パタゴニア MARCH Journal 2019

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グランド・ジャンクションの外にある 「ランチ・ループ」と呼ばれるトレイル システムの一部、リボン・トレイルの タイトなコーナーを急降下するジェン・ ズーナー(前方)とアン・ケラー(後方)。 60 種類近くもあるコースからたっぷり 選ぶことができ、地元に長く住む ライダーたちさえも飽きることがない ほど。コロラド州 Carl Zoch

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72 34 10

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40

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もしうまくいかなかったら? 僕はただ自己中だったのでは? たったいま死ぬかもしれないと いう状況から逃れたのに。 五体満足で家に帰還するには、 そこで止めることを考えるべき だとはわかっていた。それで 十分誇りに思えるのでは? だがやり抜くためにはある種の 頑固さも必要なのでは? そして、その線を越えた瞬間は どうやって知るのか? あやうく命を取りとめたクライミングについて振り返る サム・スワード(写真左)。 Austin Siadak このストーリーの全貌は 34 ページに掲載。

目次 アクティビズム

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グランドキャニオンを守る アーティフィッシャル サーモンを野生のままに保つための論証

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農家に地球を救うことはできるのか?

マウンテンバイキング

20 26 30

モロッコでは、道はラバに聞け ライフ・オブ・パイ ダート・ローマー・ジャケット

ロッククライミング

34 40 50

マクナーズニー・ピラーでの危機一髪 イランで見つけた避難地 R1 ジャケット

トレイルランニング

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なぜ走るのか キャプリーン・クール・ライトウェイト・シャツ

フライフィッシング

76 80

転覆に備えた完璧な艤装 フット・トラクター・ウェーディング・ブーツ

おまけ

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放り投げられた赤ちゃんはいま

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はじめに

一線を越える ソビエト連邦が崩壊に直面し、日本経済は悪化の一途をたどり、湾岸戦 争が勃発した1991年、アナキストの詩人であるハキム・ベイは、一時的自 律性の思想についての小さな本を書き、 「現代に生きる我々は自由のみが 支配するささやかな土地のために一瞬たりとも立ち上がることはできない、 という運命にあるのだろうか」と問いかけました。 「理性は、知らないもの のために闘うことなどあり得ない。そして心は、人類で唯一我々の世代だ けにそのような不当をもたらす無慈悲な宇宙に叛逆する」

そんな自由を切望する心の持ち主のために、ベ

本誌のためにストーリーを集めていた私たちは、

イは「一時的自律ゾーン(T.A.Z.)」を創ることを

そのすべてに T.A.Z.の要素が少なからず含まれて

提案しました。彼の定義によると、T.A.Z.とは「あ

いることに気づきました。それは、テヘランのア

る領域(それが土地であれ、時間であれ、想像で

パートに設置された私営クライミングジム(ドアを

あれ)を解放するゲリラ作戦であり、国家に押し

通り抜けるやいなや国の規制から自由になれる空

つぶされる前に、他の場所と時間で再形成するた

間)にも見つけられるでしょう。また、コロラド州

めに自然消滅するもの」のことで、ひとたび想像

西部の超保守的な街を団結させる同性カップルが

上の境界、あるいは物理的な境界から踏み出てし

経営する、ピザ屋〈ホット・トマト〉の忙しい金曜

まえば、 「あなたとあなたの仲間たちは、まるで舞

日のにぎやかさにも聞けるでしょう。そして、ある

台に立つ俳優のように、異なる習慣や規則が存在

若い女性が大人への自己進化を象徴しながら朝日

する新しい空間に足を踏み入れることになる」と

に向かって走る土地にも、川が野生のまま流れつ

説明しています。幻想に満ちた音楽祭も、ニュー

づける場所にも。

オリンズを変貌させるマルディグラも、 「ウォール 街を占拠せよ」運動も、すべては T.A.Z. と考えら れるでしょう。

彼らのストーリーを T.A.Z.と呼ぶかどうかはさ ておき、こうした可能性と自己表現の数々が旅人 やアスリートの同輩たちに対して何を与えるかを、

このような行動や 表現の自由を望む心は、叛

皆様には理解していただけると私たちは信じてい

逆者や夢想家はもちろん、日常生活を営む人びと

ます。それにより彼らは公的、私的、あるいは秘

によっても共有され、野生地を訪れることさえも

密の 生 活を行き来することができ、スポーツが

一種の一時的自律活動となります。ベイの T.A.Z.

いかに精神の叛逆となり得るかを見せてくれます。

の哲学は、 「リクレイム・ザ・ストリーツ」や、 「バー

規制から解き放たれたこれらの場所こそが、社会

ニングマン」の前身である「ゾーン・トリップ」を含

を団結させ、革命を起こし、創造性が繁栄する親

む、多様な活動の背景に認めることができます。

交の源なのです。これらのストーリーが境界線の

そしてそれは、パタゴニアの『March ジャーナル』

一歩向こうへと踏み出す勇気を与えてくれること

の付帯的なテーマでもあります。

を私たちは願います。

アパートの地下に造られた私営のクライミングジム。イラン Beth Wald

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文 by ケヴィン・フェダルコ l 写真 by ピーター・マクブライド

1919–2019 グランドキャニオン国立公園 100周年記念

静寂を守る 壮麗な景観を見せてくれるグランドキャニオン。 だがその最大の資質は目に見えないものかもしれない。 「 夏の夜、とくに 6 月の下旬、太陽がリムロックの向こうに消え、闇が岩壁に垂れ込む直 前、グランドキャニオンの谷底がまるで世界のあらゆる罪を償うかのように音のない優 美さにすべてを任せる一瞬がある。溶鉱炉のような日中の暑さと満天の星に覆われる夜 の無限の空間のあいだのはかない瞬間、岩盤が切りたてのネクタリンのようなピンク色 とオレンジ色の特別な光を浴びる。」 これは、グランドキャニオンの谷底で繰り広げ られるホワイトウォーターラフティングと木製ドー リー(平底の手漕ぎボート)の世界を記録した自著、 『The Emerald Mile』の冒頭に書いた言葉だ。ど の文章も岩のごとく揺るぎない確信をもって書いた。 あれから10 年近くが過ぎたいまも、1日の最も素 晴らしい時間帯にリムに立ってグランドキャニオン の驚異を汲み取ることほど魂を癒すものはないと、 私は信じている。ただひとつの例外を除いては。 この本を書くにあたり、私は 6 年間、夏の大半を グランドキャニオンの谷底で、川下りのガイドの見 習いをしながら過ごした。日中はコロラド・リバー の急流を下り、夜は川岸でエディのリズムに揺られ るように眠った。それから数年後の 2015 年 9 月の 下旬には、グランドキャニオンの谷底全長を歩くス ルーハイクに乗り出した。そして川岸とリムのあい だに吊り下がる崖や岩棚の母体の奥深くへと歩いて 進むにつれ、その黄金の時間帯のキャニオンの魅

力は、川下りをしながら見たときと同じ強烈さでは 表すことができないのだと実感した。 あらわにそびえ立ち、空に曲線を描くアプリコッ ト色の岩壁。沈みかけた太陽が放つ強烈な光。機 関車級の巨大な砂岩盤が落とす長い影。サッと横 切る緑色のトカゲの一瞬の姿。紫色のたそがれに 現れる一番星。淡いピンク色の夜明けの空から薄 れゆく最後の星。力強く流れる偉大な川の黄金に 輝く水面。 しかしそれほど素晴らしい要素を秘めているにも かかわらず、グランドキャニオンの谷底を歩いて移 動してみると、遅かれ早かれ、そこは間違いなく地 球上最も惨めな場所だと思うようになる。 谷の入り口であるリーズ・フェリーから出発して川 を下流にたどって行くと、全行程でも屈指の過酷な 地形にぶつかった。砕けた石と荒涼たる美の世界 だ。冷蔵庫ほどもある巨礫と密生した藪の斜面を7

前の見開き:過去と現在を結ぶリトル・コロラド・リバーとコロラド・リバーの合流点は、巨大なロープウェイ建設の提案地でもある。 右:40 メートル弱ほどの川岸の日陰と砂が、作家のケヴィン・フェダルコと写真家のピーター・マクブライドを、休息の場として迎え入れる。 全行程約 1,200 キロメートルのトレッキング中に遭遇したこの場所のように旅のほとんどはやさしい、と思っていたリーダーのマクブライド の予想は明らかに間違っていたが。

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ピートと私にはシャワーが必要だったが、 同時に私たちはそれまで体験したことのない 静けさに清められていた。

時間進んだあと、私はヤナギの茂み沿いのかろうじてテントを

出ると、引っ掻き傷で血だらけになった。こんな状況を毎日太

設営できそうな地面に、顔から倒れ込んだ。

陽が沈みかけるまでつづけ、平らな岩棚を見つけて夜を過ごし

世界 75 か国以上を訪れ、大概のものを見てきた写真家兼映 画製作者のピート・マクブライドには、私の姿はまったくの見世 物だったに違いない。私は重さ 25 キロのバックパックを担いだ

た。キャンプ用バーナーで湯を沸かし、フリーズドライフードを ほおばり、夜空を見つめながら、この景観の中を進んでいくの はおそらく最初で最後だろうと思った。

まま、 「何も食えない」と土に向かって呟いた。 「いまは体中が 痛すぎて、栄養を取り込むなんて無理。髪の毛すら痛い」 朝から進んだ距離は 13 キロメートル足らずだ。強烈な熱さ のせいで正午には岩に触れられないほどになり、ハイキング シューズの接着剤は溶けはじめた。靴底はすでに剥がれ落ち、 足の裏はつま先からかかとまで水ぶくれになっていた。翌朝、

谷は支配的であると同時に攻撃の対象にもなりやすい。国立 公園の南北の境界沿いでは、周辺の地下水面に汚染をもたらす ウラン鉱業が、ゾンビ化した一連の鉱床を復活させる取り組み を増加させた。ある鉱床の坑口の塔は、公園の正門入口からわ ずか 5 キロメートルのところにあるポンデローサマツやピニョ ンマツの上にそびえ立っている。

靴をダクトテープで貼り合わせ、足にも絆創膏を貼りまくった。 だがこんなのはほんの序の口だった。 バックパックを担ぎ上げて前進の準備を整えると、ピートが 腹部の痛みに体を曲げた。そのときの私たちには、彼が低ナト リウム血症の初期症状を示していたとは知る由もなかった。こ れは血液中の塩分が危険なまでに低下したことによるもので、 処置をせずに放っておくと発作や昏睡状態に陥り、さらに最悪 の事態を招くことにもなりかねない。愚かにも、私たちはこの 症状を無視して 5 日目の午後まで歩きつづけた。だがピートの 筋痙攣は激しさを増し、まるで胴の皮膚の下でネズミが走って いるように見えた。その夜、私たちはもはや歯が立たない状態 であることを認め、撤退を決めた。そして翌朝リムまで這い上 がると、いちばん近くの道路まで歩き、フラッグスタッフにあ る私の家に戻った。 私たちは全行程の最初の区間の半分にも満たない、わずか 40 キロメートルしか進んでいなかった。それでも決意は固かっ た。10 月の後半に撤 退した場所まで戻り、進軍を再開した。 晩 秋から初冬にかけて川から数百メートル上、リムから数千 メートル下の砂岩、頁岩、石灰岩、花崗岩から成る一連の岩棚 を、ゆっくりと縫うように進んだ。西に向かって下流へと蛇行 していくことが、次第に日課となっていった。 私たちは毎朝オートミールで腹を満たし、16 〜 23 キロメー トルの強行軍に出た。たいていは浮いた岩屑と棘だらけの茂み に覆われた、とてつもなく急な斜面を数百メートル上昇(ある いは下降)した。勢いよく飛び込んでなんとか藪の向こう側に

一方、グランドキャニオンの東側境界ではフェニックスの土地 開発グループが、谷底にある川の合流点として知られる場所へ、 距離 2.3 キロメートル/標高差 975 メートルのロープウェイ建 設の計画を積極的に推し進めている。リトル・コロラド・リバー の青緑色の水がコロラド・リバー本流に混じり合うこの場所を 訪れるのは、現在では1日に数十人程度で、川下りが唯一の方 法だ。ここはまた先住民族の 4 部族(ナバホ、ホピ、ハバスパ イ、ズニ)にとって文化的に重要な場所でもある。提案のロープ ウェイは合流点に隣接する河岸の1箇所に1日最大 1万人を運び、 そこにはレストランの建設も予定されている。つまりロープウェ イはわずか 2 日半ごとに、1年間の川下り総人口(約 26,000 人)を超える観光客を運ぶという計算である。2017 年にナバ ホ・ネイションはこの計画への青信号を拒否したが、開発者た ちはその承認のための猛烈なロビー活動をつづけている。 私たちが前進しつづけた理由は、政治的なことではなく、谷 底とリムのあいだに潜む世界の複雑さと驚異への認識の高ま りからだった。それは私たちの想像をはるかに超えるものだっ た。40 以上の異なる岩層が、いちばん新しいクリーム色のリム から地下を成す真っ黒な結晶片岩までを彩る。谷の深さは垂直 1,600 メートル以上だが、その真の深さは地球の年齢の約 3 分 の1、宇宙の年齢の10 分の1という、時の泉への浸透度で測 定される。最上層のカイバブ石灰岩が最初に敷かれたのは 2 億 7,000 万年前に遡り、それはパンゲア大陸の分裂や最初の顕花 植物の出現、恐竜を絶滅させた幅10 キロメートルの小惑星の 衝突など、世界史上の巨大な事象が起こるずっと以前のことだ。

フェダルコとマクブライドの旅の助っ人として現れたのは、数人のキャニオン熱狂者たち。 その 1 人である「ラッロー」ことリッチ・ルードーは、ここでセパレーション・キャニオン のトント台地に達するため、5 級のクライミングに相当する手強い地形を移動中。

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2019 年 2 月 26 日に100 歳になるグランドキャニオン国立公

口へと縫うように通過しなければならず、それらすべてを含める

園が設けられたのは、自然美の神聖なオアシスという構想のも

と1人が徒歩で踏破する距離は、グランドキャニオン内のコロラ

とにだった。アパラチアン・トレイルやパシフィック・クレスト・

ド・リバーの長さ 446 キロメートルをはるかに上回る1,200 キ

トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイルなど、名前に

ロメートル近くにもなる。

「トレイル」という言葉がつく伝説的な長距離トレイルとは異な り、グランドキャニオンの谷底には温かい食事やシャワー、食 料や装備を受け取ることのできる中継所はない(ファントム・ラ ンチは唯一の例外) 。スルーハイクに関するガイドブックはなく、 垂直の原生地域でのナビゲーションやルート探しに熟達していな ければならない。高い段丘やスロットキャニオンの孤立した奥 部や突端では、何週間も人に出くわすことがない。さらにメイン キャニオンは数百のサイドキャニオンに刻まれているため、時間 と労力をかけてひとつひとつを入り口から奥へ、そしてまた入り

14 か月の大冒険のあいだ、私たちは谷底に 8 回身を投じた。 1回につき10 日から数週間をかけては、リムに戻って食料や装 備を補給し、休息を取った。そして数週間後、ふたたび西を目 指して次の区間を押し進んだ。1月末には、旅の中間地点であ る巨大な突端グレート・サム・メサに到着していた。それまでに は冬の嵐が大量の雪を谷に降り落とした。ほんの数か月前には 溶鉱炉のような暑さだった世界が、数時間のうちに 23 センチの 雪と氷の層に隠された。それはゾッとするほどツルツルで、言語 に絶するほど華麗だった。

「ヘリコプター・アレー」を通過中のフェダルコ。ここでは毎日夜明けから日暮れまで最大 450 機ものヘリコプター が飛来し、そのエンジンとプロペラの騒音からは半径 16 キロメートル以上逃れることができない。

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私たちは 2 月を徹し、3 月半ばの聖パトリックの祝日の数日前

さな窪みに溜まった雨水や雪解け水にかかっていた。そうした

まで進みつづけた。まつ毛やウォーターボトルが凍ることもあっ

水溜まりは数日あるいは数時間で蒸発してしまい、しかもその

たが、やがて冬の寒さは和らぎ、最初の花が姿を見せた。淡黄

多くは砂粒、カイアシ類(小エビのような微小節足動物)、オオ

色のブリトルブッシュと赤いクラレットカップサボテンの花が咲

ツノヒツジの糞などであふれていた。窪みに溜まった水は1日以

き、その後は高さ 6 メートルのオコティーヨ(ハチドリと足並み

上経つと見つけるのが難しく、たいていは浅いためにウォーター

を揃えて進化した砂漠の藪)の先に炎のような花がついた。

ボトルですくうことができず、プラスチックの注射器で吸い上げ

状況が改善されれば楽になっていくと思うのが普通だが、決 してそうはいかなかった。4 月は暗がりで狭いスロットキャニオ

ざるを得なかった。そんなわけで、10 本以上のウォーターボト ルを満たすのに 2 時間かかることもあった。

ンを這い上がろうとして指を骨折した。その1、2 日後には足を

そのころには、衣服はぶかぶかになっていた。険しい地形で

滑らせ、馬の蹄の鉄匙ほどもある数百の棘に覆われたバレルサ

の絶え間ない移動により、摂取カロリー以上のエネルギーを消

ボテンに腕を突っ込んだ。ピートは私のそんな姿をまず写真に

費し、体重はどんどん減っていった。シャツは肩から垂れ下がり、

収め、カメラをしまってから、止血を手伝った。その翌日の午後、

パンツはつねにずり落ちた。足と足首と膝はひどく痛み、眠りを

今度はピートがチョヤサボテンに思い切り足を踏み入れ、気絶寸

妨げるほどだった。

前となるほどの痛みを経験した。 気温が上がるにつれて、飲料水がなくなるペースも早くなった。 つねに川があるわけではなく、私たちの生存は滑らかな岩の小

ある夜、グランドキャニオン西部のはるか彼方で、街の歩道 よりも滑らかなオレンジ色の砂岩の段丘で寝ていると、あまりの 異臭に目が覚めた。私は何かがテントに忍び込んで死んだに違

夜の闇へと身を譲るために冬の太陽が沈みゆくなか、その最後の光を浴びてキャニオンの上層部は溶けた黄金のように燃え上がる。

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いま振り返っても、静寂がどのように地面に、そして私自身の内に降りて きたかを思い出すことができる。何らかの欠如を感じていたのではなく、 むしろその反対だった。

