Top Ten Misconceptions about Implicature
推意をめぐる 10 の誤解 ケント・バック (Kent Bach, “Top Ten Misconceptions about Implicature”)
会話の推意とのつきあいは,ラリー〔ローレンス・ホーン〕とのつきあいよりも長い.1967 年にぼくはグライスの「論理的なものと会話
(the logical and conversation)」を謄写版で読んだ.
彼がウィリアム・ジェームズ講演をしたすぐあとのことで,それよりずいぶん前にはその 前身である「(推意)」,「知覚の因果説」の第三節を読んでいた.それからずっと,推意に ついて考え・読み・書くをしたり,しなかったりだ.それでもぼくが知っているのはラリ ーよりずっと少ないし,考慮にいれていることにしたって,この主題についてグライスの ずっと前,何世紀も前に言われていたことについてのラリーの発見をぜんぶもりこんでい るわけじゃない.そんなわけで,いまや自らの無知を克服したぼくは,じぶんの傲慢さ加 減をご覧に入れようと思う.推意についての誤解で何年かのあいだにぼくが気づいたもの のうちで,もっとも蔓延していてタチが悪いやつを認定していく. これを博物誌にするつもりはない1.ぼくには時間もないし,紙数もないし,そういう学 者らしい努力をするような根性もない.お上品な出来にもならないだろう.いまだってそ うだしね.ともあれ,話はみじかく要点を(10 個ね)かいつまんで言うつもりだ.ただ, そうすると,ぼくってやつが教条的ではないにしてもちょっと軽薄なやつにみえてしまい そうではある.ぼくとしては,誤解の出どころにあたりをつけもしないし,伝播経路をく わしく述べもしないし,誤解のおかげでどんな被害があったか引証することもない.たん に誤解を認定するだけで,あとはお手軽な区別をつけたり可能性を見とおしたりしつつ, どうしてそんな誤解があらわれたのかを示唆するぐらいだ.ぼくはデイヴィド・レターマ ン2みたいに重大なものを後に回したりはしないつもりだ.かといって,重要度や出現頻度 の順に示すわけでもない.そうじゃなくて,話を追いやすい並びにしようと思う.最後の 2つ3つだけが論争的にみられるぐらいですめばいいな(とくに断りがなければ「推意」と いえばつねに会話の推意をいうことにする).一覧はこのとおり:
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1.
文には推意がある.
2.
推意は推論だ.
3.
推意が伴立になるはずがない.
ローレンス・ホーンの大著『否定の博物誌 (Natural History of Negation)』にひっかけている. David Letterman:アメリカのテレビ司会者[1947-]
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4.
グライスの格率は推意にだけ適用される.
5.
推意がわかるには,何がいわれたかが先に確定しないといけない.
6.
すべての語用論的含意は推意だ.
7.
推意は発話の真理条件的な内容にふくまれない.
8.
意味されつつも口に出されてないことがあれば,それは推意にちがいない.
9.
尺度「推意」は推意だ.
10.
慣習的「推意」は推意だ.
以上の推意をめぐる誤解の公式は,このあと節の見出しにでてくる.どうか,正しい公式 と勘違いしないでほしい.
誤解 1.
文には推意がある. Sentences have implicatures.
