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台灣東亞歷史資源交流協會 會刊 東アジア歴史資源交流協会 アジア歴史資源交流協会ニューズレター 歴史資源交流協会ニューズレター

No.18 日文版 2014/5/11 eaphet@gmail.com Tel/Fax:886-4-23145592

East Asia Popular History Exchange, Taiwan (EAPHET)

台灣台中市西屯區何厝街112巷5號

http://eaphet.myweb.hinet.net

<目次> 目次>

特集: 特集:ひまわり学生運動 ひまわり学生運動

■ 特集: 特集:ひまわり学生 ひまわり学生 運動 編集部 p1 □自己メディア発信ネッ トワーク 林欣怡 p2 □太陽花運動に考えさせ られたこと イン・シセキ

p3 □熱い心と冷たい頭 上前万由子 p5 □鼎談:私たちが見た 「太陽花」狩集武志、冨永

p8

悠介、川口隆行

□ひまわり学生運動が教 えてくれたこと

はじめに【編集部】 はじめに

お母さん、うん、大丈夫、元気にしてる、 ごめんね、心配かけて、でも大丈夫だから… 立法院から自宅に電話をかける学生の姿が TVニュースに流れる。占拠している学生た ちの先生らしき人たちがときどき立法院に 入って話をしたりしている。立法院の外で も、先生が学生を連れてやってきて、野外で 授業をしていたりする。中間試験がもうすぐ そこまで迫っている。立法院内では床にうつ ぶせになって学校のレポートを書いているら しい姿もある。その中間試験に間に合うよう に、学生たちは立法院から退去した。代表の 一人、林君は、退去直後、彼の大学の先生が 運転するレクサスに乗りこんで去っていっ た。

p15

山元勇人

□日本では抗議している 人はいないのですか? Masako Uemae p18

□選択肢は残っている 村山さたね p20 □ヒマワリ運動は中国統 一政策への反発の一面を 持つ 陳伊品 p21

□318運動に対する些か な観察 邱崇偉 p22 □台湾の未来は自分で守 る 戴佩如 p26 ■今の日本に私は思う: 5.3反「秘密保護法」学 生デモに参加して 白石鹿乃子

p27

■ 韓国・仁川の旅―日本 植民地建築とチャイナタ ウンを巡る 張雅婷 p28

■棄民と隠蔽:福島の現 在-台湾巡業途中報告 Eaphet核電勉強会

p30

お知らせ

△3-4月の活動 △これからの活動 △中国語で話そう △編集後記

p21 p21 p36 p36

組 織 化 さ れ て い な い が、緩 や か な ネ ッ ト ワークが機能した。 何か話がうますぎる。何か騙されてるん じゃないか。眉につばをつけてみるが、目 が覚めない。やはり、そういうことが起き たらしい。 もちろん、体制側に、学生たちの運動を 利用してみずからの田に水を引いた勢力が あり、その勢力が政府内でかけひきをし、 力による鎮圧は23日夜の行政院からのデモ 隊排除時以外は抑制された、ということは あったのだろう。民進党はあまり前には出 ず、学生運動を主導しているという印象を 残すことを避けたが、積極的に支持を表明 して裏から運動を支えたようでもある。 裏で何が起こっていたのかは分からない が、現 場 と メ デ ィ ア で 見 る か ぎ り、実 に あ っ ぱ れ な、教 科 書 に し た く な る よ う な 11

彼らは結局エリート学生たちだと言 えば、大方はそうなのかもしれない。 そうだとしても、彼らは「ヴ・ナロー ド」などと叫ばなかったし、みずから のエリート性を「総括し」たり「自己 批判」したりもしなかった。かれらは 「反体制」でさえなかった。要求のポ イ ン ト は 絞 ら れ て い た。親 や 学 校 と “ちゃんと”繋がりながら、(一部の メディアを除いて)メディアから反社 会的存在として汚名化されることもな く、既存の反政府運動組織と一線を画 し て利 用さ れる こと をう まい こと 避 け、政 府 側 か ら 一 定 の 譲 歩 を 引 き 出 し、スーッと解散。 それを支える親た ち、先生たち、知識人 がいた。弁当を配り歩 いたりゴミを拾い集め たおじいさんがいた。 全島から支援物資を送 り届けた商人や事業家 が い た。支 持 層 は 厚 かった。従来の意味で

「市民的抵抗」だったのだ。 ひまわり学生運動で機能したネット ワークは(本ニューズレターに山元勇人さ んが書いているように)これからの社会 運動にとってすごく重要なものになるだ ろう。直後に行われた核四建設中止を求 める全島運動が空前の盛り上がりを見せ たのも、ひまわり運動のネットワークの 力が大きいのではないかと思う。その結 果、再度一定の譲歩(停工、国民投票後 まで燃料棒挿入をしない)を政府から引 き出した。 フ ィ リ ピ ン の エ ド サ 革 命(1986 年 2 月)のときにも、これとよく似た感想を 持った。なんとあっぱれな市民的抵抗 だ、と。エドサの背景に、CIAの工作と 資金が動き、結果として政権を担ったコ


特集:ひまわり学生運動 ラソン・アキノがとんでもない既得権者代表だったというのは、そ の後の時間の流れの中で分かってきた。だからといってエドサ広場 を埋め尽くした人々の社会変革への希望や動機を矮小化したり、無 知だったなどと批判することは、しかし、妥当でもフェアでもな い。アキノ政権は(コラソン自身の功績だとは言えないとしても) 新憲法を制定し、米軍基地を追い出し、バタアン原発を停止に追い 込み、市民的自由を一定程度拡大した。マラカニアン宮殿や軍内部 にまで浸透したエドサのネットワークが機能したのだ。 こうしたネットワークは一朝一夕に出来上がったものではないだ ろうが、ある劇的な出来事によって突如として(それまで疎遠だっ たネットワーク間に)接点が作られるということもあるのかもしれ ない。イザというときには支援の輪があっと言う間に広がる、とい うことが。 いまだにショックから回復していないが、本号では「ひまわり学 生運動」について寄せられた意見、感想を特集し、今後の資料とし て残すことにする。(編集部:古川)

Sunflower movement – 自己メディア 自己メディア発信 メディア発信ネットワーク 発信ネットワーク 3/17 日 の 朝、「ク ソ,通 っ た!」友 人 T の Facebook近況から両岸サービス貿易協定が強制採決 されたことを知った。急いで立法院でデモしている 友人Gに連絡し、再び最新情報を確かめた。友人G は「そうなんです!打ち切った。だから、今日のデ モは自分の意志を表すことしかできないのよ。」 と、この話を聞いた瞬間、絶望に陥った。友人Gは 社会運動に熱心な方で、いつも前向きな態度の彼が 意志を表すことしかできないと言うことで、状況が いかに悪いかがわかった。たまたま台北にいた私は 何も変えることはできないとわかっていても応援し なきゃという気持ちで、友人Aを誘い、立法院のデ モ現場へ足を運んだ。あの瞬間から、23日の運動の 展開はFacebookが私の最速のメディアソースとなっ た。

【林欣怡】

私は当日午後6時半、台中行きの電車に乗った。 現場に行ってもしばらくしかいられない私は罪悪感 を感じてしまい、電車に乗っていても、立法院の状 況 が ど う し て も 気 に な り、友 人 G と 友 人 A の Facebook近況をフォローしながら、一所懸命友人た ちがシェアした両岸サービス貿易協定情報を読ん だ。今まで詳しくなかった細かい条約も理解しよう としていた。ずっと見ていて、突然「318 議場に 入った。電気はまだついてなく、俺らは主席台を占 拠した」という文と写真が目に入った(左下:攝影 黃宏錡)。 「大 事 件 だ!」と 理 解 し て、す ぐ に テ レ ビ を つ け、現場状況を見ようとした。しかし、ニュース チャネルは壹チャネルしか何も報道されていなかっ た。他のチャネルはまだ人気のYoutube画面を報道 し て い た。「こ ん な 時 に?」と 不 思 議 に 思 い「な ぜ SNG を し な い の だ ろ う」と事 件を心配しながら、 眠れない私は現場に いる友人Gと友人Aの 近 況 を Facebook で ず っ と 見 て い た。そ のほうが本当の状 況、せ め て 彼 ら が見 ていたことがわかる と 思 っ た。よ う やく 翌 日 の 朝 テ レ ビ ニュースにちょっと 情報が公開された。 内容がまた本当の話 とずれていたんだけ

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特集:ひまわり学生運動 ど、自分が要る情報だけ受け取った。 日常の仕事のため立法院現場に行けなかった私は どうしても自分ができることがわずかで物足りない と感じ、誰が見るかわからなくてもFacebookでの情 報発信だけは一生懸命した。そして、広島にいる先 生は私がシェアした情報を見て、「状況はどうな の」と聞いてくれた。大阪にいる日本人の友人Tも メッセージをくれた。情報が広がっていくことに励 まされた。しばらくして、運動に対する何ヶ国語で のFacebook発信も作られ、世界各地の人々に関心を 持たせようとし、そのうちいろんな意見や交流が盛 んになってきたと思われた。 そして、二三日後、広州に派遣された友人Aが Facebookで3月19日の「海峽兩岸」をシェアした。 「海峽兩岸」は中国の中央チャネルが台湾での事情 を報道するニュース番組である。番組内容は時に台 湾のニュース番組より正確で事情の分析が深かった

けど、今回の運動に対する報道はまったく違うこと を報道していた。内容は要するに、抗議している学 生たちは民進党に煽れた人たちと言う。こんな報道 をされるのは意外ではなくても、頭に来てしまい、 Facebookで怒りをぶちまけた。 一人の面識のない日本にいる中国人留学生が(広 島の)先生のFacebookを通して私の文書を見た。彼 女はすぐに「あなたの文書を読んで、私もとっても

怒りました。けれども信じてください。今中国大陸 の有識な人や学生の中に、多くの方々はもう国内の メディアを信じないのです。たくさんの人は海峡两 岸って言う番組を見ないのです。今内地のウェブサ イトやウェイボーで服貿反対と言う声もありまし た。台湾人の学生たちから、大陸青年たちも自分の 希望を見つけました。まだわずかな人数だけれど も、こんな人たちがいると信じてください。私も応 援しています。民主を期待している大陸青年の私た

ちに勇気を与えてくれた台湾の青年たちにありがと うございました。」知らないところで影響は与えて

後記:今までは頭で台湾歴史に述べられた民主主義 のために戦う人々の行動や物語を読んでいたのだ が、その気持ちの転回はどうしても共感できないと ころがあった。今回の運動に参加するによって、彼 らの気持ちにちょっと近づいたのかもしれない。こ の経験を与えてくれた人たちに感謝。(了)

いることに改め感動した。 それ以降、もちろんまたいろいろなつながりがあ り、たとえば、友人Mの日本人ジャーナリストのお 友達の取材対象を紹介したり、日本での情報を台湾 で気になる団体に説明したり、個人個人で自分で自 分が認識する情報を広がっていくことが、まさに連 帯ということが改め感じた。連帯という言葉は大学 時代の時からよく聞く言葉なんだが、体で理解はし ていなかった。Facebookは最初私にとって、お友達 の 間 の近 況を 交 換す るだ け の個 人通 信 プラ ット フォームだったが、いつの間にか情報発信メディア となっていた。これがメジャーメディアへ対する抵 抗を自己メディアで果たした成果と思われる。

太陽花運動に 太陽花運動に考えさせられたこと

【イン・シセキ】

私は大陸の中国人です。恥ずかしながら、日本に 留学するまで、実は台湾のことについてほとんど何 も知らなかったです。日本で何人か台湾の友達がで きて、会話の中でやっと台湾のことを少しずつ知る ことができました。 その何人かの友達と出会うのは本当によかったで す。じゃなければ、私も今回の太陽花運動につい て、ほとんどの中国人と同じように誤解していたと 思います。広島大学の川口先生や、台湾からの留学 生との会話の中で、立法院の占拠の最も直接な原因 は、「立法院で審議を強制的に打ち切った」ことだ と理解しました。もちろん、反対運動が起きた原因 は様々で、「サービス業貿易協定」に反対する声も 大きいですが、立法院でちゃんと最後まで審議して いれば、占拠という事態は起きなかったのでしょ う。しかし、大陸の報道やネット上では、学生運動 はあくまで「サービス業貿易協定」に対する抵抗意

Photo by Awil Achuan

識によるものだと理解されています。それがさら に、大陸に対する台湾人の抵抗意識として解釈され ました。それで、太陽花運動を冷やかすような書き 込みがネット上に溢れました。台湾の大学生は野党 に利用されているだけだとか、こういう暴力的な運 動は逆に民主を損なう行為じゃないかとか、と書く 人が多かった。このような書き込みが多かったの は、抗議運動が正確に伝えられていなかったからだ と思います。運動が秩序よく行われるように学生た ちが努力しているということも伝えられなかったの です。大陸メディアはそういう報道をしませんでし た。 しかし、その中で、台湾や海外在住の人たちがで きるだけ正確な情報をネット上で拡げようとしたの も事実です。それで一部の人は太陽花運動の本当の 問題点を理解することができました。本当にわずか の一部ですが、一部でも理解できれば、真実は消さ

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特集:ひまわり学生運動 れることなく、歴史に残されると思いま す。 また、多くの中国人は「サービル業貿 易 協定は 台湾 にとっ ても いいこ とな の に、なんで受け入れないのでしょう。グ ローバルな経済環境に適応する努力をし な け れ ば、台 湾 も 今 後 発 展 で き な い で し ょ う」と 疑 問 を 示 し て い ま す。し か し、グローバルな経済環境に適応するこ とは本当にいいことなのか、と私は思い ます。グローバリゼーションの中で、ど の国も貧富の差が大きくなっているのは 事 実 で す。中 国 も、確 か に GDP が 上 が り、富裕層が非常にいい生活をするよう になりました。国も、経済成長の大きな 流れしか見ていなく、国民一人一人の生 活 に 関 心 を 持 た な い よ う で す。イ ン フ

Photo by Awil Achuan

レーションが進んで、低所得層はどんどん生活しに くくなっています。農村の人は未だに医療保険や社 会保険などの保障がありません。工場が大量な排気 ガスを排出し、車が都会の道路に溢れて空気が人間 の体に害を与えるような悲惨な状況になってきまし た。こんな中で、中国がまだ経済成長とグローバル 化を目指しているのは、中国人として見ていても恐 ろしいです。そろそろ、経済より、民生をもっと ちゃんと考えてほしいです。 しかし、中国政府は、私のような一庶民の意見を 聞くわけがありません。政府は人民代表制度を中国 の「民主制」といっていますが、私はどこにも民主 を感じません。人民の声を「代表」して人民代表大 会に出て立法に参加する人たちは、本当はちゃんと 投票で選ばれていない。投票は、形だけで権力に よって操作されているだけです。私は、ほとんど投 票したこともありません…。

台湾の若者がこんなことを言いました。「サービ ス 業 貿 易 協 定、中 国 は あ な た た ち の 意 見 を 聞 い た?」いいえ、聞いていません。しかし、中国人の ほとんどは、国が勝手に決めて勝手にやっていくこ とに慣れてしまっています。哀しい現実です。 太陽花運動の台湾の学生たちを見て、私はとても 複雑な気持ちになりました。台湾の若者は本当に元 気がある一世代として、国政に参加できる「市民」 として成長していると感じました。しかし、私と同 じ世代の中国の若者たちは、就職のこと、給料のこ と、結婚のこと、昇進のこと、そういうことしか考 えていない人がほとんどです。国のことは国がやれ ばいいからもっと現実を見ろって、私は同級生に言 われたことあります。そこに、中国と台湾の差を感 じました。 でも、幸い、日本に留学することで、中国では知

ることのできない情報を知り、私 は中国の多くの若者と同じように ならなかったです。自分はこれか らどんなことができるか、まだわ かりません。でも、台湾の友達が 数人できたのは本当にありがたい ことです。中国人と台湾人は、お 互いについて知らないから、誤解 が多く生じたと思います。私たち の世代で、もっと個人的に中国人 と 台 湾 人 の 間 に 交 流 が あ っ て、 もっとお互いの状況を理解するこ とができれば、きっと中国と台湾 の問題についてよりよい解決の方 法 を 見 つ け ら れ る と 思 い ま す。 (了) Photo by Awil Achuan 4


特集:ひまわり学生運動

太陽花學運: 太陽花學運:熱い心と冷たい頭 たい頭

【上前 万由子】

学生たちによる“国会占拠”。それは、あまりに も突然始まった。朝起きて、朝ごはんを食べなが ら、いつもの様に、まだ半開きの目を擦りながら Facebookを見る。台北の友人たちが、物資募集や現 場の状況を載せているが、何が何だかよくわからな い。只々とても怒っていて、なんだか凄いことが起 きたということだけが伝わってくる。大学の友人た ちも、「眠れない夜!」などと書いている…その後 ニュースを読んで、やっと分かった。だが、頭では 意味を分かっていても、何が起きているのか状況が なかなか想像しづらかった。なぜなら、「国会占 拠」と言う言葉に接する機会なんてこの20年間、ほ とんどなかった。歴史の授業で少し触れたこと、震 災・原発事故後「なぜ日本では大きなデモが起きな いのか。」ということに疑問をもち、友人と二人

で、安保闘争関連の本をチラッとみたぐらいであ る。「国会占拠」と言う言葉を聞いた時に、“ヘル メットをかぶった人々”の様子しか思いつかず、現 場の状況はどうなっているのか気になって仕方がな か っ た。そ の 日、そ し て そ の 次 の 日、と に か く Facebookから流れてくる「台大新聞」の情報や現地 の友人の投稿から目が離せなかった。また、時間が 経つにつれ、友人たちの怒りはどんどん増してい き、「授業なんか受けてる場合じゃない!」「自分 たちの未来がかかっている!」と、急遽バスで台北 に向かう人々がでてきた。そんな彼らを見ていて、 この先どうなっていくのか心配だけれど、一方で 「なんなんだ!アツい。いいなぁ。」と興奮気味に 思ったのは確かである。

Photo by Awil Achuan

立法院へ 立法院へ 占拠が始まった夜から二日経った3月20日木曜 日、大学の友人に、「一緒に行かないか?」と誘わ れた。私は、正直行くかどうか迷った。なぜなら、 「外国人」という立場でそこに行くことは、果たし て問題はないのか不安だったからである。立法院ま で行って、何か目立ったことをしようという考えや 計画はまったくなかったが、万が一なにかあったと きを考えると、私は、ただの留学に来ただけではな いし、日本へ”強制送還”やビザ剥奪なんてことに なっても日本に帰る場所はないからだ。Twitterを みると、案の定「日本人が行ったり、応援するの は、内政干渉だ!」とか「危ないから行かないで下 さい!」などという言葉が大量に流れてくる。そし て、台湾人の友人からの情報を翻訳して投稿しただ けで、何十人何百人にリツイート(拡散)される。 同時に右翼的内容ばかり投稿しているようなアカウ

ントから、沢山フォローされ「台湾がんばれ!」や 「中国に負けるな!」という言葉が返ってくる。そ のとき、私の友人たちが“怒っている内容”や聞こ えてくる“状況”と日本のネットユーザーが理解し