いない、と思って起き上がった。ヘッドランプ

て、自分たちがいるこの場所に思いを巡らせ

に作った。西へ西へと少しずつ進み、ついに

を点けてあたりを見渡すが、何もいない。そ

ることができた。そしてその薄紫色の時間帯、

11月はじめのある日曜日の朝、私たちはグラ

れで、3 メートル先で寝ているピートの腹にガ

太陽がリムロックの向こうに沈み、闇が岩壁

ンド・ウォッシュ・クリフにたどり着いた。谷

スが溜まっているのだろうと推測した。しかし

に垂れかかる寸前に、自分が何年も前に書い

が開け、岩の砦がモハーヴェ砂漠の平らで無

そのとき、悪臭が自分の寝袋の奥から発生し

た谷の最高の時間についての言葉を思い出し、

情な地平線に降伏する場所。最終地点に近づ

ていることに気がついた。汚れきった衣服と

またこの場所を歩いて移動することが私の見

いた私は、最初にグランドキャニオンの資質

洗っていない体からの臭気が毒性カクテルと

解をどう変えたかを黙考した。

に触れたのは10 年近く前だったことに気づい

して嗅覚器官に入り、夢に現れたのだ。なん と私は自分の体臭に起こされたのだった。

の評価はもっぱら視覚に基づいていた。谷を

しかしみずからの悪臭にまみれ、そして 1

独特で特別にしているものが何であるかを考

万個の星の輝きの下の静寂に覆われたそんな

えるときはいつも、色、形、質感、線などに

瞬間にこそ、私は谷の最も純然たる姿を実感

注意を向けていた。だがピートとともにより長

した。

い時間をこの谷で過ごすにつれて、私たちは

グランドキャニオンの最も悪名高い 場所、 通称「ヘリコプター・アレー」は、ワラパイ族 が管理する土地に隣接している。部族の人口 は 約 2,300 で、 そ の居 住 区 はコロラド・リ バーの南側約 3,885 平方キロメートルに広が る。いまから10 年以上前、部族はラスベガス を拠点とするヘリコプターツアー会社と提携し た。谷間の 35 キロメートル区間で、1日に最

ある刺激的な発想を認識せざるを得なくなっ た。それは、グランドキャニオンの雄大さの 最も顕 著な 資 質── 疑いの 余 地 なく、最も 過小評価されていて傷つきやすい部分──は、 色彩や外観や模様や枠組みとはまったく無関 係かもしれないという考えだった。おそらく グランドキャニオンの最高の宝は、目ではなく、 谷の最西端に差しかかった私たちの冒険は

の上空わずか 60 メートルを通過する。野生の

2 度目の秋を迎え、ピートと私は毎晩、谷に

景観に飛び交うヘリコプターは視覚的にも非

打ち寄せる静寂の波に驚嘆した。そのあまり

常に煩わしいが、30 キロメートル以上先でも

にも深い静寂の中で、私たちは自分の耳の血

聞こえるほどのその騒音はあまりに強烈だ。

管を流れる血の音を聞くことができることを

だけではない。その多くは、コロラド・リバー 南側に並ぶ一連のヘリパッド間での乗客の往 復に使われる。谷底のこの箇所で川下りやハ イキングをしていると、騒音から逃れること はできない。週に 7 日、年に 52 週、午前も 午後も夕方も、谷には鈍い轟音が響きわたり、 それは夜明け直後から日没寸前まで休みなく つづく。そして最後のフライトが去ると、谷は ようやく太古の姿に戻る。 これは私たちが歩くのを止め、バックパック を下ろしてテントを設営する合図となった。そ のときになってはじめてバーナーで湯を沸か し、シートに寝袋を広げ、砂岩の縁にもたれ

た。そしていまやっと、その無言の優美さを 完全に理解した。私たちはその静寂をリムの 向こうの世界に持ち帰った。私たちの内に永 遠にとどまる静穏を。

ケヴィン・フェダルコは『The Emerald Mile: The Epic Story of the Fastest Ride in History

Through the Heart of the Grand Canyon』の 著者。ピーター・マクブライドの著書『The Grand

Canyon: Between River and Rim』は昨年秋に

出版され、2015 〜2016 年の 2 人の冒険を記録した ドキュメンタリー映画『Into the Canyon』は

ナショナルジオグラフィックチャンネルで放映予定。

耳で判断するのがいちばん適切だろう。

大 450 機のヘリコプターが、コロラド・リバー

ヘリコプターはたんに飛んできて姿を消す

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この旅に出るまでは、この場所に対する私

確信した。いま振り返っても、静寂がどのよう に地面に、そして私自身の内に降りてきたか を思い出すことができる。何らかの欠如を感 じていたのではなく、むしろその反対だった。 私は自分をしっかりと包み込むグランドキャ ニオンの平静を、しっかりと抱き返していた。

グランドキャニオン西部にあるクライマックス・キャニオンは、 鉄砲水には決して遭遇したくない場所ながら、このときの 濡れた地面はフェダルコとケリー・マクグラスに安全な 通り道を与えてくれた。

グランドキャニオンを 偉大なままに ロープウェイや井戸やウラン鉱山など、グラン ドキャニオン流域周辺に提案されている開発 計画は、この壮大な場所に取り返しのつかな

ピートと私にはシャワーが必要だったが、同時

いダメージを与える恐れがあります。グランド

に私たちはそれまで体験したことのない静け

キャニオン・トラストの嘆願書に署名し、それ

さに清められていた。 こんなふうにして、私たちは耳障りな日中と

らの破壊的な計画に反対する声明を掲げてく ださい。

穏やかな夜を繰り返しながら、10 月も移動し つづけた。夕暮れに最後のヘリコプターが去

ログオンしよう。行動を起こそう。

り、早朝に最初のヘリコプターがやって来るま

patagonia.com/actionworks/grantees/ grand-canyon-trust/(英語)

でのあいだ、静寂はその居場所を私たちの内






文 by レイラニ・ブランツ l 写真 by レスリー・キーマイヤー

道はラバに聞け モロッコのハイ・アトラス山脈にある古代の道をたどって。 モロッコのアトラス山脈を旅するときは、 「ソウ、ゴウ、イッチ(食べる、眠る、飲む) 」 というアマジグの 3 つの言葉を知っていれば十分。あとは住民の手厚い待遇にまかせれ ばいい。と言うのは、地元でガイドを務めるサミール・アーモドゥ。信じがたい忠告だが、 目の前に置かれた焼きたてのパンの山とポットからいい香りを漂わせるミントティーが、 その信憑性を立証する。サミールがテーブルの向かい側で色鮮やかなクッションにゆっ たりと腰を落ち着けると、朝食が運ばれてくる。卵シチューがたっぷり入った、タジンと 呼ばれる円錐形の 2 つの土鍋からは、まるでミニ火山のように湯気が吹き出している。 ここはドゥズルゥという村で、料理をよそってくれる

うに走る小道のネットワークは、いまでも使っている。

のはハミード・アシュトゥク。私たちが宿泊している近

何世代にもわたって作り上げられてきたこれらの小道は、

くの宿で働く彼は、朝のライディング中に通りかかっ

かつて西洋とサハラ以南のアフリカを結ぶ最初の流通

た私たちを自分の家に招いてくれた。2 つの鍋が私た

経路の役割を果たした。

ち全員──コロラドから来ている友人のレスリー&クリ ス・キーマイヤー、今回の旅で親しくなったガイドのピ エール = アラン・レンファー、ハッサン・ベザジとサ ミール──の腹を満たす。 私たちのモロッコ旅行は終盤だが、サミールと一緒

乾いた山腹の急斜面に暮らす人びとを移動させ、つ なげてきたこの小道網が、近年ではワールドクラスの シングルトラックとして使われていると聞いた私たちは、 2018 年 9 月、自転車を移動手段にアトラス山脈の生 活の基盤を探検するべく出発した。

にトレイルに向かうのは今日がはじめてだ。普段はト レッキングのガイドを務める 26 歳のサミールは、最近

故国王ハッサン 2 世はモロッコを、 「その根はアフリ

マウンテンバイクをはじめ、この新たなレクリエーショ

カに伸び、葉はヨーロッパの空気を吸う」場所と呼んだ

ンに完全に魅せられている。サミールは今日のライドを

と言われている。私たちは到着後まもなく、マラケシュ

「探検コース」と名づけ、探検の対象であるアトラス山

のヤシの木が並ぶカラフルな通りを自転車で走りなが

脈の伝統的なトレイルのどこかへ案内してくれる。そう

ら、その言葉の意味を理解する。屋台から漂ういい匂

したトレイルが、私たちがここに来たそもそもの目的だ。

いに混じって聞こえてくるフランス語、スペイン語、ア

アフリカ大陸北部を縁どって約 1,930 キロメートル

ラビア語。

に延びるアトラス山脈は、3,700 メートル級の山々が

人口は100 万に近く、観光業で活気あふれるマラケ

大西洋と地中海と、広大な灼熱のサハラ砂漠を隔てて

シュは、モロッコ屈指の文化的拠点だ。国自体はおも

いる。アトラス山脈を故郷とするアマジグ人は、アラビ

にイスラム教であるが、複数の大学、美術館、劇場が

ア軍が侵入して彼らを「ベルベル人」と名づけるまでに、

あり、女性は通常ベールを被らずに外出し、市街地の

すでに 1,500 年以上近くここで暮らしてきた。アマジ

バーでは若い女性を見かけることもある。2009 年に

グ人はベルベルという言葉は使わない。それは「未開

は当時 33 歳のファティマ・ザハラ・マンスーリが、女

人」に由来するからだ。しかし地元の山々を網目のよ

性市長として選出された。

前の見開き:ハイ・アトラス地域の人口は小さな村々に集中しているが、そうした村を通り抜けるトレイルではロバやその他の家畜を見かける ことの方が圧倒的に多い。トゥルキーヌの村の近くでよく踏みならされた道を走るクリス・キーマイヤーとレイラニ・ブランツ。 左:ドゥズルゥの村で日課の散歩に出かける鶏と羊。

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とは言え、街の最も有名な文化的シンボルはマラケシュの旧市街

道沿いに小さな店がひょっこりと現れ、ウリカ渓谷に入ったこと

メディナだ。1,000 年前からマラケシュの中心にあり、ユネスコの

がわかる。観光客はタジン鍋やアルガン油を買ったり、 「ラクダ乗り」

世界遺産にも登録されている。赤石の城壁に囲まれ、そこには高さ

を楽しんだりしているが、私たちの目当ては近くの山の峠から下降

約 80 メートルのミナレット(尖塔)のあるクトゥビア・モスク、カス

するトレイルだ。これから数日間、簡単にアクセスできるシングルト

バの壁と庭園、バディア宮殿の見捨てられた城壁などがある。私た

ラックを思い切り楽しむことになる。ピエール = アランは、これは

ちは大西洋岸で獲れた魚の料理を味見しながら、民芸品や露店が並

まだほんのお試しだと言う。いよいよこれから本格的なライドに突

ぶ風の吹く狭い通りをぶらつく。

入する。

翌朝は近くのアガファイ砂漠を自転車で走って時差ボケを解消し、

ピエール = アランが言うのだから間違いない。1990 年にマウ

それから山へと向かった。季節は秋口で、雨季に入るとトレイルの

ンテンバイクレースではじめてモロッコを訪れたスイス人サイクリス

状態が劇的に改善され、作物や植物が青々と活気づくと聞いていた。

トのピエール = アランは、1992 年にマラケシュに移住した。フラ

砂漠が山麓の丘へと変わり、イチジク、アルガン、オリーブの果樹園

ンス、スイス、イタリアで自転車旅行を率先してきた経験を活かし、

や、コルクガシ、ナラ、マツ、スギの林を走り抜ける。蘇った青葉

1990 年代はこの地方のマウンテンバイキングの開拓に費やし、そし

が赤色土に映える。

て 1999 年に自分の会社〈マラケシュ・バイク・アクション〉を設立

一車線道にて、前方注意。モロッコのシングルトラックの次なる区間を目指し、ドゥズルゥの村の 裏路地を縫い進むレイラニ・ブランツとピエール = アラン・レンファーとクリス・キーマイヤー。

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した。それ以来、世界チャンピオンのファビアン・バレルやフリーラ

高峰(標高 4,165 メートル)のトゥブカル山が地平線にそびえ立つも

イディングのアイコンであるマーク・ウィアーらのアスリートをガイド

のの、私たちの目は静かなオアシスから下に伸びるシングルトラック

してきた。

に向いている。

ピエール = アランが言う「本格的なライド」とは、ハイ・アトラス 山脈に遍在する小さな集落をつなぐ、入り組んだシングルトラック を走ることだ。山の急斜面には、トウモロコシやカボチャやイモの 段々畑に囲まれた住居が立ち並ぶ。土と藁と水を使って作られたこ れらの家屋は、隣人の壁とつながる構造で、集落の色は山腹の斜面 に溶け込んでいる。家屋には地元の土が使われているため、土壌の

ハイ・アトラスのこの地方では、トレイルはいまも多くの集落をよ り直接的につなぐ、統合された移動手段として使われている。それ は数世紀にわたる歩行者の交通が成し得た自然の能率性が備わった、 精巧で複雑な創造物として岩だらけの険しい斜面を覆っている。 アマジグ人はおそらく数千年間にわたって、羊や山羊を放牧し、

色合いと調和する。赤色の村の隣にカーキ色の村があり、その隣に

アトラス山脈の乾いた土地を耕してきた。この地方がローマ、アラ

黄色の村があるという具合。同じ色調が並ぶ住居に囲まれて、明る

ビア、イスラム、フランス、スペインの影響に、ときには暴力的にさ

いバラ色に塗られたコンクリートのモスクが際立つ。

らされてきたにもかかわらず。アマジグ人の大部分は正統派イスラム

私たちの目的地であり、残りの日程の拠点となるのは、標高約 2,000 メートルのトゥルキーヌの村の上にある「ラ・ベルジュロワ・ ドゥ・アリ」という、羊小屋を改装して作った石造りの宿だ。国内最

教徒のスンニ派であるが、その伝統的な生活様式の大部分はいまも 保たれており、アマジグ人の母語であるタマジクト語は、現在も共 通言語として使われている。

アミズミズのスーク(市場)へとトレイルの最後の区間を下るレイラニ・ブランツ。アメリカで複製するとしたら 1 キロメートル当たり 85,000 ドルを要すると推定され、信じられないほど精巧で複雑な区間。


一番簡単な方法は、ラバが使う道を選ぶことだ

〈アソシアシオン・ナショナール・ド・VTT〉という、

と言う。交易や移動に欠かせない区間は最も慎

マラケシュを拠点に置くマウンテンバイクの擁護

重に作られ、整備されているからだ。

団体を創設したアイマド・ラアウアーヌは、国際

トレイルではたまにロバやラバ、または徒歩で 移動する村人を見かけるくらいで、ほとんど交通 はない。周辺の丘では牧夫たちが羊や山羊を追っ ている。自転車で村を走り抜けると、村人が物 珍しそうに家の入口から私たちを眺める。子供 たちは笑い声を上げながら私たちの横を走り、ハ イタッチをしたり、 「ボンジュール」「サラーム」と 声をかけたりしてくる。フランスとアラビアの影 響の名残だ。私たちは村人の優しさにできるだけ 応えられるよう手を振り、挨拶を返す。 ある村で出会ったハンナという少女は、私の そして彼らは、ほぼ破壊不可能なトレイルの作 り方も知っている。ときに 2.5 メートルにもおよ ぶ石の擁壁が不安定な箇所を支え、また別の場 所では複数の石板が重い荷物を背負った家畜や 浸食から路面を守る。トレイルは人間と動物の 通行に理想的な傾斜を実現するように、緩やか

手を取って近くのクルミの木の下へ連れて行く。 黒く変色したクルミの殻を石にぶつけて割ると、 中身は腐っていた。少女は手の届かない枝にあ る緑の殻を指差す。私がそれを1つもぎ 取って 割ると、中には大きく新鮮なクルミが入っていた。 私たちはそれを分けて食べる。

な丘陵の等高線に沿って、戦略的に敷かれてい

いま私が下ってきたトレイルはハンナの通学路

る。現代の数々のトレイル建設技術がこうした過

だろうと思っていたが、ガイドのハッサンがそれ

去の最高傑作から発展したというのも当然のこと

を尋ねると、彼女は頭と指を大きく振って「ノー」

だろう。世界各地でトレイルを作った経験のある

と伝える。学校に行くのは男の子たちだけなのだ。

クリスは、このトレイルの最も複雑な区間をアメ

アトラス山脈の農村部では女の子たちも学校に

リカで複製するとしたら、1キロメートル当たり

通うようになってきたとはいえ、まだまだ大きな

85,000ドルを要すると見積もる。

課題だ。ハンナは大きな笑みを浮かべ、私を送

精緻を極めた石細工の合間で、トレイルの表面

り出す。

は黒いサイコロ型の砂利から踏み固められた赤土

そして翌朝、私たちはハミードの家でタジン鍋

へと多様に変化する。わだちのある荒れた箇所

を食べている。これからサミールが新たなライド

もあるが、トレイルの流れるような感覚に息を呑

に案内してくれる。贅沢な食事と何杯ものお茶で

む。赤い地面、渓谷の壁、石の特徴、そして信じ

満腹になると、未舗装路を1時間上っていき、山

がたいほどに素晴らしいライディングは、コロラ

腹のガレ場に下降する。ベンチカットのトレイル

ドやユタ、アリゾナの一部を連想させる。

は爽快で、狭く、露出し、急角度のスイッチバッ

複雑に絡む未舗装路を走りながら、私はピエー ル = アランのこの地方に関する深い知識と、ア

的に認識されたマウンテンバイクのイベントをモ ロッコで開催することを目指している。現在アイ マドが催すアトラス山脈での 3 日間のバイクキャ ンプには、この1年間に150 人のモロッコ人マウ ンテンバイカーが参加したという。これは新たな ライダーたちがアトラス山脈の古代の経路の過去 と未来を結びながら、マウンテンバイクという新 しいレクリエーションを習得および探検する絶好 の機会となっている。 私たちの旅の最後のライドは、北部の山麓の 丘にある人口約 15,000 人の町アミズミズまで の下りだ。アミズミズはこの地方の数々の小さな 集落の中心地で、週 1回開かれるスーク(青空市 場)へ、15 キロメートル以上離れたそれぞれの 集落から、村人たちが物の売買にやって来る。そ の多くが使うのは 私たちが走っているトレイル で、ラバやロバには売り物の作物や家畜が積ま れ、山羊を運んでいるラバさえいる。 対照的な山の静けさが賑やかな町をさらに活 気づけ、笑い声と話し声に迎えられる。籠はオ リーブ、イチジク、リンゴ、キュウリ、カボチャ などで膨らみ、天井からは新鮮な肉がぶら下がっ ている。道路は自動車で混雑し、イスラムの礼 拝時間の知らせが聞こえてくる。混み合うレスト ランのテーブルに着き、旅の初日からの定番であ るタジン鍋とミントティーを囲んだ私たちは、冒 険の日々とラバが築いた何キロものトレイル、そ してアトラス山脈の人びとに感謝の祝杯を挙げる。 「ソウ、ゴウ、イッチ!」

