ガウディ記念館 Memorial Museum for Antoni Gaudí
2016/4/8 Architectural design 2
展示物資料 Exhibits
Indivisual Project: Memorial museum for Antoni Gaudí 課題;アントニ・ガウディ・イ・コルネット記念館 -聖堂から開かれる都市、なんと美しいことであろう。聖堂の軸よ!真実と美を担って!(J.Pijoan)
■趣旨(Summery); 建築家 Antoni Gaudi i Cornet(1852 1926)はスペイン、 カタルーニャ州のバルセロナを中心に、19 世紀末から 20 世 紀の最初の四半世にかけて建築作品を制作している。バルセロナ建築高等技術学校(現バルセロナ建築大学)卒業し、1878 年 の建築家資格の取得から 1926 年に亡くなるまでのほぼ 50 年にわたる制作活動であり、建築作品はバルセロナを中心に、イ ベリア半島北部に、そしてプロジェクトはアフリカのタンジールやアメリカに及んでいる。代表作に聖家族(サグラダ・ファミリア) る。 なぞら ガウディが りついた建築観を端的に申せば、 自然の諸形象の生成に建築制作を 準 えることであったように思う。建築
約 1.9m
贖罪聖堂、 コロニア・グエイ地下聖堂、 グエイ公園、 カザ・ミラ、 カザ・バッリョなどがあり、ユネスコの 世界遺産登録がなされてい
に生命を持たせること,それゆえに総合であることに腐心したと、言える。 ガウディの残した次のような言葉に窺える。 「賢慮は科 約 62cm
学より優れている。 その名前は《sape re》 、つまり味わう、玩味するという意味に由来する。賢慮は総合で あり、科学は分析である。 分析による総合は賢慮の総合ではない。 それは分析的なものの一つにすぎず、全体ではない。 賢慮は総合であり、生命あるものである。 」ガウディが生きていた時代は社会の近代化過程がヨーロッパ中央に芽生え、席巻して いく頃に符合しているが、その背景から生み出される近代建築を駆動した思惟の 方法 とは筋が乖離しているといえるだろう。 日本にガウディ紹介を初めてされた早稲田大学のプロフェッサーアーキテクトであった今井兼次先生(1895 1987)の言 説にそ の一端はうかがうことができよう。 「ガウディの建築芸術における独創は、単なる外面的な新奇性を追うものではな かった。 この 聖堂建設においても、建築芸術の伝統を、その善きものは継承していった。 そこには、伝統に根をもたない ものは儚いものであ るという彼の芸術観があったからである。 しかしひとたび彼独自の方法や造形を用いる場合には、度 重なる実験の後、確信を得
模型 サグラダ•ファミリア 柱 石膏 1:10
たときにのみ始めて建築の中にとりいれたのである。 この独創に対する彼の態度は、決して臆 病や疑いから生じたものではない
模型 サグラダ•ファミリア 誕生のファサードの鳩 石膏 1:1
。 したがって、独創性の外面的な評価から彼の芸術を理解しようとしても、 それは不可 能なのである。激しさの中に冷徹な判断と 批判とを秘めて制作されたガウディの芸術は、内面からの理解なくしては到底 正しい評価は得られないのである。彼における独 創とは、極言すれば歴史的様式を自己のうちに消化してとり入れたとこ ろにあるといえる。彼の判断と感覚は、伝統を超えて働い 二八年、バルセロナのこの御誕生の玄関の前で次のよう に述べた。 「自分は建築のシンプルシティの極点にたち、 ガウディはコン
約 1m
ていたのである。 「芸術家の倫理」 ( 『職業の倫理』1958)あるい は、 「ル・コルビュジェは、私がこの聖堂を訪問した翌々年の一九 プレキシティの極点にある」 と。 まことに興味あ る言葉である。 しかし、 ガウディが特に御誕生の玄関のみに複雑な表現を試みた のは、他の理由によるものである。 ガウ ディは人となり給うたイエズス・キリストの誕生をよろこぶどよめきともいうべきものを幽 玄な宗教的感動をもって追求 したにほかならない。広義に解釈するならば、すぐれた統一性をもったコンプレキシティこそシン プリシティの本然の姿 に還るものであって、実に至難の業の所有者でなければ、容易に到達しえないものといえよう。 「アントニ ( オ・ガウディ」 新建築 1959 年)
模型 サグラダ•ファミリア
模型 サグラダ•ファミリア
身廊部の大窓の詳細 石膏 1:10
身廊部の大窓のゲーブル 石膏 1:10
今日もガウディ作品の周りには世界から多くの人が訪れていよう。多くの日本人もそのなかの一人、一人であり、早稲田 との繋が りもあって、 アントニ・ガウディ記念館は東京湾がうかがえる湾岸に建つことになった。敷地周辺は多くの倉庫 群、 また山積みされ たコンテナ群が量塊を形成しているコンテナ埠頭が近い。海に向かって左手には隣の島へと向かう道 路が走る。 その周りは暁埠 頭公園になっている。 敷地内にサグラダファミリア贖罪聖堂中央身廊部の二重螺旋柱の第一節 15mの原寸ブロンズ像が屹立している。(配布図 参照) 同じ貿易港でもあるバルセロナ埠頭を見据えているかのようだ。(入江正之) 模型 サグラダ•ファミリア 身廊部の大窓 石膏
模型 サグラダ•ファミリア 側廊部の屋根の明り取り 石膏 1:10
サグラダ•ファミリア 誕生のファサード点描画 size:A0
敷地図 Location
敷地図 Site
0
50M
There stands a Bronze 15m mockup of the first column of the nave at La Sagrada Familia
Tokyo Bay
The coastal area was made with the landfill development during the 1960s to 1970s. This Island is now inorganic surrounded by numerous containers
1920
2016
N
Barcelona
Sagrada Familia
Study
Maertens Law
From the front windows distanceded with the concentric circle, the visitors are expected to experience dierent perspectives of the bronze columns
Taking in the sunlight from the windows randomly opened, the visitors can cherish the exhibits commemorating Gaudi as well as the organic and tentative space of beauty, which represents his ideal
Exhibition Room 1
Cafeteria
Entrance
播磨地区(播州地区)に 18 世紀より伝わる、町じゅうを屋台で練り歩く祭り。宵宮と本宮に分かれ、本宮の日に熊野神社にて、氏神前で一同に練り上げを行う。
The festival has been held from the 18th century in the Harima district (Banshu district), bringing shrines carried through the streets of the town. This project desined the community hall which combines school and festival venue where all shrines come together and perform in front of local gods.
Community hall for harvest festival
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日常において、児童が地域の歴史、祭りの仕組みを学ぶ授業を設ける。 また、地域の知識人や住民と協力して、屋台を作るワークショップを実施する (
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