Eero Saarinen 研究 モダニズム後期の「多様な表現」をめぐる設計思想と現代
序論 研究背景 研究目的 研究概要•構成 研究方法
1X10A019-3 井上美奈 1X10A128-0 野沢美咲
序論
1章 Eero Saarinen の思想 1節 19-20 世紀における時代背景 2節 Eero Saarinen の思想 1項 生い立ちからみる Eero Saarinen の思想 2項 Eero Saarinen の捉える近代建築 3節 同時代の建築家との比較 1項 Mies Van der Rohe との比較 2項 Louis Kahn との比較 3項 Paul Rudolph との比較 考察 小結 2章 作品における多様な表現 1節 与条件の抱合とその「真髄」の抽出 2節 作品におけるモニュメンタリティ 3節 設計プロセスにおける形態の探求 1項 50 年代プロポーション討論における Eero Saarinen 2項 作品分析 考察 小結 3章 創作における先見的試み 1節 技術の開発 1項 ネオプレン•ガスケット 2項 コンクリートシェル 3項 吊り屋根構造 4項 コールテン鋼 5項 合成樹脂 6項 モービル•ラウンジ 2節 マスメディアを介した表現 3節 新たなスタディ方法と表現方法の開発 1項 スタディ方法 2項 表現方法 _ドローイング _写真 考察 小結 結論
/研究背景・目的 Eero Saarinen は 1910 年に生まれ 1961 年に没するまで、短期間のうちに数々の作品を残している。 彼の作品には毎回異なる表現が使われ、その一貫性の無さが、建築における共通言語を見つけようと、 単純性を追求したモダニズムの流れに反しているとして度々批判された。 このような状況に加え、Eero Saarinen 死後 50 年近く経つ 2004 年まで、彼のアーカイブは一般公 開されることがなかった為、世界的に見ても Eero Saarinen の研究は進んでいない。近年 Eero Saarinen 事務所の後任者である、Kevin Roche により、Yale 大学にアーカイブ資料が寄付された ことにより、ようやく、これらの資料が研究可能となった。 Eero Saarinen はその多様な作風を批判されつつも、単純性を追求する当時の流れに異を唱え、多 様な作品を作り続け、更に、彼の多様な作品には一貫した意図があることを示唆している。本論文は、 当時は批判された Eero Saarinen のスタイルを持たないという姿勢が、彼の一貫性、作家性である、 という仮説のもと、彼がそのような「多様な表現」に行きつくまでの経緯を考察し、Eero Saarinen の設計思想を明らかにしていこうとするものである。
/研究概要・方法 Eero Saarinen は生前、自身の設計思想をあまり語ることはなく、著書も残し ていない。その為、例えば講義録や友人への手紙と言った断片的な言説はある ものの、彼の建築における思想を明確に順序立てて話したものはあまりない。 又、存在する言説の内、日本語訳されているものも少ない。 本研究では、Saarinen 事務所に勤務し、Saarinen に関する著書を持つ穂積信 夫氏、Eero Saarinen に関する作品集や展示をてがけた Yale 大学准教授 Eeva-Liisa Pelkonen 氏へのインタビューを手がかりとし、『Eero Saarinen on His Work』などに掲載された、講演原稿やインタビューへの解答、手紙など、 Saarinen の言説を翻訳、整理し、アーカイブを有する Yale 大学、Cranbrook 美術大学での資料収集を行う。更に Eero Saarinen の父、Eliel Saarinen の著 書、Search for From in Art and Architecture か ら、父 か ら Eero Saarinen への影響を探る。そして設計思想をあまり語らない Saarinen の、断片的に残 された言説の精査を軸として、Eero Saarinen の設計思想を分析する。
資料 インタビュー 穂積信夫 Eeva-Liisa Pelkonen 翻訳 Dickenson College Art Award Address General Statement Golden Proportions Eero Saarinen On His Work
Eero Saarinen on His Work Eero Saarinen Yale University, 1968
/ 19-20 世紀における時代背景 19-20 世紀への移行期、以前の様式建築から脱却し、市民革命や産業革命と連動しながら社会の現 実に即した建築をつくろうという近代建築運動が起こり、機能的・合理的で装飾のない建築が広まっ ていった。その中で普遍性・国際性が主張され、建築様式を統一化しようという流れが起こった。
Cranbrook Academy Yale Library
/作品・言説分析 図面やドローイングより、Eero Saarinen は設計において、どのように形 決めを行っていたかを分析する。 _United States Chancellery Building, London(1955-1960)
考察
美しい環境としての建築には、人々に生きる確信を与えるという役割があり、これは機能や実用を 超えた、大切な使命だと思われます。 -Eero Saarinen 1959
" SIX PILLERS OF ARCHITECTURE " 1. Functional integrity. 2. Honest expression of structure. 3. Awareness of our time. 4. The expression of the building. 5. The concern with total environment. 6. Carrying a concept to its ultimate conclusion.