話し手がなにかを推意するのは,発話においてだ.でもどういうわけか,推意が文それ じたいに帰せられることがよくある.そうなるのは,たぶん,推意の説明にあたって番号 をふった文がよく使われているせいだろう.すると文が発話と混同されて,さらにそれら が作因
(agents)
のようにあつかわれるわけだ.ほんとは作用
ライスは注意ぶかく,話し手がおこなうことを「含意する
(action)
なのに.ともあれ,グ
(imply)」じゃなくて「推意する
(implicate)」 といい,話し手が含むことを「含意 (implication)」というかわりに「推意 (implicature)」
という用語をあてた. このちがいは根本的なものだ.もし文が真なら,その含意も真のはずだ.他方で,話し 手は,真な文を発話しつつなにか偽なことを推意することもできる.たとえば,角をまが るとガソリンスタンドがあると言いつつ,営業中でガソリンを売っていると間違ったこと を推意することもできる(夜になって閉まっているかもしれないし,ガソリンを切らしている かもしれない).角を曲がるとガソリンスタンドがあるからって,そのガソリンスタンドが
営業中でガソリンを売っているということには必ずしもならない.でも,そのガソリンス タンドが道の反対側にはない,ということにはなる. この根本的なちがいはこんな事実を反映している.つまり,文が含意することはその意 味内容しだいなのに対して,話し手が何を推意するかというのは文を発話するにあたって の伝達意図の問題なんだ.だからこそ推意はその性質からいって語用論的なのだし,した がってまた,あいまいでない文の発話でも文脈がちがえばちがった推意がでてくるわけだ. たとえば「ジョンの英語の専門知識はたいしたものだよ」といったとして,状況しだいで その含意は,ジョンが程度の低い学生だということにもなるし,すぐれた翻訳機をつくる だろうということにもなるし,あるいは聞いたことをよく理解したということになったり,
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自分のずさんなレポートに言い訳もできないということになったりもする.もちろん,あ る与えられた状況で話し手がどんなことを推意できるかがその文の意味内容に制約される というのはありそうなことだ──たしかに文の意味することはだいじだ──けれど,だか らって推意が文それじたいの特性だということにはならない. 推意を文に帰させる傾向がもっとも強くなるのは,一般化された会話の推意 conversational implicature; GCI)
(generalized
の場合だ.これは会話の状況依存的な特性に左右されないので,
文そのものとの結びつきがずっと直接的だ(ただし,特定化された推意とおなじく GCI は取 り消し可能) .たとえば, 「ビルは今晩,女と会うんだよ」と発話すると,ふつう(特別な場 面でなければ)問題の女性はビルの妻ではないという推意になるだろう.だから,とくに実
際の話し手が意図していることを考慮しなくても,特定の文が発話されたときになにが推 意されがちかを話すのには意義がある.ここから,GCI が文それじたいの特性のような気 がしてくるかもしれないけれど,GCI というのはその性質からいって意味的なものではな く語用論的な規則性なんだ.よしんば文の特性だとしても,推意しているのは話し手であ って文ではない.残念ながら,GCI を文の特性ととると,ことばの意味と話し手の意味と の中間的な意味のレヴェルを GCI が形づくっているだなんていう,眉唾な考えにいきつく はめになる.
誤解 2.
推意は推論だ. Implicatures are inferences.
おかしなことに,推意は推論だと記されることがよくある.こういう人騒がせは,含意す る
(imply)
と 推論する
(infer)
と をいっしょくたにする通俗的理解の一種にすぎない.
American Heritage Book of English Usage が観察しているとおりだ. ときに推論する infer と含意する imply とが混同されることがあるが,これは便利な区別だ 〔=混同しないほうがいい〕.話し手や文がなにかを含意しているというときに私たちが意味 しているのは,率直にいうかわりに情報が伝達されている,あるいは示唆されているという ことである. 〔…〕他方で推論は読者や解釈者がおこなうことで,言われたことには表れてい ないことを導き出すことである.
これと同じように,「推論する」が「推意する 意
(implicate)」と取り違えられ, 「推論」が「推
(implicate)」と混同されるわけだ.
どうしてこの区別が大事なんだろう? まず明白な理由としては,じっさいには話し手が 推意していないことでも聞く側には推意しているとうけとられることもあるからだ.推定 上の推意は,必ずしもじっさいの推意と同じではない.これと同じくらい明白なこととし て,話し手がなにかを推意したからといって,聞く側では意図されたとおりに推論してく
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れない場合がある.もちろんこれは推意がうまく伝わった場合ではないけれど,かといっ て話し手がなにも推意していないというわけではない.ちょうど,ヒントをだしても相手 がピンときてくれないことがあるのと同じことなんだ.ところで注意したいのは,推論さ れるのは推意の真偽ではなくて内容のほうだということ.推意されていることがわかるっ てこととそれを受け入れるってことはまったく別々のことだ.
誤解 3.
推意は伴立にならない. Implicatures can’t be entailments.
