Graduation Project (original/ Japanese)

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下谷文化私観 うつろう空地と見守る空地

1X14A134-9 前田 康記 1X14A135-2 前畑 圭佑 1X14A136-0 増田 渓人


■ 文化私観の揺らぎ 2. 文化の枠組みとしての自然

3. 日常の基層にある自然

「自然」を文化の枠組みであると考えると、歴史は、新たな自然への移行と

一方で、人間の基層部分は変化していない。例えば、暗闇には何かが潜み、こちらを覗

日本文化が失われ変化してゆくことに対する批判に対して坂口

して紡がれる。日本における近代は、新たな自然が大量に入り込んでくる時代

いているような感覚を覚える。そこには何らかのイメージが心象として存在しており、合

安吾は、生活で必要なものに応じて変化する日常こそが自文化に

であったと言える。物質的な豊かさが求められ、それを達成する手段として、

理的には説明できない「自然」の1つである。恐怖や不安、執着といった心象に対する日

なってゆくことを説いた。ところが、グローバル化による生活の

西洋の資本主義が取り入れられた。その延長である現代は、情報による自然が

本人の感性は、「妖怪」という 独自のイメージによって表現されてきた。

1. 更新の早い日常 「僕自身の日本文化私観を語ってみようと思うのだ。」

坂口安吾

均一化が進んだ現代、日常はメディアの影響で瞬時に更新され、 文化として肯定するための基準はない。それゆえに、他文化に対

伝統

して示すのは、やはり伝統文化になっている。伝統は日本らしさ

日本文化私観 (1942 年)

情報社会

伝統 ●

として観光資源となり、実際の生活との違いを認識させる。さらに、

日常の表層

流行と伝統を一方向的に宣伝するメディアは、価値基準を固定し

ている。現代人の多くが心の拠り所を失い、不安を抱えているのは、 それぞれの日常に対する文化私観を私たちが見失っているからで

西洋文化

文化

高井鴻山の妖怪画 (19 世紀 )

日常の基層 文化の枠の変化のダイアグラム

日常の分離と不安のダイアグラム

1700 年

1657 年 明暦の大火

1800 年

1732 年 享保の大飢饉

分類学

■『自然の体系』 (1735年) カール・フォン・リンネ 動植物を体系的にまとめ、分類法 を提唱した

他文化

1900 年

1833-1839 天保の大飢饉 ■『General Natural History』 ローレンツ・オーケン(1843年) 自然が1つの精神によって統一 されていると考えた

■『種の起源』 (1859年) チャールズ・ダーウィン 進化論を唱え、生物の進化 のプロセスを体系化した

実用の博物学

蘭学

文化論・民俗学

■『和漢三才図絵』 ■『大和本草』 (1712年) 寺島良安 (1708年)貝原益軒 和漢の事象を天地人 薬用植物の他に、鉱物 や雑草も収載されている に分けて掲載。空想上 のものが含まれている

■『庶物類纂』 (1738年) 稲生若水 古今の漢書から植物、動物、 鉱物、薬物の記事を分類、 再編集した

感情の博物学

妖怪史

■『諸国百物語』 (1677年)

妖怪のいる自然が、

日常の反映 ■『百怪図巻』 佐脇嵩之(1737年)

別の世界として存在し得た時代

■『画図百鬼夜行』(1776年) 『今昔画図続百鬼』(1779年) 『今昔百鬼拾遺』 (1781年)  『百器徒然袋』(1784年)  鳥山石燕

■『付喪神図』伊藤若冲

■『百物語』 飾北斎(1831年)

江戸(1868-1912)

東日本大震災

■『オリエンタリズム』 (1986年) エドワード・サイード 東方趣味の意味であった オリエンタリズムを、西洋の 東洋支配の構造に読み解いた

■『日本文化私観』 ブルーノ・タウト(1940年)

■日本文化私観 坂口安吾(1942年)

妄想の反映 ■『絵本百物語』 (1841年) 桃山人

■2011 年

■『植物学雑誌』 牧野富太郎(1890年) 「雑草という名の植物は無い」

■『『南方随筆』 南方熊楠(1890年) 独自の博物学を展開し、 粘菌研究から生態学の 第一人者となった

■『解体新書』 (1774年) 杉田玄白 西洋文化理解の下地を作った

2000 年

■『実験室としての都市』 ロバート・E・パーク (1986年) 異文化の境でどちらにも同化 できない個人「マージナル・ マン」 を提唱

■ハンス・ナウマン(1930s) 基層文化を強調した

より実用的な自然が求められていく

西洋医学

1995 年 阪神淡路大震災

1945 年  東京大空襲

帝国主義の時代を迎え、

本草学(東方医学) ■『本草綱目』 (1607年) 李時珍 本草学の基本書として大 きな影響を及ぼした。

1923 年 関東大震災

自然科学

■folklore提唱 トムズ(1846年)

大航海時代

文化史

感性から妖怪へ至るダイアグラム

人間の優位性に基づき、実用的な観点で自然を扱ってきた西洋に対して、日本では、「感情」を一つの自然として捉え、それを妖怪に託してきた

博物学

日本

仮託

不安

■自然史年表(1600 年∼現在)

1600 年

日本文化

日常

はないだろうか。

近代

● ●

支配的な文化になった。

■『百種怪談妖物双六』 歌川芳員(1858年) ■『海坊主』

■『新形三十六怪 』 月岡芳年(1889年)

歌川芳延(1850年代)

妖怪学

■『妖怪研究』 ■『妖怪学講義』 井上円了(1928年) 伊藤忠太(1928年) 「物理的妖怪」「妖怪の一面は極めて雄大で全宇宙を包括する一方で、 妖怪を 他の一面は極めて微妙で、ほとんど微に入り細にわたる」 「心理的妖怪」に と 分類した ■『ばけものばなし』岸田 劉生(1924年)

