもつこととなる:この体系は,多くの学者(e.g., Comrie 1985; Van Valin and LaPolla 1997)が仮定しているように過去-非過去の区分に基づいているのではなく,
実は過去と現在の対立に基づいていることになるのだ.
2. 参照時 Reference Time Reichenbach (1947) の時制モデルが宿していた主な洞察は,どの時制の意味もさき ほど言及した 3 つの時点 E, R, S の連なりとして表示できる,というものだ. Reichenbach の表示では,これらの時点は下線またはカンマで区切られる.下線は
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左の点が右の点に先行することを示すのに使い,カンマは 2 つの時点が同じである こと(i.e., どちらが先立つわけでもないこと)を示すのに使う.単純時制──過去・ 現在・未来──の場合,R と E は同時となっている:参照時はその文が明示する事 態の時間と同じだ.これに対して,過去完了のような相対時制の場合,E と R は 別々となる:話し手が参照している時点は,文が明示する事態の時点に先行してい るか後続しているかのどちらかだ.Reichenbach による単純時制と 3 つの完了「時 制」の表示を (4a-f) に示す.それぞれの時制表示に例文を 1 つ出してあり,また, R の時点も特定してある(これは従属節や副詞表現によって明示的に言及される場合 もされない場合もある):
(4) a. 現在: E,R,S (e.g., She's at home right now; R = いま
(right now))
b. 過去: E,R_S (e.g., She was at home yesterday; R = 昨日 c. 未来: S_E,R (e.g., She will be home this evening; R = 今晩
(yesterday))
(this evening))
d. 現在完了: E_S,R (e.g., The crowd has now moved to plaza; R = いま (now))
e. 過去完了: E_R_S (e.g., The crowd had moved to the plaza when the police showed up; R = 警察が到着した時
(the time at which police arrived))
f. 未来完了: S_E_R(e.g., The crowd will have moved to the plaza by the time you call the police; R=警察に電話した時)または E_S_R(e.g., That's Harry at the door; he will have bought wine; R=戸口に出た時 (the time of answering the door))1
Hornstein (1991) は派生時制構造 (DERIVED TENSE STRUCTURE) にかかる制約を説明す べく Reichenbach の枠組みを拡張した.派生時制構造は副詞の修飾または節の結 合により生じる.Hornstein (1991: 15) によれば,派生時制構造 (DTS) は入力され た文の時制構造──これを基本時制構造 (BTS) という──を保持しないといけない. 彼は,BTS が保持される 2 つの条件を述べている: (5) a. BTS で結びついていない時点どうしは,DTS でも結びついていない. b. BTS における時点の順序は DTS でも同じである. (Hornstein 1991: 15, (13))
Hornstein (1991: 17) は,副詞修飾は一種の関数で BTS を DTS に写像するが, この DTS はその特定の副詞の BTS と同一となるのだと提案している.たとえば, 1
訳者註:(f) の 2 つめの例は認識的用法の will ではないかと思いますが…
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副詞 yesterday の BTS は E,R_S である一方,tomorrow の BTS は S_E,R だ. このため,(6a) の DTS は (5) に従っているが (6b) は (5) に違反している: (6) a. Harry arrived yesterday. b. *Harry left tomorrow. 下記の (6a’) と (6b’) は,(6a) と (6b) それぞれがつくりだす BTS-DTS 写像を示 している: (6’) a.
yesterday E,R_S
→
E,R_S yesterday
b.
tomorrow * E,R_S → S_E,R tomorrow
例文 (6a) が適格なのは副詞 yesterday のつくりだす結びつきが基底文 (Harry arrived) の BTS になかったものでもなければ BTS の時点の線状的結びつきを変
えているわけでもないためだ.これに対して,(6b’) は (5b) に違反している:副
詞 tomorrow は Harry left の BTS における線状的な時点の結びつきを変えてし まっている:基底文の BTS は E と R の後に S をおいているのに,tomorrow に よる修飾は S が他の 2 つの時点に先行するのを要求するのだ. ここで重要なのは,Hornstein (1991: ch. 2) が示すとおり,(5) で与えられてい る時間修飾への制約が拡大されて,複合的な構造,特に when, while, after, before といった時間接続詞を主要部とする定形の従属節を含む複合構造に適用されるとい うことだ.こうした構文を記述する際に,Hornstein は先ほど言及しておいた基本 的な洞察に訴える.すなわち,「S は発話時以外の時点に投錨する場合もある」 (Hornstein 1991: 126) という洞察だ.時間的な埋め込みに課せられる制約として,彼
は特に次のように提案している: 「他の文を修飾する文は,その S 時点と R 時点を 共有[しなければならない]」(Hornstein 1991: 44).S と R それぞれの時点のつな がりは主節・従属節それぞれの BTS を保持しないといけない.下記の (7a-b) は 2 つの複文の例を示している.前者は (5) に従っているが,後者はこれに違反してい る: (7) a. Harry will leave when Sam has arrived. b. *Harry will leave when Sam arrived. (7a-b) の文法性の対比は,(7a’-b’) のそれぞれの文の表示によって説明される.この 7
表示において,主節と従属節の S と R はそれぞれに結びついている. (7’) a.
S1_R1,E1 E2_S2_R2
b.
