不発弾とととと共共共共にににに生生生生きる 高江洲直己 ラオスは世界でも有数の不発 弾の埋まる国だ。ベトナム戦争時 代、北ベトナム軍が南へ物資を補 給する際に使ったという俗に言 うホーチミン・ルートが、ラオス の山間部を抜けていた。アメリカ 軍はこのルートを叩くために大 量の爆弾を投下したのだ。その数 約三〇〇万トンともいわれてい る。当時のラオスの人口が約三〇 〇万人ということから、一人あた り約一トンもの爆弾が投下され たことになる。そのうち二割の爆 弾が不発弾として地中に埋まり、 今尚爆撃の激しかった地域は爆 発の恐怖にさらされているとい う。 僕はラオスを旅する際には、不 発弾と共に生きる人々に触れて みたいと思っていた。彼らは身体 に、そして心に傷を負いながら、 どのように不発弾と向き合って 生きているのだろう。彼らと親し くなり、友人として話しを聞きた かった。僕がラオス北部に位置す るシエンクアン県を訪れたのは、 そういった経緯があったからだ。 シエンクアン県に着くといくつ かの村へ赴き、人々と時を過ご し、話しを聞いて回った。今回は 話しをしてくれた村人の中でも、 モン族のジャイキーの話しを紹 介したいと思う。 ジャイキーに話しを聞きに 行った時、彼は初めにこう言っ た。
「話しをするのは構わな い。けれど、写真を撮るの は 私 たち のた めに 何か し て く れる 人や 団体 だけ に し て いる 。爆 弾の 傷跡 を 見 せ るこ とは 、と ても 恥 ず か しい こと でね 。だ か ら傷跡を見せることに よ っ て何 かこ の村 が良 く なるのなら、私は見せて、 写真も撮らせているよ」 彼 の 切 実な 声 だ。 傷跡 を 見 せる こと は決 して 心 地 よ いは ずが ない 。僕 は 正直に応えた。 「僕はボランティア組織 に 属 して いる わけ では な く 、 団体 を動 かす 力も な い し 人脈 もな い。 僕に で などであ きることは web なた達の現状を書いて発信して、 友人たちに伝えることだけです」 写 真を撮 ること を承諾 して く れたのかは分からないが、彼は家 の中へ案内してくれた。無理にお 願いするつもりはなかった。 家の中の明かりは、日の光が入 り口から差し込むだけで薄暗い。 目が慣れるまで数秒かかった。そ して闇の中に顔を浮かべながら、 ジャイキーは喋り出した。 話 しは今 から二 十年程 遡っ た 一九九一年の頃になる。彼は三人 の子どもを持つ一家の大黒柱だ。 当時、子ども達も大分幼かったと いう。 「あの日もいつもと変わらず、私 は農作業に勤しんでいたよ。けれ
ど、あの日は不運だった。鍬を入 れ た土の 中に不 発弾 が埋ま って いたんだ。不発弾は爆発して私の 体を吹き飛ばした。けれど私は生 きていた。かろうじて意識も保っ て いたが 、足の 被害 がひど かっ た。私は血まみれのままドクター の家に駆け込んだよ。私のありさ ま を見て ドクタ ーは こう言 った んだ。 『急いで町の病院へ行くべきだ。 治療を受けなさい。恐らく足の付 け 根から 切断す るこ とにな るだ ろう』 私 は そ れを 聞 いて 病 院には 行 かず家に帰ったよ。どうしても足 を切断したくなかったんだ。治療 費 もバカ になら ない という のも
十三号 目次
ニュースレター Eaphet
■ 不 発 弾 と 共 に 生 き る ( 1頁2) ■会員大会報告 ( 頁3) ▲本年度会員更新手続き ( 頁) 3 ■【特 集 私 - た ち の 今・ 未 来】 ▽ 物 語・恥 の 沸 点 ( 4-7 頁)
▽ ま っ と う さ・極 右 ( 7-9 頁) ▲ 月 12~ 月1の活動 ( 頁9) ▲これからの活動 ( 頁9) ■【聊聊 映画館 レビュ ー】 ▽忠信市場 ( 10-12 頁) ■ 英 語 勉 強 会 報 告 ( 12-14 頁)ショ ック・ ドクト リン ■ 日 本 国・ 自 民 圧 勝 後 の 原 発 ( 14-15 頁) ■ ふ か ひ れ ス ー プ・雑 種 ・ 異種混交 ( 16-18 頁) ▲ EAPHET が見た出来事 ( 18-19 頁) ■受 賞 特 別寄 稿 ― タイ ヤ ル 姫の 母 と 日本 警 察 の父 と 私 の故事― ( 20-22 頁)
EaphetNo.13N #1/22
13号 2013/2/1 日文版
ある。けれどそれよりも、足を切断し たら働けなくなるだろう。そした ら 誰が家族を養うんだ。そのうえ、私の 面倒を見るためにさらに働き手を 失 うだろう。ならば足を切断するな ら 私は死んだ方がましだ、と思った。家 に帰り、足を補強して、回復するのを 待ったよ。幸いにも私は回復して、足 も足首から下を失うだけですんだ ん だ。私は、まだ働ける」 から がら繋い だ命も投げ出す 覚悟 だったという。家族に迷惑はかけ ら れない、と。きっと家の奥に見える床 の間で彼は、今にも死ぬかもしれ な い状況を何夜も超えたのだろう。 死の狭間で彼は理不尽な運命を 嘆 いたのだろうか。戦争を恨むか、アメ リカを恨むか。何にしろ恨むべき 対 象は大きくてボヤけている。 ジャ イキーは 事件のことを一 通り 話し終えると、履いていた長靴を 脱 ぎ、 裾をめく ってみ せた 。失った 足首を 見せてくれた。 「君の友人たちに伝 えて くれ」と 言って 写真 を撮るこ とを許 して くれた。 そして 僕は 、彼が恥 ずかし いと 言った傷 跡にカ メラを向ける。 シャッターが重い。 話 しがひ と段落 す ると 、ジャイ キーは 僕に ランチを 食べて いか ないか、 と誘っ てく れた。そ のこと
が単純に嬉しかった。差 し出された米は彼が被 曝した畑で採られた米 だ。テーブルには他に豚 肉と野菜を炒めたもの が並ぶ。塩がきつめに味 付けされていた。ベトナ ムのモン族の村を訪ね た時と同じ味だ。スプー ンは、昨日訪ねた村で生 産されているスプーン だった。その村では不発 弾や地雷から得たアル ミニウムを使ってス プーンやアクセサリーを作ってい る。 食事中に僕は尋ねた。 「ま た農作業をす ることは怖 くはな いですか?」と。ジャイキーは無表情 のまま応える。 「怖 いけれど、家 族を養うた めには 農 作業す るしか な い んだ。 私たち は 他 に選ぶ ことが 出 来ないんだよ」 選ぶこ とが出 来 な い…。 いくつ か の 村を訪 ねて幾 度 も 聞いた 返答だ っ た。この辺りでは、 不 発弾を 解体し て 鉄 くずを 売って 現 金 収入を 得てい る 人 も数多 く存在 す る。他、農作業など 限 られた 生産手 段 し か知ら ない彼 ら
は時々同じことを 口にした。「私たち は選ぶことができ ない」と。自分たち を苦しめ、大切な人 を奪っていく爆弾 と寄り添い生きて いく。そこには僕に は到底理解できな い程の複雑な感情 が存在するのだろ う。 僕は村々を訪ね てずっと気になっ ていたことを聞いた。 「たくさんの村人が被害を受け、今 尚不発弾や地雷に苦しんでいるの に 、 ど こ か 他 の 場 所 へ 移る 気 は な い の だ ろ う か 」 と い う こ とだ 。 ジ ャ イ キーは間をおいて答えた。 「ここには確かに不発弾や地雷が多 くあるが、私たちの畑もある。家もあ る。何より家族や友人がいる。私たち は 助 け 合 っ て 生 き て い くこ と が で き るんだよ」 人が生きていく うえで、何より 大 切 な モ ノ は 、 深 く 信 頼 しき っ た 人 の 中 で 人 生 を 過 ご せ る こ とな の か も し れ な い 。 迫 害 の 歴 史 を 持つ モ ン 族 な ら な お さ ら 身 に 染 み て いる は ず だ 。 彼 ら は 不 発 弾 か ら 逃 れ るよ り も 、 愛 し 合 っ た 人 た ち と 爆 発 の恐 怖 に 耐 え な が ら 支 え 合 う こ と を 選ん だ 。 そ れ と も 、 そ れ す ら も 選 ぶ こと の 出 来 な かったことなのだろうか。 ラオスを旅して 感じることは、 不 発 弾 に 苦 し む 村 に 住 む 人々 の 逞 し さ
だ。 爆弾によって 身体も心も 傷つけ られながらも、その爆弾と寄り添い、 それ すらも利用し て生きてい る事。 悲惨 な過去を持ち ながらも、 それで も笑って生きていること。土地を、家 族を、仲間を愛する人たちが、今より 幸せ になれますよ うに、そう 願わず には いられない。 僕は僕の出 来るや り方 で彼らとこれ からも関わ ってい こうと思う。
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高江洲直己 タカエス ナオキ 一九八五年生まれ。沖縄出身。二〇一 二年 八月から十二 月にかけて アジア を旅 する。旅では 様々な環境 で生き る人 たちと触れて 回る。本旅 終了後 も次なる旅を計画中。 旅の ブログ→高江 洲直己公式 サイト
http://naokitakaesu.tumblr.com/
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EaphetNo.13N #2/22
会員大会
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更新手 続きは お済み です か? ま だ までご一報ください。年 の方は Eaphet 会費五百元は下記の台湾郵便局口座 に お 振 込 み い た だ く か、後 日 納 金 し て頂いても構いません。 新しく Eaphet 会員 になり たい 方も、 メールにてご連絡ください。 会員になると…、ニューズレ Eaphet タ ー の 送 付、プ ロ ジ ェ ク ト の 企 画、 各種活動への参加および宿泊や設備 の 利 用 の 特 典 利 用 な ど が あ り ま す。 の運営 は会員 費に支 えらえ てい Eaphet ま す。是 非 一 緒 に 盛 り 上 げ て い き ま しょう。
【【【【本年度会員更新手続きききき】】】】
新規申し込み・更新手続きをした方に は、もれなくEaphetオリジナルノート を差し上げています☆
戸名: 台灣東亞歴史資源交流協會 郵局代號: 700 帳號: 0021441-0448927 連絡先 EAPHETmail eaphet@gmail.com
EaphetNo.13N #3/22
玉那覇ももこ 二 〇 一 三 年 一 月 十 二日、四 年 目 を の会員大会に参加しま 迎える Eaphet した。 ま ず、古川 理 事に よる二 〇 一二 年 を 振 り返 る あい さつ から始 ま り、収 支 決算な どの 報告が 行われ まし た。 昨 年 は人 手 が足 りず、ツア ー や勉 強 会な どイベントの 実施が難し かった 為、今年はより多くの方に参加 して頂き、更なる活動やイベン トを増やしていく予定とのこと で行 です。そして、昨年 Eaphet われた活動についての映像が上 映されました。八分間の映像の 中で年間を通しての様々な活動 を振り返ることができ、とても
感動的な映像で した。 した。 私 は会 員に なっ てま だ 次に「二〇一二 半 年 余り で初 参加 でし た 年の不満・悲しい が、今 回初 め て お 会い す こ と 吐 き 出 せ! る 方 やあ まり お話 をし た 椅子取りゲーム」 ことのない方もおり、緊 が行われ、白熱し 張しました。しかし、普段 た戦いが繰り広 は お 仕事 など でな かな か げられました。仕 お会いする事の出来な 事や学校での不 か っ た会 員さ んと も楽 し みながら交流ができ、今 大 会 の重 要性 を感 じま し た。今 回の 会 員 更 新プ レ ゼントは、オリジナルデ ザインのノートで、持ち サ 運 びにも便利な 満 な ど を 話 し イズで、大好評のようです。また、今 の活動に参加し 合 う 事 で 皆 の 年も精力的に Eaphet 緊 張 も 解 れ、 ていきたいと思います。 楽しい雰囲気 となりまし た。休 憩 中 に は 藍 さ ん、古 川さん特製お でんと特製コ ン ポー トが 振舞わ れ、どち らも 美味 しいと大好評でした。 今 会 員 大会 の 目玉 で ある 「二 〇一 三年に起こってほしいニュース」は、 各自二〇一三年に起きてほしい ニ ュー スを 貼り出 し、投票 を行 いま した。投票の結果、一位に選ばれたの は、石川奈奈恵さんの「世界各地の緑 地帯が新種植物による生態系変化 に より拡大中」でした。その他、核廃棄 物処理場の関連ニュースや国民党 関 連ニュースなどが上位に並んでい ま
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特集 【【【【私私私私たちの今今今今・・・・未来】】】】 今、私たちを取り巻く環境は大き く 変 わ ろ う と し て い ま す。昨 年 か ら、台湾馬総統、米国オバマ大統領 の続投が決まり、中国習近平総書記
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自民党政権は駄目だ とか 日本は お先真っ暗 とか 日本終わった 的 な 書 き 込 み も あ る け ど 俺か ら 言 わ せ れ ば そ ん な こ と 言 っ て るお 前 等 こ そ が 終 わ っ て る っ て 思 う よ。 そ ん な や つ が い る か ら 日 本 が 脆 弱に な る ん だ よ。まじ切腹しろって感じ。 切腹ってちょっと大袈裟じゃな い (笑) 切腹は半分冗談だけどさ、自民 党 ダ メ と か 日 本 の 文 句 言っ て る や つ のほとんどが自虐史観的だから困 る 。 そ ん な 事 い っ て い るか ら 中 国 と 韓国が調子に乗るんだよ。 でも、日本人がひどいことした の は 事 実 じ ゃ な い ? な のに 日 本 政 府 や 日 本 人 が 自 ら の 犯 し た歴 史 や 罪 に し っ か り 向 き 合 っ て い ない 事 に 対 し て怒ってるじゃないの? 確か に日本 は悪いこと をした。人もたくさん殺 しているし。だけど戦争 責任はすでに解決済み。 一九六五年だったかな、 日本は賠償金を払って韓 国は戦争責任のことを今 後ぶつぶつ言いませんっ て条約結んだわけよ。 「漢 江 の 奇 跡 」 だ っ て 日 本の経済支援があったか らでしょうに。なのに韓 国は未だに歴史を盾に とって文句言ってくるし さ。自虐史観のみなさん はそれに賛同してるし さ、こいつらもう日本人 じゃないぜ。けども、今
