アクティベート ・ リーフ No.794
命の記念日 -- イースターに永遠を想う 築紫 裕子 ですが、イースターは、イエス様がご自分の死と復活を 通して死を滅ぼし、その結果、信じる者たちに永遠の命 が与えられたことを記念する日なのです。 「永遠の命」といっても、地上での命がずっと続くと か、今の身体が不死身になるという意味ではありません。 聖書には、イエス・キリストを信じる者には新しい命が 与えられるとあります。それは、まるで新しく生まれる ようなもので、永遠に続くもう一つの命の誕生なのです。 イエス様が最初に地上でこのことを話された時、当時の 宗教学者たちも理解に苦しんだようで、イエス様とこん な問答が繰り広げられました。 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユ 年、イースター(復活祭)の時期が近づいてくると、私 ダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとに はすでに他界した家族や友人のことを思い出します。ク きて言った、 「先生、わたしたちはあなたが神からこ リスチャンにとって、死は終わりではなく、新しい場所への旅 られた教師であることを知っています。神がご一緒で 立ちであると知ってはいても、やはり先立った人たちのことを ないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、 思うと、寂しい気持ちが押し寄せてくることがあります。でも だれにもできはしません。 」 これが、もし天国のことを知らないなら、どれほど辛いことで イエスは答えて言われた、 「よくよくあなたに言っ しょうか。 ておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見る 特に今は世界中でコロナが蔓延し、大勢の人が辛い思いをし ことはできない。 」 ています。去年は私自身も、危険な病気を経験したばかりなので、 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れるこ 命について深く考えないわけにはいきませんでした。物事が平 とが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいっ 和で健康状態もいい時には、そういうことはあまり考えません。 て生れることができましょうか。 」 でも、自分や身近な人に危機が迫ると、突然、命の尊さと同時に、 イエスは答えられた、 「よくよくあなたに言っておく。 そのはかなさに気づくのです。 だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはい 神様は私たちの幸せを願っておられるのに、どうして、人間 ることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊か は誰もが死ななければならず、愛する人との死別を経験しなけ ら生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなけ ればならないのでしょうか。聖書を知る前の私は、そのことに ればならないと、わたしが言ったからとて、不思議に ついて本当に悩み、いつも死を恐れていました。 思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたは でも、高校生の頃、真剣に聖書を学び始めた時に、魂は永遠 その音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは で、この地上の人生の後にも続きの人生があると知り、私の死 知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。 」 生観は大きく変わりました。そして、徐々に恐れも取り除かれ、 - 聖書 ヨハネの福音書 3 章1 8 節 人生について明るい見方ができるようになったのです。 この地上の人生がすべてで、その後は何もない、となると、 というわけで、イエス様を信じる者には二つの誕生日 どうしても納得のいかないことが多々あり、むなしさを覚えま があるとも言えます。一つは、母親のお腹から生まれて す。でも、死は卒業であって、その後に新しい学年としての続 きた日、もう一つは、イエス様を信じて新しい永遠の命 きがあると知ると、人生の意義が見出され、もっと毎日を大切 を受け取った日です。そう考えると、イースターは、こ に生きたいと思うようになります。 の新しい永遠の命を祝う「命の記念日」とも言えるので それを考えると、イースターが、クリスマスと同じぐらい大 はないでしょうか。 切なお祝いであることが分かります。日本ではあまり話題にな 聖書には、命について沢山のことが書かれています。た りませんが、西洋の国々では、イースターもクリスマスと同様 とえば、神様が最初の人間であるアダムを創造された時、 に様々なイベントが行われ、多くの人がキリストの復活をお祝 いします。クリスマスは、神様の愛であるイエス様が地上に送 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き いれられた。そこで人は生きた者となった」 (創世記 2 :7) られ、福音(良き知らせ)が地上にもたらされたことを祝う日
毎
う