S1_R1,E1
(主節:Harry will leave)
(従属節:Sam has arrived)
(主節:Harry will leave)
* R2_E2_S2
(従属節:Sam arrived)
Hornstein の仮定では,まず S2 と S1 のつながりが生じて,そのあとに R2 と R1 のつながりが生じる (1991: 43).ここから,彼は節の結合への制約についてこう述 べることとなる (ibid.):「R1 と結びついた位置への R2 の移動は[(5)で述べた制約 に]従わねばならない. 」 このため,ひとたび S1 と S2 が (7a’) で結びつくと,2
つの入力表示のいずれにおいても R1 と R2 は並べ替えを要求することなく結びつ くことができる.(R1 と R2 が結びつくには R2 と S2 の結びつきを断たねばならない が,(5) の 2 つの制約はどちらもこれを妨げない点に注意.) これに対して,(7a’) で
ひとたび S1 と S2 が結びつくと,R1 と R٧ 2 が結びつくには R1 と R2 の相対順序 が上記のように入れ替わらないとならなくなる.この入れ替えは (5b) に違反する ので,Hornstein は (7b) が意味的におかしいことを正しく予測している. しかし,不明な点もある.それは,派生時制構造への制約が絶対時制・相対時制 の様相的 (MODAL) 用法にも適用されるのかどうかという点だ.様相的用法において, 時制は条件文の従属節が明示する出来事の事実としてのあり方や蓋然性の判断に関 する話し手の判断をあらわす(Fleischman 1989).こうした事例の中には,未来・仮 定・反実仮想文の従属節に現在時制・過去時制・過去完了があらわれる場合が含ま れる: (8) a. If she arrives before midnight, she will catch the shuttle. b. If she arrived before midnight, she would catch the shuttle. c. If she had arrived before midnight, she would have caught the shuttle. 例 (8a) は,従属節で現在時制を使って未来の出来事をあらわしている;(8b) は, 過去時制を使って,話し手が相対的に可能性が低いとみなす未来の出来事をあらわ している;(8c) は,過去完了を使って話し手が起きていないとみなす出来事をあら わしている.明らかに,こうした従属節の時制は (4) の表示に示されている E と S や E と R の関係を明示してはいない. Hornstein (1991: 73-9) 派生時制構造へ 8
の制約は (8) のような用法を予測しないけれども,かといってこれを除外するわけ でもないのだと論じる.こうした文はどれも, 「法助動詞単体は現在時制で,法助動 詞+have は過去時制形式だという仮定において」派生時制構造への制約をみたして いる (p.77). 「どうして様相的未来または will の未来は一般に (8a) のような未来条 件文の従属節で禁止されるのか」という問題には第 4 節で立ち戻ることにしよう. 節の埋め込みに関して先行研究で広く論じられている問題には,さらに,時制の 一致 (SEQUENCE OF TENSE) もある(Comrie 1986; Enç 1987; Declerck 1991: 157-91, Hornstein 1991: ch. 4).時制の一致現象には,過去時制の発話動詞や思考動詞の補部に現在時制
や過去時制または未来の述定が埋め込まれた場合の後方転位 (BACKSHIFTING) が関わ っている.間接話法の例を (9) に示してある.それぞれの例の隣にあるカッコ内の 文は,埋め込み文に対応する直接話法の文となっている: (9) a. Debra said she liked the wine. ("I like the wine") b. Debra said she had brought a bottle of wine. ("I brought a bottle of wine") c. Debra said she would bring some wine. ("I willl bring some wine") (e.g., デボラがワイン好 こうした文における埋め込み節の時制は,明示された状況 x きであることやワインを 1 本もってきたことなど)を直接に発話時に関連させてはい
ないので,相対時制だ.埋め込み節の S 時点は主節の事象時,すなわち発語動詞の 時点と同一になっている.時制の一致をモデル化するにあたり,Hornstein は SOT 規則(sequence-of-tense
rule)を提案している.この規則は,埋め込み節の
S を動かし
てこれを主節の E に結びつける(Hornstein 1991: 137).主節の E と R の時点に相 対的な埋め込み節の E と R の時点が派生時制構造の表示で占める位置からは,埋 め込み節において後転移時制の形式が予測される.一例として,この SOT 規則を たとえば (9b) に適用すると (10) のようになる: (10)
E1,R_S1 E2,R_S
SOT
E1,R_S1 E2,R_S2
矢印の右側にあるのは SOT 規則により出力された派生時制構造で,ここでは埋め 込み節の S 時点を主節の E 時点に結びつけた結果として埋め込み節の E 時点が 主節の R 時点と S 時点の両方に先行する形になっている.前記の (4e) にみられ るとおり,E_R_S という図式は過去完了に相当するため,SOT 規則は後転移の過
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去時制は過去完了の形式となることを正しく予測している.と同時に,しかし必ず しもすべての時制研究者が時制の一致に関して後方転移の規則が存在するとみてい るわけではない.Declerck (1991, 1995) と Declerck and Depraetere (1995) では, (9a) のような文はたんに過去時制に 2 つの異なる用法があることを例証しているに すぎないと論じられている:動詞 said は絶対用法の例であり,ここでは過去時制 は R が S に先行することを示すが,それに対して動詞 liked は相対用法の例であ り,こちらでは過去時制は状況〔E〕と参照時〔R〕と同時であることを示している, というわけだ.この分析の土台となっている観察は,同時性をあらわす過去時制の 用法は SOT 文脈と独立に立証されている,というものだ──たとえば, I danced and my sister played the recorder〔ぼくは踊り,姉はリコーダーを吹いた〕のような等位接 続の文にもそうした用法がみられるのだ.ここでは,1 つ目の文が過去の参照時を 確立し,2 つめの文はその過去の参照時に重なる活動を示している(時間談話におけ る修辞的関係については本書収録の Binnick の第 6 節を参照).
