こ こ ろ
み
が
心を磨こう Reflections on the Life of the Spirit Ruhi Institute
Book1 日本バハイ人材開発インスティチュート 0
心を磨こう! 目次 共に学ぶ(コラボレーター)皆さんへ・・・・・・・・・・・2 第1章 バハイの聖典の理解・・・・・・・・・・・・・・8 第2章 祈り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 第3章 生と死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39
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共に学ぶ(コラボレーター)皆さんへ ルヒ・インスティチュートでは、住んでいる場所にかかわらず、コースを学び、教え、 忚用するすべての人のことを「コラボレーター」と呼んでいます。それはコースの参加 者が、同じ目標、つまり、コースを大業への奉仕と人類の幸福のための手段として使う、 というインスティチュートの目標に向かって共に歩もうとしているからです。スタデ ィ・サークルは、チューターの役割を果たす経験を積んだ人と、その人の助けを得て学 習する「参加者」から成り立っています。しかしながら、はっきりと理解しておいても らいたいことは、参加者すべてがお互いに学び合うということです。学習の責任は、参 加者ひとりひとりにあります。学習中に活発な作業を行うのは参加者です。一方、チュ ーターは参加者がその活動をやり易いように導きながら、同時に教材から新たな洞察を 得、教材をより深く理解するようになります。チューターと参加者の関係は、学識者と 無知な集団といった関係ではありません。 コラボレーター達によって、最初の学習課題としてよく選ばれるのが、 「バハイの聖典 の理解」「祈り」「生と死」です。私達はチューターがこの序文をよく学習し、そこで述 べている考えを他のコラボレーターと共に話し合うことを望みます。初めてこの課題を 学習している人達は、いずれスタディ・サークルに初めて参加する人達のグループのチ ューターになる時がきて、同じような手順をふむようになることを知っておいた方がい いでしょう。 ルヒ・インスティチュートの各コースを学習する際に、参加者は3段階で理解するよ う求められます。第1段階は、聖典からの言葉や文の理解で、それはコースの核となる 作業です。たとえば「世の改善は、清らかで立派な行いと、称賛に値する礼儀にかなっ た行動を通して達成できる」という引用文を読んだ後、 「世の改善はどうやって達成され ますか」と、参加者の一人に質問が出されます。このたぐいの質問は、一見あまりに簡 単なように思えるかもしれません。しかし、実際の経験による次の2つの理由から、こ の方法が理解の第1段階のやり方として採用されました。 第1章では、チューターによってグループが2人ずつのペアに分けられる場合がよく あります。ペアの一人が引用文を声に出して読み、もう一人は引用文が答となるような 質問を作ります。そのようなやり方を、とても簡単にすみやかに出来る人もいれば、引 用文から質問を作ることが、最初のうちは難しく、必要な技術を身に付けるのに練習を 要する人もいます。この種のやり方は、もちろん、ルヒ・インスティチュートのほとん どの章に適用できるというわけではありませんし、学習が進むにつれ、だんだんそれを する回数も減っていきます。 2つ目の理由は、自分の意見を主張したり、質問に答えるのに引用文の単純な繰り返 しをかたくなに拒否したりする参加者に関するものです。自分の考えを持ち、発言する こと自体、何ら悪いことではありません。しかし、聖典の理解は、読まれている文に心 2
を集中させることから始めなければなりません。それをする前に、想像をめぐらして思 いついた解釈が発言されたり、個人の意見が勝手に次々と述べられたりするのはよくあ りません。この第1段階の方法によって、バハイの学習を始めたばかりの頃から、聖典 からの文章に集中し、その明白で直接的な意味を理解する能力を発達させることができ ます。それが私達の共同体に考えの和合をもたらします。なぜなら、そのような和合は、 人の意見が神の英知によって啓発されて、はじめて達成されるものだからです。 この理解の第1段階においては、内容から逸れて一つの言葉の意味を長々と話し合う ことは、避けなければなりません。実際に難しい言葉を辞書で調べることは、かえって 学習の邪魔になる場合があることを、ほとんどのチューターは知っています。文章や段 落の全体の中で、言葉の意味を推論していく方法を習得するように導くことの方が、ず っと有効な手段だと思われます。 理解の第2段階は,引用文が意味することを日々の生活に忚用することです。たとえ ば「バハイの聖典の理解」のセクション2の練習問題1で、参加者は称賛に値する行為 とはどれかを尋ねられます。答えは簡単ですが、その引用文をどのように忚用できるか を問われます。第2段階では、練習のすべてが明白で直接的な答という訳ではありませ ん。たとえば「この世に良い人間は非常に尐ないので、その人達の行動は大した影響を 及ぼしません」という文の正否が問われます(練習3)。参加者は、勉強したバハオラの 聖典からの引用文と練習の文が、どう矛盾しているかを立証しなければなりません。 理解の第3段階では、引用文の主旨とは直接つながりのない状況に対し、引用文がど のような意味を持つかを考えます。たとえば「バハイでは罪を告白しますか」(練習6) という問いは、カトリックの根強い習慣である、罪をあがなうための手段としての告白 は、バハイでは禁止されていることに関連しています。チューターは、引用文「決算の 日の来るまでは、日毎に汝自らを反省せよ」の意味を話し合っている時に、この禁止に 触れるといいでしょう。 ルヒ・インスティチュートのコースを長年経験してわかったことは、この理解の3段 階で内容をしっかり把握することによって、コラボレーターは大業への奉仕生活の基本 を身につけるようになるということです。この経験を知らない人にとって驚きかもしれ ませんが、この3段階を超えて一つ一つの内容に多くの関連概念を取り入れ、話し合い を長引かせようとする努力は、かえってコースの効果をかなり無くしてしまいます。そ れは、コースを進めるのにリズムが必要だからです。リズムがあれば、参加者は自分達 の能力に忚じてどんどん進んでいるという感覚をはっきりと持つでしょう。だからと言 って練習問題について十分な検討もせず、さっさと進めるということではありません。 単に回答を書き込むだけというような表面的な取り組みをしたグループが、2~3 回以上 続いたことはありません。要は、内容が十分に理解され、その忚用について洞察が得ら れたら、グループは次のポイントに進むことです。長々と話し合いを続けることを慎む べきもう一つの理由は、残念ながら私達の共同体で時々見られる習慣と関係があります。 3
それは確実な根拠もないのに思索する習慣です。聖句を読むと数限りない素晴らしい考 えがひらめきます。それを適切な機会に友と分かち合うことは大いなる喜びです。しか し注意すべきことは、この習慣によってエゴが引き出されたり個人的な意見が押し付け られたりしないようにすることです。ルヒ・インスティチュートの経験からすると、 「そ れはあなたにとってどういう意味ですか」というような質問をしないからといって、参 加者の個性や想像を押さえ付けることにはなりません。それどころか、共同体に問題が 起こる度にまず聖典を拠り所にする、という協議の基本原則の習慣が発達するのを助け ているのです。個人的解釈を最小限におさえて聖典の意味を考える習慣を身に付けるこ とで、多くの共同体で協議の際に生じる意見の相違という問題の大部分は解決され、共 同体活動がより効率よく進められると、私達は信じています。 この本の3つの章を教えるための準備として、チューターは各セクションを詳しく調 べ、理解の3段階にしたがって練習問題を分類して下さい。必要ならば、それぞれの内 容についての話し合いをより活発にするために、練習問題を付け足してもいいでしょう。 第1章「バハイの聖典の理解」の目的は、参加者が聖典を読み、それについて考える 習慣を身に付けることです。聖典からの引用文は、最初一つの文から始まります。毎日、 尐なくとも朝と夜に聖典を読むということは、人が一生で何千ものページを読むことと 同じではありません。聖句を読むことは、神の啓示の大洋から水を飲むことです。それ によって真の精神的理解が得られ、魂の進歩に必要な力が生み出されます。とはいえ、 真の理解に達するためには、一つ一つの文の意味と、それを自分の人生や社会へどのよ うに忚用するかについて深く考えなければなりません。 「祈り」はこの本の第2章にあります。それを教える準備として、チューターは3つ の基本的目標を熟考する必要があります。1つは、祈りそのものの概念を明らかにする こと、そして祈りは、この摂理にあっては掟の一つとしてとても重要であることを参加 者に理解させることです。そのためには過去の間違った解釈で生じた疑いや誤解を、注 意しながら取り除いていかなければなりません。とりわけこの目標によって、祈りの掟 を守ることは,毎日の食事と同じ位大切であることをはっきりと理解させます。 祈りの掟を守ることに加え、祈りたいという強い情熱を一人一人が感じなければなり ません。そのためこのコースの第2の目的は、参加者に「神と語らう」情熱を目覚めさ せ、神の近くにいる喜びを感じさせることです。さらに、誰もが幼い頃から精神的習慣 を発達させるべきです。中でも最も重要なことは、毎日祈る習慣を身に付けることです。 このコースの第3の目的は、祈る態度に関するものです。残念ながら、人類は徐々に 祈りの仕方を理解しなくなってきました。大切な心の状態を保つため、空虚で無意味な 儀式で代用しています。第2章のいくつかのセクションでは、人が祈りの状態に入るの を助ける心の持ち方や、祈る時の環境作りの条件について説明しています。スタディ・ サークルのメンバーたちはそのセクションをしっかりと協議してください。 4
第3章の「生と死」は、ルヒ・インスティチュートのコラボレーター達にとって、特 別やりがいのある難しいテーマです。初めて学習する時も、後にチューターとして他の 人達の学習を助ける時も、努力を要します。生と死のテーマがインスティチュートの最 初の本にあるのは、参加者が将来進むであろう奉仕の道に、必要不可欠であると考える からです。生命は私達の地上での存在を超えて広がり、神の様々な世界で魂が進歩する につれ、永遠に続くのだということを十分理解した上で、この世での奉仕は考えられる べきです。特殊な作業の訓練とは異なり、この学習の過程では、参加者がしていること の意味や重要性を次第に意識するようになることが極めて重要です。この意識が強くな れば、参加者は活動的になり責任感を持ち、自ら「進んで学習する人」になります。も はや先生から与えられた情報を受身的に「教えてもらう人」ではなくなります。 この章の各セクションは、テーマに沿った解説や聖典からの引用文で始まります。そ れに続いて、その言葉や概念を理解し易いように工夫された練習問題があります。前の 2つの章では、参加者が個人や地域社会での生活で、学習内容をどのように忚用したら 良いかを考えさせる練習問題が含まれていました。ここでは、このテーマが抽象的なた め、すべての練習問題は概念的なことに関するものです。ただ最後のセクションだけは 別で、参加者はこのコースが自分達の生活の中でどんな意味を持つか、深く考えるよう 要求されます。 先にも言いましたが、ルヒ・インスティチュートでは、参加者は不必要な憶測を避け、 直接文章から具体的な答を得ることで納得することが大切です。それでも練習問題の中 には尐しではありますが、即座に明快な回答の出せないものもあります。このような問 題は、テーマに対する意識を高めるために作られていて、参加者が考えることだけで学 習の目的は達成されたと言えます。 この章の問題で使われる言葉は、他の2つの章で使われた言葉より難しいということ も言っておかなければなりません。チューターは、難解な言葉に余計な注意を向けない よう気を付けてください。むしろ、引用文の言わんとすることが分かるように参加者を 導くことです。練習問題はまさにそのために作られています。 この章の学習で良い結果を生み出すためには、一回の授業で多くの観念を導入しすぎ ないことです。次に示すように、考えを順序立てて進めることが大切です。 ① 生命はどう始まるか。死とは何か。 ・ 魂は神によって創られた精神的な実体である。 ・ 人間は魂と肉体から成る。 ・ 死は、単に状態が変化したに過ぎず、死後も魂は永遠に進歩していく。 ② 人生の目的 ・ 人生の目的は、神を知り神の面前に達することである。 ・ 神の顕示者を認める者は神に近づく。しかし、神の顕示者を否認する者は、 5