よくある思い込みとして,文を発話して話し手が推意することはその文じたいの伴立には なりえない,というのがある.たしかにたいていの(話し手による)推意は(話し手が発話 した文の)伴立じゃないけれど,例外もあるんだ.たとえば,誰かがこう言ってきたとし ようか,「いままで 28 フィート以上跳んだヤツはいないよな」.きみはこう返す, 「なんだ かなぁ.1968 年にはボブ・ビーモンが 29 フィート跳んでるよ」.明らかに,ここで話し手 は誰かが 28 フィート以上跳んだことがあると推意している.でも,それはビーモンが 29 フィート跳んだってことから伴立されてることだ. ここで大事なところは,一般的に言って,推意の真偽は言われたことの真偽とは独立だ
ってこと.そのワケは,話し手がいった中身じゃなくて話し手がものを言ったこと(場合に よっては決まった仕方で言ったこと)によって推意がもたらされるからだ.
誤解 4.
グライスの格率は推意にだけ適用される. Gricean maxims apply only to implicatures.
いかにして推意が伝えられるのか説明するためにグライスは会話の格率を持ち込んだんだ けれど,これはべつに,よくそう思われているように推意以外には格率が役立たずだって ことではない. この誤解をなくすには,まずグライスの格率がどういうものなのかちゃんと理解してお く必要がある.格率は社会学的な一般化でもないし,どんなことを言ったりコミュニケー トするべきかっていう道徳的なきまりとかご法度でもない.たしかにグライスは,うまく コミュニケートするにはどうしたらいいかっていう手引きの形式で格率を提示したけれど, どちらかというと発話にかんする推定の根拠として解釈したほうがいいとぼくは思う.つ まり,聞き手としてみんながよりどころにし,話し手としてみんながあてにする,そうい う推定の根拠だ.聞き手としてみんなはこう推定する.話し手は協調的だし(少なくとも 伝達意図を明瞭にしようとしているかぎりは) ,関連性がある真な情報を相手が必要とする だけ語っている,あるいはせめて適切に語っている,とね.一見すると発話がこういう推
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定根拠のどれにもあてはまらないように思われる場合,聞き手の方はどうにか推定にあて はまるような受け取り方ができないか考える.彼がそうするのには,話し手がそう意図し ているだろうという推定もいくらかある.話し手としては,じぶんの伝達意図を明瞭にで きるよう言葉をえらぶにあたって,聞き手がそうしたことを推定してくれていることをあ てにする. こうした推定は,けして,話し手が意味することを聞き手が理解するための決定手続き をもたらすものとみるべきではない(結局は〔推定どうしが〕ぶつかり合うことだってあるのだ し).それよりむしろ,なにかを伝達しようとしているかぎり,話し手の方でじぶんの意味
することを聞き手に理解してもらうにあたって考慮にいれてくれるよう意図したら適切で あろう事由のいろんな側面だとみるほうがいい.そして,話し手は暗黙のうちにこうした ことを念頭においてなにをどういったらいいか選んでいる. よくある誤解として,グライスの格率もしくは会話の推定が効き目をもつのは,唯一, 話し手がなにかを推意しているとき(または比喩でものをいっているとき)にかぎられる, というのがある.じっさいには,言っているとおりのことだけを意味する字義的な発話に だって,おなじくらいちゃんとあてはまる.けっきょく,話し手が意味していることが発 話された文の意味内容に過不足なく尽きているとしたって,そのこと〔文の意味以上のことを 言っていないということ〕が推論されないといけないんだ.もしかすると,こう思われるかも
しれない.こうした推定が役目をはたすのは話し手が完全には字義的にも明白にも言って いないときにかぎられる,というように.ようするにこれは,話し手が言ってることに加 えて/そのかわりに彼が意味することを理解しないとならない場合だ.もし発話が推定に しっくりこないようなら,聞き手は発話がしっくりくるような受け取り方がないか探すこ とになる.でも,話し手が字義的にことばどおりのことを意味しているという推定に発話 がしっくりきているときにだって,推定は役割をはたしているわけだ.あきらかに,推定 が必要とされているのはべつに話し手が意味していることとして有力な候補に聞き手を手 引きするためではなくて,発話を額面どおりにうけとるときにも,話し手もそうした推定 にあわせて発話しているのだと想定しないといけないんだ.
誤解 5.
推意がわかるには言われたことが先に確定しないといけない. For what is implicated to be figured out, what is said must be determined first.