大正(1912-1926)

明治(1868-1912)

■『妖怪談義』 柳田國男(1957年) ■『初期妖怪画報集』 水木しげる

昭和(1926-1989)

平成(1989-)

■基層に潜む妖怪

「京東洞院かた輪車の事」

『辟邪絵』「神虫」 (12 世紀)

『是害坊絵巻』 (14 世紀)

「犬神」

「天井嘗」

「お岩さん」

「毛羽毛現」

「赤えい」

「一本足」

「一本足」

「海坊主」

「清玄の霊桜姫を慕うの図」

「土蜘蛛」

「?」

「ぬりぼとけ」

「赤口」

『百鬼夜行絵巻』土佐光信 (15 世紀)

『付喪神絵巻』  (15 世紀)

中世の妖怪。付喪神による百鬼夜行が実在すると 信じられ、人々は夜の外出を控えた

「叢原火」

「河童」

「芭蕉精」

物語上の妖怪が、図鑑に収められるようになる 感情の博物学として、心象が妖怪に託され、 1つの自然とみなされていた

「付喪神」

飢饉に際し、 「件」が現れたことを告げる瓦版

「垢嘗」

作物の凶作や流行病、戦争などを予言する 「予言獣」は、近代以降も瓦版や新聞で取り 上げられ、不安定な世相を反映していた

「水虎十二品之図」

草木への親しみ、自然災害への畏怖、親しい人をなくした喪失感 簡単には説明できない感情が妖怪に託され、受け継がれてきた 合理性から妖怪が否定された現代、不安感を託す相手はいない


江戸の文化私観を見る - 百物語を通して

全体計画 上野 - 東京スカイツリー

江戸時代、妖怪に対する関心は強く、人々は夜になると百物語を読み、 怪異を呼び出そうとした。百話語り終えると、本物の怪が現れるとされ、 「出そうな」場所で怪談が行われた。  妖怪が日常の深くに根付いていることを確認し、江戸の文化私観を捉 えるために、怪談、逸話を 100 集め、分析した。

鉄道や首都高速、隅田川などの南北のインフラによって東西の移動が意識さ れることは少ない。この地域で観光地化されていない、下谷地域に注目し、

妖怪を考察すると、自然崇拝、疫病、信仰、災害、日常、娯楽のそれ ぞれに妖怪が潜んでおり、妖怪に取り憑かれて死んでしまう話や、人間 と自然の関わりを妖怪が取り持つような話が多い。また、物語上に登場

喜多川歌麿筆『百者語』

現在、上野、浅草、東京スカイツリーは、都内でも屈指の観光地であるが、

都市の軸に対する、地域の日常を中心とした緑の軸を計画する。緑の軸は、 見立ての文化の縮小を表す現代のインフラに対し、樹木と妖怪を介した新し い見立ての生活を示す場所となり、現代の文化私観を再考する場所となる。

する多くの妖怪は、動植物とともに語られ、日常を形づくってきた。  こ れ ら は、江 戸 に お け る 見 立 て の 文 化 の 現 れ で あ り、日 常 に 映 る

D. 更新の象徴 - 東京スカイツリー

動植物を通して想像力を働かせ、各々の文化私観を作ってきたと言える。

正確な電波を個人へ届け、地域の更新の基準時になる 『日本随筆大成』から江戸

江戸の御瓜畑に狐が現れ瓜を食い荒らすので吏が困り、吉川惟足に祈祷を頼んだ。しかし惟足はそれには及ばないと、書付を与えた。その書付を畑に建てておいたところ、狐の被害が無くなった。 書付には、おのが名の作りを食ふ狐かなという発句が書き付けられていた。

百物語収集

の妖怪に関する記述を抜粋

災害

娯楽

現実の出来事

信仰

日常

疫病

それぞれの 文化私観

植物

動物

見立て

災害

大嵐

江戸の文化私観のダイアグラム

疫病

植物信仰

稲荷信仰 王子稲荷

チフス

火災

B. 浅草

伝統への執着を表す浅草では、RC 造となり更新をやめた浅草寺が、価 値を過去に求める傾向を強めている。

C. 下谷地域

水害

下谷における緑のインフラから、現代の 文化私観を考える。

巨木を神聖な自然に見立て、信仰を行った

災害時に、妖怪や動物が人間を 助けた記述があるように、自然と 災害が密接に結びついていた。 「天明5年の大干魃の折、雨乞い の祈りを捧げ、連歌を詠んだとこ ろ、初めて3日後に夢で神の お告げがあり、すぐに雷雨となっ た。」

「文化 7 年のこと、浅草安部河 町にある高田派一向宗の寺の本 堂屋根に、鸛が巣をつくってい た。これまでは近くの松平西福 寺に巣を作っていたのだが、こ ちらに移ってきたという。その 年 12 月 11 日に火事が発生して 西福寺は全焼したという。鸛が 巣を移すと古巣は火事になると

コレラやチフスなどの疫病は、 妖怪や疫神の仕業と考えられ、 逆にそれを治すのも人外の存在 として認識されていた。 「コウジンもさわることがあり、 西谷の大きなマキの木を伐って からチフスがはやったのは、コ

