『日本学研究叢書』刊行に際して この『日本学研究叢書』は、台湾における唯一の日本語による 学術研究叢書である。本叢書は、台湾大学人文社会高等研究院に 「日本・韓国研究平台(プラットホーム)」が開設されたのを機 に 2012 年に発刊されたが、その後、企画編集の責任を、2013 年 11 月発足の台湾大学日本研究センターが担うことで、継続してき ている。これまで既に 35 冊を刊行した。 戦後、台湾大学が旧台北帝国大学から受け継いだ日本研究に関 する文献は、膨大でありまた貴重なものである。そうした遺産の もと、台湾における日本研究は長い歴史と伝統をもっている。し かしながら、東アジアの全体を見渡すとき、日本、中国、韓国な どの国々の日本研究は、それぞれに特色のある内容を展開してい るなか、台湾における日本研究は、その長い歴史と一定の実績の 割には、現代の諸課題を視野に入れた社会科学分野と切り結んだ 研究と対話は十分ではない。また、世界に発信して発表する場が 限られている。本叢書は、グローバル化が進むこの 21 世紀に、日 本研究における台湾のもつ大きな潜在力を自覚し、その喚起を目 指して、以下の四つの目標の遂行に努めている。
(1)人文学だけではなく、社会科学分野における台湾の日本学研 究を強化し、両者の対話と融合をめざすこと。
(2)台湾における「日本研究」の新たな学習環境を積極的に切り 拓き、学際的にして国際的な方向に視野を広げていく若手研 究者の養成を期すこと。 (3)日台両国の関連研究機関および東アジアの諸研究機関との連 携を促進し、日本研究を国際的に展開する「国際日本学」の 構築を目指すこと。 (4)世界における日本研究の成果を生かした「国際日本学」のも と、台湾固有の文脈を意識した台湾的特色のある国際的日本 研究の発展を推進すること。
『南北朝期室町幕府をめぐる諸問題』は、日本南北朝時代にお ける幕府の制度・政策、南北朝・室町時代に対する後世の歴史観、 および南北朝時代の政治・社会・文学にみられる中国思想など、 多岐にわたる著者最新の研究成果をまとめたものである。各章は それぞれ確かな史料にもとづいて実証的かつ論理的に考察したも ので、今後の室町幕府研究の進展に寄与するところが大きいと思 われる。本書の出版は台湾における日本研究・ないし歴史研究の 推進に資することも大いに期待される。 2022 年 5 月 31 日 『日本学研究叢書』編集委員長 曹
景恵
目次 序章 ......................................................................................................... 9 はじめに ......................................................................................... 9 一、鎌倉後期~南北朝期日本における中国思想の受容 ....... 10 二、本書の構成 ........................................................................... 13 おわりに ....................................................................................... 15 第一章
南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義 ―所務沙汰制度史と将軍権力二元論を中心に― ........... 19
はじめに ....................................................................................... 19 一、佐藤進一の南北朝期室町幕府訴訟制度研究 ................... 20 二、佐藤進一以降の南北朝期室町幕府訴訟制度史研究 ....... 24 三、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の問題点 ................... 40 四、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の展望 ....................... 52 おわりに ....................................................................................... 69 第二章
足利直義下文の基礎的研究 ............................................... 71
はじめに ....................................................................................... 71 一、室町幕府発足以前の足利直義下文 ................................... 73 二、三条殿執政期の足利直義下文 ―暦応 4 年(1341)9 月以前― ........................................ 77 三、三条殿執政期の足利直義下文 ―暦応 4 年(1341)10 月以降― ...................................... 88
四、観応の擾乱以降の足利直義下文 ....................................... 95 おわりに ....................................................................................... 98 第三章
仁政方再論 ―山本康司の批判に接して― ................... 101
はじめに ..................................................................................... 101 一、施行状は下文を再調査しないのか? ............................. 102 二、恩賞方は施行状の発給機関であるのか? ..................... 106 三、恩賞方は理非糺明を行わないのか? ............................. 109 四、そもそも理非糺明とは何か? ......................................... 112 五、仁政沙汰は将軍自らが理非糺明を行うのか? ............. 114 六、西寺別当職相論の再検討 ................................................. 121 七、改めて、仁政方の再考察 ................................................. 126 おわりに ..................................................................................... 133 第四章