ファサードをスタディした図面は周辺の既存建築を部分的に含まれ、既 存建築や周辺環境との関係性の中で考えられていることが読み取れる。 _Concordia Senior College(1953-1958)
建築は人間の生活を保護するシェルターであるばかりでなく、人間の一生を意義あるものにするた めのものであり、人間がこの世に生きているということの、犯し難い尊厳に応えるものでなければ ならない。
(機能の正直な表現 ) (構造の正直な表現 ) (時代に対する認識 ) (建築の個性的表現) (建築をとりまく環境との整合) (建築の主題の徹底的な適用)
様々な用途を持つ建築群か らなる大学キャンパスの設 計 で は、図 面 か ら、建 物 同 士の寸法関係がスタディさ れていることが分かる。そ れぞれの単体の建築は、他 の建築との関係の中で寸法 が与えられ、更に建築群と いう環境の中で捉えられて いることが分かる。 _Yale University Samuel F.B.Morse and Ezra Stiles Colleges(1958-1962)
Eero Saarinen(1910-1962)
Eero Saarinen は、単純化 を追求するモダニズム後期 において、一貫性がないと して批判されていた。彼は 建築に精神性を持たせると いう目的を、要条件の抱合、 「真髄」の抽出、 「抽出」の 徹底的表現という過程を追 うことにより達成したが、 この過程の根元には、一般 的なモダニズムの思想には 見られない、多様化、複雑 化する社会には多様な要素 が存在し得るという前提に 立つ姿勢があり、これこそ Eero Saarinen の一貫した 姿勢であった、と分かる。
多様化する社会を前提に立つ
建築に精神性を与える
与条件の抱合
真髄の抽出
真髄の徹底的表現 モニュメンタリティ 多様な表現 生きる確信を与える建築
Eero Saarinen は建築の精神性をその役割として位置づけ、彼には建築を知ら ない人にも訴えかけ、伝わる建築を作るという強い意志が見られる。この様な 思想は、幼少期から父の Eliel Saarinen を含む芸術一家の元、美しく総合的な 芸術環境の中で育ち、モダニズムなどで語られる建築の原理的な側面を理解で きるより以前から建築の精神性を肌で感じていた、ということに起因を見るこ とができる。 そして、Eero Saarinen は以上みて来た「真髄」の徹底的表現とメディア表現 の利用を通して「大衆の生活からの遊離」してしまった「建築」を、大衆にも 近づけようとしていたのではないだろうか。
-Eero Saarinen 1959 Eero Saarinen は彼の建築の役割として、建築に精神性を持たせる事を述べた上、これを達成する ための彼の建築の6つの柱を挙げてる。Eero Saarinen は自分の近代建築の6つの柱の内、最初の 3つは近代建築の大原則に従うものとし、しかしこれら3つだけでは、建築は単純化、一般化が進 むだけだが、自身が考案した残りの3つの原理を適応すると、結果は多様に展開する、と述べている。
三章 創作における先見的試み Eero Saarinen は技術、マスメディア、スタディ方法、表現法、において常に 新しい方法を取り入れていた。中でも特に、積極的に新しいマスメディアを介 した表現方法を取り入れた。例えば、ダレス国際空港のモビール・ラウンジの 開発においても、自分の考えを誰にでも分かりやすく表現するために Charles Eames と協力し、映画を作成した。又、プレイボーイ誌や TIME 誌など、建 築の専門誌以外の雑誌にも登場した。 Eeva-Liisa Pelkonen は、Saarinen が建築界の人に教条的に建築を語るだけ でなく、建築の原理をしらない大衆へ、自身の建築を伝えようとしていたこと を語っている。James Marston Fitch は、第二次世界大戦後のアメリカについ て、「近代建築」が「大衆の生活からの遊離」していることを指摘している。