ここまで,Reichenbach の枠組みについて,これを説得力あるものとしてきた特 性をいくつかみてきた:この枠組みは,たんに時制の意味を表示するエレガントな 方法を提供するだけでなく,時制節にさらに時制節を埋め込む際に課される制約を とらえるのにも使える.Reichenbach の枠組みには,出来事と状態を区別できなか ٧ ったり時間副詞の指示についてあまりに厳格な見方をしているなど,いくつかの難
点があると Declerck (1991: 224-32) で論じられている.また,さらなる問題点が 1980 年 代 以 降 の 多 く の 談 話 理 論 家 た ち に よ っ て 認 識 さ れ て い る . そ れ は , Reichenbach の R のとらえ方が静的だということだ.たとえば,語り
(narrative)
に
おける確言は一つの参照点を共有しなければならないと彼は主張している (Reichenbach 1947: 293).この見解は,語りが時間の継起 (a time course) を描写する
ものであるという事実と折り合いをつけがたい.ここで話題を移して,語りにおけ る出来事の時間的継起を記述するべく Reichenbach の参照点の概念を拡張しよう としてきた談話理論家たちの試みをみることにしよう. 典型的な場合,語りは過去時制の確言が連続するというかたちをとる.そこで, こうした確言の意味表示に注目しよう.英語の過去時制についての論理的分析は, 広く 2 つのタイプに分けられる.どちらのタイプでも,過去時制の標識は時制のな い命題を作用域にとる演算子とみなされる(e.g., Past).これによってできる命題は その真偽を発話時において査定される.第一のタイプの分析は Prior (1967) に連な るもので,Past (A) という形式の命題は,時制のない命題 A が発話時 t に先立つ 時 点 t-1 で 真 で あ る と き に の み 真 だ と 判 断 さ れ る . 第 二 の タ イ プ の 分 析 は Reichenbach (1947) の提唱したもので,過去時制文の真偽は,特定の過去の期間す なわち参照時に相対的にのみ解釈されうる.Partee (1984) の観察によれば,Prior
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の見解のもとでは単純過去の確言の真偽は過去の どこかの時点における 基底文の 真偽に左右されるのに対して,Reichenbach の見解のもとでは過去時制の確言の真 偽は過去の まさにその参照時における 基底文の真偽に左右される.過去時指示の 最近の分析は Prior よりも Reichenbach の説を踏襲している.その理由の一つは, 参照時の特定が過去時制文の真理条件の一部になっているにちがいないと示唆する 証拠の存在だ.たとえば,話し手が I took out the garbage(ゴミなら出したよ)と 確言するとき,これが表す行為がなされたのが過去の どこかの時点(1 ヶ月前とか) でしかないとしたら,この人は嘘を言っているとみなされてしまう.この確言は, 聞き手が念頭においていると話し手にわかっている時間──たとえば今朝──を参 照時にしている. R は話し手と聞き手の双方が同定可能な期間であるという考え方は,Partee (1984) の主張を裏づける.それは,過去時制文は確立済みの参照時を「再参照する」 (refer back)
という主張だ.次の語りの一節 (11) をみてみよう:
(11) Police have arrested a suspect in last week's string of convenience store robberies. They aspprehended the suspect as he left a downtown Denver nightclub. He was taken into custody without incident. (警察は先週のコンビニ連続強盗の容疑者を逮捕した.容疑者がデンバーのナイトクラブ 뫐ٚ からでてきたところを拘束した.容疑者はおとなしく拘禁された.)
(11) では,現在完了の「リード文」が過去の参照時(逮捕の時点)を確立しており, 後続する 2 つの過去時制文はこの過去の期間を喚起して逮捕劇のくわしい状況を付 け加えている.しかし,Partee (1986) と Hinrichs (1986) が指摘するように,過 去時制文は必ずしも (11) のように照応的に解釈されるとは限られない.Binnick (本書収録,第 6 節)が記述しているように,語りの様式はこれ以外にもある.そ れは Dowty (1986) は時間順談話 (TEMPORAL
DISCOURSE)
と呼ぶもので,この様式で
は語りにおける一連の文はそれが記述する世界の実時間構造に合致する.下記の (12) にあげる一節は時間順談話の一例だ: (12) Sue began to walk out. She paused for a moment and then turned around to face her accusers once again. The room was silent except for the ticking of the wall clack. She began to speak, shook her head and hurriedly excited. (スーは出口に歩き出した.彼女はしばし立ち止まったあと,告訴人たちの方に向き直っ た.部屋はシンとして,ただ壁時計の針の音だけが響いていた.彼女はせき立てられたよ うに,首を振りながら話し始めた.)
11
この (12) の例では,スーが立ち止まった時と彼女が出口に歩き出した期間は別物 となっている.後者の期間は前者に後続している.よって,過去時制文 She paused for a moment は先行する過去時制文 (Sue began to walk out) の参照時に「再参照す る」わけではない.そうではなく,これは時点 R+1 を参照しているのだ.これは, (12) のような時間順談話では語りが進行する間に R を更新していくなんらかの手 続きがあるにちがいないことを意味する (Partee 1984; Hinrichs 1986; Dowty 1986).こ の問題に対する形式意味論での典型的なアプローチは談話表示理論 (Discourse Representation Theory) (Kamp and Reyle 1993) になんらかのかたちでもとづいている.
とはいえ,形式的であろうとなかろうと,テクスト内の時制使用のモデルは,参照 時同定で文の相がはたす中心的な役割をみとめないといけない.この点をみるため に,また (12) に立ち返ってみよう.すると,出来事の確言 [Sue] turned around to face her accusers は R を先に進めるように誘うのに対して,状態の確言 The room was silent はそうでないことに気がつく.むしろ,部屋が静かだという状態 はスーが告訴人たちに向き直ったのと同じ時点で成立していると解釈されるのだ. とはいえ,この The room was silent という述定は他にも読み方がある.それは, スーの行動の結果として静かになったという読み方だ.明らかに,この読みでは R の更新が必要となっている:部屋の静寂が始まった参照時は,[Sue] turned around 뫐ٚ の文のそれに後続する.それどころか,この後者の読みをとると,The room was
silent という確言があらわすのは状態ではなくて出来事になる──部屋が静かにな るという出来事だ.Partee (1984) はこの 2 つの解釈のちがいを次の一般化でとら えている:明示される状況が出来事なら R が出来事を含む形になり,出来事の終了 とともに消え去る;明示される状況が状態なら,R は状態に含まれる形となり,消 え去ることはない(i.e., 次の確言でもそのまま参照時となる).Dowty (1986) のい う「時間順談話の解釈原則」(Temporal Discourse Interpretation principle) もこれと似た一 般化をしているけれども,ただ Dowty は Partee (1984) とは異なって状態述定も 出来事述定と同様に時間順談話において参照時を先に進めると仮定している. Dowty (1986) では,ありうる重複関係に関する語用論的推論によって,明示された 状況が新たな参照時と先行する参照時の両方で成立しているかどうかが決まると提 案している.彼はこう論じている (1986: 48): 語りにおいて出来事や状態のうちどれが互いに重複するかについてなされる推論 は,実のところ,その文が真であると確言された時点の帰結ではない.そうではな くて,その状態や出来事がじっさいに現実世界において実現したり発生していると 想定された時点の部分的な帰結でもある.すなわち,場合によってはそれが成り立 つと確言された期間よりも長いこともあるような期間から帰結する推論なのだ. さらに Dowty は,こうも指摘する:状態の確言は,その状態が成り立っている
12
と確言された期間を含む期間でも真であることもあるので,状態述定はつねにその テクストの時間軸で「後方に」拡張して先に喚起されていた参照時を含むようにな ると理解されうる.このような観察をしつつ,しかし Dowty は,包含の方向は文 脈からの含意ではなくて状態述定の意味特性だと暗黙のうちに認めている.実は他 でもなくこの特性から,Comrie (1976), Langacker (1986), Smith (1997) といった 論者たちは (13a) のような完結相は「外的視点」(external viewpoint) を符号化している 一方で (13b) のような非完結相は「内的視点」(internal
viewpoint)
を符号化していると
いう観察を述べることになった(Binnick, 本書収録, 第 3 節を参照): (13) a. Sue went home at noon. (スーは正午に帰宅した) b. Sue was home at noon. (スーは正午に在宅だった) 例 (13a) では,正午はスーの帰宅が起きた期間と解釈される.これに対して (13b) では正午はスーが在宅していた期間内のある時点と解釈される.状態述定にはその 参照時が含まれると仮定することで,状態述定の明示する状況はつねに時間的に拡 張可能だという事実も説明できるようになる:任意の参照時で真である状態の確言 は,その参照時を含む期間
(superinternal)
でも真であることがあるのだ (Herweg 1991).
