アクティベート ・ リーフ No.734
PLACING BLAME
悪いことは人のせい? ジョイス・サッティン
最近、過去を振り返り、自分の 下した選択について思い起こして いた時、うまく行かなかった物事 のいくつかについて、あれは人の せいだと考え始めました。たとえ ば、私の幼少期に悪い影響を与え るような決断を下したと、両親を 責めました。また、様々な面でう まくやれるほど完璧ではないと不 安に感じていたのは、学校のせい だと考え、さらに、私が神との関 係を損なうような態度を持っていた ことを、教会のせいにしたのです。 でも、ベッドに横たわり、自分 の人生についてさらに深く考えて いる内に、両親のことをもっと理 解の目で見られるようになり、彼 らも彼らなりの最善を尽くしてい ただけだと気づきました。今の私 があるのは、数多くの形で私を励 ましてくれた両親がいたからこそ です。 同様に、学校に通っていた頃を 振り返ってみると、当時経験した ことの多くは自分に原因があった と気づきました。私は恥ずかしが り屋で、新しいことを試すのは怖 かったし、危険を承知で思い切っ たことをするなど、恐ろしく感じ
たものです。勉強の面でも、友だ ち付き合いの面でも、障害となっ ていたのは、おもに自分の自信の なさでした。 地元の小さな単立教会に家族と 一緒に通っていた日々を思い起こ してみると、人の陰口を耳にする ことや、心が傷つけられたことが あったのは確かです。でも、あら ためて考えてみると、私は物事を 状況や組織のせいにしがちだと気 づきました。実際には、あの教会 で信仰の素晴らしい基礎を築いて もらったし、信徒の皆さんからも ずいぶん助けられ、誠実なクリス チャンの手本を見せてもらったと いうのに。 物事を状況のせいにしてしまわ ないことは大切です。私の人生は 完璧でなかったし、自分で自分を 傷つけるような決断を下したこと もあります。また、他の人から傷 つけられたこともありますが、そ の責任は自分の家庭生活にあるの でも、学校や教会という組織にあ るのでもなく、その個人にあるの です。私は、そういった個人一人 ひとりのことを思い出してみまし た。長男を亡くして悲しみに暮れ
る女性。年老いた母親やいくつも の病気を抱えた叔母の世話に時間 を取られていた、中年の悲しげな 女性。ティーンのことは詳しいと 自分では思っているけれど、実際 にはもっと人生経験を必要として いた、大学を出たてのユース・リー ダー。奥さんが妊娠で何ヶ月も入 院したために、疲れとストレスを 抱えていた数学教師。 ・・間違いを 犯したというのはそういう人たち だったし、私だって人生で多くの 間違いを犯してきました。 自分の経験についてや、あの人 のせいにして当然だと考える相手 について、十把一絡げな考え方を して、自分勝手な結論を下すのは、 いともたやすいことです。でも、 真剣に自分の心を探ってみると、 どうしてそういうことが起きたの か、分かってくる場合もあります。 それが起きた時には、なぜ相手の 人がそのようなことをしたのか分 からないかもしれませんが、あと になって、理解の目を持って振り 返るなら、状況がもっとよく見え るかもしれません。そして、相手 をゆるすことで、自分も自由にな れることでしょう。
「アクティベート・リーフ」は、英語の「Activated」誌からの記事を翻訳したものです。その他の記事は、ホームページでご覧頂けます。 http://www.activate.jp
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Translated from English Activated Magazine Vol.21-6 p11
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