一章 Eero Saarinen の思想
Eero Saarinen の建築の6つの柱: 資料
/与条件の抱合と「真髄」の抽出 「今、みんなが設計を始めるときに、それぞれの施主・課題の隠れた真髄は なにか、というのを自分で見つける、他のひとが気付いていない、隠れた Eero Saarinen は、建築家であると同時にアーバニストであった父、Eliel 真髄を見つけ出すことが、一種の着想になるでしょう。これがサーリネン Saarinen から学んだ最も重要なことを以上のように挙げていることからも、 穂積信夫 2013.6 流のアプローチと言える。」 彼は周辺環境を無視するどころか、彼が建築の役割で述べている通り、 「建築 Eero Saarinen の断片的な言説 =美しい環境」として捉えていることが分かる。 や穂積信夫氏のインタビューを 建築に精神性を与える 精査していくと Eero Saarinen /生い立ちに見る精神性 は建築に精神性を与えることを 「『機能』という言葉は実用的な機能 (practical function) だけではなく、精神 目的とし、右図の過程を経て多 的な機能(spiritual function) をも意味しなくてはいけないのです。」 与条件の抱合 様な表現に行き着いていること -Eliel Saarinen 1948 が分かる。 Eliel Saarinen の 著 書、In Search for Form in Art and Architecture で は、 彼は設計において、まずそれぞ 真髄の抽出 Eliel Saarinen は以上の様に述べ、更にアートとしての建築は、人の内面的な れの作品の与条件を抱合し、さ 感受性と直接コミュニケートするとしていることから、彼も建築における精神 らにその中から最も本質的な 性を重要視していたことが読み取れる。 「真髄」を抽出し、それを建築 真髄の徹底的表現 更に Eliel Saarinen の生い立ちを追うと、彼は建築の原理を理解する以前の の形態にて徹底的に表現するこ 幼少期から、フィンランドにおいても、アメリカにおいても、Eliel にデザイ とにより、建築は人にそれを感 ンされた美しく総合的な芸術環境ですごし、原理ではなく身体感覚で環境とし 情的に伝えられるようになり、 多様な表現 ての建築を感じていたと言える。 彼の目的とする精神性を建築に 生きる確信を与える建築 与えられるとした。 /作品におけるモニュメンタリティ 建 築 の 精 神 性 を 目 的 と し、徹 底 的 に「真 髄」を 表 現 す る こ と は、Eero Saarinen の建築にあるモニュメンタリティをもたらしたとも考えられる。 モニュメンタリティとは、Eero Saarinen の作品の中で繰り返し見られる 特徴の一つとも言える。 このような Eero Saarinenn 作品におけるモニュメンタリティは、Vincent Scully を始めとする当時の建築家や評論家に、周辺環境を無視し、自己の 表現をアピールするための傲慢な表現であるとして、批判度々批判された。
/ Eero Saarinen の思想 Eero Saarinen の建築の役割:
参考文献
すべてのものは、小さいものも大きいものも、近くのものと関係する。おそら く私が父から学んだ最も重要なことは、どんなデザインの問題においても次に 大きなものから解決策を探し出す必要があるということだ。 -Eero Saarinen 1958
二章 作品における多様な表現
結論 パースにおいて、家具と建築、屋根伏、の関係性が描かれており家具を建 築の内部空間との関係性の中で考えてることが分かる。 以上の例で代表されるように、Saarinen の作品の図面やスケッチから、設 計において建築を常に周りの関係性の中で考えていることが読み取れる。
Eero Saarinen の「多様な表現」の根源には、多様化する社会を前提に考える という一貫した思想がある。この思想は「真髄」の抽出と徹底的表現を通して モニュメンタリティという性質をもたらしたが、Eero Saarinen のモニュメン タリティとは、万人に建築を伝えるという Saarinen の強い意思の現れである。