ている状況になにか差があるような気がしてならな かったし、日本と台湾、二つの情報の中に挟まれて 押しつぶされそうな気分だった。この情報の混乱ぶ りや、関心をネットから感じて、日本の人々が今ま でこんなに台湾へ関心を寄せたことがあっただろう かと少し不思議になった。 そんなことを考えていると、日本のインディペン デントインターネットメディア“IWJ”から「記者を 送るまで、取材をしてきてくれないか?」という連 絡が来た。そんなことを急に言われて困惑したが、 何か力になれるのなら協力したいし、大手メディア が伝えられないこと・伝えないことを一人でも多く の人に伝えることは何よりも大切なことだと思っ た。また、現在大学で、メディアについて学んでい る自分にとっても、いい経験になるだろうと思い、 お手伝いすることを決め、台北へ向かった。その二 日後、日本から記者が来た。私は、時間があるたび

に台北へ足を運び、行けないときは文章の翻訳等を していた。右も左も分からないような状態で突然台 湾に派遣された記者の手伝いは、疲れた反面いい経 験にもなった。記者さんに、翻訳お手伝いをする学 生たち数名と、今回の出来事が起きた理由、どうし てこんなにも多くの人々が怒っているのか、これか らどうなるだろうかなどを話し合いながら伝えて いったり、知り合ったばかりの同世代同士で、自分 の思っていることを話し合ったりという空間はとて も有意義で充実している気がしたし、自分がまだま だ知らないことが沢山あるということに再び気付か された。 学生たちの 学生たちの主張 たちの主張 実際に現場へ行き、様子を見たり、スピーチを している人々、支援をしている団体、そして沢山貼 られているビラや垂れ幕をみていると、立法院を占 拠している学生はともかく、この抗議運動を支援し 5


特集:ひまわり学生運動

農民と労働者と小商工業者を飲み込んでしまう階 級問題であるし、さらにはすべての台湾の青年の 未来を過酷なものにする生存問題なのです。」

ていた人々の間にナショナルな対中国意識がまった く混じっていないとは思えなかった。しかし、彼ら の声明やIWJの陳為廷氏の単独インタビューを聞い て、私は少なくとも学生たちの主張は「国家」対 「国家」ではないと感じた。

(黒色島国青年陣線 声明文より) しかし、日本のメディアは「対中関係」を強調し ていたように感じる。そして、多くのネットユー ザーは、「台湾頑張れ。」という言葉を使い、中 国・中国人批判が行われていた。 サービス貿易の抗議会場で、民進党が配っていた パンフレットには、「民進党は、台中サービス貿易 には反対だが、TPP、自由貿易を推進します。」と 書いてあった。私は、そのパンフレットをみた後、 頭の中が「どういうことだ?」というハテナだらけ になってしまった。ハテナだらけになる必要も無 く、書いてある通りなのだろうけれど、それでいい のだろうか。これは、民進党のパンフレットの意見

「サービス貿易協定への反対は、『中国なら何で

も反対』ということではありません。サービス貿 易の最大の問題は、自由化が大資本にだけ利益を もたらすことにあります。巨大企業グループは無 制限に台湾海峡を乗り越えてきます。海峡をまた いでやってくる企業グループは台湾の中小自営業 者を脅かすでしょう。…… サービス貿易協定の 本質は、WTO、FTA、TPPとおなじです。この国家 間の協議は、どれも国家が人民の保護を放棄する ことにあります。サービス貿易協 定は、中国と 台湾が統一するか独立するか、統一派か独立派か という問題ではなく、少数の大資本家が無数の小

だが、実際にサービス貿易には反対だけれど、TPP は支持という台湾の人もいる。私自身、経済のこ と や貿易の ことはと こと ん勉強不 足だ。だけれ ど、「自由貿易」と言われる貿易は本当に自由な の だ ろ う か。経 済 や 市 場 を 考 え た 時、む ち ゃ く ちゃな資本主義と”グローバル化”が制御不能に 進んでいく世界の中で、”大国”との経済交流は 避けられないものだとは思うが、どうしてもその 波に乗らなければいけないのか、飲み込まれざる を得ない状況なのかは大きな疑問である。また世 の中が、どんどん”数字”だけで、様々なことが 評価されたり価値化されていくようにも感じる。 本当の価値は、数字ではないはずなのに、その数 字の上がり下がりをみたりしながら、ゲームの様 にしてお金を稼いで行くことに大きな疑問を感じ るし、考えれば考える程そういう流れの中で生き ていくという選択をあまりしたくないと思ってし

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安保の 安保の時はもっとひどかった? はもっとひどかった? 私が自分の意志ではじめてデモに参加したのは、 高校3年、2011年夏新宿で行われた原発デモだ。そ のとき、前を歩いていた若者数名と警察が少し言い 争いを始めた途端、今度はいきなり「公務執行妨 害!」と言われ、警察に囲まれた後護送車の中で連 れて行かれた。数メートル先の護送車の中では、警 察官が明らかにそのデモ参加者に暴行していた。私 の数メートル先を歩いていた彼らは何もしていな かった。だけど、連行され逮捕された。そんな状況 に疑問を抱き、後日高校の社会の教員たちに話す と、「昔はもっとひどかったんだよ!」と言われ た。他のデモや集会で「この前の逮捕はおかしいで すよね。ところで、今日も、警察怖いですかね?」 と参加している見知らぬおじさんに話しかける。お じさんは、興奮気味に「安保の時はもっとすごかっ たんだよ!」と話す。正直、誰もそんなこと聞いて

まう。そして、「自由貿易」は、貧富の差を拡大さ せるだろうし、その”自由”というものは、自由と いう言葉の本質的意味を持たない自由だとも思って いる。 日本から記者が来た日は、行政院突入が行われた 日である。「現場」と「流れてくる情報」の違いを 強く感じた日であったし、眠れない夜だった。あの 日、行政院で行われた強制排除に対して、台湾の多 くの人々(少なくとも私の周りの人々)は、大きく 分けて二種類の見方があったように思える。一つ は、「国家暴力」に対して怒る人々、そしてもう一 つは、「もう立法院には行かないし、関わらない方 が今後の為に良さそう。」という人々である。「も う関わらない方が良さそう」という考えに行き着く ことはよくありそうなことだが、「国家暴力」に対 して、きちんと声をあげて怒る人々の多さと彼らの 勇敢さに本当に驚いた。

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特集:ひまわり学生運動 いない。「もっとすごくて、もっと ひどかった」から今の現状は特に問 題ない―のだろうか。過去のことを 伝えてくれることは大切だけれど、 過去を繰り返さない為に、明らかに おかしな現状に対し声を上げる方が よっぽど明確な意義があるはずだ。 今まで本で少し読んでいてよく分 からなかったことが少し分かった気 もする。それは、過去の日本の学生 運動で、なぜ”赤軍”などができて いっ たのか、その後日本の 多くの 人々がどうして“学生運動”に対し てあまりいい印象を抱かなくなった かという事である。すぐには、結果 が得られないじれったさ、人が多け れば多くなる程起こる内部での意見

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の衝突など様々な要因があるし、過去の日本の学生 運動と照らし合わせ比べることが必ずしも生産的だ とは思わない。すぐに結果は得られないし、政府は 市民が諦めること、疲れること、分断していくこと を目論んでいるからこそ、市民運動には「熱い心と 冷たい頭」が必要だと強く感じた。それがあってこ そ、目的達成に一歩近づけるのではないかと感じ た。

とても面白い機会でもあった。中でも特に印象に 残っているインタビューがある。台北駅前を歩く年 配の女性に「今回の立法院占拠についてどう思いま すか?」と聞いたところ、「早く家へ帰るべきだ し、まだ一人も命を犠牲にしていないので大したこ とはない。韓国がアメリカとFTAを結ぶ際、自殺を した人もいるがそれでも、結ばれた。だから台湾と 中国も協定を結ぶべき。」という言葉だ。これは自 分が想像もしたことがなかった意見である。”命の 犠牲”を以て何かに抗議し阻止したり、権利を手に 入れることがどういうことで、どの様な影響をもた らすことなのかが私には分からないが、自分たちの 未来の為に闘っているのに、命まで犠牲にしてし まったら元も子もないのではと思った。 この学生運動から始まった立法院占拠以来、台湾 の市民運動は以前より更に活発になり勢いとエネル ギーがでてきたように感じる。参加者は学生だけで

一人も 一人も死んでないから大 んでないから大したことない? したことない? そ れ か ら、取 材 の 手 伝 い で、立 法 院 の 周 辺 の 人々、中の人々、そして街の人々にそれぞれ話を聞 けたことはいい経験だったし、そのひとつ一つの言 葉は、とても印象的だった。私の台湾人の友人たち は、サービス貿易に反対していたり学生運動を応援 している人たちが多く、自分や自分の周囲と異なる 意見を聞く機会はあまりなかった。だから台北駅前 を歩く人々にインタビューすることができたことは

はないし、多くの市民の公民意識を目覚めさせた きっかけでもあるから、この運動を「ひまわり学生 運動」と呼ぶべきか、「公民啓発運動」と呼ぶべき かという議論もあるらしい。ひとまず、そんなこと は置いておいて、強く感じることがある。それは、 みんな”一%の人々”へ怒り、ヘトヘトになりなが らも、どこか自分たちが生きているこの社会と関わ ることに対して楽しさや面白さを持っている人々、 特に若者たちが沢山いるように思う。オシャレだけ ど、どこか面白く、センスのいい標語やチラシ、 ウェブサイト、アート作品を次々と生み出す学生達 やアーティストたち、道を封鎖しているとき楽しそ うにおしゃべりやトランプなどをしている人々…み んな、顔が羨ましいぐらい活き活きしているのであ る。

前に、私は日本の民主主義の方がよっぽど危機に瀕 している気がしている。 友人と立法院へ座り込み へ行ったととき、先日の反核デモで道を占領したと き、台中の高鐵站に座り込みに行ったとき、何人も の友人に聞かれた質問がある。「日本の市民運動 は、どうなんだ?」「ニュースを見ていると、日本 の政治も良くないようだが、怒ってみんなで占領し たりしないのか?」私には、どう答えればよいか分 からず、只々「そんなことはほとんどないだろう ね〜なんでだろうね〜。どうしようかねぇ。」と答 えるしかなかった。日本に居るときも、台湾に来て からも、日本の社会は、あまりにも顔が見えない世 界の様に感じて、考えれば考える程分からなくなる ことがたくさんである。もちろん、日本にもデモや 抗議行動を起こして闘っている市民はいるはずだ が、彼らの顔や主張がなかなか見えてこない。まし てや、多くの人々、特に自分と同世代の若者たちが

「自分の 自分の意志で 意志で自分たちの 自分たちの未来 たちの未来の 未来の為に来た」 「台灣の民主主義が崩壊寸前!?」という言葉の 7


特集:ひまわり学生運動 なにを考えているのか、今の私にはよく分からない から、とても知りたいし意見を交わしてみたいと 思った。 サービス貿易のことだけでなく、原発のこと、社 会の問題のことすべてにつながることだけれど、熱 心に考えたり、参加する人とそうでない人と、「二 つの世界」が存在することは、もしかしたら当たり 前のことかもしれない。しかし、その意識の差はど こからくるのかがとても気になる。よく「これは” 社会の問題”だから」、「”そういう時代”だから 仕方ない」という言葉を耳にするが、耳にする度に 違和感を感じる。その「時代」に、その「社会」に 生きているのは誰なのかと問いたい。「社会」とい うのは、私たち一人一人が生きている場のはずだ。 ならば、「変えよう」「つくろう」「考えよう」と 思うかどうかの「公民意識」の問題が根っこに存在 しているような気がする。

国会から退去する日に彼らが話したように、これ は「終わりではなく、はじまり。」だ。今後の動き に関心を持ちつづけたいし、自分が見て、聞いて、 感じて、考えてきたことを、どんな形でもいいから 伝えて行きたいと思う。立法院前で出会った花蓮か ら来ているお兄さんは、「私は一人。なんの団体や 政党にも属さない。自分の意志で、自分たちの未来 の為にここへ来た」というプラカードを持ちなが ら、とてもいい笑顔で「いい意味でも悪い意味で も、こんなことが出来るのは台湾だからこそ。海外 の国々には、いいところも悪いところも見てもらっ て、自分たちの未来づくりの参考にしてほしい。」 と話してくれた。その言葉がなんだか心に残る。誰 かに、自分で「伝える」ということや「伝える」作 業を手伝うことで、どこかでだれかが関心をもつ きっかけ、アクションを起こすきっかけにつながる 可能性があるかもしれないし、参考になるかもしれ

ない。実際、日本では、もともと社会的関心を 持っている人々が台湾にも目を向け、「勇気づ けられた。おれたちももっと頑張ろう」という 声も出てきたようだ。しかし、「台湾の学生運 動を契機にゼロから社会的関心に目覚めた」と いう話はあまり聞こえてこない。目覚めてない 人を目覚めさせるにはどうしたらいいかという ところは、考えどころである。どうしたら、社 会への関心の輪を広げていくことができるのか 考えていきたいし、「熱い心と冷たい頭」を持 ち な が ら、自 分 の で き る 範 囲 で で き る 角 度 か ら、社会との関わりを持ちつづけていきたい。 (了)

Photo by Awil Achuan

【狩集武志、冨永悠介、川口隆行】

鼎談: 鼎談:私たちが見 たちが見た「太陽花」 太陽花」 ―台湾の 台湾の「ひまわり運動 ひまわり運動」 運動」を振り返る― 「ひまわり運動 ひまわり運動」 運動」と「私」 冨永:2014年3月18日、台湾の学生たちによって立 冨永 法院(国会)が占拠される事態が起きました。その 後、4月10日に学生たちが立法院を退去したことで 一応の収束を見せました。それから間もなく一ヶ月 を迎えようとしていますが、今日は、この「ひまわ り運動」について考えることや思っていることを ざっくばらんに話し合えればと思っています。集 まって下さった方々を簡単に紹介します。まず、写 真家の狩集武志さん。宮崎で活躍する狩集さんは3 月の下旬、立法院の中に実際に入り、その時の様子 を「「太陽花学運」レポート」として報告されてい ます。この記事はインターネットで読むことが出来 ま す(http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/

taiwan/)。次に川口隆行さん。川口さんは、広島 で大学教員をされています。「ひまわり運動」につ いてフェイスブックなどで積極的に発言されまし た。また、台湾の情報を日本語に訳して伝えるな ど、情報を広く共有しようと橋渡し的な役割をされ てきました。私は大阪で「ひまわり運動」を見守っ てきましたが、この約一ヶ月の間に色々なことを考 えさせられました。それぞれにとっての「ひまわり 運動」があったと思います。そこでまずは、この 「ひまわり運動」について、それぞれ今何を考えて いるのか簡単にお話しください。 狩集:今回、台湾に行って、実際に立法院に入って 狩集 みて感じたことは、日本でも台湾でも起こっている ことは一緒だなという印象を持ちました。僕は今、 宮崎に住んでいるのですが、そこで起こっているこ とを考えてみても、やっぱり台湾とどこかで繋がる ような気がします。上手く言えないのですが、一部

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特集:ひまわり学生運動 の権力者が自分たちの利益だけのために社会全体を 一つの方向に動かそうとしている。まさにグローバ リゼーションの問題です。こうしたグローバルな資 本の動きや、それによって自分たちの生活が食い潰 されていく現状が、台湾でも日本でも宮崎でも、今 や全世界の問題として存在しているのではないで しょうか。こうしたグローバル化に対して、必死で 声を挙げて抵抗する人びとがいます。しかし、その 声がなかなか届かないのが現状です。ここにもう一 つの重要な問題があると僕は思っています。資本に 食い潰されそうな私たちの生活を目の当たりにしな がらも、必死で抵抗する人びとの声は届かなかった り伝わりにくかったりする。だとすれば、今回の 「ひまわり運動」の声は、誰にどのように伝わった のでしょうか。考えてみたい問題の一つです。

左から狩集さん、川口さん、冨永さん 5月4日、広島で。

関わっています。この点をどのように考えたらいい のかが気になっています。もっとはっきり言えば、 『「ひまわり運動」における両岸問題』という問題 で す。確 かに「ひ まわり 運 動」は「反 黒箱」(ブ

冨永:狩集さんのお話とも繋がると思うのですが、 冨永 「ひまわり運動」には中国との自由貿易協定が深く

ラック・ボックス反対)が出発点になっていると思 いますし、運動の中心にいた林飛帆さんも「台湾の 民主主義を救うため」の運動だと述べています。し かし、あれだけ多くの人びとの関心を呼び、これだ け大きな動きになったのは、ブラック・ボックスの 中で決められた協定が、何よりも中国との協定だっ たことはやはり無視出来ない点としてあるのかなと 思いました。

たらいいのか。そういう状況の中で、自分で伝えら れることはフェイスブックで伝えようと思いまし た。もう一つは、報道のされ方です。大手のメディ アが出遅れたのもありますが、最初に「ひまわり運 動」の情報を持続的に伝えていたのはニコニコ動画 でした。大手メディアができなかったことをやった という点で重要な役割果たしたわけですが、大きな 問題もあると思っています。ニコニコ動画のコメン ト欄を見ると「親日台湾頑張れ!」とか「中国ざ まーみろ!」といった気持ち悪いコメントがずっと 並ぶわけです。そうすると、ニコニコ動画を見てい る人やコメントを残す人は、台湾を見ているのでは なく、「自分たちの自画像」を見ているのではない かと。このように「ひまわり運動が利用されていく ことはちょっと耐えられなかったですね。

川口:私は19日の夜、家に帰ってから立法院が占拠 川口 されていることを知りました。それから自分で情報 を集めて、自分にやれることをやろうと思いまし た。そう考えたのにはいくつかの理由があります が、学生たちの主張に賛同出来たこともあるし、自 分の関わっている人たちが応援しているのを見て私 も応援したという気持ちになりました。それから、 日本での報道がやはり気になりました。一つは「ひ まわり運動」が日本で報道されないことをどう考え

「郷土への 郷土への誇 への誇り」、ナショナリズム 」、ナショナリズム、 ナショナリズム、反グローバリ ゼーション

く政治家もマスメディアも即座に過激派、犯罪者認 定をすると思いますが、実際に立法院に行ってみて どうでしたか?

