日本学研究叢書 6
現代日本語造語の諸相
林慧君 著
『日本学研究叢書』刊行に際して 台湾大学が戦後に旧台北帝国大学から受け継いだ日本研究に 関する文献は、膨大かつ貴重なものであった。そして日本研究 は長い歴史と伝統をもつ。この度、21 世紀のグローバル化した 新時代に日本学研究の潜在力を喚起するために、台湾大学人文 社会高等研究院「日本、韓国研究統合プラットホーム」の発足 を契機に『日本学研究叢書』を出版する運びとなった。 さて、東アジアという枠組みで見渡すと、日本、中国、韓国 などの国で展開した日本研究は、それぞれに特色のある内容を 保っているが、台湾における日本研究は実績があるものの、と りわけ、人文と社会科学分野でクロスした対話は、必ずしも十 分とは言えず、むしろ欠如しているという現状にあると言えよ う。 そうした現状に照らして、本シリーズの刊行は、 「人文と社会 の対話」というキーワードを問題意識として、共通性と相異性 の諸相を明らかにした研究成果をまとめ、次の四つの目的を遂 行しようとするものである。 (1)人文社会科学分野における台湾の日本学研究を統合、強化 すること。 (2)新たに「日本学研究」の学習環境を切り拓き、若手研究者 の養成を深化させ、学際的、国際的な方向への発展を期す ること。 (3)日台両国の関連研究機構と緊密な連携を促進し、東アジア
における日本学研究の構成を積極的に推進させ、国際共同 研究の達成を目的とする。 (4)世界における日本研究の成果を生かし、台湾独自の特色あ る日本学研究の発展を確立すること。 本書は台湾大学の「日本学研究叢書」の一冊として、日本語 の外来語や漢語、また中国語との対照分析を行い、新しい視点 と方法の展開を示唆し、台湾における日本学研究の発展に大き く寄与するものであることは特筆されよう。 本シリーズは、国境を越え、学問的領域を越え、学術の国際 化を図るために、台湾では初めて日本語による単行本の出版を 試みたものである。今後も、さらに高度な研究成果が本叢書か ら創出されることを願っている。
2013 年 2 月 25 日
編集委員長
徐 興慶
目次 序 章
.......................................... 1
第一章 日本語の外来語造語成分 ........................ 13 第二章 造語成分における外来語と漢語の対照分析 ―「オール」と「全」を例に― .............. 49 第三章 字音形態素「風」の意味用法 ―認知意味論による日・中対照分析― ........ 77 第四章 字音形態素「風」の接尾辞的用法 ―日・中対照分析を通して― ................113 第五章 漢語接頭辞「反-」について ―日・中対照分析を中心に― ................143 第六章 外来語接頭辞「アンチ-」について ...............185 第七章 現代日本語外来語の実態について(Ⅰ) ―通時的な調査を通して― ..................209 第八章 現代日本語外来語の実態について(Ⅱ) ―語構成的な観点から― ....................235 終 章
.........................................261
資 料
........................................ 269
付表一 「オール」と「全」を含む複合語彙表 ......... 269 付表二 「-風」を含む日本語と中国語の派生語彙表..... 273 付表三 「反-」を含む日本語と中国語の派生語彙表..... 307 付表四 「アンチ-」を含む派生語彙表 ................ 318 付表五 『現代用語の基礎知識』1979、1988、1999、2009 年巻末「外来語年鑑」及び『現代用語の基礎知 識カタカナ外来語/略語辞典』における和製外 来語の出現一覧表
....................... 324
参考文献
........................................ 345
初出一覧
........................................ 356
索
........................................ 359
引
序 章
本研究の背景 語構成の問題を論じる際には、二つの立場からのアプローチ ができるが、その一つは語の発生的な見地から取り扱う「造語 論的な見方」、もう一方は既に形成された語の構造を分析する 「語構造論的な見方」である1。が、事実上この語構成論の二つ の見方は重なり合うところも多々あり、区別するのは難しいと よく言われる。例えば、次のような見地などが示されている。 斉藤(2005)には、 ある語が実際にどのような構造を有しているかという点は、 その語がどのようなプロセスをへて形成されたのかという ことの結果であるから、両者は密接に関連する2。
