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ブルノから始まる

7 つの 世界遺産への旅


チェコにおける世界遺産 UNESCOとは、英語の United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略で、 日本語では国 際連合教育科学文化機関と呼ばれています。国連にある14の 国際的な組織の一つです。 1972年のユネスコ協議会でユネスコ憲章が採択され、1975 年に発効しました。世界中にあるさまざまな文化的、社会的な 地域または景観が世界遺産として登録されています。 これらの 地域はユネスコ本部の採択を経て、世界遺産に登録されます。 ユネスコ憲章によると、世界遺産がある国、 または地域はそれを 保護する義務があります。景観や地域などが世界遺産のリスト に登録されれば、 その国にとっては非常に名誉であると同時に、 それらが価値あるものであると認識されたことになります。 旧チェコスロバキアは1990年に、現在のチェコは1993年にユ ネスコ憲章を採択しており、 チェコはユネスコ憲章にある義務を 遵守しています。 現在チェコには、以下にあげる12の地域や建築物などがユネス コ世界文化遺産に登録されています。 プラハ - プラハ歴史地区 テルチ - テルチ歴史地区 チェスキー・クルムロフ - チェスキー・クルムロフ歴史地区 ジャール・ナッド・サーザヴォウ - ゼレナー・ホラの聖ヤン・ ネポムツキー 巡礼教会 クトナー・ホラ - クトナー・ホラ歴史地区 レドニツェ・ヴァルチツェ地域 クロムニェジーシュ - 大司教宮殿や花庭園、ポッドザーメ ツカー庭園群 ホラショヴィツェ - 南部ボヘミアの農村 リトミシュル - ルネサンス様式の城と歴史地区 オロモウツ - 聖三位一体柱 ブルノ - トゥーゲントハット邸 トシェビーチ -ゴシック様式の聖プロコピウスのバジリカ式 聖堂とユダヤ人地区 上に述べた12から7つを次のページで詳しく紹介します。 もし ブルノあるいは南モラビアを旅行したら、 ブルノから非常に近い これら7つの世界遺産を是非とも訪ねてみてください。 チェコには文化的な価値がある場所以外にも、独特な面白い自 然(自然保護区) が数多くあり、 それらはユネスコ世界自然遺産 にも登録されています。世界自然遺産に登録されているのは、 ク ルコノシェ国立公園、 シュマヴァ、 シェボニュスコの景観, クシヴ ォクラート地方、パーラヴァとビーレー・カルパティです。


トゥーゲントハット邸

(ブルノ)

トゥーゲントハット邸はルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ロー エ(Ludwig Miese van der Rohe)というヨーロッパを代表す る建築家の作品です。2001年にUNESCO世界文化遺産に登 録されました。 第2次世界大戦時、 トゥーゲントハット夫婦は自分の邸宅の設 計をするために当時一番有名だった建築家ミース・ファン・デ ル・ローエに邸宅の設計を依頼しました。 ミースは設計にあたり 夫妻が建築費用の上限をもうけなかったために、 当時の最新技 術をふんだんに利用しました。建物は鉄筋建築で壁を出来るだ け造らず、周辺の自然環境と邸宅とが融合した自由な空間を可 能にしました。 この設計は建築学の分野における新しい方向性を示し、今日で も 機能主義的建築を代表する建物として知られています。 邸宅は三つの部分に別れて造られ3階建てになっています。 2階 部分は居住区として使われていました。 ローエは 「自由空間」 とし て、壁によって空間を区切りませんでした。半円形の木造の壁が ダイニングスペースとの空間を仕切り、 またユニークなオニキス でできた壁がリビングと仕事のためのスペースとを分けていま す。 このオニキスでできた壁は、太陽光線が当たると室内のイン テリアを暖かい色で包みます。 リビングスペースは巨大な2枚の ガラスのみで庭と仕切られており、 これらが上の階と庭に面した 階とを上下することによって、庭と建物との一体感をかもし出し

ブルノ

トゥーゲンハット邸


トゥーゲントハット邸

(ブルノ)

ています。 ローエはまた、革新的な方法で居住区の暖房問題を解決しまし た。暖かい空気が地階から空調パイプとボイラー室の壁を伝わ って上階へと流れ込むというシステムです。 そのために邸宅の地 階は、洗濯室や暗室などがある階となっています。 三階部分には夫婦の寝室や、子供部屋、 それに乳母のための部 屋がありました。 ミースは邸宅の設計だけではなく、建具、金物や室内の装飾品 や照明器具などもデザインも自ら手がけています。いくつかの 家具はこの邸宅のだけために作られました。邸宅で使われてい た 「ブルノ」 という椅子と肘掛け椅子は、今日もなお生産されて います。 1938年にトゥーゲントハット夫婦はスイスのザンクト・ガレンに 移住しました。第二次世界戦争の際にはナチスのゲシュタポが この邸宅を占拠しました。 ブルノがナチスの支配から解放される 際に、 ナチスによってトゥーゲントハット邸は破壊されました。戦 後この邸宅は戦前の姿と同じように再建されました。 連絡先: Vila Tugendhat Černopolní 45, 613 00 Brno 電話/ファックス:545 212 118 Eメール:iveta.cerna@tugendhat-villa.cz ホームページ:www.tugendhat-villa.cz 開館時間 水曜日から日曜日を含めて10時~18時まで開館 事前予約が必要 トゥーゲントハット邸は2008年12月31日まで開館していまし たが、現在は修復工事が行われています。 トゥーゲントハット邸へのアクセス (ブルノ市内の交通) トラムのチェスカー駅から3、5、11番でジェツカー・ネモツニ ツエ(Dětská nemocnice) 駅まで。所要時間約5分。

