アクティベート ・ リーフ No.719
THE VIOLIN AND THE BROKEN STRING 弦の切れた バイオリン マリア・フォンテーン
世ストであるイツァーク・ 界的に有名なバイオリニ
パールマンについて、様々な ウェブサイトに掲載されている エピソードがあります。神の恵 みと力の素晴らしい原則をよく 示している話であり、私たちが この人生で神に捧げるものがな んであれ、神はそれを受けとめ て、何か美しいものを作り上げ てくださることがよく分かりま す。皆さんにもそのエピソード を紹介したいと思います。 ある晩、パールマンが満員の ホールで演奏していると、曲の 途中で鋭い音が会場に響き渡り ました。舞台で演奏中のバイオ リニストなら誰もが嫌う、弦の 切れるあの音です。 オーケストラが演奏を中断 し、パールマンの様子をうか がっている間、肌で感じられる ほどの緊張感が漂いました。し かし、パールマンは少しのあい だ手を止めると、別のバイオリ ンを取りに行く代わりに、曲を 続けるよう指揮者に合図しまし た。そして、弦が 3 本しかない バイオリンで複雑な楽曲を弾く という、大抵の人が不可能だと 言うようなことに取り掛かった のです。どうやら、弾きながら
頭の中で音の置き換えをしてい るようでした。演奏が終わると、 会場は水を打ったように静まり 返り、続いて聴衆からも他の奏 者たちからも、割れんばかりの 拍手と歓声が沸き起こったので す。 それまでも、イツァーク・パー ルマンは困難と無縁の人生を 送ってきたわけではありませ ん。幼少期にポリオ(急性灰白 髄炎)にかかり、そのせいで生 涯、歩行補助具をつけ、杖をつ いて歩かなくてはいけなかった のです。歓声を浴びる中、パー ルマンは苦労して立ち上がり、 聴衆に静まるよう合図しました。 それから、謙虚にこう言いま した。 「演奏家は、残されたも のでどれだけの音楽を奏でられ るのかを考えなくてはいけない 時があるものです。 」 このエピソードについて考え ていた時に、私たちがこの世に いるあいだ持っている数々の賜 物(神からいただいた才能)の ことや、それには実に様々な種 類や程度のあることが思い出さ れました。中には、美しい声の 持ち主、高度の技能を有する運 動選手、素晴らしい技巧を備え る音楽家、コンピューターの天
才、その他多くの人たちのように、 非常にはっきりとした才能を持って いる人がいます。 しかし、それ以外にも様々な賜物 が与えられている人たちがいるので すが、私たちはそのことをどれほど 気に留めているでしょうか。たとえ ば、目が不自由なために他の感覚が 発達して、通常以上の偉業を成し遂 げる人もいるし、体が弱いために、 神の愛を抱いて思いやりや知恵が育 まれ、周りにいる数え切れない人た ちの人生を好転させて、新たな希望 や方向性や喜びをもたらすことので きる人もいます。 人生は祝福(私たちが良いと見な すもの)や挫折(私たちが悪いと見 なすもの)であふれていますが、ど んなことに直面していようと、神の 助けを得てそれにあたるなら、それ は自分にあるものを用いて何か素晴 らしいものを生み出すいい機会とな ります。 パールマンが挫折を偉業に変える ことができたのは、単なる偶然では ありません。彼は、生涯続く苦しみ を、益をもたらす手段に変えるこ とを選んでいたので、その結果、あ らゆる障害をよりいっそうの進歩を 遂げるための機会と見なそうという 強い思いが生まれたのです。身体的 な苦労から芽生えた謙虚さゆえに、 パールマンは立派な業績を残した分 野においてでさえ、高慢さに身を落 とすことがありませんでした。 人は、困難にぶち当たった時、被 害者意識を持ちがちであり、それを 自分以外のすべての人やもののせい にし、さらには神のせいにすること もあります。しかし、そうするより も、神の知恵と力と恵みを祈り求め て、私たちが困難に立ち向かい、自 分の置かれた場所で神の愛を輝かせ るのを助けてくださるよう、神にお 願いしようではありませんか。
神への信仰とは・・・
・・・見えないものを信じること。
信仰は、激しい嵐の時にも落ち着いている。 信仰は、受身的ではなく、信じていることを行動で示す。 信仰は、自分の必要なものを神に求める。 信仰は、神の言葉をそのまま信じ、神は約束したことを実現する力を お持ちなのだと確信している。
信仰は、神に満たしていただくために、何もない空間を心の中に作る。 信仰は、神にはそれがおできになるだけではなく、そうしてくださる と信じる。
信仰は、祈りが答えられても驚かない。そうなることを期待していた のだから。
― デービッド・ブラント・バーグ
子 どもの 信仰
「イエスは私を愛しておられる。 聖書にそう書いてあるのだから。」 幼い子どもはそれ以上を求めない。 ただ愛されることを望んでいるのだから。 幼な子の輝く瞳の中に いつの時代にも 示された信仰が宿っている。 小さな寝床の脇にひざまずき ちっちゃな手と 髪の乱れた頭で祈る子は 私たち、 疑わしげに探し求めても 答えを見つけることのない者たちよりも 主の心のすぐそばにおり 主の御国は彼らのものである。 なぜなら、 見えないものを信じるには 子どものような単純さが必要である。 私たちは人生の複雑さにとらわれ 海図にない海へと流されている。
そして、 富と権力を蓄積しながら 信仰はゆっくりと崩壊していく。 学べば 学ぶほど、 分からないことが多くなり 考え方だけが複雑になっていく。 傲慢で尊大な人は 子どものような信仰を持って 天の神を信頼し愛することに もはや満足できなくなる。 ああ、 御父よ、 単純な子どものような信仰を 今一度我らにお与えください。 信頼に満ちた幼な子の目を持って すべての人が 悟れますように。 ただ信仰だけが、 人の魂を救い より高い目標へと導いてくれることを。 ― ヘレン ・ スタイナー ・ ライス
「アクティベート・リーフ」は、英語の「Activated」誌からの記事を翻訳したものです。その他の記事は、ホームページでご覧頂けます。 http://www.activate.jp
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Translated from English Activated Magazine Vol. 21- 4 p4-5
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