アクティベート ・ リーフ No.730
A LIFE OF FORGIVENESS
ゆるしの人生 誰でもそうだと思いますが、生 まれてこのかた、私はすべきでな いことをして、 (受けて当然の)報 いを何度も受けてきました。しか し、受けるべき報いではなく、代 わりに「あわれみ」を受けたことも、 一度ならずあります。 たとえば、12 歳の頃、家族で ショッピングモールへ行った時の ことです。両親がレジで並んでい る間、弟を見ているよう頼まれた のですが、何かに気を取られてい るうちに、弟がいなくなってしまっ たのです。みんなで探し、駐車場 の入口あたりでやっと見つかりま した。親から厳しく説教されたの はもちろんですが、それにはたく さんの愛とあわれみが込められて いました。自分が受けるに値しな い優しさを示されたその日のこと を、私は決して忘れません。 それから少し大きくなって、人 のものを取ったことがあります。 母から問い詰められた時、ものす ごく後悔して、こう思いました。 「なんてことをしてしまったんだろ う。もう僕の人生はおしまいだ。 」
でも、母は私を抱き寄せ、私がよ りよい人間になれると信じている し、その手始めに、私の取ったも のを返せばいいと言ってくれまし た。確かに、それまでの私の人生 は「おしまい」になりました。そ の心が痛む教訓を境に、私の人生 は新しいものに変わったのです。 ところが、思春期になると、た ちの悪い喧嘩をしたり、屁理屈を 言ったり、嫌味っぽく言い返した りするようになりました。友人や 兄弟、親に対してひどい振る舞い をするたびに、その結果、自分が 除外され拒絶されるという報いを 受けても当然のことをしたと、自 分が恥ずかしくなったものです。 実際にそんな報いを受けたことも ありましたが、多くの時、彼らの 心は私が思っていたよりも寛大で、 何回も私をゆるしてくれました。 私は今、素晴らしい妻に対して 愛情深い夫となり、2 人の可愛い 娘にとっての優しい父親であろう と努めています。ほとんどの日は、 まあまあですが、あまりよくできな い日もあります。自分の振る舞い
クリス・ミズラニー
が悪すぎて、家族と顔を合わせら れず、自分の顔を見るのでさえ嫌 なこともありました。しかし、信 じられないことに、私が恥じてう なだれていると、彼らの愛が私を 助け起こし、優しく勇気づけてく れるのです。こういった様々なこ とを経験して分かったのは、人生 とは長期に渡る学びのプロセスだ ということです。 イエスは、ご自分を憎み、攻撃し、 殺した人たちをゆるされました。ま た、弟子たちがイエスの教えを信 じるのに苦労していた時には、彼ら に対して忍耐を示されました。人か ら否定され、友人から深く傷つけら れた時でさえ、彼らを再び迎え入れ られました。疑い深い人や社会から のけ者にされた人に触れて、彼らの うなだれた頭を優しく持ち上げ、無 制限の愛を与えることもされまし た。そんなイエスが、道に迷った寂 しい罪びとである私たちにいつも確 約してくださっているのは、イエス のもとに行くならば、私たちも神の 御国に迎え入れられるということな のです。
「アクティベート・リーフ」は、英語の「Activated」誌からの記事を翻訳したものです。その他の記事は、ホームページでご覧頂けます。 http://www.activate.jp
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Translated from English Activated Magazine Vol. 21- 6 p3
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