展望
資料(一部)
2013.7.17 穂積信夫インタビュー(一部抜粋)
本研究は主に Eero Saarinen の設計思想について扱った。 Eero Saarinen 特有の彫刻的とも言える造形について分析し、彼の設計手法 をより明らかにしていくことを今後の展望とする。
/新しいスタディ方法 巨大模型によるスタディ
̶Eero Saarinen の研究は、日本ではまずほとんど見られず、アメリカにおけるものも、サーリネン自身を主題とした研究は多くはないようです。こ
こまで有名な建築家ながらサーリネンの研究があまりされていないのはなぜなのでしょうか。 穂積氏: その理由は、まず、サーリネンの作品は目的に応じて形が全く違う、一貫性がない、彼の主義がはっきりわかりづらい、ということでしょう。 そのような部分が当時の建築家に批判されていました。対してかたちに一貫性があるのはミース、スキッドモアなどです。コルビジェも少し異なりま すがある意味一貫性はあるでしょう。彼らは 1960 年代の花形合理主義者達です。これに対してサーリネンは一作毎に形が違うので次はどのようなも のになるのかわからない、このような姿勢を作家として批判されていたのです。と同時に、現代においてもサーリネンスタイル、サーリネンを受け継 ぐものが出てこないのは、真似しようとしても誰も出来ないからです。一作一作が異なるので、学びにくいというか、follow しづらい。だからサーリ ネンスタイルは生まれないのです。 それに比べると、ミースはミース的なものがスキッドモアなどに受け継がれたのはよくわかるし、コルビジェのあのかたちのイメージが日 本で大流行りになったのも不思議なもので、よくあれは日本の人々が追随して発展させたと思います。コルビジェ風、というようなものは多く生まれ ました。しかしあの、1つのものを多く作っているわけではないけれど一種の形の一貫性のようなもの、例えば打ち放しコンクリート等、限定してい 穂積 信夫 氏 るから学びやすく、コルビジェを慕った建築家は多くいて、コルビジェスタイルは多く生まれたのだろうと思います。サーリネンはこのようなことに 1956-57 Eero Saarinen 事務所勤務 なりづらいのです。あるとしたら。今、みんなが設計を始めるときに、それぞれの施主・課題の隠れた真髄はなにか、というのを自分で見つける、他 『SD 選書 エーロ・サーリネン』執筆 のひとが気付いていない、隠れた真髄を見つけ出すことが、一種の着想になるでしょう。これがサーリネン流のアプローチと言えると思います。しかし、 出来た形はサーリネンと似ても似つかぬものになるはずで、サーリネンの作品に似せたものをつくってもしょうがないと思います。
参考文献
『SD 選書 エーロ・サーリネン』, 穂積信夫 , 鹿島出版会 ,1996
2013.8.12 Eeva-Liisa Pelkonen インタビュー・翻訳(一部抜粋)
『a+u Extra Edition EERO SAARINEN』, 株式会社エー•アンド•ユー ,1984 『GA6 Eero Saarinen』, ADA EDITA, 1971 『GA26 Eero Saarinen』, ADA EDITA, 1973
/新しい表現方法 二重露光写真
『Eero Saarinen Shaping the Future』, Eeva-Liisa Pelkonen/Donald Albrecht, Yale, 2006
̶Eero Saarinen は幼いころから両親のアートに触れながら育った為、建築に関しては父の影響を多く受けていたと考えられます。またイェールの学 生であった当時は、大分クラシック寄りの教育を受け、クラシックの授業を多く取っていたようです。本人は一見これとは全く異なる形を作っていた ように見えますが、父からの影響、イェール大学での教育の影響は彼の作品のどこに読み取れますか?