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回の 選挙で関心し たことがあ った。 何か って言うと沖 縄の人たち がよう やく 日本人らしく なってきた ってこ と。 沖縄の人が日本人らしくなって きたってどういうこと? 国籍でいったら沖縄の人も日本 国籍 所持者だから 一応日本人 ってこ とに なる。でも俺 が言いたい のは国 籍が 日本だから日 本人だって いうそ んな 野暮ったい話 じゃなくて もっと 深い 部分での話。 つまりさ、 日本っ てい う国家の声を どれだけ聞 いてい るかってこと。 国家の声?国って声ないで しょ?なにそれ (笑) あるって。心を澄ませば聞こえ るよ 。お前、聞こ えないの? だから
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への世代交代、韓国セヌリ党の 朴槿 恵 大 統 領 の 当 選 、日 本 自 民 党 の 圧 勝 な ど の 政 治 的 な 動 き や … 領 土 問 題・ 経 済 政 策 な ど の 駆 け 引 き 、様 々 な 大 き な 力 が 動 き 出 し て い ま す。そ の 様 な 中 で 私 た ち は 何 を 思 い 、判 断 し、 変えてい けるの か。。
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今号から不定期に、様々な地域の 筆者の視点から、それぞれの現在・ 思うことを投稿していただき、掲載 していきます。
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物語・恥の沸点 冨永悠介
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私の、ある情動が沸騰した瞬間 だった。きっかけは、ある若い男 女 の会話だった。 数週間前、衆議院総選挙があっ た。沈没しかけた船を強引な舵取 り でもって救いだそうとする政党の 勝
利だ った。彼の政 党のマニフ ェスト を読 んで、私の脳 天はグラグ ラグラ グラ 。戦時中に舞 い戻るつも り!? と思 わせる政策も 。結局、私 のそん な懸 念はどこ吹く 風で、この 政党は 歴史 的大勝と言わ れるほどの 圧勝ぶ り。 この社会は将 来どうなっ てしま うの ?という不安 は、選挙直 後の一 時期 、あるにはあ った。しか し、会 社勤 めをしている わけでもな く、家 族や 友達とも付か ず離れずの 生活し てい る私にとって 、遠い世界 のこと だか らと軽んじて いたのも、 また確 かだ った。実際 「現在仮免許 中」だ と自 らを語ったそ の政党は、 日本の デフ レをまずは回 復させるこ とに力 を注 いでいるよう だったから ――こ れを 世間ではアベ ノミクスと 呼ぶら しい ――この社会 が劇的に右 傾化し ていくように感じられなかったの も、 私が暢気でい られること に一役 買っていたのかもしれない。 そ れが 、である 。ある日 の午後 、 ある 喫茶店で、す でに一抹の 不安と なっ ていたこの問 題は、思わ ぬ形で 私に到来した。 この前の選挙、自民党の圧勝 だったね。 そりゃそうでしょう。勝つべく して 勝ったって感 じっしょ。 いや、 実言うとさ がどうのこうの原 発が ああだこうだ って言うけ どさ、 今回 の争点はバラ バラ感のあ る今の 日本 を強引にでも 一つに出来 るのは どの政党だったか。ざっくりいっ ちゃ えばこれがポ イントだっ たと思 うけどな。ネットなんか見てると
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EaphetNo.13N #4/22
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日本 人じゃないと かザイニチ とかっ て言われるんだよ (笑)
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あ、ごめんごめん。いや、どう いう ことかってい うとさ、沖 縄でも 基地 受け入れ賛成 派が選挙で 圧勝し たって事実よ。 で? つまりさ、反基地・反戦運動の 温床 だった沖縄で 基地賛成派 が票を 獲得 したってこと は、中国や 北朝鮮 の脅 威に悲鳴を上 げる日本の 叫びが 沖縄の人びとにも届いてるって事 さ。 中国はいまで も沖縄を自 分たち の領 土だって主張 してるしさ 、もし 沖縄 から基地がな くなれば中 国の沖 縄侵 略が容易にな るだろうっ て思う わけ 。これはもち ろん沖縄だ けじゃ なくて日本全体に関わる問題だけ ど、 多くの沖縄の 人が基地受 け入れ の立 場にあるって ことは、中 国に立 ち向 かう意思を示 したんじゃ ないか なっ て思うんだ。 考え方によ っては 日本人より日本のことを考えてる よ、 今の沖縄の人 は。与那国 島の町 長も 自衛隊受け入 れ派でしょ ?素晴 らし いよ、尊敬す る、ホント に。今 の東 アジア情勢を よくわかっ てる。 今後 インフラもか なり整備さ れるは ずよ、与那国島は。 でも沖縄だけに基地を押しつけ るのはどうかって思うけど それはね、もうしょうがない の。 地理的に見れ ば軍事作戦 上沖縄 がベ ストポジショ ンだから。 沖縄で は戦 争があってた くさんの人 が亡く なっ てるし、いま でもアメリ カ軍人
たちの暴力事件も起きてる。だか ら、沖縄の人たちにだけ負担を強 い てる状況は本当に申し訳ないと思 う。俺個人としては本土に基地を 持ってくるのに賛成。それぐらい し ないと沖縄の人びとに頭上がらな い べ。でも一方ではさ、中国が沖縄 に 侵略してきた有事のとき、日本本 土 に基地を置いておくのは対応が遅 れ ると思うんだ。平壌とか北京だっ た ら福岡のほうが近いっていう人も い るけど、問題は、中国が沖縄をど う 位置づけているかだと思うんだ。 沖 縄から基地がなくなれば、それこ そ 中国と戦争が起きるし、なんのた め の反戦運動かっていう話よ。反基 地 運動と反戦運動は一緒になれない わ け。反戦運動家なら基地賛成運動 を しなくちゃ。それでこそ 命どぅ 宝 って言葉が栄えるよね。 いや、ちょっと待ってよ。日本 や沖縄に基地があるから中国や北 朝 鮮が日本を警戒するんじゃないの ? 自分たちがやってることを棚上げ し て中国や韓国、北朝鮮の文句いっ て
も な ん の 解 決 に も な ら ない じ ゃ ん 。 あ っ ち が 日 本 嫌 い な の は、 わ た し た ち が 彼 ら を 嫌 っ て る か らじ ゃ な い ? さ っ き 自 虐 史 観 っ て 言 った け ど 、 私 はいろんな歴史の見方や考え方が あ っ て い い か な ー っ て 。一 つ の 歴 史 の 見 方 を 押 し つ け あ っ ても あ ん ま り 意 味 な い よ う な 気 も す るし 。 こ の ま ま じ ゃ 日 本 っ て 本 当 に 友達 い な く な る と 思 わ な い ? 日 本 の ガラ パ ゴ ス 化 現象がますます進行する (笑) 確 か に ! と 日 本 の ガ ラパ ゴ ス 化 現 象 に 妙 に 納 得 す る 自 分 。一 方 で 、 某 掲 示 板 に 書 き 込 ま れ る よう な 意 見 に 首 も 傾 げ た く な る が 、 まぁ そ ん な も んかなと変に合点する自分。翻っ て 、 こ の 二 人 の 会 話 は 私と は 全 く 関 係 な い と 思 っ て い る 自 分。 こ の 社 会 や 友 人 た ち と 不 即 不 離 な関 係 が 心 地 良 い と 思 っ て い る か ら なの か 、 自 分 の 悪 い 癖 ね と 思 い な が らも 、 ま あ い い や と そ の 場 を や り 過 ごす 身 の 振 り 方 は 、 私 の 常 套 手 段 に なっ て し ま っ た。でも、その後の思わぬ展開に よ っ て 、 こ の 常 套 手 段 では 二 進 も 三 進もいかない極地に立 たされたのが、この私 だった。あーなんで盗 み聞きなんかしちゃっ たのーと後悔しつつ、 この日本社会に片足ど ころか両足をズボリと 突っ込んでしまってい る自分の姿を思い浮か べ、ありゃりゃりゃー 参ったなーと唸る自分 がいる。男の妄言は続
く。 おーいいねぇ、日本のガラパゴ ス化 !むしろ極端 なぐらいガ ラパゴ ス化しちゃえばいいんじゃないか な。 憲法九条も改 正してアメ リカに 頼ら ず自分たちで 国を守れる ように なれ ばいいじゃん 。だから自 民党な んだよな、いまの日本に必要なの は。 でも、今の世 の中、グロ ーバル 化社 会だから日本 だけはやっ ていけ ない 。やっぱり友 達は必要。 アメリ カさ んは絶対必要 。ただ同等 な同盟 関係 として仲良く できるかが 問題。 あと は、台湾だよ な。馬英九 総統に なっ てから中国と の関係が強 くなっ てる からな、あま り信用でき ないけ ど、 それを逆手に とって対中 国で繋 がれ る道を探すと か。そのた めには まずは台湾を独立させなくちゃ。 うー ん。こう考え てると自分 が東ア ジア を動かしてい るみたいで 面白い な。 日本のガラパ ゴス化かぁ 。でも 北朝 鮮みたいにな ったらやば いから うまくバランスを取らないとな。 いや、わたしはガラパゴス化し ちゃ まずいって意 味でいった んです けど。 日本がガラパゴス化していく上 で重 要なのは、日 本人一人ひ とりは ガラ パゴス化させ ちゃいけな いって こと 。日本はガラ パゴス化す べきだ けど、日本人はガラパゴス化させ ちゃ いけない。矛 盾するよう だけど 国民 が一致団結し ないと国力 が下が る。うーん、まぁ、ガラパゴス国 家・ 日本に残りた いやつだけ 残れば いい かな。ガラパ ゴス国・日 本の在
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オスプレイ
留資格= 日本のた めに自決 できる人 (笑 ) そ れぐらい の覚悟が ないとダ メ だ よ な、いま の日本を 建て直す のには。
でる 世界が違い過 ぎるし。今 時あん な閉 鎖的でどうす んだよ。あ 、閉鎖 的な のは日本か。 中国のこと 言って る場合じゃねーな、プップップッ (笑 ) い や 、 ま て よ 、 閉 鎖 的 っ て いっ てもその質が 違う。一緒 くたに され ては日本に傷 が付く。日 本は鎖 国し て独自の文化 を育んだ。 西洋列 強の 植民地化も撥 ね除けた。 けど、 中国 は西洋列強の 言いなりな ってボ ロボ ロにされて。 あー情けな い。国 家と しての統一感 がないから 。まあ いい や。とにかく 、中国はだ めだ。 当てにならん。 ねえ、ちょっと 大丈夫? 日本ってほんとすごい。これだ けイ ンフラも整っ てるし。俺 の税金 が日 本のために使 われると思 うと、 俺、 ホントうれし い。税金は 日本へ の貢 献度を測る具 体的指数。 うわー やべ、明日から仕事もっと頑張ろ う。 こんな素晴ら しい国に住 んでる のに 日本批判する やつの気持 ちがわ から んよ。反日的 な外国人よ りやっ かいだぞ、こいつらは。もうマジ とっ と日本から出 て行けって 。でも 安倍 さんの手腕を 見たらあい つらも 『す みませんでし た、やっぱ り日本 が好 きです』って なるかもし れん、 プ ッ プ ッ プ ッ (笑 ) 安 倍 さ ん の 腹 痛っ てのは、あれ はメディア のウソ だ。 陰謀だ。安倍 さんはわざ と腹痛 を装 って辞任して 、いまの今 までで 日本 立て直しのプ ランを練っ ていた に違 いないのだ。 それを知ら ない日 本人 左翼たちよ、 なんと愚か な奴ら か、 プップップッ (笑)眠れ る獅子
こ こ に 復 活 ! 安 部 さ ん には 頑 張 っ て も ら わ ん と な 。 そ れ を 俺ら が ど う 支 え る の か 。 こ れ 、 大 事 。日 本 国 民 の み な さ ん 、 納 税 し て ね !日 本 を 強 く するためによろしく頼むぜ!しか し 、 歴 史 の 問 題 は 難 し いよ な 。 こ れ は そ う 簡 単 に は 解 決 で きな い と 思 う ぞ 、 俺 は 。 言 語 論 的 回 転? 転 回 ? ま あどっちでもいいか。これのせい だ。これが元凶だ。歴史が複雑に な っ た の は 。 や っ ぱ り 真実 は 一 つ 。 そ れ を 裏 付 け る の は 史 料的 証 拠 。 で も、それがないじゃん。従軍慰安 婦 ? 南 京 大 虐 殺 ? 確 か に悪 い こ と し たよな、日本は。でも謝ったじゃ ん 。 な の に 、 な ん だ よ 、ま だ 文 句 言 い や が っ て。 き ー ーー ーー っ ヾ ` Д´*)彡☆あ ああ、お、お、 落ち着 け 、 俺 。 や ば 、 い 、 い つも の 妄 想 、 癖。ポストモ、ダニズムか・ら・ の 〜 ホ シ ュ 主 義 ! ! ! すぎ ち ゃ ん 、 こ れ が ホ ン ト の ワ イ ル ドだ ぜ ぇ 〜 っ てもんだ!ネタとして進呈します よ! ちょ ちょっと!ねえ、大丈 夫 ! ? 何 が ワ イ ル ド だ ぜぇ 〜 よ ! ね えってば!
