アクティベート ・ リーフ No.760
今を 生きる -- この瞬間を楽しもう 築紫 裕子
雨
が傘にパラパラと当たっています。このと ころ雨が続き、ガーデニングが数少ない楽
しみの一つとなっている私にとって、庭仕事がで きないのはつまらないことでした。その上、今の
コロナ禍、人に会うことや何かの集まりへの参加 は自粛しているので、楽しみはますます減ってい ます。
ところが、今朝、傘をさして近所のスーパーに
買い物に行った時のこと、傘にあたる雨の音がと ても心地よく感じたのです。同じ雨でも、どしゃ
ぶりだったらたまったものではありませんが、傘 の上で雨粒がはじけているその感覚に、何か楽し くなってきました。もしかしたら、最近読んでい
た本の中に、「今を生きる」ことの大切さ、その一
瞬一瞬を楽しむことの素晴らしさが書かれていた ので、それが影響していたのかもしれません。
に家の中でするお絵かきとか、読書とか、工作が
とっても楽しく感じられたのです。そういうこと
に没頭していると、とても幸せでした。ところが、 お天気が良くなり、外で遊びたい気持ちに引っ張 られると、もう外遊びに夢中になります。
不思議なもので、「子どもは今を楽しむ」ことが 得意なようです。子どもの頃は、できないことは
すぐに忘れて、今楽しめることに没頭するのです。 それが子どもの良いところですね。もっと子ども のように生きたいものです。 聖書にも、幼な子の ようになりなさいとあります。
イエスにさわっていただくために、人々が幼 な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟 子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。す るとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、 「幼な子らをわたしのところに来るままにして
そんなことを考えていると、自分が小学生だっ た頃のことを思い出しました。私は雨の後に、長
靴を履いて水たまりの中をピシャピシャ歩くのが 楽しくてたまりませんでした。そして、田舎に住
んでいたので、水たまりの中にアメンボウを見つ
けては、まるでスケートをしているかのように水 面を滑るその姿を見て感動していました。
私は外遊びが好きだったので、雨が降って外で 遊べないと退屈でしたが、時々、雨が降って嬉し いこともありました。雨で外に出られないと、急
おきなさい、止めてはならない。神の国はこ のような者の国である。よく聞いておくがよ い。だれでも幼な子のように神の国を受け入 れる者でなければ、そこにはいることは決し てできない。
- 聖書 ルカ18章15 17 節
神の国は、天の国(天国)とも呼ばれます。天
国と聞くと、死んだ後に行く場所をイメージする
人が多いと思いますが、死後の世界だけが神の国、 天の国ではありません。聖書の別の箇所には、「天
国は近づいた」という表現があります。それは、
神様がこういうことを人間に求めるのは、私た
た言葉です。
に幸せになってほしいからです。この言葉こそ、
イエス様が公けの活動を始めた時に最初に語られ
ちからの感謝を欲しいからとかではなくて、人間 幸せに生きる秘訣なのだと思います。小さなこと
この時からイエスは教を宣べはじめて言われ た、「悔い改めよ、天国は近づいた」。 - 聖書 マタイ 4 章 17 節
に感謝してそれを喜び、祈りを通して神様との関 係を築く時、人はどんな環境であれ幸せになるこ とができるのでしょう。
私たちは、その時その時、たいていは何かに制 短い言葉ですが、大切な事柄が沢山凝縮されて
限されて生きています。時間による制限、環境に
というと、何か「悔いる」とか「後悔する」とか「反
考え始めたらキリがありませんし、不満が募るば
「悔い改める」のギリシャ語原文の言葉は、メタノ
瞬一瞬を感謝し、楽しむなら、私たちの「幸せ度」
います。まず、 「悔い改めよ」ですが、 「悔い改める」
よる制限、経済的な制限など、制限のことばかり
省する」という意味があるように感じられますが、
かりです。でも、できることに集中して、その一
エオ―μετανοεωという動詞で、「考えを改
はずっとアップし、全く違った人生となることで
このイエス様の語った言葉は、「考え方や価値観を
どんなに制限された環境にあったとしても、お
国的な喜びや平安が流れ込んでくるということで
いなぁとゆっくり眺め、愛する人たちとの会話や、
前述の聖書の言葉「神の国はこのような者の国
者だと思います。
た。「このような者」とは、「幼な子のような者」
ない身なのですから、今楽しめることを存分に楽
神様の言葉を信じ、その教えの通りにするなら、
様に感謝しながら生きていきたいものです。どん
な喜びが心に満ちて、心に天国を持つことができ
も、神様は小さな宝物を隠されています。だから、
います。
それを楽しみながら生きていきましょう。
める」とか「考え直す」という意味です。だから、
しょう。
変え、神様の考え方に同調するなら、心の中に天
いしいものをおいしいと感じ、美しいものを美し
はないでしょうか。
家族の団らん、子どもの笑顔を楽しめる人は幸せ
であるという言葉は、私に大きな印象を残しまし
どちらにしても人間は、明日のことなど分から
という意味ですが、幼ない子どものように素直に
しみ、味わえるものを最大限に味わい、それを神
いつどこにいても、どんな環境にあっても、単純
なに制限された日の中にも、どんな環境にあって
るのかもしれません。なぜなら聖書はこう教えて
素直な心で周りを見渡して隠された宝物を発見し、
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、
だから、あすのことを思いわずらうな。
キリスト・イエスにあって、神があなたがた
あすのことは、あす自身が思いわずらう
に求めておられることである。
であろう。一日の苦労は、その日一日だ
- 聖書 第一テサロニケ 5 章 16 -18 節
けで十分である。
- 聖書 マタイ 6 章 34 節
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