神から遠く離れてみじめな人生を送る運命を選んだことになる。 ・ 母親の胎内にいた時と同じように、人はこの世で必要な能力を身につける。 そのため、私達は次の世で必要な能力をこの世で身につけなければならない。 ③ 魂の特質 ・ 魂は神のしるしである。 ・ 神に忠実な魂は神の光を反映し、神に引き寄せられる。 ・ 世俗のものへの愛着や空しい欲望によって、魂は神に向かって飛び立つのを 妨げられ、ついには力を失い衰弱してしまう。 ・ 神は人間に、神の諸々の名と属性のすべてを反映する能力を与えられた。 ④ 魂はひとりでに進歩するのではない。神の顕示者を必要とする。 ・ 人間の能力は隠されている。それは神の顕示者の援助によってのみ発達され 得る。 ・ 神の顕示者を知ることは神を知ることである。 ・ 精神的な教育により、私達の中に隠されている宝石は見出される。 ⑤ 死後の魂の状態 ・ 忠実な魂は崇高な位置に達し、永遠の幸福を獲得する。しかし忠実でない魂 は自分の失ったものに気づき、永遠に自責の念に苦しむ。 ・ 誰にも自分の最期はわからない。したがって私達は他の人を許すべきである。 そしてその人達より自分の方が優れていると思ってはならない。 ・ 次の世では、私達の愛する人達を認めることができ、神の友らと交流するこ とができる。この物質界の生活を思い出すことができる。 ⑥ 現在の私達の生活に対する適切な態度 ・ この世のことで悲しんではならない。なぜなら喜びに満ちた日々が私達を待 っているからである。
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第1章 「バハイの聖典の理解」
目的:バハイの聖典を毎日読むという義務を果たすために、バハイの聖典を読み、 その意味について瞑想する能力を発達させること。 実践:毎朝毎晩、バハイの聖典を読むこと。
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セクション1 この章では、信教の聖典からの短い引用文を勉強し、そこで教えていることをあなた の生活にどのように活かすかについて考えます。まず聖典から抜粋した一節を読み、そ の一節の中に答を見つけることができる内容で質疑忚答をするといった単純なレベルか ら始めます。この練習をするために、もう一人の参加者に手伝ってもらいながら、その 一節を学びます。その場合一人が質問して、もう一人が答えます。それから役割を交代 します。この種の練習はルヒ・インスティチュートのコースを通してずっと繰り返すも のではありません。しかし場合によってはこのテクニックを使うことが適している文章 があるかもしれません。この練習は一見単純ですが、文章の意味について熟考し、それ らを暗記するうえで助けとなるでしょう。 よ
かいぜん
きよ
り っ ぱ
おこな
しょうさん
あたい
れ い ぎ
こうどう
世の改善は、清らかで立派な 行 いと、称 賛 に 値 する礼儀にかなった行動を とお
たっせい
通して達成できる。1 1. 世の改善はどのように達成できますか。
ひとびと
おこな
ことば
こと
もの
みち
あゆ
き
バハの人々よ!行いが言葉と異なる者らの道を歩まないように気をつけよ。2 2. 私たちは、どういった人々の道を歩くべきではないのでしょうか。
じつざい
こ
けっさん
ひ
く
ひ ごと
なんじみずか
はんせい
おお実在の子よ!決算の日の来るまでは、日毎に 汝 自 らを反省せよ。3 3. 決算の日の来るまで、私たちは何をすべきですか。
きょうだい
こ と ば
おこな
なんじ
かざ
おお兄 弟 たちよ!言葉にあらずして、 行 いをもちて 汝 の飾りとせよ。4 4. 私たちの真実の飾りは何であるべきですか。
きよ
こ と ば
きよ
よ
おこな
せい
えいこう
てんごく
のぼ
聖き言葉と清らかなる善き 行 いは、聖なる栄光の天国に昇る。5 5. 聖い言葉と、清らかで善い行いは、何を成し遂げる事ができますか。
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セクション2 以下は先ほどあなた方が学んだ引用文に関する練習問題です。いくつかの質問は簡単 に答えられるもので、ディスカッションに時間をかける必要はありません。しかし難し い質問には時間をかけて、チューターの援助を得て十分に調べるべきです。 1. 「称賛に値する」ということは「ほめるにふさわしい」という意味です。では次のう ちどれが「称賛に値する」行いでしょうか。 ○×で答えなさい。 a) 一生懸命に働くこと b) 人に尊敬を払うこと c) 勤勉であること d) 嘘つきであること e) 怠け者であること f) 人の進歩を助けること 2.「決算の日の来るまで」は何を意味していますか。
3.次の文は正しいですか。それとも間違っていますか。 a) この世に善い人間は非常に尐ないので、 その人たちの行動は大した影響を及ぼしません。 b) ある事柄について、人の意見と一致しているときは正しい。 c) ある事柄について、神の教えと一致しているときは正しい。 4.次の行為は清らかで善い行いと言えますか。 a) b) c) d) e)
バハイのことを人に伝えること 盗みをすること 子供たちに教えたり、世話をしたりすること 他の人のために祈ること トラブルから抜け出るために小さな嘘をつくこと
f) 人を援助して報酬を期待すること 5.次の行為はバハイの主張と一致しますか。 a) アルコール飲料を飲むこと b) 親切であること 11
c) 皆を平等に扱うこと d) 婚外で性的な関係を持つこと 6.バハイが他の人に罪を告白することは許されますか。 7.人に告白するかわりに、どうしたらいいですか。
8.「聖なる栄光の天国」とはどういう意味でしょうか。
9.よこしまな行いは社会にどのような影響を与えますか。
10. よこしまな行いは、それを犯した本人にどのような影響を与えますか。
セクション3 このセクションでも聖典からの引用文を勉強します。文の中には一節からいくつでも 質問を作ることが出来るものもあります。しかし、そればかりに時間をかけないように しましょう。 しんじつ
の
び と く
き
そ
真実を述べることは、すべての美徳の基礎である。6 1.すべての美徳の基礎は何ですか。 しんじつ
い
かみ
せ か い
し ん ぽ
せいこう
だれ
真実を言わなければ、神のすべての世界における進歩と成功は、誰にとっても ふ か の う
不可能である。7 2.真実を言わなければ、何が出来なくなるのですか。
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ひとびと
しんじつ
い
した
うつく
しょうじき
かざ
たましい
かざ
おお人々よ!真実を言うことで舌を 美 しくし、正 直 の飾りで 魂 を飾れ。8
3.舌は何で美しくされるべきですか。 4.魂は何で飾られるべきですか。
め
きよ
て
ちゅうじつ
した
しんじつ
かた
こころ
けいはつ
目を清らかにし、手を忠 実 にし、舌に真実を語らせ、 心 を啓発させよ。9
5.どのような目を持つべきですか。 舌は?
かみ
ま く や
手は?
心は?
はい
えいえん
えいこう
ざ
ひとびと
う
し
神の幕屋に入り、永遠の栄光の座についた人々は、飢えで死にそうであっても、 りんじん
しょゆうぶつ
て
の
ふほう
うば
きょひ
隣人の所有物に手を伸ばして、不法にそれを奪うことを拒否するであろう。 たと
りんじん
いや
か
ち
にんげん
例え、どれほどその隣人が卑しい価値のない人間であっても。10
6.餓死寸前であったとしても、バハイならばどんな行動を拒みますか。
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セクション4 セクション2で気づいたでしょうが、いくつかの質問は明確な答えを求めています。 そのような質問に対して答が不明瞭な時は、チューターが満足な答にたどり着くよう助 けてくれるでしょう。他の練習問題では話し合うこと自体に意味があり、チューターは 参加者から出る様々な答を受け入れます。以下にある質問4は奥の深い質問で、明確な 答えを求めています。一方、質問6には様々な答えが出るでしょう。 1.真実を言うことは全ての美徳の基礎です。ここで美徳を5つ以上述べなさい。
2.嘘をついてもこれらの美徳を得られますか。 3.次の文は正しいですか。それとも間違っていますか。 a) b) c) d) e) f) g) h) i) j) k) l)
たとえ嘘をついたとしても、人は公明正大でありうる。 人のものを盗む人は忠実な手を持っている。 忠実な手とは無断で他人の物に触れない手のことである。 ポルノのような本や雑誌を読むことは、 清らかな目を持ちなさいというバハオラの忠言に反する。 真実を言うことは、嘘をつかないことである。 正直は魂の飾りである。 真実を言わない人でも、精神的に進歩することが出来る。 ときどきは嘘をついてもよい。 飢えている人なら食べ物などを盗んでも神に受け入れられる。 後で返せばよいと思って無断で人の物を借りるのは盗みではない。 友達の畑に実がたくさんなっている果樹があれば、 無断で尐し獲ってもよい。 誠実に行動し、公平で正直であれば、私たちの心は啓発される。
4.自分自身に嘘をつくことは可能ですか。
5.嘘をつくことによって、私たちは何を失うでしょうか。
6.皆が正直で嘘をつかなくなったら、世の中はどうなるでしょうか。
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セクション5 次の引用文を勉強し、覚えてみましょう。聖典からの引用文を暗記することはとても 役に立ちます。皆さんもぜひ暗記するように努力しましょう。何らかの理由で暗記でき ない人もいますが、そのような人はできるだけ原文に近い形で表現できるよう、引用文 をよく学びましょう。
しんせつ
した
ひとびと
こころ
ひ
つ
じしゃく
たましい
かて
こ と ば
親切な舌は人々の 心 を引き付ける磁石である。それは 魂 の糧であり、言葉に い
み
ころも
さず
え い ち
りかいりょく
ひかり
いずみ
意味という 衣 を授ける。それは英知と理解力の光 の泉 である。11 1.「親切な舌」とはどういうものでしょうか。
2.親切な舌は発せられる言葉にどのような影響を与えますか。
しゅ
あい
ひとびと
せい
せ い ど
あらそい
ろんそう
ぜったい
おお主から愛される人々よ!この聖なる制度においては、争いと論争は絶対に ゆる