クで分割されている。初心者とはいえ、サミール は良好な「探検コース」の選び方を知っている。

ラビア語、フランス語、タマジクト語を話す能力

アトラス山脈はまだマウンテンバイキングの目

がなかったら、このライドがどれほど困難である

的地ではないかもしれないが、結束の固いマウン

かということに気づく。彼はトレイルを見つける

テンバイク文化が国のあちこちで発展しつつある。

何年も旅生活をつづけながら全国で持続可能なトレイル 開発に取り組んできたレイラニ・ブランツは、ついに コロラド州クレステッド・ビュートに定住。現在では

〈アーウィン・ガイズ〉で働きながら、雪が降ると喜んで バイクをスキーに取り替える。

上:ドゥズルゥの村をライディング中、ハミード・アシュトゥクが自宅での朝食にチームを招き、タジンと呼ばれる円錐形の土鍋に入った卵とトマトと タマネギのシチュー「アマジグ流オムレツ」でもてなしてくれた。右:蹄は異なっても、通る道は同じ。マウンテンバイキングに最高のトレイルの多くは、 ハイ・アトラスのロバやラバの蹄鉄で何世紀にもわたって踏みならされたもので、それらの動物はいまでも主要な交通手段として好まれている。

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文 by ダイアン・フレンチ l 写真 by カール・ゾック

鉱山や原油や天然ガスなどの採掘産業に移り変わり、今世紀のはじめ、ここは州 で最も保守的な街として知られていた。 しかし、若い 2 人は現実と向き合わなければならなかった。そこから南にあるマ ウンテンバイクの聖地デュランゴや隣のユタ州モアブは、物価が高すぎた。資金の なかった彼女たちには、ダートバッグなライフスタイルをつづけられる場所が必要 だった。フルータの物価は安く、新しいシングルトラックがいたるところに開拓さ れていて、その当時は明らかではなかったが、そこには物理的にも比喩的にも青空 が広がっていた。 写真家のケラーと元 BMX/ダウンヒルレーサーのズーナーはこの場所に落ち着 くことに決め、バイクショップで仕事を見つけた。そして驚いた。ここでは 3 つの 仕事を掛け持ちすることなく、1つの仕事だけで生計を立てることができ、マウン テンバイクを楽しむ時間さえあることに。その当時、増えつづける観光客が店に来 ては、食事ができる場所について尋ねた。 「私たちは単純だったわね」と言うのは ケラー。 「そのとき思ったの。ねえ、私たちがレストランを開きましょうよ。何人か 人を雇って、そしたらずっとマウンテンバイクを楽しめるじゃない、って」彼女たち は一緒に笑う。 「甘かったわね!」 彼女たちがニュージャージー流のピザパイ屋を開店したとき、必ずしも温かく歓迎 されたわけではなかった。ズーナーとケラーは、ある地元の人を思い出す。彼はマ ウンテンバイクが嫌いで、彼女たちがレズビアンなのも気に入らない、そしてその彼 女たちが店を開き、何よりも気に入らなかったのが、彼の娘がその店で働きたがっ

ライフ・オブ・パイ 金曜日の夜に〈ホット・トマト〉へ行くのは、急いで いる人にはおすすめしない。お腹を空かせた客たち がビール片手にその日のライディングを語り合い、 その列は駐車場までつづくからだ。音楽が騒がしく 流れ、従業員はカウンターのうしろで忙しく駆け まわり、小麦粉だらけのピザ生地を投げ、互いを からかいながら、キッチンにオーダーを叫ぶ。 雰囲気はまぎれもなく楽しく、やがて焼け上がる ピザは待つ甲斐あって、最高に美味しい。

たことだった。 「でも年月を重ねるうちに、彼は常連客になったわ」とズーナーが言 う。 「いまでは子供やお孫さんたちと一緒に来てくれる。私たちももうここに来て長 いから、地元の人たちも私たちがただの善良な人間だとわかってくれている」 「私たちは何事に対しても、とくに大胆というわけではないわ」と、ケラーはつ づける。 「だからといって、私たちがレズビアンである事実を隠そうとしたこともな いし、純粋に私たちがそうあることで、 〈ホット・トマト〉にはいつも少し反逆的な 主義があるのかもしれない」 このレストランとここで働く「トマトたち」は、リベラ ルな車中暮らし(#vanlife)のスノーライダーも、保守的な牧場主も、平等に歓迎 するよう意識している。 「皆を受け入れるという才能は、持って生まれたものじゃな い」とズーナーは言う。 「そうするように訓練しなくちゃいけないのよ。私たちのド アを開けて訪れるすべての人を受け入れたい。純粋に受け入れるの」 ビジネスを経営し、可能なかぎりマウンテンバイクにも打ち込むケラーとズー ナーに、空いている時間はほとんどない。それでもトレイルを作ったり、街のアウ トドアレクリエーション開発に関わる機会をなんとか見つけている。また彼女たち は、価格の上昇しつづけるフルータの市場から同志の新興ビジネスが追い出される

オーナーのジェン・ズーナーとアン・ケラーは、いまとなってはフルータ市

ことにならないよう、自分たちが所有する店の裏に安価で賃貸スペースを提供する

の一員だが、2002 年にはじめて引っ越してきたとき、ここは彼女たちの第

などして援助に取り組んでいる。 「もっと地元に根差したビジネスが増えることを

一候補ではなかった。ユタとの州境のすぐ東側、コロラド・リバー沿いに佇

願っているの。これからこの街の人口が増えていく前に、住民に良いサービスを提

むこの街は、もともとは果樹園や牧場などが広がる農業地帯だった。のちに

供できるようにね」と、ズーナーは言う。

上:列がないということは、早朝に違いない。出だしはかよわくも、2 人の文無しマウンテンバイカーたちが蒔いた種はたくましい多年生植物〈ホット・トマト〉へと成長し、フルータの地域社会 の皆のお腹を満たす。右上:ココペリ・ループの「ピザ・ポイント」で、ライディング後のビールを楽しむアン・ケラーとジェン・ズーナー。左下:ピザばかりで遊ぶ時間がなかったら、誰でも気が 狂う。バイクライディングの 1 日のために装備を整えるズーナーとケラー。右下:マウンテンバイク用シューズは毎年進化するものの、赤と黒のバイク、そして緑のトラクターの両方に合うものは ブーツしかない。

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マウンテンバイク・キット 持続のためのレイヤー。 やっと暖かくなったけどそれもいつ変わ

ければパズルを解くような厄介な事態

るかわからない、という春の気温での

にも陥りかねません。パタゴニアのマウ

ライディングには、順 応性に優れた多

ンテンバイク仕様の製品はどれも、気温

用途 型のキットが必須。それは数キロ

と状況と時間を考慮に入れ、母なる自

メートルを走るあいだに晴れにも雨に

然の試練にどこまで挑戦するか、選ん

も、あるいはその両方にも対応するも

だライドに合わせてキットを調整できる

ののことで、正しいレイヤーを着ていな

ようデザインされています。

ショーツにはシャモア パッドを備えた取り外し 可能なライナー付き

ライトウェイト・メリノ・パフォーマンス・クルー・ソックス

ウィメンズ・スイッチバック・スポーツ・ブラ

ウィメンズ・ダート・クラフト・バイク・ショーツ(28cm)

肌がかゆくならないメリノウール/ナイロン混紡素材の使用

優れた通 気性と機能性と速乾性を備え、背中で

伸縮性を備えた調節可能なアウターショーツの内側に、シャモ

により、汗や泥もへっちゃらで、立ち直りも早く長持ち。

交差する軽量なストラップが胸を快適にサポート。

アパッドと通気性に優れたメッシュパネルを備えたライナー付き。

¥3,024(税込) I 50150 I S-L I ぴったりとしたフィット I 57 g (2 oz)

¥6,912(税込) I 32095 I XS-XL I ぴったりとしたフィット I

¥21,060(税込) I 24587 I 0-18/偶数サイズのみ I レギュラー・フィット I 278 g (9.8 oz)

83 g (2.9 oz)

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ヘルメットの着用に対応する 収納可能なフードはシングル プルで調節でき、視界を 妨げずに頭部を保護

背中をしっかりとカバーする ドロップテイルのデザイン

ウィメンズ・キャプリーン・クール・トレイル・バイク・ヘンリー

ナイン・トレイルズ・ウエスト・パック 8L

ウィメンズ・ダート・ローマー・ジャケット

吸湿発散性と速乾性を発揮する素材を使用し、テクニカルな

予備のウェアなどをしっかりと収納できるスペースを

快適さとプロテクションを完璧なバランスで提供す

フィットと機能を備えながらもカジュアルなスタイル。

備え、パッドやジャケットを取り付けられるストラップ

る、軽量で通気性に非常に優れた伸縮性ジャケット。

¥8,100(税込) I 24440 I XXS-XL I レギュラー・フィット I 125 g (4.4 oz)

を備えたかさばらないパック。ジッパーで開いて作業 台のように使える、工具用フロントポケット付き。 ¥16,740(税込) I 48400 I 380 g (13.4 oz)

¥30,780(税込) I 24405 I XS-XL I スリム・フィット I

187 g (6.6 oz)

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ライディングのために作られたジャケットでライド ハードに走り、汗をたくさんかき、すぐ乾き、クールダウンし、間食を取り、温かさを保つ。 それは 2017 年「トランス・カスカディア」ステージレースの 2 日目の終わりの

「通気性に非常に優れた」そのジャケットの謳い文句に対して懐疑的だった。本

こと。祝賀会は毎晩エスカレートし、話は盛り上がり、床に就くまでビールが

当に? 多湿なことで悪名高いアメリカ太平洋岸北西部のこのコースに耐えること

尽きることもなかったが、その宴の最中にいつの間にか僕の頼れる防水性シェ

ができるのか?

ルがなくなってしまったことには、翌朝になるまで気がつかなかった。湿っぽい レースはまだあと 2 日残っており、パニックに陥った僕はパックの中をホリネズ ミのように探しまくった。そしてパックの底に見つけたのは、レース前に製品マ ネージャーがくれた M サイズのダート・ローマー・ジャケットだった。不快とな ることを覚悟の上で、僕は L サイズの体を渋々ねじ込んだ。次のステージを開始 するためにペダルを漕ぎはじめたときは、しっかりと「悪天候に対応」しながら

霧や雨や泥の中を懸命に走った次の 2 日間、僕がそれを脱ぐことはなかった。 汚れも水分も跳ね返し、王者のような通気性を発揮してくれたのだ。僕の手首は かなり袖から突き出ていたけれども。それが僕の新しいお気に入りのライディン グ用ジャケットになったことは間違いない。

ジミー・ホッパー パタゴニア カテゴリー・マーケティング・マネージャー

2018 年「トランス・カスカディア」バックカントリー・マウンテンバイク・レースの第 4(最終)ステージで、ワシントン州のギフォード・ピンショー国有林をかっ飛ばすジミー・ホッパー。 アメリカ太平洋岸北西部でも有数の険しい地形を通る原始的なトレイルを選んで開催されるトランス・カスカディアは、試走や偵察を許さない「ブラインド」式で、ライダーたちは一度も 走ったことのないコースを力の限り全速で、次の曲がり角に何が待ち受けているかも知らぬまま進まなければならない。 Trevor Lyden

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ダート・ローマー・ジャケット 軽量で伸縮性を備え、非常に優れた通気性を発揮 上り坂では熱を発散し、下り坂では風を防いで小雨を弾く ニットの裏打ちが吸湿発散性を提供 背中をしっかりとカバーするドロップテイルのデザイン

の詳細

背部中央のポケットにはウェアや行動食やチューブを収納 可能

使用しないときは背中のポケットに本体を収納可能

胸の内側にポケットが1つ ヘルメットの着用に対応する収納可能なフードはシングル プルで調節でき、視界を妨げずに頭部を保護

メンズ・ダート・ローマー・ジャケット ¥30,780(税込) I 24380 I XS-XL I スリム・フィット I 221 g (7.8 oz)

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語り by オースティン・シアダック、サム・スワード、クリス・ミュッツェル l 写真 by オースティン・シアダック

墜落のあとに ブリティッシュ・コロンビア州ワディントン山脈。2018 年夏。 オースティン:僕の注意を引いたのがクリスの叫び声だったのか、崩れる岩の音だった のか記憶にない。とっさに下を見ると、クリスが後ろ向きに落下していくところだった。 車のドアほどもある岩の破片と一緒に。僕が「落(ラクッ!)落(ラクッ!)」と叫ぶあい だにも、それは壁に突き当たり、さらに多くの岩を剥ぎ取って、全部で何十キロ、何百 キロにもなろうかという重さで、ビレイしていたサムに向かって真っすぐに落ちていった。 何が起こっているのか、1 秒以下で脳が処理しなければならないあいだ、僕はたったひ とつのことにしか考えが及ばなかった。彼は死ぬだろうと。 落石はサムの周囲で炸裂した。彼は左にジャンプし、

の指のあいだをすり抜けていくのを感じながら、とに

岩の小さな突出部の陰に避難した。突進してきた落石

かくスローダウンしようと体中すべての筋肉でそれを

の破片のひとつが胴部にあたり、同時に彼をアンカー

握りしめた。手のひらと指の皮は引き裂かれ、焼け剥

につないでいたデイジーチェーンに激しく当たった。彼

がれたが、僕は手を放さなかった。死にたくなかった。

を山につなぐ唯一の命綱でもあったそれは、まっぷた

どういうわけか、ロープに残っていた指の皮と右脚に

つに切れた。

ひっかかったループのあいだで、僕は停止した。

サムが落ちた。 僕が最後に見たのは、壁から剥がれていった彼の体。 山とのあいだに広がっていく深い淵をつかもうとしな がら。そして彼はいなくなった。残されたのは砕けた 岩の臭いと、750 メートル以上も下の氷河に転がり落 ちる岩と、きしむ氷の音だけだった。僕は下方を見下 ろした。命を失ったサムの肉体が、眼下の氷のクーロ アールを越えて、トマホークのように飛んでいく様子を 想像しながら。だがそれは現れなかった。どうにかして、 岩壁のどこかに、彼はまだ存在していた。

サム:上から叫び声が聞こえて見上げると、岩が僕 に向かって飛んでくるところだった。次の瞬間、僕は 無重力で空中にいた。深い眠りの悪夢から目覚めたと きのような感覚で。かすんだ視界、感触と音の万華鏡。 それから体が崖にぶち当たって跳ね返る荒々しい衝 撃。僕の体はすごい速さで動いていて、周囲をかすめ る風とナイロンが岩を擦る音が耳をつんざいた。意識 的にロープをつかむ決断をしたわけではなく、それは ただ僕の手中にあった。ツルツルのナイロンの束が僕

ビレイしていた場所の10 メートル下で必死にロープ を握りしめたまま、僕はいま起こったことを理解しよう としていた。僕がつかんでいたロープが、クリスのハー ネスの背中にある、荷重 評価すらされていないギア ループにつながっていただけだったのが判明したのは、 あとになってからだった。そしてそのロープが部分的に 裂けながらも完全には切れず、僕らがどれほどラッキー だったかを理解したのは、さらにあとのことだった。

クリス:なんてことだろう。いったい何をしてしまっ たんだ。いま起こったことはすべて本当なのか。ロー プにぶら下がり、荷重で後ろ向きに引っ張られると、サ ムの体が僕のビレイループにぶら下がっていることに 気づくのに、一瞬かかった。サムの叫び 声が聞こえ、 その荷重はじきになくなった。僕はもはや自動操縦状 態でハーネスにあったギアでビレイを作り、下へと懸 垂下降していった。人生で最も恐ろしい瞬間のひとつ だった。

サム:僕の左の 1メートルも離れていないところに、 もう1本のロープがぶら下がっていた。僕は片手を伸ば

前の見開き:マウント・ワディントン山頂から「ブラボー・グレイシャー」ルートを下降するサム・スワードとクリス・ミュッツェル。ベースキャンプ は彼らのすぐ頭上にある小さな岩塚のひとつ、約 2,000 メートル下に位置していた。下山時の雪と氷河の状態は非常に不安定かつ複雑で、 慎重な足取りを強いられた。左:夜明けのスタート。登攀 2 日目の早朝、スワードはギアラックをつかんで最初にリード。それから 1 時間の うちに臨死体験に遭遇しようとは、誰も知る由もなかった。

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してその端をつかんだ。それを歯でタイオフし、ビレイループにク

よりも傾斜の緩い壁のフェイスを引き上げられることより、登ってみ

リップした。そしてとうとう手を放した。上からくぐもった叫び声が

ることを選んだ。

聞こえた。僕は大きく息を吸い込んで叫び返した。でもそれは、脇 の鋭い痛みによって短くなった。 クリスはゆっくりと上から降りてきた。彼に手を見せると、ボロボ ロの皮膚が冷たい空気でヒリヒリした。アドレナリンは急速になくな り、まだ担いでいたパックから小さなファーストエイド・キットを取 り出すと、すべてが痛いほど明らかになりはじめた。深呼吸をする たびに、肋骨に刺すような痛みが走った。ハーネスのベルトが巻か れていた右側の骨盤は、深く鈍い痛みを発していた。ジャケットを まくると、下のレイヤーから血が滲み出ていた。胴の両側には深くえ ぐられた傷があり、黄色の皮下脂肪からは血が染み出し、それが広 がって乾きはじめた一部が黒ずんでいる。可能なかぎり傷を包帯で 巻き、ハーネスの下にジャケットをたくし込んだ。僕ら 3 人がその先 どうするかを決めるため、僕は上のビレイに移動したかった。垂直

「できそうだったらこいつを片づけてしまいたい」とクリスに告げ た。居心地悪そうに笑う彼を見て、このルートを登ることはクリスの 頭にまったくないのだと僕は悟った。

オースティン:サムとクリスが僕のビレイに向かって登ってくるの を見て、サムが生きていることには喜びしかなかったが、同時に僕 らの状況を深く懸念しはじめた。僕らは約 900 メートルの壁を 750 メートル以上も登っていたし、どの方向を見渡しても道路は約 50 キ ロメートル先だ。サムは安定しているように見えたが、内出血してい ることが気がかりだった。もし急に悪化したら、彼の命を救う唯一 の方法はヘリコプターでの救助しかない。だが宙に浮いたような僕 らのスタンスでは、それもままならない。僕らはここから脱出する必 要がある。下には険しい岩と氷の 20 ピッチが存在する。ずっと下 の氷河まで懸垂下降することもできたが、その途中ですべてのアン