山際では、狐火を灯した妖狐が 出ると

「昔下本町に大きな木があり、ある年に夜になるとコーンコーンと鳴 り出した。それから一年位して、人が死んだり病気が流行りだした。

され、稲荷信仰と結び

木がなったのは神の知らせであり、それをさとった村人は木に祈りを

ついていた。 「毎年12月

日の夜に関八

州の狐が王子稲荷に集まり狐火

したり捧げ物をした。すると不幸もなくなった。」 「堂の山の墓にある苗代桜の枝を,邪魔だといって切った人は病気に

を灯す。近所の人はその様子を 見て作柄を占う。」

なったという。この桜は,六川長三郎勝家が神から授かって植えたも のとされ,この桜が咲けば苗代を作ってよいとされた」

ウジンの祟りだといわれた。」

書かれてあり、これと同じ事が

日常

起きたことになる。」

娯楽

寺院と日常

A. 上野

盆景

富士講

近代に生まれた博物学を象徴す る上野では、日常から切り離さ れた自然が展示される 東都名所 芝増上寺雪中ノ図

『深川八幡富士』歌川広重

江東区 砂地の富士塚

江東区 砂町の富士塚

平塚

草津

『東海道五十三次駅鉢山図絵 日本橋』木村唐船が安藤広重の東海道五十三次の宿駅を

人々の戸籍は寺で管理され、寺院と暮らしが密接に結び

塚を築き富士山に「見立て」、借景を再現、人工の自然を作った。

ついていた。「文政8年4月4日神田明神境内の門の外

「おまんじゅうを持って富士塚という所を通ると、風呂敷が急に重くなり、

鉢山化したもの。現在の盆栽とは異なり、植物の造形を山に見立てる等、意趣を凝らした

に稲荷の祠が建てられた。その縁起は、神主の家を皆で

しばらく行くと急に軽くなった。狐が入って中のものを全部食べてしまった

造形が数多く生まれ、大衆の趣味の一つであった。

援助しようと会合をしていると参加者が連れてきた奉公

らしい。」

植物にまつわる伝承は豊富に存在する。

人に明神の門を守る狐が憑いて、祠があれば位を得る事

「石屋が塚越の仙元様の石と横曽根の仙元様の石を買い取ったが粗末に扱い、

ができるので建ててほしいを言った為である。」

仙元様に祟られて一家は絶えてしまったという。祠と碑を買い取って屋敷に  祀った旦那の家はとても栄えたという。」

「大ひれ峠に生えているしの竹。相木森之助が突き刺した

が,逆さのまま成長したという。

葉の表に細毛があり,裏にはないので「逆さ竹」と呼んでいる。


対象敷地 - 上野 - 浅草間

■見立ての自然の変化による問題

上野から浅草界隈は、浅草の浅草寺が歴史的にも古く、隅田川にま

都市の樹木は、アスファルト

明治に至ると、寛永寺跡地に博物館の構想が立ち上がり、上野は殖

明治以降、殖産興業の中で、自然の植生は開発され、樹木数は減少した。

つわる 5cm の観音像から信仰が始まったとされる。上野は江戸時代

産興業の象徴となっていく。浅草は、下町の代表として、大衆娯楽の

戦後、都市景観の観点から積極的に街路樹の植樹が行われ、見立ての自然

が多く、深く根を張れないま

に開発されるまで一帯の森であり、天海が上野の狐と対話した伝承が

中心地として栄えた。一方の下谷は、人口増加やインフラの整備など

は、都市計画的に考えられるようになった。特に、環境問題が表面化し緑

例が増えている。

残されている。両者の間にある下谷地域は、寛永寺、浅草寺とともに

の影響を受け、常に両者の間で影響されてきた地域であると言える。

の必要性が叫ばれた高度経済成長期においては、積極に植樹が行われたが、

寺町を形成していた。

の地盤近くに植えられること ま、枯れ木になってしまう事

それらの樹木は倒木の危険を抱えている。

都市の樹木倒壊

東京都街路樹数の推移

■博物館の構想 動物、植物、鉱物などの自然史資料、新古書画などの美術資料、 内外の新発明物、理化学資料などを扱った総合的な博物館を設 置しようとする構想が田中や町田によって掲げられ、実現して

上野 - 浅草 - 下谷の地域史

いった。 パリ植物園

1800

1700

上野

田中 芳男

町田久成

1900

博物館の構想

東京大空襲

関東大震災

2000

■1909 年 東北本線開業旧駅舎完成

■1890 年 第三回内国勧業博覧会

■1882 年 上野博物館開館、動物園開園

■1881 年 第二回内国勧業博覧会

■1625 年、天海が

■1631 年

寛永寺を建てる

五重塔完成

不忍池

■1786 年

かつての海岸線の名残であり、

飾北斎

龍が登る逸話が残されている

■1882 年

■1868 年

時の鐘

上野戦争時の寛永寺

教育博物館開館 ■1877 年 第一回内国勧業博覧会

■1930 年

■1954 年

教育博物館開館

現国立科学博物館

国立西洋美術館開館

日本館竣工

■1872 年 国立博物館開館

上野公園の街路樹

■1867 年 ( 明治 9 年)

『東叡山中堂之図」

優先的に保護される

上野公園誕生 ■両界曼荼羅図、国立博物館へ寄託

( 台東区保護樹 ) ■1963 年 首都高速上野線開通

■1885 年 旧駅舎完成

はざまの下谷

寛永寺のヒマラヤスギ

妖怪が出そうな空地の減少を嘆いた

寺町を形成

人口の増加

広徳寺のスケッチ

下谷坂本富士

寛永 4 年 浅草

■1635 年

■1658

■1828 年

広徳寺が移転

江戸城を延焼から防ぐため、幕府が

小野照崎神社境内にある富士塚。

びっくり下谷の広徳寺と言われるほど広大な

寺社を下町に移す

頂上に浅間神社を祀り、富士塚が

敷地を持っていた。

存在する

■昭和 5 年 (1930 年 )