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え?あ、うん、ごめんごめん。 大丈夫、大丈夫です もう。その妄想する癖、直して よね 。そんなあん たこそガラ パゴス 化しちゃってるんじゃないの? え、うん、まあ、考え方によっ ては、そうかも、ね。 あ、もういいよ。選挙の話なん かす るんじゃなか った。もう この話 題は 終わりー。は ー、でもこ のお店 のコ ーヒー、いい 香り。午後 の日差 しも、好き。 コーヒーの香り?いやいや、そ れを言うなら戦争の匂いだろ。う ん、 そうだ。匂う ような、確 かに。 でも 、だから、な んだ。戦争 ?やっ てや ろうじゃない か。日本は 強いん だぜ ぇ〜ああ、ま たすぎちゃ んが。 そういえばどこかに書いてあった な。戦争の匂いがプンプンするっ て。 それから沖縄 の高江がど うのこ うの って話も。言 いたいこと は分か るん だよな。だけ どそれで戦 争が止 めら れるかいな? むしろ戦争 しない ため にヘリパッド が必要だと いう発 想の 転換だよな、 大事なのは 。自然 破壊。許してね。戦争しないため に。 戦争、イケイ ケドンドン 。やっ ちゃ おうぜ、戦争 。ああ、安 部さん は今 頃首相官邸で 巫女ごっこ 。帝国 日本 の亡霊を復活 させるため に!ま ずは軍艦マーチを内閣全員で歌っ て。それからツーレロ節で盛り上 がっ て。そして、 君が代を斉 唱して バン ザーイを三回 !それから 国際電 話で オバマ大統領 とアメリカ の国歌 も歌 うらしい。帝 国日本召還 の儀式
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あの さ、 わたし が言 いた かったのは日本や日本人だけを中 心 にしたわれわれ主義のゴリ押しは ま ずいんじゃないって事だったんだ け ど ねえ、聞いてる? 日本がガラパゴス化するにはオ スプレイも必要だな。あれは戦闘 機 じゃないけど輸送機としては魅力 的 だし。ただ事故が多いんだよな、 オ スプレイは。あ、それから韓国 お友達になれるんかいな。朴 は 槿惠も敵か味方かようわからんし 。 親父は意外と親日的だったと思う ぞ、俺は。その娘さんはどうなん だ ろうねぇ。韓国は未知数だからい ま は保留しておいてやる。でも、俺 、 好 き 。 サ ムギ ョ プサル好 き。キムチもマッコリも。だから 、 コリアタウンは作ろう。ああ、大 阪 生野区のコリアタウンをモデルに す るか。ガラパゴス日本のコリアタ ウ ン。中国は論外だな。あいつ等と は やっていける気がしない。もう住 ん
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K A R A
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ような気分になった。男の万歳三 唱 はまだ続いている。その声を振り 切 るように足早にそこから離れた。 背 後でニヤリと笑う男の顔が脳裏に 浮 かぶ。 男に感づかれていた。というよ り も、この男に見透かされていた。 私 はいま、社会の空気が変わる狭間 に 立っている。そして、自分はなぜ 恥 ずかしくなったのだろうと自問を 繰 - り返す。自分の中の何かが確かに 蠢 いた。それを見ないふりして 「ま ぁ いいか」では誤魔化すことのでき な - い何かが否応なく突きつける一つ の 問い。それはひょっとした私もひ ょ んなきっかけからこの男のように なってしまうのだろうかという懸 念 だった。そうはなりたくないと思 い ながら、自分が男のようにならな い 保証がどこにもないことを、恥と い う感覚が私に教えている。絶対的 な 価値観だけを突きつけられる社会 の 人間関係はますます息苦しいと思 い ながら、いつの日か 「まぁいいか 」 では迂回出来ない局面が増えてい く であろうことを強い危機感ととも に 想像した。この日本という国の近 い 将来を。そして、自分がどう生き て いくのかを。 (了)
」 ・ ・ ・ (*この作品には実在する人物や 団 体名が登場しますが、作者による フィクションです。実際の人物、 団 体、事件などには一切関係ありま せ ん。)
まっとうさ・・・・極右
一 月 二 十 日 放 送 、 NHK の 「老 人 漂 流 社 会 」 と い う番組を見た。主人公の 老 人 は 介 護 施 設 (シ ョ ー トステイ)をたらいまわ しにされる。安価な公営 特別養護施設に入れるの はラッキーな人、コネの ある人たちだけ。主人公 には月六万円の年金だけ が収入。それでは民間の 長 期 滞 在 施 設 (月 十 二
とか と書いてある けど、私は 「まっ ――――死語のののの世界 村山さたね とう さ」 「まっと うであるこ と」と いう日本語がいいかなと思う。で まっとうさ、、、、あるいは Decency 「ま っとう」は辞 書を見ると 「まじ っていう映画 め 」 と か 「 礼 儀 正 し さ 」 と か 「 品 Bonfire of the Vanities の 中 で 、 あ る 裁 判 が あ って 、 い き り 位 」 と か の 言 葉 で 言 い 換 え ら れ て 立つ傍聴人たちに向かって裁判長が る。 「正義」の方 が 「まっと うさ」 言うのだ。 に近いかもしれないけど、正義と 「あんたら、正義って何なのか 言っ てしまうと何 ともとんが ってい 知 り た い か 。 正 義 は 法 律 な ん だ て突 き刺さりそう だ。そうい う語感 よ。法律てえのは、人がその限ら は 「まっとうさ」 にはないよ うに思 れた力でまっとうとまっとうでな うけ ど、それも人 によって違 うかも い も の と を 何 と か 分 け よ う と す しれない。 と にかく 私は 「まっ とう」 は好 き る、貧弱だけどがんばるしかない 試 み な ん だ よ 。 ま っ と う さ な言葉だった。 )だよ! まっとうさて ( Decency! いうのはあんたたちのおばあちゃ 安部総理のののの「「「「まっとうさ」」」」 一 月二十八日、 安部総理が 所信表 んが教えてくれたはずだ。骨にし み 込 ん で る は ず だ 。 ( Decency...明演 説で 「まっと う」を連発 した。 decency is what your grandmother taughtいわ く 「まっとう な政治、ま っとう に働いた人が、まっとうに報われ る、 まっとうな社 会」。まっ とうの 叩き 売り。 「まっ とう」をご みくず のように蒔き散らした。 ) みん な家 に you. It's in your bones! 帰ってまっとうな人になりなさ い。まっとうに! ( )」 Be decent. 日語訳は ( Bonfire of the Vanities, 1990. 村山 )
「おばあちゃん」 だっていろいろい る し 、 「お ば あ ち ゃ ん」が言うことが ぜ んぶ 「まっとう」だ とも思えないのだ け れど、この裁判長 の 言葉はなぜか納得 で きてしまった。辞 書 は で 見 る と decency 礼儀正しさとか品 位
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はい ずれ公立学校 で義務化さ れるだ ろう 。否、される べきだ。実 際大阪 では すでに始まっ てる!橋下 さんは よく 分かってる。 いま何が必 要なの かを !公務員だか ら君が代斉 唱は当 たり 前だろうって 論理、さす が!で もこ れはまだ試験 段階。これ を徐々 に儀 式化していく んだって。 ついに 来るぞ、帝国日本の復活が! 思 い出せるのは おおよそこ んなと ころ だ。最後のほ うは水を得 た魚の よう にノリノリ男 の独り言め いた妄 想世 界だったが。 とにかく、 あまり のバカバカしさに耐えられなくな り、喫茶店を出ることにした。 店 を出てからし ばらくして 、喉に 魚の 骨が刺さって いるような 落ち着 かな い気分になっ た。ふと脳 裏を過 ぎっ た疑問。ガラ パゴスの住 人は私 なの か、それとも 、この男な のか。 或い は、私も彼も すでにそれ ぞれガ ラパゴス化した住人なのであろう か。 そんなことを ぼーっと考 えなが ら駅 に向かって歩 きだそうと してい ると きだった。あ の男が喫茶 店から すご い剣幕で飛び 出してきた 。私の 姿を 確認するなり 「間に合っ た!」 とい う安堵の表情 を浮かべ、 一息つ いて から、両手を 空高く挙げ て万歳 三唱を始めたのだ。その声と目線 は、 当然のことな がら私に向 けられ ている。 身震いがした。体がカッと熱く なっ たのを感じた 。自分の体 の反応 に戸 惑いながらも 何かを感じ 取って しま ったのだと思 った。恥を かいた
Bonfire of the Vanities
万)に入れないので、生活保護を 申 請する。生活保護を申請するため に は、自宅が (財産が)あってはい け ないらしい。長期滞在施設に入る た めに亡き妻の遺骨だけもって公団 の 自宅を引き払う。 主人公がまっとうに生きてこな かったわけではない。むしろまっ と うに生きてきたからこそ金もコネ も ないのだというのは言いすぎだと し ても、主人公に何かの非があって こ
中日新聞2012年12月27日
うな ったとは思え ない。彼が やっと 入れ た長期滞 在施設は ( 画 面 で 見 る か ぎり―現実は知りません)簡易宿泊所的 な印 象だが、そう いう施設に すら入 れない人たちがいる。 経 済開発 を至 上命令 とする 企業 社 会か ら、かつての 福祉国家が 掲げて きた セイフティネ ットを徐々 に取り 除き 、 (個々人の )自己責任 という のを 制度の隅々に まで浸透さ せてき た歴 史の上に、こ の主人公は 何とか 生きている。 東 日 本 の 震 災 「復 興」が謳われるけれ ど 、 「自 己 責 任 」 は、 被災した経済弱者を めったうちにしてい る。 『 わ が 国 で は 被 災 者が 自 力 で 生 活 再 建 を はか る の が 原 則 と さ れ る。 被 災 者 生 活 再 建 支 援法 に よ る 支 援 金 は 最 大で も 三 百 万 円 ま で だ が、 制 度 内 容 を 知 っ て いる 人 は 一 割 程 度 し か おら ず 、 住 宅 を 復 旧 す る費 用が必要になったと き、五割程度の人が 国 ・ 地 方 自 治 体 な ど行 政 に よ る 支 援 を 期 待し ていると回答してい る 。 つ ま り 、 災 害 時の 自 助 努 力 の 必 要 性 が、 そ も そ も 認 識 さ れ てい な い の だ 。 一 方 で 、不
測の事態 への家計の耐性は低下 し 続けてい る。民間平均給与額は 十 年前の四 百五十四万円から四百 九 万円に減 少。可処分所得におけ る 住宅ロー ン返済割合は過去最高 の 二割を超 え、家計に重くのしか か る。一方 で貯蓄を持たない世帯 も 過去最高 の三割まで増加。雇用 が 不安定な なか、住宅ローン返済 を 全うする根拠すら失われてい る 。 』 (日 経 マ ネ ー Digital 二 〇一二年十二月五日) 「五 割程度の 人が国・ 地方自 治体 など行政による支援を期待してい る 」 と い う の は 、 半 数 の人 々 が い ま だに以前の福祉制度の残像 (幻想) に 惑 わ さ れ て い る と い うこ と だ 。 そ んなものはもうない (以前もなかっ た)し、 「自己責任」で加入した保 険 会 社 が 仮 に 気 前 よ く 支払 っ て く れ た と し て も 支 払 い 側 の 論理 優 先 で 値 引 か れ る 。 自 己 責 任 っ てい う の は 自 分 で 金 を ど こ か に た め 込ん で 、 権 力 者 と の コ ネ を 作 る こ と を意 味 す る の だろう。それができない人々は 「まっとうではない」のだから処理 すべき 「問題」にすぎない。 その 「処理」 に必要な 資金を 出す のは 「まっとうな」人々 (の税金) だから、 「まっとうな」人々は『こ れでは不公平だ。私たちは 「まっと う に 」 働 い て き た の に 、な ぜ そ の 私 たちが 「まっとうに自己責任義務を 果 た し て こ な か っ た 人 」の 面 倒 を 見 な く て は な ら な い の か 』と 不 満 を 抱 く。
安 部 の言 う 「まっ とう に働 い た人 がまっとうに報われる」というの は、 基本的にはこ ういう不満 に応え たも のなのだろう 。小泉時代 に作ら れた 「勝ち組・負 け組」とい う言葉 を借 りるなら、勝 ち組だって 本当は 勝っ てないじゃな いか、とい う不満 に応えようとするものに見えるの だ。
準 じ る 温 か さ と 包 容性 を も って い た 言 葉 な
「やすらぎ」と か 「ふれあ い」と か、そういう ( 以前は 「まっとうさ」に
の か も し れ な い け れ ど) 言 葉 が ま る で 判で 押したように 福祉産業界 の隅々 で叩 き売りされる のにも私た ちは慣 れさ せられてきた 。安部流の 「まっ とう 」にも慣れさ せられてい くのだ ろうか。
極右 小 泉政権は、九 一一の追い 風を受 けて五年半も続いた ( 2001.4) 。 そ の 後 、 安 部、 ( 福 田 を 挟 2006.9 ん で) 麻 生 と 自 民 党 政 権 が 続 い た と き、 これを 「極右 政権リレー 」と呼 んで 警戒心を表明 したメディ アは、 アジアにもそれ以外にも少なくな かっ たけれど、日 本国の極右 政権リ レー は九一一後の アメリカ合 衆国を 中 心 と し た 政 治 経 済 風 土 に 「合 っ て」いたのだろう。 そ れが、アメリ カ合衆国へ の批判 が高まるにつれて、揺り戻しがき た。 二〇〇九年九 月、民主党 が初の 政権 を奪取。初の 民主党総理 大臣、 鳩山 はしかしアメ リカ合衆国 の意向 に (日 本 国 官 僚 機 構 の 意 向 に ) 逆
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らっ たために一年 とその地位 にとど 関係に、東日本震災も、福島第一 原 発メルトダウンも、何の影響も及 ぼ まれなかった。 二 〇一二 年の 自民党 圧勝に よる 返 していないように見えることだ。 総 り咲 きと、アメリ カ合衆国批 判の風 選 挙 の キ ー ワ ー ド も 、 安 部 演 説 の 化と は偶然の一致 ではなく同 時期に キーワードも 「経済」だった。経 済 訪 れ た 。 オ バ マの ( ど ち ら か と 言 え ば が 「 よ く 」 な れ ば 震 災 か ら の 復 興 も、原発メルトダウンも 「没問題 」 というわけだ。 表 面 的な)ブッシュ批判と、 ( 全体と し て み れ ば 縮 小 と 言え る の かど う か 分 か ら
な い が) 米 軍 縮 小 計 画 、 ( ご く ご く 当 たり前の)社会保障制度の立て直し計 画な どが、アメリ カ合衆国批 判を縮 小させていったようだ。 ア メリカ 合衆 国批判 が極右 政権 を 引き 倒し、ア メリカ 合衆 国再評価 が極右 の再 来を招い た…そ んな 風に見え る。奇 妙な のは、こ の相関
日清 ・日露戦 争から太平洋戦 争ま での日本国の膨張・侵略が経済開 発 に突き動かされて行われたことが 子 供たちに教えられもせず、反省も さ れないままに、冷戦時 代に再び経済開発一辺 倒に突き進み、九十年 代 の 「不 況 」 を 九 一 一 の追い風で振り切っ て 、 再 度 「経 済 開 発 」 の軍旗をはためかせる というわけだ。 「ク ネ ミ ク ス 」 ― 朴 槿 恵 の 経 済 政 策 を 「ア ベ ノミクス」と並べてこ う呼ぶのだそうだけど ―では、一応、言葉の 上では従来の経済開発 への反省が謳われてい る が 、 「ア ベ ノ ミ ク ス」にそんな反省もな い 。 「ア ベ ノ ミ ク ス 」 は大規模な金融緩和や 法 人 税 の 引 き 下げ 、 消 費税 引 き 上 げなど、中曽根時代から強引に や っ て き た 新 自由 主 義 政策 を 拡 大 す る だ け 。 人 々が 震 災 とメ ル ト ダ ウンという 「ショック」状態にあ