とあり、また、野村(1992)にも、 造語という概念が語構造の分析と表裏をなすものであるこ とは、いうまでもない。単語の構造を分析することによっ て、過去および現在の語彙がどのような方法で生成された のかをしることは、将来の造語のありかたをさぐるうえで、 1 2
頼(2001)序章、秋元(2002)第 5 章、石井(2007)序論などを参照。 斎藤(2005)66~67 頁。他に、宮島(1980)も参照。
2 現代日本語造語の諸相
きわめて重要である3。
と、語構造と造語(語形成)が如何に緊密な関わりをもつのかが 論述されている。本研究では、上掲の野村(1992)の考えに従い、 将来の造語問題をも研究視野に入れつつ、現在のことばの構成 を分析するという考え方に立ち、日本語の「造語」に関わるい くつかの事象について論究していきたい。 造語研究の際には、対象とする語を、如何なる構成要素が如 何なる造語法に基づいて造り上げているのか、という問題意識 を常にもつべきである。本研究では、特に日本語の中で非自立 形態、即ち拘束形式の語構成要素4であるいわゆる「造語成分」5 また接辞による造語問題に着眼し、そのいくつかを取り上げて 論じることにしたい。 それから、本研究のもう一つの主な関心は現代日本語の外来 語6であるが、これは著者が近年取りかかってきた研究課題の一 つでもある。これまでの語構成・造語研究は、主に漢語・和語 といった在来語を中心に行われてきており、管見の限りでは外来 語の造語問題を取り上げた研究報告は未だ数少ないようである。 ところが、野村(1984)の、 『現代用語の基礎知識』の 1960 年 版と 1980 年版における見出し語の語種構造に関する調査では、 3
野村(1992)4 頁。 形態論では「拘束形態素」とも言うが、単独で単語を成すことができ ない構成要素のことである。(『日本語学研究事典』189 頁を参照) 5 山下(1995)では、造語成分とは「語基から接辞へと連続的に位置する」 中間的な構成要素と論じられている。基本的には本研究もこの考えに従う。 6 本研究で言う外来語というのは、在来語の和語・漢語に対する洋語の ことをさす。 4
序章 3
1960 年版では外来語と漢語とであまり差がなかったのに対し、 1980 年版では漢語は 3 割弱に減り、外来語は 6 割近くに増えて いることが明らかになった7。このことは、現代日本語の中で外 来語がとても無視できない位置を占めるようになったことを物 語っている。 現代日本語における外来語語彙は、ただ外国からそのまま日 本語として借用されるのに止まらず、更に日本語の形態素とな って、他の語と結合するという造語機能をも果たしており、も はや日本語の造語や語彙体系に大きな影響を与えていると思わ れるので、日本語の造語問題を扱う本研究では和製外来語の造 語問題も取り入れることにした。
先行研究 先行研究に関しては、各章でそれぞれのテーマと直接に関係 のある先行考察を詳しく取り上げて説明するので、ここでは本 研究に示唆を与えられた主要なものだけを概観しておくことに する。 造語の問題を分析するに当たっては、語がどのような方法(造 語法)で、またどのような形で生成されるのかといった形態の側 面が重んじられる。一方、語と言うのは形のみならず、(語彙的) 意味ももち、文において働くわけであるが、このような語のも つ意味的側面も、造語の問題を考える際に欠かすことはでき ない。 7
第七章の冒頭を参照。
4 現代日本語造語の諸相
語の意味的側面と語の構造をともに重視するという語構成論 の立場を主張する研究は斉藤(1992、2004)が挙げられる。斉藤 (1992)では、 筆者の語構成論において何より重要なのは、語構成を、語構成 要素間の形式的な結合のタイプとしてのみ理解せず、語構成要 素の意味と語の構造とが具体的に一語の中でどのように関わ り合いながら語全体の意味を支えているのか、という、語の意 味的側面と語の構造との複雑な絡み合いとして理解していこ う、という姿勢である。従って、筆者は自らの語構成論を意味 論的語構成論と仮称しているのであるが、……
と述べている8。このような考えに基づき、斉藤氏は下位単位の 語構成要素が上位単位の語に質的転換するという「単語化」の 概念を提出し、この単語化には、 「意味的プロセス」及び「文法 的プロセス」という二つの側面が存在している、と指摘されて いる9。 本研究においても、上記した斉藤(1992、2004)の、語構成の 問題を扱う際、語の構造分析に語の意味的側面も取り入れるべ きという考え方を基にして、論を進めることとしたい10。 次に、本研究で取り上げる現代日本語の造語成分または接辞
8