■昭和 3 年 (1928 年)下谷小学校竣工

明治

■昭和48年(1973年) 本庁舎竣工

下谷区区役所竣工

■幸田露伴下谷区三枚橋生まれ

分離派の影響を受けた RC 造の、

『一国の首都』1899 年

街路樹の倒木、

モダン建築として、下谷小学校

『年々に市中の空所を充填し、

寿命の問題

とともに、街のシンボルだった。

かくしてことごとく市に連接せ

見立ての自然

■東上野一体に、武士から町人に降った者、僧侶が大道芸人として居住

明治年 (1900 年)下谷地区

空地の増加

る閑地、即ち俗にいわゆる「場 末」を侵すに至りて今や四方至 る所人家

比の状況を呈し ...」

妖怪が出そうな空地の減少を嘆いた

■昭和 4 年(1929 年)同潤会上野下アパート

東京空襲時の上野∼浅草地域 戦争による土地の更新

東京スカイツリー竣工

浅草

明治20年「東京浅草公園地第六区 富士山縦覧場」。 江戸時代の浅草寺周辺

歌川広重

■浅草寺創建(江戸名所図会、1836年)

東海道名所図会、1797年

推古天皇 36 年(628 年)3 月 18 日、

江戸時代徳川家康によって江戸

浅草田んぼは、江戸のひなびた自然として、浮世絵に取り上

が整備されるまで、浅草は海に

げられた。見立ての文化に基づく自然として、当時の人々に

近く、浅瀬で海苔が収穫されて

親しまれた。

兄弟の網に、観音像がかかった。魚は まったくおらず、何度網を投げても、 またいくら場所を変えてもその観音様 ばかりかかり、その後大豊漁となった。 この霊験に驚き、祀られたのが、浅草 寺本尊の聖観音像である(『武蔵国浅草 寺縁起』参照)。

台東区保護樹木 浅草寺のシダレザクラ

■1945 年 本堂、五重塔焼失

『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』

■1950 年 金閣寺放火事件 ■1956 年 三島由紀夫が金閣を焼く

■1958 年 浅草寺本堂再建

■1973 年 五重塔再建

いた。かつて浅草は海苔の名産 地であったことが図絵から分か る。干拓で海が埋め立てられる と、漁場は今の大森から品川に かけて移動した。

1884 年(明治 17 年)に太政官布告により浅草寺境内を一区から七区までに区画 され、浅草田圃の一部を掘って池を造り、池の西側と東側を築地して街区を造成。

「見立て」の自然の減少

人々の信仰は、浅草寺は、5cm の観音像から RC 造の本堂へ


■ 対象敷地

- 下谷  旧下谷区である東上野、北上野、西浅草、松が谷を含む下谷地域を対象敷 地とする。 下谷地域は、関東大震災で大部分の木造家屋が焼失したのち、 バラックをベースとする看板建築が多く建てられた。その後、東京大空襲に よって再び被害を被ったが、一部焼失を免れており、看板建築と、戦後初期 の建築、それ以降の住宅とが混在する街区が形成された。

1. 地域の諸問題

寺と疎遠な寺町

下谷

着色部:東京大空襲焼失部分

戦前の趣を残す看板建築

4 つの空地に潜む妖怪 下谷の日常に存在する 4 つの主な空間を分析する。下谷においてこれから生まれる可能性の高い、看板建築などの跡地の隙間空地、公園と近 接する空地、墓地と隣接する空地に対してそのイメージを抽出する。また、下谷小を一つの空地と捉え、廃墟の与える印象をイメージ化する。 2. 公園と空地

1. 隙間の空地

3. 墓地と空地

4. 下谷小学校

空襲で焼け残った街区

広がる縦の長屋

下谷が寺町であるという認識は、住民間で一 致している。しかし、現在は、万年塀で外部と 遮断され、境内で子供たちが遊ぶことはほとん どない。檀家の人のプライバシーを守り、霊魂 を都市の喧騒から話すための塀が、地域住民を 寺から疎遠にする結果を生んでいる。寺を中心 として巡っていた下谷のかつての生活は、更新 性の高い地域史の中で、寺を徐々に疎遠にして しまうこととなった。