冨永:もし、いま日本で国会を占拠したら、おそら 冨永 狩集:正直、怖かったですね。自分は写真家であ 狩集 り、今回の訪台がたまたま「ひまわり運動」と重 なったため「よし、撮るぞ」と若干の使命感を持ち つつ乗り込んだものの、初めての海外で少しの英語 しか喋れず、台湾語(あるいは中国語)は一切喋れ ませんから(苦笑 しかし、そんな僕の心意気が伝 わったのか、話しかけてみると案外普通に応えてく れたんです。逆に日本人である僕自身や日本に興味 を持ってくれたりして。恋愛話や他愛もない世間話 をしたりもしたし、全然過激じゃなかったんです よ。友達同士でじゃれあったり、お互い肩もみし あってたり。微笑ましかったです。 Photo by 狩集

川口:狩集さんのレポートを読んで印象的だったの 川口

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特集:ひまわり学生運動

Photo by 狩集

は、「郷土へ の誇り」につい て書 か れている箇所です。「遠くから撮っ ていたときは少し怖かったけれど、 よく見るとやはり、みんな若くてあ どけない。そして、そんな彼らをこ の ように憤 らせる“オト ナ”たち。 国は変わっても“オトナ”たちのや ることは変わらないなと思った。違 いはこの若い世代たちの勢いや、胸 に秘める郷土への誇りだろう。それ を汚されたと感じる者たちの憤りは 計り知れない。彼らは台湾を愛して い る の だ」。「現 在 の 台 湾 は、彼 ら の親や祖先によって脈々と受け継が れ積み上げられた台湾の歴史を台無 しにされるかもしれない重要な局面 なのだ。同じ台湾に住んでいるはず

とする気持ちのように受けとめました。そうした感 情は私も強いのですが、それをナショナリズムって 言ってしまうとわかりやすそうで、話が一挙に大き くなるというか、ずれるというか。

なのに、なぜこんなにも“オトナ”たちは彼らと思 考がかけ離れるのだろう。そこは今の日本と重なっ て見える」。 狩集:そうですね。僕自身の問題として、自分らの 狩集 郷土に対する思いというか、それをナショナリズ ムって言うんでしょうか。僕がドキュメンタリー写 真を撮る上で心掛けていることの一つに「気持ちを ニュートラルに保つ」というのがあるのですが、撮 影していてどうしてもそういう目線で台湾(=ひま わり運動)を見てしまった部分もありました。

冨永:川口さんは、さきほど報道のされ方について 冨永 言われていましたが、そのこととナショナリズムの 問題というのは関係するのでしょうか? 川口:さっきネットの話をしましたが、日本のマス 川口 メディアに関して言えば、大雑把な印象ですが、分 量はともかくとして、朝日、毎日が比較的運動に寄 り添っていたかと。NHKや読売は一貫して淡々と していました。産経は当初熱心だったけど「反中 国」だけで事態が括れないことがあきらかになるに つれて、少し腰が引けたかな。ただ、強弱はありま すが、中国に呑みこまれる恐怖が運動の本質だと いったフォーマットが一つありました。それは、日

川口:郷土への思いとナショナリズムは、重なり合 川口 うこともあるとは思うのですが、全く同じかどう か。狩集さんの強調する「郷土への誇り」は、自分 たちがいま具体的に生きている場所や、顔の見えて いる人たちが、理不尽な大きな力によって壊された り崩されたりする事態に対する憤りやそれを守ろう

本のいまの反中嫌韓の風潮に迎合し、それを強化す る危うさをはらんでいます。また、台湾と中国の自 由貿易の問題には、日本企業も大きく絡んでいます よね。2010年に台湾と中国で締結されたECFA以 降、日本企業の台湾進出が急速に伸びて、台湾資本 と組んで大陸進出を狙っている。マスメディアでい えば、日本テレビと中天電視が合資会社を作ったり して協力関係を強化、日本のコンテンツを大陸で売 ろうとしていたりするのですが、そんな動きが日本 ではほとんど伝えられませんでした。

川口:そうですね。そのように思ってしまう気持ち 川口 を否定はしきれないのですが、長い目で見た場合、 やはり健全ではありませんね。日台の「連鎖するナ ショナリズム」という事態を招きかねない。ささい なことかもしれませんが、一つ気になった例を紹介 しておきます。4月7日に学生たちは、立法院から撤 退することを表明しましたよね。声明の中には、 「在國際地緣政治上,我們徹底宣示了台灣人不願意 受中國擺布的全民意志,也打亂近年來中國、美國甚 至日本等對於台灣問題私相授受的強權布局。」とい う箇所がありました。「ひまわり学運」のフェイス ブックには、この声明の各言語バージョンも掲載さ れおり、さきほどの箇所も英語版では「Regarding international geopolitics, we have demonstrated to the world the strong will of the general public that the people of Taiwan will not be at the mercy of China, and have therefore upset the underhand dealings of Taiwan-

冨永:話は少し変わるかもしれませんが、ニコニコ 冨永 動画にしても台湾の立法院の内部に協力者がいたか らこそ中継できたわけですよね。運動の担い手の中 にも、「敵の敵は味方」といった姿勢があったので はないでしょうか? 日本のネットウヨクでもなん でも、興味関心を抱いてくれるのであればありがた いし、利用したいといった。 10


特集:ひまわり学生運動 related issues between China, the United States and even Japan.」ときちんと訳されている。それが日本 語版になると、「国際政治が地域的な広がりを見せ るなか、我々台湾人は中国が台湾を意のままに操ろ うとすることを到底受け入れられないことを明確に 示しました」となって、「アメリカ」そして「日 本」への言及が消されます。なぜこのようになった のか。やはりこの訳に疑問を抱いた友人がそのこと をフェイスブックに記載された連絡人に伝えたので すが、音沙汰ないそうです。

していいのか、台湾ナショナリズムに関する評価の 問題なのでしょうか? 冨永:というよりも、ブラック・ボックスに反対す 冨永 るという点だけに着目し過ぎると「ひまわり運動」 を理想化し過ぎてしまうのではないのかという疑問 です。 狩集:運動としての泥臭さですか? 狩集 冨永:台湾の人びとにとって、中国との関係は現実 冨永 的な緊張感を伴う問題だと思います。確かに「台湾 の民主主義を救う」ことが「ひまわり運動」の核に なっていたとは思いますが、中国に呑み込まれるか もしれないという危機感や不安感を抱えて運動に参 加した人たちもいただろうと推測します。フェイス ブックの投稿で、この「ひまわり運動」を統一/独 立という視野で考えることは「ナンセンス」「表層 的」だという書き込みもありましたが、果たして本

冨永:なるほど、それは問題ですね。 冨永 川口:逆に冨永さんに聞きたいのですが、さっき両 川口 岸問題が気になると言っていましたが、それは台湾 ナショナリズムに関わる問題なのでしょうか。この 「ひまわり運動」のベースに台湾ナショナリズムが あると見た時に、この運動を肯定していいのか否定

当にそうでしょうか。繰り返しにな りますが、中国に呑み込まれてしま うという危機感や不安感は「ひまわ り運動」の中でどのように位置づけ られるのでしょうか。また、「民主 主 義 を 救 う た め」と い う 点 を 強 調 し、現実的な問題として存在してい る中国との関係を軽視することは、 今回の「ひまわり運動」を過度に理 想化してしまうことに繋がるのでは ないでしょうか。 川 口 : 運動 の理 想 化への 危 惧で す か。そ れ な ら な ん と な く わ か り ま す。その話はあとでしましょうか。 その前に一つ。私は今回の事態をま ずグローバル資本への対抗運動だと 大きくとらえました。そこに共感・

Photo by 狩集

共鳴したのです。ただ難しいのは、それが台湾の場 合、グローバル化された資本は、具体的には「中 国」というわかりやすい顔をもってあらわれてしま うという点にあるのかもしれません。そうイメージ したほうが、敵がはっきりしているようでなんだか 闘いやすい気になるのかな。日本の場合でいえば、 TPP反対や基地反対闘争が、グローバル資本や普遍 的な軍事基地に反対しているはずなのに、いつのま にか「反米」になってしまう点とすこし似ているの かもしれません。各国政府と結託したグローバル資 本に対抗するグローバルな連帯意識、「階級意識」 というと硬いですが、そのようなものが持てないと いう現状があるのではないでしょうか。

川口:そうですね。国民党も民進党も順番の違いは 川口 ありますが、TPPにはいずれ参加したいと言ってい ますね。アメリカ主導の枠組みならOKなのかどう か。今回の運動の経験を反グローバリゼーションの 思想に練り上げていくのは今後の課題かもしれませ ん。 「民主的」 民主的」とはどういうこと? とはどういうこと? 川口:運動の中心メンバーが両岸問題をどのように 川口 考えていたのかはっきりしたことは分かりません が、戦略として両岸問題は敢えて表に出さなかった という側面もあるかもしれません。台湾独立という 言葉を口にした途端、一定の人たちの支援を受ける 可能性も確実でしょうが、過激派だと思われる危険 性もあって、広い支持を得ることが逆に難しくなっ たかもしれない。運動の中で反中国的な要素を表に 出さない、そういう方向には持っていかないぞとい

冨永:今回運動がこれだけ盛り上がったのは、実は 冨永 中国との協定だったからではないかという私の疑問 は、じゃあTPPでも同じような反対運動ができるの かという問題にもつながるのでしょうか。 11


特集:ひまわり学生運動 落ちてなかった、すばらしい、中国ではこんなこと はありえない」と語っていました(苦笑 今回の運 動は「スマートさ」「整然さ」あるいは「明るさ」 などという言葉で語られた印象があります。理知的 でどこかあか抜けた、洗練された運動イメージ。近 年の社会運動の経験の積み重ねもあったのでしょ う。一方、こうしたイメージが一人歩きするのも危 うい気がします。他の運動のあり方を否定しかねな いと思うのです。そもそも社会運動というものは試 行錯誤であって、「野暮」で「猥雑」な、あるいは 統率のとれない運動があってもいいはず。また、洗 練されたイメージは、どこかネオリベラリズム、ポ ストフォーディズムの求める人材像に合致している ようでもあり、すこし気持ち悪い(笑 これは冨永 さんの言った、ひまわり運動の理想化という危惧と

うやり方ですよね。やはりそれは正しかったと思い ます。 狩集:それは誰か指導した人がいたんでしょうか? 狩集 川口:どうなんですかね。リーダーたちの後ろで作 川口 戦を授けた大人たちがいたかどうかは分からないで す。 狩集:今回のこの運動を振り返ってみると、あまり 狩集 にもスマートすぎる気がしないでもないのですが。 泥臭さみたいなものが見えにくいというか。そこは 感心したところのひとつではあるんですけど。 川口:おもしろい指摘ですね。日本のテレビ番組の 川口 コ メ ン テ ー タ ー が(2014 年 4 月 5 日 TBS「報 道 特 集」)、「3・30の大規模デモの翌朝、ゴミひとつ

Photo by 狩集

も関わることかもしれません。「スマートさ」「整 然さ」そして「明るさ」という言葉を表面的に受け 取るのではなく、そうしたスタイルを強調すること で、立法院占拠という一歩間違えば民主主義の根幹 を切り崩すかもしれない危うい行為を切り抜けよう とした、そのぎりぎり感みたいなものを評価したい ですね。

いかということです。 冨永:そういえば、先ほど川口さんが「郷土への誇 冨永 り」という点で紹介した狩集さんの文章、「オト ナ」に対して「若者たち」が強調されていました ね。 狩集:そのことについてはいろんな方から批判的な 狩集 意見も頂戴しました(苦笑

冨永:なるほど。「スマートさ」「整然さ」そして 冨永 「明るさ」という言葉の背後にある経験の質みたい なものをどうとらえるのか。それが大事ということ でしょうか。

川口:大人対若者という図式が妥当かどうかは別に 川口 しても、「ひまわり運動」は、いまの台湾の代議制 民主主義では届いていない声を、立法院を占拠する 形で伝えようとしたとは思うのです。同様に思って いた若い世代が、立法院占拠という事態に共感し、 次々に運動が繋がっていったのではないでしょう か。もっといえば、タクシーの運転手さん、南部の

川口:それからもう一つ。今の台湾の公共的空間に 川口 対して「自分たちの声が届いてない」と感じる若い 世代が「ひまわり運動」に共感していったのではな

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特集:ひまわり学生運動 農民のおじさん、おばさんをはじめ様々な人たちが 応援に駆け付けたように、世代を超えた支援の広が りを見せたのは、台湾に住んでいる人たちの多く が、「自分たちの声が届いていない感」を強く持っ ていることの表れではなかったのでしょうか。

ない感」は共通しているということでしょうかね。 川口:大事な点ですね。「自分たちの声」といって 川口 も、内容は同じではないかもしれない。運動の最中 に、原住民青年団の声明がだされましたが、原住民 の若者と漢族の若者がおかれている政治的、経済的 立場は違うでしょう。今回の運動は、そうした違い を「民主主義の擁護」というフレーズでまとめあげ たわけです。「民主主義」という言葉の重みが、台 湾で生きている証拠です。ですから、今後いっそう 大事になるのは、運動の中で発せられた、あるいは 隠された、微妙な声の違いを、様々な話し合いの場 を設けながら、聞き分け、語り直すことにあるで しょう。安易な折り合いや了解を避けて、一人一人 の経験の質の違いを踏まえ、地道に繋げていく。泥 臭すぎて、ネオリベは効率が悪いと否定するでしょ うが。それと、今回は民主主義の「プロセス」が強 調されましたが、そもそも「民主的」であるとはど

狩集:たしかに立法院の周辺には様々な人たちが集 狩集 まって、タダで飲み物や食べ物が配られたり、無料 の屋台があったりと、学生たちを応援していまし た。食料以外にも、3月29日夜の大雨の時には合羽 も配られていたし、寒がっている人には防寒用の シートも配られていました。また、議場内ではほぼ 24時間いずれかのメディアは発信し続け、医師団 や弁護士団が常駐し、学生たちをサポートしていま した。これも、声を届けようと行動に出た学生達以 外にも数多く存在しているであろう「声」の表れで すよね?それぞれの人の抱える不満みたいなものは 違うのかもしれないが、「自分たちの声が届いてい

は、発話能力がないとされる存在の声を、話し合い それ自体によって浮かび上がらせることが大事だと いうことです。そうした声は、「われわれ国民や市 民」の権利の限界を問い直すでしょう。そのように 権利を繰り返し問い直す行為こそ、私は「民主的」 であると理解しています。もしかしたら、こうした 行為は「スマートさ」「整然さ」そして「明るさ」 だけでは語れないかもしれませんね。

ういうことなのか、という問いも大事ですね。話し 合いをすればよいというわけではない。議会にせよ 何にせよ、話し合いの場に参加している人たちの利 害・関心の調整で終わっては不十分です。外国人だ から、精神を病んでいるから、知識教養がないか ら、子どもだからといった様々な理由で、話し合い の場からあらかじめ排除され、加わる資格すら奪わ れている存在が必ずいます。死者やまだ生まれてな い存在、人間以外の動物や植物だってそう。極端な ことを言っているように聞こえるかもしれません が、戦争責任や原発問題といった例を少し思い浮か べてくれたら理解しやすいでしょうか。

冨永:いまの議会制民主主義は、既得権益の代弁に 冨永 すぎないのでしょうか。 川口:私は議会制民主主義を全否定したいのでもあ 川口 りません。「ひまわり運動」もですが、そのあとの 「反核デモ」では、現状追認というのが実際のよう ですが、第四原発建設「停止」を一応は表明したわ けで、まだ台湾の政府や国会は、社会運動という形 で発せられる声を聞き届けようとする姿勢はあると

冨永:話し合いの場に参加できない人を、なるべく 冨永 参加できるようにすることが大事ということです か? 川口:それもありますが、「民主的」であるために 川口

思うのです。それに対して、日本の状況はもはや絶 望的に思えて…そんなこと言って嘆いている場合で はないのはわかっていますが。

狩集: 狩集:僕自身の話になりますが、僕はそもそも怒る 性格ではなくて、どちらかというと外側から世界を 眺めているような人間でした。でも、それが変わっ てきたきっかけがありました。それは「宮崎ピカデ リー」という、宮崎の街に33年間根付いた映画館 の閉館でした(2007年12月)。僕は映画館に毎日 通いながら取材をしましたが、その過程の中で町の 色々なしがらみが見えてきました。例えば、オー ナーの世代交替があったんですが、新しいオーナー は前オーナーに比べさほど映画に関心がなく、この タイミングで郊外に大型ショッピングモールがで き、その中にシネコンが併設され、映画館は勿論、 市街地から人がいなくなりました。そこで舵取りを 任された支配人も閉館を余儀なくされるんですよ ね。 しかし、ピカデリーを必要だと主張する人たちもい て、一生懸命署名を集めたりしていました。それで

「怒れない私 れない私たち」 たち」が「ひまわり運動 ひまわり運動」 から学んだ 運動」から学 こと 冨永: 冨永:そもそも私は何に対して怒ることが出来るの か。今回の「ひまわり運動」に接しながら考えたこ とです。例えば、消費税が増税されたことに不満は ある。しかし、怒りまでは感じていない。仮に怒り を感じたとしても、国会を占拠するという話にはな らない。だから、台湾の人たちはどうしてあんなに 怒れるのか。同時に、私は何に対してならちゃんと 怒ることが出来るのだろうか。これは個人の問題な のか。それとも日本社会の問題なのか。この怒りに ついて、狩集さんもご自身のレポートに書かれてい ましたね。

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特集:ひまわり学生運動 もこの映画館は結局閉館してしまう んです。最終日には大勢のお客さん が来館し、涙しました。そういう状 況を目の当たりにして、自分たちの 意見とは関係なく社会がどんどん決 められていくという状況があって、 そこに世界の縮図を見たような気が しました。さらに、311大地震が起き る 少 し 前 に、命 に 関 わ る 大 事 故 に 遭ったこともあって、これはうかう かしていられないという気持ちにな り、良からぬ方向に物事が進んでい く状況に対して、不安感やイライラ 感を徐々に出すようになっていき、 自分なりに行動するようになってい き ま し た。だ か ら、僕 は 内 心 で は 怒っているんですけど、しかし、ど

Photo by 狩集

のように立ち向かったら良いのかが分からない。今 回の「ひまわり運動」を見ていて、どうやって学生 たちが立ち向かっていたのか、あるいは、自分がい ざという時にどのように行動すればいいのかを勉強 させてもらった気がします。

悲しさやしんどさといった感情を強く感じます。そ う考えてみると、怒りを感じるか・感じないかとい う問題には、ある社会的問題を自分の問題として感 じることが出来るか・出来ないかが、どこかで関係 しているように思います。では、どうしたら原発や 米軍基地の問題を自分の問題として感じ、怒ること が出来るのでしょうか。

冨永: 冨永:私はさっき怒れないと言いましたが、怒れる 時もあります(笑 例えば、子どもの頃から家の 近くにあった森が伐採されたのを知って怒りを感じ ました。自分の記憶と繋がる場所が無くなったこと への怒りです。しかし、原発や米軍基地、消費税増 税のような問題に対して不満はあるけれど、それに 怒りを感じているだろうか。また、一方で、森が伐 採されて大切な場所が無くなったという自分の経験 から、例えば、原発事故によって離郷を強いられた 人びとの気持ちを察することが出来るかもしれな い。大切な場所を失ったという自分の経験を媒介と することで。しかし、この場合は、怒りではなく、

狩集:いま、取り組んでいることの一つですが、宮 狩集 崎の諸塚村という辺鄙な村の撮影があります。そも そもは、神楽と呼ばれる所謂祭りの撮影がきっかけ だったのですが、村やそこでの人々の営みに興味を 持ち、日常の様子や風景を継続的に撮影しているわ けです。それは、村のいま行われている営みに、僕 がなにか未来のようなものを感じているからかもし れません。諸塚では、村人達みんなひとりひとりが 「生きる事」を自覚し、自分たちが生きて行く諸塚 がどうすれば良くなるかというのを常に考え、そし