斉藤(1992)19 頁。 斉藤(2004)第 1 章の 1.2 を参照。 10 本研究の立場は、 斉藤氏の、単語化による語彙的意味形成のプロセス、 またアプローチなどとは異なることもあるが、造語の研究で形態レベル のみならず、意味的側面も重視する考え方は、斉藤(1992、2004)から学 ぶところ大きかった。 9
序章 5
に関する先行研究をいくつか挙げる。まず、接辞に関しては『日 本語学 特集 接辞』(1986 年 4 月号)が挙げられる。当論文特 集では、字面通り、日本語の和語、漢語の接辞への考察がかな り網羅的に扱われており、例えば「うち-」 「-がましい」や「不 -」 「-式」などのようなケーススタディーもあれば、接辞の本 質の問題、例えば、接辞の種類、機能、また構文論の観点から 接辞への検討なども見られる。 これらの先行研究を通して、まず、接辞の意味用法とその接 辞による造語の側面がかなり関わり合っていることに関する示 唆を受けること多かった。また、当論文特集の中には、日本語 と中国語の対照分析の論考(原由起子氏の「―的」、荒川清秀氏 の「―性 ―式 ―風」)も含まれている。これらの研究は、多 少の問題点が残されてはいるものの、接辞における日本語と中 国語との対照分析の可能性とその必要性を主張している。本研 究の特色の一つである対照分析という観点は、これらの先行研 究より学ぶところが多かった。 それから、本研究のもう一つの分析対象である外来語の造語 と関わりのある先行研究としては、特に山下(2006)を挙げたい。 山下(2006)は、国語辞典を資料として作成した「造語成分デー タベース」を基にし、その中の外来語由来の造語成分について 主に形態的特徴を論述したものである。 山下(2006)は、特に二つの点で参考になる。一つは、外来語 造語成分を研究対象とした点と、論文末尾の「外来語造語成分 出現頻度順表」の実態調査の資料である。外来語の造語成分と は何なのかの他に、辞書などで如何に扱われているのか、また、
6 現代日本語造語の諸相
形態的な側面における実態などが提示されている。特に末尾の 外来語造語成分の一覧表はそれまでになかった外来語の造語成 分に関する重要な基礎研究データであり、この造語成分の資料 を基にし、外来語造語成分による造語の研究がどのように進め られるか、その方向性も示唆してくれた。本研究の第一、二章 で取り上げる外来語造語成分に関する考察も、それを参照する ことが多かった。 もう一つは、外来語造語成分の形態的な特徴、在来語の和語・ 漢語造語成分との相違点も示しており、外来語造語成分を和 語・漢語の造語成分と比較分析することの可能性についても示 されたことである。本研究の特色の一つである対照比較という 観点からの考察はこれより大いに啓発されたと言える。 但し、山下(2006)は、外来語造語成分のデータを提示し、形 態的な特徴を指摘するのみに止まっており、造語成分の意味的 側面の問題には触れていないし、その造語に関しても詮索して いない課題が残っている。本研究では、まず外来語の造語成分 に関わる意味的側面や造語の問題を取り上げ、更に外来語の造 語実態への分析にも取りかかることにする。
本研究の特色及び目的 本研究の特色は二つ挙げられるかと思う。一つは対照比較と いう観点からの考察であること、もう一つは意味的側面の考察 も分析の視野に入れつつ、造語の問題に取りかかるということ である。
序章 7
一つ目の対照比較という分析観点であるが、本研究では、ま ず日本語内の対照比較、外来語と漢語の対照比較を行っており、 例として類義語と思われる造語成分の「オール」と「全」 、また、 接頭辞「アンチ-」と「反-」を取り上げる。次に、日本語と中 国語の対照分析も行うが、主に、いわゆる日本語と中国語の「同 形」語に焦点を絞り、例として同形の接尾辞「-風」、そして接 頭辞「反-」を取り上げる。このように、日本語内の異なる語種 の類義語どうしへの対照比較に止まらず、更に外国語との対照 比較も研究視野に入れることが本研究の大きな意義の一つだと 言えよう。この多面的な対照比較の分析観点を通して、日本語 の造語の問題をより広く客観的に捉えられると考える。 二つ目は、造語分析の際に意味的側面も視野に入れることで ある。上に述べたように、本研究では類義語どうしの造語成分、 また日・中両語11同形の接辞を分析対象に取り上げるが、これら の造語の問題を考察する際に、その意味の類似性や相違点など を解明することも必要になってくる。なお、意味と語形との関 わりを明らかにするために、これらの造語成分や接辞について、 その語の構造、形成といった語形の側面のみならず、意味的側 面における分析もともに行う。語形と意味を両方とも重視する ところにも、本研究の大きな意義があると思われる12。 次に、本研究の目的について、主な二つの分析対象ごとに述 べよう。
11
以下、本研究では日・中両語とは日本語と中国語のことをさす。 賴(2001)も、 意味的側面をも考慮しつつ形容詞の語構成論的研究を行 ったものである。賴(2001)5 頁を参照。 12
