模擬と主体化 SIMULATION AND SUBJECTIFICATION Ronald Langacker, Cognitive Grammar: A Basic Introduction. Oxford University Press. 2008, pp. 535-539
認知は身体化されている
(embodied). 認知は脳の処理活動で生じている.その脳は,
身体の一部で,身体は世界の一部だ.もっとも基本的なレベルにおいて,我々は感 覚と身体的な行動をとおして世界と相互作用している.もちろん,それ以外のレベ ルもある:我々が住まう世界の多くは心的・社会的に構築されたものだ.しかし, 直接的であれ間接的であれ,我々が構築・理解するこの世界は感覚運動経験に根づ いているのだ. 前節では,直接的な身体的経験から身を離した認知のさまざまなあり方を検討し た.これら全てに共通の特質を 図 14.15 で抽象的に示してある.図 (a) が表示し ているのは身を投じた認知で,ここでは当人が直接に身体的なレベルで世界 (W) の 何事かと相互作用している.この相互作用(二重矢印)は身体をとおして──主とし て感覚運動器官をとおしてなされる.A とラベルをつけたボックスは,身を投じる ことにおいて脳が果たす役割をあらわしている:A は処理活動で,感覚入力と運動 命令は最小限しか含まれない.これが相互作用の経験を構成している.図 (b) は, これに対応する経験が身を投じることなく生じているのを示す.A の一部の側面─ ─ A′ とラベルしてある──は,W との相互作用がおきていないときにもそれだけ で自律的に生起するようになってゆく.必ずしもはっきりと区分されているわけで もなく容易に分離されるわけでもないが,A′ は A に内在しているので,A が生じ るときには A′ も生じる.このように,A′ が独立して生じるのは,A が成り立たせ る経験の影のようなものである.
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(a) 身を投じた認知
身体
脳
A
A’
(b) 身を離した認知
W
身体
脳
A’
図 14.15
A′ を A の模擬
(simulation)
と呼ぶ.この模擬が概念化と認知意味論で根本的な役 ¯
割を担っていることは,色々なかたちでさまざまな名称のもと,広く認められてい る
(e.g. Johnson 1987; Barsalou 1999; Matlock 2004; Hampe 2005; Bergen 2005).そうしたことのひ
とつに感覚-運動のイメージ ている
(imagery)
がある.これは心理学的な現象として確立され
(Shepard 1987; Kosslyn 1980).通常の知覚刺激がなくとも,猫の視覚イメージや,
赤ちゃんの泣き声の聴覚イメージ,紙ヤスリの触覚イメージを我々は思い浮かべら れる.じっさいに体を動かしていなくても,歩いたり泳いだり小石を投げたりする ときの感じを想像できる.こうした種類のイメージは語彙意味論で重要な役割を担 っている.たとえば「杏」(apricot) の意味にはその外見や味のイメージが含まれて いる.また,「投げる」(throw) の意味には投げるさまの視覚・運動のイメージが含 まれている.しかるべきイメージを活性化すること──それらが表象する経験を模 擬すること──は,こうした表現を理解する上で些末なことではない. 模擬は語彙意味論にとどまらない.認知の一般的な特性として,模擬は多くの言 語現象にすがたをみせる.たとえば虚構の視座や観察の状況を喚起する表現におい て,模擬は重要な要因となっている.例 (34)(a) の趣旨をつかむときに我々がやる ことのひとつは,ここに示されている条件の下でカタリナ島を見る経験を模擬する ことだ.模擬はじぶん以外の把握主体
(conceptualizer)
とその心的経験を認識する場合
にも欠かせない.例 (34)(b) を理解するときには,上院議員の席に〔じぶんが〕いる のを想像してはじめて,妻と愛人が彼に対してどの位置にいるのかわかる.また,
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この定形節を理解するのに我々はある程度までは上院議員の心的状態も模擬する. これ以外に明瞭な事例をあげると,(27) [There’s a house every now and then through the valley]1 で喚起される虚構の移動であるとか,例 (33)(b) [I get home last night and see a note on my door]2 のような歴史的現在で語られる心的な再演などがある.
とはいえ,基本的な論点は,模擬は──図 14.15 の広義において──実質的にすべ ての表現でなんらかの程度までは生じるものだということだ. (34) (a) If it were clear, we could see Catalina from the top of that mountain. もし晴れていたなら山頂からカタリナ島がみえるのにね.
(b) With his wife seated on his left and his lover on his right, the senator was getting nervous. 席の左に愛人,右に妻がいたので上院議員は気が気じゃなかった.