る こ と を 利 用 し て 通 常 なら 猛 反 対 さ れ る 政 策 を 規 制 事 実 に して し ま お う
【【【【十二月~~~~一月のののの活動
【【【【これからの活動予定】】】】
]
一月二十三日 聊聊【沒有美國的世界 (The )】 World Without US 一月二十四日 講座 北朝鮮訪問者のお話 一月三十日 聊聊【安隆風暴】
一 二 月 五 日 聊 聊【 The Yes Men Fix the と い う 「 大 惨 事 資 本 主 義 d i s a s t e r World 】 十 二 月 十 二 日 聊 聊【 ”When the Dragon 」が再度まかり通るらしい。 capitalism 當龍呑了太陽 】 swallowed the Sun” 十 二 月 十 九 日 聊 聊 【美 國 夢 American 】 Dream 十二月二十六日 聊聊【 Lifting the fog : the 原爆製造 bombing of Hiroshima and Nagasakiから投下までの物語】 一 月 二 日 聊 聊 【 The World According to 】 Monsanto 一月九日 聊聊 【黃 金的代價 瓜地馬拉礦 業秘辛】 一月十二日 第三回会員大会
安部に対して 「極右」とレッテル を は る メ デ ィ ア は ま だ 世界 に も 日 本 に も 存 在 す る 。 で も 、 極右 で あ る こ と が 日 常 化 し 、 そ れ が 当た り 前 に な り つ つ あ り 、 少 な く と も日 本 国 で は 極 右 と い う 言 葉 の 意 味 も判 然 と し な く な っ て き た 。 安 部 が 極右 な ら 大 阪 の 橋 下 を ど う 呼 べ ば い いの か 、 な ど と訳の分からない悩みも出てくる。 右 と か 左 と か 、 そ ん なこ と ぁ ど う で も い い で し ょ ― 確 か にそ う だ 。 で も な ぜ そ う い う 言 葉 が 使わ れ て き た の か 考 え た ら 、 右 で も 左で も な い 中 道をよし (まっとう)とするという か 、 社 会 の よ り ど こ ろ にす る と い う よ う な 気 持 ち が ど こ か にあ っ て 、 そ れ で 右 と か 左 と い う 言 葉を 多 少 眉 を 寄 せ な が ら 使 っ て き た ので は な か っ た か 。 そ の 中 道 が 右 に 移動 し て き た た め に 、 今 ま で 極 右 だ った も の が 単 な る 右 に 、 あ る い は 普 通に な っ て き たのではないのか。 二〇一一年くらいには欧州 (どう い う わ け か オ ー ス ト ラ リア も 入 る ) の 右 傾 化 が 話 題 だ っ た 。二 〇 一 二 年 に は 、 そ れ が ほ と ん ど 話題 に な ら な く な っ た 。 右 傾 化 が 止 まっ た の か と 言 え ば 、 そ う で も な い 。こ こ で も 中 道が右にシフトしたとしか思えな い。 (了)
をご覧ください。 EaphetHP
▼毎週水(十九時半~二十二時)隨邊聊聊… ドキュメンタリーを見て、討論をします。 二 月 十 三 日【 49 UP ‐ A film by Michael 】 Apted 二月二十日【政治語言後的秘密 Deflating the 】 Elephant 二月二十七日【望郷 】 Homesick Eyes ▼毎週金(十七~十九時)英語で読むかい… 話さなくても聞けなくても OK 、読むことだ けの勉強会。 "Shock Doctrine" (Naomi Klein) ▼毎週木(十九~二十一時)ネッシン…参加 者各自がテーマを持ち、調べ、発表したりし ています。現在は、スタディーツアー「東ア ジアとアメリカ」のまとめとして、私たちが 得 た こ と 伝 え た い こ と を、身の 回 り に 発 信 していくことを考えています。イベントを 開 い た り、展 示 会 を 行 う 等 の形 を 作 っ て い くことを目標にしています。 ▼ そ の 他 に も 毎 月 さま ざ ま な活 動 を 行 っ て
います。詳細は
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文芸 家たちが何年 間も奔走し て保存 聊聊映画館レビュー に力 を入れていた 華山特区は 、企業 経営 の団体と不公 平な契約を 結んだ 毎 週 水 曜 日 の 夜 七 時 か ら の 「聊 結果 、今は商店や レストラン があふ 聊」ではドキュメンタリー作品を れる 公園になり、 もとの展覧 空間は 中心に、映像を通して語られる歴 駐車場の横の場所に移された。 史、社会、人々について議論して こ のよう な政 府主導 の文化 執政 の いる。このコーナーでは、八月か 無能 や失敗の代わ りに、芸術 文化が ら十一月に 「聊聊」した作品の中 好き な文芸家たち が協同で、 自ら募 からいくつか紹介しよう。 金し、台中に 忠信市場 と いう芸術 や文化が集まる場所をつくった。 不 自主経営 * 註一 から四年位の間 忠信市場 ――――その模様、、、、姿勢とととと大事なところ に、 古い空間の再 利用の可能 性を試 李国基 (翻訳:鄭純如) みた若者の主動的、積極的な動きは、 田舎の農業地区から都会へ出て来 て、 現在の古い伝 統的な市場 を築い た住 民たちの努力 の精神を引 き継い だようだ。人を集めることや、話題を 作ること、内容の豊富さ、いろいろな 面か ら見ても政府 が主導する 文芸活 動にはまったく引けをとらない。 忠信市場 は台中市の西区にあ り、四十年以上の歴史のある 私有伝 統市場 である。周囲は建設会社が建 てた 一戸建ての別 荘に囲まれ 、目の 前に は国立美術館 という立地 条件の 中に忠信市場はある。 公有 市場 に 対し 私有伝統市場 は所有 権を持っ てい る人が自由に 売買できる 。公有 市場 の場合では、 経営意力の ある人 が市 政府から空間 を借用し、 市政府 は土 地所有者とし て、タイル や壁や 公共 トイレなどの メンテナン スをす る。 四 十年前 には 市場の 近くは 小規 模 鉄工 場や洋式住宅 があふれて いた。 五権 西路がまだ無 い頃は、現 文化局
ここ 数年、政 府の立法執政は 人民 側ではなく、財閥企業側に傾いて い る傾向にあることは皆が知ってい る。常に公的な権力が争い事に介 入 し、ある企業に協力する形で反対 の 意見を持つ弱い側を排除する。例 え ば、台北の都市開発計画の王家の 事 件、或いは苗栗県政府が土地の値 上 げをするために農地を強制徴収し 、 農民の生産の工具や財産を暴力的 に 奪い取った事件。または、二林中 科 彰 化 に あ る 科 学 園 区 は、 台 湾 中 の 科学園区の土地が過剰であまり利 用 されていないにもかかわらず、農 民 の生活の頼りである畑を強制徴収 し たことなども。 さら に古跡や 古い建物の保存 と再 利用の面では、なかなか保存は進 ま ず、むしろ徐々に壊されていってる。 例えば、台中市の指定古跡瑞成堂は、 重劃会 配置計画 の理事長の指示 で、ショベルで破壊されてしまった。
と国立美術 館の土地に はまだ一般 住宅があり、 付近の住民 がよく忠信 市場で買い 物をした。元 住民の頼さ んによると、 一番盛んな 時、豚肉屋は 六軒もあった。他には、布団屋、背広 屋 な ど 、 日 常 生 活 が 充 足で き る 店 が 並 ん で い た 。 こ の 市 場 が活 気 に 溢 れ ていたときであった。 工業が変わって いくと共に、小 規 模 工 場 は 続 々 と 他 の 場 所に 移 転 し 、 量 販 店 も 次 々 に 周 辺 に 入っ て き た 。 さらに、五権西路ができた後、市場は 人 気 が な く な っ て い く 。住 民 は 店 を 他 の 場 所 に 移 転 す る か 、外 で 働 か ざ る を 得 な く な っ た 。 市 場の 中 の 店 は 住宅 になり、豚や鳥や魚産、八百屋 な ど の 残 り 五 、 六 軒 の 店が 近 所 で 早 朝 の 運 動 帰 り の 住 民 に 買い 物 を 提 供 し 続 け て い る 。 西 区 の にぎ や か な 伝 統 市 場 は 向上 路 の 向上市 場 に 移転 してしまった。 市場の外圏の店は麺屋、飲食店、服 の 店 な ど 挟 ん で 、 昔 市 場の 隣 に あ っ た 下 水 溝 は 道 に な っ た 。五 権 西 四 街 辺 り は 市 政 府 の 運 営 計 画の も と に 異 国 風 レ ス ト ラ ン の 街 に なり 、 周 辺 の 住 宅 は 建 築 会 社 に 買 収 され 、 三 十 階 以 上 あ る 高 級 マ ン シ ョ ンに な っ た 。 国 立 美 術 館 と 緑 園 道 と いう 、 休 憩 で
きるような雰 囲気で、人が集 まる環境が市 場周辺には作 られていった。 しかし、市場 の中はいつも 暗いままで、一 部の住民は周 辺の物件より 家賃の安い五 坪もない部屋 で、 パートや資源 回収をして 生活を 維持 している。ま た一部の住 民は路 上に 私物を放置し ているよう な状況 だ。 市場はもうダメだ。十何年も人 気のない状態だよ。 と、市場で三十 年間 人気の魷魚羹 麵店を経営 してい る曾 おばあさんが 私にこう言 ってい た。 二〇〇八年十月、小雨さん、邱さん と何名かの芸術家の友人たちが 黒 白切 台湾の屋台料理 を食べてい ると き、その中の ある一人が 提案し た。 一人が一カ月 あたり千元 出せば 自分たちの店ができ、夢が叶うと。そ の考えが今の 黒白切 とい う展示空 間に 繋がったのだ った。政府 の計画 なしで自力で発展した 忠信 市場 の 新たな風貌。 黒白切 は共同出資とい う形で一 つの 空間を経営し ている。三 週間で 一期 として、芸術 家に無料で 展示す る機 会を提供し、 一切営利は なく給 料を支払うスタッフもない。 黒白 切 設立後、二〇一〇年三月、 黒白切 が二十万元を受け取らない事件 が
*黒白切改装中
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はさら に市場に古い 発生した。蕭瑩燈さんがフェイス Space ブ ッ ク に 載 せ た 文 を 引 用 し た い と 思 空 間 の再 改装 と いう 風を吹 か せ た。 下記 は 設立 当時サ う。 イトに記載: “ 四 年 前 、 黒 白 切 ギ ャ ラ リ ーと 二〇〇九年、 書房は 書房 が設立したば かりの時に 、何榮 幸、黄哲斌、高有智などの記者による 約五ヶ月間の改装を経て、 我 的 小 革 命 と い う 連 載 が あ っ て 、 完 成 した 。初 期 はサ ロンと 黒 白 切 と 書 房 は 取 材 を 受け た 。 の い う 形式 で非 公 開の 集まり ちに『我的小革命』という本が出版さ の場所と設定していたが、 れ、ベストセラーになった。それを馬 二〇〇九年十一月から正式 総 統 が 知 り 、 あ る 日 の 夜 中 に 総 統 府 に 芸 術展 覧空 間 にな った。 か ら 電 話 が 来 た 。 馬 総 統 が 個 人 的 に 毎 月 、芸 術家 た ちの 展示を 二 十 万 を 寄 付 し た い と 告 知 さ れ 、 世 行 っ たり する 。 展示 内容は 間 に 公 開 し な い と 保 証 さ れ た 。 次 の 様 々 で、 展示 会 開催 の過程 さんと黒白切ギャラリー で潜在力のある新人発掘の 日、私は ROY の 株主 たちと相談した。結果、 ROY可能性もある。同様に芸術 さ ん の 強 い 主 張 で 、 私 た ち は 馬 総 統 家 を 招き 一緒 に 空間 の更な の好意を断ることに決めた。でも、私 る可能性を模索している。 黒白切 と が次々と設立 が断りの電話を総統府に入れる前 Z Space に、新聞のヘッドラインに、馬総統が したあと、低価格で自分の夢を叶 え 私た ちに寄付する という記事 が出て たい若者たちが続々と市場で空き 部 いた。私は黒白切の公式サイトで 黒 屋を借りるようになった。 その中のジェンダー 白 切 は 馬総 統 の寄 を テーマと する書店 自 付を断っている 己的房間 自分の部屋 と 宣 言 しな け れば は、イギリスでジェン ならなかった。” ダー理論を勉強してき 黒白切をはじめ た蔡善雯さんが性的指 苦 労 網 、山 城 週刊 向の議題と、運動を主に な ど 三 つの 団 体は する本屋を台中に設立 皆、馬英九に 頭よ する重要性を知り、自分 しよし され 収 の理論の実験場所とし 穫 されるのを拒 て、単独投資という形で 否 し た 。自 主 、自 勉強会や小型のワーク 立 、 体 制外 改 革の ショップを開催してい 革 命精 神 を 主張 る。 する。 フィルム撮影の同好 後 に設立 した Z
会 で ある は 阿徳さ ん が管 理 Cameza している。阿徳さんは、平日は仕事を し て い て 週 末 に 仲 間 と 集ま っ て 一 緒 に写真世界の風景や光景を追う。 黄米露さんが経営している 小路 映画 は独立制作の映画を広めると いうもの。一方、イラストレーターの 展示の企画執行や代理もやってい る。彼女はとても熱心で、全国的に短 編映画と動画を募集したことがあ る。ある日、市場の路上で薛常惠さん の監督したドキュメンタリー 芸霞 年代 を放映したとき、昔お寺の前で 見 た 近 所 の お ば さ ん た ちと 若 者 の 記 憶 を 思 い 出 し た 。 市 場 の焼 き 鳥 屋 の 王 さ ん は 、 少 女 時 代 に 女工 と し て 働 いていたとき、自分のへそくりを ずっと貯めてやっと買った 芸霞年 代 のチケットのことを思い出した。 そ れ か ら 、 台 北 の 現 在 芸術 館 と 提 携
し、映像やイラスト レーターの作品展示会 をイタリアで行ったこ ともある。芸術家たち がもっと多くの脚光を 浴びる機会や交流の機 会を与えている。 古い時代の民芸品を 販売し、 忠信民芸 を 経営している鄭心佩さ んは台北出身で、古跡 や文化のあふれる台南 の大学を出た後、友だ ちの紹介で自分の小さ い空間を見つけた。 腐った木の階段を壊 し、壁を塗り替え、壁に 絵を 描いて、一人 で何ヶ月間 もかけ て今 のカラフルな 昔ながらの 空間を 完成 させた。多く の観光客は 雑誌や 新聞 などの記事を 見て、わざ わざ遠 方から尋ねてくる。 忠信民芸の 外にある 奉珈 琲 の 方 大頭 さんもサラリ ーマンで、 台湾伝 統の 奉茶 の精神で週末に 通りかか る旅人にコーヒーを振舞う。 さ らに、 市場 が次々 と新し い活 動 を行 う過程で、地 元住民三代 目の子 ども たちが顔を出 すような空 間が形 成さ れた。観光客 と芸術家と の間の 流動 的な空間で遊 びながら、 大人た ちから芸術、映画、美観とは何である かを聞かされて、毎月の 作 品 をエ ンジョイしている。ここ三、四年間、 周辺 のビルの子ど もたちとの 関係の 中で 、独特な生活 模様が生ま れてき た。もしかしたら、子どもたちが大き