邸宅のインテリア


トゥーゲントハット邸

(ブルノ)

ブルノ市内のみどころ ゼマノヴァ・カヴァールナ (Zemanova kavárna) 1925年に建てられたこのゼマノヴァ・カヴァールナという喫 茶店は公園内に位置し、旧チェコスロヴァキアにおいて最初に 機能主義のみを取り入れて建てられた建築です。1964年には 完全に取り壊されましたが、 この喫茶店を設計した建築家ボ フスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)の生誕100年を記念し て、1995年に再建されました。 アヴィオン・ホテル (Hotel Avion) アヴィオン・ホテルはチェスカー通り(Česká)にあり、1928年に 完成しました。 ボフスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)という建 築家の代表的な機能主義作品だと言われています。 かなり狭い 一区画の敷地に(幅は8.35メートル、深さは34メートル)建てら れていますが、 その問題を見事に解決しています。 ブルノ国際展示会場 (Brněnské výstaviště, www.bvv.cz) 1928年完成した近代の展覧会のために作られたパビリオン 群です。 ブルノやプラハでの著名な建築家たちが設計しました。 敷地内には代表的な機能主義建築が配置されています。例えば 記念碑のような形のパビリオン・Aや、 パビリオン・ブルノ、 または モラビアパビリオンです。 この展覧会場はチェコの建築技術上、 大切な地位を占めていると言われています。 コメルチニー銀行 (Komerční banka) コメルチニー銀行は元々モラビア銀行(Moravská banka)と 呼ばれていました。 この建物は自由広場(náměstí Svobody)に あって、 ボフスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)とアルノシュッ ト・ヴィースネル(Arnošt Wiesner)の協力で1929~1930年 に建設された機能主義建築の中に一番美しい建物の一つです。 ヤナーチェク劇場 (Janáčkovo divadlo) 1957年から1966年のモダニズムへの回帰が叫ばれていたと き、 ヤン・ヴィーシェック(Jan Víšek)という建築家の設計により 建設された劇場です。当時すでに顧みられなくなっていた社会 主義リアリズムとソビエト様式の影響を避けられたので、 ヴィー シェックは国立劇場の設計を提案して採用されました。

邸宅のインテリア


レドニツェ・ヴァルチツェ地域 レドニツェ・ヴァルチツェ地域は、世界で一番大きい人為的に作 られた景 観の一つです。自然 的・文 化 的・歴 史 的な重 要 性 から、1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。 レドニツェ・ヴァルチツェ地域の景観の面積は約300平方キ ロメートルです。南にはオーストリアの国境があり、西はパーラ ヴァ生物生態保護区(Pálava) に囲まれ、西と東にはディエ川 (Dyje)が流れています。 レドニツェ・ヴァルチツェ地域の景観の歴史は13世紀から登場 します。当時栄華を誇ったオーストリアのリヒテンシュタイン家 が南モラビアに最初の土地を買いました。 その後領地を広げな がら、 この地区の景観を変えていきました。 リヒテンシュタイン家は、近郊の河畔や森林、農業地域を人為 的に作られた景観と美しく完全に一致させました。 そしてこの自 然と調和のとれた景観に、 自らの壮大な邸宅やさまざまな小建 築物を繊細な配置で建てました。 この地域の再建が行なわれた 時に、 リヒテンシュタイン家はイギリス風の庭園からインスピレ ーションを受けました。バロック様式の建築は、 ネオゴシック様 式として再建されたレドニツェ城や、19世紀のクラシック様式や ロマンチック風の建物と接しています。例えば狩猟のための邸 宅、 ミナレット、 アポロ神殿、池の家、 ノヴィー・ドヴゥールあるい は新農場、境界の家、三美神の寺院、 ヤン城、 オベリスク、 ランデ ブーなど、色々な様式は一つの景観にきれいに並んでいます。

ブルノ レドニツェ ヴァルチツェ

ミナレット

レドニツェ城と庭園


レドニツェ・ヴァルチツェ地域 レドニツェ城 (Zámek Lednice)

もともと建てられていた中世の要塞の代わりに、 ルネサンス様式 の城が築城され、 さらに17世紀にはバロック様式の城として改 築されました。現在のネオゴシック様式のレドニツェ城 の外観は 1846‐1858年からで、チューダー式ゴシック様式の影響を受 けています。 レドニツェ城のバロック式の正面には、独立して立 てられた乗馬学校と馬小屋だけが残っています。 ネオゴシック様 式やロマンチック式はインテリアによく見られます。木彫品は非 常に興味深いです。例えば図書館にある木彫りの木造のらせん 階段や、青の間にあるシナノキの格天井や象牙製の「命の木」 または大理石の暖炉などです。 連絡先 Státní zámek Lednice 691 444 Lednice 電話: 519 340 128 Eメール:szlednice@iol.cz ホームページ:www.zamek-lednice.info/zamek.php 開館時間 4月と10月 9月 5月~8月 昼休み

週末のみ開館。9~16時まで 月曜日を除く毎日9~16時まで 月曜日を除く毎日9~17時まで 12~13時まで

ヴァルチツェ城 (Zámek Valtice)