て行動に起こします。その行動は、彼らの衣食住、 仕事、家庭、遊び、すべてに繋がっているのです。 鶏を自分で育て、捌き、食す。畑を自分で耕し、野 菜を育て、食す。樹木を伐採し、それで柱を組み、 家を建てて住み、伐採した後には新しい樹を植え る。諸塚 の森 は、FSC認証(独立 した第 三者 機関 が、森林管理をある基準に照らし合わせ、それを満 たしているかどうかを評価・認証していく制度)を 受けています。物事の発生、収束、はたまた循環を 常に目の当たりにすることができます。コミュニ ケーションも長老格から生まれたての赤ん坊まで、 分け隔てなく取られるのを見ます。もちろんいい事 ばかりではありません。自分の行動ひとつひとつ、 常に責任を問われることもあるし、村中みんな知っ てる顔だけに、面倒くさい事も大なり小なりあった りもするようです。そこでの営みは、仕事や生活を 徹底的に細分化され、しがらみも少なく一見便利に

思える現代の生活とは程遠い世界です。しかし僕に はこういった諸塚の営みに未来があるように思えて ならないのです。 川口: 川口:私は怒ってばかりの人間なので(笑 個性も あるでしょうが、お二人は、社会という言葉や、社 会なるもののイメージが切り崩されてしまった世代 なのかな。社会とはそもそも何か、というのは難し い問題ですが、元祖ネオリベの代名詞であるイギリ スの政治家マーガレット・サッチャーは、80年代 に「社会」なんてものは存在しないと主張します。 あるのは、国か家庭か個人だと。つまり、様々な関 係性から織りなされる社会なるものを消していくの がネオリベの大きな流れ。みんなバラバラな存在で あることを強いられ、あるいは、さまざまな違いを ないものとしてナショナリズムにまとめあげられ る。社会に対する具体的イメージが一旦削ぎ落とさ れてしまったときに、社会的なるものをどのように 14


特集:ひまわり学生運動 取り戻すことが出来るのか。お二人は、親しい森や 映画館、小さな農村の営みのように、自分にとって 具体的に目に見えるところから取り戻そうとしてい るのかもしれませんね。

のか。話は飛躍しますが、怒りといえば、「怒り」 の広島/「祈り」の長崎、という語られ方がありま した。同じ被爆地でも原爆投下に対する向き合う姿 勢が違うと。ほんとにそうかと疑っていますが、そ もそも「怒り」と「祈り」という感情を別個に切り 分けるのが妥当なのか。どこか二つの感情は深いと ころで繋がっている、繋がっていた方がよいと思う のですが。

冨永:私たちは社会うんぬんの前に、怒りという感 冨永 情が去勢されているのかなあ(苦笑 川口:いま、多くの人たちが、自分の周辺、あるい 川口 は自分の内部にも、なにか理不尽な力によって損な われ、奪われているものがある、そんなことを感じ ることからも遠ざけられているのかもしれません。 若者だけの問題ではなくて。ただ、「怒り」という 感情は、自分や他人を傷つけ、自分が信じる正義を 絶対化してしまう暴力的なところもあります。ネッ ト上のヘイトスピーチは、それが「憎悪」になって 他者の攻撃に向かっていますね。「怒り」を負の方 向ではないところへ向かわせるにはどうしたらよい

狩集: 狩集:おもしろいですね。またその話、どこかで聞 かせてください。全く逆とも思えるような感情が同 一のものであるという見解、とても興味がありま

す。 川口: 川口:はい。そろそろ今日は時間も時間ですし、こ の鼎談はひとまず終えようかとおもうのですが、最 後にお二人に一言ずつ聞いてみたいのですが、ずば り、「ひまわり運動」から何を学んだと思います か?運動への関わり方は色々あったと思いますが、 「ひまわり運動」が他人事ではないとしたら、これ は大事な経験だと思えることはありましたか? 最 初は冨永さんがなんとなく司会ということで始めま したが、最後は私が仕切る感じになってすみません (苦笑

Photo by 狩集

狩集: 狩集:私は、この世界に「他人事感」が蔓延してい るような気がして、それがすごく気になっていま す。しかし一方で、僕は真面目な性格で、あまり決 まり事を破るような大胆な人間じゃないものですか ら(苦笑 だから、決められた事でも、ある程度そ の壁を壊して自分の主張をぶつけちゃっていいのか なと思いました。

冨永: 冨永:一言で言えば、もっとちゃんと怒れるように なったほうがいいのかも。「怒り」が「ひまわり運 動」の大切な言葉、キーワードになっているよう気 がしていて、「怒り」がこれだけの大きな力を生み 出したことはやっぱりすごいなと思いました。だか ら、私はもっとちゃんと怒れるようになったほうが いいのかなぁと思いまた(笑

川口:私は私で、いざ何か事を起こす時に、どこま 川口 でどうしたらよいのか。今住んでいる場所でどのよ うなことができるのか。そんなことをいろいろ考え ました。また、ほかの人も交えながら考えを交換し ていきましょう。今日はありがとうございました。 (了)

ひまわり学生運動 ひまわり学生運動が 学生運動が教えてくれたこと【山元勇人】 私は現在、台湾に交換留学中の学生である。今年 2月中旬に初めて台湾を訪れて以来、国際都市とし て栄えた過去のある淡水の街に暮らしている。まだ 異国での生活に慣れない不安とこれからへの期待と の両方を抱えながら、留学生活が1か月ちょっと経 過した頃に、今回の運動が起きた。

自然と立法院に行きたいという気持ちが湧き出て きた。しかし、当初は、ほとんど情報も無く、質問 することのできる知人もいなかった。なので、どう しても天安門事件のような弾圧がおきる、怖い想像 をしてしまうのをやめられなかった。 そのために中々決心ができず、結局訪れることは ないまま、所用で台中へと向かうことになった。そ の日は3月21日である。3月18日の夜に、立法院の占 拠がはじまったから、その時はかなり緊迫した状況 であった。私としては、もう占拠の様子を見ること は出来ないなと半ばあきらめていたのだが、台中に いた2日間、立法院占拠の話題は尽きることがな かった。そればかりか、運動はさらに緊迫を極め、

立法院へ 立法院へ 立法院占拠行動を現実のものとして強烈に認識し たのは、同じ宿舎に住んでいる一人の台湾人学生 が、痣だらけになって帰ってきたことだった。聞く と、既に立法院を占拠した学生たちに続き、中への 突入を試みた結果、そうなってしまったようであ る。

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特集:ひまわり学生運動 広く展開していったのである。 私の行ってみたいという希望はますます大きいも のとなり、バスで台中から台北へと帰ってきた足そ のままに、立法院へと向かった。時刻は夜10時を 回っていて、気持ちがはやった。 しかし、ろくに台北の街を歩いたことの無かった 私は、バス停から立法院まで、順調にいけば徒歩で 10分~15分もかからないような道で、迷ってしまっ たのである。地図を広げて頭をひねっていると、中 年の夫婦がどこへ行きたいの?と声をかけてくれ た。私が慣れない中国語で「立法院」と返事をする と、それが予想外の答えだったのか、苦笑をしつつ も、小心阿!(気をつけて)という言葉を添えて、 教えてくれた。 途中、立法院近くの警察署の前を通ったが、大き な盾を持った大勢の警官たちが、扉の前を護衛して おり、物々しい雰囲気であった。ただ、よくよく近

づいてみると、警官たちやわらかい表情をしていた り、時々小さな笑いが聞こえてきたりと、緊張感が あまり感じられなかったのが、印象に残っている。 やっとの思いで、立法院に到着した。最初に感じ たのは、違和感であった。後々にその原因が分かる が、「台湾独立」や「中華民国の統治を認めない」 というような内容の旗が、大通りの最も目立つとこ ろに掲げられていたのである。これに関しては、立 法院を占拠した学生団体の主張には全く無いもので あって、後々に合流した台湾独立派や台湾愛国主義 の人たちの主張であり、これをひまわり学運と同一 視するのは避けなければならない。 また、違和感と同時に純粋な驚きもあった。1980 年代後半から90年代前半にかけて、台湾社会は急速 に民主化を遂げていくが、それ以前の戒厳令下の時 代では、「台湾独立」といったような主張は、掲げ ること自体まず不可能だったと思われるからであ

る。本当に民主的な社会へと変化したのだ な、と 感 慨 深 く 思 っ た が、そ れ で も や は り、台湾における民主社会の歴史は若い。 これは台湾に限らず、例外なくどの国家も そうあるべきだと思うが、台湾においては 特に、現在もさらなる民主社会への発展途 上段階にあるのだろう。 政党色のない 政党色のない運動 のない運動 私は、大通りから、人で埋め尽くされた 立法院前の通路を歩いていった。常に、演 説している人の大声と、時々、大きな拍手 が聞こえてくる。さらに歩を進め、少し階 段を上って見晴らしの良いところから辺り を眺めてみた。私はその時、目にした光景 を 忘 れ る こ と が で き な い。学 生 が、意 気 揚々と、座り込む人たちに、軽食や座るた めのマットを、配っている姿である。そこ

Photo by Awil Achuan

りと、その他にも多くの“助け合い”の美談が、運 動の中で生まれた。そういう支援者たちの存在を考 えた時に、今回の運動は決して単なる学生運動では なく、全国民的な抗議運動であったと見るべきであ ろう。もちろん民進党によるバックアップも相当に 大きかったのは事実であるが、学生たちは運動に極 力政党色をつけずに、国民党支持者でも運動に参加 できるよう、配慮して運動を展開していった。

には、悲壮感などは全く感じられず、爛々とした輝 きさえ見てとれた。そこには、当初私が想像してい たような恐怖めいた状況は全く感じられず、熱に溢 れてはいるものの、平静とした雰囲気も同時に感じ ることができる状況であった。そのような雰囲気を 作り、行動している学生を目の当たりにし、「同じ 学生なのにすごい!なぜこのような運動が展開でき るのだろうか?」とただ感銘を受けたのを覚えてい る。 もちろん学生だけの力では無い。多くの一般市民 がこの運動を支えた。消費し切れないほどの支援物 資が送られたり、運動の象徴であるひまわりを提供 した農家の人たちがいたり、議場内でのゴミ分別の ボランティアを買って出たおじさんがいたり、無償 でソーセージを提供し続けた屋台の老闆(店主)が いたり、学生を守るために自発的に議場内に救護セ ンターを設置したボランティアの医師看護師がいた

運動の 運動の背景 立法院から一歩引いて、広く今回の運動を見てみ ると、様々な対立軸の中で生まれた運動であったこ とに気づく。①民主的な政治か、大きな権力を持っ た者による集権的な政治か②中小企業(一般市民) の利益か、現代の資本家である大企業の利益か(台 湾は中小企業王国と呼ばれる程、中小企業が多い) ③台湾独立か、中国統一か、などである。他にもあ るかもしれない。 16


特集:ひまわり学生運動 今回の密室協定を結んだ馬政権の行動を見ている と、その裏側が見えてくる。政権はすでに大企業と 密着していて、広く民衆のためではなく、特権層の 利益のために権力を行使している。大企業にとって の利益とは、今回の台中自由貿易協定の締結によ る、中国大陸あるいは台湾への進出であるから、当 然何がなんでも実現させたい。現代社会においての 大企業とは、特定の国家に属する資本と呼べるよう な状態では無いことには、注意をしておかなければ ならない。 そのことにNO!を突きつける形で、学生たちが 立ち上がった訳であるが、一人一人の学生を見てみ ると、またそれぞれ様々な理由がある気がする。 まずは、将来に対する経済的な不安である。台北 市の住宅価格は上がり続けていて(高級住宅街価格 は東京やニューヨークの価格を超えている)、生活 費はアジアの都市で14位というそれなりの順位にも

関わらず、新卒採用者3割の初任給は2万元を下回る ものとなっており、若年貧困層の問題は深刻であ る。国としての発展や生活レベルに比べ、給料が低 すぎるのである。経済的な不安は、自分のこととし て捉えやすいということもあり、学生を動かしたと 見ることができる。 他に、若い世代には特に、台湾人としてのアイデ ンティティーを、確固として持っていて、台湾が中 国に統一されるのを望まない意識が強いのではない かと考えられる。これは私とHさん(台湾人女性で 日本語、英語を話すことのできる友人)とのエピ ソ ー ド で あ る。あ る 時、私 が H さ ん に、「H さ ん は、日本語も英語も北京語も台湾語も出来て、羨ま しい!」というメールを送った。私としては、心か らの尊敬と憧れによって出てきた言葉であったが、 帰ってきた返事は、「北京語じゃなくて中国語。北 京語は中国人の言葉で、私たち台湾人は、北京語を

しゃべらない。違う国だから、誤解しない で下さいよ。」といったものであった。後 から、日本では北京語と中国語は大体同じ 意味で使われているという事情を話し、ま た私自身も台湾と中国を同一視していない 旨を伝え、理解してもらうことができたか ら良かったものの、最初は怒らせてしまっ たかと思い、怖かった。ただし、このこと か ら、彼 女 の 愛 国 心 に 触 れ る こ と が で き て、嬉しくも思った。 また、ひまわり学運の主要な主張となっ た、民主的な手続きを得ずに憲法に謳われ た五権分立を侵害したという主張も、多く の学生や市民が支持されることになった。 この民主主義の根幹をなす問題に焦点を合 わせたことによって、より多くの人々が巻 き込めたのではないかと考えられる。しか

し、これはどちらかと言えば、中心となった学生た ちによって啓発され、後々から社会に浸透していっ た意見なのではないかと私は考えている。 このことから、ひまわり学運が社会に与えた影響 として、“選挙のときだけ政治に関わっていれば良 いのではないということを、体を張って示してくれ たこと”そして、“世の中に大きな議論を巻き起こ すきっかけを作ったこと”が挙げられるのではない だろうか。そしてそれらは今後の台湾のために、非 常に意義があったと考えられる。台中自由貿易協定 の今後は、まだ予断を許さない状況であるが、少な くともこれだけの民意を突きつけられて、政府はそ のことを考慮しない訳にはいかないだろうと思う。

おり、昨年には馬英九が王金平を国民党から追い落 とそうとした事態も起きている。今回の運動によ り、馬英九の支持率はさらに下がり、10%と切った と噂されているが、王金平は学生に寄り添う姿勢を 見せるなど、人気を上げてきている。王金平の背後 には、李登輝元総統がついているという話も聞いた ことがある。 少し歴史の話がしたい。日本植民地時代の台湾に おいても、台湾人による民主化運動があったことを ご存じだろうか?1920~1930年頃の話である。代表 的なものは、台湾議会設置請願運動であろう。当時 の日本政府は、植民地統治の特殊性を考慮し、憲法 施行を保留し、台湾総督府の裁量による法律制定を 可能にしていた。そういう状況であったから、台湾 人による半自治を求めて、台湾議会の設置を主張 し、運動を展開したのであった。その後、日米戦争 が激しさ増し、日本が皇民化施策を強いていく中

で、運動の展開は難しくなった。しかし、興味深い ことに、その時の民主化運動のネットワークが、戦 後、二・二八事件が起きたときの請願運動の伏線に なったのである。これは一つ注目すべき事実である と思う。今回のひまわり学運に関しても、民主化運 動の経験、そしてネットワークができたことは、今 後の台湾を考える上で、明るい材料ではないだろう か。ただし、憂慮すべき点もある。二・二八事件 は、その後、陳儀と蒋介石、二人の為政者の、とん でもない仕打ちにより、悲惨な結果を生むことに なってしまった。現代において、同じことが起きる とは到底思えないが、権力者を監視し、暴走をス トップすることは、歴史が現代に生きている私たち に求めている反省である。

馬と金 今後の状況を予測する一つの物差しとして、馬英 九総統と王金平立法院長の権力争いに注目したい。 この2人は、2005年の国民党主席選で激しく争って Photo by Awil Achuan

特権層のための 特権層のための国家 のための国家 この文章を「ひまわり学生運動が教えてくれたこ と」と題した。この運動は私にとって、台湾情勢を 17


特集:ひまわり学生運動 とができないだろうか?そんなことはない、と私は 考えるのである。今回の運動に照らし合わせて言え ば、権力者を監視し、暴走をストップすることは重 要なことであると述べた。権力者を監視するために 一つの重要な手段は、広く国際社会に訴え、世界中 の関心を集めることである。私は、台湾に近くて近 い国、日本からやってきた留学生であり、今後を左 右する重要な時期の台湾に、たまたま居合わせた。 それを考えた時に、おのずと自分のすべきことは分 かる。より多くの日本人に、より深く、この運動の こと、そして台湾のことを知ってもらうことであ る。そして私自身も、砂時計のように刻一刻と目に 見えて過ぎていく、この限られた留学時間を大切 に、台湾への理解と愛を深めたい。(了)

学ぶための優れた“教科書”であった。台湾情勢と いうのは、矮小した言い方かもしれない。現在、国 際情勢は新興国の台頭を軸に、新たな局面を迎えて いる。中国は新興国の筆頭であり、その力は巨大で ある。その文脈では、世界情勢の最先端として、意 味づけられる運動でもあった。 また、国際情勢だけでもない。現代は、国境を越 えて肥大化する資本と国家あるいは人々がどう向き 合っていくのか、問われている時代でもある。先ほ ど述べたように、大政党は大企業からの献金によっ て支えられており、特権層のための政治が行われて いるのは、何も台湾だけではなく、日本もそうであ る。他の国の事情は明るくないが、おそらく同じよ うなことは世界中どこでも起きていると予想でき る。 こういった状況に対峙した時、私には何ができる のだろうか?ちっぽけな一人の人間には何もするこ

日本では 日本では抗議 では抗議している 抗議している人 している人はいないのですか? はいないのですか? 突然はじまった立法院の占拠。FBの友人たちが リアルタイムでどんどんその様子やメッセージをあ げる。どうなっているの?何が起こったの?私のつ たない中文能力を必死で駆使し彼らの言葉を翻訳し ながら娘にも聞いて状況を把握。ゆっくりするはず だった春休みがそれどころではなくなり寝不足の 日々。 台中の国民党事務所前の集会にも参加した。どん どん人が増えマイクを持って話をしたい人が後を立 たない。民主を取り戻す―みんな口々にそう話す。 台中の市民広場は若い学生達が中心で演奏している 人もいれば車座で話し合っている人たちもいた。立 法院に占拠している学生達の声明は力強い。なんだ か忘れていた大きなものを見つけたかのような気持 ちになる。民主主義とは何か?国民主権とはなに

【Masako Uemae】

街頭授業photo by Awil Achuan

か? わずか30秒で決められた、しかも黒い箱の中で決 められ国民には知らされない。學生を中心に台湾の

日本では 日本では抗議 では抗議している 抗議している人 している人はいないのですか? はいないのですか? 日本の独立メディアから取材の手伝いを頼まれた 時、その事が頭にあり引き受けたが、どこまでそれ が何かになったのかはわからないままではある。私 は今、あちこちで福島の現在というテーマで話をし ているが、必ず質問で言われるのが「日本の公民運 動は何をしているのですか?」「なぜ日本の人は抗 議しないのですか?」「抗議している人はいます か?」。これは必ずと言っていいほど言われる。し ていないわけではないし、頑張っている人もいるだ ろうし、そういう団体もあるだろう、全くしていな いわけではないが、すごく頑張ってやっていますよ とも言えない自分がいる。 反原発デモも最初の1年は東京で大きく行われ た。何度目かのデモでは、激しく目の前でいろんな 人が警察に拘束され逮捕された。特になにも逮捕さ れるような事もせず歩いていただけだったのに、何