8 現代日本語造語の諸相
まず外来語という分析対象に関して、第一章では、「アイス」 をはじめ、 「カー」などの、従来あまり本格的に研究分析に取り 上げられなかった外来語造語成分についてその造語の様相を考 察する。その外来語造語成分が在来語の和語や漢語とどのよう な競り合いをもちながら、日本語の造語に如何なる影響をもた らすのか、といった問題を明らかにしたい。なお、第七、八章 では外来語全般の造語実態の調査に取りかかるが、通時的な実 態調査を通して、ここ 30 年における外来語の造語実態などを垣 間見たい。その実態などから、現代日本語の外来語の造語の諸 相を把握したい。 次に、もう一つの分析対象となる造語成分と接辞に関しては、 前述したように、主に対照比較という観点から分析に取りかか るが、まず、外来語造語成分と漢語造語成分(「オール」と「全」 、 「アンチ-」と「反-」)に関して、意味的側面における類似点や 相違点を考察しつつ、意味と造語との関わりを解明する。そし て、日本語と中国語における同形の接辞の問題(「-風」と「反-」) に関しても、両者における意味の異同、またそれと造語との関 わりなどを明らかにしたい。即ち、いくつかの造語成分と接辞 の造語問題を扱うケーススタディーを通して、日本語における 外来語と漢語、更に日本語と中国語における造語の異同などを より客観的に探っていきたい。
序章 9
本研究の構成 本書は、序章と終章も含め、第一章から第八章までの全 10 章 からなる。序章では、まず本研究の背景を述べ、そして関わり のある主な先行研究を概観する。次に、本研究の分析の特色を 説明し、本研究の目的及び構成を記述する。 第一章から第八章までが本研究の本論に当たる部分である。 分析の手法によって大きく二つに分ければ、第一章から第六章 までは、外来語造語成分や漢語接辞などの造語問題に関して意 味と語形という二つの側面から分析する。一方、第七、八章は、 和製外来語について実態調査という方法を通して、ここ 30 年現 代日本語における和製外来語の造語実態を論述する。 以下に、第一章以降の内容を略述する。 第一章では、 「ホーム」や「ニュー」などのような、本来外国 原語では自立形式の形態素であるものの、日本語に借用される と、自立用法を失い、結合専用のいわゆる外来語の造語成分に なるものを取り上げ、その語構成的な特徴や要因などについて、 外国原語の文法性と意味上対応する在来語成分との関わりから 論じる。 第二章では、第一章に引き続き、造語成分を分析に取り上げ る。外来語と漢語の対照比較という観点から、類義語どうしと 思われる外来語造語成分「オール」と漢語造語成分「全」を例 に対照分析を行うが、両者の意味用法、語構成における異同、 文脈構文上の特徴などを明らかにする。 第三章及び第四章では、日本語と中国語との対照分析である。
10 現代日本語造語の諸相
日・中同形の字音形態素「風」を取り上げるが、まず、第三章 では、認知意味論の観点からのアプローチを通して、合成語の 後項要素として「風」の日・中両語の異同を考察する。「-風」 の接尾辞的用法にも少し触れるが、全体として「強風」や「誹 風」などのような「-風」の語基的用法を中心に論じる。 第三章に引き続き、第四章でも、字音形態素「風」を取り上 げるが、 「外国人風」や「お茶漬け風」などのような接尾辞的用 法を中心に日・中両語の意味用法や構文的機能の相違、特徴な どを論述する。 第五章及び第六章では、漢語接頭辞「反-」と外来語接頭辞「ア ンチ-」を取り上げる。まず、第五章では、日・中対照分析のア プローチによって、いわゆる日・中同形の漢語接頭辞「反-」の 意味用法と語構成という二つの側面における日・中両語の類似 点や相違点などを考察する。 第六章では、第五章に引き続き、「反-」と類義語どうしと思 われる外来語接頭辞「アンチ-」を中心に取り上げ、その意味用 法や語構成の問題を論じようとする。そして、第五章の、日・ 中同形漢語接頭辞「反-」に関する考察を踏まえ、日本語と中国 語の接頭辞「反-」と日本語の「アンチ-」との間に如何なる異 同が見られるかという対照分析も視野に入れ、三者の相違点や 特徴などをより深く論究する。 第七章及び第八章では、ここ 30 年の和製外来語の実態調査を 通して通時的な考察を行うものである。まず、第七章では、定 期的に毎年発行され、言葉の様相の変化を縦断的に把握できる 『現代用語の基礎知識』の付録外来語年鑑を調査資料と限定し、
序章 11
和製外来語のみを考察の対象として取り上げ、調査・分析する。 そして、外来語辞典も用いて、同年鑑と辞書における収録状況 の異同などを比較することによって、ここ 30 年の和製外来語の 消長実態や語彙の性質、また外来語辞典の性格などを考察する。 第八章では、第七章での和製外来語に関する通時的な調査に 基づき、数量的な変化や造語法から、ここ 30 年の和製外来語に おける造語実態の特徴などを論述する。 最後の終章では本研究のまとめを行い、本研究の意義と今後 の課題を示す。