こうげき
もの
みな
かみ
おんけい
うしな
許されません。攻撃をする者は皆、神の恩恵を 失 います。12
3.上の引用文で、このバハイの時代では何が許されないのでしょうか。
4.攻撃をする人はどうなりますか。
こんにち
かみ
あい
ひとびと
あいだ
ふ
わ
あらそ
ろんそう
り は ん
れいたん
いじょう
今日において、神より愛される人々の 間 の不和、争 い、論争、離反、冷淡さ以上 おお
がい
たいぎょう
およ
に大いなる害を、この大 業 に及ぼすものはない。13
5.大業に多大な害を及ぼすものは何ですか。
15
こ と ば
ゆうじょう
しめ
まんぞく
すす
みち
で
あ
言葉だけで友 情 を示すことに満足してはなりません。あなたの進む道で出会う ひと すべ
たい
こころ
やさ
あいじょう
も
た
人全てに対して、あなたの 心 を優しい愛 情 で燃え立たせなさい。14
6.どのような友情に満足すべきでないでしょうか。
7.心を何で燃え立たせるべきですか。
せんそう
かんが
お
とき
まさ
へ い わ
おも
はんたい
戦争の 考 えが起こった時は、それに勝る平和への思いで反対しなさい。 にく
おも
きょうりょく
あい
おも
ほろ
憎しみの思いは、より 強 力 な愛の思いで滅ぼさなければなりません。15
8.戦争の考えを、どう抑えますか。
9.憎しみを消滅させるものは何ですか。
セクション6 以下の練習問題に答えましょう。 1.親切な舌はどんな意味で磁石に似ていますか。
2.次の発言は「親切な舌」の発言でしょうか。 a) b) c) d)
うるさいったら! これでもわからないのか。 尐々お待ちいただけますか。 なんて悪い子供たちだろう。 16
e) ご親切にどうもありがとう。 f) 今そんな暇がないんだよ、忙しいんだ。 3.次の場面は論争や争いに当てはまりますか。 a) 二人の人はバハイの協議のときそれぞれ違う意見を述べる。 b) ある人は、バハイの集まりを催している家の持ち主と仲たがいしている という理由で、出席しない。 c) バハイの研修会に参加している人の中で、参加していない人達は自分の 任務を果たしていないと、コース中に絶えず文句を言う人がいる。 d) 二人のバハイがティーチングの場所について同意することができない。 4.次の場面は離反や冷淡さに当てはまりますか。 a) b) c) d)
バハイ研修会を訪れても、誰も暖かく接してくれない。 バハイ研修会でそれぞれに小さなグループを作り、お互いに交流しない。 研修会での勉強中、皆が黙って勉強して、隣の人と話さない。 二人のバハイは喧嘩をしないけど、一緒に行動するのを拒む。
5.次のことは正しいですか。それとも間違っていますか。 a) 人は自分の思っていることを遠慮なく述べるべきだ。 相手の気持ちが傷ついても、それほど気にする必要は無い。 b) c) d) e) f)
争いを避けるためなら、嘘をついてもよい。 愛と親切を持っていれば、不和は乗り越えられるものだ。 愛情を込めた言葉は、より影響力がある。 相手が悪い場合は喧嘩をしてもよい。 身体の調子が悪いときや、悲しい時は、相手を傷つけることを言ってもよい。
g) h) i) j)
人の過ちをあざ笑うことは親切な行為ではない。 人の欠点を述べることは悪口にはならない。 お互いに悪い感情があるときは、仲良くなるように努力すべきである。 悪い感情があるときは、相手が近寄ってくるまで待つべきである。
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セクション7 以下の引用文を学習し、それらを暗記しましょう。 かげぐち
ごころ
ひ
け
たましい
せいめい
ほろ
陰口は 心 の灯を消し、 魂 の生命を滅ぼすものである。16
なんじ じ し ん つみびと
あいだ
た に ん
つみ
ささや
汝 自身罪人である 間 は、他人の罪を 囁 くな。17
あ
かた
なんじ
かた
た に ん
あやま
悪しきことを語るな。さればそれが 汝 に語られることもなし。他人の 過 ちを こちょう
かた
なんじみずか
あやま
おお
おも
誇張して語るな。されば 汝 自 らの 過 ちも大げさに思われず。18
じつざい
こ
なんじ
じ し ん
けってん
わす
た
ひとびと
けってん
あ
おお実在の子よ!いかにして 汝 、自身の欠点を忘れ、他 の人々の欠点を挙ぐ きゅう
え
なんびと
のろ
う
るに 急 なるを得るや。何人がこれをなすも、わが呪いを受けん。19 1.陰口は、それをする本人にどのような影響を与えるでしょうか。
2.他人の罪について考える前に、どんなことを知っておくべきですか。
3.他人の過ちを誇張して語れば、自分にどんなことが起こりますか。
4.他人の欠点を考えるとき、何を思い出せばよいでしょうか。
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セクション8 次の練習問題をしましょう。 1.他人のあら捜しをする人の魂は、どのような影響を受けてしまうのですか。
2.陰口はバハイ共同体にどのような影響を及ぼしますか。
3.友達が他人の欠点を口にしたら、どうすべきですか。
4.次の文は正しいですか。それとも間違っていますか。 a) ある人の過ちが事実であった場合、それについて話す事は陰口ではない。 b) 人の欠点を話す時、その人の長所も同時に話せば、陰口にはならない。 c) 陰口は私たちの社会では習慣になっているが、それを避けるために強い意志を養う べきである。 d) 聞き手が秘密を守ることを約束すれば、それは陰口にはならない。 e) 和合の強敵の一つは陰口である。 f) 他人のことを常に話す癖がつくと、陰口に陥る危険性が大きくなる。 g) 地方精神行政会の会合で仕事を分担するために各人の能力について話し合うこと は陰口である。 h) 陰口を言いたくなったら、自分自身の欠点を思い出すべきである。 i) あるバハイが信教や共同体を傷つけるような行動をしている場合は、他のバハイの 人たちと話し合うべきである。 j) 上記の場合は地方精神行政会にだけ知らせるべきである。 k) 夫婦間に秘密があってはならないので、夫婦間で他人の欠点について話すことは陰 口にはならない。
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今、終了したコースは特別な目的を持ったものです。バハオラは 誰もが朝晩、神の聖なる言葉を読むよう教えておられます。このコ ースを通じて、あなたは今後の精神的成長に欠かせない生活習慣を 作り始められました。バハオラの言葉が記載されている本を手に入 れ、毎日尐しずつ読むことを望まれていることでしょう。 『かくされ たる言葉』から始められることをお薦めします。
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参考文献 1. バハオラ 『神の正義の出現』 (ショーギ・エフェンディ著、1984アメリカ版)からの引用 pp.24~25 2. 同上 p.25 3. バハオラ 『かくされたる言葉』 アラビア編 31 番 4. 同上 ペルシャ編 5 番 5. 同上 ペルシャ編 69 番 6. アブドル・バハ 『神の正義の出現』からの引用 (1979U.S.Edition)p.78 7. 同上 p.78 8. バハオラ 『落穂集』 136 番 9. バハオラ 『バハオラの書簡:ケタベ・アグダス後に啓示』 p.138 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19.
バハオラ 『落穂集』 137 番 バハオラ『落穂集』 132 番 アブドル・バハ 『遺訓』 p.13 バハオラ 『落穂集』 5 番 アブドル・バハ 『パリでの講話集』 p.115 同上 p.111 バハオラ 『落穂集』 125 番 バハオラ『かくされたる言葉』 アラビア編 27 番 同上 ペルシャ編 44 番 同上 アラビア編 26 番
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第2章 「祈り」
目的:日々祈ることの重要性を理解し、祈りに必要な態度を身につけること。 五つの祈りを覚え、その意味を理解すること。 実践:尐なくとも2人のバハイを訪問し、一緒に祈りを学ぶこと。
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セクション1 アブドル・バハは、祈りは「神との対話」であると述べておられます。対話をすると いうのは、誰かと話すことです。したがって、私たちが祈るときは神と話をしているこ とになります。 もし人が、年齢性別に拘らず誰かを心から愛しているなら、その人と一緒にいて、話 をすることは何にも増して熱烈な望みでしょう。私たちの祈りは創造主との愛情あふれ る対話であるべきです。祈りの中で無力な私たちは神に嘆願し、その援助を懇願するこ とができます。純粋な祈りは私たちを神に近づけ、その面前に達することを可能にしま す。そのことを常に心に留めておきましょう。 上記の文を学んだ後、以下の質問に答えなさい。 1.祈りとは何ですか。 2.人が誰かを愛していれば、その人の熱烈な望みは何ですか。
3.神との対話はどういう気持ちでなされるべきですか。
4.「嘆願」や「懇願」という言葉の意味は何ですか。
5.祈りの目的は私たちが欲しい物を求めるだけですか。
6.祈りはどんな効果をもたらしますか。
7.アブドル・バハとは誰でしょうか。
25
セクション2 モハメッドは祈りは天と地を結ぶ梯子であり、それによって我々は楽園に昇ることが できる、と言われました。 バハオラは長い必須の祈りの中で述べておられます。 いの
び
わたし
もろもろ
あんまく
や
つ
ほのお
・・・この祈りをして、あなたの美から 私 をさえぎる諸々の暗幕を焼き尽くす 炎 おんまえ
たいよう
わたし
みちび
ひかり
たま
となし、あなたの御前の大洋に 私 を 導 く 光 となし給え。1 1.モハメッドとは誰でしょうか。 2.モハメッドは祈りについてどう述べていますか。
3.祈りはどういう意味で梯子に似ていますか。
4.神から私たちをさえぎる暗幕にはどんなものがありますか。
5.祈りは炎のようになることができますか。何を焼き尽くしますか。
6.祈りは光のようになることができますか。私たちをどこに導きますか。
7.祈りの特質について4つ挙げなさい。 a) 祈りは b) 祈りは 26
c) 祈りは d) 祈りは
セクション3 アブドル・バハの次の言葉を読んで熟考しなさい。 そうぞう
せ か い
いの
か ん び
にんげん
いの
じょうたい
創造の世界で、祈 りほど甘美なものはありません。人間 は祈っている 状 態 で せいかつ
もっと
しゅくふく
じょうたい
いの
たんがん
とき
生活をすべきです。最 も祝 福 されている状 態 は、祈りと嘆願をしている時です。 いの
かみ
た い わ
さいこう
たっせいかん
も っ と か ん び
じょうたい
かみ
かた
祈りとは神との対話です。最高の達成感や最も甘美な状 態 とは、神と語ることに ほか
いの
こころ
きよ
し り ょ
ふか
かんじょう
てんかい
他なりません。祈りにより、 心 は清らかになり、思慮は深まり、感 情 は天界の おうこく
あら
みりょく
う
だ
しこうりょく
さら
たか
ものとなり、「王国」の新たな魅力が生み出され、思考力は更に高められます。2 1.創造の世界で最も甘美な状態とはどんな状態でしょうか。
2.「祈っている状態」とはどういう状態を指しますか。
3.祈りを通じて、どのような効果が得られますか。
27
セクション4 バハオラの次の言葉を読んで熟考しなさい。 わが
しもべ
なんじ
さず
かみ
せ い く
かみ