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くなったら、芸術創作で自分の考 え を伝える芸術家になるかもしれな い と私はいつも冗談で言っている。 で も、私が確信しているのは、この環境 で子どもたちの芸術に対する感知 と 鑑賞力は育むことができるという こ とだ。 しかし、二〇一二年四月二十八日、 台中市のある建設会社はこの土地 に 目をつけ、忠信市場で第一回都市 計 画公聴会が開催された。この土地 で 地下五階、地上三十三階のビルを 建 てる計画を説明したのだ。仮に都 市 計画が成功し、ここの当地住民が 持っている小坪数の所有権を売っ た としても他の同じ坪数のマンショ ン さえ買えない。家を出たらすぐに 散 歩ができるような生活緑園道から 離 れなければならなくなる。ここで 賃 貸した文芸空間は他の家賃の安い 場 所に移さなければならない。市場 に いる弱い立場のブルーカラーや退 役 老兵たちも資本主義ゲームの中で 都 市計画の悪法に自分の余生を呑み 込 まれる。 だから、 我々が考え なけれ ばなら ないことは、土地が高額ビルとい う ような金銭ゲームに弄ばれ、思い 入 れのある建物を潰すのは都市計画 の 唯一の選択肢なのかということ。 王 家都市計画事件のことで衝撃を受 け た民衆が真に求めたいのは、公平 正 義に符合し、マイノリティーを後 押 しし、異文化を尊重する新たな都 市 模様のはずだ。 四年間で忠信市場は暗い路地の 市 場から、雑誌や新聞などに報道さ れ
るよ うな観光スポ ットになっ た。毎 月ギ ャラリーの展 示、講座、 ファッ ショ ンショー、音 楽会、蚤の 市、映 画展 、公用トイレ の改装など の活動 が行 われ、政府が 主導する古 い空間 の再 利用と違って 、より多様 で活発 な風 貌が示された 。今の忠信 市場は 新旧 融合し、各自 独立した空 間を保 ち会 議や規範は無 く、それぞ れ興味 や理想を持って運営している。自 由、 自主、努力、 こだわりな く、当 地住 民と交流し共 生すること 。それ を生み出したのは 新忠信市場精 神 、より一層の 文化都市計画 と 言っても過言ではないだろう。 (了) 註一 不自主経営 とは、新旧融 合、 空間は各自独 立性を保ち 、会議 や規 範、組織等は 無く、それ ぞれ興 味や理想を持っている。自由、自 主、 努力、こだわ りなく、当 地住民 と交流し共生すること。
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【【【【勉強会報告】】】】 ――――英語でででで読読読読むかい ショック・ドクトリン十三章 アジア略奪と『第二のベ Let it burn ルリンの壁崩壊』 武藤泰子
」
「英語で読むか い」では今 ショッ ク・ドクトリンを読んでいます。 ショ ック・ドクト リンの内容 を一言 で簡単に言ってしまえば、ミルトン・ フリ ードマン批判 と言うので しょう か。 最初にイント ロダクショ ンを読
み、先日「 Let it burn アジア略奪と『第 二のベルリンの壁崩壊』」の章を読み 終 え ま し た 。 シ ョ ッ ク ・ド ク ト リ ン は、邦訳も出版されているし、内容に つ い て も ネ ッ ト 上 に 様 々な 解 説 が あ ります。詳しく知りたい方、かいつま ん で 知 り た い 方 と も に 参考 に な る と 思います。 ショック・ドクトリンの副題は 「 disaster Capitalism 」。邦訳は「惨事 便乗型資本主義」。津波や災害などの 混 乱 状 況 に 乗 じ て 、 資 本主 義 を 一 気 に導入することを言います。この「惨 事 便 乗 型 」 で 本 書 を 読 んで 驚 い た の が、「拷問が隠れたパートナー」だっ たというところです。 の「強制的な尋問」は、拘束し CIA た 人 を 「認 識 不 能 の 状 態 に 陥 れ ショックを与える」ことが目的だ。や り方は、拘束した人を外界と遮断し、 身体的に強烈な刺激を与 える。する と 、 心 が ゴ チ ャ ゴ チ ャ にな っ て 無 力 化 し 、 理 性 的 に 考 え る こと が で き な くなる。そうすると、尋問者の聞きた いことを話すようになる。 「惨事便乗 型 資本主義」の惨事は、人々を「認 識不能の状態」にする。それは「まっ さらな紙」で、そこに「新たな美しい
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言葉」(=資本主義)を書くことがで きる。 実 は、こ の箇所 を読ん でほど な のドラマでオウム く、たまたま NHK 真理 教のことをや っていまし た。そ こで描かれたオウム真理教の方法 のやり方ととてもよく似 も、この CIA ていました。詳細はうろ覚えですが、 ドラ マで見た内容 は、教団の 考えと 相容 れないという 信者を、小 さな光 も音 もない個室に 数週間も閉 じ込め る。 すると信者は 教団の信仰 を受け 入れ るようになる というもの だった と思 います。あま りに似てい るので 怖いくらいでした。 さて、こないだ読み終えた 「 Let it 」。イントロダクションの後、全 burn 部で 二十一章ある うちの前半 をすっ とばし、第十三章です。この章を選ん だの はアジアが舞 台の内容だ ったか らで す。一九九七 年のアジア 金融危 機。これがアジアでのショック・ドク トリンにつながる惨事です。以下、本 書が語るアジア金融危機のストー リー を私が理解し たなりにま とめて みます。
一九九〇年代初め「アジアの虎」と 言わ れ急成長して いた国々。 その利 権を 欧米や日本が 狙っていた 。しか しア ジアの虎各国 は保護貿易 政策を とっ ていて欧米や 日本は手が 出せな や WTO の圧力を受けた結果、 い。 IMF これ らの国々は国 営企業を外 国へ開 放し ない代わりに 、金融部門 への外 国からの投資を認めることになっ た。アジアの金融危機の発端は「タイ
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が自 国の通貨を安 定させるに 十分な ドル を持っていな い」という 噂から 始まった。債権回収が始まり、タイで 通貨 暴落が起こっ た。投資は アジア の虎 を一つのパッ ケージとみ なして いた ので、次々と 他の国へと 波及し てい った。アジア 各国政府は 自国通 貨を 支えようと中 央銀行から 外貨を 排出し、その結果、これらの国々は破 産に 向かっていっ た。ここで できる 解決 策は、一九九 四年のテキ ーラ危 機の 時に取った方 法でだけだ った。 その 方法は、素早 い断固とし た貸付 で、 アメリカ財務 省はメキシ コを崩 壊さ せないという ことを市場 に証明 する ものだ。その ような動き はアジ アで は起こらず、 むしろ積極 的にア ジア市場には手を出さずに放置し た。アジアの危機 が更に深刻なも のになることを 望んでいた。「ア ジアの危機は古 い皮から脱皮し て新しくなる機 会だ」と言った人 もいる。 「古い皮」 は保護主義的な 経済政策で、「新 しい」のは完全な 自由貿易市場と いうことだろう。 惨事はさらに拡 大した。四ヶ月後 にようやく IMF は腰をあげ、膨大 な要求リストを
アジア諸国につきつけた。要求リ ス トはフリードマン派が推し進める 「基本的な社会サービスの民営化 、 独立した中央銀行、『フレキシブ ル な』労働力、少ない社会保障費、完全 な自由貿易」を求めるものだった。比 較的被害の少なかったマレーシア 以 外は、この要求を呑むしか方法が な と の新たな協定では、タイは い。 IMF 外国人投資家の銀行への大幅な投 資 を認め、インドネシアは食料助成 金 をやめ、韓国は大量解雇から労働 者 を保護する法律を改正することが 決 められた。韓国にはさらに厳しい 労 働者の解雇を要求した。この要求は、 西側の多国籍企業にとっては大き な 意味があった。彼らがアジアの企 業 を安く買い取るための人員削減だ っ た。 の要求は IMF 民主主義を無視 する形で押し通 されていった。韓 国では経済崩壊 によって政府に 一時的に独裁的 な権限が与えら の要求が れ IMF 通された。タイで は、通常の国会の 論議を経ること なく緊急法令の 形で押し通され た。ちょうど大統 領選挙の日程と との交渉の IMF 日程が重なって
いた韓国では、反 シア、韓国、フィ を掲げる立 リピンで交渉さ IMF 候補者がいたが、 れた。最後に交 はすべての 渉結果が公表さ IMF 候補者に、大統領 れる。公表され に当選した場合 たら、各国の資 との交渉規 金が戻ってくる IMF 約を守ることを はずだった。し 文書で誓約させ かし、結果は た。インドネシア 違っていた。市 がアジ は三十年以上も 場は「 IMF アの虎各国をこ の間スハルト将 のように根本か 軍が支配してい ら建てなおさな たが、スハルトは の要求 ければいけない 当初 IMF を拒否していた。 と考えているな はメディア らば、アジアの IMF を利用しそれに 状況は今思って 対抗した。公式に いる以上に悪い は交渉の は、 IMF のではないか」 との交渉結果の公表後 間、交渉内容についてメディアに語 と考えた。 IMF る こ と は 禁 じ ら れ て い る。 交 渉 内 容 資 金 は さ ら に 流 出 し た 。 惨 事 は 更 に が漏れると市場に大きな影響が出る 拡大した。 の こ の結果 を喜 んで受 け止め たの は からだ。しかし今回は、匿名の IMF 高官がワシントン・ポストに 「市場 ウォ ール街の人た ちだった。 アジア は、スハルト将軍が今回の交渉、特に の大 セールになっ たからだ。 アジア 再 生 計 画 に ど れ だ け 真 剣に 取 り 組 ん の 市 場 が パ ニ ッ ク す れ ば ア ジ ア の 企 がアジアの でいるか疑問を持っている」と語り、 業が売りに出される。 IMF が貸付資金から数十 危機 を意図的に悪 化させたの かどう この記事は、 IMF 億 を 減 額 す る だ ろ う と 書い て い た 。 か は 更 な る 議 論 が 必 要 だ が 、 結 果 と こ の 記 事 が 出 て す ぐ 、 イン ド ネ シ ア し て こ の ゲ ー ム に 勝 っ た の は 誰 か は 通貨は暴落し、一日で二十五%も価 明白だった。十二か月の間に、合計で 値を下げた。スハルトは降参し、 IMF百八 十六の主要な 企業合併買 収が行 の 要 求 を す べ て 受 け 入 れ る こ と に われた。 は 初期のいくつかのミスは認 なった。 IMF との交渉が始まってから一年 めて いるものの、 「安定化プ ログラ IMF 未満に、経済大改造がタイ、インドネ ム」は成功したと結論づけている。確
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そ の後シ ョッ クセラ ピー形 式の 改 かにアジア市場は落ち着いた。し か し、一方で多大な犠牲を払うこと に 造は 難しくなって きたと本書 では書 なった。フリードマンは危機が最 も いて います。一番 の例が一九 九九年 閣僚会議の決裂で ひ ど い 時 に パ ニ ッ ク 状 態 を さ し て のシアトル WTO 「いつかは終わる。経済的な混乱 が す。一番最後の部分では、惨事便乗型 落ち着けば、アジアは再び成長に 向 資本 主義の独占期 間はソ連崩 壊の一 の交渉決裂までの かう。しかし、それがいつ終わる の 九九一年から WTO か、一年後か二年後か三年後か、それ たっ た八年間だけ だったと述 べてい ます 。ただこの資 本主義はま だ続き は誰にもわからない」と語った。 「未曾有の大ショック」として、 実際、アジアの危機は十年を経 て ます。 も終わらなかった。二年で二千四 百 次の 章の九一一後 のアメリカ でのこ 万人が職を失い、タイやインドネ シ とへ 続いています 。今は、こ の次の アでは子どもの性貿易が増加した 。 「米 国内版ショッ ク療法」を 読んで 利益を求める海外オーナーの元で 労 いるところです。 こ の話の アジ ア金融 危機に つな が 働解雇が続いた。自殺者の増加も 続 いていた。インドネシアでは反中 華 るア ジアの金融自 由化がなぜ 行われ 感情が続き千二百人の人が殺され 、 たの か、そこはよ くわかりま せんで 女性が集団レイプされた。これらは、 した。これを読んで思ったのは、地震 の「安定 や津 波と同じよう に金融が惨 事にな 語られることがなかった IMF りうるんだなというこ とでした。私 化プログラム」のストーリーだ。 **** **** **** は通 貨が比較的安 定している ところ 最 後 の 部 分 で は 、 隠 れ た パ ー ト でし か生活したこ とがないの で、紙 の 幣は ただの紙切れ ということ は、頭 ナーの拷問が再び登場します。 IMF 要求をすべて受け入れたインドネ シ では 理解しつつも 実感があま りあり アでは、その後スハルトに対する 反 ん 。 経 済 に つ い て は わ か らない ま せ 発が強まりついにスハルトは辞任 に ( じ ゃ あ 、 何 な ら よ くわか る こ と が 多 く 追い込まれました。 のかとい うこと はさて おき ) 、自分なり に色 々本を読んで はいます。 今更何 を言 っていると思 われるかも しれま せんが、読んでいる本の中で、現在の 経済 につながる一 番大きな転 換点は 金本 位制が崩れた ことにある と指摘 して いるものをよ く目にしま す。金 本位 制は中学の公 民か高校の 現代社 会か 歴史かの教科 書に書かれ ていた あれです。教科書で見たときには、あ あそ うかとしか思 いませんで した。 刑務所での尋問者のように IMF は とてつもない痛みをアジアの虎た ちに与え、これらの国々の意思を剥 の ぎ取り従順にさせた。しかし、 CIA 尋問マニュアルでは痛みを与えす ぎると、拘束された人は退化し従順 になるかわりに、自信を持ち反逆的 になると警告している。インドネシ アは一線を越えてしまったのだ。
で も よ く 考 え れ ば 、 金 本位 制 の 崩 壊 以 来 、 私 た ち は と て も 不安 定 な 経 済 の 中 に い る の だ な と 思 いま す 。 そ の 不安定な状態は、本書で「秘密主義の ヘ ッ ジ フ ァ ン ド の 思 い つき で 世 界 の 反 対 側 を 集 団 貧 困 に 陥 れる こ と が で き る 」 と 言 わ れ て い る こと だ と 思 い ます。 今回読んだショ ック・ドクトリ ン の最後の部分で書かれていた の WTO 交 渉 決 裂 に 見 ら れ る よ うに 、 自 由 市 場 主 義 と か 新 自 由 主 義 とか 、 こ れ ら の 考 え 方 を 手 放 し で い いと 言 う 人 は もういないのではないかと思いま す。私が最近読んだ本の中にも、白熱 教 室 で 有 名 な マ イ ケ ル ・サ ン デ ル の 「それをお金で買いますか―市場主 義の限界」や「暴走する資本主義」と い う タ イ ト ル の も の が あり ま す 。 一 方 で 、 そ の 勢 い は あ ま り衰 え て い な い と も 言 え ま す 。 現 在 日本 で 話 題 に よ く あ が る 橋 本 大 阪 市 長も 自 由 市 場 主 義 と し て 知 ら れ て い ます 。 彼 の や り 方 を シ ョ ッ ク ・ ド ク トリ ン の 手 法 そ の も の だ と い う 人 も いま す 。 そ し て 橋 下 市 長 の や り 方 に 賛成 す る 声 も 私 は 聞 い た こ と が あ り ます 。 私 は 教 育 機 関 で し か 働 い た こ とが な い か ら か も 知 れ ま せ ん が 、 橋 本市 長 の や り 方 、 特 に 教 育 問 題 に 関 する 考 え 方 に は反対です。きのうは、たまたま昨年 末 に 出 版 さ れ た こ ん な 本が あ る こ と も知りました。 「もし小泉進次郎がフ リードマンの『資本主義と自由』を読 んだら」です。この本のタイトルを見 た瞬間なんじゃこりゃと思いまし た。アマゾンでの解説を読むと、この