ヴァルチツェ城は12世紀ごろに築城されました。1387年から 1945年にかけてリヒテンシュタイン家が所有していましたが、 何度も再建されています。16世紀後半ルネサンス様式に改築

レドニツェ城


レドニツェ・ヴァルチツェ地域 され、三十年戦争が終ってからは今度はバロック様式の城とし て建て直されました。その時三つの新しい棟が建てられ、庭園 も作られました。18世紀にはヴァルチツェ城と庭園は再配置さ れ、19世紀前半にはリヒテンシュタイン家のヤン1世が、 ヴァル チツェの郊外にある景観まで含めた庭園を新しく建設しまし た。 連絡先 Státní zámek Valtice Zámek 1 691 42 Valtice 電話: 519 352 423 Eメール:valtice@brno.npu.cz ホームページ:www.zamek-valtice.cz 開館時間 5月~8月 9月 10月

月曜日を除く毎日9~18時まで 月曜日を除く毎日9~17時まで 週末のみ開館。9~16時まで

ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D2でブラチスラヴァ方面に向かい、41番 の出口で降り422号線をポヂヴィン(Podivín)やレドニツェ (Lednice)の方向へ曲がる。全部で56キロメートル。 バスで:ブルノのズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バス ターミナルからバスに乗りレドニツェ広場(Lednice, náměstí) まで。 電車: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から電車でブジェ ツラフ (Břeclav) まで行き、 そこでヴァルチツェ方向の電車に乗 り換える。 4月から9月にかけて、 ブルノからレドニツェまでクラシックな電 車が運行されています。

ヴァルチツェ城


レドニツェ・ヴァルチツェ地域 レドニツェ・ヴァルチツェ地域近隣のみどころ ミクロフ (Mikulov - www.mikulov.cz) ミクロフには歴史的に重要なみどころがたくさんあり、112もの 遺跡が登録されています。最も美しいのはゴシック・ルネサンス 様式の聖ヴァーツラフ教会です。 また中心部の広場にあるルネ サンス、 バロック、古典的な住宅群、 それからディトリフシュタイ ン家の墓、 ユダヤ人地区やミクロフ城などもあります。 ミクロフ城の一番古い部分は13世紀から残されていますが、多 くの部分はすでに何回も建て直されました。例えば城にある円 筒状の塔には、前期ゴシックや後期ゴシック様式の部分も残さ れています。今日では後期バロック様式で建てられた城の内部 に、 ルセッサンス期に建てられた4つの半円形の要塞が隠されて います。 ナ・チュロルデゥ洞窟 (Jeskyně Na Turoldu - www.caves.cz) ミクロフの市境にある採石場の近くにナ・チュロルデゥ洞窟の入 り口があります。 この洞窟はジュラ紀の石灰岩から構成されていて 一般の洞窟にある鍾乳石や石筍銅がない世界的に珍しい洞窟 です。洞窟の壁に細かいくぼみがあり、 そこに炭酸カルシウムの結 晶が入ったためにできた、 きれいな飾りのような模様があります。 スヴァティー・コペチェック (Svatý kopeček) ミクロブから続く十字架の道を歩くと聖墓に到着します。一番 高い所に聖セバスチャン礼拝堂と鐘楼があります。スヴァティ ー・コペチェックという地域は、温帯性植物の保護区です。 ミクルチツェ (Mikulčice - www.mikulcice-valy.info) ミクルチツェ市から南に3キロメートルのところに、 モラバ川の近 く6世紀から10世紀にかけて作られた要塞化されたスラブ人の 集落の遺跡があります。 大モラビア王国時代にはもっとも重要な 地域でした。 現在でもいろいろな遺跡が保存されています。 例えば 12の教会の土台、 貴族宮殿の基礎、 大規模な要塞の跡、 三つの橋 の土台、 2.500以上の露出した墓などが残っています。 現在そこで は二つの考古学展示会が開かれており訪れることができます。 ポハンスコ (Pohansko) ブジェツラフという町から南に4キロメートルのところにある、大 モラビア王国の要塞化された集落の遺跡です。 ポハンスコ要塞 として知られています。

境界の家


大司教の宮殿と庭園群 (クロムニェジーシュ)

クロムニェジーシュにある大司教の宮殿と周辺の広くてうつく しい庭園群は1998年にユネスコ世界遺産のリストに登録され ました。 司教や大司教の邸宅として使われていた元々の城とそれからの 宮殿の起源や発展はオロモウツの大司教の歴史と密接に関連 しています。 元は大モラヴィア帝国時代に現在ある宮殿の場所に古い集落 がありました。 このような場所で13世紀にゴシック様式の城が 建設されていました。 その後16世紀の最初にゴシック様式の城 はルネサンス様式風に再建されました。三十年戦争の際に、 スウ ェーデン軍の攻撃で破壊されてから、 カレル2世(リヒテンシュタ イン・カステルコルン公家)の司教の命令によって再び建て直さ れて、最後にバロック様式の豪華な宮殿となりました。 宮殿のインテリアはとても美しいものです。 それぞれの時代の貴 重な歴史的な家具や美術収集が現在まで多数保存されていま す。宮殿の中でもっとも興味深いのは、例えば謁見の間やホール や狩の獲物を陳列してある部屋、 また帝王の間や古代図書館な どです。宮殿の絵画コレクションの中に15世紀から18世紀まで のヨーロッパで最も優れた画家たちの絵を何枚見つけることが 出来ます。例えばティツィアーノ、ルーカス・クラナッハ、ハンス・