下谷の現状について、地域住民の方にお話を伺った。

浮かび上がる

台東区役所の佐藤さん

松葉公園でお話した真崎さん

植物のシルエット

「今この地域は、周辺の外国人

「昔は、商店の長屋が多く、お

観光客の増加やオリンピック需要

隣の喧嘩が聞こえてきたりした。

に応えるために宿泊施設の建設が

でも最近は縦に長屋だよね。誰が

盛んだが、終わったあとはどうす

住んでいるかわからないし、コ

るのか。日本人は壊すことを考え

ミュニティが遮断されてる感覚だ

ないね」

ね。」

蔦に取り込まれる家 境界を越える

隅っこで騒ぐ

妖怪と植物

植物と妖怪

擬態する草葉

2. 使われない下谷小

巨大な妖怪の

シルエットで

関東大震災後に旧東京市によって建設された

下谷小学校の歴史的価値 内観写真 ×2

下谷小学校は、当時としては最新の耐震建築で

坊主との類似

片隅で咲く花

松と連続する妖怪

下谷小は、上野と浅草の両地域と深く関わり を持ってきた。 第二次世界対戦中は、家をなくし身寄りのない人々

あった。地域の小学校として長らく用いられ、

を一時的に肯定に匿い、復興の拠点として、

地域を代表する戦前からの建築であったが、小

地域住民の「ふるさと」であった。 フルーツショップ「八百源」

学校の統廃合から平成 2 年に廃校となった。現

のおばあちゃん

行の耐震診断の結果、補強が必要とされ、利用

「下谷小がある頃は子どもたちの声が聞 こえてきてほんとうに賑やかだった。ま

も解体もされないまま現在に至る。日本の近代 を物語る復興小学校は、立ち入ることのできな

ちももっと賑やかで、今はすっかり静か

奥から溢れ出る

になってしまったが、時代の流れなの

妖怪と植物

繁茂する草木

視線

顛末を見守る 植物

で仕方ない。」

い更新を止めた建築となっている。 IS 値=0.4 0.6 B ランク ■ 昭和 3 年 竣工

比較的高い耐震性を持っているが、補強が必要

■ 昭和 25 年 東運動場完成

根拠法令

■ 昭和 41 年 講堂を移築

建築物の耐震改修の促進に関する法律

■昭和 45 年 東京大空襲

国土交通省告示第 184 号 平成 19 年度実施の耐震診断結果

■昭和 2 年 区立清島小学校との 統合により廃校

台東区役所 用地管財  保全課担当 所さんのお話 「歴史が長いので地域利用できないか今まで議論され

■平成 19 年  耐震診断の結果、

てきたが、耐震補強にも、解体費にも見合う活用が提

「補強を要する」と判断された。

案されていないのが現状」 竣工時の立面図 S=1/1000

■ 更新され続ける下谷

昭和 53 年

隙間や奥行き、シルエットに存在する妖怪が、

普段目が向かない、人間の日常の

擬人化した植物が人間を見つめている。

植物自体が妖怪に見立てられおどろおどろしさ

植物と結びつけられ、顕在化している。

隅っこで、植物と妖怪が生活している。

妖怪と日常の境界に植物が現れている。

を与えると同時に、建物に取り憑いた印象を与える

空間をイメージさせる妖怪画に介在する植物。        妖怪が基層の感情を表すなら、

植物がそれを日常と繋いでいることがわかる。

竣工時の平面図 S=1/1000

平成 2 年

平成 28 年

■ 長屋状建築 ■ 更新後の長屋状建築 ■ 中高層建築 ■ 寺院

平成 32 年 (2020 年 )

■ 長屋状建築 ■ 更新後の長屋状建築 ■ 中高層建築 ■ 寺院 ■ 観光客向けホテル

昭和 53 年。割棟長屋や看板建築などの、戦前戦後の家屋が数多く残っている。

平成 2 年。バブル期の開発により、スプロール的にマンションが建設され、コミュニティが 分断されつつある。長屋状家屋は減少しているが、依然として点在している。茄子色の着色 からわかるように、跡地に同じ長屋形状の建築が建てられている。

平成 28 年。外国人向けのビジネスホテルが増え、スプロール化がさらに進んでいる。

平成 32 年。東京オリンピックを控え、台東区は、外国人向けホテルの誘致を積極的に

依然として長屋状家屋が一部維持されているが、空き家になっている家屋も多い。

行っている。一過性の祭典のために建てられたホテル群は、供給過剰となってオリンピック 後も地域に残りつづけるだろう。


何気ない空地で想起される植物と妖怪によって、 新たな下谷の暮らしを紡ぐことはできないか。


計画 A-1

間の空地

A-1

A-2

A-3 B

計画 A-1  間空地の建築 2F

間の空地 下谷小

観光客向けの ゲストハウス

ドミトリー

1F・アトリエ

・ギャラリー ・シェードガーデン ・樹木医の栽培指導

樹木医

1 階に、アトリエとギャラリーを設け、観光客と地元 住民が気ままに立ち寄って芸術を楽しむ。 奥には、日陰に向く植物のためのシェードガーデンを 設け、下谷小から派遣された樹木医が生育に関して 指導を行う。 日陰に咲く植物

外観パース

間の空地

配置図

外観パース シルエットで見立てる他者

外観パース  交差する日常

外観パース  日常へ戻る


計画 A-1

間の空地

A-2

A-1

B

空地の更新

2018 年

20XX 年 更新

B'

植える

Y9

2100

Y9

2100

2100

700

Y9

Y8 Y8

150

暮らしの記憶は植物を介して下谷小へ受け継がれていく。

2800

2800

コミュニティースペース

2800

Y8

Y7

1400 1400 1400 1400

1400

1100

Y2

1100

Y1

Y2

バス 760

Y3

1400

1400

Y2

1400

760

700

700

12600

700

1400

760

80

150

1400

バス

Y3

Y3

ゲストハウス

Y4

Y4

A'