事故の前日、マウント・ワディントンのマクナーズニー・ピラーを約半分登ったところでリードを取るスワード。

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カーを作らなければならない。そしてそのあいだ、さらなる落石や

頂上タワーのすぐ下の、大きく平らな雪面にいた。頭上には真昼の

落氷の可能性はどんどん高くなる。僕らの上にある山頂台地はまず

太陽で輝く白いピラミッドが立っていた。僕はそれがいかに簡単そう

まず平らかもしれないが、それは何十メートルも上で、サムはそこま

に見えるかに驚いた。僕の頭のどこかでは、すぐに登頂して下山で

で登らなければならない。そしてそのあとにまだ、下山が待っている。

きる、と考えずにはいられなかった。それほど近かった。しかしサ

短い議論のあと、僕らは登りつづけた。 硬い高山の氷にアイスアックスを埋め込み、できるだけ速く上へ と登りはじめた。60 メートル登ると、砂糖のような深い雪に囲まれ たところでロープがなくなった。僕は氷でも粒状氷雪でも、とにか くアンカーを作るのに十分な硬さのものを探して、掘りまくった。だ

ムのこと、彼を安全に下山させることが気がかりだった。ベースキャ ンプに戻るまでには、クレバスやセラックの散らばる1,830 メート ルもの下山が待っていた。 サムは僕が立ち止まっているところまで歩いてくると、 「登頂すべ きだと思う」と、単刀直入に言った。

が何もない。僕はあきらめ、ただ深い穴を掘り、這いつくばってパ

サム:僕はどうしてもこのルートを完登したかった。怪我はしてい

ウダーのような壁に足と背中をつけて座ると、 「オンビレイ!」と叫ん

たが、これほど近くにいながら登頂しないのは、すべてを無駄にす

だ。もう1ピッチの長い同時登攀のあと、僕は突然足に軽さを感じ

るように思えた。僕は自分がタフであることを証明したかった。自

た。傾斜は緩やかになり、僕らは平らな地面を歩いていた。振り

分自身のためにも克服できることを知り、そして他の人にもそれを示

返ってサムを見ると、うまく動いているようだった。安堵の波に包ま

したかった。この経験から何らかの誇りを持ち帰りたかった。ベー

れた僕は、この何時間もの末に、はじめて周囲を見渡した。僕らは

スキャンプに戻るためには、最低でももう1日かかることはわかって

痛みにもだえながら胴部の傷をミュッツェルに洗浄してもらうスワード。幸いにもファーストエイド・キットの中にあったテキーラがこの処置を少し和らげてくれた。


いた。だったらあとわずか 2 時間ぐらい、どう

その過程の指示をした。ありがたいことに、骨は

ていたというのは、自己中心的、あるいは愚か

だっていうんだ。自己中にはなりたくなかったが、

折れたのではなく打撲したようで、彼の怪我はど

に聞こえるかもしれない。でもこの詳細を除外す

山頂に立ち、全力を費やしてそこに到達してから

れもプロの助けを必要とするほど悪くはなさそう

ることは、それらの山々が僕らを引きつける魅

下山したかった。その意義はルートを完登すると

だった。

力を否定することになる。僕らは何か月もかけて

いうことでもなかった。ただ登りつづけたいとい う欲望があって、怪我をしていること、帰還する 必要があるという事実は受け入れたくなかった。

クリス:最後の数百メートルを登る価値を彼ら が語り合っているときも、僕はほぼ無言でいた。 クライミングパートナーの 1人を死なせかけたと いう思いを、僕は払拭できなかった。何が起こり 得たのか、そしてその場面にどれほど近かったか という想像で、頭がいっぱいだった。僕を愛して くれている人たちに、それをどうやったら説明で きるのか。サムを愛している人たちに、それをど う説明するかを考えると胸が詰まった。果たして 僕は、それと向き合って生きていけるのか。続行 することを決めながら、僕はサングラスで涙を隠 していた。 同時登攀で頂上へ向かって雪と氷を登りなが ら、僕は後尾を務めた。山頂に立ったのも僕が 最後で、霧氷のアレートを越えると、オースティ ンとサムが景色を見渡しているのが見えた。そこ で僕らはハイタッチをしたのだろうが、よく覚え ていない。最後のクライミングは集中力を要した が、それ以外の僕の考えは別のところにとどまっ ていた。僕にとって、祝う理由はどれも起きたこ とによって帳消しにされていた。トップアウトす ると間もなく、僕は下山を先導した。僕らの試み は巨大な注釈付きだった。僕はもはや、その一 部になりたい気分ではなかった。

オースティン:僕は雪を掘ってビールを抜き出 し、調理用テントへ歩きながら、その栓を抜い た。下山は予想以上にひどく、巨大なクレバス の氷原が何時間もつづき、懸垂下降と反対側へ 登って出ることをばかりを強いられた。僕らは 足元から湿雪雪崩が切れはじめ、それが下のク レバスへと生コンクリートのように流れ込むのを、 目を丸くして眺めた。僕がもうひとつのクレバス にかかった薄いブリッジを壊し、僕らはそこで一 夜を明かすことに決めた。翌朝、氷河に反射す る太陽の熱は、僕らの考えの食い違いをさらに 深めた。 キャンプに戻ると食事をし、きれいな服に着 替えてから、注意深くサムの包帯を解いた。彼の 胴にある深い穴と手の焼けただれた皮を目にし た僕は、顔をしかめた。クリスが水を流して傷を 洗うあいだ、サムはテキーラのぐい飲みと交互に

「気にしないでクライミングに行けよ」と、サム は励ますように僕とクリスに言った。 「傷口をきれ いにしておく包帯は十分、最低あと数日分はある し、どのみち縫合するには遅すぎるからさ」 僕は頭のどこかで、彼は正しいと思った。そび え立つこれらの岩壁の麓で、太陽は輝き、空に は雲ひとつないという状況を、何週間も夢見てい たのだから。この谷にいられることは貴重で、僕 らはそのための準備と計画に、本当に多くの時間 を割いた。食料も燃料も十分にある。こんな好 天のもと、またいつここに戻れるか定かではない。 しかし僕は不安を払拭できなかった。出発前に は写真を見て刺激を受け、ほんの数日前まであ れほど美しかった山々は、いまでは危険きわまり ない存在のように思えた。僕らは上にある懸垂 氷河から、解けてゆるんだ巨大な岩がすさまじ い音を立ててキャンプの横になだれ落ちてくるの を目撃した。昼夜を問わず、崩壊するセラックの 深い轟音が谷を横断してこだました。この山脈全 体が崩れかけているように思えた。もし僕らがク ライミングへ行き、また事故にでも遭ったら、僕 は自分を大バカだと思うだろう。あともう1本の ルートを登ることが、僕の人生をそれほど向上さ せるとでも言うのか。

クリス:その後数日、僕らは暑い夏の太陽の下、 キャンプにとどまった。僕はサムと直接目を合わ せるのが苦しかった。彼はすでに起こったことに ついて僕をとがめる様子はなかったが、それは 僕が自分をとがめる妨げにはならなかった。キャ ンプで彼が足を引きずるのを見るたびに、ひどい 思いがした。どうにかして彼に埋め合わせをした い。肉体的にだけではなく、精神的にもサムの回 復に必要なすべてが得られるようにしたいと、強 く感じた。

計画したこの旅で、達成できるかもしれないこと への期待を募らせ、ついにその場所に至ったの だ。しかし同時に、僕らは事故から生まれた疑 いと恐れと不安にもがいた。僕はさまざまな感情 を縫いながら進んだ。最終的には、ある晩オー スティンが 僕のところへ来て、家に帰りたいと 言った。それで僕らは帰路に着いた。 この事故は僕らのひとりひとりに異なる影響を 与えた。僕らは皆異なる役割を担い、異なる背景 の出身で、それぞれの人生を導く異なる価値観を もっていた。僕らのロープのシステムやルートファ インディングに賛否両論はあるし、あの分裂する 山系でのルートの客観的な危険性について語るこ と、パートナー間のダイナミクスや精神的疲労に ついて指摘することもできる。そしてそれらの結 論で、その複雑さの一部をとらえることはできる かもしれない。しかしすべてを包括できるものは 何もない。垂直の世界は複雑で、クライミングに 厳格なルールを設けることは難しい。だからとき にストーリーはただ語るだけで、結論は聞く人そ れぞれに任せる方がいい。こうしたストーリーや 経験が人生の一部となるのは、とても個人的な 形だ。分かち合うことはできても、それらが僕ら に感じさせたことを真に表現することはできない。

サム:このクライミングは永遠に僕らの一部と なるだろう。僕らが個人としてどのように情熱を 追い、なぜ山を登るのかということについて、人 生の中枢となる基点を与えてくれる。起こったす べてのことはさておき、僕らは皆、ワディントン で過ごした時間に対して深い感謝の念を抱く。山 頂はあくまでも刺激でしかなく、あるいは家を出 て意義ある経験を生み出すための、ただの言い 訳だったのかもしれない。僕らは達成感のため にこうした経験を追求するが、登頂が最重要事 項であることは稀だ。いまこの出来事を語るとき、

僕はある朝サムを脇に呼び寄せ、彼がもう数

僕はしばしば登頂したことについて触れることす

日滞在することに本当に問題がないかどうか再

らしない自分に気づく。ルート上での素晴らしい

確認した。彼が保証したことで僕の気分は少し

クライミング、チームとしての仲間意識、そして

和らいだが、クライミングに出かけるかどうかと

僕らがともに火中を歩き、いかに冷静かつ安全

いう疑問はオースティンと僕の頭 上に漂ったま

に下山したかに比べたら、それはまったく重要で

まだった。僕らのキャンプの上 空にはスプリッ

はない。僕らは皆、そこで達成したことを誇りに

ター・クラックでいっぱいの美しい岩塔がそびえ

思っている。それは山頂で 10 分間を過ごしたか

立ち、登攀の可能性を秘めたルートをいくつも双

らではない。チームワークと忍耐力こそが僕らの

眼鏡で見つけることができた。僕らがキャンプに

最高の成功となったからだ。

負傷したパートナーを置いて出かけることを考え

オースティン・シアダックは写真家兼クライマー。過去 8 年間の大半は、良好なライティングと良好な花崗岩を求める旅生活に費やしてきた。 サム・スワードはコロラドのフロント山脈の麓で生まれ育ち、幼少時代からずっと、近隣または遠方の山々で自己の限界を押し広げている。 クリス・ミュッツェルはワシントン州シアトルに在住し、友人と岩と雪に囲まれた生活を楽しむ。

38


切り裂かれたデイジーチェーンと潰れたカラビナを手にするスワード。これらのギアが落石によって破壊され、彼は山から突き落とされた。

39



文と写真 by ベス・ワルド

イランで見つけた避難地 細い小川の上に古びた木板が 掛けられただけのガタガタの橋を 渡り、みすぼらしく濡れて臭いを 放つ羊の群れを通り過ぎ、きつい 傾斜を登りはじめたところで、 遠方のカスピ海で生まれた霧が、 道路を離れた私たちのまわりで 渦を巻いた。イランのアルボルズ 山脈にあるアラムクー山のベース キャンプを目指し、ブリッタニー・ グリフィス、ケイト・ラザフォード、 アン・ギルバート・チェイスと、 私たちのガイドのモハメッド・ サッジャーディーは、トレイルの ほとんどを走って登った。何日も つづいた車での移動の末にやっと 動くことができ、興奮していた 私たちは、霧の中へと消えて いった。

1〜2 キロメートル進んだところで最後尾に

対して厳格だ。これらの規則はイラン人である

いた私が角を曲がると、4 人は何か目に見え

彼ら自身の家庭や私的領域の境界の向こうま

ない境界に立ち止まっているようだった。もう

で、また私たちの小さな私的領域であるホテ

スカーフを外していいよ、とモハメッドが言っ

ルの部屋のドアのすぐ外までを支配する。そし

た。私たちはすぐに頭からスカーフを外し、ア

て、ここアラムクーへのトレイルではその自由

ウトドアウェアの上に着ていた大きめのチュ

な私的領域は広がり、長く険しい谷や頂、さ

ニックを脱ぐと、それをバックパックにしまっ

らにその先へとつづく。

た。涼しい山の風で、露出した私の腕に鳥肌 が立った。長袖の下は暑くて汗をかき、ずっと 覆われていた腕は奇妙な感覚を受けて、不思 議と露わな気分になった。

イランのクライマーにとって、このキャンプ 地や周囲の山々はイラン・イスラム共和国の生 活の一部である要求や規制や、国による監視 から逃げるための、切り立つ岩に囲まれた避

この 5 日間、私 たちはイスファハーンとカ

難地だ。モハメッドによると、そういった避難

シャーンの 古 都 を探 索し、 モスクや 宮 殿の

地は警察の目が届かない山々や砂漠、その他

巨大なドームや複雑なモザイクに感嘆してい

道路から遠く離れた野生地にある。とくに若

た。バザールで絨毯商人と値引き交渉をした

い世代にとっては、自分自身を見つめ直し、友

り、モハメッドの地元の岩山を登ったりもした。

情やコミュニティを築くことができる場所なの

イスファハーン郊外の砂漠を通るハイウェイの

だ。そうした行為は、男女の交わりが厳しく制

脇にそびえる粉吹いたその石灰岩の崖は、近

限される場所では、不可能でなくとも難しい。

くの警察署が由来となって「ポリス・ウォール」 と名づけられていた。初日の晩も、イスファ ハーンの背後に立ちはだかるソッフェ山に登っ た。時差ボケで、慣れないスカーフとチュニッ クを着て汗をかきながら。一緒に登った大勢 のアウトドア愛好家たちの中には、男性も女 性も、そして子供もいた。見晴らしのよい山 頂に到 着したころには日が 暮 れ、即興 的に パーティーがはじまった。スピーカーからは イラン音楽が流れ出し、男性たちは腕や腰を 振り、挑発的な動きで踊り出した。女性たち は観るだけで、なかには手拍子を打つ人もい たが、誰もダンスには加わらなかった。街路、 バザール、モスク、博物館、この険しい岩山 や山につづくトレイルでさえも、すべては公 共の場であり、イスラム共和国の法律のもと、 西洋人には慣れない厳しい規則が適用される。 それは男性にも適用されるが、とくに女性に

タブリーズからやって来た友人でありパートナーの、 イラン人クライマーのハビビとショルマズから、 アラムクーに関する情報を分けてもらうアン・ ギルバート・チェイスとブリッタニー・グリフィス。 ベースキャンプではハビビやショルマズをはじめ、 その他大勢のイラン人クライマーたちと知り合うこと ができた。彼らはテントに立ち寄っては私たちを イランとアルボルズ山脈に歓迎してくれ、クライミング や人生や政治について語り合った。私たちはそこでは 際立って異色な存在だったが、クライマーであること がその壁を取り除いてくれた。

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左上:テヘランにある私営のスポーツジムで、 照明に向かって登るアン・ギルバート・チェイス。 アパートの地下をボルダリング用スペースに一変 させている。イランのジムやクラブには公営と 私営があるそうで、私営のジムでは男性と女性 が一緒にクライミングやトレーニングをすること もできるが、それは公営のジムでは許されない。 私営のクラブは、ある意味では、山頂での体験 を街でも少し味わうことができる場所であり、 たとえ山から遠く離れていても、オーガニック な人間関係やクライミングコミュニティを繁栄 させることのできる場所とも言える。 左下:イランに到着して 2 日目、まだ時差ボケ で、イスファハーンの街の喧騒と威圧的な暑さ に惑わされていた私たちは、モスクに足を踏み 入れると、暗闇と神秘的な空間に包まれた。 頭上の巨大なドームを見上げ、暗さに目が 慣れてくると、壮大なカーブを描いた表面に 複雑なモザイク模様が踊るように広がっていた。 私たちのガイドのモハメッドは 2,500 年以上も つづくペルシャ文化を自身が受け継いでいる という事実に誇りをもちながら、ペルシャ芸術 と建築が反映する傑作の歴史について語って

くれた。この建築物はそれが開花した 400 年前、ペルシャ帝国が拡大するサファヴィー 朝の時代に建てられたそうだ。そこで私は、 精妙なタイルで覆われたファサードと入口 のイーワーンに立つ尖塔を完璧な額に 収めた、このアーチ状の門を見つけた。 内側と外側、影と光、アーチとパターンと ラインが調和して繰り返される空間。 上:旅をはじめてから 1 週間後、パートナー たちとともにアラムクーのビッグウォール に挑む前のウォーミングアップとして、 スプリッター・クラックを登りつめるアン・ ギルバート・チェイス。私たちが出会った イラン人のほとんどが、メインウォールの 中央にある急勾配のクリーンなエイドライン で登ることを目指していたが、私たちの チームは新しいフリーラインを探していた。 その結果、あまり知られていない地形を 旅し、怪しい岩に遭遇することにもなった。


上:アラムクーの山頂からギザギザに伸びる尾根が、まるで花崗岩でできた巨大な ステゴサウルスの背中のように切り立っていた。乾燥した茶色の頂や谷は標高差 約 4,800 メートル下で雲に覆われたカスピ海へとつづく。イランで 2 番目に高い アラムクーは、イラン北部を分断する狭い高地に連なる峰々と火山帯である アルボルズ山脈の一部。この山脈はカスピ海の湿った空気を封じ、南に広がる イラン高原に乾燥した雨陰を形成する。その野生的で壮大な風景は、ゾロアスター 教の宇宙の山々とも名前を共有し、太陽や月や星を超越した世界の中心にあると 信じられている。アルボルズ山脈とアラムクーは、ほとんどの人間が住む混雑した 目まぐるしい都会から逃れることを望むイラン人にとって、寓話の世界として存在 する。これらの高山は、イランの日常生活の一部であるしきたりや制限、国の監視 から逃げるための避難地だ。

次の見開き:拡大しつづける人口 1,500 万のテヘラン首都圏までは 100 キロメートル 弱しか離れていないものの、私たちがいたアラムクーのベースキャンプはカラスが 空を舞い、まるで異次元のようだった。極度に冷え込んで闇が広がる夜には、 アラムクー山塊の背後に月が沈み、火星が瞬き、天の川が幾千もの銀河を藍色の 夜空に散りばめていた。