『EERO SAARINEN Makers of Contemporary Architecture』, Allan Temko, Literary Licensing,LLC, 2011 『EERO SAARINEN FURNITURE FOR EVERY MAN』, Brian Lutz, Pointed Leaf Press, 2012 『Eero Saarinen:1910-1961』, Pierluigi Serraino, TASCHEN, 2005 『EERO SAARINEN』, Jayne Merkel, Phaidon, 2005 『Eero Saarinen on His Work』, Eero Saarinen, Yale University, 1968 『現代建築家シリーズ イーロ・サーリネン』, 二川幸夫 / 菊竹清訓 / 穂積信夫 , 美術出版社 , 1967 『The Fourth Dimension in Architecture: The Impact of Building on Behavior. Eero Saarinen's Administrative Center for Deere and Company, Moli、Mildred Reed Hall, Edward T. Hall, Sunstone Press, 1995 『建築を目指して』, Le Corbusier, 鹿島出版会社 , 1967 『現代都市理論講義』, 今村創平 , オウム社 , 2013 『Architectural Principles in the Age of Humanism』, Rudolph Wittkower, W W Norton & Co Inc., 1949 『空間・時間・建築』, Sigfried Giedion / 太田實 訳 , 丸善 , 2009 『錯乱のニューヨーク』, Rem Koolhaas / 鈴木圭介 訳 , 筑摩書房 , 1995 『建築の多様性と対立性』, R.ヴェンチューリ / 伊藤公文 訳 , 鹿島出版会 , 1982
/新しい表現方法 TWA 柱の形態の地形図
『ラスベガス』, R.ヴェンチューリ ,D. スコット・ブラウン , S. アイゼナワー / 石井和紘 , 伊藤公文 訳 , 鹿島出版 , 1978 『近代建築のコンテクストいま、モダニズムへの回帰のとき』, 北村隆夫 , 彰国社 , 1999 『モダニズムの建築』, 向井正也 , ナカニシヤ出版 , 1983
Pelkonen: 大きな質問ですね。当時のイェール大学の課題を見ると、記念碑建築に完全に集中していたことが分かり、そのようなトレーニングをサー リネンも受けていました。それは大衆の為の住宅設計とは全く異なります。全て社会的に重要な建物の設計でした。なので、サーリネンには否定的な 意味でもモニュメンタルな衝動があると思います。ボザールがアメリカモダニズムと融合した時の問題は、当時の彼の建物や他の人の建物を見れば分 かりますが、全て単独の建築であることです。コンテクストが無いのです。なので、彼にはこのような記念碑的な単独の建物という衝動があるように 思います。 先ほど述べた通り、父のエリエルは都市スケールと [ 建物のスケールの ] 両方を扱います。しかし彼はアーバニストである為、常にそこに はコンテクストがあります。そして記念碑的建築は、より大きなコンテクストの中の瞬間として扱われていました。それはビンセント•スカーリーが批 判したことでもあります。イェールのホッケーリンクを例に、彼らはアメリカの都市を崩壊させたとスカーリーは言っています。サーリネンはイェー ルのホッケーリンクを設計し、あの彫刻的なものを作りました。建物を見ると分かります。あの建物はコンテクストを作ってはいますが、コンテクス トを認知してはいません。しかし私はそれを過去のレガシーの一つだと思います . . . 不幸なものもありますが。 言った通り、息子は父のレガシーをマスターうることに苦闘していたのかもしれません。父のエリエルがいつも口にしていた素晴らしい言 葉があります。 デザイナーとして、常に次の大きなスケールを考えなくてはいけない。 勿論エーロは全てのスケールを扱おうとしています。彼は家 具をデザインし、建物を設計し、アーバニズムとも格闘しました。彼は結局全てのスケールを扱い、そこには父の大きな影響があったと思います。[ 父の ] 完全なる芸術の作品 [ という考え ] です。 しかし 50 年代にも、そのような仕事をした人はいませんでした。クランブルックに行くと、全ては建築家によってデザインされています。 石の彫り込みの一つ一つ、全ての家具、総合的な環境 . . . 息子のサーリネンも本当の意味ではそのように仕事をしたとは思いません。もうそのような 事をする人はいませんでした。 GM 技術センターではこのような要素を少し見ることができます。この作品は彼が全てをデザインする、総合的な環境への挑戦でもあります。 友人の芸術家を招き、噴水もデザインしました。家具、壁の色、彫刻、そして勿論新しい技術も。総合的な環境をつくり出す挑戦であり、成功しているし、 とても良いと思います。一般の都市とは全く孤立していて、完璧な都市の外の少数民族団体みたいです。
『二〇世紀の現代建築を検証する』, 磯崎新 , 鈴木博之 述 / 二川幸夫 聞 , ADA EDITA, 2013
̶サーリネンは父と異なり言葉で説明したり、自分の建築的思想を表現するのが苦手だったようです。当時の建築家は、特にモダニズムの建築家は、 自分のプロパガンダを表明することが多かったと思いますが、サーリネンの残した言葉(特に六大原則)と実際行っていた活動に矛盾を感じますか? 自分のプロパガンダをはっきり言わないことによって建築界での立場などに影響はありましたか?