Y1

間の空地が更新される未来

Y1 1050 1050

B 1050

550 550

X1

X2

X3

1400 X1

X4

550 550

X2

X3

550 550

1400

X1 X4

1400

更新にあらがわず、場所の記憶は植物に託され、

3550

3550

3550

X2

X3

X4

X5

X5

下谷小へ集められる

X5

2F

1F

下谷小学校へ

Y5

1400

1400

150

Y4 A

ゲストハウス

Y5

アトリエ

Y5

1400

12600

500 550

12600

Y6

254

700 1400

ギャラリー

Y6

700

PS

Y7

外観パース シェードガーデン Y6

Y7

1400

トイレ

各階平面図

▽TOP +7230

▽TOP +7230

1630

1870

1630

□-150x150x4.5

バス

木と鉄の架構

特製金具

ゲストハウス

旅行客はこの建築を拠点に観光する。低層な建築に囲まれた空間は、建築を通じて奥へと

2370

2800

260

1000

7230

2800

▽2FL +2800

7230

▽2FL +2800

2370

ゲストハウス

700

S=1:50

600

外から見た建築と、中庭から見る建築の印象を変えるため、木の集成材の裏に鉄骨を隠す

2520

米栂集成材 80x150

構造になっている。家型の加工は、意匠的に親しみやすさを持つ一方、応力に対して一定 の効果を見込め、壁を取り払い奥行きを出すことを可能にした。

1200

1200

GL ±0

間の空間は何者にも色付けされない空白性を持ち、非日常から日常へ

の境界を感じる。

▽BOTTOM -2000

400

▽BOTTOM -2000

2800

▽1FL ±0

210

GL ±0

2920

2580

2800

▽1FL ±0

誘われ、奥に潜む

特製金具

ギャラリー

架構部部アクソメ図 1050

550 550

1400

3550 1400

1400

1400

1400

1400

700

2800

X1

2100

X2

X3

X4

X5

12600 Y1

Y3

Y2

Y5

Y4

Y6

Y7

Y8

Y9

A-A 断面図

▽BOTTOM -2000

▽1FL ±0

2800

700

1400

1400

1400

1400

西面立面図

Y8

Y7

Y6

Y4

Y3

Y2

1630 7230

▽1FL ±0

Y1

X2

X3

1400

1400 1400

1400

1400

1400

X5

700

2800

2100

X5

12600 Y1

南面立面図

550 550

1050

3550 1400

X4

GL ±0

▽BOTTOM -2000

3550 X1

Y5

550 550

1400

12600 Y9

GL ±0

▽BOTTOM -2000

1050

2800

1630

GL ±0

▽BOTTOM -2000

2100

▽2FL +2800

2800

▽1FL ±0

2800

GL ±0

2800

▽2FL +2800

7230

2800

▽1FL ±0

▽TOP +7230

7230

▽2FL +2800

2800

2800

▽2FL +2800

▽TOP +7230

1630

▽TOP +7230

1630

▽TOP +7230

2800

B-B 断面図

7230

A-3

Y2

東面立面図

Y3

Y4

Y5

Y6

Y7

Y8

Y9

北面立面図

X4

X3

X2

X1


計画 A-2. 片隅の空地

A-1

A-2

A-3 B

計画 A-2 隅の空地 下谷小 1F

・展望台 ・託児室

ドミトリー

・コミュニティスペース ・中低木の植樹スペース ・樹木医の栽培指導

樹木医

入谷南公園に近接した、隅の空地を設計する。 公園から遊歩道を歩いた延長に、託児所を設ける。公園の 高木に対して、よりこどもの身体スケールに近い中低木を 遊びの場として解放する。 利用者は徐々に、中低木を超えた目線で公園を俯瞰できる ように、FL を少しづつあげている。 樹木医は、技術の実践場として、中低木のケアを行いつつ 公園街路樹を検査する。

中低木

外観パース 隅の空地

配置図

外観パース 俯瞰 2

外観パース 俯瞰 2

内観パース 託児室


計画 A-2 片隅の空地

FB-9x200 溶接

ガセットプレート t=24

ガセットプレート t=24 羽小板プレート t=15 P-φ34x2.3

B'

架構部詳細図 S=1:50

手洗い場

680

W3

託児室

W2

路地に開く片持ち梁

4880

4200

Y11

700

A

公園から引き込まれ、真ん中に空いた空間に重さを持たせるため、

Y9

教員室

内部と内側を重力から解放した。柱脚に強い曲げがかかるのを防

Y8 1400

ぐために、外側からワイヤーで引張りをかけることで釣り合いを

1400

保った。

1400

Y6

13300

2586 トイレ

2050

700

Y7

柱梁間の仕口を高力ボルトによる接合とした。これは柱と梁の接

Y5

3044

合をピンとせずに、剛とするとともに、連続したシェルの屋根面

700

1400

教室1

を作るための工夫でもある。同じ部材でも様々な角度に対応でき

1400

教室2

Y4

るとともに、現場での施工誤差に対応できるような機構となって

4200

いる。

Y2

12950

2100 2100

X4

1050

X5 X6

X7 X8

400 600

GL ±0

130

▽1FL ±0

2500

GL ±0

4700

4700

▽2FL ±1500

2500

2500

▽1FL ±0

1000

400 600 1000

400 600 1000

▽2FL ±1500

4700

GL ±0

200

▽TOP +4775 200

▽TOP +4775 200

▽TOP +4775

▽1FL ±0

部を展覧できる動線を演出した。

日常の基層と表層の間を走り回る

X9 X10

平面図

▽2FL ±1500

また、ワイヤーから壁の空間を解放することで、人々は通り、内

中低木で遊ぶこどもは、童子の遊戯に見立てられ、

Y1

350 7 00 35 0

1980

X3

1400

X21

1050

B

X1

1400

Y3 1050

800

1000

800

▽BOTTOM -1000

130

3611

A'

建築の屋根に勾配をかけていく一方、片持ち梁にする事で、建築

W1

1400

展望室

200

700

1400

Y10

1050

1050

4200

2100

1050

2100

350 700 350

12950 X1

4200

1050

1050

1050

1050

4200

2100

X6

X5

X4

X3

X1 X2

X1

南面立面図

北面立面図

南面立面図

北面立面図

350 700 350

X5

X4

X3

X6

X7 X8

X9 X10

A-A 断面図

▽TOP +4775

200 4700

GL ±0

300

▽1FL ±0

2500

GL ±0

1000

400 600

200 1000

400 600

▽1FL ±0

4700

4700

▽BOTTOM -1000 1000

GL ±0

▽2FL ±1500

2500

1000

400 600

200

▽TOP +4775

▽2FL ±1500

2500

▽1FL ±0

X1 X2

X1

▽TOP +4775

▽2FL ±1500

X9 X10

130

X8 X7

1050

X7 X8

250

X10 X9

2100

X6

12950

12950

1000

2100

2100

X5

200

1050

X4

X3

350

350 700 350

X1 X2

700

1400

1400

1400

1400

1400

1400

1400

1400

1400

13300 Y11

4200

680

700

1400

1400

1400

1400

4880 W1

東面立面図

1400

1400

1400

1400

1400

13300 W2

W3

Y11

西面立面図

Y10

Y9

Y8

Y7

Y6

Y5

Y4

Y3

Y2

Y1

B-B 断面図

Y10

Y9

Y8

Y7

Y6

Y5

Y4

Y3

Y2

Y1


計画 A-3 際の空地

A-1

A-2

A-3 B

計画 A-3 際の空地 墓参りの人々 ・茶屋 ・教室 ・樹木医の栽培指導 ・仏花の植木場

下谷小

樹木医

墓参りの人々と、樹木医の指導を乞う人々が橋を境にすれちがう。 茶屋を介したコミュニティーが基層文化を表出させる。 橋から墓を俯瞰することで、墓参りという共通文化を表出させ、 そこから故人に対する思い出を共有する場所となる。

