Rauhankatu Fredsgatan
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Piispankatu Biskopsgatan
Raatihuoneenkatu Stadshusgatan
Lundinkatu Lundagatan
Mannerheiminkatu Mannerheimgatan
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Runeberginkatu Runebergsgatan
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Aleksanterinkatu Alexandersgatan
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Jokikatu Ågatan
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a) アートファクトリー
d) ルーネベリ公園
j) ウォルター・ルーネベリ彫刻コレ
アートファクトリーは2012年にオープンしまし た。 この施設の中では様々な展覧会が開催されている ほか、映画やコンサートを鑑賞することもできま す。また、買い物やレストランやカフェでリラッ クスした時間を過ごすこともできます。 新しいツーリストインフォメーションポイントも 併設されていますので是非ご利用ください。
公園にある国民的詩人のJ.Lルーネベリの息子であ り彫刻家のウォルター・ルーネベリが製作したル ーネベリ像は、ポルヴォーで毎年2月5日に祝され るルーネベリの日には重要な役割を果たします。
コレクションは100以上の彫刻と大型の人物像が メインで、夏季のみオープンしています。
b) アウグスト・エークロヴ公園 アウグスト・エークロヴ(1837–1912)と彼が設 立した製材所、工場、林業、荷船などの事業はポ ルヴォーの人々にとって100年間にわたって重要 な雇用を供給しました。 この公園はエークロヴが工業用に所有していた土 地でしたが、2009年に開放され、ポルヴォー議会 の200周年記念を祝してキルシ・カウラネンとユ ルヴァ・ホーレンデールの作品が選出され、表彰 されました。
c) 西の川岸の新木造街地区 このモダンな建築が特徴の地区は、ポルヴォーの 川辺に並ぶ昔ながらの赤い倉庫に倣ってつくられ ました。
e-h) ポルヴォーのマーケット広場 マーケット広場(e)はポルヴォーの中心的存在で す。周辺には市庁舎(f)、ショッピング―センタ ーのLundi(g)や多目的文化センターのカルチャ ー・ハウス・グランド(h)などの様々な店や公共 施設があります。マーケット広場では一年を通し て新鮮な野菜や魚、果物や花などを買うことがで きます。また、広場のカフェは街の人々が近況を 話したり、意見交換をする場として重宝されてい ます。
i) ボルゴー・ギムナジウム・スクール ボルゴー・ギムナジウム・スクールはスウェーデ ン語話者のための高等学校で、1840年代に設立し ました(ボルゴーはポルヴォーのスウェーデン語 の名前です)。ここはJ.L.ルーネベリがラテン語と ギリシャ語の教鞭を執ったことでも有名ですが、 附属の図書館はフィンランドの最も古い公共図書 館としても知られています。学校は一般の人々に は開放されていません。
クション
k) J.L.ルーネベリの邸宅 街の中にある19世紀半ばの典型的な帝国スタイ ルのこの邸宅は、かつてルーネベリとその家族 が、1852年から彼の晩年の1877年まで住んでい た家です。 家の中に残された家具や物品などから、ルーネベ リの家族の日々の暮らしと社会との関わりを見る ことができます。
I) Jokiranta(ヨキランタ)–川沿い 心地よい川沿いの道には夏の間、レストランやカ フェなどが並び、ヨットやクルーズなどが停泊す る港の景色を楽しむことができます。
m) アレクサンテリンカトゥ(=アレ
クサンドルの道)の橋
建築家のミッコ・カイラが設計した橋は2004年の 秋に建てられました。
Published and copy by: Porvoo City Tourism and Marketing Unit, Photos by: Oscar Lindell and Porvoo City Tourism and Marketing Unit, Layout and make-up by: Oy Preesens Ab, Printed by: Newprint Oy, We reserve the right to make changes.
ポルヴォーを探検しよう!
ポルヴォーを歩こう!