これはつまり,(13b) のような確言に続けて,それが誘発する推論を留保する「但 뫐ٚ し書き」をいつでも断定できるということだ:
(14) In fact, she is still home now. (実は,スーはいまも在宅だ) 文 (13b) は,正午を含むいかなる期間においてもスーは在宅していないとの推論を さそう;その推論では,もし正午以外でも在宅していたのなら話し手はもっと長い 期間を含むより強い確言をしていたはずだと考える.この推論は Grice の第一の質 の格率(「君の知る限り多くのことを話せ」)にもとづくものだ.この推論が阻止され うるという事実から,状態はそれが確言される参照時の範囲に限定されていないこ とがわかる;Bach (1986) の言うように,状態は時間的に根拠が不確かなのだ.包 含の方向を使うと,下記の (15) のように副詞修飾された状態動詞を含む文のあい まい性も説明できる: (15) Sue was in Cleveland yesterday. (スーは昨日クリーヴランドにいた) 文 (15) には,状態解釈とエピソード解釈(出来事解釈)の両方がある.前者の場合 には,yesterday の指す参照時はスーがクリーヴランドにいた時間に含まれている. 後者の場合には,スーがクリーヴランドにいた時間は一日分の期間に尽きている. このことからわかるのは,相の捉え方
(construal)
を左右するのは動詞に内在的な相の
意味ではなくて解釈者の選択する包含の方向だということだ.
13
(15) のような過去時制の述定が状態読みと出来事読みとにあいまいだという事 実だけでは,英語の過去時制の伝統的モデルを否定する証拠にはならない.このモ デルでは,過去時制は「ある明示的な時間関係をあらわす.すなわち語られる出来 事が起きたのは発話時の前だという関係である」とされる (Bybee et at. 1994: 152).こ うした定義は過去時制の出来事述定については十分だが,しかし過去時制の状態述 定をも検討してみなければ,過去時制について十分に一般的な定義は得られない. すでにみたように,過去時制は S の前に R を位置づけるだけである;明示される 状況が発話時以前で終わるのかどうかを決めるのは,述定の相である.時制-相の相 互作用には,参照時と発話時が一致する場合に生じるものもある.次節ではこれを 検討しよう.
3. 状態セレクタとしての現在時制 The Present Tense as State Selector Bybee et al. (1994: 152) によれば,現在時制は「明示的な意味はまったく担ってい ない;これが指し示すのはデフォルトの状況であって,そこからの偏差をその他の 時制があらわしている」のだという.彼らの主張では,このように中立的な意味ゆ えに現在時制は「通常の社会的・物理的現象に内在的な意味を吸収できる.この意 뫐ٚ
味を明示的に記述し分解してみると,成立中の状態と並んで習慣的な生起やふるま いからもこれが成り立っているのがわかる」(ibid.) とされる.この分析は,問題に答 える以上に新たな問題をつくってしまっている.第一に,どうして成立中の状態は 進行中の出来事と比べてより「通常」ということになるのだろうか? 第二に,どう して意味のない構文が,成立中の状態と習慣という選言的な定義を必要とするのだ ろうか? こうした論点を脇に置いたとしても,なんらかの意味があると考えないか ぎり,こうした分析では,現在時制が示す相の制約やそれが引き金となる強制効果 を記述できなくなってしまう. 「導入」で述べたように,現在時制は相に感応する演 算子であり,状態のクラスを選択しているとみなせる.先にみたように,この選択 のふるまいをもたらしているのは時間の深さ
(time depth)
と出来事の報告を確証する
条件との論理的な関係だ.下記の (16-17) のように smoke や float といった本来 的に動的な動詞に現在時制の屈折を結合した文に習慣的な捉え方や格言的な捉え方 をもたらすのは,まさしくこの選択のふるまいだ: (16) Ally smokes. (アリーはタバコを吸う) (17) Oil floats on water. (油は水に浮く) 相の研究者の多くは,Krifka et al. (1995) も含めて,習慣文と格言文 (gnomic sentence) を総称文 (GENERIC sentence) の一般名称のもとに一括りにしている.Krifka
14
et al. (1995) と Bybee et al. (1994: 152) にしたがって,ここでは習慣文(これを Krifka et al. は特徴づけ文 (CHARACTERIZING
SENTENCES)
と呼ぶ) と格言文 (これを
Krifka et al. はタイプ参照 (REFERENCE TO TYPE) と呼称する)のちがいは,さかのぼっ
て名詞による指示の特徴的な性質に要因を求めることができる.格言文の名詞類表 現には属性的-限定的な指示があり,これにより偶有読みが生じる〔=出来事の実現が 必ずしも含意されない〕.たとえば,例文 (17) は条件文でこう言い換えられる:もし
油と言えるものがあるなら,それは水と言える性質をもつどんなものにも浮く (if there is something that counts as oil, it will float on whatever substance qualifies as water).例文 (16) のような習慣文には偶有読みはない.これは性質が特定の個体に
帰属されるためだ.しかし,習慣文も格言文も2,明示される出来事の反復を伴立し 世界に関する偶然でない事実をあらわすという点で,エピソード文と異なる.