クロム ニェジーシュ ブルノ

大司教の宮殿


大司教の宮殿と庭園群 (クロムニェジーシュ)

フォン・アーヘン、 パオロ・ヴェロネーゼ、 ヤン・ブリューゲルとい う有名な画家の絵画も見られます。 これはチェコで2番目に貴重 なコレクションだと考えられています。 宮殿の隣にある美しいポッドザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)と、息を飲むようなフランス風の花庭園(Květná zahrada)があります。花庭園はフランス風に作られていて、歴史 庭園建築学上貴重なものです。 ポッドザーメツカー庭園の最初の役割は、宮殿の住人に新鮮な 野菜と花々を供給するのことでした。 当時はルネサンス及びバロ ック風に作られていました。19世紀に再び改築され、その時に 現在見られるようなロマンチックな外観となり、64ヘクタールあ るイギリス式庭園として新しく 再構築されました。花庭園は 幾何学的な規則性があり、円 形迷路も建てられました。花 庭園で興味深いのはライオン 噴水とトリトン噴水です。 連絡先 Sněmovní náměstí 1 Kroměříž 767 01 電話/ファックス:573 502 011 Eメール:zamek@azz.cz ホームページ:www.azz.cz

花庭園にあるロタンダのインテリア

ポッドザーメツカー庭園からの大司教の宮殿


大司教の宮殿と庭園群 (クロムニェジーシュ) 開館時間 大司教の宮殿 (Arcibiskupský zámek) 4月と10月 9~16時までの時間で週末だけ開館。 事前予約したグループには時間と曜日を問 わず開館する。 5月、6月と9月 毎週月曜日と祝日の翌日は閉館。それ以外は 毎日9~17時まで開館。 7月と8月 毎週月曜日と祝日の翌日は閉館。それ以外は 毎日9~18時まで開館。 ポッドザーメツカー庭園 (Podzámecká zahrada) 年中無休。夏は7~19時まで、冬は毎日7~16時まで 花庭園 (Květná zahrada) 年中無休。夏は7~19時まで、冬は毎日7~16時まで ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1でオロモウツ方面に向かい、230号線の ヴィシュコヴ(Vyškov)出口で47号線に入りクロム ニェジーシュ(Kroměříž)方向に。全部で67キロメー トル。 バスで: ブルノ、 ズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バス ターミナルからクロムニェジーシュ(Kroměříž)まで。 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)からコイェ ティーン駅(Kojetín)まで行き、 クロムニェジーシュ (Kroměříž)方向の電車に乗り換える。

花庭園の柱廊

花庭園


大司教の宮殿と庭園群 (クロムニェジーシュ)

ブルノからクロムニェジーシュに向かう途中の みどころ ブチョヴィツェ城 (Bučovický zámek - www.bucovice-zamek.cz) ブチョヴィツェ城はモラビアの貴重なルネサンス様式の建築物 の一つです。拱廊の付いた中庭や細やかな装飾のスタッコ仕上 げの天井などがあります。 ネソヴィツェ (Nesovice - http://nesovice.cz) ネソヴィツェのノヴェー・ザームキ(Nové Zámky)という地区に 未完成のルネサンス様式の城があります。 チェコで唯一の特別 なイタリア風ルネサンス様式の城として建て始められました。現 在閉館中。 プスチミェジュ (Pustiměř - www.pustimer.eu) 聖ぺトル・パウロ教会の隣にある、聖パンタレオンの円形ロタン ダの遺跡。11世紀に立てられ現存しています。 ストジールキ (Střílky - www.korycansko-zdounecko.cz/strilky) ストジールキという町では色々な像で飾った後期バロック様式 の面白い墓地があります。

花庭園の柱廊

花庭園


聖三位一体の柱

(オロモウツ)

オロモウツの聖三位一体の柱はチェコで一番高いバロック様式 の最大の彫刻だと考えられています。高さは35メートルで、高い 芸術性と造形的な価値のために、他の似たような種類の柱とは 大きく異なっています。 そのため2000年にユネスコの世界遺産 のリストに登録されました。 聖三位一体の柱をオロモウツで建立するアイデアが1716年、 石工ヴァーツラフ・レンダーの頭に浮かびました。 当時ペストの 流行が終り、人々がその喜びとカトリック信仰を祝うために、 ヴ ァーツラフ・レンダーの指揮のもとで建立が始まりました。最初 に一階の円形部分を造り、それから様々な職人たちが参加し て、1754年までに建立が続けられました。例えばフランチシェ ック・トネク、 ヤン・ヴァ-ツラフ・ロキツキ-、アウグスティン・シ ュルツなど著名な建築家も参加しましたが、残念ながら彼らは 柱の完成を見ることができませんでした。 この柱は、 ロキツキー の息子ヤン・イグナーツが父親の意志を継ぎ完成させました。 フィリップ・サトレルがいろいろな細かい彫刻や飾りを手がけ、彼 の死後オンドジェイ・ザフネルと彼の弟子フランチシェック・シェ ルハウフその仕事を引き継ぎました。 シモン・フォルスットネルという金細工職人は柱の先端にある聖 三位一体と大天使ガブリエルの彫像の制作者です。 そしてフォ ルスットネルは、 より小さい聖母マリアの被昇天の像も造りまし た。 この2つは銅めっきや金めっきの彫像です。 オロモウツ

ブルノ

聖三位一体の柱:東から


聖三位一体の柱

(オロモウツ)