ちか
つか
ひとびと
とな
おお我が 僕 よ、汝 に授けられた神の聖句を、神のおそば近く仕える人々が唱え とな
なんじ
いの
しら
うるわ
なんじ じ し ん
たましい
ひ
るように唱えよ。されば、 汝 の祈りの調べの 麗 しさは 汝 自身の 魂 に火をとも ひとびと
こころ
ひ
よ
なんぴと
じ し つ
し、また、すべての人々の 心 をも引き寄せるであろう。何人 であれ自室におい かみ
け い じ
たま
せ い く
とな
ひと
くち
こ と ば
ほうこう
ぜんのう
て神の啓示し給う聖句を唱えるならば、その人の口をもれる言葉の芳香は、全能 かみ
み つ か
ひろ
よ
ひろ
こころただ
ひとびと
むね
なる神の御使いたちにより、広く世に広められ、すべての 心 正 しい人々の胸を かんどう
う
さいしょ
さ よ う
き
いの
感動で打ちふるわせるであろう。たとえ最初はその作用に気づかずとも、祈るも たま
おんちょう
こうりょく
そうばん かなら
たましい
えいきょう
およ
のに賜わる恩 寵 の効 力 は、早晩 必 ずその 魂 に影 響 を及ぼすであろう。このよ かみ
け い じ
し ん ぴ
いりょく
え い ち
みなもと
かみ
みこころ
さだ
うに神の啓示の神秘は、威力と英知の 源 である神の御心により定められたので ある。3 1.「唱える」とはどういう意味ですか。
2.神の聖句をどのように唱えるべきですか。
3.私たちの祈りの調べの麗しさは、私たちの魂にどのような影響を及ぼしますか。
28
4.私たちの祈りの調べの麗しさは、すべての人々の心にどのような影響を及ぼします か。
5.「暗唱する」とはどういう意味ですか。
6.「広く世に広める」とはどういう意味ですか。
7.私たちの祈りは、私たちが祈っていることさえ知らない人たちにどんな影響を及ぼ すことができますか。
セクション 5 私たちは、神が私たちを創造されたことを知っています。神は全治者、全賢者です。 彼は私たちの望みと私たちが何を必要としているのかを知っておられます。それならば、 なぜ私たちは祈るのでしょうか。神は私たちの祈りを必要とされません。しかしながら、 私たちの魂の進歩は祈りによるものです。祈りは魂の食べ物だからです。お祈りをする とき、私たちは精神的な栄養を摂るのです。私たちと神の世界を結びつける愛の絆をと おして、私たちは神の祝福を受けるのです。祈りによって私たちの様々な精神的能力は 発達し、真の幸福へと導かれるようになります。 神への道はまっすぐで狭く、数え切れない様々な障害物がその通行を妨げます。しか し、真心からの真剣な祈りによって私たちはそれらの障害を克服し、前進して行くよう 導かれるのです。祈りにより私たちは神に向かって進むことができ、私たちの特別な運 命を見失うことがなくなります。この理由から私たちは常に祈るべきなのです。このよ うに神への愛を通して私たちの魂は成長し、強められ、永遠の幸福への道を着実に歩ん でいくことが出来るのです。アブドル・バハはこう述べておられます。
29
さいこう
いの
かみ
あい
いの
かみ
じ ご く
おそ
最高の祈りとは、ただ神の愛のために祈ることです。神や地獄への恐れ、また おんけい
てんごく
のぞ
いの
ひと
べつ
ひと
こうかん
だ
は恩恵や天国への望みのために祈るのではありません。人が別の人に好感を抱く ひと
な
かみ
の
あい
はじ
ようになると、その人の名を述べずにはおれません。ましてや神を愛し始めたと み
な
くち
こんなん
き、その御名を口にしないでいることが、どれほど困難なことでしょうか・・・。 せいしんてき
にんげん
かみ
さ ん び
い が い
よろこ
み い だ
精神的な人間は神を賛美すること以外に 喜 びは見出せません。4
ひと
とも
あい
い
とうぜん
ある人が友を愛するとき、そのことを言いたくなるのは当然のことではないで とも
じ ぶ ん
き
も
つた
し
しょうか。その友に自分の気持ちが伝わっていることを知っていたとしても、そ くち
だ
のぞ
かみ
ひとびと
こころ
れでもなお口に出したいと望むのではないでしょうか。神 はすべての人々の 心 し
いの
ひとびと
しょうどう
にんげん
かみ
たい
あい
し ぜ ん
を知っておられるけれども、祈りたい人々の衝 動 は人間の神に対する愛から自然 しょう
に 生 じるものです。5 1.私たちはなぜ祈るべきなのですか。
2.次の文章を完成させなさい。 の祈りとは、ただ神の または
のために
ことです。神や
への恐れ、
や天国への望みのために祈るのではありません。人が別の人に
抱くようになると 始めたとき、その うか。精神的な人間は神を
名前を を
を
。ましてや神を にしないでいることが、どれほど困難なことでしょ こと以外に
30
を見出ません。
セクション6 長い必須の祈りの中にある次の句を暗記しましょう。 かみ
かみ
ねが
わたし
いだ
き ぼ う
わたし
おこな
おんまなこ
む
おお神よ、わが神よ。願わくは、私 の抱く希望と、私 の 行 いとには御 眼 を向 たま
てん
ち
つつ
ご じ し ん
たま
みこころ
け給わず、ただ天と地をあまねく包み給うあなた御自身の御心のみをみそなわせ たま
ぜんじんるい
しゅ
さいだい
み
な
ちか
わたし
のぞ
たま
給え。全人類の主よ、最大の御名により誓いまつる。 私 は、あなたの望み給う のぞ
あい
たま
あい
ことのみを望み、あなたの愛し給うもののみを愛しまつります。6
しゅ
わたし
いの
せいめい
いずみ
たま
ごしゅけん
つづ
かぎ
主よ、私 の祈りをして生命の 泉 となし給え。そしてあなたの御主権の続く限り わたし
いずみ
い
もろもろ
よ
つう
の
私 がこの 泉 により生き、あなたの諸々の世を通じてあなたについて述べること たま
ができますようなし給え。7
ちか
つか
ひとびと
とな
さ ん び
とうてい
おんまえ
あなたのおそば近 く仕 えまつる人々 の唱 える讃美 も、到底 、あなたの御前 の てんじょう
およ
みずか
ささ
ひとびと
こころ
とり
けっ
天 上 に及ぶことはできず、自 らをあなたに捧げまつる人々の 心 の鳥も、決して もん
みとびら
い
つ
たか
おんかた
おわ
あなたの門の御扉に行き着くことはできないほどに、あなたはいと高き御方に在 ぞくせい
こ
しんせい
おわ
めいしょう
こ
します。あなたはすべての属性を超えて神聖に在し、いかなる名 称 をも超えて け だ か
おわ
しょうげん
もっと
こうえん
ごえいこう
み
たま
おんかた
気高く在しますことを証 言 いたします。 最 も高遠にして御栄光に満ち給う御方 ほか
かみ
なるあなたの他に神はおられません。8
31
セクション7 祈るときは、私たちの思考のすべてを神に集中しなければなりません。この世のこと、 周りで起きていること、そして自分自身さえも忘れるべきです。バハオラはこのように 述べておられます。 ひかり
こ
ほか
すべ
わす
れい
まじ
めいれい
おお 光 の子よ!われより他の総てを忘れ、わが霊と交われ。これわが命令の しんずい
ゆえ
おもて
む
真髄である。それ故それに 面 を向けよ。9 神以外のことを忘れることは容易ではありません。それは努力を要します。また、深 い熱望をもつことも必要です。心が純粋になり、自分の想像や欲望から解放されるにつ れて、祈りは最大の効果をもたらすようになります。 かみ
しんらい
じ し ん
い
し
す
かみ
じ し ん
神を信頼しなさい。あなた自身の意志を捨て、神にすがりなさい。あなた自身 のぞ
しりぞ
かみ
のぞ
こ し ゅ
の望みを 退 け、神の望みに固守しなさい・・・。10 純粋なミルクを想像してみなさい。そのミルクからバターやチーズやクリームを作る ことができます。しかし、一滴の每を入れれば、そのミルクは汚染され、何にも使えな くなってしまいます。人が自分の人生に入れる每は自我です。自分の祈りが効果を生み 出すためには、自我から解放されなければなりません。 真の祈りの状態に達するためのもう一つの必要条件は、信念です。完全に神に信頼を 置き、神は私たちにとって、最も善きものを与えてくれるということを確信しなければ なりません。アブドル・バハはこう述べておられます。 せいしん
えいきょうりょく
も
いの
せいしんてき
こ う か
も
ゆえ かみ
こた
精神は 影 響 力 を持ち、祈りは精神的な効果を持ちます。それ故神が答えてく かみ
びょうにん
いや
いの
ださるように、われわれは「おお神よ!この病 人 を癒したまえ!」と祈るのです。 いの
かみ
いの
ねつれつ
せっぱく
だれが祈ってもかまわないのでしょうか。神は祈りが熱烈で、切迫したものであ いの
こた
かみ
じ
ひ
こうだい
む げ ん
かみ
すべ
れば、だれの祈りにも答えられます。神の慈悲は広大で無限であります。神は全 しもべ
いの
こた
かみ
な え ぎ
いの
こた
ての 僕 らの祈りに答えられます。神はこの苗木の祈りにも答えておられます。 32
な え ぎ
かみ
あめ
ふ
せんざいてき
いの
かみ
この苗木は「おお神よ!雤を降らせたまえ!」と潜在的に祈っているのです。神 いの
こた
な え ぎ
せいちょう
かみ
だれ
いの
こた
はその祈りに答えられ、苗木は成 長 します。神は誰の祈りにも答えられるであり ましょう。11 1.祈るときの態度はどうあるべきですか。
2.祈るときは何に思いを集中するべきですか。
3.どうしたら神以外のすべてのことを忘れることができますか。
4.心が純粋で、うつろな想像や利己的な欲望から解放されていれば、祈りはどんな効 果をもたらしますか。
5.祈りを通じて得ることができる精神的特質をいくつか述べなさい。
6.信念を持って祈ることの重要性を説明しなさい。
33
7.「神の慈悲」とはどんなことを意味しますか。
8.祈るときに神以外のことで頭がいっぱいであれば、どうなりますか。
セクション8 これまでは祈りの性質、祈り方、祈る理由について学びました。祈りはまたバハオラ の法であり、その法は守らなければなりません。毎日祈るだけでなく、尐なくとも朝晩、 神の言葉を読むべきです。バハオラはこう述べておられます。 かみ
く
まいあさ
まいゆう とな
おこた
だれ
かみ
せいやく
せいてん
たい
神の句を毎朝、毎夕唱えよ。それらを 怠 るものは誰であれ、神の聖約と聖典に対 ちゅうせい
おこた
もの
ひ
せ い く
かお
そむ
だれ
する忠 誠 を 怠 る者である。この「日」、これらの聖句から顔を背けるものは誰で かみ
えいえん
かお
そむ
もの
ひ と り
わ
しもべ
みな
あれ、神より永遠に顔を背けた者らの一人である。おお我が 僕 らよ。皆ことご かみ
おそ
とく神を畏れよ。12 朝晩、または他の時間にとなえる祈りは、バブ、バハオラ、アブドル・バハの数多く の祈りの中から選ぶことができます。祈りにどれくらいの時間をかけるか、またいくつ くらいの祈りを用いるかは各人の精神的な渇きによります。しかし、バハオラは三つの 必須の祈りを啓示されています。ショーギ・エフェンディはこう述べておられます。 ひ
び
ひ っ す
い の り
みっ
いちばん みじか
いっせつ
日々の必須の祈りは三つあります。一番 短 いものは一節からなるもので、24 じ か ん
いっかい
ひる
とな
ちゅうくらい
いの
いちにち
さんかい
あさ
ひる
ばん
とな
時間に一回、昼に唱えるものです。中 位 の祈りは一日に三回、朝・昼・晩に唱え いちばん なが
みっ
もっと
こうみょう
じ か ん
いっかい
じ ぶ ん
のぞ
ます。一番長いものは三つのうち 最 も巧 妙 なもので、24時間に一回、自分が望 とな
むときに唱えるものです。 34
みっ
いの
まった
じ ゆ う
ひと
えら
で
き
バハイはこれらの三つの祈りから 全 く自由に一つを選ぶことが出来ますが、 まいにち ひと