総称文 generic sentences
格言文 gnomic sentences
習慣文 habitual sentences
뫐ٚ
e.g. “Oil floats on water.”
e.g. “Ally smokes.”
REFERENCE TO TYPES
CHARACTERIZING SENTENCE
+偶有読み
-偶有読み
contingent reading
総称-エピソードの区別に関する類型論的な研究をした Dahl (1995) の示唆によ れば,たしかに全ての言語は文法標識を用いて総称文とエピソード文を区別してい るけれども,その区別のためだけに文法標識を費やしている言語はないという (p. 425).英語のデータを検討するなら,さらに強い結論に到達できる.英語には総称-
エピソードの区別を立てる標識がひとつもないように見受けられるからだ.Dahl は,じぶんの検討した言語はどれをとっても単一の総称性標識があるとみており, 英語では現在時制が「総称性標識」だと考えている.しかし,これはまちがいだろ う.総称の言明は現在時制以外のいろんな時制-相の組み合わせであらわされうる. その中には,単純過去や過去進行相がある.それぞれ (18-19) に例を示す:
原文では "habitual and generic sentences" で「習慣文と総称文」なのですが,文脈からみて "habitual and gnomic sentences" の誤植と判断しました.
2
15
(18) Dogs chased cars in those days. (当時は犬どもが車を追っかけたもんだ) (19) During that summer parents were keeping their children indoors. (あの夏 の間,親たちは子供を屋内にこもらせていた)
こうした例からは,Langacker (1996: 292) が観察するように,総称の述定が明示 する状況は「有界・非有界いずれの期間にもわたって」成立する, 「すなわち,その ... 妥当性には時間的な作用域 (scope) がある」[強調原文]のだとわかる3.したがって, 総称文は状態文のクラスとしても現在時制文のクラスとしても定義しえない: (18-19) からわかるように,過去時制文や進行形の文でも総称の確言をなしうるのだ. もっとも,総称文は現在時制であらわされる可能性が高く,話し手は総称文をつく る必要ができたときには現在時制を使う可能性が非常に高い.この相関からは,総 称性とはたんに文脈からの推論なのではなく,意味的なプロトタイプにもとづいて いるのが窺い知れる.総称-エピソードの区別がなぜ文脈的かと言えば,それは当該 の時間尺度の大きさについての推論に左右されるためだ.反復する出来事の合間が 小さいと判断されたなら,(20) のようにその述定はエピソード的と判断される;も し反復する出来事が時間軸にひろくまたがって分布していると判断されたなら, (21) のようにその述定は総称と判断される: 줰٤
(20) The light flashed. (灯りがまたたいた) (21) The Catholic mass was recited in Latin. (カトリックのミサはラテン語で朗唱さ れた)
しかし,それでもなお,(21) は「真の」総称文ではないとも言える.そこで報告さ れている状況は発話時において進行中のものではないからだ.まさにこの直観から, 総称性がプロトタイプにもとづく概念だという結論にみちびかれることとなる.総 称文の最良の例は,たんに長い時間の尺度を喚起するだけでなく,それが明示する 状況が発話時において成立してもいるのだ.なぜだろうか? 状況の場合のように報 告される状況に参照時が含まれるときには,その状況が参照時の前後でも成立して いるという推論を妨げるものはなにもない.したがって,そのように状況の「内部」 に身をおく解釈者は,その状況がただの偶然事ではなく世界に関する事実だと結論 できる.さて,たしかに (21) は状態文と捉えうる.すでに喚起されていた参照時 (e.g., 16 世紀)が明示される状況に含まれると解されうるからだ.しかし,(21) に
は「閉じた」エピソード的な解釈もある.その場合,たとえばカトリックのミサが ラテン語で朗唱されたのは第二ヴァチカン公会議以前だけだ,といった解釈になる.
ここでいう scope は「否定の作用域」などというときの scope とは別概念だと思うのですが, さしあたり「作用域」と訳しておきます. 3
16
これは,過去時制は相に関して中立的であるためだ:前節でみたように,過去時制 文は出来事読みと状態読みとにあいまいなことがある.例文 (15) を下に (22) とし て再掲するが,この過去時制文にはまさにそうしたあいまい性がある: (22) Sue was in Cleveland yesterday. ところが現在時制は相に関して中立的ではない.現在時制文は本来的に状態文なの だ.そのため,現在時制は過去時制と比べて総称文との相関が高くなっている.た とえば,(23) には総称としての解釈しかない: (23) The Catholic mass is recited in Latin.(カトリックのミサはラテン語で朗唱され る)
言及しておいたように,総称文は任意の出来事──e.g. カトリックのミサの朗唱── の幾多ものインスタンスを記述する.しかし,現在時制文が状態を明示するのだと したら,どうしてさきほどみたように,反復であれなんであれ,現在時制文が出来 事をあらわすようなことがありうるのだろうか? 事実,反復される出来事は必ずし も状態と言えないこともある:(20) のような反復される出来事をあらわす文は状態 文というより出来事文だ.この問題は次のように立てられる:もし現在時制が状態 セレクタなのだとしたら,それと結合する時制なき命題の意味表示に状態が見いだ 熀٦ されないといけない.例えば (23) の場合,この時制なき命題は The Catholic mass be- recited in Latin〔カトリックのミサがラテン語で朗唱され-〕にあたる.じっさい,こ の命題の意味表示には選択されうる状態が含まれている:出来事連鎖は定義により 安定状態
(stasis)
の期間を含む.これは休止 (REST) と呼んでもよい.休止は隣接する
下位出来事どうしの間に成立する (Michaelis 2004).これはつまり,すべての推移に は先行する事前局面と後続する事後局面があるというのと同じことだ (Bickel 1994). 状態セレクタたる現在時制は,参照時(i.e. 発話時)を含むこの休止を選択するのだ.
