THE LIGHT AT THE END OF THE TUNNEL
ケープタウンからドゥトイトスクルーフ山脈方面へ 行くには、トンネルを通る道があります。このトンネ ルがあることで、山間部を縫うように走る旧道を行く よりも、早くかつ安全に移動することができるのです。 私の家族が休暇で出かける時には、ほとんどの場合、ト ンネルのある道を通りました。
物心がついた頃から、私たち兄弟は、トンネルの出口 を最初に目にした人が、できるだけ早く「光が見えた!」 と叫ぶ遊びをしていました。最近、母と一緒にその道を 通ったのですが、トンネルを通り抜けながら、私たちが 昔やっていた遊びのことを話に出したところ、母はよ く覚えていました。私たちがどれだけ真剣に、あの「光 が見えた」最初の人になるという遊びをしていたかを話 して、二人で大笑いしました。
そして、この遊びはどうやって始まったのだろうと 考えたのですが、誰が言い出したのかを思い出せませ んでした。すると母が、こう言ったのです。「私よ。初 めてトンネルを通った時、みんな不安そうだったから、 前の方を見て、あの遊びをするように言ったの。そのこ とに意識を集中させていると、もう誰もあの暗くて息苦 しい時間を怖がらなかったし、トンネルも旅の楽しみの 一つになったでしょ。」
私は、この遊びをするきっかけとなった恐怖心について、 すっかり忘れていました。覚えていることと言えば、光が 見えてくるのを待ちながら、トンネルの中で楽しい時間を 過ごしたことだけです。母からその経緯を聞いて、それ はなんと説得力のあるたとえになるだろうと思いました。
自分がこの上なく暗く、息苦しく、心地よくない場所 にいる時に、「どんなトンネルの先にも、必ず光がある」 といったことを言うのは、なんだか陳腐な言葉で馬鹿げ ているように思えるかもしれませんが、実際、その言葉 どおりなのです。困難な状況という「今」に意識を集中 させることから生じる恐れや心配に身を任せてしまう と、「後になれば」の部分を見逃しかねません。しかし、 光は必ず来ると知っており、しがみつける約束があると いうのに、そんなふうになってしまうことこそ、馬鹿 げているように思えます。私たちが神を待ち望むなら、 神は私たちを救われると約束されているのですから。 1 私は、光に意識を集中させることで、不安で苦しい時 期を、希望を持って待つ時期に変えていくことができる と信じています。暗いトンネルにも目的があることを 知っているので、私はその先にある素晴らしい光を見る のを心待ちにするのです。