本の 目的はわかり やすくフリ ードマ ンの 思想を解説す ることです が、急 速な インフレで危 機に陥った 日本を 小泉 進次郎がフリ ードマンの 「資本 主義と自由」を読みながら立て直 す… のような話だ と理解しま した。 急速 なインフレで 危機に陥っ たとは まさ にアジア金融 危機のよう な状態 で、 フリードマン の手法なら その影 で様々な犠牲が出るのではないか と、ショック・ドクトリンを読んだの で思 いますが、そ の犠牲はこ の本で はど う描かれてい るのでしょ うか。 それ とも小泉進次 郎の父、小 泉元首 相の「改革は痛みを伴う」のような一 言で 片付けられて しまうので しょう か。 この話は二〇 一五年の近 未来の ものです。小泉進次郎はさておき、惨 事が 起き、フリー ドマンの手 法が取 り入 れられ、多国 籍企業が一 人勝ち し、 多くの犠牲が 払われる、 という ショ ック・ドクト リンに書か れてい るス トーリーのよ うなことは 現実に は起きては困ると思います。 (了)
日本国::::自民圧勝後のののの原発
阿川
民 主党野田政権 は二〇一二 年の九 月、「二〇三〇年代に原発ゼロ」を掲 げ(革新的エネルギー・環境戦略) 「原 発稼 働ゼロを可能 とするよう 、あら ゆる 政策資源を投 入する」と ぶちあ げた。そのために①「四十年廃炉」の 厳格 適用②原子力 規制委員会 が安全 を確 認したものの み再稼働③ 新増設 はし ない――とい う三原則を 出し、
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太陽 光や風力など の再生可能 エネル ギー の発電量を三 十年までに 三倍に する など、具体性 には欠ける けれど 方針は打ち出した。 と ころが 十二 月の衆 院選で 自民 党 が圧 勝すると、そ の十日後に は新政 権の 経済産業大臣 が原発再開 は政府 の判 断でやるので シモジモは 黙って おれ、と発表。同じ記者会見で、▽野 田の 掲げた 「二〇 三〇年代に 原発ゼ ロ」は白紙に戻すこと、▽使用済み核 燃料 の再処理も継 続すること 、を宣 の番 言した。三十日、安部総裁は TBS 組で 原発増設も考 えると公言 。―民 主党の「二〇三〇年代に原発ゼロ」な んて、無責任なホラ話にすぎない。あ たし ゃあもっと責 任あるエネ ルギー 政策をすすめるから見てろ、と。確か にゼ ロにするには その行程を 具体的 に考 えて実行して いかなくち ゃいけ ないから骨が折れ る。今まで通りに やってくんだった ら、官僚も現場も慣 れてるから交渉も 運営も楽なもんだ。 財界の受けもいい。 確かに産業界と財 界と官僚界(?)に 対 し て は 「責 任 あ る」行動。 アメリカ合衆国 でカーターの後に 就任した企業代表 レーガンが、カー ターのやった原子 力産業暴走への歯
止め政策をことごとく「無責任」とし てぶち壊していったのに似ている。 使用 済み核燃 料の再処理、そ の目 玉でもあった高速増殖炉「もんじゅ」 は、つい先だって(一月二十八日)設 置許可を無効とする行政訴訟判決 が 出た (国側は当然上訴したのでま だ 裁判は続くらしい)。どちらにせ よ 「もんじゅ」は問題多発で運転で き る状態じゃない。だから国は今年 度 予算にその維持費、百七十四億円 だ けを計上して運転費用は計上して い ない。一九九五年のナトリウム漏 れ 事故以来、年間百何十億という維 持 費だけを十七年間かけ続けてきた の だ。 とこ ろで、そ んな自民党を支 持し た 選 挙 民 は (投 票 率 は 記 録 的 に 低 かったそうだが)何を考えている ん だろう。原発事故で酷い目にあっ た 福島でも自民が圧 勝した。事故後の処 理と対策という面 で、民主党じゃだめ よねえという気持 ちが出てくるのは 分かるけど、原発推 進派の自民にしよ う、というのは飛躍 がありすぎないか。 最近の世論調査 によると安部内閣 の支持率は六十 八%ほどだという 一月十二日。 ( TBS ちなみに鳩山内閣 成立時には七十
五%という記録を 出した)。これはす ごくじゃないけ ど、相当にいい。い ろんなサイトでは デフレ対策とアル ジェリア人質事件 への対応などをそ の理由として挙げ ている。アルジェ リア人質事件で私 などに見えたの は、政治屋と官僚 の天下り企業とし て名高く、日本企業が海外で「エコノ ミック・アニマル」という栄誉ある俗 称 を 戴 い た 時 代 か ら 先 頭を 切 っ て き た『日揮』と自民党の深ーいつながり だった。加えて、海外に出ている経済 先 兵 を 軍 事 力 で 守 る こ とが で き な い (自衛隊をそういう風に派兵できな い)ことを嘆いてみせた安部君。―満 州 で も フ ィ リ ピ ン で も 、そ の よ う に し て 日 本 軍 は 現 地 の 日 本人 を 守 っ た じゃないか。アメリカ合衆国だって、 そ の よ う に し て 南 ア メ リカ の ア メ リ カ 合 衆 国 企 業 を 守 っ た じゃ な い か 。 な ん で 今 の 日 本 に は そ れが で き な い の ? と い う わ け だ 。 だ から 憲 法 変 え なきゃ、という風に繋がっていく。こ れ は 利 用 で き る お 話 だ から イ ラ ク 人 質 事 件 の と き の よ う に 会社 に も 犠 牲 になった社員にも「自己責任」なんて 言わなかった。でも、日本国の選挙民 に は そ う は 見 え て な い んだ ろ う 。 テ ロ に 対 し て 毅 然 と 、 迅 速に 対 応 し た ―なんて言われちゃう。
デフレ対策の方は、どこか にその効果が出ているかと 言えばそうではない。国際金 融市場にとっては、これを機 会に日本国がますますの規 制緩和をしてくれて、市場開 放してくれればチャンスが 広がるわけだから歓迎だ。自 民優勢と聞いた瞬間に株価 は上昇し円が買われたくら いだから。そうした特に金融 の自由市場化が、長い目で見 たときに富裕層と貧困層の 断絶を拡大することは歴史 を知っていれば分かる(北アメリカ、 ラテンアメリカ、ロシア、中国、イン ドネシア、タイ、シンガポール、ベト ナム 、南コリア… 例なんかご ろごろ してる)。それを歓迎するのは「勝ち 組」と「勝ち組になりたい/なれると 思っ てしまってい る人たち」 だけだ と思 うのだけど、 つまりは後 者が膨 大な 数存在するっ ていうこと なんだ ろう。選挙は前者の金と、膨大な後者 の票によって左右されたんだろう。 原 発ゼロ方針は 撤回された 。原発 増設 への布石が打 たれた。地 元の反 対を よそに核融合 炉の実験が 始まっ た (茨城県日本原 子力研究開 発機構 那珂核融合研究所、一月二十八日)。 アメ リカ合衆国で も増設が決 まった (フェルミ三、一月十三日)。この増 設で 儲かるのは日 立だ。日立 が 「襲 撃」 されたときに は日本軍が 出てい くた めの布石も打 たれようと してい る。 (了)
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く、事実無根なものだ。 で も 漢 人 優 越 主 義 者 にと っ て は ― 彼 ら の 中 に は 血 の 混 じ った 者 も い る ん だ け ど 、 そ れ を 認 め ない で ― 廖 萬 隆 の 発 言 に は 意 味 が あ るの だ 。 そ れ に は あ る 『 原 則 』 が 関 わっ て い る 。 廖萬隆の発言の根っこにある『原 則』は、 「文化」と 「血」という言 葉をくっつけるところに発してい る 。 中 国 は そ の 近 代 史 を通 し て ず っ と 自 分 た ち の 文 化 こ そ 文明 と 考 え て き た 。 外 の 文 化 は 、 中 華文 化 か ら 遠 く な れ ば な る ほ ど 野 蛮 だと 考 え ら れ て き た 。 そ の 『 文 明 』 の真 髄 は 血 に あり、漢民族であるか否かが大事 で 、 漢 民 族 で な け れ ば 真の 文 明 化 は 不 可 能 な の だ と い う 考 えは 、 こ う し た 中 華 思 想 に 陰 に 陽 に あら わ れ て い る 。 陰 に 陽 に 、 と 言 っ たけ れ ど 、 十 九 世 紀 末 か ら 二 十 世 紀 初頭 に か け て 中 国 の 改 革 者 た ち が 社 会進 化 論 に 基 づいた人種の ヒエラルキー ということを 言いだしてか らは、それま で暗黙に了解 されていたこ とが陽に、つ まり表にはっ きり出てき た。彼らの主 張では、白人 種もそれなり によいとし て、黄色人種 が最も優れて
いるという。こうした改革者の中 に、 汪兆銘や章太 炎 (孫文に 影響を 与え た人物)がい た。章太炎 は 「文 化は 民族に発する 」と書いて いる。 (こ れについては フランク・ ディコ ターの“ The Discourse of Race in ”に詳しいので Modern China 1992] 参照されたい 【 】。) 廖 萬隆の発言の 意味は、こ う考え てく ると徐々には っきりして くる。 原住 民の血は原住 民の中にと どまる べき であり、そう することで (一) 原住 民は今までと 同じように 『文明 化』 されるべき『 他者』とし て存続 する か、あるいは (二)その 見た目 と遺 伝子の違いが (自律的な 自助努 力に よってでも、 漢人の搾取 によっ てで も)商業的に 売り物にな る『他 者』 として存続す るべきだ、 と言っ ているのだ。その両方かもしれな い。もちろんその背景には必然的 に、 漢人の血もま た純粋な状 態にと どま るべきであり 、そうする ことで 漢人 の血の品質の みならずそ の優位 な『 文化』の品質 を落とすべ きでな いという主張が前提になっている。
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これは一年前のことだが、今週 、 また原住民に対する漢人優越主義 が 台湾の新聞の一面を飾ったので、 思
私 の英語のクラ スの話に戻 ろう。 私は 生徒たちに、 別のクラス の生徒 が結 婚式の宴会で ふかひれス ープを 断っ たという話を した後、生 徒たち を二 人ずつのペア に組ませて 、この スー プ拒否事件に ついてのそ れぞれ の意 見を交換させ た。そのと き、こ んな 声が耳に入っ てきた。 「まった く外 人 (西洋人を 意味する) がふか ひれ 問題で台湾や 中国を非難 するの
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い出 さずにはいら れなかった 。台北 タイムズの社説から引用すると、
ケヴィン・フィッツパトリックさん 2012年10月3日Eaphet座談会で
五 月四 日、 原住民 委員 会議 長の 孫 大川 は国 民党原 住民 族発 展お よ び自 治に 関する 中央 委員 会に 対 して 報告 書を提 出し た。 報告 書 は、 原住 民とほ かの 民族 集団 と の血 の混 ざり合 いが 進ん でい る こと を指 摘し、 原住 民の 文化 を 守る ため にこの よう な異 民族 間 の婚 姻を 抑制す るべ きで はな い かと いう ことを 委員 会の メン ふかひれスープ、、、、雑種、、、、 バ ーで ある 廖萬隆 の意 見と して 異種混交 提出した 【 】。 Kevin Fitzpatrick 批 判が高まった のを受けて 、廖萬 (翻訳…アウイ・カズオ) 隆は原住民族に謝罪したのだけれ (本稿の初出は英文で二〇一一年 五 ど、 その直前に原 住民を 「雑 種」と 月 二 十 一 日 ブ ロ グ Y e l l o w F e v e r ,呼んで火にさらに油を注いだ 【 】。 【 】上に同名で発表し Foreign Moons この 二つ目の暴言 は、原住民 がすで たものを、改訂しました。著者。) に何 十年も、何世 紀もの間、 台湾の 彼女は椅子の上でちょっと身体 を ほ か の 民 族 と の 間 で 婚 姻 引いて口をあんぐりと開けた。八 の を 繰 り 返 し て き た こ と を 字眉になってる。私の英語のクラ ス 無 視 し た も の だ っ た 。 の 中 年 の 生 徒 だ が 、 彼 女 は 不 承 不 (台 湾 の 人 口 の 九 十 一 % 承、つい今しがた彼女自身が痛烈 に を 占 め る ) 福 老 人 と 客 家 西洋を批判した言葉が、それ自身 、 人 の 八 十 四 % は 、 原 住 民 文化優越主義だということに頷い て 族 の D N A を 有 し て い る 賛成するしかなかったのだ。仏教 徒 という 【 】。さらに、い だったら、こういうのを『蓮の花 の わ ゆ る 『 外 省 人 』 と 呼 ば 中に宝石を見つけた』とか『泥の 中 れる人々と、 『本省人』 に根をはった蓮の花』とか、そん な と 自 称 す る 人 々 の 八 十 七%が、原住民の血を ふうに呼んだかもしれない。 持っていると聞いた。つ まり、廖萬隆の発言は単 に人種差別的なだけでな 1
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を聞 くのはもうう んざりよね 」。声 の主 はくだんの中 年の婦人だ った。 「私 たちはあの人 たちの文化 に口出 しな んてしないの に!」ペア での討 論で は、スープを 拒否するの に賛成 の生 徒も、反対の 生徒もいた 。討論 が一 段落したとこ ろで、私は みんな に、 半年前に台北 から香港に 行く飛 行機 の中で私が経 験したこと を話し た。 それはちょう ど、台湾の 元大統 領、 陳水扁が拘置 所から出た 次の日 だった。 私 の隣に座った 乗客は三十 二歳の 中国 のバイオリン 奏者で、台 湾での 二回 目のワークシ ョップに招 かれて 来台し、ちょうど帰国するところ だっ た。彼は笑顔 で蘋果日報 の一面 に載 った陳水扁の 写真―手錠 に繋が れた 両手を挙げた あの有名な 写真― を私 に見せて 「ど う思います ?」と 聞いてきた。 「全然だめです ね。」と私 。 「陳 の汚 職もですけど 、彼への報 復も、 司法に政府が介入したらしいこと も。 台湾は先に進 むチャンス を次々 に逃 がしてるよう です。あな たはど う思いますか」 彼 は静かにほほ 笑んだ。物 静かで 行儀 のいい人だっ た。 「おか しいで すよ ね」と彼。そ して 「大陸 と台湾 につ いては、どう 思います? 」と続 けた。 私 は 「台湾はそ の気になれ ば独立 国に もなれるし、 大陸の一部 にもな れる。それを決めるのは誰でもな い、台湾人です。どう思います
か。」と聞いてみた。 彼 「賛成ですね」 私 「うそでしょ。」 彼 「いえ、ほんとに。」 私 「ほんとにそう思います?いや 、 驚いたな、なぜです?」 彼は、以前だったら自分は強く 反 対しただろうと言う。彼はフラン ス にバイオリンの勉強に行って孤独 と 戦いながら、なんとか勉強をやり 遂 げたのだそうだ。その後、市のオ ー ケストラに応募した。オーディシ ョ ンで審査員にこう言われた。 「技 術 的にはとてもいいのですが、何か が 欠けてるようです。その何かは、 や はりヨーロッパの血ですね。」と。 ここまで聞いてくだんの中年婦 人 は目を大きく広げて椅子から乗り 出 した。 「それは人種差別でしょ」 と 別の生徒が言った。 バイオリニストの彼は、もう一 つ 別のフランスの市営オーケストラ に 応募したけれど、そこでも同じよ う な言葉を投げつけられたそうだ。 怒 りと自己卑下が交互に押し寄せて く る中、彼はもう中国に戻ろうかと も 考えたという。でも、もう一度だ け 試してみようと思ったのだそうだ 。 三番目のオーディションはブライ ン ド・オーディションで、審査員た ち は候補者の名前だけ与えられ、候 補 者はカーテンの向こう側で演奏し た。演奏を聴いて三人の審査員の う ち二人は顔色をなくした。 (最後 の 一人は満面の笑顔で彼の手を握っ た そうだ。)こうして彼はオーケス ト