とな
ぎ
む
えら
いの
とくてい
し
じ
毎日一つを唱える義務があります。そして、選んだ祈りに特定の指示がついてい ば あ い
したが
る場合は、それに 従 わなければなりません。
ひ
び
ひ っ す
いの
ち
ゆ
いの
しょかん
バハオラはこれらの日々の必須の祈りと治癒の祈り、アーマドへの書簡のよう とくてい
いの
とくべつ
こうりょく
い
ぎ
ふ
よ
したが
ないくつかの特定の祈りに特別の効 力 と意義を付与されました。 従 ってバハイ うたが
な
しんねん
かくしん
も
う
い
もち
は 疑 いの無い信念と確信を持ってこれを受け入れ、用いるべきなのです。それ いの
つう
かみ
まじ
いっそう ふか
かみ
ほう
おし
じゅうぶん
じっこう
らの祈りを通じて、神との交わりを一層深め、神の法と教えをより十 分 に実行で きるようになります。13 1.バハイは、何か欲しい時にだけ祈りますか。 2.なぜバハオラの法に従うのですか。
3.一日最低何回祈るべきですか。 4.神の句を毎朝、毎夕唱えないと何をしていることになりますか。
5.「背ける」とはどういう意味ですか。 6.バハオラは日々の必須の祈りを幾つ啓示されましたか。
7.日々の必須の祈りは毎日三つとも唱えるべきですか。 8.長い必須の祈りを選んだ場合、一日に何回唱えるべきですか。
35
9.中位の必須の祈りの場合は何回ですか。 10. 短い必須の祈りの場合は何回ですか。 11. バハオラによって特別の効力を付与された祈りをいくつか挙げなさい。
12. 短い必須の祈りを暗唱してください。 13. 必須の祈りの中で何を証言しますか。
14. 「必須」とはどういう意味ですか。
セクション9 これまで、バハオラがこの時代のために祈りを法と定められたことを学びました。ま た祈り神の句を唱えるとき私たちは神の聖約を忠実に守っていることも学びました。バ ハオラは私たちに、様々な機会に用いる祈りを与えて下さいました。そのうちのいくつ かには特別の力が付与されています。必須の祈りもそうです。必須の祈りは一人で神と 交わる時に唱えるものです。他の祈りは一人の時も、他の人たちといるときにも唱える ことができます。集団の中で一人の人が一定の儀式にそって必須の祈りを唱えるといっ た会衆の祈りはバハイにはありません。バハイの法では、死者のための祈りのみが会衆 の祈りです。その祈りは一人の出席者によって唱えられ、他の出席者は立ったまま黙っ て聞きます。 祈るとき、私たちは思考と精神を神に集中させます。祈る前にしばらく静かに待って、 心をこの世のものから清めるべきでしょう。このために最大名(ヤー・バハオル・アブ ハ、またはアラホ・アブハ)を心の中で繰り返し唱える人もいます。祈り終わったらす ぐ次の行動に移らずに、祈りの言葉についてしばらく瞑想すべきです。これは一人で祈 36
るときも、他の人たちと祈るときも同じです。他の人が祈っているとき、私たちはあた かも自分自身が祈っているように感じることができます。他の人の祈りの言葉に耳を傾 け、祈りの姿勢を保つことが大切です。 1.毎日祈れば、何に対して忠実であるといえますか。 2.バハオラはどういう種類の祈りを啓示されましたか。
3.必須の祈りはいくつありますか。 4.集まりで必須の祈りを唱えてもいいですか。 5.祈る前に何をすべきですか。
6.祈り終わったらどうすべきですか。
7.集まりで他の人が祈っているとき、どんな態度を保つべきですか。
8.集まりで他の人が祈っているとき、何について考えるべきですか。
9.他の人が祈っているとき、祈りの本をめくって自分が次に読みたい祈りを探しても よいでしょうか。
10. 特に集まりなどで祈るとき、私たちが示すべき威厳のある態度について述べなさい。
37
参考文献 1.バハオラ『バハイ祈りの書』 2.アブドル・バハ『西の星』8巻からの引用 p.41 3.バハオラ『バハイ祈りの書』祈りの心得 4.アブドル・バハ『精神的基盤:祈り、瞑想、献身的態度』p.12 5.同上 no.34,p.12 6.バハオラ『バハイ祈りの書』長い必須の祈り 7.同上 8.同上 9.バハオラ『かくされたる言葉』アラビア編 16 番 10. 『アブドル・バハ選集』38 番 11. アブドル・バハ『世界平和の公布』 p.246 12. バハオラ『キタベ・アグダス』p.73 13. ショーギ・エフェンディ『バハイ行政の原則』p.7
38
第3章 「生と死」
目的:人生とは、この世の移り変わりを経験するだけのものではないという こと、人生の意義は魂の進歩に見出されることを理解すること。 真の生命は魂の生命であり、それはこの世で始まり、短い期間を経たあと、 神のもろもろの世界を通じて永遠に続いていく。
39
40
セクション1 魂は神のもろもろの精神界から生み出されたものです。魂は物質の世界から遥かに高 められたものです。これらの精神界から来た魂が、受胎時に胚(発達初期段階の胎児) と結合することにより、個人としての人間が生まれるのです。しかし、この結合は物質 的なものではありません。魂は肉体に入ったり、その中のある部分を占拠したりするも のではありません。魂は物質の世界に属するものではありません。魂と肉体との結合は、 光とそれを反映する鏡に例えられます。鏡に反映している光は鏡の中にあるのではあり ません。光は外部から来たものです。同様に魂は肉体の中にあるのではありません。し かし、魂と肉体は特別な関係にあり、この二つから人間が構成されるのです。 1.上の文章からすると、次の文は正しいですか。 a) b) c) d) e) f) g)
魂は神のもろもろの精神界から生み出されたものである。 個々の人間は魂が胚と結合するときに存在し始める。 魂は物質界に属する。 魂は肉体の中にある。 人間は魂と肉体で構成される。 魂は物質の世界より遥かに高められたものである。 魂と肉体の関係は光とそれを反映する鏡に例えられる。
2.上記の文章は次のことを意味しますか。 a) b) c) d)
本当の生命は人間が母親の胎内から生まれ出たときに始まる。 物質的な存在は神の他のもろもろの世界にも続いていく。 肉体が魂を所有している。 一生は毎日の出来事から成る。
3.次の質問に答えなさい。 a) 魂はどこから来ますか。
b) 個々の人間の生命はいつ始まりますか。
c) 人間は何で構成されますか。
41
d)
魂はどんな世界に属しますか。
セクション2 人間を構成する魂と肉体の間には特別の関係があります。この関係はこの世だけのも のです。この関係が終わると肉体は土に、魂は神のもろもろの世界に戻ります。精神界 から発せられ、神の面影に似せて創造され、聖なる特質と神の属性を身につける能力を 持つ魂は、肉体から離れた後、永遠に進歩します。 1.
次の質問に答えなさい。 a)魂と肉体の関係はいつまで続きますか。
b)死後肉体はどこに行きますか。
c)肉体の死後、魂はどこに行きますか。
d)魂はいつまで進歩しますか。
e)魂と肉体、どちらが重要ですか。
f)魂はどこから来るのですか。
g)人間のどの部分が神の面影に似せて創造されたのですか。
h)死後、私たちの生命はどう変わりますか。
42
i)生命はいつ終わりますか。
j)死ぬとき、肉体と魂の関係に何が起こりますか。
2.次のことは正しいですか。間違いですか。 a)死は罰である。 b)肉体は神の面影に似せて創造された。 c)肉体と魂の関係はこの世だけで終わる。 d)肉体は聖なる属性を身につけることができる。 e)魂は永遠に進歩する。 f)死は生命の終わりである。 g)死後、肉体はよみがえる。 h)死後、魂はこの世でよりも一層自由になる。 i) 人生は死と共に終わる。 j) 我々は死を恐れるべきである。
セクション3 バハオラは述べておられます。 にんげん
たましい
し
ご
せいぞん
かん
しつもん
たましい
にくたい
さて、人間の 魂 と、その死後の生存に関する質問について。 魂 は肉体より ぶ ん り ご
ねんだい
せ い き
よ
へんせん
うんめい
か
分離後、年代と世紀のめぐりによっても、この世の変遷と運命によっても変わら じょうたい
かみ
めんぜん
たっ
し ん ぽ
つづ
じ じ つ
し
かみ
ない状 態 で、神の面前に達するまで進歩し続けるという事実を知れ。それは神の おうこく
かみ
しゅけん
かみ
とうちけん
いりょく
つづ
かぎ
つづ
かみ
もろもろ
王国、神の主権、神の統治権と威力が続く限り続くのである。それは神の諸々の ぞくせい
しょうめい
かみ
じ あ い
おんちょう
あき
しるしと属性を証 明 し、神の慈愛と恩 寵 を明らかにするであろう。1
43
1.
次の質問に答えなさい。
a)魂と肉体の分離を何と呼びますか。
b)魂はいつまで進歩しつづけますか。
c)死後の世界で魂が顕わす属性としるしは何ですか。
d)魂は何を明らかにしますか。
e)魂は肉体の死後、生き続けますか。
2.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)魂は神の面前に達する。 b)魂の状態は死後もこの世の変遷によって影響を受ける。 c)神の王国は永遠に続く。 d)魂は慈愛や寛大さといった神の属性を現わす能力を持つ。 e)死後の魂の状態はこの世での状態よりも高められる。
セクション4 バハオラは述べておられます。 ちょうりょく
みみ
じゅんすい
けが
し ほ う
とどろ
つぎ
聴 力 あるすべての耳は、それが純 粋 で汚れないものであれば、四方に 轟 く次 せ い く
かた
こえ
つね
き
し
われわれ
かみ
ぞく
の聖句を語る声を常に聞くであろう。そのことを知れ。 「まことに我々は神に属し、 かみ
もと
かえ
にくたい
し
かみ
き か ん
かか
し ん ぴ
あ
神の下へと帰らん」。肉体の死と、神への帰還に係わる神秘は明かされておらず、 いま
かいどく
かみ
せ い ぎ
ちか
し ん ぴ
それは未だ解読されないままである。神の正義にかけて誓う。もしこれらの神秘 44
と
あ
もの
きょうふ
かな
し め つ
が解き明かされるならば、ある者は恐怖と悲しみのあまり死滅してしまうであろ た ほ う
もの
ひじょう
よろこ
み
し
かつぼう
せつ
おも
う。他方、ある者は非常な 喜 びに満たされ、そのため死を渇望し、切なる思い みずか
し
き
はや
たま
ゆいいつ しんじつ
かみ
たんがん
かみ
をこめて、 自 らの死期を早め給うよう唯一真実の神に嘆願 するであろう。神の えいこう
こうえん
栄光は高遠なり。
かくしん
え
しんじゃ
たい
し
せいめい
せいはい
ていきょう
し
よろこ
あた
確信を得た信者に対し、死は生命そのものの聖杯を提 供 する。死は 喜 びを与え、 か ん き
えいえん
せいめい
たまもの
ふ
よ
歓喜をもたらす。それは永遠の生命の賜物を付与する。
ゆいいつ しんじつ
かみ
にんしき
ちじょう
せいかつ
か じ つ
かみ
えいこう
唯一 真実 の神 を認識 することこそが地上 での生活 の果実 である。神 の栄光 は こうえん
か じ つ
あじ
もの
し
ご
せい
われ
じょ じゅつ
え
高遠なり。この果実を味わった者の死後の生については、それは我が变 述 し得な ほど
ち し き
もろもろ
よ
しゅ
おわ
かみ
い程のものである。その知識は、諸々の世の主に在す神のみにある。2 1.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)人間の魂は神から来て神に戻る。 b)人間の肉体的な死は神秘である。 c)もし死の神秘が明らかにされれば、すべての人は恐怖に満たされるだろう。 d)もし死の神秘が明らかにされれば、すべての人は死を渇望するだろう。 e)真の信者にとって、死は生命である。 f)死後の生についての全ての知識は神のみにある。 g)死は喜びをもたらすものである。 h)死の神秘は明らかにされ、すべての人が解読することができる。 i)私たちにとって死後の生を知ることは重要である。 2.次の文章を完成させなさい。 a)死の神秘については明らかに