第一章 日本語の外来語造語成分
一、はじめに 日本語の外来語語彙は、外国から借りてきた借用語として使 われるのに止まらず、更に「トップ会談」 「トップランナー」な どの「トップ」のように、日本語の形態素として定着して、造 語生成にも大きく寄与している。その日本語の形態素としての 外来語成分の中には、外国原語では自立形式のものであるが、 日本語になると、結合専用の語基になってしまうものがある。 例えば、「ホーム」というのは、その原語では自立形式の語基 (“home”)であるが、日本語としては「老人ホーム」 「マイホー ム」 「ホームドラマ」などのように、決して接辞の要素とは思え ないが、さりとて独立して用いられることも殆どない、言わば、 造語成分的なものになってしまう。本章では、この「ホーム」 のような、語基と接辞との中間的な要素となる外来語造語成分 を取り上げ、主に形態的な側面を中心にその語構成的な特徴を 論じようとする。 まず、 「造語成分」という用語を確認しておこう。山下(1995) は、国語辞典における造語成分の性格を、自立用法の有無や形、 そして意味の側面から分析したが、それによると、造語成分は、 自立用法を有するものも、拘束形式のものもあるとする。また、
14 現代日本語造語の諸相
明確な概念を表すものが大部分ではあるものの、接辞との区別 があいまいであり、接辞に対立する語基としてくくることもで きないとする。つまり、造語成分は「語基から接辞へと連続的 に位置する」中間的な構成要素ということになる1。なお、山下 (2006)では、外来語の造語成分を、いわゆる接辞に加え、森岡 (1985)の言う、例えば、「ノーカット」(no)、「ロックアウト」 (out)と言った、広義の接辞である「準接辞」も含めたものとし て、広く捉えている。一方、小池(1996)では、造語成分として の外来語を「単独で使用できない外来語」として捉えているが、 実際に取り上げられた例は、 「エアー」「キー」のようなものばか りで、いわゆる接辞の例はない。 本章では、造語成分は語基と接辞との中間的な構成要素とい う考えに基づき、森岡(1985)や山下(2006)のような広義的な捉 え方はしない。つまり、拘束形式のいわゆる接辞(例えば、「ア ンチ巨人」(anti-)など)は、造語成分とは異なる形態素として 考える。なお、最初にも述べたが、本章の研究対象の外来語造 語成分とは、 「ホーム」のような、外国原語では自立形式の語基 であるのに対して、日本語では結合専用のものになるものだけ に限定する。従って、森岡の言う「準接辞」は分析の対象に入 ることになる。 外来語の造語成分に関する先行研究はさほど多くなく、さし 当たって、小池(1996)と山下(2006)が挙げられる。 小池(1996)は、造語成分としての外来語をいくつか挙げ、主
1
山下(1995)を参照。
第一章 日本語の外来語造語成分 15
に個別的に意味用法の分析を行ったものであるが、何故それら が日本語では結合専用の形態素になるのか、といったことに関 しては言及されていない。また、外来語造語成分を含む複合語 には和製語と音訳語の区別が成されていない。しかし、音訳語 の造語は概ねその原語外国語の造語段階の問題で、和製語こそ 日本語の造語に関わる問題であり、両者の造語レベルにおける 本質が異なるので、区別して論じるべきである2。 山下(2006)は、国語辞典に基づいて作成した「造語成分デー タベース」の概要を示した後、漢語や和語成分は複合語の構成 要素として後部分になるものが圧倒的に多いのに対して、外来 語造語成分は逆に前部分になるものが多いという、漢語・和語 成分と異なる、外来語造語成分の形態的な特徴を指摘した。と ころが、外来語造語成分がなぜ結合専用としての形態素になる のか、といったことについては、やはり触れられていない。ま た、外来語造語成分が複合語の前項要素になるものが多いとい う結論は、いわゆる接辞も一括して調査範囲に入れたため、外 国原語において接頭辞であるものが多数含まれていることから 来るものである。本章では、そもそも外国原語において接辞で あるものを分析の対象外にした場合、果たしてどういう結果が 出るのかを考察していく。 本章では、まず、いくつかの外来語造語成分を選び出し、そ れらの造語実態について様々な辞書の調査を通して考察する。 そして、形態的な側面を中心に外来語造語成分の語構成的な特
2
林(2003)を参照。
16 現代日本語造語の諸相
徴を論じる。また、これらの外来語成分が日本語に借用される 際、その原語の自立用法を失い、造語成分になってしまう言語 上の要因などをも探ってみたい。