人はあることを言いつつほかにも何かを推意できる.すると,ある人が推意していること をつかむには,まずその人が言っていることを確定する必要がある,なんて思えてくるか もしれない.けれど,それはあたってないし,グライスがコミットしていた考えでもない. 言われたことが最初に確定しないといけないというのはマチガイだし,グライスがそう考 えていたというのもマチガイだ.
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いろんな反グライスの論がこういう誤解を土台にしていて,どの反論も,もしグライス 流の語用論が正しいのだとしたら聞き手はまず言われたことを確定したうえでなにを話し 手が意味しているかについてさらに推論するのだ,という前提にたっている.こんな想定 によってたつ議論をつかって擁護された主張というのは,こんなものだ:言われたことな どという考えは無用だとか,言われたことというのは純粋に意味論的な考えなのではなく て「語用論の侵蝕」をこうむっているとか,意味論と語用論の区分はまったくのでっちあ げでないとしてもぼやけているとか,さらには,真理条件的意味論に見込みはないから「真 理条件的語用論」とよばれるものにとりかえる必要がある,など.ところが,グライスは, 推意を認識する(何かを推意する意図を形成する)ことにかかわる心理的なプロセスを説明 しようなんてもくろんでもいなかったんだ. この誤解でみすごされているのは,リアルタイムの認知過程と,その過程が感応する情 報とのちがいだ.推意がどのようにして認識されるかをグライスは分析したけれど,彼が 意図したのは心理学の理論でもないし,認知モデルでさえもない.彼が意図したのは合理 的な再構築だ.推意の認識に関わっているいろんな要素を提示するに当たって,彼は,話 し手にとって少なくとも直観的には考慮にいれる必要がある各種の情報を列挙し,そうし た情報の論理的な組み立てがどんなものかを明示した.こうした論理を実行する認知プロ セスの性質だとか時間上の順序だとかについての心理学的な思弁にふけるようなバカなま ねをしていたんじゃないんだよ.
話し手が言い終わらないうちに,そこで言いたいことは口に出しているのと別のこと なんだなってことが聞き手にちゃんとわかってしまう場合がある.たとえば,発話があき らかに隠喩的なものになるらしいのだったら,べつに,文が意味することは話し手が意味 することの候補として見込みが薄いということを最初に確定しなくたって,話し手がほん とに意味していることを推測できる.パッとわかってしまうなんてよくあることだ.たと えば,「何者も孤島にあらず
(No man is an island)」という発話に誰かが答えてこう発話したと
しよう,「ある人は半島だし,ある人は火山だし,人によってはトルネードだよ」.この話 し手が意味していることがわかるには,べつに彼はある人は半島である人は火山である人 は暴風雨だなんて言ってないことを最初に理解しなきゃいけないわけではない.同じく, きわどい話題を論じているときに相手がこんなふうに言ったとしよう, 「今晩は雨がふるか もしれないようだから,ぼくは洗濯物をとりこまないといけないし,雨樋をきれいにした り傘をみつけておかなきゃいけないんでね」.おそらくこれをすっかり言い終わらないうち に,この相手が推意させているのはこの話題をこれ以上議論したくないってことなのが理 解できるだろう.
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誤解 6.
すべての語用論的含意は推意だ. All pragmatic implications are implicatures.
おそらく,かなりの人がこの誤解を白状するんじゃないかな.ぼくの印象だと,この誤解 の横行は,みんながじっさいに信じていることじゃなくて言っていることに起因している. とりあえず,推意と語用論的前提のちがいはまず誰でも知っている.だというのに,どう も一部の人の考えだと,話し手がある特定の文を発話したっていう事実から推論されうる ことはなんであれ推意だってことになるらしい.たしかに,そういうのは語用論的ではあ る.なんといっても文の内容からじゃなくて話し手がその文を発話した事実から推論され ているんだからね.でも,たまにそう言われているのとちがって,だからってそれで自動 的に推意だってことになるわけじゃないんだ. 例えば,ある主張によると,何かを断定すると〔その当人が〕そのことを信じていると推 意されて,聞いている側はそのことを信じるべきだと推意され,さらにそれは信じるに値 すると推意されるのだ,という.ここで他のなにより見過ごされている区別がある.一方 に【a】話し手が意味すること(伝達意図をもって伝えようとすること)がある.これは発話 の内容だ(その意味論的な内容以上・以外のものだ).で,他方には【b】その発話が適切に するためのいろんな条件がある.話し手がある特定のことを言ったのでそこから彼に関す る情報がうかがわれることはある.例えば注目を浴びたがっているんだな,とか,父親は きらいだけど母親には愛情があるんだな,とか,なんか隠れた動機があるな,とかね.で も,そういう推論可能な情報は,彼が意味することの一部でないかぎり,推意されている わけじゃないんだ.一般的に言って,意味されること,とりわけ推意されることは,話し 手が発話したという事実から推論されうることから区別されないといけない.