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ウィメンズ

季節の変わり目のピークで マルチピッチのスプリッター・ クラックを登るときに 理想的なキット。

アセンジョニスト・パック 30L ¥21,600(税込) I 47997 I S/M, L/XL I 670 g (1 lb 7.6 oz)

ウィメンズ・R1 プルオーバー ¥17,280(税込) I 40119 I XXS-XL I スリム・フィット I

275 g (9.7 oz) ウィメンズ・キャプリーン・クール・トレイル・シャツ ¥5,400(税込) I 24500 I XS-XL I レギュラー・フィット I

102 g (3.6 oz) (写真はレイヤリング例)

ウィメンズ・スイッチバック・スポーツ・ブラ ¥6,912(税込) I 32095 I XS-XL I ぴったりとしたフィット I

83 g (2.9 oz) (28 ページに掲載)

ウィメンズ・RPS ロック・パンツ ¥12,960(税込) I 83076 I 0-18/偶数サイズのみ I レギュラー・フィット I 238 g (8.4 oz)

フーディニ・ジャケット:羽のように軽量なフーディニは 限りなく完璧に近いウインドブレーカー。コンパクトに収納 可能で、天候が変化したら瞬時に登場して体を守る万能な 実用性により、パタゴニアの伝承として受け継がれています。 (写真はカラビナとの大きさの比較です。 ) ウィメンズ・フーディニ・ジャケット ¥14,580(税込) I 24147 I XS-XL I スリム・フィット I 96 g (3.4 oz)

パートナーと山で築く関係は深く、独特で、貴重なものであり、私たちの多くにとって、山は日常生活から逃れる場所でもある。 しかしイラン人クライマーたちにとっての山で過ごす時間と日常生活の差は、よりはっきりしている。 Beth Wald

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ベッキー/シュイナード

キャンポ・デ・アゴスティーニ

セロ・トーレ

ヴェンデンシュトック

ドーン・ウォール

ザ・ダイアモンド

グレイシャー・ゴージ

ネバド・ウルタ

タルキートナ

デナリ


ベン・ネヴィス

カリマバード

ウィーピング・ウォール

モンブラン・デュ・タキュル

トランゴ・タワー

シング・チャルパ

チャラクサ・バレー

ザ・ムースズ・トゥース

コルディエラ・ワイワッシュ

マウント・サイイ北壁

ヴェンデンシュトックの霧から登り出るトミー・ コールドウェル。スイス、インターラーケン Mikey Schaefer

全ストーリーは patagonia.jp/r1 で ご覧ください。

20 のストーリーを紹介し、祝います。

い冒険や初登など、歴 史的瞬間にまつわる

この 20 年間に R1が果たしてきた素晴らし

今年は R1の 20 周年記念。そこで私たちは、

20 年の歴史。20 のストーリー。

R1でデキたこと


メンズ

日陰の気温が完璧でも 肌寒くても、終日の課題に 理想的なユニフォーム。

クラッグスミス・パック 45L ¥24,840(税込) I 48065 I S/M, L/XL I

1,559 g (3 lbs 7 oz) メンズ・R1 フルジップ・フーディ ¥22,680(税込) I 40090 I XS-XXL I スリム・フィット I 394 g (13.9 oz)

メンズ・フィッツロイ・スコープ・ オーガニック・T シャツ ¥4,536(税込) I 39144 I XS-XXL I スリム・フィット I 187 g (6.6 oz)

メンズ・ベンガ・ロック・パンツ ¥11,880(税込) I 83082 I

28-40の偶数サイズと31, 33, 35 I レギュラー・フィット I 408 g (14.4 oz)

マイクロ・パフ・フーディ:パタゴニアの製造史上、その重量に 対して最高の保温性を発揮するこのジャケットは、超軽量で 耐水性を備え、ダウンのような温かさを提供するプルマフィルを 採用。ダウンの代替となる、羽のように軽い画期的な化繊の インサレーションです。 (写真はカラビナとの大きさの比較です。 ) メンズ・マイクロ・パフ・フーディ ¥39,960(税込) I 84030 I XS-XXL I レギュラー・フィット I 264 g (9.3 oz)

ロゾーネの「グリーンスピット」にギアを配置するピート・ウィテカー。イタリア、オルコ渓谷 Andrew Burr





文 by ミーガン・ブラウン l 写真 by エース・クヴァル

なぜ走るのか この問いに答えることがなぜそれほどまでに難しいか。 それを解明する一助となる、ディネ居住区北部の片隅に流れる時間。 少女は目を覚まし、光に向かって走る。黒髪が、朝日に向かって走る彼女の後ろを流れ る。家族や友人の祈りを胸に、小さな足はやわらかい地面を飛び跳ね、足首のまわりに 立つ赤い土埃は、窪みに溜まる。遠くへ走れば走るほど長生きすると、彼女は教えられ ている。だから遠方にそびえ立つ砂岩の聖塔が炎のような夜明けの光に照らし出される なかを、できるだけ遠くへと走りつづける。そしてこの日、彼女はもはや少女ではない。

走ることについて書こうとすると、どうしても何

ヤーズという双子のビュートの方を見渡す。緑色の

かがしっくりこない。孤独の共感や苦痛の快感をう

フーディを耳までかぶり、ジッパーを顎まであげて、

まく置き換えてとらえることができるような体験は、

淡々と語る。 「従兄弟も、兄弟も、皆で走りました。

他になかなか存在しない。そこには逃避があり、神

祖父は私たちに自制心を教えようとしていたのだと

の摂理があり、対立がある。あるいは抑えられない

気づいたのは、あとになってからです。私たちに強

興奮や、たんなる慣習でしかないことも。なぜ走る

い心臓と強い心をもってほしかったのです」

のかと、ランナーはいつも聞かれるが、その答えが 複雑すぎる理由はまさにここにある。ほんの1歩に 100 万の理由が秘められているかもしれない。そ の質問をする人が完全に理解することも決してない だろう。なぜなら答える人にもわからないから。と きにそれは、ただ走るということ以外の何ものでも ない。

結婚後、キャシーは北部のナバホ・マウンテン へと移り住んだ。その山はユタ州とアリゾナ州をま たいでそびえ、一番近い食料品店までは 145 キロ メートルほども車を走らせなければならない。電気 や水道が通っている家はほとんどない。学校はあ るが、それも1974 年に学生と保護者が平等な教 育を求めてサンファン郡当局を訴えた結果できたも

キャシー・ネズツォシーは、兄弟や従兄弟たちと

のだ。ナバホ・マウンテンはナバホ語で「ナアチッ

一緒に午前 4 時に祖父に起こされて走っていた朝を

サーン」とも呼ばれ、周囲には曲がりくねった斜交

思い出す。 「外はまだ暗くて、私たちが起きるのを拒

層理のキャニオンが広がり、羊や牛の群れが放牧さ

むと、顔に冷水をかけられることもありました」と

れている。標高 3,166 メートルの山頂は、マグマが

言う彼女は、ディネ(ナバホ族)居住区の北東部の

堆積岩に貫入して上面をドームのように膨らませた、

端にある、やっと目に見えるぐらいのベアーズ・イ

ラコリス(餅盤)状になっている。

前の見開き:この曲がりくねったキャニオンのような自然の地形は、いまではイーライ・ネズツォシーの日常的なランニングの一部となっている。 右:ディネ居住区の北端にある砂岩群。

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1864 年、ディネの一団が、浸食によって形成されたキャニオ

ネズツォシー家の牧場は実際にはアリゾナ州内にあるが、ナ

ンの迷路に身を隠した。現在では「ザ・ロング・ウォーク」とし

バホ居住区の全土はユタ州の時間帯に準ずる。そのため州境の

て知られる強制移住によって、他の部族民たちがボスク・レドン

周辺をたった数メートル歩くたびに、携帯電話の時間が 1 時間

ドへ徒歩による移動を強いられていたなかでの出来事だ。昨年、

前後ずれることがある。北西には、州境をはさんでレイク・パウ

その流刑の終焉の150 周年記念として、数名のランナーたちが

エルがある。ここはヘイデュークやゼイン・グレイの世界。野性

同じルートの約 650 キロメートルを段階的に縦走した。

的で、荒々しく、無情で、息を呑む美しさが広がる土地である。

ここでは星が野生に満ちた輝きを放つ。ニューメキシコを舞

キャシーと彼女の夫はここで子供を育てた。現在では息子の

台に物理学とスピリチュアリティについて書かれた不思議な本

イーライが家族の土地を管理している。そして彼もランナーで

『Fire in the Mind』には、次のように述べられている。 「「黒の 神」が天に星の結晶で星座を並べ、それらに火を点けた。けれ ども神がそれを終える前に、コヨーテがその残りを盗み出し、 お構いなしにばら撒いた。」

馬と一緒に柵を修理中。

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ある。


少年は目を覚まし、バスに乗るために、家族が所有する 土地のでこぼこ道を全速力で駆ける。牛の群れを通り過 ぎ、路肩の段差を飛び越え、通学の黄色いバスを捕まえ るのにぎりぎりの時間にハイウェイにたどり着く。彼の目 的は別にある、と言うのは彼の母親。しかしまだ子供の 彼にとって、走ることは意図的ではなく、必要不可欠な 行動である。 ディネには走ることにまつわる儀式がたくさんある。しかしそ れについて語ってほしい、あるいは儀式の意味について教えて ほしいと頼むことは、宇宙の起源について説明できる人を探すよ うなものだ。それは不完全で、種類が多すぎ、誰もが少しずつ 違うことを信じているから。 ピー ター・ナ ボコフは 1981 年 に 出 版 され た自 著『Indian Running』のなかで、ディネにとって「走ることとは、感情とつ

ながること、つまり人生の中心的存在であり……ナバホ族の定 着の様式から癒しの儀式まで、絶え間ない動きがモチーフと なっている」という洞察を書いた。あるディネの物語には、競走 相手の目をくらませたり欺いたりするために道におしっこをかけ る、カエルのランナーが登場する。また別の物語では、モーニ ング・スター(明けの明星)とイブニング・スター(宵の明星)と いう双子が、ズニ族、アコマ族、ディネ族にトウモロコシを配分 するためにレースを企画する。それぞれの部族から一番足の速 い男たちが選ばれ、モーニング・スターがトウモロコシを 3 つに 割ると、ディネ族が最初に、アコマ族が次に、ズニ族が最後に 完走した。ナボコフの本に記録された物語は次のようにつづく。 「モーニング・スターは困ったが、双子の弟はなだめた。 『それで いいのだ。ナバホは最俊足のランナーで、つねにある場所から またある場所へと移動する。トウモロコシの世話をすることは

牧場を囲む柵を走りながらチェックするイーライ(と、彼のランニングパートナーである犬のトラクター)。

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「 走ることは、自分の人生に欲しいものを追いかけるということ。はっきり とした展望や目標がなければ、ただ闇雲にさまようだけ。最高のトラック を持っていても、目的地がなければ同じ場所をぐるぐる回るだけ」 できまい』と。だからナバホ族は、定住民族のプエブロ族とは

うとする」と言うのは、 〈ウイングズ・オブ・アメリカ〉の事務局

異なり、いまでも夏と冬の住居を行き来している」

長であるダスティン・マーティン。同プログラムはサンタフェを

思春期を迎えたキャシーは、若い女の子のための儀式である 「キナアルダ」に参加した。 「変化する女性」という物語をもとに した、祝祭の儀式である。この一環として、彼女は可能なかぎ り遠くまで走ってから戻ってくるようにと指導された。この儀式 によって、少女は心身ともに鍛えられる。キャシーはこの 4 日 間、毎朝早朝に起き、昇る太陽に向かって走ったことを覚えて いる。髪は三つ編みにされ、トウモロコシの粉で作ったケーキ が焼かれ、長老たちが彼女を導いた。 「あの儀式の意味はまっ たく覚えていません」とキャシーは言う。 「母に聞いてみます」 イーライにとって、走ることは、彼が説明したくない物語と いうわけではない。彼にとって走ることは、ランニング以外の

拠点として、ランニングと若者のリーダーシップを奨励してい る。 「僕らはただのランナーなんだ。それに、とても高い競技 レベルをもっていることも証明済みだ」と語る彼は、ディネが 「順調」にやっている事実をランニングが証明してくれることを 願っている。

男は目を覚まし、靴のひもを結ぶ。太陽は地平線から顔 を出したばかりだ。彼には仕事が待っている。だが、ま ずは走る。なじみ深い大地を、彼の故郷に広がる牧場の 道路やトレイルが編んだ模様や起伏を、足で感じながら。 彼が追うものは、ランニングが必要とする自制心だ。

何ものでもない。それは経済的で、実用的で、基礎的だ。 「僕

イーライの子供時代、バスに乗り遅れたときは、バスを捕ま

なりのストーリーを話して、それが間違いだったなんて嫌だか

えるために実家からハイウェイまでの道のりを走らなければな

らね。誰かに 9.5 の平方根は何かと聞かれて、きちんと調べた

らなかった。大人になった彼は、自分で修理した小型トラック

り計算したりせずに適当な数字をでっち上げるようなものだよ」

を走らせる代わりに、ひとつひとつの牧柵の入り口を走ってま

と彼は言う。彼にとって走ることは、自分の生涯を通してやっ

わることにした。放牧した牛たちが逃げないよう、家族牧場の

てきた仕事に近いものだそうだ。 「牧場主として育ったおかげ

周囲 24 キロメートルに施した柵だ。 「僕の人生は必然性に基づ

で、ランニングのベースができた」と語る彼は、祖父母が建て

いている」と月が昇る様子を窓の外に眺めながら、イーライは

たホーガンの中にある薪ストーブの傍に座る。 「決してあきらめ

言う。 「何かをやり遂げる必要があって、それをやる人が他にい

ない、ということを教えてくれた。外がマイナス18 度でも 38

なかっただけ」

度でも。真夜中でも 2 日間寝ていなくても、やるべき仕事はあ る」 イーライは『孫子』を少なくとも 2 回は読破し、その本の おかげで彼の戦略的センスと自制心が養われたと言う。 「毎日 外へ出て、走る距離を伸ばす。たとえ面倒くさいと感じる日で も。そんな日こそ、自制心が大切なんだ」 イーライと同じように、走ることにつねに精神的な意義があ

しかし、そこには彼が言うよりもっと隠喩的な意味がある。 イーライは自分の考えを次のように締めくくる。 「走ることは、 自分の人生に欲しいものを追いかけるということ。はっきりとし た展望や目標がなければ、ただ闇雲にさまようだけ。最高のト ラックを持っていても、目的地がなければ同じ場所をぐるぐる 回るだけ」

るわけではないことを説明するのに苦労するディネは他にもい る。 「数年ごとに、ナバホ・ランナーについて誰かが本を書こ

家族の牧場の近くで砂岩が形成した自然のアーチを通過するイーライ。

クリス・マロイが監督した、イーライ・ネズツォシーに関する短編映画『イーライ』は patagonia.jp/trail でご覧いただけます。

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ロングホール・トレイル・キット ライト&ファストでミニマリスト。 シャツのようにフィットするランニング用ベ

るフィードバックを集め、フィールドで 3 年

スト。緊急事態にも対応して1日中走ること

を費やして開発されました。間断のない運

を可能にするシェル。何時間はいてもその

動を喜んで受け入れ、速度を落とさず動き

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通気性と吸湿発散性を備えたリサイクル・ナイロン混紡

作った、通気性を備えて非常にコンパクトに収納可能な

ステーションのない長い日々で必需品を容易に運搬。

素材を使用。

43 グラムの帽子。リサイクル・ナイロン素材とポリエス

¥22,680(税込) I 24010 I XS-XL I スリム・フィット I 116 g (4.1 oz)

テル・メッシュのパネルを使用。

¥23,220(税込) I 49530 I XS-L I 200 g (7 oz)

¥4,104(税込) I 28817 I 調節可能なフィット I 43 g (1.5 oz)

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ひとつの良い決断 少なくともレイヤリングは計画通りに機能すべき。 私たちの関係はハネムーンの様相で、初々しい愛によってほとばしるドーパミン

よって積み上げれられた乾いた倒木を集めて焚火を起こし、重ねたスプーンのよ

のせいで何でもできる気になっていた。私たちは標高差 6,100 メートル、トレ

うに横になった。外側のスプーンが震え出すタイミングで、火にあたるポジショ

イルなしの距離 56 キロメートルという険しい山脈をトラバースするために真夜

ンを交代しながら。トラバースを終えたのはその翌日の夕方(出発から丸 42 時

中に出発し、24 時間以内に完走することを期待して、ビバーク用ギアは持たな

間後)で、この旅を甘く見たエゴが体と同時に打ちのめされる一方、逆境に直面

かった。けれどもドーパミンの効果が薄れた 20 時間後、ランニング・ショーツ

した私たちのチームワークに対する誇りを謙虚に感じた。

からハンノキの小枝を取り除きながら、移動するのに最も困難な地形はまだ先に 待ち受けていること、そして山々は私たちの愛の強さなどお構いなしであること が明らかになった。私たちは標高の低い湖畔に野宿する場所を見つけ、雪崩に

ジャスミン・ケイトン 山岳ガイド/パタゴニア・ロッククライミング・アンバサダー

キャズム・レイク・トレイルの約 3,350 メートル地点で、山火事の煙から解放されるナタリー・ガーザ、グラント・パーデュー、ジャック・プランツ。コロラド大学ボルダー校の学生である彼らは、 煙に包まれた眼下の谷に日が昇ると同時にここを目指して出発した。ロッキー・マウンテン国立公園 Will McKay

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キャプリーン・クール・ライトウェイト・シャツの詳細 涼しい状況でも暑い状況でも水分をすばやく発散して 優れた通気性を発揮し、涼しくドライな着心地を保つ、 激しい運動をともなう日々に最適な最軽量の機能性ニット

滑らかでレイヤリングが容易なダブルニット素材

ポリエステル100%(リサイクル・ポリエステル 37〜 100%)素材は吸湿発散性と速乾性を備え、ポリジン 永続的防臭加工済み

速乾性と吸湿発散性

動きやすさを促進するセットイン型の袖

活動中のフィット感を高めるややドロップテイルの裾

ウィメンズ・キャプリーン・クール・ライトウェイト・シャツ ¥5,940(税込) I 45765 I XS-XL I スリム・フィット I 60 g (2.1 oz) 全コレクションはウェブサイトでご覧ください




