DOING WHAT I CAN 自分にできることを
サイモン・ビショップ
私は毎月、宣教・人道支援活動や私生活で何を成 し遂げられたかを振り返るようにしています。今月 は、つらいことや、目標どおりに事が進まなくてがっ かりしたこともありましたが、神はいくつかの考え 方を示して、私を励ましてくださいました。
たとえば、ジョン・F・ケネディの有名な言葉が あります。「国があなたのために何ができるかを問う のではなく、あなたが国のために何ができるのかを 問うてほしい。」クリスチャンは、これを次のよう言 い換えられることでしょう。「神があなたのために何 ができるのを問うのではなく、あなたと共に何を成 してくださるのかを問いなさい。」私は子どもの頃か ら、神のために偉大なことをしたい、並外れた方法
で用いられたい、といつも思っていました。しかし、 人生を歩んでいくうちに分かってきたのは、神を愛 する人のほとんどにとって、神の愛を他の人に示す のに最もいい方法とは、偉大で派手なものではなく、
些細で、時には一見取るに足らないようなものだと いうことです。
イエスが十字架にかけられる少し前に、ある女性 が家の中に入ってきて、高価な香油をイエスの体に 注ぎかけたところ、弟子たちの何人かは彼女を批判 したのですが、イエスは、「この女はできる限りの事 をしたのだ」と言われました。そして、さらにこう 語られたのです。「よく聞きなさい。全世界のどこで でも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした
事も記念として語られるであろう。」 1 私は、たとえそれが些細なことに見え、人に気づ かれることさえなく、取るに足らないと思えること であっても、自分にできることを続けられるよう祈 ります。聖書では、小さな行いによって大切な教訓 が教えられている場合が多くあります。例えば、こ んな話が記されています。「イエスは目をあげて、金 持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、 また、ある貧しいやもめが、レプタ(最小単位の硬貨) 二つを入れるのを見て言われた、『よく聞きなさい。 あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。 これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ 入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持って いる生活費全部を入れたからである。』」 2
この話から私が学んだのは、神との関係を、神が自 分のために何をしてくださるのかというものにすべきで ないのはもちろんですが、それに加えて、自分は神の ために十分なことをしていないのでは、と心配する 必要はないということです。私はただ、自分にでき ることをしていればいいし、神が将来私のすべきもっ と多くのことを備えておられる場合のために、今、信 仰を深めていくことに集中していればいいのです。