人達は抗議し民主を取り戻すと声をあげる。それを 観ながら民主主義とはいったいなんだっただろうと 自分自身に問いかける時間でもあった。日本で原発 事故以前から世の中がおかしくなっている事を感じ つつも日々に追われながら生きてきて原発事故でそ のおかしさが決定的になった。この国はおかしい。 そんな思いを抱えて台湾に来て、台湾で若者が話す 台湾政府のおかしさは、まるまる日本で長い間続い ている事だ。密室で大事な事が決められる。すでに 日本の政治は長年そうなっている。そうなっている ことにすでに疑問さえ感じなくなっていたような気 がする。ネットの中では日本の人達が「台湾加油」 と盛んに応援し「台湾が中国に飲み込まれる」「日 本の最後の砦なのに」などの言葉が飛び交い、違和 感と、台湾頑張れと言うてるお前ががんばれよ、と 腹立たしくもなってくる。変なナショナリズムを煽 るのも気持ちが悪くなんとかしたかった。

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特集:ひまわり学生運動 人かの男の人はすぐに道路脇に待機していた護送車 の中に乗せられ、乗せられた途端に警官数人に蹴ら れたり殴られたり、その様子が道路にいるデモ参加 者に見える。その逮捕者がたくさん出たデモの後か ら明らかに、規模が変わり、人が減ったように感じ た。その後は大規模にということもなく人々は声を あげなくなってきたように感じる。東京であった反 原発デモにも何度か参加したが、圧倒的に若者がい なかった。単純に台湾と日本を比べて見てはいけな いと思うが、日本の人が台湾の今回のNEWSをみて 「うらやましい」「日本の學生はダメだな」と書い ているのを沢山目にした。 確かに日本の學生は反原発デモでもほとんど見な かったしなにか声をあげているかというとそれも目 にすることはほとんどない。でもこれは学生だけの 問題なのだろうか、今の学生の父親母親世代もまる で声をあげないし無関心ではないのだろうか。自分

Photo by Awil Achuan

の兄家族を見ているとまるでそうなのだ。 圧倒的に無関心な人が多い中にいると、自分の方 がなにかこだわりすぎているのか?とさえ思えてく

る。い っ たい い つ か ら日 本 の 中 は こ う な ってし まったのだろうか。

園の民営化反対!いろんな事をやったが、あれよあ れよと言う間に保育園は民営化の波にのまれた。私 の少ない経験でもみんなで立ち上がり抗議したが、 「あーやった甲斐があった」と思える成功体験は皆 無といっていい。そのうちに世の中はなんでも自己 責任という形で物事を片付けるような風潮になって しまったように思う。 公務員も労働組合に入らない「非組」という人が 増え、私がいた頃よりも更に労働組合は労働運動と いうものが機能していないものになっているように 思うし、全国的にもそんな流れになっていったよう に思う。だから原発が爆発して急にどうにかなった わけではなく、爆発したことでいろんな問題がより 鮮明に浮かび上がったように感じている。 日本の若いものはダメだと言ういわゆる大人達が 今の日本の現状をつくってきたのである。それは私 も含めてそうなのだと思う。小さい時から枠からは

自分たちを 自分たちを見直 たちを見直す 見直す契機としての 契機としての太陽花学運 としての太陽花学運 関心はあってもあきらめている人も多いのかも しれない。社会問題や政治の問題を意図的にとり あげないテレビ、それを毎日観ているとどんどん そうなっていくのだろうと想像できる。ある人が 日本では運動をやって何かがよくなったという成 功体験がまるでないからどんどん疲れて人は声を あげなくなり運動団体も縮小していったのではな いかと話していて、それもあるのだろうと自分の 少ない体験をふりかえって感じた。公務員だった 頃、労働組合でいろいろ活動に参加していた。保 育運動にも比較的熱心に出ていたほうだと思う。 まだ赤ちゃんだった娘を連れてあちこち出かけ た。署名運動ではハンドマイクを持って呼びかけ たり署名用紙をもって街頭にも立っていた。保育

み出ない、みんなと同じことをよしとして、ひたす ら受け身の学びを続け評価されてきた結果なのだろ うか? 台湾の若い人達が自ら行動し集まりそれをいろん な人が支えたり支持したり協力している姿を目の当 たりに見て、「台湾すごい」「台湾うらやましい」 とつぶやくだけでなく、じゃあ自分はどうなのか、 どう考えるのか、何を考えるのかを見つめなおさな ければいけないなと思う日々だった。 車座になって討論したり、青空教室のように大學 の先生の話を聞いたりしている姿は「学びとは人を 蹴落とすことではない。学びとは人とつながるこ と」という娘の卒業した自由の森の校長の言葉を鮮 明に思い出す光景だった。日本のいろんな事に毎日 どんよりしていた中なので、ひまわりの黄色と参加 している人達がより眩しく感じたのかもしれない。 今後どのようになって行くのか、見つめて行きた

い。そして考えて行きたい。(了)

Photo by Awil Achuan 19


特集:ひまわり学生運動

ウクライナで現在進行中の出来事の背景に、旧東 欧圏に対するアメリカ合衆国による国策的キャン ペーン(工作)があることは、さまざまなメディア が指摘するところとなっている。学生が政権を打倒 することができる、あなたたちもできる、というビ デオが配布され、アメリカ合衆国留学生を中心とし た学生運動が組織化され、デモのための装備(揃い のレインコート、バナー、ビラ)などの製作、配布 資金がCIAなどから提供され、メディアへの根回し がなされ、ソーシャル・メディアによる誘導がなさ れ…。目的は明確だった。現政権を若者たちの力で 転覆して親(欧)米で市場主義万歳の政権を生み出 すこと。民主主義という名の自由市場主義を生み出 すこと。

それがウクライナで(オレンジ革命の際には順調 に見えたが)混乱状態を生み出した。アメリカ合衆 国が支援するウクライナ暫定政権はネオナチを頼み と し、公 然 と 反ユダヤ主義 を掲げるネオ ナチ不在では 支えられない 状 態 に 陥 り、 普通の市民た ちを結果的に 敵 に(親 ロ シ ア に)回 し て しまった。 クリミア住民はロシア編入を(憲法に規定された 住民投票の規則に違反したという意味でアメリカ合 衆国の言う“不正な”)住民投票によって事実上決

定した。その直後に、台湾では学生たちが立法院を 占拠するという、台湾でここ数十年間で最大の反政 府運動が起きた。日米大手メディアは、ロシアとク リミアの関係と中国と台湾の関係を重ねて、そこの 「第二のクリミアになる」ことへの「台湾の恐怖」 を描き出した。そこにはロシアが敵だ、中国が敵 だ、という冷戦時代そのままの単純な対立構図が無 批判に前提とされていた。 台湾学生運動もまたこの大時代なシナリオに取り 込みたいと考える勢力がある。ウクライナの市民運 動がロシアに(あるいはアメリカ合衆国に)扇動さ れているとか、ロシアが(あるいはアメリカ合衆国 が)軍事力を背景に無理やりにやらせているといっ た(住民無視の)言説がばらまかれている中で、台 湾学生運動が短絡的に反中と色付けされる心理的下 地は作られていた。人々の暮らしや経済の問題が、 冷戦の亡霊とも言える国家対立構図の後ろに隠され

ようとしていた。今現在も隠されようとしている。 例えばNHKは5月10日に『ドキュメンタリーWA VE「議会占拠24日間の記録~中台急接近に揺れる 台湾~」』という番組を放送した。「中台急接近に 揺れる台湾」なのだ。たしかに事実としてECFAが 中台関係だという言い方は間違っていないが、それ ならTPPは(事実上)日米関係ということになる。 しかしTPP反対の言説を「日米関係」に結びつけて 『日米急接近で、日本が米国に飲み込まれる不安』 という報道の論調はNHKには見られない。 ウクライナ市民の選択肢は、どれをとっても国家 対立に利用されてしまう選択肢しか残っていないよ うにも見える。もし多くの市民がロシアに寄り沿う ことを選択するとしたら、それは愛国心などからで はなく、生き残りのためのとりあえずの選択になる だろう。それに比較すれば台湾にはまだ選択肢は残 されているということを人々に気づかせたのが学生

運動だった。

旺旺中 時集團 に よ る Next Media の 買 収に反対 する学生 た ち が、 世界の著 名人に右 の写真の ようなプラ カードを持たせて写真をとり、ネットに公開。『拒 絶中国黒手』の部分についてチョムスキーは「自分 は漢字が読めないので意味を理解していなかった。 中台問題は私が口を出すことではない」と発言。詳 細は上記記事へ。

選択肢は 選択肢は残っている

【村山さたね】

去年「旺旺」が台湾メディア乗っ取りを画策した とき、チョムスキーは「私はメディア独占問題には 反対するが、中台関係について口出しするつもりは ない」と発言し、中台問題とメディア独占問題は別 物だと、区別すべきだと表明した【注】。あのとき には何か無責任な発言のようにも聞こえたが、ひま わり学運は、チョムスキーの言葉をとても戦略的に 実践してみせた。中台問題がどうでもいい問題なの ではないし、中台住民だけが関係者だとも思わない が、それとネオリベ政策へのNOとを切り離したと ころに広い連帯を生み出したのだと思う。(了) 【注】『メディア独占反対=台湾独立派!? 旺旺中 時集團の新たな個人攻撃のターゲット』(村山さた ね)2013年2月10日 Eaphet Blog http://eaphet.blogspot.tw/2013/02/blog-post_10.html

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特集:ひまわり学生運動

ヒマワリ運動 ヒマワリ運動は 運動は中国統一政策への 中国統一政策への反発 への反発の 反発の一面を 一面を持つ 物価高騰傾向の中、大学卒業したら、安い給料し か貰えない仕事しか就職できない現状に、中国資金 がもっと入ってくれれば、景気後退に直面する経済 の「回復」はできますか。競争が増えることによっ て、企業がもっと効率を高め、消費者に提示する価 格を下げられるということなのでしょうか。 労働者にとっての「回復」は雇用と賃金です。富 裕層をもっと豊かにするのを助けたり、国のエリー ト層を利するだけではなく、人々の生活を向上さ せ、全ての人に成功のチャンスを与えられた方が回 復と言えると思いますが。 中国企業は地元の競争相手を圧倒した独占力を 使って、中国からの輸入品が台湾の輸出品よります ます多くなり、中国への依存性がより一層強くなる としたら、それは台湾文化の独自性と価値観にとっ て脅威がありませんか。 互恵貿易と公平な関係の上で市場開放を進める必

3月~4月活動 3月1日走走:新竹神社探訪 3月2日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#1」忠 信市場《泰珈琲》 3月7日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#2」 《東海大学》。 3月8日走走遊行:「停止核四」於台中 3月12日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#3」 《亜洲大学》。 3月15日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#4」 《十三珈琲》 3月16日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#5」 《東海書苑》

【陳伊品】

要があります。強力で独立した司法部を持ち、民主 的な説明責任を果たし、開放性と透明性を備える、 公共セクターの有効性と、民間セクターの成長を阻 害しない、腐敗と無縁な政府が台湾に必要です。に も関わらず、現状の台湾政府は台湾の歴史を相次い で消し、中国寄りの歴史を教科書を義務教育に導入 しつつ、国会でちゃんと審査もせず、台湾市場を中 国に大きく開放しようと暴走してます。 台湾の若い世代と一般市民の多くが「統一目当の 洗脳教育」また「経済から漸進的に政治を統一する 対策」に反感を抱いてます。ヒマワリ運動の後、中 国は「両岸は一つの家族」、「三中政策」と改めて 呼び掛け、台湾の中小企業と、中間層、下層と、台 湾の中部、南部ともっと交流を深めたいと言ってま すが、民間とのコミュニケーションを取るには、中 国政府がネットの干渉をしない、新聞と言論の自由 を侵さないようにすることがまず必要です。(了)

3月19日聊聊:「靖国参拝問題を考える」東京女子大 有志を迎えて。 3月26日聊聊:「ひまわり学運」緊急情報意見交換 3月29日~4月5日スタディ・ツアー《フィリピン、ベ ンゲット》 4月9日聊聊:「ひまわり学運」情報意見交換第二回 4月11日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#6」屏東 《美和科技大》 4月18日講座:「棄民と隠蔽:福島の現在#7」雲林 《虎尾厝沙龍 》 4月25日聊聊:「棄民と隠蔽:福島の現在#8」台中 《主婦連盟》 4月30日「棄民と隠蔽:福島の現在#9」花蓮《東華大 学》

これからの活動 これからの活動

30 淡江大學台北校區(台北市金華街199巷5號) 6月7日【核勉強会台湾巡り講座】pm 2-5 場所:台 中市鹿峰國小2F會議室(台中市沙鹿區星河路209 號) 5月30日【核勉強会台湾巡り講座】pm 7-9 哲学星 期五(好伴共同工作空間 台中市中區民族路35號) 6月22日【会員親睦会】大豆から豆腐をつくろう~ 做豆腐吧!午前から初めてお昼ご飯を食べましょ う。集合時間はメールにて改めてお知らせしま す。

5月2日【核勉強会台湾巡り講座】台東核廃棄物処 理場候補地見学 時間:12時半台東駅前集合 5月3日【核勉強会台湾巡り講座】am 10-12臨海小 宿社(台東市漢陽南路) pm 2-5 台東廃核反核廃聯 盟Kituru咖啡館(台東市中興路一段549號) 5月7日【核勉強会台湾巡り講座】pm 7-9 嘉義 洪 雅書房 嘉義市長榮街116號 5月16日【核電勉強会】全国講座ツアーの振りかえ り 5月21日【核勉強会台湾巡り講座】am 10-12 亜洲 大学 5月23日【核勉強会台湾巡り講座】pm 18:30-21:

聊聊(映像と討論) 聊聊 毎週水曜日,夜7 時半からeaphet2階にて,ド キュメンタリーを中心に映画鑑賞会を行っていま す。観たいドキュメンタリーがあれば,お知らせ 下さい。

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特集:ひまわり学生運動

318運動 318運動に 運動に対する些 する些かな観察 かな観察

政機関、内閣に相当)占拠を敢行したが、3月24日 未明から、政府により、暴力的かつ比例原則に違反 する手段で強制排除された。3月30日、再び政府に プレッシャーをかけるために、凱達格蘭大道(総統 府前の大通り)で大規模な集会が行われ、約50万人 (警察発表11万人)が参加した。4月6日、立法院長 (国会議長に相当)王金平氏が「両岸協定監督条例 の法整備が完成するまで、両岸協定に関する政党間 協商会議を行わない」と発表した後、4月7日、立法 院議場にいる運動指揮者は10日に占拠している立法

【邱崇偉】

邱崇偉:台北生れ。私立輔仁大學歷史学科卒業。在学中異 議性サークル「黑水溝社」副社長・社長、及び校務会議文 学部学生代表を務める。現在国立政治大学台湾史研究所、 元研究生学会副総幹事・総幹事を務める。

3月18日、与党国民党の立法委員(国会議員に相 当)、張慶忠氏が内政委員会で政党間協商会議の決 議に従わず、「両岸(台中)サービス貿易協定」を 立法院送付と勝手に公布したことが今回の抗議行動 の引き金となった。 以前から立法院の前で抗議していた市民が憤慨 し、警察の防衛線を突破し、587時間立法院を占拠 した。その間抗議者の直接討論の呼びかけに対し て、総統(大統領に相当)は全く応じなかったた め、3月23日夜、一部市民は行政院(国家の最高行

院から退去し、「守勢を攻勢に替え、関(立法院) を出てヒマワリの種子を撒く」と行動方針を示し、 各地で運動の理念を宣伝しつつ、政府を監視し続け ると発表した。10日には発表の通り、立法院議場か ら退去し、この長時間に渡る歴史上前代未聞の、 「ひまわり学生運動」と称されている運動は一旦幕 を閉じた。 インターネット上にはこの運動について詳しく紹 介する文章が多いので、筆者がこの文で運動の過程 と内容を改めて振り返るつもりはない。この文では ただ筆者の個人的な感想を述べ、運動の過程にある 重要視すべき面について語らせていただきたい。

義の精神に反すると思い参加したということが分か る。このような抗議の理由について、立憲民主主義 の視点から論述すべきだと思う。 現代の立憲民主主義の精神は、国家権力は必ず市 民に由来し、市民の基本的人権は必ず保障され、政 府の独断を避け、権力分立が必ず抑制・均衡される メカニズムから成り立っている。権力分立と人権保 障がなく、市民が自分自身で国の政治を決定できな い状態であるならば憲法があるとは言えない。その 為、市民の権利に影響をもたらす決定をする際、必 ず市民の同意を得なければならない。すなわち市民 の代表が国会で立法を行うこと、これを「本質性理 論(Wesentlichkeitstheorie)」という。

台湾の 台湾の立憲民主主義の 立憲民主主義の危機 この運動に人々は色々な理由で参加したかもしれ ないが、現場で直接意見を聞くと、大半の人が今回 の立法委員のやり方に反対し、そのやり方は民主主

ところが、国民党政権の認識では、「両岸サービ ス貿易協定」は行政命令に相当し、法律のレベルに 属していないので、立法院で審議されないままでも 有効となる。このような説にも無論根拠がある。中 華民国憲法には中国大陸も含まれており、過去にお いては中国共産党政権を一つの反乱団体と見なし、 国として認めてこなかった。1991年の「動員戡乱時 期臨時条款」(反乱鎮定動員時期臨時条項)の廃止 により、間接的に中華民国は「反乱の平定」はもう しないことを承認した。よって翌年、「もはや反乱 団体ではなくなった」中国政権との往来に関する法 律、即ち「台湾地区と大陸地区人民関係条例」が公 布された。その条例により、特定の条件を満たし、 かつ行政院から委託された団体や機関は、中国政府 と協定を結ぶことができるようになった。その条例 は立法院が立法し、立法院が中国と協定を締結する 力を行政機関に授与したことを意味する。その為、

中国政府と協定を締結する過程において、国会に相 当する立法院は何もすることができないということ になる。 現行ではその条例の第五条により、締結する協定 が法律改正、或は立法が必要な場合は立法院で審議 すべきだが、その必要がない場合では、協定を立法 院に送付するだけでいい。だがこの条例では、締結 する協定に法律改正や立法の必要性があるか否かを 判断する機関を明白に指定していない。もしその判 断を行政機関に任せると、行政権が立法権を凌駕し かねない。現実的に見てサービス貿易協定は台湾人 民の経済、政治、社会と文化などに対し、長期間に わたる深い影響をもたらすだろう。今回の協定自体 は法律改正や立法に及ばないとしても、将来、法律 改正や立法の必要や、巨大な影響ももたらすことに なることは容易に予想できる。協定が立法院で審議 されず、勝手に有効にされれば、紛れも無く前述の