誤解 7.
推意は発話の真理条件的な内容にふくまれない. Implicatures are not part of the truth-conditional contents of utterances.
発話を真理条件的な内容のあるものとする人たちは,そうした内容から推意を除外する傾 向がある.じっさい,発話の真理条件的な内容にふくまれないからこそあるものは推意な のだとさえ言う人もいる.これは,慣習的推意にかんする主張とのつながりでとりわけ広 まっている. けれど,こうした言い方にはかなりおかしなところがある.なんといっても,推意は真 や偽となることが可能だ.まちがいなく,話し手が言うことが真であってその推意が偽で あるときには,私たちは彼の発話を真と判断するほうに傾くだろう.たとえば,話し手が, ビルが女性といっしょにいるのをみたと正確に言いつつも,ビルは妻といっしょだったの ではないとまちがって推意した場合には,なるほど彼は真実をミスリーディングに語った
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のだと判断されるかもしれない.もし彼が離婚訴訟の証人だったとしても,偽証の罪には ならないかもしれない.そうだとしても,彼が推意したことはその発話の真理条件的な内 容の一部なんだ. じゃあ,どうして推意が発話の真理条件的内容にふくまれないかのように人はいうんだ ろう? それにはかんたんな説明があるとぼくは思う.そういうひとたちがじっさいに言わ んとしているのは,ある文の発話が伝える推意は文の意味内容の一部ではない,もしくは, 文の発話において話し手が言ったことの一部ではない,ということだ.これはただしい. でも,だからといって,推意は発話の真理条件的な内容の一部ではない,ということには ならないんだ. こうした混乱の出所としてありえそうなのは, 「発話解釈
(utterance interpretation)」というフ
レーズにある見過ごされがちなあいまいさだ.これは,話し手が伝えようとしていること を聞き手が推量する心理的な過程を意味するのに使われることもあるし,また,厳密な意 味論的イミで統語構造から意味内容への写像というもっと抽象的なことをいうのにも使わ れることがある.これらが混同されると,発話がまるでことばの単位のようにあつかわれ, それでいてその解釈は話し手の意図を識別する問題であることになる. たぶん,いちばん賢明な手は,そもそも発話に内容を帰属させないことだ.その場合に は,文より以上・以外の内容が発話にあるのは,話し手が遂行する意図的な行為を発話と
するときにかぎられる.ただ,この定義だと発話の内容とは発話をなす際の話し手の伝達 意図の内容に他ならないということになる.発話(文に対して行為と考える場合の)は,そ うした意図から独立にそれじたいでは内容をもたない.それ以上には独立の「客体的な (objective)」内容がない.あるのは,聞き手が発話の内容(i.e.
話し手の伝達意図)と受け取る
ものであり,会話状況において話し手にその内容だと合理的に考えられるものであり,ま た,話し手が〔相手に〕そう受け取られると合理的に予期できるものなんだ.
誤解 8.
意味されていても口には出されてないなら,それは推意に他ならない. If something is meant but unsaid, it must be implicated.