身を投じた経験にくらべて,模擬はつねに希薄化
(attenuated)
している.直接の知
覚入力に駆動されているわけでもじっさいの運動活動につながっているわけでもな いので,模擬にはそうした経験の強度あるいは「鮮明さ」がない.(じぶんの手を火 傷するのがいいかそれが喚起する痛みを想像するだけがいいか選べと言われたなら,ぼ くは後者を選ぶだろう. ) A′ は A の一部分にすぎないので,模擬は精密さの度合い
も低い.猫の視覚イメージは,じっさいに猫をみるときには明瞭な特性の一部がど うしても失われてしまう.イメージの方はより図式的で, 詳しい細部に欠けている. 㐈ٌ 希薄化は程度の問題だ.当然ながら,内容の強度が弱まり薄くなるほど,実行さ れる模擬は意識されなくなっていく.例 (27) を理解するのに,我々は谷を通りぬ けてゆく経験を想像する.これはごく具体的なことがらなので,容易に意識される. 例 (29)(b) の Professional basketball players are usually tall3 となると,これよ りも意識されなくなる.これも,あちこちを渡って次々と〔プロのバスケ選手に〕遭遇 するシナリオを喚起する.しかし,具体的な経路はいっさい示されていないので, その移動の概念はかなり茫漠としたものものとなる──ここにあるのは,人生で世 間をあちこちまわってゆくという一般化された観念だ.それどころか,空間的な経 路は稀薄になって,すっかり消え失せかねないほどになっている.その場合,残る のは走査シナリオ 分
(scanning scenario)
(sequential examination)
とでもいってよいものとなる:これは順繰りの検
という抽象的な概念だ.走査シナリオは each の意味(every
や any から区別される)にとって枢要なものだ.ところが,その内容が希釈されて
いるので,話し手にははっきりと意識されない4.
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「谷のそこここに家がある」(英文では now and then という時間表現が用いられている点に注意) 「昨晩家に帰ると,うちのドアにメモがみえる」 「プロのバスケ選手はたいてい背が高いものだ」 (「たいてい」(usually) には時間・頻度の意味あいが
ある) 4
[fn.35] とはいえ,提示された場合には話し手はこの特徴づけを妥当なものと考える. 3
希薄化をはかる次元のひとつに,要素が客体的または主体的に捉えられる度合い がある(§9.1).精密な概念内容は客体的に捉えられることとなる.このため,例 (27) は谷を通りぬけその風景をみる人物をはっきりと意識にのぼらせることがある.し かし,谷をゆくその人物の目をとおして事物がどう見えるか想像することで,より 主体的にこれを捉えることもできる.この場合,移動する人は,移動の風景や状況 ともども,あまり意識されなくなる:把握の対象=客体としてオンステージとなるの でなく,これらは(想像上の)観察状況の要素として言外のものにとどまる.内容が 希釈されるほど,客体的に捉えられるものは少なくなっていく.この点で,(27) の 移動のシナリオと each が喚起する走査シナリオは,それぞれ連続体で反対方向に ある.一方では移動によって空間内にのびている経路にそってひろがっている風景 を次々と観察していくのが可能となっている.他方で,each の継起性は完全に一般 化されている:これは,移動にも空間の広がりにも視覚での観察にも限定されてい ない.それどころか,物理領域にすらとどまらない.この抽象的な観念には具体的 な内容といえるものはほとんどない.観察されるべき状況を提示するのではないの で,これはむしろどんな種類の内容にも適用可能な観察の様態なのだと記述した方 がよい.これは主体的に捉えられており,把握の対象-客体だというよりは,その主 体に内在しているのだ. 継起的検分は,誰かがそれに身を投じているのをじぶんが捉えているときには把
握の対象=客体となる(e.g. 将軍が歩兵たちを一列に並ばせて視察しているのを見ると きなど).このオンステージの役割に関連して,each〔の意味〕にそれがしめる地位は
主体化
(subjectification)(§14.2.1)の一例となっている:特定の種類の経験に内在して
いる心的操作 5 が内容から抽象されて別の状況に適用されるのだ.たとえばこの each でなされている個体化
(individuation)
は,物体をひとつひとつ検分することの離
散性を反映しつつ,どんな種類の把握にも当てはめることができる.主体化をとお して,多くの抽象的な意味が日常経験に関連づけられる.each 以外の基盤化量化子 では,たとえば every と any はそれぞれ同時的な観察とランダムな選別に基づい ている.命題的な量化子の all, most, some には,2 つの物体〔の集合〕を重ね合わ せて両者の相対的な大きさを調べるという経験が反映されている.虚構の移動に関 与している走査 (A scar runs from his wrist to his elbow6) には,空間的な経路にそった 移動の継続的な観察〔という経験〕が反映されている. 主体化はしばしば通時的にあらわれる.run のような動詞で虚構の動きをあらわ す用法は,歴史的には客体的に捉えられた実際の動きを記述するというもともとの 意味から発展したものだ.have のような所有動詞は,歴史的には, 「つかむ」 「つか まえる」 「いだく」 「はこぶ」 「える」などを意味する物理的制御の動詞から派生して 5 6
訳註.「操作」の原文箇所は operation;「走査」の誤植ではありません. 「彼の手首から肘に傷痕が走っている」 4