清廉潔白な奉行人 ―室町幕府奉行人依田時朝に関する一考察― ............. 135
一、吉祥院修造段銭免除訴訟 ................................................. 135 二、初代将軍足利尊氏期における依田時朝 ......................... 138 三、2 代将軍足利義詮期前半における依田時朝 .................. 140 四、斯波高経失脚以降の依田時朝 ......................................... 142 五、足利直義の薫陶 ................................................................. 146 第五章
『太平記』に見る中国故事の引用 ................................. 149
はじめに ..................................................................................... 149 一、中国故事引用の頻度・分布 ............................................. 151
二、大規模引用の意図 ............................................................. 154 三、観応の擾乱期における大規模引用の検討 ..................... 160 四、『太平記』の編纂過程と中国故事引用 ......................... 166 おわりに ..................................................................................... 171 第六章
近世における高師直悪玉史観の再検討 ―『英草紙』を通じて― ................................................. 173
一、『英草紙』のなかの師直 ................................................. 173 二、悪人像と矛盾する逸話 ..................................................... 179 三、観応の擾乱の“A 級戦犯”探し ..................................... 182 第七章
近代彦部家の家史編纂事業 ............................................. 185
はじめに ..................................................................................... 185 一、彦部家諸系図の系統関係 ................................................. 186 二、彦部家家史に見る「史実」の変容過程 ......................... 193 おわりに ..................................................................................... 205 第八章
近代における足利尊氏逆賊史観の再検討 ..................... 209
はじめに ..................................................................................... 209 一、近代彦部家の足利将軍忠誠史観 ..................................... 211 二、中島商相筆禍事件の再検討 ............................................. 212 三、平泉澄の慨嘆 ..................................................................... 215 四、篠村八幡宮の矢塚 ............................................................. 217 五、大川周明の尊氏称賛論 ..................................................... 219 六、中村直勝の尊氏論 ............................................................. 224
おわりに ..................................................................................... 227 補論
軍忠の基準 ............................................................................. 231 はじめに ..................................................................................... 231 一、上様が九州に行かれ京都をお留守にしていたとき、 お前はどこにいたのか? ................................................. 231 二、足利氏の「御内」 ............................................................. 234 おわりに ..................................................................................... 236