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特集:ひまわり学生運動 立憲民主主義の精神に反し、台湾の立憲民主主義に は巨大な危機が生じる。そういう違憲状態に反対す ることが、今回の運動の非常に重要な側面-立憲民 主主義の危機から台湾を救う-である。

なければいけないし、修正も差し戻しもできないと いう政府の宣伝に影響され、説得され、政府の強行 採決を支持している。だが本当にそうだろうか?世 界史の経験から見ると、それは事実ではないよう だ。1918年、第一次世界大戦が終わり、アメリカ、 イギリス、フランスなどの諸国が休戦後の対応をす るために、パリ講和会議が開会され、有名な「ヴェ ルサイユ条約」を締結した。主導者であったアメリ カは当然締結国になった。ところが、アメリカが条 約の締結に参加した後、どんな状況になったか? 我々が教科書から学んだのはヴェルサイユ条約の 後、国際連盟が成立したが、アメリカは国際連盟に 参加しなかった。しかしその経緯について我々は学 んでこなかった。実は当時のアメリカ大統領、ウッ ドロウ・ウィルソンが条約を調印した後、議会で多 数の支持を得られず、1919年、アメリカ議会はこの 条約を承認しなかった。そしてアメリカは条約に調

立憲民主主義に 立憲民主主義に対する理解不足 する理解不足の 理解不足の危機 今回のサービス貿易協定に対して政府の対応を見 ると、政府でさえ立憲民主主義について理解が不足 だと分かるだけでなく、政府のやり方を支持してい る人々の説も、現代的立憲主義について理解不足の ようにも見える。ここで、今回様々な議論の中でよ く問題とされる二つの論点を例に、論述したい。一 つは他国(あるいは組織)と締結した協定は必ず守 らなければいけない、という論点。もう一つは少数 派が多数派に従う事こそ民主だ、という論点だ。 ある一部の人々は、国際社会の信用を維持する原 則に基づき、他国と協定を調印したら、必ず循守し

印したにも拘らず、実際には条約の効力は発生せ ず、国際連盟の一員にもならなかったのだ。 過去に台湾が他国と協定を結んだ時にどう対応 したかを見ると、一度締結した協定は修正も差し 戻しもできないということは言えない。1993年に 施行した「北米事務協調委員会と米国在台湾協会 の著作権保護に関する協定」は、実は台湾代表が アメリカ代表と先に1989年7月13日に草案を結んだ 後、立 法 院 に 審 議 さ れ 修 正 後 に 条 文 が 通 さ れ、 1993年、アメリカと正式に調印し施行された。審 議過程で、外交部次長は質問に立った立法委員に 対して、もし立法院で協定の内容に対して異なる 意見があって納得出来ない場合、再び審議をやり 直す可能性もあるという意見を答弁している。そ の 協 定 の 第 二 読 会 で、「今 後、行 政 院 が 他 国 政 府、また他国政府に授権される民間団体と調印し た協定の内容が、我が国の法律の規定に関わる場

合は、調印する前(草案も含む)に、立法院で討議 し、合意に達する、あるいは、法律改正をした後、 調印することができる」という意見が作成されてい る。 これら世界の国際協定締結に関する過程を見て

も、過去台湾と他国との協定への対応を見ても、い ずれにしても他国と協定を結ぶ時、立法権に基づき 国会は立憲民主主義の立場で、市民を代表して意見 を述べるという役割を我々に示してきた。それは今 回の国民党政権の主張とは大きくかけ離れている。 もう一つは、多数決こそ民主主義だという精神 で、多数決で選ばれた総統や、国会で多数方の国民 党議員が決定したことを守らなければいけないとい う考えだ。長い間「民主は少数が多数に従い、多数 が少数を尊重するものだ」と教えられてきた我々に とって、それは確かに説得力のある言い方である。 確かに多数決は民主的な政治の中で、公に関するこ とを決める一つの手段だが、決して逆らえない精神 ではない。それに関しては立憲民主主義の発展を考 察しなければならない。立憲民主主義の発展過程 で、元々矛盾であった「自由(立憲)」と「民主」 の二つの理念、つまりどうすれば個人的な自由と権

利が、多数決で侵害されるのを避けられるかという 問題だ。その矛盾を解決するために、「人権」は多 数決で剥奪されることはないという理念が生まれ、 そして、人権を保障するか否かも立憲民主主義の一 つの基準と見なされている。318運動以来、政府の 違憲行為に反対し、立憲民主主義に相応しい公民監 視制度の設置の要求に対して、参加する市民が多数 派の意見を代表してはいないとの反論の声も上がっ ている。だが、運動者の要求は多数か少数かという 問題と関係なく、立憲民主主義の精神の中の人権保 障、つまり人民の権利は国家に侵害されることはな いという基本的な価値がある。そのため立憲民主主 義を支持している限り、多数か否かという立場で運 動者の要求に反論するのではなく、議論すべき問題 は立憲民主主義の中核的な価値、つまり人権に符合 しているかどうかではないだろうか。

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特集:ひまわり学生運動 いう状況も生じた。明白な例は、ピケ隊(労働運動 などの監視員)が立法院の周りの医療緊急通りを強 制的に確保したことや、周辺通りの進行方向・路上 に滞留の規制、ゴミ分別などの徹底だけでなく、現 場周辺で喫煙することすら注意されたことだ。ま た、運動方針や声明の決議に関しても立法院議場の 中の少数の人によって決められていたと指摘されて いる。323行政院占拠の運動は暴力的に行政院に突 入したように見えるので、立法院の周囲で座り込み をしている人の中には、323運動は318運動の一部分 ではないと思っている人もいる。330の大規模集会 でも現場にゴミ一つ残さず、予告通り19時に解散し たということも大勢の運動参加者に誇りに思われて いるようだ。 運動現場で極めて規律を維持し、良き市民のイ メージを示す理由は、立法院占拠の行動は「暴徒的 な行為」という偏見に対抗するためである。運動現

非民主的な 非民主的な反対、 反対、非民主複製の 非民主複製の危機 今回の運動の発展過程についても反省すべき点が いくつかあると思う。現在の台湾の法律からする と、318立法院占拠運動と323行政院占拠運動は紛れ も無く違法行為である。だが、そういった違法行為 は市民的不服従であり、違憲への抗議、つまり非民 主的な行為に異議を唱える行動だと言えるだろう。 しかし運動が始まって以降、社会的で普遍的な「良 き市民」というイメージに合わせるために、運動現 場で参加者に対してさまざまな規制、抑圧をすると

場の秩序が良いこと、ゴミ分別、集会の後ゴミが残 らないこと、国家暴力を象徴する警察に礼を示し、 労を労うことなどを通じて、社会に自分たちは「暴 徒」ではないと表明し、社会の注目を運動の要求に 集め、世論の支持を得ようとした。実際、「暴徒な らゴミを拾ったり、環境を清潔に保ったりするだろ うか」などという「非暴徒」のイメージは、ネット 上やニュースで大量に報道され、シェアされた。 ところが社会に「非暴徒」のイメージを示すため に、ピケ隊が現場の参加者に対して加えるさまざま な規制も一つの抑圧になった。それに対してて現 場、あるいはネット上でさまざまな疑問の声も出て きた。例えば、ピケ隊のやり方に対して不満や気分 を害した、あんなに沢山の規則は一体誰が作ったの

かなどという意見だ。元々「反非民主」と称する運 動も、実際の運動内部が「民主的」とは限らない。 現場の秩序は参加者の合意で決めるのではないし、 運動の要求、運動の発展、運動の終わり、全ては現 場の参加者と一緒に決めた訳でもない。そのため、 民主を求める運動の過程の中で、我々の行う運動が 本当に民主的なものであるか反芻しなければいけな い。 いわゆる市民的不服従とは違法・妨害行為などを 通じて、ある政治的要求を提示し、社会を変えよう とすることである。そのため市民的不服従という運 動は一つの反体制の運動であり、武力的革命との違 いは非暴力的で平和に行われる点にある。非暴力的 で平和に抗議を行う理念は民主の精神を認めること で、人権を侵害する可能性が高い武力的革命を起こ すわけではない。だが、今回の運動、立法院と行政 院の占拠を通じて、社会体制によるさまざまな抑圧

を徹底的に反省せず、逆に知らず知らずのうちに現 場で社会体制と同じ抑圧を複製することになってい た。それがこの運動の憂いと危機だ。社会体制の論 理を複製することによって、運動者の論述の中に 「馬政権の支持率9% V.S. 協定差し戻しの支持率 70%」、「330集会に50万人参加し、民意を反映し た」という「多数決」の論理が度々用いられ、「多 数決」の論理を全く反省していないことが分かる。 市民が作った民間版の「両岸協定締結監視条例」を 見ると、協定締結の前に立法院が行政機関と民間の 調査報告を比較し公聴会を行うかどうかを判断する こと、調印した後に行政院で協定の重要性を判断 し、立法院で審議させるかどうかを決定することな どが記されており、そこにもまた立法院と行政院の 判断に託す考え方も現行の社会体制―抗議前に立法 院と行政院の両機関が共謀し協定を可決しようとし た非民主的な制度―の思考複製を反映している。

「学生」という純粋さ、中立的、非政治性なイメー ジで世間訴え、現場の環境の清潔さと良好な秩序で 「非暴徒」のイメージを表したつもりだが、それら のイメージを受け入れる社会体制の思考の裏には “政治は汚いから触れたくない”“抗議者は暴徒 だ”“抑圧してでも道徳と秩序を作る”などがある ことを見落としてしまっている。 そのような状況で元々体制に反対する運動自体 が、ある意味でその体制を強化してしまう。抗議者 自身も「多数決」を認めている状態では、その言説 を破るのが更に難しくなる。また「両岸協定締結監 視条例」が立法院で通ったとしても、立法院と行政 院が共犯になり市民にとって不利な協定を調印する ことへの抗議の正当性も更に減り、我々が「汚い」 政治に参加しにくくなる。(実際一部分の参加者が 運動の後政党に入り選挙に出馬しようとすると、直 ぐに「運動を利用するな」と批判が上り、また長期

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特集:ひまわり学生運動 支援をしていた台湾独立団体(台湾の独立を主張し ている団体)及び一部分の公民団体を仲間外れにし た)それによって伝統な道徳や権威などによって作 られた理不尽な秩序観を更に強固にしてしまうだろ う。(テレビでは運動現場で一部分のカップルがイ チャついているかのように報道されたが、「(運動 を)卑猥化するな」と強く批判された。しかし公共 空間における性的な自己表現や情欲などに関する議 論はなされていない。 もちろん、現場では一部分の参加者が、運動中心 者の体制複製によって更に体制を強める結果になっ ている危機的状況に気付き、それと違う行動を試み 始めた。例えば、「賤民解放区」を作って、少数決 の議場内ムードと違い、参加者の主体性と合意の重 要性を主張した。また「太陽花」(ひまわりの意 味、今回の運動を指す)を皮肉った「大腸花論壇」 を開き、ビールを飲んだり、喫煙したり、罵声を揚

げたり、議場に突入した時にある者がビールを飲ん でいたことなどに対する批判的な世論に対抗するグ ループも現れた。前者は理解者が得難く、参加者が 少ないようだったが、後者は強烈に盛り上がり、観 衆は一番多い時には一万人以上に達した。ただ、罵 倒やゴシップを吹聴するだけで、運動について更に 新たな想像を掲げることはなかった。参加者の人数 が少なかろうが、新たな方法を掲げなかろうが、運 動者の非民主的な矛盾点を反省するのは確かにいい ことだ。一方で優勢な政府と厳しい世論の下、一方 で2008年、直接民主制による混乱で決議を出せな かった*野苺運動と同じ轍を踏まないように、新た な運動のやり方を模索し発展させていくのは、次の 運動(もしあれば)にとって紛れもなく、重要な課 題であろう。

島東路と濟南路の道路使用権の申請に協力したり、 物資を提供したり、立法院と行政院を突入する時、 最前線で警察を止めた)、仲間外れの行為を検討す べきだという声も上がってきている。立法院から退 去した際、台北市警察署中正第一支局が、立法院正 門前にいる団体・公投護台灣聯盟(市民投票で台湾 を守る連盟)が今回の運動で集會遊行法(集会やデ モに関する法律)に違反したのを理由に、事前に許 可されたデモ用の道路使用権を取り上げ、更に今後 その団体には道路使用の申請権利はないと発表し た。また強制排除しないという公開の発表を無視し て、4月11日の朝に公投護台灣聯盟を強制排除し た。そのため警察が約束を破り、市民の集会の自由 を守る憲法に違反したという理由で、一部分の市民 は中正第一支局を包囲し、支局長に謝罪させ、口頭 で辞任させた。 318運動後にも関わらず、立法院からの退去直後

野苺運動 馬英九政権が中国の陳雲林・海峡両岸関係協会会 長の来台時、中国との急速開放的交流や中国の人 権侵害やチベット独立の鎮圧などに抗議するデモ 参加者を暴力的に排除したことに対して、①馬総 統と劉行政院長の公式謝罪、②王卓均警政署長、 蔡朝明国家安全局長の解任、③憲法に違反するデ モ集会法の改正などを求めて行政院の正門前で座 り込みをしたが、強制排除された。その後自由広 場(旧中正紀念堂前広場)に移り座り込み活動を 展開した。

後記: 後記:立法院からの 立法院からの退去後 からの退去後 立 法院を 占拠し てい る市 民が退 去する にあ た り、立法院正門前で重視されず、更に運動から外 されている一部の公民団体が今回の運動にかなり 貢献したことが知られるようになって(長期間青

に政府が直ぐに公然と憲法に違反し約束を破ったこ と、ネット上では事情も分からないのに支局包囲の 抗議運動を批判する声が上がっていることに対し、 台湾民主の未来が憂慮される。だが社会はいつも幾 度もの運動によって成長してきた。日本植民時期の 台湾同化会の参政運動を始め、「六三法」撤廃運 動、台湾議会設置請願運動、「台湾文化協会」の設 立と分裂、左右派の農労運動など、または戦後の二 二八事件、政論雑誌「自由中国」、台湾郷土文学論 争、党外運動、農労運動、更に女性主義運動、反原 発運動、都市再開発による人権侵害に反対する運 動、苗栗大埔の土地の不正収用に反対する運動な ど、台湾の社会はいつも権力を握っている政府と資 本家と戦いながら徐々に進歩してきた。歴史の経験 から見て我々は強く信じるべきである、我々の社会 をもっと成長させる為には、運動を続けていくより 他にないことを。グローバリゼーションの今、この

ような歴史と経験は、必ず世界から影響を受け、ま た影響を与えることもできるだろう。(了) 註:この文章で「ひまわり学生運動」という言葉を 使わない理由は、社会に与える「ひまわり」の様々 なイメージに筆者が批判的であること、また今回の 運動に参加したのは学生だけではなく、大勢の市民 と公民団体が含まれているため、立法院を占拠して から退去するまでの運動に対して「318運動」を用 いている。(4月12日朝擱筆)

捍衛民主、 捍衛民主、退回服貿

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特集:ひまわり学生運動

台湾の 台湾の未来は 未来は自分で 自分で守る

拠して以来、政府側は人民をごまかしたり要求も正 面から答えなかったりして、相変わらずの手口ばっ かり使っている。「サービス貿易協定を撤回すると したら、国際的な信用を損ねる」、「サービス貿易 協定を反対する人はわずかな数を占めていて、賛成 する人が多数である」、「学生たちが自分の国に関 心を持つのは素晴らしいことだと認めるが、立法院 を占拠することによって委員たちが仕事できず国家 運営もできなくなり、そうしたらただの暴民にすぎ ない」等。

【戴佩如】

戴佩如:東海大学日文系大学院2年

2014年3月18日に抑え続けてきた政府のウソばか りや独裁的なやり方に対する人民の怒りや不満など が爆発し、とうとう立法院が占拠された。なぜ立法 院を狙い占拠したかというと、中国と結ぶサービス 貿易協定審査を、国民党立法委員の張慶忠がわずか 30秒の時間で終わらせ無理矢理に通過させようとし た。このことによってすべての我慢や忍耐もう限界 を超え堪えきれなくなった。これ以上好きにさせる わけにはいかない。立法院の占拠を切り札として 「裏作業のサービス貿易協定をいい加減にやめ」、 「サービス貿易協定を撤回して審査をやり直してく ださい」と政府に強い願いを要求した。しかし、占

わかるか、 わかるか、サービス貿易協定 サービス貿易協定? 貿易協定? 最近の政談番組は、人民が立法院を占拠したこ とや政府側の人と馬英九はどう対処するか等につい て議論に熱中する。「あんたたち(学生)、サービ ス貿易協定について何がわかるの!?何もわからな いくせに!」という批判がよく聞こえる。そもそも

中国と結ぶこの協定について本当に分かる人はいな いと思う。私も立法院に抗議をしに行った。しか し、「このサービス貿易協定はなんなのかわかる」 と聞かれたら、「わからん」とはっきり言う。この 協定を結ぶ前に国民はまだわけがわからない状態 で、しかも具体的な内容もはっきりしていないまま に結んだことは納得出来ない。それに、審査を30秒 で終わり、協定の通過も1言で終了した。大雑把す ぎる!党争もいい加減にしてくださいよ!一体、あ んたたちに我々を批判する資格があるの? サービス貿易協定の中身はわからないけど、私 は反対する。何故かと言うと、自分が知っている サービス貿易協定は一旦通過したら“台湾”を抹殺 する恐れがあるからだ。台湾企業は中小型や零細企 業がほとんどで、技術面でも労働面でも巨大な中国 市場にどう応対するのか?一度入ってきたら台湾市 場は消されるかもしれない。サービス貿易協定を結

ぶには確かにいい面もあるけど、どう見ても実力、 権力、カネがある人のみね。ところが、競争力のな い企業や人間はどうなるのか?生きるためにどうし たらいいのか?競争力のない企業や産業は生き残る ために一生懸命しても負け、経営が続けられなくな るのは少なくない。先端技術は高く儲かるために他 人のものになっちゃう。人民はより良い生活・給料 のために外国に出稼ぎして、そこで結婚や定住にな る。ここまでは協定をまだ開放していない今台湾の 現実だけど、これから本当にオープンしたら台湾の 企業や人材や資本は全部全部大陸に行っちゃうか ら。台湾に残るのはなんだろうか?香港みたいな “台湾特別行政区域”か?考えれば考えるほど恐 怖!