このパンツを破壊することは可能 ただしそれには、極寒と酷暑を繰り返す砂漠での1,200 キロメートルのハイキングでは不十分ですが。 最初の意図はまったくもって大失敗だった。ピート・マクブライドが提案する旅

うことだけ。それからベテランのキャニオンハイカーたちと出会い、数日一緒に

はいつもそうだと知ってはいたが、これはその最悪の例を超えるもので、僕らは

行動して、助けてもらえたのも幸運だった。最終的に僕らは 1,200 キロメート

崩壊状態だった。旅を開始したグランドキャニオンのその地域は過酷で、岩面は

ル近くも歩き、そのあいだに経験した気温はマイナス 13 度から 44 度。例のパ

ガラスのように鋭く、そして僕らは出発時にショーツをはいていた。ご存知とは

ンツはその後の行程でずっとはきつづけた。友人の中には僕がそれを脱いだこ

思うが、そこは砂漠なので……当然熱くなる。愚か者としかいいようがない。僕

とはないんじゃないかと疑うやつもいるくらいで、たしかに外食にも時々はいて

の脚はまるでムチで打たれたような有様となった。幸いにも、慈悲深いパタゴニ

いく。もう 1 本買う必要があれば絶対に買うけど、ただその必要がないんだよね。

アの誰か(誰だったか覚えていたらよかったのに)がハイキング用パンツを送って くれた。その製品名も未だに知らないが、知っているのはそれが破壊不可能とい

ケヴィン・フェダルコ 『The Emerald Mile』著者

前の見開き:地図上にあるからといって、それがトレイルだとはかぎらない。川の合流点からの出口がめったに使われていないことを悟るマシュー・ブラウンとケリー・マクグラス、 そしてそれにつづくケヴィン・フェダルコ。 Peter McBride 上:ナンコウィープからマルゴサ・キャニオンへの登りに生える棘だらけの植物は、干からびた藪をかき分けて歩いた 長い 1 日の後のハイカーたちの関係によく似ている。 Peter McBride

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クアンダリー・パンツ の詳細 丈夫で速乾性を備えた素材を使用し、DWR(耐久性 撥水)加工により、ちょっとした水分を弾くテクニカル なパンツ 伸縮性を備えたナイロン 95%(リサイクル・ナイロン 65%) /ポリウレタン 5%混紡素材は、トレイルでの 長い日々に UPF(紫外線防止指数)50+ の UV プロテクションを提供

動きやすいまち付きのデザイン ベルトループ、金属製ボタン、隠しドローコード (ウィメンズのみ)、ジッパー式フライが付いた ウエストバンド 前にポケットが 2 つ、後ろにポケットが 2 つ (うち1つはジッパー式)、右腿にジッパー式カーゴ ポケットが1つ付き、必需品の収納に便利

ウィメンズ・クアンダリー・パンツ(ショート) ¥11,880(税込) I 55410 I 0-18/偶数サイズのみ I レギュラー・フィット I

258 g (9.1 oz) メンズ・クアンダリー・パンツ

¥12,960(税込) I 55181 I 28-40の偶数サイズと31, 33, 35 I スリム・フィット I 284 g (10 oz)


日陰を身に着ける どちらの紫外線もシャットアウト。 春を告げる最初の日差しをたっぷりと浴びたい誘惑にはかられるものの、素肌の

UPF は15 から 50 まであり、数値が高ければ高いほどプロテクション効果が

大部分が何か月も日の目を見ていないことはお忘れなく。そして防ぐべき紫外線

大きいことを意味しています。UPF 50 とはその生地が 50 分の 1、つまりわず

には 2 種類あることにもご留意ください。UVB(紫外線 B 波)は肌の表面に影

か 2%の紫外線しか通さないということです。ロングスリーブ・サン・ストレッ

響を及ぼして日焼けを起こし、波長の長い UVA(紫外線 A 波)は肌の奥まで到

チ・シャツの UPF 30 は日差しを防ぐ超軽量なナイロンとポリエステルの繊維に

達して早期老化や皮膚ガンの原因となり得ます。UPF(紫外線防止指数)を備え

より、またサンシェード・フーディとロングスリーブ・ソル・パトロール・シャツ

たウェアは、ほとんどのサンスクリーンや衣類とは異なり、UVB と UVA の両方

の UPF 50+ はポリエステル 100%(サンシェードはリサイクル・ポリエステル

から肌を守ります。

60%を含むダブルニット、ソル・パトロールはリサイクル・ポリエステル 45%

サンスクリーンではおなじみの SPF(日焼け防止指数)は、ロブスターのように 真っ赤になることなく UVB にどれだけ長い時間さらされることができるかを測

を含むリップストップ)素材の構造により実現。どの製品も軽量で速乾性を備え、 暑い天候下で涼しい着心地を提供します。

定するものです(少なくともそのはずですが、最近の「コンシューマー・レポート」

動き回って汗をかくときも、ハンモックで寝るときも、UPF のウェアを着ること

によると、SPF の評価の約半分が誤解を招くものであると報告されています) 。

には利点があり、しかも化学薬品入りのサンスクリーンのように海や川を汚染し

しかし SPF の最高値ですら、UVA に対するプロテクションは保証されていませ

たり、ベタついたり、ココナツ香料の匂いまみれになることもありません。

ん。シンプルなコットン製シャツは、乾いている状態ではかなりの UVB プロテ クションを発揮しますが、濡れると 20%またはそれ以上の UVB と UVA が肌 に到達してしまう可能性があります。

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150 マイル・キャニオンとトウィープのあいだのどこかで汲み上げた飲料水を慎重に置くケヴィン・ フェダルコ。この区間は遺跡とオオツノヒツジの糞で満ち満ちている。 Peter McBride

メンズ・ロングスリーブ・サン・ストレッチ・シャツ

メンズ・サンシェード・テクニカル・フーディ

ウィメンズ・ロングスリーブ・ソル・パトロール・シャツ

ウィメンズ・サンシェード・フーディ

¥14,580(税込) I 52197 I XS-3XL I

¥10,800(税込) I 52658 I XS-3XL I

¥12,960(税込) I 84262 I XS-XL I レギュラー・フィット I

¥10,800(税込) I 52661 I XS-XL I

リラックス・フィット I 198 g (7 oz)

リラックス・フィット I 224 g (7.9 oz)

167 g (5.9 oz)

レギュラー・フィット I 187 g (6.6 oz)






文 by ディラン・トミネ l 写真 by ベン・ムーン

アーティフィッシャル 絶滅への道は、善意で敷き詰められている。 キッチンテーブルの上には請求書とピザの空箱が、ほぼ同じ速さで積み重なっていった。 羽や獣毛、その他のフライ製作用の材料がアパート中に舞い、あらゆる平面を覆ってい た。ウェーダーから滴り落ちる水で、濡れてシミだらけになったカーペットの上を歩くに は室内履きが必要で、留守番電話のメッセージ灯は点滅しっぱなしだった。1990 年代、 僕はずっと食べて、飲んで、そして春のスカイコミッシュ・リバーの野生のスチールヘッ ドのシーズンにどっぷりと浸って、暮らした。それ以外のことはどうでもよかった。 そんな日々も、いまとなってはまるで夢のようだ。シ

新たに発見した事実は、かなり衝撃的だった。多くの

アトルの自宅から1時間もかからないところにいた、大

場合、養殖魚の放流は捕獲可能な魚の数を増やすどこ

きく美しい野生のスチールヘッド。ほぼ毎年、3 月と 4

ろか、減らす。さらに養殖魚の存在は、野生の従兄弟

月の少なくとも 40 〜 50 日はスカイコミッシュで過ごし

分にライフサイクルのあらゆる段階で多大な被害を与

た。裸だったアカクキミズキの茎が新緑の芽を吹きは

える。稚魚期には餌と隠れ場所の競争を激化させ、養

じめ、頭上では雁が北へと飛んでいき、土砂降りの雨

殖スモルトの大量放流により、捕食現象は異常に高く

の中に純粋な陽の光が差し込む、魔法のように魅惑的

なり、産卵場所では養殖魚と野生魚の異種交配が発

な時期。もちろん、そこには半透明の青緑の水を泳ぐ

生する。異種交配の魚の生存率は 1世代目だけで 50

銀色の魚がいたが、当時の僕はまったく気づいていな

パーセントも減少する。

かった。それがここでスチールヘッドを釣ることのでき る最後の日々だったということを。野生のスチールヘッ ドは数十年にわたって急降下をつづけ、歴史的な生息 数の 3 パーセント以下に減少していた。

納税者や電気消費者にとっては、機能しないばかり か、そもそもの意図とはまったく逆の結果を生み出す 孵化場運営に数十億ドルが費やされるという、経済的 悪夢となっている。コロンビア・リバーでは、ダムによ

2001年、ワシントン州はわずかに残った野生のス

る「安い」発電事業の環境影響を埋め合わせるミティ

チールヘッドの保護を試みて、春の釣りシーズンを中止

ゲーションプランに180 億ドル以上が費やされた。さ

した。僕は打ちのめされ、それ以上に当惑した。僕の

らにワシントン州のある孵化場では、捕獲されたスプ

生活はこの魚とこの川を中心にまわっていた。毎日何

リング・チヌークサーモンの成魚1 匹につき 68,031

時間も、僕はいったい何をすればいいのか。いったい

ドル(!)が納税者の負担となっていた事実を、僕は発

何が起きたのか。そして何よりも、どうしてこんなこと

見した。

になったのか。生息環境は健全だった。釣られる魚も 最小限だったし、川にはダムもない。スカイコミッシュ の野生のスチールヘッドの消失原因として僕がただひ とつ思い当たるのは、孵化場だった。

それでも孵化場 依存症はつづく。古参の釣り人は 嘆くだろう。失敗にさらに金をつぎ込むいい例だと。 2011年にエルワ・ダムの解体がはじまると、連邦政府 は野生のサーモンの自然繁殖を促す代わりに、1,600

僕はぽっかり空いてしまった時間を埋めるため、孵

万ドルを費やして新たな孵化場を建設した。今日、史

化場の研究に没頭した。それまでは孵化場は良いも

上最も重要な意味を成すダム撤去を前に、クラマス・

のだと思い込んでいた。川に多くの魚が放流されれば、

リバーではアイアン・ゲート孵化場を再構成して、運

より多くの魚が釣れる。そうだろう? ところが、僕が

営を継続する計画が持ち上がっている。 〈ネイティブ・

前の見開き:ゴミを入れ、ゴミを出す。毎年サンフランシスコ湾に放流される、孵化場で飼育された何百万匹ものサーモン。左:連邦政府が 3 億 2,500 万ドルの復元プロジェクトの一部としてワシントン州のエルワ・リバーのエルワ・ダムとグラインズ・キャニオン・ダムを撤去したのち、 グラインズ跡地の上流では、約 1 世紀ぶりにはじめてサーモンとスチールヘッドの産卵が確認されたが、同川岸にはさらに 1,600 万ドルを かけた孵化場も建設された。

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フィッシュ・ソサエティ〉のジェイク・クロフォードは、カリフォルニ

制限に流れ出ていた。州がこれらのサーモン養殖場を許可するばか

ア州魚類野生生物局にこう問いただした。 「アイアン・ゲート孵化場

りか奨励さえしていたのは常軌を逸した行為であり、多勢に影響す

がダム建設の環境影響緩和策として建てられたのなら、ダムの撤去

る野生魚やきれいな水という公共資源の損失よりも、ほんの少数へ

後はいったい何を緩和するのだ?」と。

の利益を優先していたなど言語道断だ。

遡って 1997 年のある日、僕はスカイコミッシュで 5 キロ以上も

囲い網を使用するサーモン養殖産業も、孵化場と同じく、人間が

ある巨大なアトランティックサーモンを釣り上げた。それは、ピュー

生み出した問題に対処する技術的な解決策の逆効果を示す一例だ。

ジェット湾のサーモン養殖場の囲い網から泳ぎ出た魚だった。明ら かに同系交配の養殖魚で、ヒレはすり減り、目は濁り、肌は光沢を 失っていた。岸までラインを引いても、ほとんど抵抗もしなかった。 そのときは深く考えなかったが、のちの猛勉強で、囲い網は寄生虫 や病気を増大させ、それらは回遊中の野生魚にたやすく伝染しかね ないことを知った。また、狭苦しい場所で無数の魚を生かしておく ために使われる大量の抗生物質や化学殺虫剤は、公共用水域に無

映画『アーティフィッシャル』には、スカイコミッシュが閉鎖されて 以来、僕たちが何年もかけて学んだことが記録されている。孵化場 や囲い網を使うサーモン養殖場が野生魚や流域に与える打撃、さら にそれらに依存する人たちへの影響を取り上げている。しかし実際 には人間の傲慢によって生まれる生態学上、および財政上の損失の 物語であり、人間が母なる自然をあざむくことができると思い込む とどうなるかを示している。

上:スネーク・リバー下流のダムの影響を緩和する目的で、ボンネビル電力局の出資で建てられたソートゥース魚類孵化場の年次目標は、約 170 万匹のスチールヘッドと 200 万匹のチヌークサーモンの稚魚をアイダホ州のサーモン・リバーに放流すること。孵化場が見込む魚の回帰率は 1 パーセントである。右:2017 年 9 月 16 日、カヤック、 カヌー、フィッシングボート、パドルボード、ローボート、セールボート、クルーザー、そして 1 頭の巨大なオルカ風船がワシントン州のベインブリッジ島に集結し、 ピュージェット湾でのアトランティックサーモンの囲い網養殖に反対する「私たちの湾、私たちのサーモン」キャンペーンを行った。

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だがそこには希望も存在する。科学者や経済学者の話に耳を傾

大いに役立つに違いない。そうした投資の見返りは、野生のサーモ

けて、孵化場の補充を中止した場所での魚の回復は、注目に値する。

ン、野生のスチールヘッド、野生のトラウトの持続可能な生息数だ。

たとえばモンタナでは、州全域の河川で孵化場が閉鎖されたわずか 4 年後、野生のトラウトの生息個体数が1,000 パーセント、生物体 量が 800 パーセント増加していることを、科学者が発見した。マウ ント・セントヘレンズの噴火によってトゥートル・リバーが壊滅的な 被害を受け、州が孵化場の運営を中止してから7 年後、トゥートル ではコロンビア下流域のどの支流よりもたくさんの、冬の野生のス チールヘッドが産卵している。 あとは、母なる自然がみずからを癒す。僕たちにできるのはその

毎年 3 月のはじめになると、僕は雨に濡れたハンの木の甘い香 りをかぎ、早春の暖かい風を顔に受けながら、胸にこみ上げる悲し みを感じる。18 回の春が過ぎ、スカイコミッシュでの春のスチール ヘッド釣りは閉ざされたままだ。僕はいまでもそこで過ごした日々や、 海から戻ってきたばかりの野生のスチールヘッドや、冷たい水の中で 魚を探す夢を見る。でもいま、僕には過去だけでなく、未来への夢 がある。野生魚が戻ってくる未来という夢が。それは実現可能だと、 僕は信じている。

邪魔をしないこと。この教訓を学び、手遅れになる前に適用するの だ。孵化場での魚の生産に無駄なお金を使う代わりに、生息地の 改善に投資するのはどうだろう。毎年孵化場に費やす何十億ドルも の資金は、排水溝の撤去、河口域の復元、産卵場所の保護などに、

ディラン・トミネはパタゴニアのフライフィッシング・アンバサダー。作家でも ある彼は、2 人の子供(スカイラとウェストン)とその 4 つ足の妹(ハロ)と ともに、ワシントン州で釣りをしながら暮らす。

「ボーンズ」ことジョシュ・マーフィーが監督し、パタゴニア・フィルムが提供するドキュメンタリー映画『アーティフィッシャル』は、魚の孵化場 と囲い網養殖場に依存するという人間の過ちがもたらした、汚染と病気と廃棄物の 150 年の歴史を探求する。2019 年初夏パタゴニア直営店 他にて公開予定。詳細は patagonia.jp/artifishal をご覧ください。



文 by ヒラリー・ハッチェソン l 写真 by ジェレマイア・ワット

転覆に備えた 完璧な艤装 もし「原生景勝河川法」がなかったら、フラットヘッド・リバーの アッパー・ミドルフォークがどうなっていたかについて、 ヒラリー・ハッチェソンが省察する。 モンタナのグレート・ベア原生地域を流れるアッパー・ミドルフォークをラフトで下りは じめた 20 年前、私は川の歴史的な重要性についてはとくに考えてもいなかった。いち ばんの関心はラフトを「転覆に備えて完璧に艤装する」ことであり、万一ひっくり返って も、5日分のギアが急流で揉みくちゃにされてエディに漂い、まるでガレージセールのよ うな状態にならないよう、カムストラップ、カラビナ、ギアネット、ロープをやたらめっ たらに取り付けた。艤装しそこねてギアや食料が流されようものなら、山奥の深いとこ ろでは補給という選択肢はなく、大惨事になりかねない。当時は、この川が私のその後 の人生に与える影響も、私を導く力となるということも、考えていなかった。ギアを安全 に装備し、急流でボートを転覆させないことだけに、全力で取り組んでいた。 でもその後 20 年以上もリバーガイドをつづけるうち

ミューリーは連邦議会を先導し、 「極めて顕著な自然

に、川の運命の重大さを感じるようになった。そして

的、文化的、行楽的価値を有する特定の河川を、現在

もしフラットヘッドのアッパー・ミドルフォークに計画通

と未来の世代のために、自然に流れる状態のままで保

りダムが建設されていたら、いったいどうなっていたか、

護する」目的で、 「国定原生景勝河川システム」を発足

もっとよく理解しようとしはじめた。

した。それぞれの川の指定区域は、川の状態、川とそ

フラットヘッド・リバー流域は在来種のマスの最後の 砦であり、多様な水陸生態系の生物のいる全米有数の 水系でもある。冷たい水が流れる手つかずの清浄な生 息地があり、生物多様性の進化の遺産を象徴する在来 魚を釣ることのできる、数少ない国内最後の川のひと つである。 米国地質調査所の北ロッキー山脈科学センターで水 生生態学研究者を務めるクリント・ムルフェルド博士 は、フラットヘッドを「ラスト・オブ・ザ・ベスト」と呼 ぶ。原始のままつながっている生息環境と多様な水生 生物、そして著しく健全な生態系は、川が守られた回 廊地帯になっているからだと言う。1968 年、ジョン・ クレイグヘッドとフランク・クレイグヘッド、オラウス・