ラに席を得た。 「それからは、」バイオリニスト は続けた 「文化と血のつながりなん て、私は信じません。」 中 年 の 婦 人 と ク ラ ス の生 徒 た ち の 顔を見渡して私はこう続けた。 「私 も 彼 に 賛 成 で す 。 ふ か ひれ ス ー プ に つ い て の 意 見 と し て で はな く 聞 い て く だ さ い 。 公 正 な も の は公 正 な ん で す 。 正 し い こ と は 正 し いし 、 間 違 っ た こ と は 間 違 っ て い る んで す 。 何 が 公 正 で 、 何 が 正 し く 、 何が 間 違 っ て い る か と い う こ と に 血 なん て 何 の 関 係もないんです。」 で も 、 も ち ろ ん 間 接 的に は 、 私 の 言 葉 は ふ か ひ れ ス ー プ につ い て の 私 の 意 見 で も あ っ た 。 私 の言 葉 に 中 年 の 婦 人 が う な づ い た 。 これ は 私 の 二 十 年 以 上 に わ た る 教 師 生活 の 中 で 最 も思い出に残る瞬間の一つになっ た。 「何パーセントの中国人があなた に 同 意 す る と 思 い ま す ?」 私 は バ イ オリニストに聞いてみた。 「1 パ ー セ ン ト か 、 そ れ 以 下 か な 。 で も 外 で 長 く 暮 ら せば 分 か っ て きます。中国人はおおかた善良な 人々ですから。」 時間がかかるということだ。で も 、 若 い 台 湾 人 た ち は すで に 理 解 し て い る 。 今 週 、 あ る 大 学生 グ ル ー プ が 六 月 十 六 日 か ら フ ェ イス ブ ッ ク で 「自分たちの結婚披露宴のテーブル か ら ふ か ひ れ ス ー プ を 排除 し よ う 」 と い う キ ャ ン ペ ー ン を スタ ー ト さ せ る と 発 表 し た 。 こ れ を 報じ た 台 湾 の
英字 新聞の記事は “文化”と いう言 葉 を ま る で 使 わ な か っ た 【 】。 グ ループのメンバーはただこう言っ た。 「私は自然と 人間の関係 につい て学んだんです。」と。
私 は、でも、国 民党の廖萬 隆に一 つだ け賛同できる 点がある。 二〇一 一年 の旧正月を祝 うキャンプ が急水 溪沿 いのブヌンの 土地で行わ れ、私 と友 人はそれに四 日間参加し た。台 湾の 主流文化から 離れてブヌ ンの世 界観 に触れること は、何か爽 快な経 験だ った。もしブ ヌンの人た ちが、 多く の漢人やほか の人々と同 じよう に『 われわれ』と 『彼ら』の 感覚を 失っ ていたら、こ んな爽快感 は感じ
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】
http://www.yffm.wordpress.com
られただろうか。ブヌンの場合に は 【 】 http://www.taipeitimes.com/News/▼十二月 十四日 米国コネティカ ッ editorials/archives/2011/05/18/2003503506 ト 州、小 学 校 で銃乱射事件。児 童 二 単に文化的にではなく、地理的に 主 【 】 http://www.taipeitimes.com/News/ 十 人など二 十六人が 死亡。母親の 銃 流から離れているわけだが。 taiwan/archives/2011/05/20/2003503702 人種差別問題というのはこのよ う 【 】 http://www.taipeitimes.com/News/コレクションを持ち出して犯行にお よんだアダム・ランザ (二十歳)は自 な分離を取り囲む形で存在してい front/archives/2007/11/21/2003388825 て、人種差別はどう考えても悪な の 【 】 h t t p : / / w w w . h a r t f o r d - h w p . c o m/殺。全米ライフル協会は沈黙。 だけど、人生の他のものと同様に 、 【 archives/55/043.html 】 http://www.chinapost.com.tw/taiwan/▼十 二月十六 日 日本国で衆 議院総 人種差別もまた意図しない結果を 生 national/national-news/2011/05/19/302919/選 挙、自 民 党 がががが 大 勝。改 憲・自 由 市 むことがあって、ときには肯定的 な Students-kick.htm 場・原 発 推 進 の 自 民 党 が 勝 ち、米 国 結果も生みだす。 メ デ ィ ア で は 「歴 史 修 正 主 義 者 が 私は台湾人の友人たちと付き合 う 勝 っ た」、中 / 南 韓 で は 「極 右 政 権 のが好きだし、ブヌンの友人たち と がががが見見見見たたたた出来事 の 誕 生 」 と 危 惧 の 声 が 飛 び 交っ た。 Eaphet 付き合うのも好きになった。そこ で 二 〇 一 二 年 十 二 月 ~ 二 〇 一 三 年 一 月 右 傾 化 を 止 め る 政 党 は あらわれ ず、 気づいたことがある。『他者』と い 逆に煽るだけ うのは不安の材料だ。他者に対し て ▼ 十 二 月 六 日 米 国 ワ シ の政党乱立選 私たちは魅力だったり、嫌悪だっ た ン ト ン 州、マ リ フ ァ ナ 挙。 り、恐れだったりを感じる。人間 は ((((乾 燥 大 麻))))合 法 化。合 ▼十二月十八 こうした精神的な不安定感を上手 に 法 化 し て 課 税 対 象 に な れ 日 日本国 で 手なずけられるほど成熟していな い ば 財 源 に っ て こ と ― 時 代 「「「「一 票 のののの 格格格格 ので、人種差別は多くの、いや大 部 は変わった。 分の人たちにとって簡単に、安価 に ▼ 十 二 月 八 日 気 候 変 動 精神の安定を得られる解決法なの 枠 組 条 約 第 十 八回締約国 だ。すべての文化とそれに付随す る 会 議 ( COP18 )が、ド ー もろもろのことが、他の文化の人 々 ハ で 幕 を 閉 じ た ( 十 一 月 十 六 日 に 幕 開 を認知することを妨げる方向に働 く け)。温 暖 化 対 策 資 金 の 支 援 を 途 上 差差差差」」」」一 斉 提 のだけれど、すべての文化は、私 た 国 が先 進国 に要求、日 本や 米国 など 訴訴訴訴、弁 護 士 ち に 共 通 す る 人 間 性 を 発 見 す る た め が 拒 否。余 剰 排 出 枠 で も 対 立。具 体 ら 衆 院 選 無 効 求 め る。 のその文化特有の機会を与えてく れ 案なき金持ちの小競り合い。 最 高裁 は昨 年三 月、格差が 最大 二・ てもいる。泥に根をはった蓮―障 碍 ▼ 十 二 月 十 二 日 北朝鮮、、、、人工衛星 三〇倍だった二〇〇九年の衆院選を が大きく見えるときこそ好機なの だ 打 ち 上 げ。欧 米 や 周 辺 各国 は 「事実 違 憲状態と 判断。衆院選挙 区画定 審 ―私たちが好機をさがすことを癖 に 上 の長 距離 ミサイ ル発 射実 験」だと 議会が区割り改 定作業中だった が、 す ることが できれば 。 ( The lotus して非難 ( 欧米や日本が打ち上げてきた 衆 院選には 間に合わ なかっ た。有権 rooted in mud: opportunities are often 衛 星 も す べ て 事 実 上 の 弾 道 ミ サ イ ル な の 者 の 数 が 最 も 少 な か っ た高 知 三 区 と most present when obstacles are most に、一度としてそんな表現は使われなかっ manifest – if we make it our habit to た)。北 朝 鮮 は 三 度 目 に し て 初 の 衛 最も多かった千 葉四区で格差は 二・ 四三倍。 ) (了) look for them. 星 打 ち 上 げ 成 功 。 ▼ 十 二 月 十 九日 南南南南コリア大統領選 【
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挙挙挙挙、、、、朴槿恵 ( 李明博と同じセヌリ党で代 表 を 務 め る、朴 正 熙 の 娘)が 僅 差 で 当 選。朴 槿 恵 は 済 州 島 を 「第 二 の ハ ワ イ に す る」と 公 言、済 州 島 の 民 主 主 義はまた遠のいた。
▼ 十 二 月 二 十 一 日 カナダ で 先住民 のののの 権 利 デ モ。ア ム ネ ス テ ィ・イ ン ターナショナルがカナダ政府に対 し、先 住 民 を は じ め と す る 人 々 の 権 利に 関する取り決 めを守るよ う要求 す る 中で の デモ。ア ムネス テ ィは カ ナ ダ の全 域 にお ける 先住民 が『人 権 の 危 機』に 陥 っ て い る と し、カ ナ ダ 政府 に対して先住 民の権利に 関する 自ら の責務を実施 するよう求 めてき た。一 月 十 五 日 に は 先 住 民 代 表 が 「自ら の権利 獲得ま で抗議 デモを 続 行」と決意表明。
▼ 十 二 月 二 十 七 日 日本国、原発再 稼 働「「「「政 府 のののの 責 任 でででで」」」」 茂 木 経 済 産 業 大 臣 の 発 表。 「原 子 力 規 制委員会が安全を確認した原発 は、政 府 の 責 任 で 再 稼 働 を 決 め て い き た い」。民 主 党 政 権 の 『二 〇 三 〇 年 代 に 原 発 稼 働 ゼ ロ を 目 指 す 方 針』を 新 政 権 は 白 紙 に 戻 す。使 用 済 み 核 燃 料 の 再 処 理 ( 核 燃 料 サ イ ク ル 政 策)も 継 続 す る 姿 勢 を強 調。原 発推 進派を 圧 勝さ せ た日本国の人々はこれで満足?
▼ 十 二 月 二 十 八 日 朝鮮学校には無無無無 償 化「「「「適 用 し な い」と 日 本 国 文 科 省 発 表。適 用し な い理 由は① 北 朝鮮 に よる 拉致問題の進 展がない② 朝鮮学 校 は 教 育 内 容、人 事、財 政 で 朝 鮮 総 連 と 密 接 な 関 連 が あ る、と 発 表。拉
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▼ 一 月 二 十 八 日 日 本 国、もももも ん じ ゅ「「「「無 効」」」」判 決。一 九 九 五 年 に ナ ト リ ウ ム 漏 れ 事故 を 起 こ し て 運 転 停 止 し て いた 高 速 増 殖 原 型 炉 「も ん じ ゅ」 ( 福 井 県 敦 賀 市)を め ぐ り、住 民 ら 三 十 二 人 が 国 に 原 子炉 設 置 許 可 の 無 効 確 認 を 求 めた 行 政 訴 訟 は、一 審・福 井 地 裁 判 決 を 取 り 消 し、設 置 許 可 を 無 効 と す る 住 民 側 逆 転 勝 訴の 判 決。国 は す ぐ に 上 訴。 ( し か
▼ 一 月 十 四 日 スススス ペインで新型核融 合炉のパテント申 請。十 六 日 に は フ ランスで五億ユー ( イ ー タ ー)プ ロ ジ ェ ロ を か け た Iter ク ト ( 核 融 合 炉 建 設 計 画)が 始 動。工 とい う 企業 連 事 を 落札 した のは VFR 合 体で、フ ラン ス六社 とス ペイ ン一 社。欧州原発推進派の新たな一手。
致 問 題、朝鮮 総 連と 子供た ち はど ん ターン。 な関係があるのかな? ▼ 一 月 十 九 日 米国 原 子力 規 制 委 員 ▼ 一 月 四 日 南南南南 コ リ ア、金 芝 河、、、、三三三三 会 が原 子炉 増設に 合意。ミ シガ ン州 十 九 年 ぶ り 無 罪 判 決 (民 青 学 連 事 ( エンリコ・フェルミ原発)に 「新世代 件)キ ム・ジ ハ は 朴 槿 恵 の 支 持 を 表 型 原 子 炉 フ ェ ル ミ 3333」が 増 設 さ れ 明。南 コ リ ア メ デ ィ ア は 「歴 史 的 な る。原子 力 規制 委 員会 は自 然 環 境、 和解」などとして騒いだ。 ( 民青学連 水利システムに対する原子炉増設 の 事件は一九七四年、朴正熙が学生たちを非 影 響 を 調査 し、問 題が ない と 報 告。 常 戒 厳令 下で 内乱 を 起そ うとし た と し 日立製。ミ 炉は GEて 逮 捕、拷 問 し た 事 件。そ の 朴 の 娘 を シガンをこれ以上 支持したというので話題になった。) 汚 す な、と 環 境 団 体 が 猛 烈 に 反 発、 訴訟を起こす構 え。
▼一月九日 ベトナム政府、「反反反反 国家的プロパガンダ」」」」という名目 でカトリックの平和的活動家たち 十三名に重刑の判決。活動家たち は、学 生、ブ ロ ガ ー、コ ミ ュ ニ ティー奉仕者、そして 「良心的囚 人」ク・フイ・ハ・ブ ( Cu Huy Ha ) Vuの 支 持 者 た ち。ク・フ イ・ ハ・ブ は 二 〇 一 一 年 四 月、イ ン タ ー ネッ ト上に複数政 党制を求め る記事 を 載 せ た こ と から、 「反国 家 的 プ ロ パ ガ ンダ」を 広 めた 罪で投 獄 され て いた。 ▼ 一 月 十 一 日 台湾立法院、メ デ ィ ア独占禁止とメディ ア所有者が報道内容 に口を挟むことを規 制する法律改正案を 否 決。廣 播 電 視 法、 衛 星 廣 播 電 視 法、有 線電視法の三法の改 正 案 ( 民 進 党 提 案)は 五十九対四十四で否 決 さ れ た。一 時 は 賛 成に回った国民党が
し、今 年 の 政府 予 算に も ん じゅ の 運 転経 費 は 計 上さ れ ず維 持費 百 七十 四億 円 のみ が 計 上された。運転はできないし、しないとい うことらしい。三十一日には、百六十八件 も の 点 検漏 れ が発 覚。十 一 月に 九 千 件の 点 検 手 続き 無 視で 騒が れ たば かり だ とい う の に、こ れ じ ゃあ 動 かし た く ても 動 か しよ う がない。)
▼ 一 月 二 十 八 日 日本国、 「多 治見 を 放 射 能 か ら守 ろ う!市民 の 会」な ど の反対に も関わら ず、茨 城県の 日 本 原 子 力 研 究 開 発 機 構 那珂 核 融 合 研 で 共 同 開 発 中 の)核核核核 究 所 で ( 日 本 と EU 融合実験装置 「 ‐ 」の 組 み 立 JT 60SA では早速 て 工 事 が 始 ま っ た。 NHK 「この 実験 施設 では、燃料 とし て放 射 性物質は 使われて おらず、深 刻な 放 射 能 漏 れ を 引 き 起 こ すこ と は あ り ません。」と報じた。 ▼ 一 月 二 十 九 日 台湾、中國時報、、、、 チョムスキーはははは騙騙騙騙されたと 報 道。こ と の起こり は、国立陽明大 学の大 学 院 生、林 庭 安 が 「メ デ ィ ア 独 占 反 対、中 国 の 黒 い 手 を 拒 絶 し て、 ジ ャ ー ナ リ ズ ム の 表 現 の自 由 を 守 ろ う」と 書かれた プラカード をチョ ム ス キーに持 たせて写 真にと り、それ をフェイス ブックに掲 載。中 国 時 報 ( メディア 独占 の主犯である旺 旺中時グループ の 旗 艦 紙)が 「チ ョ ム ス キ ー は『中 国 の 黒 い 手』部
分 に つい て は知 らさ れてお ら ず、だ ま さ れた と 言っ てい る」と い う記 事 を 掲 載 し、林 庭 安 ら を 激し く 攻 撃。
( チョムスキー自身は中国云 々の部分は確 か に 知 ら な か っ た が、そ れ で騙 さ れ た な ど と は 思 っ て い な い、と 台 北 タ イ ム ズ 紙 に
語 っ て い る の だ が…)林 庭 安 が 反 論 す る と、中 国時 報 はさ らに攻 撃 的な 記 事を掲載、泥試合は続く。
▼ 一 月 三 十 日 李 明博南南南南コリア大統 領領領領、、、、収 賄 容 疑 のののの 側 近 らららら 特 赦、有 罪 確 定 五 十五 人。朴 槿恵 は怒っ て るら し い け ど、し き た り だ か ら ご め ん ね、 と李?