二、考察対象、範囲及び分析方法 上述した如く、本章では、元来外国原語においては自立形式 の語基であるものの、日本語に入ると、結合専用のものになる 外来語造語成分だけを考察の対象とする。 なお、日本語の形態素としての外来語成分の造語現象、造語 機能を分析するために、「ホームゲーム」(home game)「アット ホーム」(at home)などのような外国語からの音訳語は、その造 語が日本語の造語レベルの問題ではない故、対象外とする。即 ち、本章の造語実態の分析対象となるのは、和製語の複合語の みである。但し、外来語成分による日本語の造語は、外国原語 の造語機能とも関わりがあるとも考えられるので、その点も適 宜参考にしながら考察していく。 というわけで、外来語造語成分の語例を選定するに当たって、 上に述べたような、和製複合語の例はなく、音訳語ばかりを造 り上げる外来語成分は、ただの借用語の音訳カタカナ成分であ り、まだ日本語の造語域に入り込んでいないと見られる。例え ば、 「スカイ」や「ティー」などの場合、それらが造り上げた「ス カイダイビング」 「スカイブルー」 「レモンティー」 「ティールー ム」などの複合語は、外国原語の音訳語ばかりであり、日本語 独自の造語、即ち和製の複合語はなかった。本章は、このよう
第一章 日本語の外来語造語成分 17
な訳語レベルに止まる音訳カタカナ成分は問題外にした。 要するに、調べた外来語造語成分を含む複合語について、そ れが和製語なのか、外国語からの音訳語なのかを、まず辞書に 基づいて判別する3。その後、それぞれの造語パターンを整理し、 和製の複合語における外来語造語成分の造語機能や特徴などを 明らかにする。繰り返すことになるが、本章で取り上げる複合語 の語例は、原則として和製語のみであることを断っておきたい。 以上述べた語例選定の原則に基づき、山下(2006)などの先行 研究に扱われた造語成分の例を参照しながら、本章で取り扱う 外来語造語成分の語例として、 「アイス」などの 32 個の例を選 び出した4。以下に挙げる。 「アイス」 「アメリカン」 「アワー」 「オール」 「オールド」 「カー」 「キー」 「クイック」 「ケミカル」 「ゴールデン」 「スノー」 「セントラル」 「ソーラー」 「デー」 「ナイス」 「ニュー」 「ノー」 「ハンド」 「ビッグ」 「プチ」 「フル」 「ペーパー」 「ホーム」「マイ」「マリン」「マン」「ライト」 「ルーム」 「レーン」 「ロー」 「ワーク」 「ワールド」
3
外来語複合語が和製語か外国音訳語かについての判別をするに当た って、インターネットの『goo 辞書』に基づくことにした。 4 山下(2006)の付録資料 2「外来語造語成分出現頻度順表」に挙がって いる、頻度 4 以上の外来語造語成分は元々64 例あるが、前述した本章 で扱う外来語造語成分の選定基準に基づき、 「ミニ」などのような、そ もそも外国原語でも接頭辞として働いている例は除外されることにな る。他に、外来語造語成分の造り上げた複合語は和製語がなく、音訳語 ばかりのような成分、例えば、 「グッド」 「グランド」なども対象外にし ておいた。結果、17 個を採用することになった。
18 現代日本語造語の諸相
上掲例のうち、 「アメリカン」 「ケミカル」 「ゴールデン」三語 は英語では形容詞であり、後ろに名詞句を要求し、また「マイ」 も後ろに常に名詞句を要求する所有格であるため、一見してこ れらは外国原語の英語では自立用法をもたないとされやすいで あろう5。確かにこれらは後ろに名詞句が来るのが求められる故、 非自立用法とされるのであろう。しかし、それは句レベルで言 う場合のことであるが、語として、つまり、形態素レベルで「ア メリカン」などを考えると、これらは自立形式の語基と考えら れる。 例えば、 「マイ」という造語成分で説明すると、英語では「my home」は二つの単語になるが、日本語の場合「マイホーム」は 一つの単語とされる。 「my」も「マイ」も後ろに別の語が接続し て来ることができるが、英語の場合は「my cup」 「my car」など のように「my」の後ろには名詞句を要求するのに対し、日本語 の「マイ」は「マイカップ」 「マイカー」などのように名詞句で はなく、名詞成分(名詞語基)を求めるのである。故に、「マイ」 は外国原語では自立形式の語基であるものの、日本語に入って 日本語としては結合専用の造語成分と判断されるわけである。 本研究で言う自立形式というのは、上述した如く、形態素レベ ルに限定して論じるものである。 次に、上掲した結合専用の外来語造語成分を含む複合語を、 5
とはいうものの、 「アメリカン」 「ケミカル」は他に名詞と述語機能の 用法もあるし、 「ゴールデン」も、 「If the right editor looks at your article ,you’re golden.」(『Longman Dictionary of Contemporary English 5th』)という例文のように述語としても用いられるため、英語 では自立用法を有する語基と判断していいと思われる。