の周辺の開発度、アクセスのしやすさにもとづき、 「原 生」「景勝」「行楽」に分類および管理される。現在全 米 40 州とプエルトリコには 209 河川の指定区域(総 計 20,400 キロメートル以上)がある。だがこれは国 内の全河川の 0.25 パーセント少々にしか当たらない。 私はつい先日、アッパー・ミドルフォークに 15 人の グループをフィッシングボートで連れていき、キャンプ とラフティングをして 5 日間を過ごした。それは非営利 の河川擁護団体〈アメリカン・リバーズ〉が募ったアド ベンチャーで、1970 年代に恐るべき速さでダム建設 が進められたとき、アメリカの川の代弁者として創設さ れた団体だ。毎日朝食後にキャンプをたたむと、私は 仲間のガイド、アンドリュー・ポラードとエリック・ロ

フラットヘッド・リバーのミドルフォークの急流のセクションを操舵する著者。モンタナ州

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冷たい水が流れる手つかずの清浄な生息地があり、 生物多様性の進化の遺産を象徴する在来魚を釣ること のできる、数少ない国内最後の川のひとつである。

ウとともに、転覆に備えてボートを完璧に艤装することに集中して

占める。これらの支流はグレイシャー国立公園、ボブ・マーシャル

いた。だが今回は、ボートの漕ぎ手としての技術をもって、かつて

原生地域、グレート・ベア原生地域を流れ、ハングリー・ホース近

川がダムという弾丸を逃れたことの文化的、環境的、行楽的、経

くで合流して、コロンビア・リバーに流れ込む主要な源流でもある

済的重要性に関する詳細な講義にも参加した。フラットヘッド国有

フラットヘッド・リバーの本流を形成する。

林の原生景勝河川プログラム・マネージャーであるコルター・ペン スは大きな地図を広げて、1950 年代後半に大規模なダム建設が 提案された場所について説明した。もしダムが完成していれば、フ ラットヘッドのアッパー・ミドルフォークの大半は水没し、アドレナ リンを湧かせるホワイトウォーターも多数の保護種を含む自生植物 や野生生物も一掃されていただろう。20 年のあいだにすっかり慣 れ親しんだこのホワイトウォーターの渓谷が存在しなかったら……。 その考えが私の心を深く突いた。 ひとつの川を「原生景勝」に指定するには約 10 年かかる。 「まず は人を集めて、この特別な保護を受けるための集中的かつ広範な 支持基盤を備えた運動を起こすことからはじめる」と、 〈アメリカ ン・リバーズ〉の北ロッキー山脈支部ディレクターのスコット・ボッ セは言う。 「議会に法案を提出し、通過したら河川管理計画を作成 するのだが、それには相当な時間と努力が必要となる」 フラットヘッドでは、ミドルフォークの現在最も保護されている 区間にダム建設が計画された当時、クレイグヘッド両氏が建設阻止 のための懸命な努力をはじめ、それは全米初の根気強い運動となっ た。つまり、フラットヘッド・リバーは「原生景勝」の地位を享受し ているだけでなく、法令の誕生地でもある。

フラットヘッドの「原生」指定域となっている約 160 キロメート ルは、自然のままでダムも汚染もなく、アクセスはトレイルのみ。 「景勝」指定域の約 65 キロメートルは、未開発でダムもなく、限 定された場所だけにつづく道路がある。 「行楽」指定域の約 130 キ ロメートルは、道路や鉄道で容易に入ることができ、川沿いの住 宅を含めさまざまに開発され、また近くには公共施設が整った地方 自治体、病院、観光名所、ホテル、グレイシャー公園国際空港も ある。 フラットヘッドは全米屈指の手つかずの河川系と認識されている ものの、2017 年には〈アメリカン・リバーズ〉による「アメリカで最 も危機にさらされている川」のリストに入った。同団体が理由に挙 げているのは気候変動の影響と、ノースダコタ州から太平洋岸北西 部の製油所へ揮発性の原油を輸送する貨物列車が、ミドルフォーク 沿いの線路を走っていることだ。 私はこうした川から喜びと力と安らぎを得ることができる。私に できるせめてものことは、川が直面する脅威に立ち向かう一助とな ることだ。水没した谷を眺めながら昔の様子を語る老人の話を聞く のではなく、下流へと勢いよく流れるホワイトウォーターと魚の宝 庫を見つめることができる現実を、心からありがたく思う。重要な

フラットヘッドの正 式な「原 生 景勝」指 定は 1976 年に成 立し

のは何が失われたかではなく、何が救われたかだ。 「原生景勝河川

た。 指 定 区 間は、 カナダ 国 境 下 流 のノースフォークからミドル

法」による保護のおかげで、私は転覆に備えた完璧な艤装に集中

フォークとの合流点、ミドルフォークの源流からサウスフォークとの

することができる。

合流点、そしてサウスフォークの源流からハングリー・ホース貯水 池まで。モンタナ州内で「原生景勝」に指定されている川の長さの 総計は約 625 キロメートルで、それは州全体のわずか 0.2 パーセ ントでしかなく、その半分以上はフラットヘッドのこの 3 つの支流が

ミドルフォークのどこかでキャスティング中。

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ヒラリー・ハッチェソンはモンタナ州コロンビア・フォールズ出身の、 パタゴニアのフライフィッシング・アンバサダー。


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購入されるべき 最後のブーツ ステッチダウン製法により、年月を経て 摩耗してもソール交換と補修が可能な 新製品フット・トラクター・ ウェーディング・ブーツは、パタゴニア の製造史上最高のブーツです。 私たちがウェーディング用ブーツのデザインを根底から立て直 すことに乗り出したときの、目標ははっきりとしていました。そ れは水面下のあらゆる地形はもちろん、泥だらけのトレイルや 倒木の上を歩いて川を渡るときなどに信頼できるグリップ力を 提供すること、水辺での長い日々で足を快適にサポートするこ と、余分な水を溜めずにすばやい排水効果を発揮すること、そ のうえ何十年も長持ちするものであるべきこと。自他ともに認 めるほど困難なこの標準の数々を達成するため、フライフィッ シングに関する私たちの専門知識に、ダナー社が誇る品質と 職人技の伝統を組み合わせました。 この緊密な協働を通して洗練されたのが、最も過酷なウェー ディングにも非常に頑丈なサポート力とプロテクションを提供 する、新製品フット・トラクター・ウェーディング・ブーツです。 オレゴン州ポートランドで手作業で製造され、可能なかぎり耐 久性と機能性に最も優れたこのウェーディング用ブーツは、フ ライフィッシング業界ではすでに複数の受賞歴により、その功 績が認められています。さらに用途の幅を広げるため、アルミ ニウム・バー、ビブラム・アイドログリップ、フェルトのソール をご用意。アングラーが特定のニーズに合わせて最も効果的な 滑り止め効果を選べるようになっています。

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フット・トラクター・ ウェーディング・ブーツの詳細 防水性フルグレイン・レザーは海水で使用しても劣化 しにくいよう、PFC(過フッ素化合物)不使用の生理 食塩水によるなめし加工が施されたもので、必要に 応じて修復が可能 頑丈な1,000 デニール・ナイロンのパネルは、優れた 耐摩耗性を提供 調節可能なレーシング・システムは、足の甲部分に 伝統的なアイレットを備え、足首から上はスピード レーシングのデザイン。靴ひもをすばやく容易に 引き締めることができるので、足首をサポートして かかとの固定に貢献 アッパーは 5 ミリ厚ラバーのミッドソールに縫い付け られたことにより、足裏に安定感を提供。ミッドソール 2 番目の下層部は耐水性ポリエーテル・ポリウレタン製 で、快適さとサポート力を向上 ブーツのアッパーの両脇に施した水抜き穴は、すばやい 排水効果を発揮。速乾性を向上させるためにアッパーは 不要なフォームや裏打ちのないデザイン ステッチダウン製法は、プラットフォームに幅を加えて 安定感を高めるとともにブーツ側面の保護にも貢献し、 ダナー社によりソールの交換が可能 ビブラム・アイドログリップのソールのコンパウンドは、 濡れた面で最大限にグリップ力を発揮するよう特別に 開発。長いアプローチでも、岩や砂利や泥が混在する 川床でも、足場をしっかりと確保する万能型のソール ぬかるみを通過するのに十分な硬さと、岩の表面に 沿って食い込むのに十分な柔らかさを兼ね備えた アルミニウム・バー

フット・トラクター・ウェーディング・ブーツ(アルミニウム・バー) ¥75,600(税込) I 79320 I 5-14 I 2,461 g (86.8 oz) スティッキー・ラバーおよびフェルトのソールは ウェブサイトでご覧ください

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パジャマとしても使用可能 お泊りも含め、何をするにも万全で快適なウェーダー。 カムチャツカのサヴァン川周辺は、何キロメートルにもわたって何もない。町も、

ほどの高さにからみ合った草、川岸の玉砂利などを抜けるときも、ミドルフォー

道路も、家もなく、そこにいるのは魚と熊だけ。実際、おんぼろの Mi-8 ヘリコ

クとリバー・ソルトはまったく動じないだけでなく、僕がこれまで着たなかで最

プターが僕らをサヴァンの草深い川岸に降ろしたとき、プロペラのダウンウォッ

も快適なウェーディング用ギアであることが判明した。テントを立て、夕食を済

シュから、サーモンを食べて丸々と太った熊が 4 頭も逃げ去っていった。ガイド

ませ、番犬のチアがさかんに吠えながら熊の偵察を終えたあとの夜にも、僕は

として、またフライショップのオーナーとして、ロシアを含め世界中を旅してき

ウェーダーとジャケットを着たままで寝た。虫と熊の攻撃の可能性を考え、いつ

た僕は、次の客が現れるのもまもなくのことと知っていた。そしてそう思った途

どんな状況にも準備を整えておくべきだとの妄想にとらわれた僕には、ウェー

端、蚊とブユの大群が僕らを攻撃しはじめた。僕はミドルフォーク・パッカブル・

ダーをパジャマとして使うことは当然のことのように思えた。

ウェーダー、リバー・ソルト・ウェーディング・ブーツ、そしてジャケットであわて て身を包み、虫たちからの防御を固めた。その後 1 週間、僕はそれらのギアを ずっと着たままで過ごした。

その 3 週間後、僕はロシアのニジマスと気温 4 度の夏日と引き換えに、絶え間 なく暑い風が吹くタヒチのアナー環礁でボーンフォッシュとジャイアント・トレ バリーを追うことを手に入れた。ロシアのツンドラと灼けつくような環礁の浅瀬

僕らは自然のままの生態系を流れる、マスでいっぱいの川を下りながらの釣りを

ほど対称的な場面はないかもしれないが、ただひとつだけ変わらないのは、リ

期待していたが、ロシアでは予期せぬことが起こることを予期しておくのが最善

バー・ソルト・ウェーディング・ブーツだった。

だ。結局は、川の水量不足により約 60 キロメートルの行程のほとんどを水や 藪をかき分けながら歩く、という展開に見舞われた。イバラの茂み、不可能な

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デーヴ・マッコイ パタゴニア・フライフィッシング・アンバサダー

カムチャツカのサヴァン川でいつも食らいつくことが期待できるものは、数匹のマスと……数百匹の蚊。 Andrew Burr


ミドルフォーク・ パッカブル・ウェーダーの詳細 フル機能を備えながらも、重さはわずか740 グラム 容易にスタッフサック(20cm×33cm)に収納可能 軽量ながら頑丈な防水性/透湿性シェル素材 ビブを下ろせるサスペンション・システム 動きやすさを高めるまち付きの股 丈夫なシングルシーム構造 補強済みのグラベルガード付き 縫い目のない接合済みのブーティ ミドルフォーク・パッカブル・ウェーダー ¥46,440(税込) I 82330 I S-XL I レギュラー・フィット I 740 g (26.1 oz) ショートはウェブサイトでご覧ください

リバー・ソルト・ ウェーディング・ブーツの詳細 防水性フルグレイン・レザー 頑丈な1,000 デニール・ナイロンのパネル 調節可能なスピードレーシング・システム すばやい排水効果を発揮する水抜き穴 成形バイフィット・ボードのミッドソールを 採用し、快適さと安定感と軽量化を実現 ステッチダウン製法はプラットフォームに 幅を加え、ダナー社によりソールの交換が可能 リバー・ソルト・ウェーディング・ブーツ ¥61,560(税込) I 79310 I 5-14 I 1,593 g (56.2 oz)



パタゴニア・ブックス

いくつかの物語 ビジネスとスポーツの接線からの教訓 『Some Stories: Lessons from the Edge of Business and Sport』は、過去に出版されたエッセイや未発表のエッセイ、個人 的な書簡、詩、賛辞、何気ないスナップショットなどを集めた文章 や写真のコレクションで、みずからの行動の理由を発見したダート バッグの叛逆児の現在進行形の教育を形あるものに記録しています。 若き日のイヴォン・シュイナードが戦後の同調主義に抱いた不満は、 彼を冒険の探求へ、そして少なくとも 3 つのスポーツ(最も注目に値 すべきはビッグウォール・クライミング)における「黄金時代」へと 導きました。やがて家族をもった彼は、こともあろうにビジネスマン となってしまいました。最近では母星地球を救うことを改めてパタゴ ニアの誓約とし、その理由は「火星には住みたくないから」だと述べ ています。 『Some Stories』は野生地や素晴らしい友人たち、さら には議論や不条理を経て、彼がなぜ引退しないかが明らかになる旅 でもあります。 「何かを賞賛して長くつづければ、それを愛するよう になる。そして何かを愛するようになるといつでも、それをいつくし んで守りたいとも思うようになるんだ」と、シュイナードは語ります。 Some Stories: Lessons from the Edge of Business and Sport ハードカバー I 日本語版2019年発売予定

ノース・アメリカ・ウォールの「グレート・ルーフ」の下でユマーリングをしながら、 本領を発揮中の我らが創業者。ヨセミテ Tom Frost

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文 by リズ・カーライル l 写真 by エイミー・カムラー

地面の下に 着目する農業 環境再生型有機農業の可能性 「地面の上に着目して育てるように教え込まれるのが問題なんだ」と、丈の低い植物(そ れがレンズ豆であることを私はあとで知る)が並ぶ畑へ導きながら、デイヴィッド・オイ エンが言う。私は地面の上に着目しない方法とはどんな方法かと考えをめぐらせる。上 でないとしたら外? するとデイヴが「あっ、根粒!」と声を上げる。びっくりして顔を上 げると、彼はレンズ豆の根の先に付いた赤っぽい球根状の房を指差している。鋤で土か らレンズ豆を 1 株切り取った。デイヴは満面の笑みを浮かべ、根粒菌というバクテリア が空気中の窒素を吸収し、植物の根で仕事をはじめると根粒ができるのだと説明してく れる。この窒素固定は歴史上の奇跡的な協調のひとつであり、根粒がみずからレンズ豆 に肥料を与えるのだと彼は言う。 私はカリフォルニア大学バークレー校で地理学を専

点を絞る農法は、デイヴの農場の土壌の肥沃度を徐々

攻する大学院生だが、より持続可能な農業の方法を学

に、根から穂へと移動させた。麦は農場を出て、やが

ぶため、出身地のモンタナ州に戻り、そしてここ〈タイ

て州外へ売られていった。短期的な生産量は良好だっ

ムレス・シーズ〉を訪れた。同社は農家が経営するレン

たが、土壌肥沃度が低下すると収益も減った。デイヴ

ズ豆生産会社で、土壌の健康を持続することで化学薬

は 1976 年に家族の農場に戻ってくると、すべての農

品を使わずに食物を栽培する、環境再生型有機農業

場運営を再構築し、土壌の健康に焦点を当てた。これ

の拡大を使命としている。この調査は私にとって個人

が、彼の意味する「地面の下に着目する農業」だった。

的なものだった。私の祖母はかつて「ダストボウル」で 家族経営の農場を失い、私は束の間のカントリーシン ガーとしてアメリカの田舎を巡業したのち、主流のアグ リビジネス(農業関連産業)に対する信頼を失くしたば かりだった。陳腐に聞こえるかもしれないが、私は環 境再生型有機農業が生命の鍵であるという強い予感を 抱いていた。 地面の下を意識する農業の意味を聞こうとしたちょ

土壌に着目する農業はとくに目新しいものではない。 いまから 1 世紀前、アメリカ人農学科学者 F.H. キング はアジアへの調査 旅 行で、中国と日本では数千年に わたって土壌に腐葉土や緑肥を使ってきたことを学ん だ。その数十年後、農業指導者としてインドに駐在し たイギリス人植物学者アルバート・ハワード卿も、これ とほぼ同じことを知った。ハワードが指導するはずだっ た農民は、逆に堆肥の素晴らしさを彼に教える結果と

うどそのとき、デイヴがみずからそれに答えた。モンタ

なった。イギリスに戻ったハワードはこの「インド式」

ナの大半の農場と同じように、彼が育った地方は一次

堆肥農法を伝え、これはアメリカとヨーロッパの初期

産品の小麦と大麦という 2 つの作物の生産量を最大に

の有機栽培農家にひらめきを与えた。

すべく調整されていた。小麦と大麦の年間生産量に焦

前の見開き:レンズ豆の根粒の検査をする、モンタナを拠点とする〈タイムレス・シーズ〉のジョセフ・キビウォットとジム・バーングローバー。 根粒は窒素の固定を示すもので、植物の成長を助けて土壌を肥やす。左:ニック・メムキーの畑でレンズ豆を観察する〈タイムレス・シーズ〉 の共同創業者デイヴ・オイエン。ニックの農場は「ビッグスカイ・カントリー」ことモンタナで〈タイムレス〉が支援する、十数の家族経営 オーガニック農場のひとつ。

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環境再生型有機農業 第二次世界大戦の戦略および兵站術の天才として知られるドワイト・アイ

そしていま、これまでの有機栽培に土壌の健康を回復させる環境再生型

ゼンハワーは、 「問題が解決できないときは、その問題を膨らませてみる。

農業慣行を加えて、その基準をさらに高めるときがやって来ています。環

小さくしようとすると決して解決できないが、十分に膨らませると解決策の

境再生型農業は農地に自己永続的生物系を作り出し、有機肥料や灌漑用

輪郭が見えてくる」と言いました。

水の必要性を削減するうえ、炭素隔離の可能性を最大限に高めます。この

環境再生型有機農業は、地球の温暖化、淡水の喪失と汚染、表土の喪 失と劣化、工場型農業、農村の慢性的貧困、今世紀末までに110 億に達 する世界人口を養う食物の必要性といった、想像を絶する解決不可能な問 題に取りかかり、その解決策の糸口を見つけて生み出すことをはじめたと ころです。 この 50 年、有機栽培を実践する農業は人間から自然への数少ないお返 しのひとつとなってきました。化学物質を土壌に入れないことで栄養価の 高い美味しい食物ができ、川に流出して淡水や海水の酸欠域の原因となる 合成窒素肥料も不要にします。また有機農業は空気を汚染して肺に障害を 与える農薬散布用飛行機を必要とせず、猛禽類やハチやオオカバマダラを 殺傷することもありません。有機肥料の使用は土壌の健康を改善し(微生 物バイオマスの健康を促進して栄養循環を加速させる堆肥も同様)、病気 を抑え、根の成長を助け、気候変動の原因となる炭素を吸収して土中に戻 します。