ポルヴォーはフィンランドで2番目に古い街です。世界中 の人々がポルヴォーの旧市街を見るためにここへ集まりま すが、この特別な街を目の前にすると、それも不思議では ありません。街を歩き回って美術館を訪れたり、美味しい ご飯や飲み物を味わったり、のんびりとした時間を過ごし たり―オススメのポルヴォーの過ごし方です。
ポルヴォー市ツーリストインフォメーション Taidetehdas, Art Factory Läntinen Aleksanterinkatu 1
ポルヴォーのウォーキングルー 「ブリッジ」:夏季の情報とレンタル自転車について トとサイクリングルート (5月22日から8月30日まで) Nomadi から携帯電話へダウン Mannerheiminkatu Bridge, Jokikatu 35 b ロードはこちらから: +358 40 489 9801, tourist.office@porvoo.fi www.citynomadi.com
visitporvoo.fi
ウォーキングツアー
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Krämaregatan
8 Kyrkogatan
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Piispankatu Biskopsgatan
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Broback
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Berggatan
Mannerheiminkatu
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Rihkamakatu
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Mannerheimgatan
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Kirkkokatu
K.「東の長い道」~「角小道」
Kyrkotorget
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フィンランドの国民的詩人ユーハン・ルードヴ ィーグ・ルーネベリとその家族はポルヴォーの4 つの家に住みました。 1837年の最初の住まいは Lukiokuja(高校小道)の4番地で、ルーネベリ自 身がラテン語とギリシャ語を教えていたグラマー スクール(ルートH参照)のそばにありました。
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Kirkkotori
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Jb 高校小道
Papinkatu
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このルートは冬季の間は通行できません。昔話に よれば、悪魔がこの岩を階段に変えたということ です。 この階段の上や近くの小さな公園からは、 素晴らしい光景を一望することができます。
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ルートEa(冬季以外)は川の土手から古い大砲ま で伸びている道で、継続戦争(1941–44)の際に戦 闘のために使われていたものがそのまま運ばれて きました。 ルートEbは川の土手から始まって墓地まで続く砂 利の道です。ナシンマキ墓地は1789年に造られ た墓地で、国民的詩人であるユーハン・ルードヴ ィーグ・ルーネベリ(1804–77)とその妻フレド リカ(1807-79)が眠っているほか、彫刻家のヴィ ッレ・ヴァッルグレン(1855-1940)も埋葬されて います。
Fredsgatan
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2つのオススメコース:ルートEaま たはルートEb
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(悪魔の階段)、学校小道
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Jokikatu
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折り重なるように造られたのどかな小道や裏道の 中の住宅街の中を走るこの2つの道を歩くと、様々 な家々やコミュニティーで使うために造られた中 庭を目にすることができます。 この地区は1760年 の大火災の被害から逃れた貴重な地区です。
L. A.エデルフェルトの像 アルベルト・エデルフェルトは1854年、ポルヴォ ーから4キロ離れたキーアラで生まれました。 この像は彼が生まれた領主館の方を向いていま す。 若いエデルフェルトは学業をパリで修めまし たが、夏になると常にポルヴォーに戻って来まし た。 ポルヴォーの永久不滅に美しい景色を描いた エデルフェルトは、フィンランド国民から最も愛 される芸術家の一人です。 また、エデルフェル ト・スタジオ・ミュージアムはハイッコという町 にあります。 像の背後にあるオッレアウス裁判官 の家ではポルヴォー会議の際、農民議会が開かれ ました。 現在は中庭の建物はレストランになって います。
M. Vuorikatu(ヴオリカトゥ=山通り) 1760年のポルヴォーの大火災はこの通りから始ま り、町にあった293の家屋のうち、200以上が全焼 しました。大火災の原因は朝の短い時間に調理さ れていた魚のスープでした。調理をしていた主婦 が目をはなした隙に、火は瞬く間に燃えあがって しまったのです。恐ろしい火災を経験したポルヴ ォーの人々でしたが、力強い決意で古い石の土台 の上に家々を再建しました。
N. リンセン公園
Porvoonjoki