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出来事連鎖 event sequence 下位出来事 sub-event
休止状態 rest/stasis
事前局面 onset phase
推移 transition
事後局面 offset phase
鱰٦ もちろん,反復されていてもいなくても,すべての出来事には先行状態 (出来事
が起こる前に成り立っている状態)と後続状態(出来事が起こった後に成り立つ状態)
がある.この観察からは,自然と,いわゆる未来時の現在時制に関する強制に基づ く説明が導かれる.例 (3) がこれであり,(24) として下に再掲する: (24) The flight arrives at noon. (飛行機は正午に到着する) 到着の実現する時間は現在時の中にはおさまらないので,出来事を現在時の区切り の前か後ろに「ずらして」やらないと動詞と時制屈折の意味の衝突は解消されない. このため,(24) は到着時刻までつづく状態を明示する.多くの言語では (24) に相 当する文は完了の述定として解釈される(明示される出来事に後続する状態が選択さ れることによる)のだが,英語は言語の慣習の問題として,強制が選択する状態は明
示される出来事に先行する状態となっている.こうしたことを観察してみると,現 在時制のように相に感応する形式が引き起こす強制の具体的な効果は言語によって さまざまだが,形式の相選択特性は一定なのだという結論がみえてくる. 現在時制を状態セレクタとみなすと,英語の時間指示にかんして長く論じられて きたパズルに答えられる:そのパズルとは, 「どうして英語の現在時制は出来事の報 告に使われないのだろうか?」というものだ.たとえば (25-26) は発話時において 進行中の出来事を報告していると解釈した場合には非文法的となる:
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(25) *Look! Harry runs by the house! (26) *They finally fix the sidewalk! (25-26) の非文法性は発話時に重なるのが不可能であるためだという証拠として,間 接話法でも同様の効果が生じる点を考えてみるといい.第 2 節でみたように,間接 話法では主節の認知動詞や発話動詞によって従属節の述定に代理の発話時が与えら れる.従属節に状態動詞が含まれている場合,その文はあいまいとなる:そこで報 告されている言語行為がもともとは現在時制だったのか過去時制だったのかわから ないのだ (Declerck 1991: 26-7, 1995).例文 (27) にこのあいまい性がみられる: (27) Sue said that she preferred white wine. (白ワインが好きだ/好きだったとスー は言った)
スーの言語行為を状態述定 (i.e., I prefer white wine) と再解釈するなら,彼女が発話し た時間はその状態の時間に含まれることになる.そうではなくスーの言語行為を出 来事述定 (i.e., I preferred white wine) と再解釈するなら,スーが述べている状況は彼 女の発話時に先行することになる.しかし,従属節の動詞 preferred を出来事動詞 の例えば drank に置き換えると,スーのもともとの言語行為は過去時制の述定と しか解釈できなくなる.つまり,出来事は発話時に重なるように捉えることはでき ず,これは発話時が話し手が発話している時点であろうと,従属節の発話時──何 者かが発話していると描かれている時点──であろうと変わらない. Cooper (1986) の論証によれば, 〈英語現在時制〉は発話時と状況時との一致を要 求する度合いが他言語の現在時制屈折よりも大きいという点で「異例」なのだとい う: 「他言語の現在時制の意味論的な位置設定では談話[の時間]が一時的に出来事 [の時間]に重なればよく,それに合致する必要はない」(p.29).しかし,英語の現
在時制がこのように他言語(e.g., ロマンス系諸言語)に比べて独特となっている理 由は,これが汎用の状態化演算子
(stativiser)
ではないという点にあるようだ.英語の
現在時制にはできないタイプ転換は,迂言的な状態化構文──具体的には完了構文 と進行構文──が実行している.これら 2 つの構文がそれぞれ所有や場所の表現か ら発生したことで,英語のタイプ転換の体系は全体的に透明性を増すこととなった. しかし,予想に反して,これら新たに発展してきた状態化演算子は現在時制が手が ける機能の範囲を狭めるだけにはとどまってはいない.完了が初期中英語において (28) のような継続の意味を獲得したとき,完了はそれまで過去時制が実行していた 機能を引き継ぐことになったのだ.例を (29-30) に示す:
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(28) Ant ye, mine leove sustren, habbeth moni dei icravet on me after riwle. 'And you, my beloved sisters, have for many days desired a rule from me.' (しかし我が姉妹よ,あなたたちは幾日にもわたり私の戒めを求めてきたではないか)
(Ancrene Wisse, ca. 1220)
(29) A Ic wite wonn minra wraecsitha. 'Always I [have] suffered the torment of my exiles.' (つねに私は流浪の辛酸をなめてきた)
(The Wife's Lament, ca. 970)
(30) For that sothe stod a than writen hu hit is iwurthen. 'For that truth [has] remained always in writing, about how it happened.' (ことの次第についての真理はつねに文書に残ってきたのだから)
(Layamon's Brut, ca. 1200)
13 世紀には現在のような使用条件がおおむね定着していた完了と異なり (Carey 1994),進行は比較的に新しい産物だ (Joos 1964).シェイクスピアの時代には,現在
時制と現在進行形の交替を左右していたのは明らかに韻律の都合だった (Dorodnikh 1989: 107).ロミオの対かけの台詞にみられるように,当時は現在時制が進行相の意 빀ٜ
味を伝えるのに使われていたのだ:What light through yonder window breaks? 進行形が現在の用法を獲得したのは,Joos (1964: 146) によるとたかだか 19 世紀に なってからであり,この時期に進行形は受動文で用いられるようになったという: e.g., The lamps were being lighted.これは中英語の形式では The lamps were lighting となる.しかし,ここでも,Bybee et al. (1994: 144) には「進行相は数世 紀にわたって次第に現在形の機能の一部を奪ってきたように見受けられる」と述べ られているが,そのようにこの発展がたんに現在時制の用法を狭めるだけで生じた と分析するなら,それは視野狭窄というものだろう.じっさい,(25-26) でみたよう に,英語の単純現在時制の述定はたとえばフランス語などのそれとちがい,進行相 の解釈をもたず,それは (31) のような単純過去時制の文でも同じことだ: (31) When I entered the church, they recited the mass in Latin. (私が教会に入 ったときミサがラテン語で朗唱された)
例文 (31) は, 「私」が教会に入る前からミサが朗唱されていたという読みをもたな い.この「重複」の解釈をもたせるには,過去進行形 (i.e., They were reciting the mass in Latin) が必要となる.そこで,進行構文が英語に導入されたことによって現在時
... 制と過去時制がともにその機能の範囲を狭めることとなったと我々は仮説を立てら
れる.目下活性化している参照時に出来事が重なることを示す手段は,時制に基づ
20
く強制から進行形へと置き換わったのだ.