じつによくある想定の1つに,話し手が意味することは〔a〕言われたことと〔b〕推意さ れたことに分けられるのであってこれ以外にはない,というのがある.でも,話し手が意 味することが彼の言ったことをこえていながらも推意でないということもあるんだ. 発話される文の意味内容とはなれたことが意味される方法として,比喩を使ったり迂遠 な言い方をするのは,2つのおなじみのものだ.いずれの方法でも,うまく伝達するため に聞き手の予期を利用する.話し手が誠実に,情報を加えるよう,有意に,そうでなくと も適切に話しているという予期だ. 「きみってぼくのコーヒーのクリームだ」みたいな比喩
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的言明を,グライスは残念ながら,推意に分類した.何かを言うことはそれを意味するこ とだという彼の仮定によって,彼はこう考えざるをえなくなった:非字義的にものを言う のはたんになにかを言うかのように振舞う
(make as if to say)
ことだ,と.けれど,比喩的に
話すとき,ひとは〔「かのように」ではなくて〕本当になにかを言っている(ただし他の何かを かわりに意味しつつ)のは自明なように思える.ともかくも,異なった種類の事例があって,
それをグライスは考慮にいれてなかったようだ. 私たちは,文の意味によって厳密に決定されてはいないものの比喩的でも迂遠でもない (推意を産まない)ようなしかたで文を使うことがよくある.言ったことの額面どおりでは
ないことを意味するには,他にいろんな方法がある.たとえば,「帰りは遅くなるからね」 と恋人が言った場合,彼女は意味していそうなことはその晩の遅くに帰るということであ って,たんに未来のある時点で帰るということではない.こういう場合にひとが意味して いるのは(ぼくのよび方だと)言われたことの「拡張
(expansion)」で,いくらかの語句(いま
の例なら「今晩」 )を付け足すと意味されていることがもっと明らかになる.他の, 「ファニ
ーは終えたよ」とか「ラリーは遅くなるよ」といった例で,文は完全な命題を表現してい ない.ファニーが終えたといわれているなにごとかや,ラリーが遅くなるなんらかの理由(や 目的)があるはずだ.こういう場合に意味されているのは,言われたことの「充足
(completion)」
だ.どちらの場合でも,字義的に使われている語句は一つもないし,間接的でもない.こ の2つが例示しているのは,ぼくが「暗示 (implic-i-ture) 」とよぶものだ.というのは,意味
されることの一部が,明示的にではなくて暗示的に,拡張されたり充足されたりして伝達 されているからだ.拡張と充足は,どちらも,明示的に表わすこともできる欠けた部分を 聞き手が補足する過程だ.拡張の場合には完全ではあっても骨組みでしかない命題が肉付 けされ,充足の場合には命題の範式が満たされる.どちらの方法でも,話し手が意味する ことは話し手が明示したことをもとに組み立てられる.これは,比喩的発話とも推意とも(そ して一般に間接言語行為とも)ちがう.というのも,話し手はじぶんが明示したことに直接
にもとづいているからだ.彼が意味するのは,彼が言ったことにつけたしされたバージョ ンなんだ. このあたりに混乱がおきていて,その原因は, 「明示的内容
(explicit content)」というフレー
ズの処置に困るありがちな使い方にある.発話の明示的内容に,明示的でない要素を分類 するひとがいる.つまり,発話された文のどの統語的構成素にも対応しない要素だ.それ で,こうした用法だと, ヨギ・ベラ3が「あそこに行く人はもういないね──込み合いすぎ てるよ」と言ったとき,彼の発話の明示的内容は,めぼしい人は Ruggerio(セントライス の)にはもう行かない,込みすぎているから,というものになる.この問題をいっそう混乱
させることに,新語の「表意
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(explicature)」 をこういう補足された内容に使うひとたちがいる.
Lawrence Peter Berra(1925-):元ヤンキースの捕手.(オンラインの発言録がある:
http://www.geocities.com/hotofftheinternet/bbyquote.htm)
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これではまるで,あることが明示的であることと明示的にされる(表意にされる
(explicated))
ことになんのちがいもないみたいだね.
誤解 9.
尺度「推意」は推意だ. Scalar implicatures are implicatures.
人々は,いわゆる尺度推意が「推意」と考えられないかぎりそう呼ばない.だけど,一般 にはこれも推意とはちがう──その大半は暗示
(implic-i-ture)
だ.どうしてそうなのかって?
そうだな,単純な例を考えてみよう. 典型的な主張では,「男の子の何人かはパーティに行った」と発話するさいに話し手は全 ての男の子がパーティに行ったわけではないことを推意している.でも,これだと,1つ ではなく2つのことを意味していることになる.男の子の何人かがパーティに行き,かつ, 全員が行ったわけではない,というわけだ.彼は,「全員ではなく」を「何人かの」の前に 入れてこのことをはっきりさせることもできたろう.同じように,「ぼくはテレビを2台も ってる」と言う場合に意味されているのは,じぶんはテレビを2台もっていて・かつ・2 台以上はもっていない,ということではなくて,きっかり2台もっているということだ. これは,「2台」の前に「きっかり」をつければ明示できる.