等身大より大きい 18人の聖人の彫像が、柱の3つの層それぞ れの角に置かれています。一番上にはイエス・キリストが生きて いた時代の聖人の彫像です。次にモラビアとチェコの聖人の彫 像が並んでいます。例えば、聖キリル、聖メトディオス、聖ヴォイ ティフ、聖ヤン・ネポムツキーなどの像があります。一番下には聖 ヴァ-ツラフ、聖フロリア-ン、聖ヤン・カピストラーンスキ-、聖 アロイズ・ゴンザガの彫像と一緒に、12たいまつを持つ像も見 られます。 さらに聖三位一体の柱を12使徒の彫像が飾ってあり ます。 聖三位一体の柱が完成してすぐ、 オロモウツ司教や枢機卿によ って献堂式にはマリア・テレジアとその夫のフランツ公が臨席し ました。 歴史の本によると、聖三位一体の柱には金貨15万枚もの費用 がかかったそうです。 また柱の建立には、 オロモウツ出身の職人 や芸術家だけが関わっていたために、市民はいつもこの柱を市 の誇りと感じているそうです。 連絡先 オロモウツ市情報センター Horní náměstí – radnice 779 11 Olomouc 電話: 585 513 385 フックス:585 220 843 Eメール:infocentrum@olomouc.eu ホームページ:www.tourism.olomouc.eu 開館時間: 聖三位一体の柱の中の礼拝堂: 4月~9月 - 9時~14時まで ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1でオロモウツ方向に、全部で 80キロメートル バスで: ブルノ・ズヴォナジュカバスターミナル(Brno, ÚAN Zvonařka)から直接オロモウツまで 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から直接オロ モウツ中央駅 (Olomouc, hlavní nádraží)まで

ホルニ-広場と聖三位一体の柱、天文時計と市庁舎


聖三位一体の柱

(オロモウツ)

ブルノからオロモウツへ向かう途中にあるみどころ スラフコフ (Slavkov - www.slavkov.cz) バロック様式のスラフコフ宮殿の以外に、 ユダヤ人の史跡も訪 問することが出来ます。スラフコフ宮殿の隣にゴルフ場があり ます (www.gca.cz)。 平和記念碑 (Mohyla míru - www.muzeumbrnenska.cz) 平和記念碑はプラツェという小さな村の近くで1805年に行な われた三帝会戦の戦争犠牲者を祭るために1910-1912年に 建てられました。古戦場の隣に三帝会戦についての歴史博物館 があります。 ジュラ-ニュ (Žuráň) ジュラ-ニュ山からナポレオンが見たのと同じ三帝会戦の戦場 や美しい山々の景色が見えます。 それから戦場の細かい模型地 図もあります。 サントン (Santon) ツヴァロジュナーという村の近くに小さな山があります。 その小 さな山はフランス軍隊の陣地でした。山の上に小さな礼拝堂が あり、 それからフランス軍やロシア軍の将軍たちの名前と記念の プレートがあります。 サントンの近くではフランス軍とロシア軍 の戦いがありました。 古い郵便局 (Stará Pošta - www.staraposta.cz) 昔この郵便局にナポレオン1世が滞在したことがあります。 ホテ ル・レストラン・歴史的な展示物があります。

オロモウツ中心部、飛行機から


歴史地区

(テルチ)

テルチは南西モラビアにあるチェコの一番貴重な歴史遺産の 一つです。 このテルチにある歴史地区は、1992年にユネスコの 世界遺産として登録されました。 テルチの歴史的な中心部は現在でも、 フラヅツェのザハリアー シュ(Zachariáš z Hradce)時代と同じような独特な町の雰囲 気を何百年にもわたって保っています。 市の中心部は一方は二つの池に、 もう一方は城の要塞部分に あった門に囲まれています。王国の交差路を守る義務があった 中世の要塞は13世紀に建てられ、 その後16世紀に再建されて、 現在見られる外観や構成となりました。 フラヅツェのザハリアー シュはイタリアのルネサンス様式の建築学を取り入れ、 これをも とに城を改築しました。現在のテルチ城はルネサンス様式の建 築学の宝庫です。城には例えば 「青の間」 や 「騎士の大広間」 など があり、 そこには目を見張るような木製の格天井や年代物の家 具等の貴重な収集物は急に注意を引き付けてあります。城の隣 にはおもしろい形をしたイギリス庭園があります。 絵のように美しい広場には、 ユニークで歴史的な建物がきれい に並んでいます。14世紀の火事で失われた木製の建築物の跡 地である細長い土地に、現在の建物が建てられました。特殊な 形をしたアーチ道は16世紀に築かれましたが、後で何回も再 建されました。 この建物には、 バロック様式から近代の建築様式

テルチ

ブルノ

歴史遺産の地区


歴史地区

(テルチ)

までの様々な影響が見てとれます。広場にもまた、二つの噴水や 1720年に造られた聖母マリア柱があります。 テルチの一番古い遺跡は13世紀に造られた49メートルの高さ を誇るロマネスク様式の塔です。 そして、 そのそばには15世紀に 再建された教会があります。町の南東の端には後期ゴシック様 式の要塞や大小の門があります。最後に、もう一つ面白い建物 をテルチでは訪問することができます。 それは昔のイエズス会の 居住地域や教会、 それから14世紀の土台がある聖ヤクブ教会 です。 連絡先: Informační středisko Městského úřadu Telč náměstí Zachariáše z Hradce 10 588 56 Telč 電話: 567 112 407, 567 112 408 ファクス: 567 112 403 Eメール: info@telc-etc.cz ホームページ:www.telc-etc.cz テルチ城の開館時間 ルネサンス大広間 宮殿 4月と10月 9-16時 閉館 5月~9月 9-17時 9-17時 11月~3月 閉館 閉館 昼休み 11:45~13:00 この期間以外にも、予約をすれば見学することができます。 特別な家、聖マルケータ像と噴水