それぞれの条例の審査はなぜ必須にしないの?監督 条約を作るのはなぜ必要ないの?なぜ人民の要求に ずっと答えないの?「国際的な信用を損ねる」の理 由で済むのか?機動隊と鎮圧用の水車を使って強制 立退きで済むのか?2、3週間も続けてきた抗議に対 して政府側は正面から向き合わなかったことに比 べ、学生らが立法院から撤退した後に侵入罪や公務 の執行を妨害する罪や器物損壊罪などいくつかの罪 名を学生らに与える、人々を処分する仕事のほうが 効率がいいね。立法院という場所は単なる1つの議 員を集めたり政策を决定したりする便利な場所で、 そこに集めたりする人の方が一番大事だ。場所の本 当の存在意味や目的がわかなければ立法院はただの 廃墟にすぎないと私は思う。なのに、立法院を利用 して学生らに罪を与える。なんと皮肉なことだね。 それだけでなく、立ち上がる人民に対して「民主は 退化している」という批判をする。ずっと考えてる

んだけど…台湾は民主国家なのか?そもそも人々は 民主を感じていなかったから立ち上がったんじゃな いの。サービス貿易協定を抗議するのは単なる1つ の手段だと思う。この手段を使って力を集めて本当 の“台湾民主”、“台湾国家”をまもる。

民主国家か 民主国家か共産国家か 共産国家か? サービス貿易協定は本当にいいものだとしたら、

学生らは立法院から去ったけど、運動はまだま だ続いている。1人の台湾人としてやり続ける。そ れにできる限り周りの人々に自分の国に関心をもつ ようにする。台湾の学生は自分の国にあんまり関心 を持たない子がいっぱいいるから、自分もそうだっ た。自分の国のことも知らない以上強くなれない、 守れない、認められないから。(了)

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5.3反「秘密保護法」学生デモ

今の日本に 日本に私は思う:5.3反 5.3反「秘密保護法」 秘密保護法」学生デモに 学生デモに参加 デモに参加して 参加して【白石鹿乃子】 白 石 鹿 乃 子(し らい し かの こ): 1995 年 6 月 生 まれ 日本大学1年、法学部。

な、ヒップホップのビートにのせてリズムとともに 歩いた。「特定秘密保護法反対!」学生という共通 項から織り出す、一体感がこの場にはあった。「言 いたいことを、私達は言う。だから聞いて」という 純粋で直球のメッセージを私たちは発信し続けた。

日本はなぜデモしない? 「熱い」空は青く、耳に入って来るのは怒りと叫 びと嘆きだった。皆じぶんのためにやっているの だ。

今、日本は様々な問題を抱えている。集団的自衛 権や、裏で動いて出版されてしまった教科書の問 題、原発事故があってもなお海外に原発輸出すると いう行為の非常識さ、学力主義により忘れ去られた 個という存在…。現実はこれらを友達に語りかけて も「考えているね」や「すごいね」という簡単で愛 のない言葉であしらわれてしまうのを私は大学とい う環境で痛感した。なぜ、日本はデモに人が少ない

「今の学生は政治に対して関心がない」という人は 多い。私はあのデモの日、可能性と高揚を兼ね備 え”新宿”という日本の心臓部分を一歩ずつ進んで いた。出発から同年代のリーダーの「さぁ行こう か」という言葉で皆の志気を高めた。思い返すと、 あの学生デモは金曜の国会デモや、反原発デモなど と異なる雰囲気だった。若者のサブカルチャー的

SNSなどで毎日連絡を取り合い相手の動向を逐一監 視するのだが、そこを一歩抜けた他人に対しては無 関心なのだ。そのため、所属するグループ以外は 「人それぞれ」と言い、受け流し、片付ける。補足 として言っておくが、同じグループで毎日連絡を とっている”友達”という存在でさえも、影では罵 倒や悪口などが反吐の滝みたく流されている。集団 でさえも孤独なのに、それでも私たちは集団を好み 一人を毛嫌う。私も例外ではないのだ。

のか?盛り上がらないのだろうか?「私は日本人で あり、国民としてこの国を作っているのだ!」とい う共同体的な意識の欠落がある。この問題はなぜ生 まれるのかというと、多くの人が社会問題を自分の ことと捉えられずに形が見れず遠いこととしてしか 認識がないのだ。その一方で、自分の周りにあるク ラスという集団やコミュニティーは目の前に具体的 な形として存在する。多くの人が後者を選び日々コ ミュニティーで自分の位置を失わないために、謝 り、空気を読み、変なことを言わぬようにと緊張し ながらそこにいるのだ。

この仲良く見える”友達”関係でさえも社会問題 の話は起爆剤になる。もし、仲良くしている子と意 見が違ったら、明日から一緒にご飯が食べれなく なってしまう、こういう危険性を帯びているのだ。 クラスのグループだけではない、世間や会社という 集団の中ではなにより同調性が重視されているのが 「こんにちの日本」なのだ。このため、日本の今後

友達と話していて、よく耳にする言葉がある。そ れは「人それぞれ」という言葉だ。これは日本で不 思議な使いかたがされる。さっき、集団に対して “すりつく”ように日々を送ると言った。日本の特 徴なのかもしれないが、一つのグループに対しては

について会話することもなく、自分は日本人なのだ という意識も段々と薄れていってしまっているの だ。 私はこうした実情について思う。対話から生まれ る対立が危険視され、同調性ばかりが強まる今の日 本に、果たして民主主義はあるのだろうか?テレビ や新聞などは片目しか映し出していない現実。デモ が盛りあがらないのは私たち国民の無意識もあり、 盛り上がらせないという日本の指導者の方針などの 背景は確実にあるだろう。私たちが信じるべきもの は、自分の目や耳だけだろう。私は思う。政治家や 官僚、総理大臣もちろん彼らは諸悪の根源だろう、 しかしこの人たちよりも無関心や無責任こそが弱者 を苦しめ国家を腐敗させている癌なのだと思う。も はや、福島の原発事故を経験した日本人が今の国家 操作に気付いてないのであればそれは許しがたい罪 である。(了) 27


韓国・仁川の旅―日本植民地建築とチャイナタウン

韓国・ 韓国・仁川の 仁川の旅―日本植民地建築とチャイナタウンを 日本植民地建築とチャイナタウンを巡 とチャイナタウンを巡る

【張雅婷】 】

去年五月、留学先の名 古屋から韓国旅行に行っ てきた。これまで3、4回 ぐらい韓国を訪れたが、 いつも大学時代の同級生 や大阪で交換留学した時 に知り合った友達が案内 してくれた。韓国料理や 買い物などを色々満喫し たけれども、旅自体には 正直それほど印象を残ら な か っ た。一方、今 回 は 図1:旧日本58銀行の隣にある写真撮影のコーナー(全ての写真は筆者撮影) 仁川国際空港で台湾から 出発するもう一人の友達 と合流するまで、一人でその待ち時間を使って仁川市内を歩き回ったのである。こうした、言葉が通じない 国で一人で計画を立てて行動するのは初体験でもあった。昼直前に到着してから、旅行ガイドブックを持っ て、韓国語が殆どできない不安と共に冒険気分で出掛けた。 なぜ仁川へ行ったのかと言えば、一つは8時間に も及ぶ待ち時間を何とか有効に使いたかったから だが、もう一つはガイドブックに載せた日本植民 地建築とチャイナ タウンに目を惹か れ た た め で あ る。 これらの半世紀以 上に亘って保存さ れてきた日本植民 地建築を見るたび に、歴 史 そ の も の との向き合い方に ついて色々と考え る こ と が で き る。

以前、台湾・台中西区にある、元々日本時代の「大 和村」の日式住宅群から唯一取り壊されなかった建 物としての「孫立人将軍紀念館」を見た時の感動が まだ心の中に残っている。戦後の東アジア地域に おいて、政治イデオロギーや経済発展などの要素 が社会空間に大きな変化を齎した。その中で、最 も「歴史」と「現在」のせめぎ合う場として、植 民地建築の在り方にあるではないかと思う。 そして、空港から仁川大橋を渡って、目的地ま で一時間以上も掛かるバスの中で、私は窓外を眺 めながら、仁川市内に近づくと怖々と降りる場所 を確かめた。2014年は仁川でアジア大会が予定さ れているためか、あちこちで建設工事が見られ る。更 に、市 内 に 進

図2:旧日本18銀行(仁川開港場近代建 築博物館)

築博物館」(図2:旧 んでいく途中の松島国際都市にある、超高層 日本 18銀行)に入 っ ビル群の迫力に圧倒された。瞬間、頭を掠め て み た。そ の 中 に たのは「ここは地震がないの?」という素朴 は、日 本 人 や 日 本 語 な疑問である。ここの現代化都市がポツンと ができる観光客を予 建てられて、映画「トゥルーマン・ショー」 想 しな かった のか、 (1998)を思わせるほど、町自体が自己完結 あるいは旧宗主国へ しているというイメージが強い。おそらくこ 図3:旧日本第一銀行(仁川開港博物館) の対抗意識なのか、 こから出なくても生き残れるのであろう。こ 全ての展示は英語と うした新しさと無機質さのエリアを通過して から、開港地の歴史を匂わせる旧市街、古い町並 韓国語を併記したもののみである。 みが見えてきた。 そして、この旧日本人街と隣り合わせるのは、かつて 私 は バ ス を 降 り て か ら、手 元 の 地 図 を 見 な が の清朝の租界に当たるチャイナタウンである。私は、迷 ら、「庶民的」な感覚が漂う伝統市場を通り抜け 路のように入り組んでいる街を歩き回りながら、三国志 て、日本植民地建築とチャイナタウンの地域を探 壁画通りの坂道に沿って、華僑学校、孔子の石像、丘 しに出た。大通りから細い路地に入ったところ、 の上の自由公園まで辿り着いた。そこから、仁川港も眺 台北にも見られる日本時代の建築に似た雰囲気の めることができた。また、どこのチャイナタウンにも共通し 建物を見つけた。私は、この「仁川開港場近代建

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韓国・仁川の旅―日本植民地建築とチャイナタウン ているのは、中華料理のレストランが軒を連ねているこ と で あ る。ま る で 映 画を観ているかのよ うに場景が目の前に 立ち並んでくるような 感じもした。後で、韓 国華僑の友達から そ このチ ャイナ タ ウ ン は、韓 国 ジ ャ ー ジャー麺の発祥地と して有名地でもある と教えられた。

が溢れる移民の町でもある。港と言えば、人や荷 物などの送り出しや受け入れの役割を担っている ので、常にある種の不安定性を感じさせる。これ は、単に私が農村に生まれ育ち、稲刈りや田植え などの景色に馴染んできたことに由来する偏見な のだろうか。心の中に、海に対する恐怖と憧憬が 常に共存している。そして、私は海の匂いを頼り に観光地の月尾 島に向かって歩 き 出 し た。し か し、大 通 り を 行 き来する大型ト ラ ッ ク や バ ス、 道端のコンテナ を 積 ん だ 工 場、 自分が海に向 かっていること

韓国の仁川は港 町 と し て、日 本 の 横浜や神戸などの よ う に、異 国 情 緒

図5:旧日本人街側の街並み 図4:2階建ての旧日本58銀行の外観

を確信しながらも、歩いても歩いてもなかなか海 が見えてこなかった。まさか丘から見た距離感や ガイドブックの 地図に騙されたのかと 思いなが ら、歩き続けるうちに突然観覧車が、遊園地が目 に 入 っ た。そ こ で、沈 み か け る 夕 日 の 風 景 な の か、あるいはここまで辿り着いた達成感なのか、 一人で海を 見ながら涙 が出た。 こ の、月 尾島の遊園 地で楽しん でいる人群 れと海辺の 一家団欒の 姿 は、多 分 台湾の淡水

や名古屋港などのどこでも見られる光景だが、一 人で言葉も知らずに陸地の果てまで辿り着いたの で、自分にも少し勇気が与えられたという感じが した。これまでの旅でどれぐらい韓国人友達に依 頼してきたのかを自覚しながら、言葉を通さなく ても目と 耳で旅す ることだ けで違う 風景も見 えてくる ことに気 づ い た。 とても大 切な経験 になると 思 っ た。

図6:仁川駅の前にあるチャイナタウン牌楼

図7:中華料理レストラン

チャイナタウンで見た彫刻の「海内存知己、天涯若 比鄰」(海内知己存す、天涯比隣の若し)という言 葉に支えられた移民たちにとって、そもそも最初に 上陸した時には言葉を問題にしなかったのではない かと一人で思い続けた。また、これらの昔ながらの 面影が残る街 並みを通し て、19世紀末 から中国人と 日本人がここ に流れ込んで き て、そ れ ぞ れの独特な雰 囲気の街を築 き上げたこと も伺えたので ある。(了) 図8:チャイナタウンにある石碑

図9:月尾島の夕日

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告

棄民と 棄民と隠蔽: 隠蔽:福島の 福島の現在 台湾巡業途中報告 Eaphet核電勉強会は、標記のようなタイトルで、 写真パネル13枚、映像二本とパンフレット二冊、パ ワーポイントによる説明(第一部核の歴史、第二部 福島の現在)を基に、台湾全島を回る巡業講座・分 掌会を3月からスタートして、現在(5月11日)まで に11個所を回りました。まだ今後も継続する予定で すが、ここで一度、途中報告をします。

Eaphet核電勉強会(文責Awil)

題意識」について書いた文章を引用します。

棄民と 隠蔽の 棄民 と隠蔽 の歴史 東亜歴史資源交流協会(Eaphet) 核電勉強会 2011年3月11日、地震と津波に襲われた東日本 で、東京電力福島第一原子力発電所が原子炉冷却 機能を失い、同発電所内に隣り合わせに位置する 原子炉が次々に炉心溶解を起しました。政府はこ の事故によって放出された放射能について「ただ ちに人体に影響はない」と言い続け、こうした事 故の際に放射能がどのように拡散するかを予測す る高価なシステムの情報を隠蔽し、結果、多くの 避難民が避けられたはずの被爆を余儀なくされま した。事故後も、大気中に、そして海に、放射性 物質は放出され続けましたが、日本政府は数値を

核電勉強会は日本からの避難者とEaphet会員、フ レンズの中でこの議題に特別の関心を寄せるメン バーが集まって2013年8月23日に発足しました。勉 強会を続けるうちに、福島の実情を台湾の多くの人 に伝えたいということになり、巡業講座・分掌会が 企画され、今年2014年3月から始めました。 まず、講座・分掌会で配布している「私たちの問

低く発表したり、漏洩を隠蔽したりし続けていま す。 事故から事故後の現在まで、放出された放射性 物質の重大な害について政府は認めようとせず、 福島に戻って地域経済を復興せよと人々に呼びか けています。福島産の食物を「食べて応援しろ」 と全国に呼び掛けています。事故以前には「年間 1ミリシーベルト」だった放射能の基準値を20倍 に引き上げましたが、これは事故前まで原発労働 者に適用されてきた基準値と同じです。発育中 (細胞分裂が盛んな)の子どもたちに、原発労働 者と同じ基準値の中で、しかも24時間ずっと生活 しろと言います。怖いから避難したいという人た ちに対しては、どうぞご勝手に、と政府は必要な 援助をしぶっています。 福島でも、その他の汚染地域でも、健康被害は 増加していますが、放射能とは関係ないというの

核電勉強会2013.9

が判で押したような日本政府の(そしてほとんど の民間および大学病院の)答えです。 政府は原発事故の恐ろしさと、放出された放射

ん。日本政府は放射能の恐ろしさを知らないから 「ただちに人体に影響がない」と言っているので はなく、知っていてもそれを人々には伝えないと いう選択をしています。 冷戦の中で表向きには核兵器を作らず持たな かった日本は、アメリカ合衆国の「核の傘の下」 にいたわけですが、いつでも核兵器を製造できる 力を保持してきました。そのために大量のプルト ニウムをリサイクル用だと言って備蓄してきまし たが、自前ではリサイクルの能力がないため、一 部をフランスのアレヴァ社やイギリスのセラ フィールドで処理してもらって「リサイクルして いるよ」という体裁をかろうじて作っているのが 現状です。リサイクル燃料(MOX 燃料)を日本 で最初に本格的に搭載したのが福島第一原発3号 機でしたが、搭載して半年で爆発事故を起こしま した(2011年3月13日)。それでも政府は核燃料

性物質(残留放射能)の害について知らないわけ ではありません。広島と長崎で原爆が爆発した後 で残留放射能の影響について調べてきたアメリカ 合衆国の「原爆傷害調査委員会(ABCC)」を 70 年代に日米共同研究機関として改組した「放射能 影響研究所(放影研)」も、それに先立つ 1957 年に原発建設ラッシュにそなえて創設した「放射 能医学総合研究所(放医研)」も、原爆被害者の データに基づいて研究をしてきています。日本政 府は 1984 年には原発がテロにあった場合の被害 についてのシミュレーションも行っています。 が、これらのデータはそのすべてが隠蔽され、公 開されてきませんでした。その理由は、原爆とそ の残留放射能に関する事柄のすべてが、当初はア メリカ合衆国の軍事秘密であり、その後は日本国 とアメリカ合衆国共同の軍事機密であったためで す。これは、基本的には現在も変わっていませ

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告

サイクル計画を継続すると言っています。計画を 中止するということは、核兵器製造能力を放棄す るということになり、それはできないと日本の権 力者たちは考えているからかもしれません。 原発は、1953 年のアイゼンハワーの国連総会 での欺瞞的な演説(原子力の平和利用演説)以 来、国家のエネルギー政策と軍事政策が絡み合っ て推進されてきました。そこに原発の不透明さ と、危険性があります。『原発を止めたら電気は どうするのか、代替エネルギーはどうするのか』 という議論は分かりやすいですが、問題をすり替 えて単純化しています。原発を稼働し続けること は、たとえ事故がなくても人間と環境をじわじわ と汚染していきます。事故があればなおさらです が、「大丈夫、たいしたことはない、普通に生活 を続けてください」と政府は言い、癌、異常出 産、その他の疾患が多発しても「原因は放射能で

写真パネルの一枚

はない」と根拠もなく断定します。原発と燃料サ イクルを継続していけば、日本は核兵器を製造す

るオプションを保持できますが、それは国民の健 康と引き換えなのです。 歴史を見れば、いかに日本国が人々(原爆の被 害者、第五福竜丸被爆の被害者、JCO臨界事故の 被害者、そして福島原発の被害者)をモルモット 扱いはしても救済せず、放射能の害について隠蔽 してきたかが分かります。 この巡回講座・分掌会の題名を「棄民と隠蔽」 としたのは、以上の理由からです。お配りする冊 子や PTT で使っている写真や図は、すべてイン ターネット上にあるものです。厳密に言えば著作 権法に触れるような使用もあるかもしれません が、お気づきのことがあればお教えください。 2014年初一(1月31日)Eaphet核電勉強会

私たちは認識しています。核兵器との関係はよくあ る質問でもあるので、これをまず前面に出して興味 をもってもらうことを狙って書きました。この場を 借りて補足しておきますと、 ・ネオリベラル企業が安い労働力と資源を求めて地 球上を徘徊する際に、安定した電力の供給を各地 に求め、原発商売が自由市場拡大と並行して拡大 してきたという面。 ・2005年からの原発ルネッサンス問題:京都議定書 を受けて、二酸化炭素排出量ビジネスが始まり、 このビジネスは気候変動への対策という大義名分 を得て、原発建設を推進してきたという面。 については言及していません。今後の講座・分掌会 では、この面も伝えていけるようにした方がいいか もしれません。(現在、多くの場所では2時間程度 の時間でやらなくてはいけないので、原爆と福島に

