何年も前のことですが、流産したばかりで、その ことをかなり辛く感じていた時期がありました。流 産の兆候があったにもかかわらず、それを無視して、 初めてできた子どもを失ってしまい、悲しみに暮れ ていたのです。疑念と絶望の淵に転落しており、私 が流産したことに誰かが触れるたびに、かなり神経 質になっていました。
ある日、夫との待ち合わせ場所に行くためバスに 乗っていた私は、悲しみに打ちひしがれ、この喪失 を人生にもたらしたことで神に腹を立てていました。
そして、神を信頼できない理由を数え始めたのです。 神が私を慰めようとしておられるのは感じていたの ですが、神にそうしていただきたい気持ちを抑え込 んでいました。
ふと顔を上げると、幾つか前の席で、幼児が母親 の膝の上に立ち上がりました。そして、こちらを見て、 私と目が合うとニコッとしたのです。温かく愛に満 ちた、顔いっぱいの笑顔を見せられた私は、その子 を通して神の愛を感じ、新たな希望も湧いてきまし た。そして祈ると、平安が私の心を満たしたのです。
それから1年もしないうちに、息子を授かったので すが、あのバスの中で見かけた子どもを忘れたこと はありません。
先日もあの子のことを思い出したのですが、それ
は、16ヶ月の孫娘が私の膝によじ登り、顔にキス をしてきた時のことです。とても可愛らしく、とて も純粋で、とても愛おしい仕草でした。私は大変な 一日を過ごしたところで、笑顔を作るのにも苦労し ていたのですが、孫のキスで最高の日になりました。 これまでの16ヶ月間、この子に示してきたたくさん の愛情が、私が最も必要としていた時に返ってきた のです。
聖書には、「小さな子どもがそれを導く」という言 葉があります。 1 小さな子どもが、信仰の美しい教訓 を私たちに教えてくれます。豊かに与えるなら、豊 かに受け取るようになると教えてくれます。人生の シンプルなことに意識を集中させるのを助けてくれ ます。私たちは、子どもたちの無邪気な歌や話を楽 しみ、物事が今ほど複雑ではなかった時のことを思 い出すのです。小さな子どもの笑顔は、私たちの人 生を変えることができます。
私は、小さな子どもの世話を通して受け取ってい る祝福に感謝しています。子どもたちは私に、シン プルであること、感謝すること、前向きであること、 天におられる私の父を信じることを教えてくれました。