聖霊の塔


歴史地区

(テルチ)

ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1をプラハ(Praha)方面に向かい、BrnoKývalkaという182番 の出口で降り、23号線をテルチ (Telč) 方向に。全部で95キロメートル。 バスで: ブルノのベネショヴァ通りにある、ホテル・グランド (Brno, Benešova tř., Hotel Grand)の前のバス ターミナルからイフラヴァ(Jihlava)まで行き、 そこで乗 り換えてテルチへ。 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から出発し、 コ ステレツ・ウ・イフラヴィ(Kostelec u Jihlavy)で乗り 換え、テルチへ。

ブルノからテルチへ行くと途中のみどころ アウトモトドローム・ブルノ (Automotodrom - www.automotodrombrno.cz) アウトモトドロームはブルノから西にある森の中にあります。 このサーキットは毎年8月にMotoGPを開催します。 ロシツェ城 (Rosický zámek -http://zamek.rosice.cz) ロシツェにある貴重なルネサンス様式の城です。美しいルネサ ンス様式のアーケードやきれいな 「帝王の門」 などが残されてい ます。 鉄道博物館 (Muzeum průmyslových železnic - www.mpz.cz) バビツェ(Babice)からズビーチョヴ(Zbýšov)までの道路の近 く、 「インドジフ2世」 という名の昔の鉱山の隣に、新しく建設さ れた鉄道博物館があります。

テルチ城の庭園


ユダヤ人地区と聖プロコピウス のバシリカ式聖堂(トシェビーチ) 聖プロコピウスのバシリカ式聖堂とユダヤ人地区にあるユダヤ 墓地などの建築物群は、世界遺産に2003年から登録されてい ます。 トシェビーチのユダヤ人地区は、 ユネスコの遺産リストに 登録された、 イスラエル以外にある唯一のユダヤ歴史遺産です。 トシェビーチは昔、 モラビアの重要なユダヤ文化の中心地の一 つでした。現在まで残されているユダヤ人地区は、 ユダヤ人とキ リスト教徒の共同生活についてよく物語っています。13世紀ご ろ最初のユダヤ移民がトシェビーチに来ましたが、 その後17世 紀には大量のユダヤ移住がこの地を訪れています。 ユダヤ人地区の曲がりくねった細い道、暗い隠れ家、 アーチ形の 門、 ロマンッチな小広場などが訪れる人々の注意を引きます。現 在120もの住宅がユダヤ人地区にあります。 そこには、例えば歴 史的なユダヤ役所・学校・ラビの家・救貧院などが見られます。 ザドニ-・シナゴーグというユダヤ人の礼拝堂は修復が完了し ているので、内部の天井や壁に18世紀の美しくユニークなフレ スコ画を見ることができます。 17世紀にフラーデック丘の中腹の北方にユダヤ墓地が造成され ました。 墓地の公園には現在3000もの墓があります。 1903年に 建設された公民館もあり、 現在でも古いユダヤ教の規則と習慣に 基づいた、 さまざまな儀式や葬式などが行なわれています。

トシェビーチ

ブルノ

聖プロコピウスのバジリカとベネディクト会修道院


ユダヤ人地区と聖プロコピウス のバシリカ式聖堂(トシェビーチ) 聖プロコピウスのバジリカ式聖堂の起源は、 トシェビーチのベ ネディクト会修道院の歴史とつながっています。 もともとは聖母 マリアの被昇天の聖堂として建設され、18世紀の最初の修復 後、聖プロコピウスというチェコの聖人が祭っています。 聖プロコピウスのバジリカ式聖堂はおそらく1240-1260年 の間に一気に建てられました。外見は一般的にはロマネスク様 式を取り入れていますが、その後新しく流行したゴシック様式 の部分も見られます。最も大切なものは、13世紀後半に作られ た北門です。1468年のハンガリー軍の包囲と攻撃で聖堂が破 壊された後、何回も修復されました。 その後16世紀の半ばに特 に宗教的でない出来事と関連しました。 チェコの建築家のフラ ンチシェック・マクシミリアン・カンカが1725-1733年に修復 をしました。 半分破壊されたボールトをバロック様式のボール トと交換して、西に新しい塔を二つ建設しました。最後の改築は 1924-1935年にカミル・ヒルベルットによって行なわれまし た。 連絡先 Informační a turistické centrum Malovaný dům Karlovo nám. 53, 674 01 Třebíč 電話: 568 847 070, 568 610 021 Eメール: info@kviztrebic.cz ホームページ:www.trebic.cz/unesco