。
b)死の神秘が明らかにされれば、人は
満たされるであろう。
c)聖約に確信を持っていない人は
と感じるであろう。 45
d)聖約に確信を持っている人は その人は死を
で満たされるので、
であろう。
セクション5 バハオラは述べておられます。 かみ
にんげん
つく
たま
おんもくてき
にんげん
そうぞうしゅ
し
かみ
おんまえ
のぞ
神が人間を造り給うた御目的は、人間にその創造主を知らしめ、神の御前に臨 み ら い えいごう
てんじょう
しょもつ
かみ
あら
ませることであったし、未来永劫においてもそうである。天 上 の書物と、神が顕 そうちょう
せいてん
ぎ ろ ん
よ
ち
もっと
すうこう
しじょう
もくてき
わされた荘 重 な聖典のすべては、議論の余地なくこの 最 も崇高で至上の目的を あ
かみ
みちび
あけぼの
ぜ に ん
ていない
はい
もの
証かしているのである。 「神の 導 きの 曙 」を是認し、その廷内に入ってきた者は だれ
かみ
ちか
おんまえ
とうたつ
もの
かみ
おんまえ
誰であれ、神に近づき、その御前に到達できた者である。神の御前にあることこ しん
らくえん
てんごく
もっと
す う び
やしき
しょうちょう
かみ
そは真の楽園であり、天国の 最 も崇美な 邸 もその 象 徴 にすぎない。 ・・・ 「神の みちび
あけぼの
ぜ に ん
そこ
もの
だれ
かみ
えんかく
くる
みずか
せんげん
導 きの 曙 」を是認し損なった者は誰であれ、神との遠隔の苦しみを 自 らに宣言 かみ
はな
じ ご く
れ っ か
したことになるであろう。神から離れているそのことは地獄の烈火そのものであ まった
む
ほか
もの
い
つ
ところ
り、 全 くの無そのものに他ならない。これこそがそのような者の行き着く 所 と たと
み
め
もの
ちじょう
もっと
こうしょう
ざ
し
さいこう
お う ざ
つ
なろう。例え見た目にはその者が地上の 最 も高 尚 な座を占め、最高の王座に着い ていようとも。3 1.次の質問に答えなさい。 a)神が人間を創造した目的は何でしょうか。
b)この目的は時代によって変わりますか。
46
c)どんな書によってこの事が確認されますか。
d)「神の導きの曙」とは誰を指していますか。
e)私たちが「神の導きの曙」を認めるとき、誰に近づいているのですか。
f)「真の楽園」とは何ですか。
g)「神の導きの曙」を認めなければ、どうなりますか。
h)「全くの無」「地獄の烈火」とはどんな状態を指していますか。
セクション6 アブドル・バハは述べておられます。 にんげん
せいめい
ころ
しきゅう
せ か い
なか
た い じ
じょうたい
人間は、その生命のはじめの頃、子宮という世界の中で胎児の状 態 でした。そ た い じ
にんげん
そんざい
ひつよう
のうりょく
さいのう
あた
よ
ひつよう
こで胎児は人間の存在 に必要な 能 力 や才能を与えられました。この世で必要 な さまざま
のうりょく
ちから
かぎ
じょうたい
なか
あた
よ
様々な能 力 や 力 は、そのように限られた状 態 の中で与えられたのです。この世 め
ひつよう
しきゅう
せ か い
せんざいてき
あた
みみ
ひつよう
では目を必要としたので、子宮の世界で潜在的に与えられました。耳が必要であ あたら
せいかつ
つか
さず
よ
ったので、この 新 しい生活にすぐに使えるように、そこで授かりました。この世 か
さまざま
のうりょく
しきゅう
せ か い
あた
で欠くことのできない様々な能 力 は子宮の世界で与えられたのです。
にんげん
よ
つぎ
よ
じゅんび
かみ
おうこく
したがって、人間はこの世で次の世の準備をしなければなりません。神の王国 47
ひつよう
み
しきゅう
せ か い
よ
で必要なものをここで身につけなければならないのです。子宮の世界で、この世 ひつよう
さまざま
のうりょく
み
じゅんび
つぎ
よ
きよ
せいかつ
に必要な様々な能 力 を身につけて準備したように、次の世における清らかな生活 ふ か け つ
さまざま
のうりょく
よ
せんざいてき
しゅうとく
に不可欠な様々な能 力 を、この世で潜在的に習 得 しなければならないのです。4 1.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)私たちは、この世に必要な能力や才能を子宮の世界で与えられた。 b)子宮の世界での胎児の状態は制限されたものではない。 c)この世で必要な様々な能力や力はすべて子宮の世界で与えられた。 d)私たちは次の世の準備をする必要は無い。 e)次の世で必要なものは、次の世で得ることができる。 f)人生の目的は次の世で必要な様々な能力や力を身につけることである。 g)真の生命は人が死に、次の聖なる王国に行くときに始まる。 h)真の生命は、魂の生命である。 i)真の生命は、この世で始まり死後も続いていく。 2.次の質問に答えなさい。 a)人間の生命はどのように始まりますか。
b)能力や才能はどこで与えられますか。
c)子宮の世界で得たもので、この世で必要なものをいくつか挙げなさい。
d)次の世のためにこの世で身につけておくべき精神的能力をいくつか挙げなさい。
48
セクション7 バハオラは述べておられます。 ひ
お
にんげん
ぎ
む
かみ
かくじん
なが
たも
おんけい
この「日」に於ける人間の義務のすべては、神が各人のために流し給うた恩恵 こうずい
わ
まえ
ゆえ
だれ
よ う き
だいしょう
かんが
の洪水の分け前にあずかることである。それ故に、誰もその容器の大 小 を 考 え あ
もの
わ
まえ
てのひら
くらい
し
ほか
もの
ないようにせよ。或る者の分け前は 掌 にのる 位 であるかも知れないし、他の者 ぶん
ゆ
の
み
べつ
もの
ぶん
ひとたるほど
し
の分は湯呑みを満たし、また別の者の分は一樽程であるかも知れないからである。 5
1.次の質問に答えなさい。 a)あなたが神から受け取った恩恵をいくつか挙げなさい。
b)人間が神の恩恵を受け取りそこなう例をいくつか挙げなさい。
c)どうして自分の容器の大小を考えるべきではないのですか。
2.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)偉大な哲学者だけが神を知る能力を持つ。 b)神に奉仕するためには自分の弱さを考えず神に信頼を置かなければならな い。 c)神が私たちに与えられた能力をこの世で発達させなければ、次の世に入っ たとき、私たちの魂は弱い状態であろう。
49
セクション8 バハオラは述べておられます。 たましい
とくしつ
なんじ ら
われ
と
たましい
かみ
魂 の特質 について 汝 等 は我 に問 うた。まことに 魂 は神 のしるしであり、 てんごく
ほうせき
じったい
もっと
がくしき
もの ら
り か い
天国の宝石であり、その実態は 最 も学識ある者等も理解しえないものであり、 し ん ぴ
えいびん
ち せ い
けっ
かいめい
え
い
こと
し
その神秘はいかに鋭敏な知性も決して解明し得ないものであると云う事を知れ。 たましい
ぜんそうぞうぶつ
なか
さいしょ
そうぞうしゅ
たくえつせい
あら
さいしょ
かみ
えいこう
みと
魂 は全創造物の中で最初にその創造主の卓越性を表わし、最初に神の栄光を認 かみ
し ん り
かた
まも
かみ
み ま え
さ ん び
ふ
たましい
め、神の真理を固く守り、神の御前で賛美をもってひれ伏すものである。もし 魂 かみ
ちゅうじつ
かみ
ひかり
はんえい
かみ
もど
が神に忠 実 であれば神の 光 を反映し、やがて神に戻るであろう。しかしながら、 そうぞうしゅ
ちゅうせい
おこた
じ
が
じょうよく
ぎ せ い
けっきょく
もしその創造主への忠 誠 を 怠 れば、自我と情 欲 の犠牲となり、結 局 はそれらの しんえん
しず
深淵に沈むであろう。6 1.次の文章を完成させなさい。 a)魂は神の である。 b) は天国の宝石である。 c) は最初にその創造主の卓越性を表わすものである。 d)もし魂は であれば、神にもどるであろう。 e)もし魂は ば、自我と情欲の犠牲となるであろう。 f)もし自我と情欲の犠牲となれば、魂は に沈むであろう。 g)もし魂が ならば、神の光を反映するであろう。 2.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)「解明する」という言葉の意味は「見つけ出す」ということである。 b)すべての創造物のうち、最初に神を認めるのは知性である。 c)「鋭敏な」というのは「鋭い」という意味である。 d)学識がある人は魂の神秘を理解できる。 e)魂とは何かについて深く考える必要はない。なぜならそれを理解すること は不可能であるから。 50
セクション9 バハオラは述べておられます。 なんじ
きょうりょく
つばさ
ぞんぶん
は
か ん き
み
かんぜん
じ し ん
まことに 汝 らは 強 力 な 翼 を存分に羽ばたかせ、歓喜に満ちた完全な自信を も
む げ ん
てんくう
ま
どり
くうふく
おぼ
とり
げ か い
みず
持って無限の天空を舞う鳥のごとくである。やがて空腹を覚える鳥は下界の水と ね ん ど
もと
ちじょう
ひ ら い
よくぼう
あみ
あし
と
とり
い ぜ ん
粘土を求めて地上に飛来する。しかし、そこで欲望の網に足を捕られた鳥は、以前 りょうど
ま
もど
ちから
うしな
はね
おお
どろ
とり
おも
どろ
いた領土に舞い戻る 力 を 失 ってしまう。羽を覆う泥は重くのしかかり、鳥は泥を はら
ちから
てんかい
じゅうにん
とり
ちり
なか
じゅうきょ
払う力 をもたない。かつては天界の住人 であった鳥も、いまや塵の中に住 居 を もと
し
わ
しもべ
むな
よくぼう
求めることを強いられるのである。したがって、おお我が 僕 らよ。虚しい欲望と ごうじょう
ね ん ど
なんじ
つばさ
よご
ね
た
にく
ちり
よご
なんじ
強 情 の粘土で 汝 らの 翼 を汚してはならない。妬みや憎しみの塵の汚れを汝 ら はね
したが
しんせい
わ
ちしき
てんくう
ま
の羽 につけてはならない。これに従えば神聖 なる我 が知識 の天空 に舞 うことを さまた
けっ
妨 げられることは決してない。7 1.次の文章を完成させなさい。 a)上の引用文の中の「鳥」は人間の
を指す。
b)この鳥は
の住人である。
c)この鳥は今
に住むことを強いられている。
2.次の質問に答えなさい。 a)魂の「翼」は、どのように汚されているのですか。
b)「下界の水と粘土」のような重荷をいくつか挙げなさい。
51
c)神聖なる知識の天空に舞い戻ることを妨げるのは何ですか。
d)神聖なる知識の天空へ舞い戻ることを妨げるものをいくつか挙げなさい。
e)なぜ魂は天界の住居をこの世の塵と交換するのでしょうか。
セクション10 バハオラは述べておられます。 かみ
よ
す
うご
そうぞう
たも
神は、この世とそこに住みそこで動くあらゆるものを創造し給うた。そして、 こうそく
しじょう
ご
い
し
にんげん
かみ
し
あい
どくとく
とくいせい
のうりょく
拘束されない至上の御意志により、人間に神を知り愛する独特の特異性と能 力 を あた
たも
しょうどう
ひ
お
ちから
ぜんうちゅう
き
そ
だいいち
与え給うた。それは、衝 動 を引き起こす 力 であり、全宇宙の基礎をなす第一の もくてき
み
のうりょく
そうぞうぶつ
ないおう
かくじつざい
かみ