とあります。つまり、神から吹き入れられた息によって生 命が始まったわけです。生命の終わりはその逆です。 それでは、その「命の息」とは何なのでしょうか。聖書 では、しばしば霊を「息」になぞらえており、命の息とは 神様がくれた霊のことです。聖書のイザヤ書にも、神が人 に息や霊を与えられたことについて、 「地とそれに生ずる ものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に 霊を与えられる主なる神」 (イザヤ 42:5)と表現されて います。だから、神様から与えられた霊により人は生き、 死ぬと霊は肉体から離れて次の世界に行くわけです。 何人もの牧師が、これを分かりやすく説明するために、 車と運転手のたとえを使っています。人の肉体が車だとす ると、魂は運転手で、車が古くなったり壊れたりすると、 運転手は古い車を捨てて新しい車を得ます。同じように、 人の魂も古い身体がダメになると、天国で新しい身体を受 け取るのです。 聖書が書かれた時代に車はなかったので、地上における 魂の住まいである肉体を、テント(幕屋、天幕)にたとえ ています。それは、ヘブル人が約束の地に定住するまでの 間、移動式の住まいとしていたもので、言うまでもなく、 普通の家ほど丈夫ではありません。今のこの肉体は仮の住 まいですが、天のふるさとに戻った時には、永続する住ま いである新しい身体が与えられるのです。 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたち の外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされ ていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、 永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得さ せるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、 見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、 見えないものは永遠につづくのである。 わたしたちの住んでいる地上の幕屋[肉体]がこわれ ると、神からいただく建物[天での身体]、すなわち天 にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、 わたしたちは知っている。 - 聖書 第二コリント 4 章16 -18 節 , 5章1 節
このように、現在の魂の住まいである肉体はもろく一時 的なものですが、天国で与えられる身体には、痛みも病も ありません。永遠に元気で美しい状態を保ち、今まででき なかったようなことができるようになります。つまり、死 は終わりではなく、永遠に続く素晴らしい人生への引っ越 しなのです。 神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共に いまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。も はや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先の ものが、すでに過ぎ去ったからである。 - 聖書 黙示録 21章 3 - 4 節
このキリストからの命をいただいた人たちに、永遠の別れ はありません。愛する者たちと再び天国で一緒に暮らせるか らです。天国には痛みも悲しみもなく、すべてが修復され、 誤解も解け、和解がもたらされ、永遠の愛と喜びがあふれます。 なんと素晴らしい結末でしょうか。この命の勝利をお祝いす るのがイースターです。 以前は、イースターというと、イエス様の復活を祝う日と いうだけで、こんなに深く考えはしませんでした。でも、今 は違います。社会全体としても、個人としても、考えざるを えない状況にあり、自分の心にも、将来への夢や希望と同時に、 いくらかの不安や心配があることに気づいたからです。 そんな時、神様は、人生がジグソーパズルのようであるこ とを思い出させてくださいました。ジグソーパズルは、沢山 のピースから成り立っていますが、一つのピースを見ただけ では、全体像は分かりません。そして、どんな絵や写真にも、 暗い部分と明るい部分があります。 ですから、 「今」という一つのピースだけを見て判断するな ら、誤った結論に至ってしまいます。人生の全体像を見るこ とができていないからです。誰の人生にも、良いこともあれば、 悲しいこと、辛いこともあり、その一つのピースだけを見つ めるなら意味不明です。でも、全体が組み合わさって完成し た時には、その絵の価値がわかることでしょう。 聖書が生きる勇気をくれるのは、人生パズルの全体像をかい ま見ることができるからです。それは、地上の人生だけで完成す るものではありません。神が用意されている全体像は、地上の人 生とその先にある永遠の世界とがつながった壮大なものです。 幸せな人生を生きる上で、全体像を知っていることは大き く役立ちます。全体像があると、ゴールが見えてきます。困 難がやってきた時、全体像やゴールが見えないなら、途中で 意気消沈しそうになりますが、どこにゴールがあり、そこで は何が待っているかを知っているなら、走りぬく勇気が持て ます。それが人生の力になるのです。 今年のイースターが、恐れや悲しみに満ちたこの時代を生 きていく私たちに大きな力と希望をもたらしてくれるよう祈 ります。イースターは、 「永遠の命」と「永遠の人生」を感謝し、 記念する特別な日なのですから。もしまだ、 「永遠の命」を受 け取っていないのであれば、ぜひ次の祈りを通して、この神 様からのプレゼントを受け取ってください。
祈り: 「イエス様、私は、あなたが私たちの罪を許し、永遠の
命を与えるために、十字架の上で死に、そののち復活してく ださったことを信じます。どうぞ、今、私の心の中に入り、 永遠の命を与えてください。そして、恐れや心配を取り除き、 天国からの愛と平安と喜びで心を満たし、これからの私の人 生を導いてください。イエス様の名前で祈ります。アーメン。 」
「わたし(イエス)はよみがえりであり、命である。 わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 」 - 聖書 ヨハネの福音書 11章 25 節
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