外観パース 境界としての橋

外観パース  俯瞰

外観パース 笑う橋

内観パース 日常から非日常へ

配置図


計画 A-3 際の空地

A-1

B

B'

A-3

A-2

教室1

4200

3200

Y9

GL ±0

教室2

4200

3200

Y8

GL +900

教室3

4200

GL +1800

21800

3200

Y7

1300

Y6

Y5

GL +2700

茶屋

A'

1600

A

1300

2100

Y3

2100

2900

張弦梁とアーチ 墓地と空地にかける橋は、現実と非現実のはざまであり、独特な異様さをはらむ 必要がある。この観点から、重苦しくしっかり支えられた橋梁よりも、繊細で不

2100

2100

Y2

安定な意匠が求められた。張弦梁は、橋にかかる曲げモーメントの位置をいなし、

Y1

4200

8400

B

2800

1400

橋中央部にかかる応力を減らすことができる。そのため、部材を薄く、細くする

2800

ことができた。

16800 X1

墓参りに来た人が、仏花を収穫する。

非日常と日常が交差する場所

Y4

X3

X2

X4

X5

鉛直荷重がかかると、橋は周囲に広がるような挙動をし、端部に圧縮力をかける。 その圧縮力から、柱の柱脚部にかかる曲げを開放するため、アーチのような躯体を つくり、圧縮力がかかった時に、基礎部がつっかかって応力を打ち消す機構となっ

平面図

ている。

500

130

1050

525

900

230

200

130

900

300

1200

900

2840

▽BOTTOM -1000

1000

900

▽GL ±0

900

▽1FL ±0

900

900

▽GL ±0

5540

900 2840

900 900 900

2840

5540

5540

▽1FL ±0

900

900

900

▽GL ±0

900

▽1FL ±0

900

▽TOP +4775

900

▽TOP +4775

900

▽TOP +4775

400

400

711

2800

400

1400

711

4200

8400 16800

X5 2800

北面立面図

1400

8400

4200

4200

16800 X4

X5

1400

8400

X4

X3

X1

X2

2800

16800

X3

X2

X1

X1

南面立面図

X3

X2

X4

X5

A-A 断面図

▽TOP +4775 ▽TOP +4775

900

1000

525

130 200

900

2840

3200

1200

900

3200

900

▽BOTTOM -1000

650

900 900

5540

3200

▽GL ±0

900

▽1FL ±0

900

2840

900 900

2840

900

900

▽GL ±0

900

▽1FL ±0

5540

5540

900

▽GL ±0

900

▽1FL ±0

900

900

900

▽TOP +4775

400 4200

Y9

東面立面図

2100

2900

1300

1600

1300

4200

4200

4200

4200

21800 Y1

Y2

Y3

Y4

Y5

Y6

Y7

Y8

Y9

西面立面図

4200

4200

1300

1300

1600

2900

2100

21800 Y9

Y8

Y7

Y6

Y5

Y4

Y3

Y2

Y1

B-B 断面図

4200

Y8

4200

Y7

1300

Y6

400 1600

Y5

1300

Y4

Y3


B'

1400 2800

Y22

2800 3200

1370

B 2800 2800

1000 2780 8110

2800

Y3 Y1

600

X6800 1400 7000

3500

4200

2800

2800

2800

2800

2800

2800 3600

ドミトリー

▽2FL ±4330 倉庫

検査室・実験室 ▽1FL ±0

GL ±0

▽BOTTOM -2200

0

1960

2800

2800

2800

2800

2800

2800

2800

19600

S8 S7 S6 S5 S4 S3 S2 S1

A-A 断面図

1400

X11 2800

2800

2800

2800

2800

S8 7 S S6 5 S S4 3 S 2 S1 S 2800

2800

3000

Y2

▽TOP +8110

1000

2800

Y4

A

1880

4000 2800

Y5

受付

T2 T1

倉庫

270

2800

1400

Y6

T8

T3

2800

相談室

C'

9 8,6 150

相談室

C

Y7

A'

相談室

T4

3680

1300

職員室

2800

三階平面図

S8 7 S 6 S5 S

2680

2800 2800 2800

53000

2800

実験室

2800

T5

2800

Y8

検査室

Y12

T6

0

相談室

2380

相談室

Y15

T7

2800

Y9

T8

貯蔵庫

T9

3330

貯蔵庫

2680

貯蔵庫

ゲストハウス

3200

男子トイレ 女子トイレ

650

3200 1200 400

種子・花販売所

T10 2800

蔵書室

2800

Y11 Y10

男子トイレ 女子トイレ 託児室

2800

Y12

Y17

2800

Y13

Y15

T9

2800

Y14

Y18

2800

Y17Y16

T10 2800

3200

Y18

400

2800

Y19

1393,92

2800

Y20

薬局

2200

Y21

2800

2800

2800

2800

2800

2800

4200

2800

2800

2800

3500

3500

3500

X26

一階平面図

70000

X3

X4

X5 X7 X8 X9 X10 X12 X13 X14 X15 X16 X17 X18

X19 X20 X21 X22 X23 X24 X25

B'

X1X2

2800

Y22

2800

Y21

2800

Y20

2800

Y19

400

3200 2800

B

1400

2800 2800

カフェ

A'

2800

展示室 B

T4 2800

2800

T5

T2 T1

1400

2800

C'