目的と見なされるべき能 力 である。すべての創造物の内奥の各実在に、神はその もろもろ
な
なか
ひと
な
ひかり
そそ
かみ
もろもろ
ぞくせい
ひと
諸々の名の中にある一つの名の 光 を注ぎ、神の諸々の属性 のうちにある一つの ぞくせい
えいこう
う
い
たも
なが
にんげん
じつざい
かみ
属性 の栄光 を受け入 れるものとなし給 うた。しかし乍 ら、人間 の実在 には神 の もろもろ
な
ぞくせい
こ う き
しゅうちゅう
かみ じ し ん
かがみ
たも
諸々の名と属性のすべての光輝を 集 中 し、それを神自身の 鏡 となし給うたので ぜんそうぞうぶつ
にんげん
ほど い だ い
おんけい
ほど ふきゅう
おんちょう
ある。全創造物のうち人間のみが、それ程偉大な恩恵、それ程不朽の恩 寵 のため えら
だ
に選び出されたのである。8 1.次の質問に答え、文章を完成させなさい。 a)神はどのような独特の特異性と能力を人間に与えたのですか。
52
b)神の属性をいくつか挙げなさい。
c)神はすべての創造物の内奥の各実在に
を
注いだ。 d)神は人間の実在には 神自身の
を集中し、 としたのである。
e)人間の魂に反映している神の属性をいくつか挙げなさい。
f)それらの属性を人間はどのように示すことができますか。
g)人間は何を受けるべく選び出されたのですか。
2.次の文は正しいですか、間違いですか。 a)世俗のものに対する愛着は精神的な進歩を妨げる。 b)私たちの情欲や欲望は神の王国への飛翔を妨げる障害物ではない。 c)この世の物事から離脱することにより、神に向かうことを妨げる重荷を取 り除くことができる。 d)魂の住居はチリの中である。 e)羨望、憎しみ、悪意は魂の進歩の重荷とはならない。 f)何も神の意志を妨げることは出来ない。 g)人間は他の創造物に等しい。 h)神についての知識は衝動を引き起こす力であり、全宇宙の基礎をなす第一 の目的である。 i)すべての創造物の実在は神の属性の一つを顕わす。
53
セクション11 バハオラは述べておられます。 なが
かみ
おんちょう
ひる
ほし
せい
きょうどう
げんせん
にんげん
じつざい
あた
しかし乍ら、神の恩 寵 の「昼の星」と聖なる教 導 の「源泉」が人間の実在に与 ほのお
ろうそく
なか
かく
ひかり
なか
せんざい
えたこのエネルギーは、 炎 が蝋燭の中に隠され、 光 がランプの中に潜在するよ にんげん
なか
せんざい
こ う き
たいよう
ひかり
かがみ
おお
うに人間の中に潜在している。このエネルギーの光輝は、太陽の 光 が 鏡 を覆う ちり
した
せ ぞ く
よくぼう
おお
かく
ゴミや塵 の下 にかくされるように、世俗 の欲望 で被 い隠 されるかもしれない。 ろうそく
じ た い
なん
て だ す
とも
え
かがみ
みずか
ちり
蝋燭もランプもそれ自体、何らかの手助けなしには点され得ず、鏡 も 自 らその塵 と
のぞ
けっ
で
き
ひ
とも
けっ
も
を取り除くことは決して出来はしない。ランプは火を点されるまでは決して燃え かがみ
おもて
ちり
のぞ
たいよう
えいぞう
あら
ることはなく、 鏡 もその 面 より塵を除かれなければ、太陽の映像を現わすこと ひかり
えいこう
はんえい
きわ
めいはく
も、その 光 と栄光を反映することもできないということは極めて明白である。9 1.次の質問に答えなさい。 a)「潜在している」とはどういう意味ですか。
b)人間の魂にはどのような能力が潜在していますか。
c)ランプにはどういう潜在能力がありますか。
d)鏡にはどういう潜在能力がありますか。
e)ランプが光を放つためには何をしなければなりませんか。
54
f)鏡に光が反映するためには何をしなければなりませんか。
g)ランプや鏡はそれ自体で能力を発揮することができますか。
h)ランプや鏡を例にして魂の状態を説明できますか。
i)誰が魂の潜在能力を発揮させることができますか。
セクション12 こ ら い
そんざいしゃ
ち し き
とびら
にんげん
めんぜん
と
み ら い えいごう
「古来の存在者」の知識への 扉 は人間の面前で閉ざされてきたし、また未来永劫 と
つづ
にんげん
りかいりょく
かみ
せい
きゅうてい
けっ
に閉ざされ続けるであろう。いかなる人間の理解力も、神の聖なる宮 廷 には決し ち か づ
え
なが
じ
ひ
じ あ い
しょうこ
て近付き得ないであろう。しかし乍らその慈悲のしるし、その慈愛の証拠として、 かみ
じんるい
せい
きょうどう
ひる
ほし
かみ
いったいせい
しょうちょう
あら
神は人類に聖なる教 導 の「昼の星」、神の一体性の「 象 徴 」を顕わし、これら せいべつ
そんざいしゃ
ち し き
か み ご じ し ん
ち し き
どういつ
さだ
たま
の聖別された「存在者」の知識を、神御自身の知識と同一 であると定め給うた。 かれ ら
みと
もの
かみ
みと
もの
かれ ら
よ
ごえ
みみ
かたむ
もの
かみ
こえ
彼等を認める者は神を認める者である。彼等の呼び声に耳 を 傾 ける者は神の声 みみ
かたむ
もの
かれ ら
け い じ
し ん り
しょうげん
もの
かみ
し ん り
に耳を 傾 ける者であり、彼等の啓示の真理を証 言 する者は、神そのものの真理を しょうげん
もの
かれ ら
かお
そむ
もの
かみ
かお
そむ
もの
かれ ら
証 言 する者である。彼等より顔を背ける者は神より顔を背ける者であり、彼等を しん
もの
かみ
しん
もの
かれ ら
みな
よ
てんかい
むす
つ
かみ
みち
信じない者は神を信じない者である。彼等は皆この世と天界を結び付ける神の道 て ん ち
もろもろ
おうこく
あ
もの
かみ
し ん り
はたじるし
であり、天地の諸々の王国に在るすべての者にとって神の「真理の旗 印 」である。 かれ ら
じんるい
ま
そんざい
かみ
けんじしゃ
かみ
し ん り
しょうこ
かみ
彼等は人類に混じって存在する神の顕示者であり、神の真理の証拠、そして神の えいこう
栄光のしるしである。10 55
1.次の質問に答えなさい。 a)神だけが人間の魂の潜在能力を発揮させることが出来ます。では人間が直接神を 知ることは可能ですか。
b)どうしたら神を知ることができますか。
c)聖なる教導の「昼の星」とは誰のことですか、名前をいくつか挙げなさい。
d)誰の知識が神の知識と同一ですか。
e)「神の顕示者」の声を聞くことは誰の声を聞くことですか。
f)「神の顕示者」の呼び声に耳を傾けなければ誰に背くことになりますか。
2.次の文を完成させなさい。 a)「古来の存在者」の知識への扉は、人間の面前で閉ざされてきた。 また未来永劫に
であろう。
b)いかなる人間の理解力も c)神は
には決して近づき得ないであろう。 のしるしとして、神の顕示者を人間に下された。
d)神の顕示者の知識は
の知識と同一である。
e)神の顕示者を認めた者は
を認めたものである。
f)神の顕示者に耳を傾ける者は
である。
g)神の顕示者のすべては
神の道である。
56
セクション13 バハオラは述べておられます。 にんげん
さいこう
じ ん ぎ
なが
てきせつ
きょういく
けつじょ
にんげん
じ
こ
人間は最高の「神器」である。しかし乍ら適切な教 育 の欠如のために人間は自己 ないざい
のが
かみ
み く ち
ひとこと
にんげん
う
に内在するものを逃してしまっている。神の御口をもれる一言により人間は生み だ
つぎ
はっ
ひとこと
にんげん
みずか
きょういく
げんせん
にんしき
出された。次に発せられた一言で、人間は 自 らの教 育 の「源泉」を認識できる みちび
はっ
ひとこと
にんげん
ち
い
うんめい
ほしょう
よう 導 かれた。さらに発せられた一言によって人間の地位と運命は保障された。 い だ い
そんざいしゃ
つ
たま
にんげん
はか
し
こ う か
ほうせき
と
こうざん
「偉大なる存在者」は告げ給う。人間を計り知れないほど高価な宝石に富む鉱山 み
きょういく
たから
ほうしゅつ
にんげん
り え き
きょうじゅ
と見なせ。教 育 のみがその 宝 を放 出 させ、人間にその利益を享 受 させることが だれ
かみ
ご
い
し
てん
くだ
せいてん
あき
できる。誰であれ、神の御意志の天より下された聖典によって明らかにされたこ めいそう
かみ
け い じ
もくひょう
すべ
ひとびと
ひと
たましい
ごと
み
とを瞑想するならば、神の啓示の目 標 は、全ての人々が一つの 魂 の如く見なさ すべ
ひと
こころ
おうこく
かみ
こ と ば
れることである。そして全ての人の 心 には「王国は神のものなり」という言葉が きざ
ぜんじんるい
かみ
けいたく
おんちょう
じ
ひ
ひかり
つつ
こ
刻まれ、全人類が神の恵沢と恩 寵 と慈悲の 光 で包み込まれることである。11 1.次の質問に答えなさい。 a)「神器」とはどういう意味ですか。
b)教育の欠如は人間にどのような影響を与えますか。
c)適切な教育はどのような結果をもたらすでしょうか。
d)人間の教育の源泉は何でしょうか。
57
e)人間にはどのような運命が保障されているのですか。
f)人間が教育によって顕わす宝石にはどのようなものがありますか。
g)神の啓示の目標は何でしょうか。
h)人間の心に何という言葉が刻まれますか。
2.次の文は正しいですか、それとも間違っていますか。 a) b) c) d) e) f) g)
人間は自分の努力で精神的な存在になるであろう。 人間の進歩は、神が人間に与えた知性で十分である。 人間は、神の顕示者を認めれば精神的に進歩するのであり別に努力をする 必要は無い。 人間は神の顕示者を認め、その教えに従って努力すれば精神的に進歩する。 人間は直接に神を知ることができる。 人間は神のようになることができる。 神は人間の理解をはるかに超えたものである。
h) i)
神の顕示者の声に耳を傾けることは、神の声に耳を傾けることである。 神の顕示者を通してのみ人間は神の属性を反映させることができる。
セクション14 バハオラは述べておられます。 にくたい
ぶ ん り
とき
よ
ひとびと
うつ
そうぞう
せいべつ
たましい
さいわ
肉体より分離の時、世の人々の空ろな想像より聖別されている 魂 は 幸 いであ よう
たましい
そうぞうしゅ
い
し
したが
い
こうどう
もっと
こうえん
らくえん
る。その様な 魂 は創造主の意志に 従 って生き、行動し、 最 も高遠なる楽園に もっと
すう こう
やかた
じゅうみん
てん
お と め ら
まわ
まわ
かみ
よ げ ん し ゃ など
入る。 最 も崇高な 館 の住 民 なる天の乙女等は、その周りを回り、神の予言者等 かみ
えら
ひとびと
たましい
こうゆう
もと
たましい
かれ ら
と、神より選ばれた人々はその 魂 と交友を求めるであろう。その 魂 は彼等と 58
じ ゆ う
か い わ
かわ
せ か い
しゅ
かみ
みち
た
しの
自由に会話を交し、あらゆる世界の主である神の道において耐え忍ばねばならな こと
かれ ら
ものがた
かった事を彼等に物語るであろう。12
いっぽう
ふしんじんしゃ
たましい
かん
われ
つぎ
しょうげん
さ い ご
いき
ひ
一方、不信心者の 魂 に関しては、我は次のように証 言 する。最後に息を引き と
とき
かれ ら
しょうがい
つう
いっ
よ
き
づ
じ ぶ ん
お
くきょう
なげ
取る時、彼等は生 涯 を通じて逸した善きものに気付き、自分の置かれた苦境を嘆 かみ
み ま え
みずか
たましい
にくたい
はな
あと
かれ ら
き、神の御前において 自 らをいやしむであろう。 魂 が肉体を離れた後も、彼等 じょうたい
つづ
のこの状 態 は続く。13
みち
もと
もの
つみぶか
ひと たち
ゆる
かれ ら
ち
い
ひく
けっ
けいべつ