上の文章では核兵器と原発とをひきつけて書いて いますが、本当はもう少し複雑な問題であることを

議論を限らなくてはならなくて、少し不足を感じて いるところです。) まず第一回目 第一回目は、3月2日(日)夕方(3―6)忠信 第一回目 市場内の泰珈琲 泰珈琲で行いました(右+下写真)。マイ 泰珈琲 クやスクリーンの使 い方、会場の設営の 仕方など、第一回目 だったので手こずり ま し た。幸 い、泰 珈 琲の大頭ラオバンが 融通がきき、親切な 人だったので、乗り きれました。全部で 20人前後の参加があ り、手ごたえありで した。 第二回目はその週 第二回目

2014.3.2 泰珈琲

の金曜日、3月7日、場所を東海大学 東海大学 に移して行いました。ここでは写真 パネルの展示も同時に行いました。

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告 ある先生が授業の学生たちを連れてきてくれたりし て、40名前後の参加を得ました。翌日が全島挙げて の反核デモだったので、その主催者の一人だった台

2014.3.7東海大学

2014.3.7東海大学

湾生態学会の蔡さんも来て話をしてくれました。司 会は東海大学日文系主任であり、同時にEaphet核電 2014.3.12アジア大学

勉強会メンバーでもある黄淑燕さん。通訳は陳伊品 さん。最初に古川さんが話し、蔡さんが話し、福島 から避難して台中に住んでいる上前さん(通称「福 島ママ」)が話しました。 3/8全島反核デモを挟んで第三回目 第三回目は、翌週の水 第三回目 曜日、3月12日午前中、アジア アジア大学 アジア 大学( 大学(亞洲大學) 亞洲大學)で 行いました(右写真)。参加者は社会福祉系の学生 たちが中心で、それに加えて興味のある先生たちが 5,6人来てくれました。 私たちを呼んでくれたアジア大学の先生が、こう いう話なら自分が知っている他の学校でも聞きたい だろうからと言って、別の学校を紹介してくれまし た。屏東の美和科技大學。 第四回目は同じ週の土曜日、3月15日、台中の十 第四回目 十 三珈琲。夜7時半から10時までやりました。台中と 三珈琲 言っても、市外で、烏日のビール工場の近くにある

2014.3.15十三珈琲

辺鄙な場所なのにしゃれたコーヒー屋さん。三合院 を改造している。その中庭部分にスクリーンを張っ て、やりました。大学とは違って子連れのお母さ ん、おばあちゃんやおじいちゃん、若い人も。ここ でも20数人の参加者がいて、議論も盛り上がりまし た。 第五回目はその翌日(3月16日、日曜日)、台中 第五回目 の東海書苑 東海書苑で午後2時から5時。行ってみると、しか 東海書苑 し、誰もいなくてびっくり。東海書苑さんの方では 会場貸しという感じで、宣伝は何もしていなかった ようです。私たちの方では書店側がやるのではない かという思い込みがあって、すれ違ってしまったよ うです。幸い、Eaphet会員の方が3名来てくれて、 会をキャンセルせずにすみました。公共テレビ(公 視)の取材が来たのですが、彼らも空振り。 宣伝はしてくれなかったけれど、東海書苑さんは 台湾独立書店の協会の代表をしているらしく、協会

2014.3.16東海書苑

に加盟している独立書店さんに私たちの企画を回し てくれて、そのおかげもあって、各地の独立書店か ら講座・分掌会の依頼がくるようになりました。

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告 第六回目は3月22日に台中の默契咖啡でやる予定 第六回目 だったのですが、18日に始まった学生による立法院 占拠という事態のために中止。默契咖啡のラオバン は立法院外で旗ふってるとのことで、中止というよ り延期になりました。で、アジア大学の先生の紹介 であった屏東の美和科技大學 美和科技大學で、4月11日(金)の 美和科技大學 午後1時~4時、やりました(右写真)。 台中から4人で車で屏東へ。高速は2時間半、なん だかんだで3時間で着きます。アジア大と同じよう に、ここでも参加者の中心は社会工作系の学生、約 60人。加えて興味のある先生方が6,7人。その中 のお一人が、また私たちに別の大学を紹介してくれ ました。輪が広がっていくようで、うれしいことで した。 第七回目は、4月18日(金)、雲林の独立書店、 第七回目

2014.4.11美和科技大

す。すごく立派な歴史的建築物を本屋+喫茶店にし ているところです。台中から車で行きました(左写 真)。ここでも子どもたちを連れたお母さんや、近 所の人たち、若い人たちとバラエティーに富んだ参 加者に出会い、「日本の公民運動は一体何をしてい

虎尾厝沙龍で、夜7時半から9時半。虎尾にありま 虎尾厝沙龍 2014.4.18虎尾厝沙龍

2014.4.25主婦連盟

るのか」とおしかりを受けました。 第八回目は4月25日(金)午後1時から3時、台中 第八回目 の主婦聯盟環境保護基金會台中分會 主婦聯盟環境保護基金會台中分會でやりました。 主婦聯盟環境保護基金會台中分會 写真パネル展示もさせてもらいました。パネル展示

は5月14日までやっています。主婦連盟では以前か ら反核講座をやってきているためか、固定参加者も

生も多い。学生の参加は、しかし、5,6名にとど まり、先生たち7,8名、合わせて十数名の少人数 でしたが、蘭嶼島から来ている人もいて、情報交換 もできました。今度、蘭嶼でもやりましょう、とい う話にもなりました。 第十回目は、5月3日(土)朝10時から12時、台東 第十回目

いて、やはり30名弱が集まってくれました。 第九回目は4月30日、花蓮の東華大学 東華大学で、3時から 第九回目 東華大学 5時。花蓮へは台中から自強号で4時間半。朝早く台 中駅を出発。花蓮駅から、大学がまた遠いのでびっ くり。この大学は原住民研究科があって、原住民学 2014.4.30東華大学

の臨海小宿社 臨海小宿社というところでやりました(次頁写 臨海小宿社 真)。台東廃核反核廃聯盟さんの手配です。前日の 2日は、やはり台東廃核反核廃聯盟さんの手配で、 台東の南田に台電が建設を計画している核のゴミ処 理場予定地を見学に行って、その夜、この臨海小宿 社に宿泊。起きてその場で講座・分掌会ということ になったわけです。 ここは全員若い人が(台北から聞きに来た三人も 含めて)20名近く集まってくれました。原住民テレ ビも取材に来て、ニュースに流れました。

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告 2014.5.3臨海小宿社

2014.5.3Kituru珈琲館

第十一回目は、同じ台東で、5月3日の午後、2時 第十一回目 から5時、台東 台東廃 核反核廃 咖啡館とい 台東 廃核反核 廃 聯盟 Kituru咖啡館 咖啡館 うところでやりました。一日二回の大奮闘でした。 来てくれた人の中に、台東に避難した母子がいて、

その人も会の最後にマイクをとってくれました。

第十二回目は、5月7日(水)夜7時半から9時半、 第十二回目 嘉義の独立書店、洪雅書房 洪雅書房にて。 洪雅書房

高鉄の嘉義駅から嘉義市内まで遠く、タクシーで 30分近くかかりました。狭い書店に30名近く集まっ てくれて、メディア(自由時報、リンゴ日報)も来 て、議論も盛り上がりました。 上前メモ 上前メモ① メモ①南田核廃棄物処理場予定地 海岸線をずっと南に下り南田という場所。あいに くの天気で雲が重い~太平洋です。この綺麗な海岸 に船で台湾の核電ででる核廃棄物を運んできてこの 小高い山を掘り横穴式で地下に核廃棄物をいれる。 という計画がある場所。海からすぐの場所、標的の 町とでもいうか。この計画で政府は50億渡すと言っ ている。貧困の問題、隣の町との問題、原住民の抱 える問題、いろんな事が絡みあう。日本と同じだ。 原発立地の時も、お金をエサに分断され翻弄され、 爆発してもそう、そして核廃棄物の処理場の場所に ついてもそう、差別と分断が根底にある。お金をも

2014.5.7洪雅書

らっても被曝の危険性、命の危険性がずっとつきま とう。それは未来永劫だ。命の値段をつけられる。 50億が貧困に喘ぐ住民にはいってくるわけではな い。目先のお金にだまされ永遠に土地を汚され海を 汚され、命を脅かされることを考えないといけな い。日本も台湾も同じだ。その自治体が小さいのを いいことに、大金をちらつかせる権力者。そんな黒 いお金を手にしないでその自治体がどう住民と一緒 にその町を作り上げていくかが大事なのではないの か、権力者は被曝しない場所でニヤニヤ笑っている よ。この後、ここの近くの原住民の部族の大頭目の おばあちゃんにあった。88才の大頭目さん。かわい いおばあちゃん。bubuは日本語が話せる。もう何十 年も話をしてないから忘れてヘタですみません。と 言うが、全然わすれてないしめちゃしっかり話しは るし・・・。日本人が来たことを喜んでよく来てく れました。あなたの苦労したことを思うと涙が出ま

す。東京の(多分、原発が爆発したこと)苦労を考 えたら毎日涙です。私は祈ることしかできません。 神様にいのるのみです。と話をしてくれました。本 当によくきてくれました。ありがとう、私達の為に あなたの苦労の話をしに来てくれて本当にありがと う。と何度も何度も言われ。いやいや私が台湾に助 けてもらっているのに。となんだか申し訳ないよう な、ありがたすぎてどうしていいやら。と思ってし まった。88才のおばあちゃん、テレビで見たくらい なのだろうけど、福島の原発が爆発したことがどん なに大変で怖いかをすごくわかっていて、情報がな いからわからないとか、そういう問題ではなく、想 像力や感性や人としての気持ちの問題であるような 気がした。情報がないからわからないのではなく、 感性や気持ちの問題なのではいか と ストレート にあなたの苦労を本当に心が痛い、私には祈るしか ないから貴女のために祈らせて下さい。と聖書の祈

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棄民と隠蔽:福島の現在 台湾巡業途中報告 りの言葉を日 本語でそれは それは流暢に 祈りの言葉を 言ってくれ た。毎 晩、あ なたのことも 祈 り ま す。と ありがたい な ー。初 め て あった日本人 にそんなにストレートに温かく言ってくれると、私 は弱いのだ。私の事を妹妹(メイメイ)と呼んでく れ、何度も神様に祈っていた。近くに計画されてい る核廃棄物処理場を私は許しません!!と力強く話 していた。 ちょっと、久々に泣かされました。別 に普段は泣くものか!!と思っているわけでは無い

のだけど、無意識に踏ん張っているのかな・・・。 よく自分でもわからないけど あんなにストレート に伝えられるとどうにも弱い。こみあげるものをこ らえようとして鼻のおくがキーンと痛くなった。

考えないようにした上で平穏な生活など偽物に過ぎ ず、すぐにそのつけが降りかかるという事を考えな ければいけないと思う、台湾の人は日常を過ごしな がら今やばいと思うととにかくそこを優先して行動 する。生きるチカラがあるのだと思う。講座ではい つもそんな気分になり、希望をもらえる。感謝大 家!! 上前メモ 上前メモ② メモ②台東Kituru 台東 3日の午前中は臨海小宿舎で講座した後午後は場 所を移動して台東市内のおしゃれな素敵な珈琲店 kituru へ この珈琲店、原住民の素敵なデザインの アクセサリーや衣装が飾ってあったりしてすごく雰 囲気のいいお店。そしてこういうお店で 反核など の講座ができる。素敵すぎる。台湾のカフェはこう いったこだわりがちゃんとある。日本は絶対そうい うことをしない、万人受けを狙いなるべくそういっ た社会問題には触れない。台湾はこういうお店が各

地にあるのが本当に素晴らしいと思う。そしてここ でも準備していた席は埋まり、若い人からお母さん 世代、いろんな方が聞いてくれました。前半は老 師。棄民と隠蔽。台東は核廃棄物処理場で狙われて いる場所なのでいつもの部分だけでなく日本のそう いった側面の事も説明であったのでみなさんすごく 真剣に聞き入っていました。後半は「現在的福島」 具体的な今起こっている健康被害や人間関係の崩壊 などこれまたみなさん長時間なのにすごく熱心に聞 いてくれその後の質問も沢山でました。ここの会場 に、日本から母子避難してきているminnminさん親 子が来てくれ、Twitterやメールでやりとりはして たものの初対面、だけどそんな感じまるでしなくて 昔からの友人のようななんだかへんな感じ(笑)彼 女はだれも知り合いもいない台東にこどもさん(小 学生3年?2年?、と5才の子)を二人連れ本当に頑 張っている。たくましいママなのだ。うちなんかも

う大きい年齢な ので手もかから ない、それでも いろいろあるの に、本当にいつ も頑張ってい て、ネットでみ て は す ご い なぁーと励まさ れてたので、今回会えて本当にうれしかった。最後 にスピーチもしてくれた。彼女の娘さんは中文でマ イクをもってしっかりと話していた。台東の知り合 いがあの場で少し増えて彼女たち親子がこの先も台 東で安心して暮すことができればいいなと思うので す。出かけるといろんな人に会えていろんな話が聞 けて世界が広がるような気がします。今回、出会え たみなさんに感謝です。

最後に 最後に:不要再有下一個福島 会でときどき「不要再有下一個福島」という反核 の旗が話題になります。これは福島の人に失礼なの かな、どうなのかな、という議論です。「復興」と 呼ばれる欺瞞を信じるなら、実に失礼な話です。 が、福島が原発事故によって「人が住むのに適さな い場所」になっていることを、まず福島の人たち自 身が、日本政府が『認め』なくては、その上に作ら れる復興もまた欺瞞でしかない。原爆以来、放射能 の危険性を隠蔽し続け、広島・長崎の被爆者とその 子孫たちを「棄民」してきた歴史をまず認めなけれ ば、欺瞞の上に築かれた復興はまた何万の人々を棄 民することに繋がります。代替エネルギーの話も重 要ですが、多くの人命を見捨て、生命を軽んじてい るかぎり、代替エネルギーがあっても同じです。 講座・分掌会「棄民と隠蔽」は招いてくれる人が いる限り、まだまだ続きます。(了)

上前メモ 上前メモ② メモ②台東臨海小宿社 大學でやると当然學生が来るから若いんだけど、 一般の場所で若い人が足を運び休日の午前中に来て くれるというのは本当にうれしいしなんだか希望が そこに見える気がする。日本だったらどうだろう。 とふと思う。こういう内容の話を聞きに足を運ぶだ ろうか? 積極的に質問してくれるだろうか?自分 の思うことを自分の頭で考え、自分の言葉で語って くれるだろうか?日本の汚染に現実逃避している時 間はない。未来を自分の手で自分たちの手で守るに はどうすればいいのか、だれでも何事も無く平穏な 日常を送りたいと思っている。でもそれは現実に起 こっていることを否定したり目をつぶり耳をふさぎ

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中国語で 中国語で話そう ベンガルヤマネコは中国大陸東北部から西表、台湾、東南アジア一帯に生息する野生のネコ科の一種 で、体長50~80㎝ほど、褐色の体に黒い虎模様が特徴です。沖縄県の南西部西表島に生息する絶滅危惧 種、イリオモテヤマネコもその仲間です。台湾では石虎(タイワンヤマネコ)と呼ばれ、現在500頭ほ どが生息していると言われていますが、今その生息地が危機的な状況になっています。 孟加拉山貓 是野生山貓科,活動範圍從 中國大陸東北 方、沖繩 西表島、台 灣、到東南亞 一帶。身長 50~80cm左右,褐色的身體有著黑色條紋像老虎一樣的特徵。和棲息於沖繩縣西南方的西表島上,正面臨 著滅種危機的西表島山貓是同類。台灣的石虎,據說現存約500隻,但棲息地也面臨著一樣的危機。 村上;台灣也有野生貓呀。 台湾にも野生の猫がいるんですね。

TY; 是阿。看起來像老虎所以被稱作石虎,是西表島山貓的親戚。 そうですよ、虎模様から石虎と呼ばれてて、イリオモテヤマネコの親戚なんですよ。

看起來表情很威風凜凜但是小時候可是非常可愛的。 なかなか凛々しい顔ですが、赤ちゃんの時なんてとっても可愛いんです。

村上;真的耶!可以在哪裡看到啊? ホントだ!どこで会えるんです?

TY; 因為活動於苗栗或台中、南投的山區,不太有機會看到。 苗栗や台中、南投の山間部に生息しているので、滅多に会えることはないですねぇ。

數量也因為環境破壞造成棲息地減少、或交通事故等,逐漸下降。 個体数も環境破壊による生息区域の減少や、交通事故などで減少し続けていますし。

村上;我聽說他們的棲息地苗栗還蓋了外環道路。 その生息地域の苗栗に外環道路ができると聞きましたが…。

TY; 對阿。這樣一來石虎的活動範圍會變得更小,交通事故也會增加。道路蓋好後可以減少塞車、生活 也會比較方便,這也是不得不的事…。 はい、そうすると石虎の生活圏は益々小さくなり、横断事故も増えるでしょうね。道路ができると渋 滞も減るし、生活も便利になるし、必要なことなんでしょうが…。

村上;希望不要像雲豹一樣絕種。失去的就再也回不來了。 絶滅してしまった雲豹(タイワントラ)のようにはなってほしくないですね。一度失ったものはもう 元には戻りませんから…。

しているので)彼を応援しようという人たち、もと もと核四建設反対の人たち、原発そのものに反対す る人たちが一気に団結。大きな反核デモが各地で盛 り上がった。ちょうどEaphetで3月はじめから巡回 講座・分掌会「棄民と隠蔽:福島の現在」をやり始 めたところだった。4月はじめにはかねてからの計 画だった北ルソン「先住民と開発」ツアーもした。 3月30日にはマニラで「ひまわり連帯運動」をやり もした。苗栗では、また政府による強引な開発計画 への反対運動が…。ばたばたの3月と4月だった。 ユーラシア大陸ではクリミアからウクライナへ と、市民の声を置き去りにした欧米とロシアの喧嘩 が多くの死者を出す事態に発展している。日本では 無気味な言論統制が進行する中、憲法を守ろうとい う集会や広告が地方政府によってあからさまに拒否 され、集団的自衛権という戦争権を承認せよと憲法 無視の政権が叫んでいる。まだまだバタバタに終わ りはなさそうだ。(編集:古川ちかし)

編集後記 本号の特集は「ひまわり学運」。私もやじうま で立法院に飛んでいった。半日、外に座り込んだ。 中に入る人は並んで、という放送があったので並ん でいたら「学生だけですよ」と係りらしき若者が言 う。しかたなく退散。その日、総督府前で中国人観 光客の一団に出会った。どこから来たんですか、と 声をかけたら、相手は言葉を濁して離れていった。 大陸だと分かったら暴行されるとか、そんなことを 思ったのだろう。悲しくなった。学生たちは政府に 抗議しているのであって、中国や中国人へのヘイト スピーチもないし、ヘイト行動じゃないんですよ、 安心してくださいと、その観光客の背中に心の中で 言う。立法院事件の後、林義雄が「核四反対」でハ ンガーストライキに入った。ひまわり運動が収束す るのを待っての行動だった。(林義雄に関しては 「Hand in Hand」という映像を見てほしい。彼の家 族が惨殺された事件についても分かりやすく映像化

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