第一章 日本語の外来語造語成分 19
辞書類や新聞の電子データベースから取り集めて調べる6。そし て、これらの外来語造語成分の造語について、その元になる外 国原語、また意味的に対応する在来語(漢語・和語)成分との関 わりなどの観点から、分析を行うことにする。
三、分析 上に挙げた本章で取り扱う外来語成分は、外国原語では自立 形式の語基として働くが、日本語に入ると殆ど自立用法を失い、 拘束形式の用法だけになってしまうのが特徴的である。だが、 これらの結合専用の外来語成分を、直ちに接辞的要素と認定し て妥当かどうかも疑問に思われる。たとえば、外国原語では自 立形式である「アワー」などの成分は、外国原語においてもそ もそも接辞である「アンチ-」や「ミニ-」などの外来語接辞の ようなものとは、本質的に相違するところがあるからである。 なお、接辞と語基の弁別は難しいところが多く、例えば、上に 挙げた外来語成分のうち、 「マン」や「カー」などは「銀行マン」 「宣伝マン」 「ガードマン」や「マイカー」 「アジア・カー」 「エ コ・カー」などのように、様々な名詞に付き、多数の複合語を
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本章ではとりあえず、 『広辞苑』第五版、 『広辞苑』逆引き第五版、 『最 新カタカナ用語『読む見る』事典』 、そして『goo 辞書』(インターネッ ト版)を用いて、語例をピックアップすることにした。造語実態をより 正確に捉えるためには、辞書以外に新聞や小説などからも語例を収集す べきであろうが、本章では一先ず辞書を中心にした結果を報告する。な お、適宜に雑誌や小説やネットなどからの語例も、取り入れることがあ るのも断っておく。
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作り上げているため、接辞に近い要素とも考えられる7。しかし、 本章が目指すのは外来語成分が接辞か語基かの認定ではないの で、その議論はさておくことにする。 以下、外来語造語成分を、まず結合位置別に分類して、その 結合位置と外国原語の文法性との関わりを分析し、更に、造語 性や結合対象に関して、外来語造語成分と意味的に対応する在 来語(漢語・和語)成分との関わりから考察することによって、 外来語造語成分の語構成的な特徴を論じていく。
(一)結合位置から まず、外来語造語成分を複合語における結合位置別に分け、 それぞれの外来語造語成分とその外国原語の文法性との関わり を検討してみる。
1、複合語の前項に位置しやすい外来語造語成分 本章調べた外来語造語成分のうち、複合語の前項のみに位置 する例が 22 個あった。例えば、 「ニュー」 (new) :ニューサーティー、ニューシングル、 ニューファミリー、ニューフェース… 「フル」(full):フルシーズン、フルスイング、 フルムーン、フル稼働、フル操業… 「プチ」 (petit): プチギフト、プチライター、
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このことからして、 「ホーム」や「カー」などの外来語造語成分は、 「ミ ニ-」などの接辞的要素と連続的であると見るべきであろう。
第一章 日本語の外来語造語成分 21
プチホテル、プチ整形、プチ留学、 プチ断食、プチ野菜、プチ家出、… 「ノー」(no): ノーネクタイ、ノーゲーム、ノータッチ、 ノーメイク、ノーカット、ノー問題、… 「マイ」(my):マイカー、マイカップ、マイバッグ、 マイ水筒、マイ辞書、マイ傘袋、マイ箸… 「オール」(all):オールロケ、オールスタンディング、 オールプロ、オール電化、オール野党… などである。これらの外来語造語成分が常に複合語の前項要素 になることは、以下に見るように、その元の外国原語の文法性 と関わりがあると考えられる。 「ニュー」 「フル」 「ノー」は英語の形容詞から、そして、 「プ チ」はフランス語の形容詞からの借用語である。 「マイ」は元の 英語では形容詞ではないが、所有格人称代名詞である。 「オール」 は、原語英語では形容詞または造語成分(例えば「all-night」 「all-knowing」など)の両方を合わせ持つものである。 これらは、外国原語において常に後ろに被修飾成分を要求す るという文法性に影響されるためか、日本語に借用されてから も、常に被修飾として他の語基を要求し、複合語の前項に位置 しやすくなるようである。特に、元は所有格人称代名詞の「マ イ」が複合語の前項にしか来ないのは、言うまでもないことで ある。 「ニュー」などの外国原語の形容詞からの造語成分は、日 本語に入った後、元の形容詞の文における述語機能は失われて しまい、名詞の前に位置し名詞を修飾、限定する文法機能のほ