『図面で見るアメリカの建築家―ジェファソンからヴェンチューリまで』, ディヴィッド・ゲバード / デボラ・ネヴィンズ , 鹿島出版会 , 1980 『見る測る建築』, 遠藤勝勧 , TOTO 出版 , 2000 『アメリカ建築案内』, 東京大学建築学科香山研究室 , 工業調査会 , 1989 『建築の四層構造――サステイナブル・デザインをめぐる思考』, 難波和彦 / メディア・デザイン研究所 , INAXo, 2009 『アメリカの建築とアーバニズム(上)(下 ) 』, V・スカーリー / 香山寿夫 訳 , 鹿島研究所出版会 , 1973 『建築家の発想(私の師匠たち)』, 石井和紘 , 鹿島出版会 , 1982 巨匠たちの時代(私説近代建築) 『巨匠たちの時代(私説近代建築)』, R. バンハム / 山下泉 訳 , 鹿島出版会 , 1978 『インターナショナル・スタイル』, H-R. ヒッチコック ,P. ジョンソン / 武沢秀一 訳 , 鹿島出版会 , 1978 『国際建築 イーロ・サーリネン - アメリカのチャンピオン』, A.B. Saarinen / 奥平耕造 訳 , 美術出版社 , 1953 『国際建築モダーニストが犯しえた最大の罪 -MIT オーディトリウムと礼拝堂』, 生田勉 訳 , 美術出版社 , 1955 『International Style Modernist Architecture from 1925-1965』, Khan, Hasan-Uddin, Taschen, 1998 『建築とは何か』, B. タウト / 篠田英雄 訳 , 鹿島研究所出版会 , 1974 『ジェームズ・マーストン・フィッチ論評選集』, Fitch, James Marson / マーティカ・ソーウィン 編 / 金出ミチル 訳 , 鹿島出版会 , 2008
Trans World Airlines Terminal における複雑な柱の形状を所員 同士でコミュニケートする道具。
『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』, フランツ・シュルツ / 澤村 明 訳 , 鹿島出版会 , 2006 『現代建築家シリーズ ポール・ルドルフ』, 二川幸夫 / 槇文彦 / 山下司 , 美術出版社 , 1968
/マスメディアを介した表現 Eames と挙動制作アニメーション
『American Building』, Fitch, James Marston/William Bobenhausen , Oxford Univ Pron Demand; Subsequent, 1999 『Building in France, Building in iron, Building in ferroconcrete』, Sigfried Giedion, Getty Center for the History of Art and the Humanities、1996 『ルイス・カーン―建築の世界』, David B. Brownlee,David G. De Long / 東京大学工学部建築学科 香山研究室 訳 , デルファイ研究所 , 1992 『第一機械時代の理論とデザイン』, レイナー・バンハム / 石原達 , 増成 隆士 訳 , 鹿島出版会 , 1976 『111,112 モジュロール』, Le Corbusier / 吉阪隆正 訳 , 鹿島出版会社 , 1948,1955 『マニエリスムと近代建築』, コーリン•ロウ / 伊東豊雄 , 松永安光 訳 , 彰国社 , 1981 『THE CITY, ITS GROWTH, ITS DECAY, ITS FUTURE』, Eliel Saarinen, Reinhold Publishing Corporation, New York, 1943 『SEARCH FOR FORM A Fundamental Approach To Art』, Eliel Saarinen, Reinhold Publishing Corporation, New York, 1948 『白い机 - 若い時 アルヴァ・アアルトの青年時代と芸術思想』, ヨーラン・シルツ / 田中雅美 , 田中智子 訳 , 鹿島出版会 , 1989 『白い机 - モダン・タイムズ アルヴァ・アアルトと機能主義の出会い著者』, ヨーラン・シルツ / 田中雅美 , 田中智子 訳 , 鹿島出版会 , 1993 『白い机 - 円熟期』, ヨーラン・シルツ / 田中雅美 , 田中智子 訳 , 鹿島出版会 , 1998 『アルヴァ・アアルト : エッセイとスケッチ』, ヨーラン・シルツ 編 / 吉崎恵子 訳 , 鹿島出版会 , 1981
Dulles International Airport(1958-1963)いおけるモビールラ ウンジという斬新なアイディアをクライアントに説得力を持って 説明するために Charles Eames と共同制作したアニメーション。
