最近、同じ夢や目的を持った人たちが共に和気あいあい と働く様子を描いたドラマを見て、羨ましく感じていまし た。以前は私も同じ志を持つ仲間と楽しく仕事をしていま したが、環境が変わり、現在は自宅で一人黙々と仕事をし ています。
仕事自体は好きですし、友人と一緒にやっている仕事もあ るので、ひとりぼっちというわけではないですが、皆、遠方 に住んでいるため、メールやLINEでのやり取りだけで、会 うことは滅多にありません。人と仕事をするのが好きな私に とって、仲間がそばにいないのはちょっと寂しい状況です。
もちろん、主はいつもそばで導いてくださるので、決し て一人ではないのは分かっています。それに、仕事が好調
な時には、一人も気軽でいいものです。でも、物事が停滞 したり、何となく気分が乗らなかったりすると、共に働き、 苦労や喜びを分かち合える仲間がいたらいいのに、と感じ ていたのです。ある日、そのことをイエス様に話していると、
こう言われました。
「あなたは、自分一人で奮闘しているように感じているん だね。でもそれは、わたしがあなたと一緒にくびきを負って、 荷を引っ張っていることを忘れてしまっているからだよ。」
私はハッとしました。聖書には次のような言葉があり、私 はその節をよく知っていたからです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに きなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和 で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、 わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが 与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたし の荷は軽いからである。」
聖書 マタイによる福音書11章28 - 30節
これを読んで最初に思うのは、疲れた時に主のもとに行く なら休息が与えられるということです。続いて、「 わたしのく
築紫 裕子
びきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば・・・休みが 与えられる 」とあります。これはどういう意味でしょうか。 くびきというのは、二頭一組の牛などの家畜に荷物を引 かせる時に、その二頭の首にかける横木のことです。二頭 で運ぶなら、一頭の時よりずっと多くの荷を楽に運べます し、くびきでつなぐことで、二頭が同じ方向に、同じスピー ドで進むことができます。
だから農夫は、経験の浅い若い牛をベテランの牛と同じ くびきにつないで、若い牛を訓練するそうです。そうすれば、 ベテランの牛が進む方向やスピードを設定し、若い牛はベ テラン牛から働き方を学べるからです。
つまり、「わたしのくびきを負うてわたしに学びなさい」 というのは、イエス様がベテラン牛として一緒に荷を引いて くださるということです。イエス様は、重荷を取り除いてあ げようとは言われませんでした。その代わり、「わたしのく びきは負いやすく、わたしの荷は軽い」から、一緒のくびき に入って、共に荷物を引っ張ろうと言われたのです。
何ということでしょう! 神であられるイエス様が、私た ちと一緒に労働してくださるなんて! 私は今まで、この言 葉の深さに気づいていませんでした。イエス様が最高のカウ ンセラーであることは百も承知しており、主からの導きは私 にはなくてはならぬものです。でも、実際に働くのは自分で あって、イエス様は見守ってくださっているだけと思ってい ました。まさか主が一緒に働くつもりでそう言われたとは思っ てもいなかったのです。
もちろんイエス様が、目に見える形で仕事を片付けてくだ さるわけではありません。でも、目に見える物理的な作業だ けが仕事ではなく、例えば会社なら、営業や交渉のような 仕事もあります。その場合、人に連絡をするなど、私たち にできることはしますが、良いタイミングで連絡がつくか どうか、相手がどんな決断をするかなど、私たちにはコン トロールできないことが多々あります。
それを考えると、今までの仕事を振り返ってみて、主が背 後でどれほど働いてくださっていたかがわかります。決して 私は一人ではなく、主がチームを組んでくださっていたので す。
それなのに、孤軍奮闘しているかのように悩んでいたら、 イエス様はがっかりしてしまいますね。これからは、共に働 いてくださっているイエス様のことをもっと意識し、悩みも 喜びもすべてコミュニケーションしながら仕事をしていきた いです。
それにしても、世界中どこに、こんなふうに隣に並んで一 緒に荷を引いてくださる神様がいるでしょうか。聖書には、 信じる者にとってキリストは「友」だとあり、それだけでも すごいことですが、「共に労してくださる方」でもあると気 づけたことは、本当に大きな発見でした。