▼ 一 月 三 十 日 米 国 「国 際 テ ロ 組 織」ア ル カ ー イ ダ 幹 部 に 対 す る 尋 問 で 水 責 め の 「拷 問」が あ っ た と 去 年 十 月 に テ レ ビ で 証 言 し、そ の 後、同 僚の 名前をメディ アに教えた 罪など で十 一月に起訴さ れていた米 中央情 )の 元 職 員 キ リ ア・コ ウ 報 局 ( CIA 被 告 に禁 固 刑確 定。彼が告 発 した 拷 問実行者たちはお咎めなし。
《《《《編集後記》》》》
台 湾 は も う す ぐ 春 節、お 正 月 を 迎 え よ う と し て い ま す。赤 い お 正 月 飾 り、賑 や か な 音 楽 が あ ち こ ち で な り 始 め ま し た。不 穏 な 雰 囲 気 が 漂 う 世 の 中 で す が、私 達 一 人 一 人 は 日 々 の 生 活 と 未 来 の た め に、 大 き な 力 に 流 さ れ な い よ う に、物 事 を 見 据 え て い き た い と 思 う、年 越 し 前 の 今 日 こ の 頃 で す。二 〇 一 をよろしくお願いい 二 年 も EAPHET たします。 (吉田藍)
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【【【【受賞記念寄稿】】】】
代、「出草」(他人の首を取る事)を 悪だ として気持ち は一致し恋 に落ち た。下山治平警部主任との結婚は、抗 日の 頭目である父 と親族の命 を救う ためにしたことだった。 結 婚後ペッコ・ タウレは警 察婦人 から 日本語をはじ め日本人の 生活習 慣、日本髪の結い方、和服の着方など を学 び、もし額の 入墨がなか ったら 日本 婦人と変わら なくなった 。三男 三女 が生まれ、そ の子供達は 抗日の 番丁から襲撃された事もあった。
嘱 託 と い う 身 分 で 幼 女 静子 と 霧 社 事 件にあった。
府と 対抗するとい う密告で逮 捕、刑 罰をうけた。
終戦の時、山奥の親戚が「マレッパ こんな貧困苦痛、祖国の保護を の 貴 重 な 娘 を 日 本 へ 送 還さ れ て は だ 失 っ た 下 山 家 は 波 瀾 の 時 代 に 渦 に 巻 めだ」と言い、埔里からマレッパに連 き込 まれどう流転 し翻弄され たのだ れ て 行 っ た 。 下 山 一 と その 妻 井 上 文 ろ う か ? 生 き る 為 に ど ん な 努 力 と 運 枝は、母に対する親孝行の思いから 命を定めるのだろうか? 子供達を連れて一緒に山奥に付いて 《《《《内容》》》》 行 っ た 。 第 七 封 の 送 還 令は 最 後 の 送 楔子 還 船 だ っ た が 、 交 通 不 便で 乗 る 事 が ピ ンスプカン神 石の後代海 拔約千 できず、家族は「亡国の民」に成った。 日 本 籍 の 下 山 家 は 中 華 民国 情 治 機 構 七 百 メ ー ト ル 台 湾 中 央 山 脈 で 生 活 、 に 管 理 下 に 入 れ ら れ た 。三 千 人 の 日 こ の カ ウ ガ ン 番 達 は か れ ら の 神 ウ ッ 本 兵 と 台 湾 共 産 党 が 山 に隠 れ て 新 政 ド フ ハ ン に 庇 護 さ れ て ず っ と 人 間 浄 土原始を保つ。大頭目タウレフ・ヤユ ツは 自信満々に胸 を張って天 地を響 震、誇張豪気の声で「われは神(ウッ ドフハン)の子、日本人(紅頭タナド ヌ)はかならず全滅……
治 平は三人の女 から入念に 結婚相 手を 選ぶ…小姫は まだ子供、 中姫は 額に 入墨を刻いて 可愛いらし い、大 姫の 身体つきはち ょうどよく 、柳眉 に細腰、明眸皓歯、どこかで見たこと があ るような美姫 、そうだ、 あの子 を……
第二話、、、、総督府五ヶヶヶヶ年理番政策のののの「「「「政政政政 略婚姻」」」」
日 本軍警察は幾 度となく大 猍谷人 止関を突破して霧社に入ろうとし た。 しかしその度 にタイヤル 壮丁が 山頂 から大石や木 の実を落と したり 木槍を投げ刺して阻止……
第一話、、、、紅頭日本軍警察はははは人止関をををを突突突突 破破破破
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治平の政略結婚「偽婚」という気持 ちは 、番人番刀か ら襲撃をう け重傷 を負い二か月の入院をするこ と になった際、ペッコが毎日「衣帯 不解、不眠不休」で看護をしてく れたことから、変化した。幾度「死 出の山」から生還した治平はペッ コを妻として本心から受け入れ、 埔里の松山写真屋で一枚「正式結 婚」の紀念写真を取った。 ある日、治平の初恋いの人、勝 又仲子が渡台したことで幸せ な 生活は脅かされた。山奥での妻妾 双妻生活は日本当局とタイヤ ル 族両方から容認されなかった た め、治平は仲子とその子供と一緒 に日本へ返り、台湾に残され た ペッコとその子供達は、「合いの 子」と皆から馬鹿にされたのだっ た。 ペッコは家庭崩壊を避ける 為 に離婚はせず、独りで頑張って幼 い子を育てた。昭和五年霧社分室
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――――タイヤル姫姫姫姫のののの母母母母とととと 日本警察のののの父父父父とととと私私私私のののの故事―――― 「「「「流轉家族」 (遠流出版社)))) 《《《《物語概要》》》》 下山操子 一九一一年(明治四十四)場所は台 湾の霧社。日本統治時代初期静岡 陸 軍の下山治平は台湾に派遣され、 中 央山脈山奥の警察に転任、勇略果敢、 ハンサム、聡明で戦功卓越な彼は マ レッパ駐在所警部主任として任務 に ついた。荒々しい原住民を早く征 服 する為に、総督府は五か年理番政 策 「政略結婚」を実施した際、その最初 の人として選ばれたのが治平でし た。治平はタイヤル族最大部落の 娘 と結婚することになった。 その娘ペッコ・タウレは賢く手 先 が器用で十三才で織紡の技術を熟 達 し、額に入墨を刻ってから結婚の 話 題は不絶。しかしペッコ・タウレはア ウイ・ノカン以外だれとも結婚し な いと決めていた。ふたりともその 時
中華民國文化部第36回金鼎獎 右から 司会-王文華 文化部長-龍應台 林香蘭
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第三話、、、、日本ののののパパととととタイヤルののののママ パ パはちょっと 感傷の声で … 「は じめ 君、あなたの 本当の父は マレッ パ駐在所の下山治平主任。」大塘パパ は八 字髭の伯父を 指さして言 った。 次に額に入墨がある伯母を指して 「こ のペッコ・タ ウレ夫人が あなた の実母です。」
で見物した。祭日は大正九年十一 月 二十日、首祭りは皆の拍手・歓呼・歌 声で幕を開き、凱旋隊は霧社分室 の 広場からきちんと列をそろえて霧 社 の町へ…… 第五話、、、、ふぶきの恐怖悪夜 はげしく風戸をたたく音と他人 が 私達の扉を番刀で猛然と切る音が 混 じって耳に入り、凶番は神秘不思 議 の番語で…「ペッコ…」と言う。この 時から次第に父に対して少し憎し み が生じる…… 第六話、、、、いたずら小僧、、、、さくら ん ぼ を 仲 子 お ば さ ん に 投投投投げげげげ 母母母母 親親親親のののの元元元元へへへへ逃逃逃逃げげげげ帰帰帰帰るるるる 私と宏は泣いて母に訴え た … 仲 子 おば さ ん はと きど き 家にいない。腹がぺこぺこ、一 は 糖伴飯と 糖水を 食う。宏 は 乞 食兒、お 腹が空 いて堪ら な い 。ママが 炊いた ご飯を食 べ た いからマ レッパ に帰って き た。母は宏と一を抱きしめ て … 「わが 子かわ いそうね ! ア~」と泣きだした。 第七話、、、、こん棒棒棒棒でででで愛愛愛愛のののの蚕布団をををを たたく 大正十四 年初期 陰風刺骨 の 寒 い朝、母 が大き な風呂敷 に 包 んだ 「愛 の蚕布 団」を出 し て 、虚弱無 力の泣 き声で言 っ た … 「パパ と蚕布 団は日本 に 帰 ります。 理由を きかずに 力 を 入れてこ の蚕布 団をたた こ う。」
第八話、、、、思慕する彼女とととと別別別別れれれれ 私は常に想う:人には磁場が有る。 磁場の近いかたは縁者、有縁常相聚。 夢の中で車埕で偶然に彼女と出会 い、縁はとてもすばらしい。 第九話、、、、霧社事件のののの現場にににに帰帰帰帰るるるる 極 楽 浄 土 だ っ た 霧 社 は人 間 の 大 災 難 の ち 遍 地 瘡 痍 、 ど こ も焼 か れ た 家 が見える。その時軍隊の踪跡は無 か っ た 。 た だ 見 え る の は鉄 砲 を か つ い だ 警 察 が 警 衛 し て い る姿 。 ど こ に も警察以外の人は見えない… 第十話、、、、愛愛愛愛のののの復仇貴人との出会いいいい 涙 で 衣 襟 を ぬ ら し 、 父に 思 慕 と 愧 赧 の 心 。 分 室 か ら 郵 便 局奥 の 高 台 地 辺まで走り、大声で叫ぶ…「パパ済み ま せ ん ! 私 ず っ と パ パ を誤 解 し て い ました。勘弁してください!」 第十一話、、、、認祖帰宗 黒面女をををを嫁娶 玄関から大声響く… 「台湾高砂族 の 血 が 混 じ っ て い る 下 山一 は 何 人 で す か ? ほ ら 、 私 の 格 好 は台 湾 高 砂 の 姑 娘 に 似 て ま す で し ょ う? 皆 お ど ろ く べ き 、 目 前 に 出 て き た女 の 顔 は 墨 で 黒 く 塗 り 、 鬼 魅 で す か? 神 経 病 で すか?」
毎 日早朝に文枝 が準備して くれた 提げ 重をもって、 自転車で埔 里小学 校の 宿舎から溪南 公学校に。 勤務完 了後 、自転車で児 童保護会長 が寄贈 した 隆生橋に近づ くと 「ここ に幸あ り」の歌声が耳に流れてくる……
国 の保護を失っ た亡国奴、 職と教 育と 生存の権利は だれが守っ てくれ るのか?子供達の学籍も貰えない と…。文枝に貧困・過労で命の危険、 生活 を改善…。帰 化して中華 民国台 湾籍 に流転入り。 新しい国に 守って もらう他に道は無い。
第十四話、、、、亡国奴のののの活活活活きる途途途途はははは帰化人 私 は 霧 社 を 嫉 妒 し た 。し か し 真 心 で 誓 う 至 愛 の 文 枝 を 死 ぬま で 珍 惜 ・ 関愛・尊重して守る。いつか文枝の口 から「私は下山一と結婚した。」その 話 が 出 る と 、 私 は 世 界 で一 番 幸 せ の 人。
第十五話、、、、流流流流とととと転転転転のののの夢幻人生
第十二話、、、、故郷のののの廃家とととと霧社のののの良縁
第十三話、、、、得心意満のののの幸幸幸幸せせせせ年華
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林香蘭
台北図書書展大賞 馬英九
第四話、、、、台湾最終のののの首祭りりりり 台 湾最終の首祭 りおこなっ た時、 母は 私達を連れて 霧社分室前 の広場
中國時報開卷十大好書獎 右から中央國家圖書館長-曾淑賢 林香蘭の娘-虹芸 孫-郁文 林香蘭 林慶台(映画セイダッカバライ、モナルダオ役)
下山一の三女。一九四五年(昭和二 十年)終戦の年生まれ、台湾南投県籍 に 帰 化 し て 改 名 林 香 蘭 。台 中 師 専 音 楽 科 卒 業 。 三 十 九 才 患 血液 の 癌 で 幾 度瀕死、神に誓い、命を救われた。父 の 願 望 で あ っ た 台 湾 下 山家 第 一 ・ 二 代の故事著書。やっと《流転家族》の 書 本 を 二 〇 一 一 年 遠 流 出版 社 が 正 式 に 発 行 。 下 山 家 第 三 代 の故 事 は 先 に 下山操子著、柳本通彦編訳。一九九九 年草風館から発行していました。
二〇一二 九 三 下山操子 林香蘭
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下山操子(林香蘭)
一 九一四年生ま れ、日本の 警察下 私の父は日本ピーナッツの種を 台 湾母の土地に種蒔植え、新しいピ ー 山治 平とタイヤル の姫ペッコ ・タウ ナッツは代々台湾の土地で茂って 繁 レの 政略結婚で生 まれた長男 。十一 衍。私は感悟 「久居の地域にわが 家 歳の 時父と日本の 妻は同父異 母の子 郷」、真心から望む…国が守ってくれ 供達 をつれて日本 に返回。終 戦の時 る方が一番幸福、自分の家郷は自 分 タイ ヤル老母は日 本に送還さ れるこ で愛して守る。今わが下山家の子 孫 とを 拒否、体弱多 病母の面倒 を見る ため 全家族は母に ついて台湾 で一番 は皆台湾で幸せです。 山奥 のマレッパで 暮らした。 母が逝 《参考資料》 去、 子供の教育と 生存の為中 華民国 杉本朋美:《霧社の花嫁》,草風館, 籍に 帰化して改名 林光明、一 九六九 二〇〇五年 年霧社電源保護站 林えいだい:《霧社の反乱・民衆側の か ら 退 職 。 改 任 日 証言》,新評論,二〇〇二年 本で発行したイエ スの御霊教会の牧 師至一九九四年安 息。 下山操子著・柳本通彦編訳:《故国は るか》,草風館,一九九九年
内藤史朗:《霧社の光と闇》,新人物 往来社,一九九九年
柳本通彦:《台湾霧社に生きる》,現 代書館,一九九六年 林えいだい:《台湾植民地統治史》, 梓書院,一九九四年 アウイ・ヘッパハ (高愛徳)原作・許 介驎解説:《霧社事件証言》,草風館, 一九八五年 見上保:《台湾霧社事件の今昔》,三 信印刷所,一九八四年 載国煇:《台湾霧社蜂起事件‐研究と 資料》,社会思想社,一九八一年 鄧相揚著・下村作次郎・魚住悦子 共 訳:《抗日霧社事件の歴史》,日本機 関紙,二〇〇〇年 《著者簡介》 下山一 (林光明)
感謝
流轉家族獎 2012.1.7 台北国際書展大獎 2012.2.1 文化部第36回金鼎獎 2012.7.13 東海大學日文系「山」企劃団隊 遠流出版社正式発行 親友及び協力、支えて頂いた皆さま 受賞
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