これがただの用語のことだと思われないように,話し手がホントに2つのことを意味す る特別な事例を見ておこう.たとえば,男の子が全員パーティに行ったのかどうかたずね られたとしよう.きみはこう答える, 「何人かの男の子はパーティに行ったよ」.この場合, きみはたしかに,何人かは行ったと言っていて・かつ・全員ではないと推意している.同 様に,テレビを3台もってるかどうか訊かれて「2台もってます」と答えたとしよう.こ の場合にも,きみは2台だと言っていて・かつ・3台ではないと推意している.これらは たしかに推意の例で,さっきの推意の事例とはちがう.ぼくはなにも,大半の尺度推意を 推意に分類しなおすことがこの主題に関するラリーやほかの人たちに研究におおきな影響 をもたらすと言っているわけではない.ただ,ああいうのを「推意」と呼び続ける理由が 見当たらないというだけのことだ.
誤解 10. 慣習的「推意」は推意だ. Conventional implicatures are implicatures. ぼくのみるところ,慣習的推意という範疇は,言われたことと推意されたことのグライス の区別を無駄にややこしくしている.さらにヒドイことに,これは1つの見出しのもとに 2 つのずいぶん異なった現象をいれている.そのいずれも,じっさいは何か別の事例なんだ.
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一つ目は「しかし」とか「まだ」のような表現にかかわる.グライスが彼よりずっと前 のフレーゲと同じように主張するところだと,こういう語は,真偽にはかかわりをもたず に文ぜんたいの意味に寄与している.たとえば「彼女は貧しいけど正直だ」の場合, 「けど」 に起因するまずしいことと正直なこととの対比は推意されてはいても述べられてはいない とされる.グライスの主張が第一に依拠している直観は,この対比が〔じっさいには〕成立し ていなくても連言が成り立つかぎりは話し手は真を述べている,というものだ.だけど, これだと,「彼女は貧しくて・かつ・正直だ」と言ったのと少しも違わなくなる.ぼくにと って,これは直感に反している. グライスの所見だと,慣習的推意は分離可能ではあるものの取り消しはできないそうだ けれど.その論証はない.これはたしかに会話の推意や伴立からは区別される(区別される べきものだとして).前者は取り消し可能だけど分離は不可能であり(ただし様態の格律か
ら導かれたものは例外で,どのようにものを言うかによるので取り消し可能だ) ,後者は取 り消しも分離もできない.とはいえ,分離可能性は独立の検定ではない.もし,推意だと 思わしいものがじっさいには言われたことの一部だとしたら,それを取り除くといもう同 じことはいえない.たとえば「しかし」のかわりに「そして」を使うと言うことは少なく なるのが本当のところだろう.ぼくにはまさしくそうだと思える.彼女は貧乏で正直だと 言うのは,貧乏だけど正直だと言うのよりも少ないことを言っている.同様に,慣習的推 意は広く受け入れられていると言うのは慣習的推意はまだ広く受け入れられているという
のよりも少ないことを言っている. 2つ目の事例は,慣習的推意は「非中心的な」言語行為の遂行にかかわるというグライ スの提案に関係している.彼の念頭にあったのは,「ともかく」・「ところで」・「率直に言っ て」・「たとえば」・「さらに」・「結論として」・「言い換えると」・「余談ながら」といった表 現を使用してそれがまさに生起してる当の発話の眼目や性格や談話内の位置づけについて コメントすることだ.こういう発話修飾表現を使って遂行されている二次的な言語行為は, ただの推意だとは思われない.たとえば,「正直に言って,ペイン先生はヤブ医者だね」と 発話するとき,正直に述べているということは推意されてるのではなくって明示的に示さ れている.
言わずもがなの結論 ここまで推意にかんする 10 の誤解と思うものを列挙して説明してきた.ぼくは,どうして これらが誤解なのか完全な論証をしようとはせず,ただ,そのマズイ帰結を挙げた.どれ も,見逃しているのはまったくもって明らかな区別や可能性,すくなくともいったん気づ くと自明なことだ.これらの誤解はそういう区別や可能性を気に留めておくと避けられる.
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