E. 川沿いに並ぶ倉庫群 ポルヴォーといえば川の土手に並ぶ赤く塗られた 木造の倉庫が有名です。 かつては貨物を海から川 からへと運ぶために船が出入りしており、 川の両 岸に並ぶ建物は商人たちの倉庫として利用されて いました。 橋から臨む川の景色は非常に見応えが あります。
Ja Pirunportaat
Rauhankat
Rahlingensgränd
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C. 旧市庁舎
スウェーデン王グスタフ3世やロシア皇帝アレク サンドル1世など、たくさんの歴史的な人物が ポルヴォー議会の開催中、J.E.ソリタンダーの家 (Jokikatu・ヨキカトゥ=川通り)の12番地)に 滞在しました。この家から大聖堂までの木の道は、 アレクサンドル1世の足が濡れないようにとの心遣 いによって造られました。現在この家は個人が所有 しています。
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H
B. シモリンの家
D. ポルヴォー「城」
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K
Östra Långgatan
Koulukuj
古い銀行が所有するこの建物は、19世紀のはじめ に建てられたアステニウスという宿があった場所 です。そして、フィンランドの国民的詩人である J.L.ルーネベリが初めてポルヴォーを訪れた際に泊 まった場所として知られています。フィンランド全 土で愛されるルーネベリのケーキはこの宿のパン屋 が発祥だと言われています。
フィンランドで最も古い市庁舎の一つで、1764年 に完成し、さらに数年のちに塔が建てられました。 設計は市会議員のラーリングによって寄贈されたた め、建物のある角から伸びる狭い小道はRahlinginkuja(=ラーリングの小道)と名付けられました。 また、1809年に行われたポルヴォー議会の期間、 貴族と中産階級による三部会が開催されたのもこの 市庁舎です。 現在この建物はポルヴォー美術館となっています。
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A. ヴァルティモ館
フィンランド最古の百貨店である、黄色い石でで きたこの建物は、1854年から現在もなお営業中で す。シモリン家はマンネルヘンミ通りの橋のそばに 建つ背の高いレンガの倉庫も所有していましたが、 現在は新しい持ち主の所有物となっています。
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Itäinen Pitkäkatu
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ポルヴォーの旧市街を散策し ましょう! 建築やアート、手 工芸品やアンティークなど、 ここには年間を通して見どこ ろがたくさんあります。 ルー トが掲載されている周辺地図 の範囲は2キロです。
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F. 古い橋
G. ポルヴォー大聖堂
H. 参事会集会所
I. 司教館
トゥルクからヴィボルグ(以前はフィンランドの主 要な街で、現在はロシア領)から伸びるKuninkaantie(王の道)は素晴らしい湾岸沿いの道路として知 られています。かつては旅人は、ここに架かる古い 橋を渡ってポルヴォーまでやってきました。 川岸の倉庫群や大聖堂、そしてまるで絵の中にいる ような旧市街へと続く美しい風景はこの橋から始ま ります。また橋のそばには昔、汽車の駅がありまし た。今日では夏季に、ミュージアム・トレインがポ ルヴォーまで走り抜けます。駅構内は手工芸品やイ ンテリアデザイン、美術品などを取り扱う会社がい くつも入る建物へと変貌を遂げました。
最初の教会は13世紀の後半から14世紀の前半にかけ て、丘の上に建造されました。 現在の教会は1450年代に建立されたものです。 数 世紀の間に破壊や略奪を経験しましたが、1723 年、ヴィボルグの大聖堂の座席がロシアとの国境の 外側に取り残された際、大聖堂として献堂されまし た。 1809年のポルヴォー議会の開会・閉会式はこ の大聖堂で行われ、この歴史的な出来事を記念して ロシア皇帝アレクサンドル1世の像が建造されまし た。 2006年の放火によって火災の打撃を受けまし たが、2008年の11月に修繕され再び落成が祝われ ました。
ポルヴォーのグラマー・スクール(中学~高校に あたる)の建物は1759年に設立され、高等学校と して1850年まで使用されました。 また、1809年 のポルヴォー議会の際には聖職者が招集され、皇 帝アレクサンドル1世が開会宣言を行いました。議 会を祝しダンスパーティーが開かれたのもこの建 物の上階のホールです。 このダンスパーティーで 扇を落とした若い女性、ウッラ・モッレルスヴァ ール嬢の美しさにアレクサンドル1世が目を奪われ て2人の関係が始まったと言われています。 現在 この建物は参事会集会所として、ポルヴォー大聖 堂と市庁舎とともにフィンランドの国定史跡に認 定され、保護されています。
ポルヴォーにスウェーデン系フィンランド人のキ リスト教区の司教席が設立されたのは1923年のこ とです。 1927年には司教の公式な邸宅が完成し ました。 そして2009年、ビョーン・ヴィクスト ローム司教が就任しました。
ガブリエル・リンセン(1838–1914)はポルヴォー のグラマー・スクールの音楽教師であり、また素 晴らしい作曲家でした。そして、フィンランド初 の女性写真家である妻のナタリアは、ポルヴォー の政策や教育の分野でも精力的に活躍しました。 夫婦はこの公園の近くに住み、その後ポルヴォー の帝国スタイルの地区へと移り住みました。毎年2 月5日には、ガブリエル・リンセンとその生徒たち は近所に住む詩人のルーネベリの家を訪れ、窓の 下で歌を歌って彼の誕生日を祝いました。その伝 統は今日まで受け継がれています!
ATM 郵便局 公衆トイレ