ロマネスク様式の教会堂の地下室


ユダヤ人地区と聖プロコピウス のバシリカ式聖堂(トシェビーチ) 開館時間 ザドニ-・シナゴーグ (Zadní synagoga) 月曜日~日曜日 9時から12時、13-17時まで ユダヤ人墓地 (Židovský hřbitov) 日曜日から金曜日までに毎日開館。 ただし金曜日の夜から土曜 日の夜にかけて閉館 5月~9月: 8-20時まで 10月・3月・4月: 8-18時まで 聖プロコピウスのバジリカ式聖堂 (Bazilika svatého Prokopa) 年中: 土曜日~月曜日: 13-17時、 火曜日~金曜日:9-12時と 13-17時 6月~8月: 土曜日~月曜日: 13-18時、 火曜日~金曜日:9-12時と 13-17時 ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1プラハ(Praha)方向、Brno-Kývalkaと いう182番 の出口で降り、23号線をトシェビーチ (Třebíč) 方向に。全部で60キロメートル。 バスで: ブルノ・ズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バス ターミナルから直接トシェビーチ(Třebíč)まで。 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から直接 トシェビーチ(Třebíč)駅まで

聖プロコピウスのバジリカにある天井


ユダヤ人地区と聖プロコピウス のバシリカ式聖堂(トシェビーチ) トシェビーチからブルノへ向かう途中のみどころ ドルニー・コウニツェ城 (Dolnokounický zámek - www.zamekkounice.cz) ルネサンス様式のカバーの下に特有の修道院のような城があり ます。後期ゴシックやルネサンス様式の外観がよく保存されてい ます。 ロサ・ツォエリ (Rosa Coeli - www.dolnikounice.cz) ロサ・ツォエリというのはドルニー・コウニツェにある、1181 ~1183年間に建設された今もう廃墟と化したプレモントレ修 道院です。 またドルニー・コウニツェには修復されたユダヤ教会 堂やユダヤ墓地、 イフラヴァ川のそばの坂に位置した美しい聖 アントニ-ン・パヅアン教会があります。 イヴァンチツェ (Ivančice - www.ivancice.cz) イヴァンチツェ市の重要な建築物は16世紀-17世紀に建てら れた塔がある、 ゴシック様式の聖母マリアの被昇天教会です。市 の中央の広場には歴史的な建物がありますが、最も興味深いの はゴシック・ルネサンス様式の役所です。 この役所にはアルフォン ス・ミュシャというイヴァンチツェ出身の最も有名な画家につい ての展示があります。 ジェッズノヴィツェ (Řeznovice - www.kostel-reznovice.isidorus.net) ジェッズノヴィツェでも興味深い建築は、12世紀後半のロマネ スク様式の聖ペトル・パウロ教会です。

ザドニ-・シナゴーグのインテリア

ユダヤ人墓地


聖ヤン・ネポムツキー 巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ) ゼレナー・ホラという丘にある聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 は、建築家ヤン・サンティニ・アイヘル(Jan Santini-Aichel)の 代表的建築物です。教会は回廊に囲まれていて、バロック様式 とゴシック様式の融合した特別な建築様式で建てられました。 教会の建設はヤン・ネポムツキーの列聖式にあわせて1719 ~1722年に行われました。 教会は上から見ると五角の星形になっています。 この教会では 数字の5が象徴として何回も繰り返し使われています。例えば、 教会には五つの門や五つの小礼拝堂があり、主祭壇を5人の天 使で飾ってあります。数字の5は聖ヤン・ネポムツキーの象徴の 1つです。伝説によるとネポムツキーは、国王ヴァ-ツラヴ2世の 后だったジョフィエ妃の告解の内容を知らせるよう迫った国王 に対し、その秘密を守るためにヴルタヴァ川に投げられて殉教 しました。 ネポムツキーが川に投げられたとき、空に五つの星が 輝いたと伝えられています。主祭壇には 「tacui」 と5文字で書か れていますが、 これはラテン語で 「私は黙った」 という意味です。 そして数字の5はまた、 キリストの聖痕の数も象徴しています。 サン ティニ の 建 築 にとって 陰と 光 は 重 要 な 意 味 が あ り ま す 。ア ー チ 形 窓 か ら 教 会 の 中 心 ま で 光 が さ す の で 、教 会 内 の 空 間 は 明 る く 風 通 し が と て も ジャール ナッド サーザヴォウ ブルノ

上から見た聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会


聖ヤン・ネポムツキー 巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ) よ い た め に 、飾 り と し て バ ロ ッ ク 様 式 の 建 築 物 に よく見られるフレスコ画が必要ありません。 このような単純で明 るい雰囲気の空間が、 この教会の美しさを表しています。 教会の小さな墓地は10角形の星形の回廊に囲まれています。 回廊は天候が悪いときには旅人のシェルターとして使われてい ました。10角形の星形と5角形の星形は、昔の火事で失われた ネポムク修道院と、火事での避難先となったジャール修道院を 表しています。その後ネポムク修道院の僧が、避難先となった ジャール修道院を 「ゼレナー・ホラ」 と改名しました。 ヤン・サンティニ作ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼 教会は1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。 連絡先: Zelená Hora – památkový areál 591 02 Žďár nad Sázavou 2 電話: 566 622 855 教会内の案内所: 724 758 993 Eメール: zel.hora@telc.npu.cz ホームページ: www.npu.cz 開館時間 5月~9月 月曜日以外毎日9-17時まで 4月と10月 土日と祝日の9-17時まで この時期以外でも10人以上のグループで、事 前予約をしてある場合は入場可能

聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会の丸屋根


聖ヤン・ネポムツキー 巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ) ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1でプラハ(Praha)方面へ向かい、162番 の出口で37号線をジャール・ナ ッ ド・サーザヴォウ方 面へ。全部で77キロメートル。 バスで: ブルノ、 ズヴォナジュカバスターミナル(Brno, ÚAN Zvonařka)からジャード・ナッド・サーザヴォウまで 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)からジャール・ ナッド・サーザヴォウ駅まで