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うが大いに働き、日本語の造語に寄与するようになった。その 結果として、 「ニュー」などは、常に後ろに様々な語基との結合 を要求し、接頭辞に近いものになったと考えられる。一方、 「オ ール」は英語では形容詞以外、いわゆる造語成分としての働き もあり、そもそも外国原語では常に後ろに他の要素が結び付い てくるのを求める、造語力が強い要素である。その外国原語の 文法性による影響から、日本語としてもかなり活発な結合力を 示している。 他に、元の外国原語の文法(品詞)性からの影響を受け、日本 語として常に複合語の前項要素になる造語成分として、 「オール ド」 「ゴールデン」 「ケミカル」 「ソーラー」 「ライト」 「ロー」 「ア メリカン」 「クイック」 「ナイス」 「ビッグ」 「マリン」 「セントラ ル」8も挙げられよう。これらもいずれも、その元の英語では形 容詞ばかりのものである9。 次に、 「ペーパー」という造語成分を見てみよう。今回の調査 データに「ペーパー」という造語成分をもつ和製の複合語は、 「ペーパーカンパニー」 「ペーパードライバー」 「ペーパー商法」 「ペーパー結婚」…
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本章の調べた限りでは、 「セントラル」という造語成分は日本語の造 語レベルで「セントラルリーグ」 「セントラルプラザ」などのように、 固有名詞の複合語作りに止まっており、まだ一般複合名詞の造語には寄 与していない。 9 本章で取り扱った、 山下(2006)の資料 2 からの造語成分 17 例のうち、 原語英語の形容詞性の影響によると考えられる、日本語複合語の前項要 素ばかりとなる例は 13 例もある。
第一章 日本語の外来語造語成分 23
などがあり、造語成分「ペーパー」が複合語の前項に来るパタ ーンが多かった。しかし、複合語の後項に来る例が全然ないわ けでもなく、例えば、 「イエローペーパー」 「サンドペーパー」 「ニュースペーパー」 「エコロジーペーパー」… などが見られた。但し、これらは全て音訳語なのである。つま り、日本語の造語レベルで考えると、造語成分「ペーパー」は 専ら複合語の前項要素になるばかりである。これも、原語英語 の「paper」にある形容詞用法からの影響であろうと考えられる。 「ペーパー」の原語「paper」は、名詞「紙」という基本義の用 法と「名目上の、帳面づらだけの」10という形容詞用法がある。 即ち、 「paper」が日本語に入った後の日本語造語レベルでは、 「紙」 という名詞の基本義の機能を果たさず、 「書類上だけで、現実が 伴っていない」11という形容詞の意味用法のみが働き、 「ペーパ ー~」という前項に位置する造語パターンが生産性をもつよう になったと思われる。要するに、日本語の造語レベルにおける 「ペーパー」は、原語の基本義の名詞用法が働かず、原語の派 生的な形容詞用法の文法性に影響されている造語性を呈し、複 合語の前項に位置しやすい造語成分として働いていると見てさ しつかえない12。 10
『広辞苑』による。 『goo 辞書』(インターネット版)による。 12 一方、本章の調査では、元の外国原語が形容詞性ではないが、日本語 の造語レベルにおいては複合語の前項要素となる外来語造語成分 (「ス ノー」「ハンド」「レーン」)もあった。これらは、その元の原語は形容詞性 11
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2、複合語の後項に位置しやすい外来語造語成分 逆に、複合語の後項に位置しやすい外来語造語成分には、次 のようなものが挙げられる。 「アワー」(hour):アンコールアワー、ラッシュアワー ゴールデンアワー、 「マン」(man):ウォークマン、ガードマン、ジャズマン、 サラリーマン、スタンドマン、ワンマン、 営業マン、銀行マン、商社マン… 「カー」(car): キャンピンクカー、クリニックカー、 ドクターカー、バキュームカー、 ベビーカー、ロマンスカー… 「ワーク」(work):インサイドワーク、サイドワーク、 在宅ワーク 「ルーム」 (room) :コンピュータルーム、モデルルーム、 トランクルーム、トレーニングルーム… 「デー」 (day) : エックスデー、カジュアルデー、 国際反戦デー、防火デー、 虫歯予防デー… 上に挙げた「アワー」 「カー」 「マン」 「ワーク」は、いずれも
ではなく、いずれも名詞性ではあるが、和製の複合語を造り上げるに当 たって、複合語の前項に位置するのである。但し、これらの造語成分は 殆ど生産性を持たず、一、二例の和製複合語しか造り上げず、日本語の 造語にはまだ寄与していないと言える。従って、以下、この三つの造語 成分の造語性に関する論述は省くことにする。