Pelkonen: 彼は明らかに理論家ではありませんでした。彼は自分の建築的立ち位置について本を書いたことはありませんでした。彼は自分の建築につ いて話すことから逃れていたとは思いません。彼は頻繁にカンファレンスに参加したり、大学でレクチャーをする依頼を受けていました。勿論、他の 多くの建築家同様、彼は同じ言葉を繰り返すことが多く、彼の言説を立て続けに読むことは面白くありません。 しかし彼は、ある意味 populist でした。彼のラジオインタビューの録音を持っていますが、彼は非常に上手なスピーカーでした。彼はコミュ ニケーションの価値を理解していたのだと思います。この価値を理解していたことが、彼の成功の大きな理由の一つに挙げられると思います。彼は言 葉の扱いがとても上手な人でした。彼は一般人に対して建築を語る能力をもっていました。彼はラジオインタビューに出てましたが、それは他の建築 家と話す事とは異なります。彼には大衆に建築を解説する能力があったのです。 彼の二番目の奥さんは建築評論家でしたので、彼は全てを計画していたかのようでした。彼はヴォーグ紙からプレイボーイマガジンまであ らゆるところに現れる人物となりました。彼はいつも素晴らしいメディアの存在でした。建築家を対象にするという事は一つの事で、彼にはあるメディ ア上での人間的魅力があり、CEO や建築家、建築雑誌を対象に話すことができたのです。それはかなりの才能です。 勿論これに対して、 果たして彼の思想は深いものだったのか? と問い掛けることはできます。 彼の思想はコルビュジェの思想程深かっ たでしょうか? 、 彼の思想にはどのくらい価値があったのでしょうか? もしかしたら彼は時代の先を行っていたのかもしれません。当時はテレビが普及し始めた時代です。雑誌はモダニズムの考えを広めるのに とても重要な役割を果たしました。そして彼はこの流れの中心に立っていました。勿論彼には、建築家としての彼のプロモートを助けてくれる奥さん もいましたし、彼自身積極的でした。ある意味彼はメディアだったのです。理論家ではなく、populist でした。 幅広い観客を対象に語ることは才能であり、彼は確実にこの才能を持っていました。そして彼は建築家が仕事を貰い、影響力を持つ為には 良いコミュニケーターでなくてはいけないことを理解していました。 ケヴィン•ローチもサーリネンが素晴らしいコミュニケーターであったと私に語ってくれました。多くの人はミースを変人だと思っていま した。多くの人はコルビュジェを嫌っていました。しかしサーリネンは皆に好かれていました。彼は魅力的な人で、カリスマチックでした。傲慢で建 築家喋りをする人物ではありませんでした。それは才能であると同時に、彼が批判される一員ともなっています。深い思想家だと思われなかったから です。 世界の先を行っていたのだと思います。今、私たちは高速のインターネットがあります。勿論彼は CBS の設計もしてますし、奥さんはトー クショーを持っていたので、二人でメディアの先頭にいたのです。 彼は TIME の表紙にも載りましたね。 ( 中略) サーリネンは一般人や、道ですれ違うような人と話すことに興味を持っていました。それを信じていたのだと思います。その為、彼の建築 には何か気軽なものがあります。彼は自分の建築を一般人を動かすものにすることに興味があったのだと思います。それはモダニズム建築の罪の一つ と私は考えています。モダニズム建築は難しいと思われていました。理解が簡単ではありませんでした。しかしサーリネン建築は気軽な側面を持って いました。建築を知らない人でもそれを理解し、尊敬することが簡単でした。 今回の展示は 30 万以上の人が訪れました。誰でも理解できるものだったから、人は群がったのです。彼らはミースの展示を見に行くでしょ うか?必ずしもそう思いません。ミースを理解することは難しいからです。彼らはミースの建築が箱に見えると言うでしょう。しかしサーリネンの場合、 まぁ、これはアーチね。アーチは理解できるわ。 人民主義的とも言えますが、これはポストモダンが苦労していた課題でもあります。ポストモダンの 建築家は、なぜ建築はコミュニケートしてはいけないのか?なぜ建物は建物の外観を持っていてはいけないのか?なぜ正面玄関があってはいけないの か、と問い掛けたのです。 このような同じ問題をサーリネンは扱っていたのだと思います。建築は大衆とコミュニケートするべきで、エリート主義であるべきでない。 彼はエリート主義ではありませんでしたが、エリート層に生まれました。素晴らしい特権階級の出身でした。驚くべき特権階級。通常の家族の出身で はないですね。
Eeva-Liisa Pelkonen 氏 Yale 大学建築学部准教授 2013 Eero Saarinen に関する 作品集『Shaping the Future』 展示『Shaping the Future 展』