道を求める者は、罪深い人達を許し、彼等の地位の低さを決して軽蔑してはな な
ぜ
だれ
じ ぶ ん
さ い ご
し
もの
つみぶか
らない。何故ならば誰も自分の最期を知る者はいないからである。罪深いものが りんじゅう
さい
しんこう
ほんしつ
とうたつ
ふ め つ
さかずき
の
ほ
てんじょう
ぐんしゅう
ほう
臨 終 の際に、信仰の本質に到達し、不滅の 盃 を飲み干し、天 上 の群 集 の方へ ま
あ
い
なん
じつ
しんじん ぶか
と舞い上がって行ったことが、何としばしばあったことか。また実に信心深かっ ひと
れいこん
しょうてん
さい
か
じ ご く
ひ
なか
お
こ
た人が霊魂の昇 天 に際し、あまりもの変わりように地獄の火の中に落ち込んでし なん
たびたび
まうということも何と度々あったことか。14
1.次の質問に答えなさい。 a)肉体から離れるとき、魂の状態はどうあるべきですか。
b)空ろな想像にはどういうものがありますか。
c)空ろな想像から聖別された魂はどこに行きますか。
d)そういった魂は誰と一緒にいますか。 59
e)そういった魂は神の予言者と言葉を交すことができますか。
f)この状態を素晴らしいと思いますか?あなたもそうなりたいですか。
g)不信心者とはだれのことですか。
h)臨終の際、不信心者は何に気づきますか。
i)自分の状態に気づいて何をしますか。
j)人の一生がどのように、またいつ終わるか前もって知ることが出来ますか。
k)永遠の生命を確保するために今何ができますか。
l)永遠の生命に達するために、どのような精神的特質が必要ですか。
セクション15 アブドル・バハは述べておられます。 にんげん
ちじょう
せ か い
き
づ
さまざま
し ん ぴ
てんじょう
せ か い
はっけん
人間は、この地上の世界で気付かない様々な神秘を天 上 の世界で発見するでし し ん り
ひ み つ
し
よ
こうさい
ょう。そして、そこで真理の秘密を知らされるでしょう。もちろんこの世で交際 ひと たち
みと
はっけん
じゅんすい
め
どうさつりょく
のあった人達を認めたり、発見したりするでしょう。純 粋 な目をもち、洞察力 に めぐ
せい
たましい
ひかり
おうこく
うたが
し ん ぴ
し
恵まれた聖なる 魂 は、 光 の王国で 疑 いもなくすべての神秘を知らされるでし 60
い だ い
たましい
じったい
もくげき
おんけい
え
ょう。そして、すべての偉大な 魂 の実態を目撃するという恩恵を得ようとする せ か い
かみ
び
あき
み
どう よう
でしょう。その世界で、かれらは神の美を明らかに見るでしょう。同様に、かれ てんじょう
つど
か
こ
さいきん
かみ
とも
み い だ
らは天 上 の集いで過去と最近の神の友をすべて見出すでしょう。15
にんげん
あいだ
さ
い く べ つ
よ
さ
あと
し ぜ ん
あらわ
人間の 間 の差異区別はこの世を去った後に自然と 現 れてきます。しかしこの く べ つ
ち
い
かん
たましい
りょうしん
かん
かみ
くに
区別は地位に関するものではなく、ただ 魂 と良 心 に関するものです。神の国は とき
ところ
せいべつ
じ ゆ う
まった
べつ
せ か い
時と 所 から聖別され(あるいは自由にされ)ているので、それは 全 く別の世界、 べつ
うちゅう
せい
たましい
さいのう
やくそく
かみ
別の宇宙なのです。しかし聖なる 魂 はとりなしの才能を約束されています。神の もろもろ
せ か い
たし
せいしんてき
あい
もの ら
そ う ご
みと
あ
たが
けつごう
諸々の世界では、確かに精神的に愛される者等は相互に認め合い、互いに結合を もと
せいしんてき けつごう
し
どう よう
げ ん せ
だれ
求ますが、これは精神的結合であることを知りなさい。同様に現世において誰か たい
いだ
あい
かみ
くに
せ か い
わす
どう よう
に対して抱いた愛は神の国の世界において忘れられるものではありません。同様 がた
ぶっしつ
よ
す
せいかつ
わす
にあなた方がこの物質の世で過ごした生活も忘れられるものではありません。16
1.次の質問に答えなさい。 a)天国で人間はどのような神秘を発見しますか。
b)天国ではこの世で知っていた人々を発見することができますか。
c)どのような魂があらゆる神秘に通じることができますか。
d)魂の間には差異区別がありますか。
e)神の国は何から聖別されていますか。 61
f)精神的に愛される者等は次の世ではどうなりますか。
2.次の文は正しいですか、間違っていますか。 a)天国で魂はお互いを認めない。 b)清い魂は、すべての偉大な魂に会うことを願う。 c)天の群集には過去の時代の純粋な魂も含まれる。 d)魂がこの世を去ったあとは、差異区別は明らかにされない。 e)神の国は時間も場所も存在しない。 f)別の世界というのはもう一つ別の宇宙を指す。 g)別の世界では人間はこの世で他の人に抱いた愛を忘れる。
セクション16 バハオラは述べておられます。 さら
なんじ
たましい
にくたい
ぶん り
あと
じょうたい
かん
われ
しつもん
ひと
更に 汝 は、 魂 が肉体より分離した後の状 態 に関して我に質問した。もし人の たましい
かみ
みち
あゆ
かなら
さいあい
もの
えいこう
もど
ひ
よ
魂 が神の道を歩んだならば、必 ず「最愛なる者」の栄光に戻り、引き寄せられ じ じ つ
し
かみ
せ い ぎ
ちか
たましい
じょじゅつ
るであろう事実を知れ。神の正義にかけて誓う!その 魂 はいかなるペンが变 述 こと
した
の
こと
で
き
ほど
ち
い
たっ
かみ
する事も、いかなる舌 が述 べる事 も出来 ない程 の地位 に達 するであろう。神 の たいぎょう
ちゅうじつ
つづ
かれ
みち
か っ こ
たましい
しょうてんご
大 業 に忠 実 であり続け、彼の道にゆるがずに確固としていた 魂 は、昇天後、 ぜんのうしゃ
そうぞう
たも
せ か い
り え き
あた
う
ほど
ちから
しょゆう
全能者が創造し給うたあらゆる世界に利益を与え得る程の 力 を所有する。17 1.次の文を完成させなさい。 a)もし人の魂が
を歩んだならば、必ず、
、 知れ。
b)その魂は
事も、 地位に達するであろう。 62
c)神の大業に
であり続け、
に
魂は、昇天後、 程の力を所有する。
セクション17 バハオラは述べておられます。 しもべ
ちじょう
ひ
び
なんじ
のぞ
たが
かみ
おおわが 僕 らよ!この地上での日々において、 汝 の望みに違う事々が神によ さだ
あき
けっ
なげ
なん
って定められ明らかにされたとしても、そのことを決して嘆いてはならない。何 なんじ
ま
う
こうふく
よろこ
うえ
か ん き
み
とならば、汝 らを待ち受けているのは幸福と 喜 びにあふれ、この上ない歓喜に満 ひ
び
たし
しんせい
せいしんてき
ひかり
み
かずおお
ちた日々である。このことは確かである。神聖で精神的な 光 に満ちた数多くの せ か い
なんじ
ひ ろ う
いま
よ
とき
つぎ
よ
すす
なんじ
世界が 汝 らに披露されよう。今の世にいる時も、また次の世に進んでからも 汝 ら せ か い
おんけい
きょうじゅ
よろこ
きょうゆう
た
はこれらの世界がもたらす恩恵を享 受 し、その 喜 びを共 有 し、その絶えること おんちょう
わ
まえ
かみ
なんじ
さだ
うんめい
なき恩 寵 の分け前にあずかることができよう。これぞ神が 汝 らに定めた運命で なんじ
とうたつ
ある。 汝 らはこれらすべてに到達できよう。18 1.次の文は正しいですか、間違っていますか。 a)自分の望みどおりにならない時は悲しむべきである。 b)善き事も悪しき事も、すべては神より定められたことである。 c)私たちには幸せな日々が約束されている。 d)神の諸々の世界は神聖で、精神的な光に満ちたものである。 e)私たちは今の世にいる時も、次の世に進んでからも、これらの世界がもた らす利益を享受する運命にある。
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2.次の文を完成させなさい。 a)私たちは
神によって定められ
明らかにされたとしても、
ならない。
b)私たちを待ち受けているのは
あふれ、
日々である。 c)神聖で
数多くの世界が私たちに
され
よう。 d)神は、その絶えることなき恩寵の分け前にあずかることを
時も、
からも私たちに約束されている。 e)私たちは今の世と次の世で、
を享受し、
を共有するであろう。 3.次の質問に答えなさい。 a)私たちの望みに反したことが起こっても、どうして悲しむべきではないのですか。
b)先の引用文でバハオラは私たちに何を約束されていますか。
セクション18 このコースで、人生の本当の意義について学び瞑想しました。バハオラやアブドル・ バハの聖典の引用文で魂の特質、人生の意義、精神性をこの世で発達させる必要性、神 の顕示者を認めその教えに従った人には喜びと栄光に満ちた永遠の生命が約束されてい ることなどを学びました。このコースを終わるにあたり、私たちはここで学び理解した ことが各自の生活にどう影響を与えるかについて考えてみる必要があります。この地上 での私たちの生活は永遠に続く生命のほんの小さな一部であること、そして私たちは次 の世界のためにはっきりした目的をもって、忍耐強く準備しなければならないことを理 解した今、これからの生活はどう変わるでしょうか。
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私たちの人生で決断が必要なときに役に立つと思われるテーマを次にあげました。こ れらは何時間もの瞑想が必要かも知れません。各テーマについて短い感想を書いてもい いし、グループの友人と一緒に話し合いをするのも良いでしょう。 私の人生はこの世で始まり、神に向かって永遠に進歩することを理解しました。それ では次の4つのテーマは私の人生でどれくらい重要なのでしょうか? 1. バハオラの法律に従うこと。 2.人類の安寧に対し私が貢献すること。 3.大業と人類に対し私が貢献すること。 4.聖約に対し私が確固としていること。
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参考文献 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10.
バハオラ『落穂集』81番 同上 164番 同上 29番 アブドル・バハ 『世界平和の公布』pp.225-26 バハオラ『落穂集』5番 同上 82番 同上 153番 同上 27番 同上 27番 同上 21番
11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18.
同上 122番 同上 81番 同上 86番 同上 125番 『アブドル・バハの書簡』第 1 巻 同上 pp.205-6 バハオラ『落穂集』82番 同上 153番
p.205
66
心を磨こう Book1 初版 第2版 第3版 第4版 第5版 第6版 第7版 第8版 発行者
1998年 7月9日 発行 1999年 7月9日 発行 2001年 7月9日 発行 2003年 5月29日発行 2004年 3月21日発行 2006年11月26日発行 2009年 2月26日発行 2011年 5月29日発行
日本バハイ人材開発インスティチュート 福岡県久留米市御井町 2024-30 電話・ファクス 0942-44-7246 bid@kumin.ne.jp 販売価格 1冊300円 印刷 アトム印刷 福岡県大野城市緑ヶ丘 3 丁目 15-2 電話 092-596-1297
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