T3

A

Y2 Y1

2800

Y3

展示室 A

2800

Y4

600

X6800 1400 7000

3500

4200

2800

2800

2800

2800

2800

2800

2800

2800

2800

2800

4200

2800

2800

2800

3500

3500

3500

X26

70000

X1X2

X3

X4

2800

2800

0

1960

1400

X11 2800

2800

2800

2800

8 S 7 S 2800 6 S S5 4 S S3 2 S S1 2800

3000

Y5

2800

4000

53000

ドミトリー

C

T6

2800

Y6

T7 0 2380

Y7

3370

東面立面図

2800

Y8

T8

貯蔵庫

2800

Y11 Y9

貯蔵庫

2800

Y12 Y10

貯蔵庫

キッチン

2800

Y15

蔵書室

展示室 C

T9

2800

Y13

3200 1200 400

Y17Y16

T10 2800

3200

Y18

Y14

薬品庫

X5 X7 X8 X9 X10 X12 X13 X14 X15 X16 X17 X18

X19 X20 X21 X22 X23 X24 X25

二階平面図

西面立面図


矩計図 ▽TOP +12660 FIX窓 LowE複層ガラス

20 ° 屋根 コールテン鋼 厚板 t=6

P-φ76.3x2.8

ガセットプレート t=9

FB 9x200溶接 P-φ34x2.3

エキスパンションジョイント

エキスパンションジョイント

21°

P-φ34x2.3 RC梁 330x430

▽3FL +8110

RC梁 330x430 上端 3-D19 下端 5-D19

上端 3-D19 下端 5-D19

既存を保存

既存を保存

引き違い窓 既存を保存

展示室

横滑り出し窓

不燃塗料

セラタイカ2号吹付 t=20

強化石膏ボード t=12.5

腰壁 木板 t=12

普通硬質石膏ボード t=9.5

既存を保存

廊下

普通硬質石膏ボード t=9.5

コールテン鋼 厚板 t=6

丸鋼φ20

横滑り出し窓 既存を保存

不燃塗料

セラタイカ2号吹付 t=20

普通硬質石膏ボード t=9.5 強化石膏ボード t=12.5

巾木 木版 t=5

強化石膏ボード t=12.5

カフェテリア

引き違い窓

腰壁 木板 t=12

既存を保存

巾木 木版 t=5 既存を保存

欅フローリング t=10

欅フローリング t=10

根太 角材60x60

根太 角材60x60

大引き 50x100

床 ガルバニウム鋼板 t=2

換気口

大引き 50x100

特製金具

既存を保存

▽2FL +4330

床下換気口

既存を保存 特製金具

21°

エキスパンションジョイント RC梁 330x430

セラタイカ2号吹付 t=20

セラタイカ2号吹付 t=20

職員室

RC柱 600x600 8-D19 D13@150

既存を保存 米栂集成材 80x150

□-200x200x4.5 SKタイカコート t=3

□-400x400x12

普通硬質石膏ボード t=9.5 強化石膏ボード t=12.5

SKタイカコート t=3

巾木 木版 t=5 既存を保存

既存を保存

相談室

セラタイカ2号吹付 t=20

普通硬質石膏ボード t=9.5 強化石膏ボード t=12.5

FIX窓

既存を保存

不燃塗料

既存を保存

普通硬質石膏ボード t=9.5

引き違い窓

腰壁 木板 t=12

強化石膏ボード t=12.5

既存を保存

巾木 木版 t=5 既存を保存

欅フローリング t=10 根太 角材60x60

根太 角材60x60 既存を保存

既存を保存

不燃塗料

8-D19 D13@150

欅フローリング t=10 大引き 50x100

既存を保存

引き違い窓

腰壁 木板 t=12

8-D19 D13@150

上端 3-D19 下端 5-D19 RC柱 600x600

既存を保存

不燃積層石膏ボード t=9.5

RC梁 330x430

米栂集成材 80x130

上端 3-D19 下端 5-D19

不燃塗料

RC柱 600x600

大引き 50x100

既存を保存

▽1FL +650 ベースプレート t=25

ベースプレート t=25 コールテン鋼 厚板 t=6

GL ±0

▽BOTTOM -2200

コールテン鋼

張弦梁

エキスパンションジョイント

屋根材や既存から増築していく部分にあコールテン鋼を利用している。

計画 A2 で用いた構造様式を転用している。

屋根と既存躯体の間や、増築床と既存の取り合いの部分に

材料の色合いに赴きがあるほか、時間経過とともに色合いが変化して

約 20mのスパンをとばすにはいくつか構造様式が考えられるが、

エキスパンションジョイントを用いている。

いく性質があり、空地の更新や自身の増改築とともに、時間がファサードに

今回は、スラブを抜いた一階部分に自然光を取り入れる必要

これは、地震力や屋根の荷重などの外力を極力既存躯体に伝達することを

表れていくことを想定する。

があったため、構造的に厚くなく、採光に支障がない薄い部材を選べる

防ぐと同時に、外部と内部を遮蔽することをかなえている。

張弦梁を採用した。

C-C 断面図


老朽化が進み、過重負荷や偏心による負荷 を減らすため、三階部を取り壊し、L 字型 の躯体を切り離す。

大屋根をかけ建築を保存するとともに、 挙動に不安があったつけね部分の柱を、 鉄板を巻いて補強する。屋根の荷重を 躯体になるべく伝えないようにするため、 エキスパンションジョイントや、滑り支承 を用いる。

三階部床、二階部床を取り壊し、一階床に 3780

12660

4550

▽TOP +12660

土壌を入れる。屋根にあらかじめ開けておいた

▽2FL +4330

3680

はめ殺しガラスによって、一階に光がふりそそぐ。

650

2200

▽1FL +650 ▽GL ±0 ▽BOTTOM -2200

3000

2800

2800

2800

4000

2800

2800

2800

2800

2800

2800

3200

400 1200 3200

B-B 断面図

400 3200

2800

2800

2800

2800

53000

Y1 Y2 Y3 Y4 Y5

Y6 Y7 Y8 Y9 Y10 Y11 Y12 Y15 Y16 Y18 Y19 Y20 Y21 Y22 Y13 Y17 Y14

▽TOP +12660

▽TOP +12660

▽2FL +4330

▽1FL +650 ▽GL ±0

▽2FL +4330

▽1FL +650 ▽GL ±0

南面立面図

南面立面図


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