4 相と時制の機能の重複 Functional Overlaps between Aspect and Tense ここまでの節では,暗黙のタイプ転換,暗黙の強制について述べてきた.この解釈 プロセスでは,動詞の意味が転換されて動詞とその文法的文脈の意味的衝突が解消 される.さて,この節では,明示的なタイプ転換をとりあげる.このプロセスでは, 動詞のアスペクトが文法的な手段によって転換される.とりわけ,助動詞を主要部 とする迂言的な構文がその手段となっている (Herwig 1991).こうした構文の中には, 個別の時制と意味の区別がつかないものもある.我々が着目するのはこのためだ. タイプ転換構文においては助動詞が出力タイプ(状態)を明示する一方で,不定詞 補部は入力タイプ(出来事)を明示する.英語では,こうした構文には完了,進行 形や法助動詞(または 'will' の)未来時がある.こうした構文は先行研究においてひ としなみに状態化演算子とみなされてきたわけではない.そこで,現にそうだとい う証拠をまずみておくにしくはないだろう.これを証拠だてる一つの筋道としては, Vlach (1981) の when テストのような状態性テストがある:もし主節の表す状況が when の時間節の明示する出来事と重なると解されうるなら,それは状態だ.そう 빀 ٜ
ではなく,もし主節の状況が when 節の出来事と同時だと解しえないのなら,それ は出来事だ.このテストを用いることで,進行文は状態文だと示せる.下記の (32-34) では,検証している相特性をもつ動詞を太字にしてある: (32) 状態:When Harry met Sue, she preferred white wine. (33) 出来事:When Harry met Sue, she drank a glass of white wine. (34) 進行形の状態:When Harry met Sue, she was drinking a glass of white wine. 例 (32) をみると,ちょうど (34) と同じく主節の状況(スーが白ワインの方を好む こと,スーがグラス一杯の白ワインを飲んでいること)はハリーがスーに会った出来
事に重なっているのがわかる.つまり,(34) の進行形述定は (32) の状態述定と同 じく時間一致の解釈をもつわけだ.例 (32) も (34) も,(33) と対比される.この 後者では主節の状況(スーがグラス一杯の白ワインを飲むこと)は出会いの出来事 に 重なると解 釈できない .進行形の 状態はどう いうタイプ の状態だろ うか ? Michaelis (2004) によれば,ある活動の時間表示に含まれる 2 つの推移時点にはさ まれた中間の状態すなわち「休止」を選択することで派生された状態がそれである. 例 (34) の進行形述定の場合であれば,その中間の状態とはワインを飲む 2 回の動
21
作の静止期間かもしれない.進行相を中間状態セレクタとみなすことによって,参 照時 R で進行中の出来事を進行形述定が報告するという事実を説明できる.これと 類似のことが完了相にも観察される: (35) 状態:When Harry met Sue, she preferred white wine. (36) 出来事:When Harry met Sue, she drank a glass of white wine. (37) 完了の状態:When Harry met Sue, she had drunk a glass of white wine. 例 (37) に when テストを適用するには,さっきの (34) のように直接にはいかな い.さらなる説明が必要だ.例 (37) では,スーがグラス一杯の白ワインを飲む出 来事はハリーが彼女に出会う前に済んでいたことと解釈される. 〔出来事が〕先行する のと〔状態が〕重複するのとは,どんなつながりがあるのだろう? これら 2 つの概 念が完了構文では組み合わさってひとつの概念をなしている.というのも,完了述 定は分詞補部の明示する出来事の生起につづく事後の状態を明示していると言える からだ (Herwig 1991).例 (37) で従属節の明示する出来事に重なっているのは,こ の事後の状態だ.このように,完了構文 (e.g., The Eagle has landed) は状態述定であ り,しかも同時に出来事報告でもある.つまり,結果状態を断定しつつ過去の出来 事 をも 断定し てい るのだ ( 完 了 相 の さ빀 まٜ ざ ま な 用 法 に 関 す る 議 論 は 本 書 収 録 の Binnick の 3.3 節を参照) .したがって,現代の口語フランス語のように,かつて形
態的な過去時制構文によって担われていた機能を迂言的な現在完了の構文〔複合過 去〕が奪い取ったとしても,それは驚くに当たらない.しかし,英語ではそれと反対
の発展が起きたようだ:今日の現在完了は過去時制よりもその使用条件がせまく限 定されている.Fenn 1987 や Michaelis 1998 などが記述しているようにこうした 条件には出来事時間の特定の禁止 (38) や一回限りの過去の出来事の生起を前提す る情報の質問を現在完了で行うことの禁止 (39) などが含まれる: (38) *I have woken up at dawn this morning. (39) *When have you woken up? Comrie (1976) が観察しているように,原則的には「どうしてそんなに疲れている の?」(Why do you look so tired?) のような質問に (38) のように答えてはいけない理 由はない.たしかに,その意味分析どおりにそうした文脈では現在時制の述定は事 後の状態をあらわす.また,いま起きている人物について (39) を使って起床の時 間を訊ねられない論理的な理由もない.一方は時制構文の過去時制,もう一方は相 の(状態化の)構文たる現在完了というこれら 2 つのほぼ同義的な形式が談話的-語 用論的に対立していることにより,例 (38-39) の例証する制約が帰結しているらし
22
い (Slobin 1994).Michaelis (1998: ch. 5) によれば,この対立には時間照応 anaphor)
(temporal
が関わっている:現在完了は参照時を確立させるが,他方で過去時制は第 2
節でみたように参照時を確立させる場合もあればすでに確立された参照時を喚起す る場合もある. 時制要素と相要素の機能が重複する度合いは,英語の様相未来
(modal future)
を考
えてみるととくにはっきりする.他の言語と異なり英語には未来時制の形態素はな く,助動詞 will を含む迂言的な構文だけがある.この形式は「望む」という意味の 状態動詞から意味漂白のプロセスを経て派生したものだ.この構文は状態化演算子 ではあるが,進行構文や完了構文のように when テストでそれを確かめるという具 合にはいかない.というのも,will には確かな過去時制がないからだ:would のよ うな法助動詞の過去時制形式には,あいまいでない過去時指示ではなく仮定法の機 能もある (Fleischman 1989; Langacker 1991: ch. 6).とはいえ,節が状態を明示してい ると確かめる方法なら他にもある.そのひとつは,時間指示に関わるものだ.第 3 節で述べた理由により,now や at this moment といった現在時の副詞は状態述定 としか両立しない:現在は瞬間として捉えられており,その一瞬の「サンプル」に もとづいて確証されうるのは状態しかない.例 (40-41) に示すように現在時の副詞 は法助動詞の表す未来の述定と両立するという事実から,法助動詞の未来述定はた 빀ٜ しかに状態述定なのだと考えるだけの理由はある:
(40) My daughter will now play the clarinet for you. (41) I will fill out the form right now. 法助動詞の未来述定が明示する状態は先行状態 i.e. 出来事に先行する「準備局面」 だ.形態的未来時制がその言語で示すふるまいはこれと非常に異なっている. Hornstein (1991: 19-20) が指摘するように,たとえばフランス語の未来時制述定は 副詞の現在時指示と両立しない: (42) *Je I
donnerai
une conference
maintenant.