ような理由からパタゴニアは、リジェネレイティブ・オーガニック・サーティ フィケーション(ROC)を支持しています。問題の全体を見なければ私たち が必要とする農業に到達することはできない、と認識したからです。ROC は根本的な原因に対処するため、土壌はもちろん、農業労働者とその共同 体の適正賃金と経済的安定に対する権利、そして家畜の尊厳と自然な生活 を守る動物福祉という 3 段階で再生型を実践します。 有機栽培を越える農業慣行の必要性を感じているのはパタゴニアだけで はありません。この事業の重要なパートナーである〈ロデール・インスティ テュート〉と〈ドクターブロナー〉とともに、私たちは多くのことを学んでい きます。私たちの次なるステップは、この総体的な環境再生型基準を食物 と繊維に導入して拡大することで、すでにインドではコットン農家たちと協 働で取り組みはじめています。またパタゴニア プロビジョンズで販売して いるオーガニック・グリーン・レンティル・スープには、 〈タイムレス・シーズ〉 の環境再生型有機レンズ豆を使用しています。

パタゴニアが支援するサーティフィケーションの 3 本柱

土壌の健康

動物福祉

社会的公平性

土壌有機物の育成

牧草と放牧による飼育

公正かつ安全な労働環境

耕うんを控えるまたは行わない

輸送の制限

強制労働の撲滅

被覆作物

大規模畜産経営(CAFO)を採用しない

生活賃金の確保

輪作

適切な畜舎の設置

農家への公正な報酬

GMO(遺伝子組み換え作物)や ゲノム編集を使用しない

5 つの自由

民主的な組織づくり

無土壌栽培を採用しない 合成物質を投入しない 生物多様性の促進 輪換放牧

不快感からの自由

連合の自由

恐怖と苦悩からの自由

長期的な関与

飢餓からの自由

改善の継続

苦痛や負傷や病気からの自由

透明性と説明責任

自然に行動するための自由


ハワードは 広く影 響 を 及 ぼした 2 冊 の 著 書 で、 彼 が 名づけ た

相談員はその使用を農家に奨励したため、1960 ~1970 年代には、

「ロー・オブ・リターン(返還の法則)」について説明している。それ

ハワードの返還の法則はアメリカの科学者にも農家にもすっかり忘

は、農業を持続させるためには、土壌から取り除かれたすべての栄

れ去られてしまった。毎シーズン土壌からは単一栽培の穀物が収穫

養素が何らかの方法で土壌に返還されなければならない、というも

されたが、土壌には化学肥料以外何も返還されなかった。この農法

のだ。ところが、キングとハワードが持続的農業の古来の秘訣を学

は土壌の自然な肥沃度を激減させ、農家は化石燃料ベースの肥料の

ぶ一方、農芸化学者は合成窒素肥料という異なる方法を洗練させて

購入量を増加しつづけなければならない悪循環に追い込まれた。破

いた。窒素は植物の成長における典型的な制限要因であるため、わ

産と気候変動に直面し、デイヴのような有機栽培農家の先駆者たち

ざわざ面倒な堆肥を使う代わりに土壌を化学的に改善すればよい、

は、化学薬品の使用中止こそが農家が生き延びる唯一の方法だと決

というのが彼らの考えだった。

断した。

化石燃料で製造された窒素は、アメリカとヨーロッパの工業型農

極端な干ばつが頻繁に発生する昨今、気候変動の対策として土壌

業の台頭と合致した。さらに第二次世界大戦後、戦時中の化学薬

の健康に注目しているのは有機栽培農家だけではない。被覆作物へ

品工場に民間を対象とする役割が必要になると、合成窒素の製造

の関心や環境再生型放牧はモンタナ州全域に拡大し、またレンズ豆

はますます繁栄した。小麦やトウモロコシなどの主要生産物の種子

の作付面積も、デイヴが 1987 年に〈タイムレス・シーズ〉を共同創

は、この化学肥料により良く反応するように開発され、政府の農業

設して以来 100 倍に増えた。農家や牧場主はまた、炭素が豊富な

〈タイムレス・シーズ〉で洗浄されたオーガニックレンズ豆を両手いっぱいにすくう、農学者のジョセフ・キビウォット。

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土壌炭素は温暖化の緩和に非常に重要な要素であり、 それはすぐに活用できる状況にある。

有機物質は土壌の健康に重要なだけでなく、別

ながら十分な収入を得るのは、容易ではなかっ

ミル」または「1000 分の 4」戦略により、人間

の価値があることを認識しはじめた。農業の新

たのだ。しかし、それだけではなかった。多くの

の活動で発生する温室効果ガス排出量の 20 〜

たな収入源となりうる炭素隔離だ。

農家は地元地域のがんの発症率を懸念し、また

35 パーセントを相殺する炭素隔離が期待できる

除草剤が家族の健康に及ぼす影響を心配した。

ことがわかっている。

土壌は地中や地球のまわりを巡回する炭素を 世界規模で貯留し、その量は大気圏に蓄えられ

私がデイヴと一緒に〈タイムレス〉の契約農家

とはいえ、私はデイヴや〈タイムレス〉の契約

る量の 3 倍に上る。土壌の炭素はすべてが地下

を訪ねた夏は、 「ダストボウル」以来最悪の干ば

農家と一緒に過ごしてみて、土壌の炭素隔離の

深層部に封じ込められているわけではなく、むし

つが穀物の栽培地域を襲った年だった。ある農

数値化にとらわれるべきではないことも実感し

ろ有機炭素の大半は土壌の上層部 1メートル以

場を見学していると、デイヴが隣接する農場の干

た。もちろんそれは環境再生型農業の重要な一

内にあり、土壌管理の影響を直接受ける。工業

からびた大麦を見せ、おそらくすべてダメになる

部ではあるが、決してすべてではないことを農家

型農業慣行は大量の土壌炭素を大気中に放出す

だろうと言った。一方〈タイムレス〉の契約農家

は教えてくれた。そもそもひとつの方法で解決す

るため、管理に影響されやすい土壌炭素の性質

の大麦はやや短めだが状態は良好で、私はその

るという思考が農業を退化させた、という事実

はこれまでは厄介な問題と考えられてきた。しか

劇的な違いに驚いた。土壌の有機物質が違いの

を忘れてはならない。必要なのは異なるひとつの

し、土壌炭素は温暖化の緩和に非常に重要な要

要因だとデイヴが説明した。15 年間土壌に栄養

解決策――窒素レベルや作物収量の代替としての

素であり、それはすぐに活用できる状況にある。

素を与えてきた努力が、地中に貴重な水分が蓄え

土壌炭素隔離――ではなく、農業や食物との関わ

デイヴが 3 人の友人と〈タイムレス・シーズ〉を

られるという形で報われたのだ。私は〈タイムレ

りへのまったく異なる方法なのだ。私は冗談半分

創業した当時、彼らの目標は、化学肥料も除草 剤も使わない農業のシステムを築いて生計を立て ることだった。そして創業まもなく、この地方で 栽培される代表的な一次産品である小麦と大麦 の単一栽培だけでは暮らしを維持できないこと に気づき、これらの作物が土壌から取り除く栄養 素を土壌に戻すための輪作に目を向けた。世界

にジョン・F・ケネディの有名な言葉を言い換えて、

とにふたたびデイヴを訪ねた。 「降雨量は通常の

「自分のために土壌が何をしてくれるのかを問う

40 パーセントだった」と、紙ナプキンの裏に十

のではなく、自分は土壌のために何ができるのか

数件の契約農家の雨量計の推定値を書きながら

を問うのだ」とデイヴに言ってみた。すると「うん、

デイヴが言った。私は最悪のニュースを覚悟した

なかなかいいスローガンだ」とデイヴは答えた。

ので、 「それでもうちの契約農家は例年の約 80 パーセントの収穫があった」とデイヴが付け加え

「〈タイムレス〉では農地全体のシステムという 観点で考えている」と、見学の終わりにデイヴが

の農地を見渡すと、伝統的な農法では穀物と家

ると、思わず手からノートを落としそうになった。

畜、または穀物とマメ科植物を循環させていた。

環境再生型有機農業による気候緩和効果の利

ているとしたら、それは農業による温室効果ガ

マメ科植物はバクテリアを使ってみずから窒素を

点を受けるのは農家だけではない。この農耕方

ス排出の大部分を占める合成窒素肥料を使って

蓄える。自家製肥沃度戦略ともいえるこの特質

法は、炭素隔離を手段として気候変動の地球全

いないということだ。つまり、炭素を貯留してい

を知った〈タイムレス〉の農家たちは、有機物質

体への影響の緩和が最も期待できるものかもし

るのはもちろん、そもそも炭素の発生を抑えてい

の増加と土壌強化を促進する作物として、さっそ

れないのだ。環境再生型農業で隔離できる炭素

るということなんだ 」

くマメ科植物の栽培をはじめた。同時に収入源

の正確な量を突き止めるのは難しい。土壌の生

も必要だったため、乾燥した土地で短期間に収

態系は複雑かつ動的で、炭素の安定化および不

穫できる豆を探した。それがレンズ豆だった。

安定化の原因となる変動要素の量を測定するの

それから 25 年後、私がデイヴに出会うまでに、 農家が立ち上げたこの会社は「土からフォークへ」 の企業へと成長を遂げた。デイヴは栽培スタッフ とともに州全域を訪れ、農家にオーガニックのレ ンズ豆の栽培方法や穀物との輪作、被覆作物を 利用した土作りを教えた。収穫時になると、 〈タ イムレス〉はこれらの農家からレンズ豆を購入し、 きれいにして食品等級にし、全米の自然食品店 に卸した。当初は経済的な理由で〈タイムレス〉 を探し求めてきた農家もあった。 一次産品の穀 物の栽培に必要な高価な農薬や農機具を購入し

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ス〉の契約農家の作物が気になり、収穫期のあ

は容易ではない。たとえば、地球の気温上昇は これまで予想されてきた以上に土壌炭素の不安 定化を引き起こす可能性があると指摘する科学 者もいる。また環境再生型農業はさまざまな方

言った。 「契約農家が被覆作物を肥料として使っ

私はこれが環境再生型農業の本義だと理解し た。たんに炭素を蓄えるだけでも、壊したものを 修復するだけでもない。私たちに命を与えてくれ る土壌にお返しをする。この点において、環境再 生型有機農業は私たちにできることがまだある、 というたしかな証拠である。

法をともなうため、人間の管理による影響をひ な形として使うのはさらに注意が必要だ。そして 近年、世界17 か国の科学者によって構成される チームはこれらすべての変動性を考慮したうえで、 土壌有機物質を10 分の 4 パーセント(0.4%)増 加させる世界的な取り組みで炭素がどれだけ貯留 されるかを示す推定値を発表した。この「4 パー

リズ・カーライルがボブ・クインとともに共同執筆した 『Grain by Grain: A Quest to Revive Ancient

Wheat, Rural Jobs, and Healthy Food』は 2019 年 3 月出版予定(日本語版発売未定)。彼女は現在 スタンフォード大学で教壇に立つ。


パタゴニア プロビジョンズ

グリーン・レンティル・スープ 愛する人のお腹が空いているときは数分でも惜しいもの。だからパタゴニアのオーガニック・グリーン・

オーガニック・グリーン・レンティル・スープ

レンティル・スープが 10 分で調理できるというのは安心です。火を通せばふっくらと仕上がる有機栽培

¥734(税込) I 124 g (4.4 oz)

の緑レンズ豆と全粒ブルガー小麦と野菜に、少量のにんにくと生姜を加えた風味豊かなスープは、便利 な植物性タンパク質源。レンズ豆とブルガーは食物繊維やその他の必須栄養素が豊富で美味しいだけ でなく、土壌の健康を改善して環境再生型有機農業を支えるオーガニック被覆作物としても活躍します。 これぞ良い行いを実践する、良い食べ物です。

この他の食品は patagonia.jp/provisions でご覧ください。

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文 by ボニー・ツイ

人たちによって岩の上で育てられた彼女にとっては、それは日常的なことだっ た。それに彼女自身もクライミングに夢中だった。 数年前、その写真がインターネット上で、不思議なことに 2 度目に日の目を 見ることになったときは、さすがのリーズも驚いた。空飛ぶ赤ちゃんの画像は、 アウトドアクライミングのフォーラムや他のソーシャルメディアで一気に拡散 された。 「空飛ぶ赤ちゃん」の彼女は、ありとあらゆる馬鹿げた場面にフォト ショップで加工され、インターネット・ミームと化した。ホオジロザメの上を 舞ったり、大砲から飛び出したり、アングリーバードのスリングショットに使 われたり、宇宙をロケットのように突き進んだり。 人びとは彼女の両親の精神状態や、写真自体の信憑性を疑った。あの赤 ちゃんは投げたバックパックの替わりにフォトショップで加工されたのでは? 彼らが本当にクライミングをしていたのなら、そのギアはどこにある? 彼が 背中に担いでいるのはベビーキャリー? あの赤ちゃんがはいているのはリー ボックのハイトップ? ひどい両親だったのでは? リーズはこれらのコメント が可笑しくて仕方なかった。ただ彼女は、写真は偽物ではないということを 世間に知ってほしかった。 「これは本当で、写っているのは私です。これが私 の幼少時代でした 」 現在、リーズはカリフォルニア州ハンティントン・ビーチに住み、フルタイム の学生として法廷速記者になるための勉強をしている。じつはクライミングと 法定速記には似たような技能が必要だそうである。 「私の指にはコントロール

彼女の着地したところ ジョーダン・リーズは皆に知ってもらいたい。彼女が 生きていて、元気でいるということを。生後 6か月の 彼女がジョシュア・ツリーのタートル・ロックで家族 と一緒に写っている写真がある。フカフカの紫色の ジャンプスーツに身を包んだ赤ちゃんが、怖いぐらい 開いた岩と岩のあいだで空中を飛んでいる写真だ (この子を投げているのは彼女の両親、ジェフと シェリーである)。

とスピード、それに精密さがある」と笑いながら言う彼女のタイピング速度は 1分 200 ワードを超える。港を見下ろす自宅では、それまで使っていなかっ た天井までの高さ 5 メートルの部屋を、最近、壁 3 面のクライミングジムに 改造した。現在 60 歳になる父親の力を借りて、彼女が幼かったころに実家 のクライミングジムで使っていたホールドを再利用したものである。 リーズは 1日に何時間もクライミングをして過ごす。彼女にとって、クライ ミングはアウトドアライフの頂点にあるといっても過言ではないが、彼女と ボーイフレンドはウェイクボードにも長けている。年間 30 回ほどはスノー ボードにも行くそうだ。レイク・タホが彼らのお気に入りの場所で、リーズは そこで家族と一緒に過ごした夏を思い出す。昼まではウェイクボード、午後は ロッククライミングを楽しんだ夏を。 「いまでも父とクライミングに行きます」と語るリーズは、その彼と一緒に ビッグ・ベアから帰ってきたところだ。 「クライミングのおかげで、いい関係 を保っています。私はいつも父に憧れていました。父や彼の友人たちのよう

それはパタゴニアの1995 年春カタログに掲載された写真で、それと

にシャツを脱いで、彼らのようにクライミングをしたかった。60 歳になった

同じものはリーズ(現在 25 歳)が育った家の廊下にも飾ってある。訪れ

父がいまもこんなことができるなんて、とんでもないことです。大人になった

る人がその写真についてときどきコメントすることはあった。だが彼女

私のクライミングジム作りを手伝ってもらえるなんて。子供のころに作っても

にはとくに気になることではなかった。4 台分の駐車スペースのある自

らったようなジムを」と、彼女は笑いながらつづける。 「いつか自分の子供に

宅の巨大なガレージを父親がクライミングジムに改造し、彼やその友

も同じことをしてあげたい」

上:2018 年 12 月 18 日に撮影されたジョーダン・リーズ。ネバダ州レッドロックス Tim Davis 右:パパのところへおいで。タートル・ロックでママのシェリーに後押ししてもらうジョーダン・リーズ。カリフォルニア州ジョシュア・ツリー国立公園(1995 年) Greg Epperson

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カタログの不要な郵送 お引越しされた場合は、旧住所と新住所をお知ら せください。万一このカタログが誤配されたり、複 数お受け取りになった場合、あるいはカタログ郵 送 の 停止をご希望の 方も、フリーコール 08008887-447、ウェブサイト pat.ag/cs までご連絡 ください。

100%再生紙 本カタログは消費者から回収/リサイクルされた古 紙 100%使用の FSC®〈森林管理協議会〉認証紙 に印刷しています。このカタログの製造には 1 本た りとも新しい木を切り倒していません。いますぐ木 を抱きしめることができない人は、せめてこのカタ ログを抱きしめてあげてください。

This catalog refers to the following trademarks as used, applied for or registered in Japan: Danner®, a registered trademark of LaCrosse Footwear, Inc.; FSC®, a registered trademark of the Forest Stewardship Council, A.C.; HydraPak™, a trademark of HydraPak, Inc.; Polygiene®, a registered trademark of Polygiene AB; and Vibram®, a registered trademark of Vibram S.p.A. Patagonia® and the Patagonia and Fitz Roy Skyline® are registered trademarks of Patagonia, Inc. Other Patagonia trademarks include, but are not limited to, the following: Capilene®, Micro Puff®, Nano-Air®, Patagonia Provisions®, R1™ and Sol Patrol®. 掲載価格の有効期限:2019年 7月31日 © 2019 Patagonia, Inc.

表紙:流れるようにスムーズで、恐ろしい ほどスピードの出るジッピティ・ドゥー・ ダー・トレイル。むき出しのジェット コースターと呼ぶのがふさわしく、集中 していないライダーを放り出すのと同じ くらい簡単に、ブレーキパッドを焼き切る。 アン・ケラーとジェン・ズーナーが近く のフルータに呼び寄せられた理由は それにあり、彼女たちはそこでピザを 1 枚ずつ焼きながら、地域社会の変革を 助けている。コロラド州 Carl Zoch


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