ブルノからジャール・ナッド・サーザヴォウへ行く 途中のみどころ ポルタ・ツォエリ (Porta Coeli www.muzeumbrnenska.cz/predklasteri.htm) ティシュノフ(Tišnov)の近くあるプジェドクラーシュテジー (Předklášteří)という町に面白い建物があります。 ロマネスク やゴシック様式の教会ですが、 もっとも美しい部分は細かい彫 刻で飾られた門です。 ポルタ・ツォエリ(Porta Coeli)というのは 「天国の門」 という意味です。 騎士ブラニツキ-の洞窟 (Jeskyně Blanických rytířů - www.rudka.cz) スタニスラヴ・ロリーネックが掘った人工的な洞窟です。中に は様々な騎士の像があります。ロリーネックは1931年に亡く なったために未完成です。観光ツアーもあります。 コジェネッツ (Kořenec - www.korenec.cz) コジェネッツという村がドラハンスカー・ヴルホヴィナ山脈にあ ります。 そこにはゴルフ場と風車の他、昔の田舎の生活や消防の 技術を展示した博物館があります。(www.sokrates-golf.cz) クンシュタット (Kunštát - www.kunstat-mesto.cz) イジー・ズ・ポディブラッド(Jiří z Poděbrad)はクンシュタット 出身の貴族で、後に1458年から1471年までチェコの国王と して君臨しました。チェコの有名な詩人のフランチシェック・ ハラス(František Halas)もまたクンシュタット出身で、彼を 記念して建てられたホールを訪れることができます。さらに クンシュタット焼きも有名です。(www.kunstatskakeramika.cz). ペルンシュテイン (Pernštejn - www.hrad-pernstejn.cz) ゴシック様式の大きな城がネドヴェヂツェ(Nedvědice)という 町の近くにあります。城はペルンシュテイン家のもので、15世紀 と16世紀に建設されました。


ミクルチツェ・コプチャニ 考古学公園 ユネスコ世界遺産の候補

(ウェブページ:www.mikulcice-valy.info)

ミクルチツェ市から南に3キロメートルのところモラバ川の近く に、6世紀から10世紀にかけて要塞化されたスラブの集落があ りました。大モラビア王国時代にもっとも重要な地区の一つで おそらく大モラビア王国の首都だったと考えられています。現 在はいろいろな遺跡が保存されています。 ここは主要な権力、文 化と精神の中心地として知られていました。 おそらく聖キリルと 聖メトディオス両宣教師が活躍した場所の一つだったかもしれ ません。 ここは10ヘクタールの面積がある、 チェコで最大のスラブ遺跡 発掘現場です。12の教会の土台、貴族宮殿の基礎、大規模な 要塞の基盤、三つの橋の土台、2.500以上の露出した墓などを 含めて、そして二つの7~9世紀の考古学的な遺跡についての 展示会も訪問することが出来ます。 要塞された集落の史跡はミクルチツェ・ヴァリに関する文化的 な記念碑(Národní kulturní památka Mikulčice-Valy)とし て保護されています。1963年に大モラビア王国の記念建造物 が建設されました。 ミクルチツェに要塞化された集落が建設されたのと同じ時 期に、モラヴァ川の向こうのスロバキアにある河辺では、 コプ チャニという村の近くに聖アンティオキアのマルガリタ教会 (kostel sv. Markéty Antiochijské)が建てられました。聖 マルガリタ教会は大モラビア王国時代から残っている唯一の 建物として知られています。 ほかの場所では遺跡や土台だけが 保存されています。 さらに聖マルガリタ教会も中央ヨーロッパ に残された教会の地所の中で最も古いものであると思われて います。 現在南モラビア遺跡保護局がミクルチ ツェ・コプチャニ遺跡公園を、 ユネスコ の世界遺産リストに登録する運動をし ブルノ ています。登録に必要な手続きはパリ ホドニーン ですべて完了しており、2009年の夏ご ミクルチツェ ろにこの遺跡公園がユネスコ世界遺産 の一つになるかどうかの結果がでます。

ミクルチツェの 教会の土台


ハンブルグまで827キロメートル ベルリンまで560キロメートル

ポーランド

ポズナニ まで 440キロ メートル

ドイツ

D8 プラハ ピルセン

オロモウツ イフラヴァ

ミュンヘン まで 590キロ メートル

D1

ブルノ

D1

D2

フランク フルトまで 734キロ メートル

ヴロツラフ まで 245キロ メートル

オストラヴァ

D5

オーストリア

スロバキア

52

ウイーンまで110キロメートル リンツまで300キロメートル ベニスまで850キロメートル ローマまで1225キロメートル

ブラチスラヴァまで120キロメートル ブダペストまで355キロメートル

ジャール  ナッド サーザヴォウ オロモウツ

テルチ

ブルノ

クロムニェジーシュ

トシェビーチ

レドニツェ

ミクルチツェ

ヴァルチツェ

www.jizni-morava.cz 発行元:Centrála cestovního ruchu – Jižní Morava, Radnická 2, 602 00 Brno, 編集:s použitím textů Sdružení České dědictví UNESCO, 写真:© Sdružení České dědictví UNESCO, 製作:Propag servis Brno, Advertum, 出版:2008年


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