give:1SG:FUT
a lecture
now
'I will now give a lecture.' もし英語の法助動詞未来がたしかに現在時指示なのだとしたら──すなわち,もし その時間表示が (4c) のように現在完了の鏡像にあたる S_E,R ではないのだとし たら──例 (43) のように未来を表す従属節が法助動詞を含まない傾向の説明の候 補が手に入る: (43) a. *When the Prime Minister will arrive, they will play the national anthem. 23
b. When the Prime Minister arrives, they will play the national anthem. Nieuwint (1986) の提案では,英語の法助動詞未来は予測を表しており,したがっ て They will play the national anthem のような文は現在時の状態を予測している のだという(e.g., 当該の出来事のしかるべき準備状態が存在する).このように理解す ると,(43a) のような文は意味論的におかしいことになる:こうした文が表す出来 事の順番は話し手の意図するのと逆になっている.もし国家の演奏が首相が到着せ んとするときになされたとすると,到着してから演奏するのではなくて演奏してか ら到着することになってしまう.したがって,Nieuwint の説にしたがえば,従属 節の文脈に法助動詞未来が生起しないことは,英語の法助動詞未来が S と R を結 びつけるという事実から帰結する.これと異なる説は Declerck and Depraetere (1995) を参照. Hornstein も含めて多くの論者が,英語にはフランス語のような真の未来時制が ないという観察で一致しているものの,見解の不一致もある.それは,この事実が 英語の時制体系にもたらす含意についてだ.Comrie (1985) をはじめ多くの論者は 英語には過去-非過去の対立があるとみている.この分析の根拠は,英語の現在時制 は現在時を明示しないという推定にある.英語の現在時制は未来の出来事や時間に ついて非有界な状況(とくに総称の状況)を明示するというのがその推定の理由だ. 빀ٜ
けれども,第 3 節でみたように未来を表す現在も総称述定も,現在時制がもつ相選 択の特性が引き金となる状態強制の産物とみなすことができる.したがって,英語 の時制体系は過去-現在の対立にもとづいていると結論づける方が妥当だ:英語には 未来時制はなくて過去時制と現在時制があるのだ.これらの時制は,進行形・完了 形・法助動詞未来といった迂言的な相構文の主要部をなす助動詞に結びつく.すで にみたように,個別の文法的文脈ではこうした構文のいずれも時制のかわりとなる 場合がある:出来事が発話時において進展中であると報告する場合に進行形は現在 時制のかわりとなるし,話し手が特定の過去の期間に言及する場合に過去時制は完 了形に置き換わり,また,未来条件文の従属節では現在時制が法助動詞未来のかわ りとなる.しかし,こうした相互作用があるからといって,完了形・進行形・法助 動詞未来が時制だと考えられるわけではない.先にみておいたように,時制は S に 対する R の位置を決めるが,一方で本節でとりあげた迂言的構文はそうしない:そ の助動詞は定形の場合に現在時制か過去時制のどちらかの屈折をとるのだ.
5. 結び ここまでの英語時制の手短な検討で,時制に関する誤解をいくつも論じてきた.そ
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のひとつは,時制は状況を位置づけるというものだ.じっさいには,さきに見たと おり,時制はたんに参照時を位置づけるのみである.これに対して,相は参照時に 関連して明示された状況の様態を決める.時制についての誤解はさらにある.現在 時制は無意味であるかせいぜい現在の期間よりはるかに広い期間を同定するにすぎ ない,というのがそれだ.この見解の根拠となっているのは,現在時制は状態動詞・ 出来事動詞のどちらとも結びつくという観察だ.しかし,すでにみたように,現在 時制が出来事動詞と結びつきうるのは,必ずしも意味的制約が欠如していることの 証拠とみなされない;こうした結合の自由度は,むしろ英語現在時制には相感応性 があり,その結果として現在時制はそれと結びつく動詞の相タイプを転換するとい う証拠とみなせる.状態セレクタであるので,現在時制は出来事の時間表示から状 態局面を選別することができる.英語の時制体系を理解する上で相が重要だという ことは,さきほどみたように,完了構文のように時制に似た機能をもつ一定の助動 詞構文は状態化演算子としても機能するという事実でさらにはっきりする.こうし た構文では時制つきの動詞が表す状態はその補部が明示する出来事に相対的に順序 づけられる.これは,時制に符号化されている順序関係に似ている.このため,完 了相のようなタイプ転換構文はしばしば機能の面で過去時制のような時制構文と区 別がつかなくなる. 빀ٜ この文章では,時制と相がその文法的構文と英語の時間指示の体系の双方におい
て相互作用するのを検討することで時制の意味論の理解を深めることができた.し かし,こうした相互作用の奥深さは,時制と相が意味論の水準ではっきり区別でき ないという証拠とみるべきではない.そうではなく,時制標識と相標識それぞれの 機能を細心に区別さえすれば,この 2 つの体系の交錯についてなんでも厳密に語る ことできるのだ.
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