いる (Heine 1997).R が T を制御するのを捉えるとき,そこに内在しているのは参 照点関係で,R は T を理解するときの基礎として喚起される.このように R から T へと心の中で進んでいく作用は,その動詞が一般的な所有の用法へ拡張したとき にも残っていて,特定のどの概念内容からも独立したものとなっている.非常に図 式的な性質となっているため,この種の動詞はたいてい「語彙的」というより「文 法的」とみなされている.このように,主体化は文法化
(grammaticization)
という通時
的プロセスの一要因となっている:これは語彙的なものを起点として文法要素が進 化していくプロセスだ.7 たとえば,英語の法助動詞 (may, will, must, etc.) は歴史的に「~したい」「~しか たを知っている」 「~する力がある」などを意味する動詞から派生しているのを想起 してみるといい:これらはあることの実現へと向かう潜在力や潜勢力を記述してい る(§9.4.3).認識用法においてすら,文法化された法助動詞にはもとの力動性の名残 が残っている.たとえば must があらわすのは強迫・強制(抵抗しえない力)で, may があらわすのは障害の不在だ (Sweetser 1982; Talmy 1988a).この力は主体的に 捉えられており,心的な模擬の一部として経験される.発話時点の現実把握から外 挿して基盤化されたプロセスに「到達する」ときに我々が経験しているのが,この 力だ. あともうひとつ例を挙げると, 「いく」を意味する動詞が文法化して未来の意味に ¯
なるのはよくあることだ.英語の be going to はまさにそうした進化の経路をたど っている.Tom is going to mail a letter は,到着したら手紙を投函しようという意 図をもって着点へと空間的経路をトムが進む〔「トムは手紙を出しに行っている」〕のを記 述することもなくはない.しかし,それよりありそうなのは,たんにこれからトム は手紙を出す(ひょっとするとマウスをクリックするだけで)のだという意味の方だ. 前者の場合だと,把握主体は時間を走査して主語〔の指示対象〕が空間を移動するの を追跡する.一方,未来解釈では,この主体的な時間的走査はどんな空間的移動の 把握からも独立して生じている.これは,ある出来事の時間軸状の位置を心的に査 定する方法にすぎない. すべての文法標識がこのようにしてできあがると主張するつもりはない.ただ, 驚くべきことに,多くの文法的な観念がおそらくは日常的経験の基本的な諸相の主 体的な対応物となっている.この諸相を概念祖型
(conceptual archetype)
という.ここで,
我々の議論の相当部分を枠づけている CG の一般的な提案(§2.1.2)へと舞い戻るこ [fn.36] Haine, Claudi, and Hünnemeyer 1991; Hopper and Traugott 2003; CIS: ch. 12; GC: ch. 10 参照.この “subjectification” という用語の通常の用法〔「主観化」〕は,ここでいうのと関連し ているものの少し違っている.Traugott (1982, 1989) で定義されているように,「主観化」は意 味が客観的に認識できるものから心的・テクスト的な領分へと移行してゆくことをいう──たと えば while が時間的な意味から「譲歩」の意味へと拡張されるのがこれにあたる(‘at the same time’〔同時に〕 > ‘although’〔にも関わらず〕).主観化についてこれ以外の見解は,Athanasiadou, Canakis, and Cornilie 2006 を参照. 7
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とになる.根底的かつ普遍的な文法的観念のなかにはプロトタイプと図式で意味論 的に特徴づけられるものがある,ということが示唆されている.プロトタイプ的な 意味を提示するのは,客体的に捉えられた概念祖型だ.図式的な意味は領域独立的 な認知能力に属しており,最初は祖型にあらわれ,のちに他の経験領域へと拡張さ れる.明らかに,プロトタイプと図式のこの関係は主体化に他ならない:祖型的な 把握に内在している心的操作は使用される内にやがてその内容から抽象されて他の 状況へと適用される. 最低限,この提案はすでに名詞・動詞・主語・目的語・所有格についてなされて いる.これらにどう適用されているか,手短に振り返っておこう. 1. 所有格の図式的な基礎はターゲットへ心的にアクセスするのに参照点を喚 起する概念走査である.この心的な進行は,所有・親族関係・全体-部分関係・ 所有の祖型の把握に内在している. 2. 主語と目的語も参照点で図式的に定義される.これらはプロファイルされた 関係のトラジェクターとランドマークに対応している.i.e. それぞれ一次 的・二次的なな焦点参与者となっている.これらが焦点として際だつのは, そのプロファイルされた関係全体を把握していく過程でアクセスされる第
一の参照点と第二の参照点となっていることによる.このトラジェクターか らランドマークへの心的な進行は,動作主が被動者に作用するのを把握する ことに内在している.主語と目的語がそのプロトタイプ的な値をとるのは, こうした相互作用を記述する節においてだ. 3. 動作主-被動者の相互作用は動詞にとってもプロトタイプ的だ.じっさいにそ うした出来事を観察するとき,我々は継起的にこれを走査する:どの時点に おいても,観察できるのはその瞬間に展開している状況だけでしかない.あ らゆる具体的な内容からも抽象されつつこの図式的な特徴づけが反映して いるのは祖型的な経験のこの側面だ.動詞はプロセスをプロファイルする. プロセスとは,時間とともに進展してゆく継起的に走査される関係だ. 4. 最後に,名詞はモノをプロファイルする.これはグループ分けと物象化の産 物として抽象的に定義される.こうした心的な操作は,名詞にとってプロト タイプである物理的な物体の把握に内在している.
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