アクティベート ・ リーフ No.750
もっと素直に! -- 神に対する謙遜さ
築紫 裕子
なたは本当に立派ですね」みたいな言
晴らしい人間ではないとか、まさか私のこんな願いが
私なんか大した人間ではないですよ」といった反
様が私たちのために準備してくださっていることが制
「あ
葉をもらうと、多くの人は、 「いやいや、
応をします。自分に向けて語られたほめ言葉をそ のまま受け止めるのは気が引けるとか、傲慢に見 えるのではないかと心配して、つい否定してしま うのです。もしかしたら、日本人は文化的に素直 さが足りないのかもしれません。
それが習慣になって、神様に対しても同じよう な態度を取ってしまうのではないでしょうか。た
とえば、聖書の中で神様が「あなたは高価で貴い
存在だ」と語っているのに、 「いや、そんなことは
ない。私にはそんな価値はない・・・」と否定し、
「わたしはあなたを愛しているよ」と言われても、 「まさか、こんな私のことを・・・」と考えてしま うのです。
神様の言葉に対してそういう反応をし、神様か
らの愛やほめ言葉や約束の言葉を素直に信じな
いというのは、 とても残念なことです。なぜなら、 素直に信じるなら、私たちの人生には素晴らしい 奇跡がもっと起こるのですから。
神様からの言葉を素直に受け止めないと、聖書 で約束されている素晴らしい約束はなかなか実
現しません。何らかの理由から、自分はそんな素
叶うなんてあり得ないと考えてしまうと、せっかく神 限されてしまうのです。
子育てについてのカウンセリングにもよく出てくる
ことですが、親の言葉、または子ども自身の考え方に よって、自分の可能性に制限をかけてしまうと、神様
が 一人一人の子どもに授けてくださっている可能性が 十分に発揮されずに終わってしまいます。
同じようなことが、私たちの人生にも言えるのでは
ないでしょうか。信仰の持ち方によって、その人の人 生は変わってきます。神様が聖書で言われていること
を素直に信じるなら、聖書で約束されていることが、 そのまま現実となるのです。
日本では、 自分を卑下するような言葉を言うことが 謙遜さだと考えられがちです。でも神様の目から見た ら、それは必ずしも本当の謙遜ではありません。
私たちは、自分で思っているほど自分自身のことを 理解していないのではないでしょうか。それに、何の
ために自分がこの地上に生まれてきたか、となると、 神様のほうが ずっとよく知っているに違いありませ
ん。私たちは、自分が生まれることや、いつ、どの家
族に生まれてくるか、などについて、自分で決められ るわけではありません。神様は、何らかの目的をもっ
真の謙遜とは
身に対してこそ、そうあらねばならないんだね。 ー 岡本太郎(芸術家)
真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価するこ とであり、長所をすべて否定することではない。 ー サミュエル・スマイルズ(作家、医師)
謙虚とは、控えめのことではない。おかげさま と「感謝」できること。 ー 小林正観(著述家、講演家)
謙虚というものは、人のまえで、おのれを無にする とか低く見せることでは絶対にない。むしろ自分
本当の謙遜とは、満足することである。
の責任において、おのれを主張することだ。つまり、
ー アンリ・フレデリック・アミエル
謙虚は権力とか他人に対してではなくて、自分自
(哲学者、詩人)
て、一人ひとりをこの地上に生まれさせてくださ
ろう」というイエス様の言葉(マタイ18:3)や、 「小
聖書にある素晴らしい約束はすべて、神様を信
という歌があるように、子どもは素直に信じるけれ
います。
じる尊い子どもたちのための約束なのです。これ からは、もっと素直な気持ちで、聖書にある一つ
一つの言葉をかみしめながら読んでいきたいと思 います。そうすれば、もっと希望に満ちた明るい 気持ちで人生を生きられることでしょう。
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のよう にならなければ、天国にはいることはできないであ
さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた」 ど、私たちは、知識を増やし、経験を積み重ねる内に、 段々と素直に信じることができなくなってしまうのか
もしれません。失敗を重ね、自分には汚い面もある と気づくと、神様からの言葉を素直に受け止められ
なくなってしまうのです。そういったことが原因で、 聖書の言葉を信じるのが難しくなっているのかもしれ
ません。でも、子どものように素直に神様からの言 葉を信じるなら、心に喜びがあふれることでしょう。
素直に信じてほしい聖書の言葉
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わた
るし、すべての不義からわたしたちをきよめて下
しはあなたを愛している。 」(イザヤ 43 章 4 節) 「わたしはあなたを見放すことも、見捨てること もしない。 」(ヨシュア 1 章 5 節)
神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆ さる。 」(第一ヨハネ 1 章 9 節) 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、 そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そ うすれば、あけてもらえるであろう。すべて求め
「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行
る者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は
くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰
あけてもらえるからである。あなたがたのうちで、
るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あ
自分の子がパンを求めるのに、石を与える者が
なたに語った事を行うであろう。 」(創世記 28 章
あろうか。魚を求めるのに、へびを与える者が
15 節)
あろうか。このように、 あなたがたは悪い者であっ ても、自分の子供には、良い贈り物をすることを
「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛してい
知っているとすれば、天にいますあなたがたの
る。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実を
父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さ
つくしてきた。 」(エレミヤ 31 章 3 節)
らないことがあろうか。 」(マタイ 7 章 7-11 節)
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