結論 ..................................................................................................... 237 初出一覧 ............................................................................................. 249 参考文献 ............................................................................................. 251 人物索引 ............................................................................................. 271 歴史上の人物 ............................................................................. 271 研究者 ......................................................................................... 280 事項索引 ............................................................................................. 285
序章
はじめに 本書の課題は、大別して 2 つある。 第一に、中国の学問・宗教・文化が大量に流入し、その影響を 強く受けていた南北朝時代の日本において、室町幕府を基軸に据 えて、特に政治面で具体的にどのような政策が遂行されていたの かを解明することである。本書第一章・第二章・第三章・第四章 でこの問題を考察する。 第二に、歴史観の問題である。中国の政治思想や中国史の知識 が南北朝時代を描いた著名な軍記物語である『太平記』の歴史観 にいかなる影響を与え、さらにその『太平記』の歴史観が近世・ 近代の南北朝時代認識にいかに作用したのかについて、通説的理 解とは異なる視点から検討を加える。本書第五章・第六章・第七 章・第八章でこの問題を扱う。 以上の課題をより明確に意義づけるために、序論でまず鎌倉 後期から南北朝期にかけて日本が中国から受容した学問・宗教・ 文化に関する研究史を概観する。次いで本書の研究課題と構成 を提示する。最後に、台湾における南北朝期日本の研究がいかな る意義を有するかについて、若干の見通しを述べたい。
10 南北朝期室町幕府をめぐる諸問題
一、鎌倉後期~南北朝期日本における中国思想の受容 南北朝時代の日本は中国とは正式な国交は結ばなかったが民間 レベルでの交流は活発で、冒頭で述べたように中国の学問・宗教・ 文化が大量に流入していた。 まず学問について。鎌倉後期の朝廷において宋学が熱心に学ば れていたことは、古くから指摘されていた 1。宋学の名分論が後醍 醐天皇(1288-1339)の鎌倉幕府倒幕の思想的根拠となり、また宋 学に基づいて後醍醐が宋の君主独裁体制を目指していたとする見 解がある2。 現在はこの見解に対する批判もあるが 3、少なくとも当該期の政 治に中国の思想が大きな影響を与えたことは確かである。例えば 佐藤進一は、建武政権が諸国に国司と守護を併置した政策と、宋 が諸州に知州事・通判の 2 長官を設置した体制との類似を指摘す る4。建武政権の年号「建武」も、後漢の年号を踏襲したものであ った。建武 2 年(1335)には、中国の制度に倣って僧侶の衣服を 黒衣から黄衣に変えようとしたという 5。 さらに近年の研究は、室町幕府も建武政権の理念や政策を可能 1
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西村天囚『日本宋学史』(梁江堂、1909 年)49-52 頁、中村直勝『通説 日本中世近代史』 (同『中村直勝著作集 第一巻 通説日本史』淡交社、 1978 年、初出 1943 年)402、405 頁。以下、論文・著書の副題を省略す る。 佐藤進一『南北朝の動乱』(中央公論社、1974 年、初出 1965 年)98101 頁。 新田一郎『太平記の時代』(講談社、2001 年)48-49 頁、呉座勇一『戦 争の日本中世史』(新潮社、2014 年)105-106 頁。 註 2 所掲佐藤著書 99-100 頁。 以上、註 2 所掲佐藤著書 49-50、99 頁。
序章 11
な限り忠実に模倣しようとしたことが指摘されている 6。その具体 的な施策は多岐にわたるが、年号「建武」をしばらく継承し、幕 府の基本法典も『建武式目』と名づけたことにそれは顕著に表れ ている。 また草創期の室町幕府を主導した足利直義(1307-1352)は、藤 原有範(1302-1363)を重用した。有範は北朝の公家でありながら 幕府禅律方(後述)の頭人に任命されるという異例の経歴を持つ 人物である。この有範が藤原南家出身の儒学者であったことは、 本書の趣旨からも看過できない。彼は観応の擾乱(1350-1352 年) に際しても直義に味方し、直義の動向に大きな影響を及ぼしたと されるが7、この点も注目できよう。 すなわち、建武政権と同様、室町幕府もまた中国の政治思想の 影響を受け、その実現を目指していたとも言えるのである。 宗教については、やはり臨済宗が積極的に受容されたことを特 筆せねばならない。すでに鎌倉時代から北条得宗家などが臨済宗 を積極的に導入していたが、南北朝期に至って室町幕府もその政 策を発展的に継承した。 直義は、建武の戦乱による戦没者の冥福を祈るために全国に 安国寺・利生塔を設置したが、安国寺に指定された寺院は臨済 宗寺院が多く、また制度自体も唐や宋の制度の影響が指摘され
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拙稿「「建武の新政」は、反動的なのか、進歩的なのか?」(呉座勇一 編『南朝研究の最前線』朝日新聞出版、2020 年、初出 2016 年)61-63 頁。 以上、註 2 所掲佐藤著書 205、258 頁など。
12 南北朝期室町幕府をめぐる諸問題
ている 8。 直義自身も禅宗に対する理解がきわめて深く、南宋から直輸入 された最先端の臨済宗仏光寺派を信仰していた 9。直義が臨済宗の 高僧夢窓疎石(1275-1351)に禅宗に関する鋭い疑問を投げかけた 『夢中問答集』が刊行されたことも有名である 10。 また、室町幕府は後醍醐天皇の冥福を祈るために天龍寺を建立 したが、天龍寺も臨済宗の寺院であり、寺院建立の費用を捻出す るために直義が元に貿易船(「天龍寺船」)を派遣したこともよ く知られている。天龍寺の造営に際しては、財源不足や戦乱によ る民衆の窮乏などを理由に北朝では反対意見が強かった。造営奉 行の 1 人であった高師直の邸宅に、造営を中止するように脅迫す る落書が張り出されたという。それでも幕府は夢窓疎石の強力な 後押しもあり、鎌倉期の建長寺船などの寺社造営船派遣の先例に も鑑み、天龍寺船を派遣した。足利氏の後醍醐に対する深い想い とともに、日中の経済交流も窺われる 11。 禅律方の存在も看過できない。禅律方とは、南北朝期の室町幕 府が設置した禅宗・律宗寺院に関する機関で、前述したように儒 学者の藤原有範が頭人を務めた。南北朝後期には僧録という禅宗 統制機関が登場したが、この僧録も唐を起源とする中国の制度を
