958:ある母親の成長過程

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夫のショーンとの間に子どもが一人しかいなかった頃、私 にとって子育ては余裕だと思っていました。自分のやり方 をいくらか変えたり曲げたりし、自由を幾分あきらめる必 要はありましたが、大変に思えるほどではありません。長 男クリスの身だしなみは完璧に整えており、汚れた服やシ ミの付いた服を着せることなどありませんでした。クリス は外出時にも手間がかからず、私たちはどこへ行くにも一 緒に連れていったものです。親が何かしなければならない 時には、大して苦労もせずに取り掛かり、成し遂げること ができていました。子どもが増えれば大変になるのは分かっ ていましたが、心配はしていませんでした。何と言っても、 私は子育てが得意なのですから。

次に生まれたのは、ブリアナです。天使のような赤ちゃ んで、起き上がっては「バブバブ、アーウー」と言うだけで、 すぐにまた眠りにつきます。私はこの妊娠でさほど体重が 増えなかったので、体型がすぐに戻りました。2人の子がい て、こんなにうまくやれるなら、何でもできるはずだと思っ

たものです。私は絶頂期にありました。

そして、ゾーイの誕生と共に、育児の自信は吹っ飛んで しまいました。ゾーイが手の焼ける子だったというわけで はないのですが、それまでは、その場で思いついたことを さっとできていたのに、突如として、45分もかかるように なったのです。家の中の3つの別々の場所で、子どもたち が同時に泣いているということもよくありました。家族で 何かしようとすれば、月面探査ミッションのように、綿密 に計画した上での実行が必要とされたほどです。周りの人 からは、「あなたたちを見ているだけで疲れる」と言われ るようになりました。しかし、赤ちゃんはいつまでも赤ちゃ んでいてくれないので(私たちが心の準備をする間もなく、 赤ちゃんはよちよち歩きのトドラーに成長します)、こち らもそれに合わせなくてはいけません。そして、親は完璧 である必要がなく、子どもたちだって完璧である必要はな

いことを学んだのです。

この頃から、母親であるということは、子どもを産んで 世話する以上のことであり、子どもを通して自分の人生を 生きること(自分の考えや夢を子どもに押し付けるのでは なく、子どもの成功を喜び、誇りに思うことによって)な のだということが、もっとよく分かってきたように思いま す。どこへ行っても、人からこう言われたものです。「今の うちに楽しんでおきなさい。子どもは、あっという間に大 きくなっちゃうから。」その真実が、身に染みて分かるよう になっていました。

そして、4人目が誕生しました。エミリーは、上の子たち とまったく同じくらい特別な存在です。ただ、その場で思 いついたことをするには、少なくとも1時間かかるように なりました。もちろん、今でもすべて計画しておく必要は ありますが、1日に1つのことしか計画しません。それだ けです。遊び着はたくさんあって、特別な時に着る服はほ んのわずかしかありません。ようやく外出の準備ができた という時に、ゾーイがクリスのシャツに青いマーカーを付 けたことがあったのですが、私はこんなふうに考えていま した。「少なくとも青いシャツだったから、似たような色な のが何よりだわ。」私たち家族は、まるでショーでもしてい るように見えますが、それは周りの人を楽しませる幸せな ショーなのです。

私は愛について学び続けており、それによって、自分の 生活の中で最も頑固な部分が徐々に変わってきています。 一人一人の子どもが、そして一日一日が、私を少しずつ作 り変えているのであり、私はそれ以外の道を望みません。 家族でいるのは、なんと楽しいことなのでしょう。

(マリー・アルベロは、アフリカとメキシコへの元宣教師で、 現在は、アメリカの中央テキサスで、家族と共に幸せで忙し い生活を送っています。)

© 2023 Aurora Production, Ltd. All Rights Reserved Translated from English Activated Magazine Vol.24-6 p14 Activated https://activated.org
マリー・アルベロ(2008年初頭に執筆)

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