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情 事 活 就 私の 不況の真っただ中のアメリカ。巷には失業者があふれ、就職活動を取り巻く環境は厳 しさを増している。そこで失業した日本人女性 2 人に各自の就活事情を聞くとともに、 転職成功組の女性にもその成功の秘訣について話を聞いてみた。 取材・文・写真:岩本明子、越宮照代
CASE 1
キャリアチェンジに挑戦
鎗田史子さん(38)
フォトジャーナリストの夢を実現
き始めた。当初はYMCAのサッカーチームの 写真を撮ったり、コスコ内のフォトスタジオ でポートレイトの写真を撮ったりと地味な 仕事ばかりだったが、AP通信のフォトグラ ファーだった人物の紹介で、エベレットの地 方紙「エベレット・ヘラルド」の夏のインター ンのポジションが舞い込んだ。 ここでの初仕事は、息子を殺された母親の 記者会見の模様を写真に撮ることだった。テ レビ局のレポーターたちに囲まれ緊張しなが らも、母親が涙をポロッと流し目頭を拭いた 瞬間をカメラで捉えた。その写真は次の日の 朝刊の一面に掲載された。 「報道写真がこんな に面白いなんて。はまりましたね」。 このインターンシップでポー トフォリオを作成し、2002年に フェデラルウェイ・ミラー紙に採 用が決まった。 「毎日がうそみたいでした。こ んな楽しいことをしてお金も らっていいのかなと。好きな写真 を撮って、いろんなところに行か せてもらって、その写真をみんな がまた見てくれるっていうのが、 ちょっと信じられない感じでし たね」。
人のフォトグラファーがアシスタントとして 「 子 ど も の 頃 か ら 写 真 を 撮 る の が 大 好 き 雇ってくれ、経験を積んでいったという。 だ っ た ん で す 」と い う 鎗 田 史 子 さ ん。今 年3 旅行で訪れたシアトルに一目惚れした鎗田 月に失業するまで、フェデラルウェイの地方 さんは2000年9月、前夫とともにシアトルに 紙「フェデラルウェイ・ミラー」を経て、ベル 引っ越す。フォトグラファーとしては一から ビューの地方紙「ベルビュー・レポーター」で の出直しとなったが、雑誌社などでインター 常勤のフォトジャーナリストとして活躍して ン経験を積むと同時にフリーランスとして働 きた。 鎗田さんはミシガン州のカラ マズー大学を卒業後、同州の日 系企業に就職し、ローカリゼー ションスペシャリストとして勤 務。その後、日本企業と取引のあ るアメリカ企業の営業部に転職 したが、29歳の時にフォトグ ラファーになることを決意し、 辞職した。 「今トライしないと後 で後悔すると思って」。 経験もコネもない状況で、 「当 時まだインターネットが発達 していなかったんで、イエロー ページでフォトグラファーの名 前と電話番号を見つけて電話 して『アシスタントに雇ってく ださい』とドアを叩く状態でお シアトルのコロンビアタワーで毎年開催される、消防士による階段上りレースの模様を取材中の鎗田 願いしたんです」。その結果、2 史子さん
失業を機に方向転換
2007年 に は ベ ル ビ ュ ー・レ ポーター紙に移り、フォトジャー ナリストとして忙しく働いてい たが、新聞業界にかつてないほど (10 ページに続く)