玉村竹二『夢窓国師』(平楽寺書店、1958 年)69-70 頁など。 玉村竹二「足利直義禅宗信仰の性格」(同『日本禅宗史論集 下之二』 思文閣出版、1981 年、初出 1958 年)105-106 頁など。 10 『夢中問答集』については、近年では森茂暁『足利直義』(KADOK AWA、2015 年)180-195 頁で検討されている。 11 以上、早島大祐『室町幕府論』(講談社、2010 年)25-37 頁。 8 9
序章 13
導入したものである12。 さらに直義は、鎌倉幕府・建武政権に倣って五山・十刹を定め た。これも南宋から導入した制度である。その後、3 代将軍足利 義満(1358-1408)が相国寺を建立し、五山・十刹の制を完成させ た13。中国の五山は明確な制度として整備されず、むしろ日本にお いて発展したと評価されている14。当該期には五山文学が栄え、禅 僧たちは禅の思想だけではなく、幕府の外交文書の作成や宋学な どの学問の伝播にも多大な貢献を果たした 15。 文化については、唐物が多数輸入され、闘茶などが流行し、室 町文化興隆の基盤となったことがよく知られている。臨済宗も、 庭園等の日本文化の確立に影響を与えた。また禅僧が日明貿易に 大いに貢献するなど、経済面においても中国は日本に多大な影響 を与えた16。
二、本書の構成 第一章は、戦後の南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義に ついて、特に所務沙汰と将軍権力二元論に焦点を絞って論じたも 12
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以上、松尾剛次「室町幕府の禅・律対策」(同『勧進と破戒の中世史』 吉川弘文館、1995 年、初出 1981 年)96 頁など。 以上、今枝愛真「中世禅林の官寺機構」(同『中世禅宗史の研究』東 京大学出版会、1970 年)。 斎藤夏来「中世仏教と東アジア」(佛教史学会編『仏教史研究ハンド ブック』法蔵館、2017 年)230 頁。 註 14 所掲解説書 231 頁、呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新聞出 版、2020 年)97-101 頁。 以上、外山英策『室町時代庭園史』(思文閣出版、1973 年、初出 1934 年)244-257 頁。
14 南北朝期室町幕府をめぐる諸問題
のである。従来の研究成果とその意義を確認し、問題点も指摘し て、将来的な研究展望を提示する。 第二章では、足利直義が発給した下文について検討する。草創 期の室町幕府においては、直義が所領安堵の権限を行使し、武士 に対して所領の領有を承認する下文を発給した。この直義下文の 様式・内容・発給日等およびその変化を解明し、当該期の直義権 力の性格を考察する。 第三章は、仁政方を執事奉書の発給機関であるとする私見 17を 批判した山本康司論文に反論したものである 18。その議論を通じ て、仁政方に関する実証的な知見を深化させるだけでなく、効率 化・迅速化をめざした中世の訴訟制度の一大変化について、より 明瞭に理解できるであろう。 第四章は、南北朝期の室町幕府において奉行人を務めた依田時 朝(生没年不詳)の事績を検討し、賄賂を拒否した彼の態度が足 利直義の薫陶を受けていた可能性を論じる。 第五章は、『太平記』に引用されている中国史の故事について 検討する。引用故事を網羅的に検出し、その出現頻度や引用の意 図等を検討し、『太平記』作者の意図を考察する。 第六章は、江戸時代の小説『英草紙』を検討し、高師直悪玉史 観が圧倒的に優勢であった時代においても、師直を慈愛にあふれ た政治家として肯定的に描く小説が存在した事実を指摘し、そう
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拙稿「南北朝期室町幕府仁政方の研究」(拙著『室町幕府管領施行シ ステムの研究』思文閣出版、2013 年、初出 2006 年)。 山本康司「南北朝期室町幕府の恩賞方と仁政方」 (『日本史研究』645、 2016 年)。
序章 15
した小説が出現した理由について考察する。 第七章では、彦部家が近代に行った家史編纂事業を検討する。 この作業を通じて、近代の同家が祖先の歴史に抱いていた歴史観 についても考察を加える。 第八章は、足利尊氏(1305-1358。室町幕府初代将軍)逆賊史観 について再検討する。近世以降の南朝正統史観の影響で尊氏が逆 賊とされ、戦前の公教育の場において熱心に教えられたのも、よ く知られた史実である。しかし、その通説的な理解を再検討し、 戦前においても尊氏を偉大な武将と見なす風潮が意外に根強く残 存していたことを解明する。 補論では、南北朝期室町幕府における軍忠(合戦で武士が挙げ た手柄)の評価基準について具体的に検討する。この検討を通じ て、当該期の武士の「忠義」に対する価値観の一端も垣間見える であろう。 結論では、以上の各章の内容を要約し、冒頭に設定した「中国 の思想が日本の政治や歴史観に具体的にいかなる影響を与えた のか」という課題について、あらためて論じる。
おわりに そもそも日本の南北朝時代とは、京都の北朝、大和国吉野の南 朝と、同時期に 2 人の天皇が並立し、約 70 年の長期間にわたって 戦った戦乱の時代である。 しかし実質的には、北朝を支えた武家政権室町幕府に南朝が対 峙する公武の対立であった。観応元年(1350)には室町幕府も分
■亀田
俊和(かめだ
としたか)
日本国秋田県鹿角郡生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学大学院文 学研究科修士課程修了。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。 博士(文学)。現在、国立台湾大学日本語文学系助理教授。専門は日本 中世史。主著に『室町幕府管領施行システムの研究』(思文閣、2013 年 2 月)、『南朝の真実―忠臣という幻想―』(吉川弘文館、2014 年 5 月)、 『観応の擾乱―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義の戦い―』(中 央公論新社、2017 年 7 月)などがある。
日本学研究叢書 36 南北朝期室町幕府をめぐる諸問題 2022 年 6 月第一刷発行 著
者
編 集 人 発 行 所
定価 NTD 760 元
亀田俊和 曹景惠 国立台湾大学出版中心
代表
張俊哲
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沐羽創意印刷有限公司
ISBN:978-986-350-596-9 GPN:1011100485
Printed in Taiwan © National Taiwan University Press 2022
本書は国立台湾大学出版センターの学術審査を通ったものである。