インタープリター養成セミナーテキストブック02

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インタープリター養成セミナー

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テキストブック

日本文化の多様性と 伊勢神宮の インタープリテーション

伊勢観光再始動事業協議会


Index 01 日本文化の多様性 02 伊勢神宮の魅力 03 インタープリターへの提案 日本文化の多様性とその重要性を深く理解し、伊勢神宮の歴史、文化、観光客に向けて効果的に 情報を提供する方法を学ぶ。

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講師プロフィール

髙橋 政司(Masashi Takahashi) 一般社団法人日本地域国際化推進機構 顧問 ORIGINAL Inc. 顧問 1989 年 外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共 和国などの日本大使館、 総領事館において、 主に日本を海外に紹介する文化・ 広報、日系企業支援などを担当。2005 年、アジア大洋州局にて経済連携 や安全保障関連の二国間業務に従事。2009 年、領事局にて定住外国人との 協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件 緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。 2012 年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET 事業部長を歴任。2014 年以降、 UNESCO 業務を担当。 「世界文化遺産」 「世 界自然遺産」 「世界無形文化遺産」など様々な遺産の登録に携わる。

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日本文化の多様性 01.1 日本人の信仰心 01.2 世界遺産 “富士山” 01.3 無形文化遺産 “和食”

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01.1 日本人と信仰心

日本人は “無宗教” という傾向がある。 これは、大多数が宗教団体に「入ろう」と意 識的 に決めていないからだろう。また、仏 教の宗派の 教義や、神社のご神体の詳細に はあまり関心がな い人が多いといった理由 もある。 しかし、初詣や墓参りといった「宗教的」な 行事 には参加し、無病息災、受験合格、商 売繁盛など を祈願する。 西洋的な意味での宗教心はなく、日本独特の 文化 的な意味で宗教的といえるだろう。

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日本人は “ 仏教徒 ” ?

徳 川 時 代(1603〜1868 年)に は、一家 の 全

導くことでも、困った時に助けることでもな

員が " 仏教徒 " になった。幕府はキリスト教

い。地域住民を登録し、政府のために彼らを

を危険な宗教とみなし、弾圧。日本人に、仏

追跡することであった。その結果、仏教は活

教寺院の檀家(だんか)として登録すること

力を失い、多くの人々が僧侶や寺院を恨むよ

で、自分がキリシタンではないことを証明す

うになる。しかし、地域の寺院の住職は、葬

るよう求めた。正式な登録がなければ、婚姻

儀を執り行うという、会員にとって貴重な奉

届を出すことも、旅行するための正式な通行

仕を行うようになった。

証を手に入れることもできなかった。 現 代 の日本人は、自分 の「菩 提 寺」が ど の 宗 また、キリスト教を信仰していると疑われる

派に属しているのか知らないかもしれない。

ことにもなる。そのため、各家庭は自然に、

彼らにとってはどうでもいいことなのだ。そ

一番近い寺、それほど遠くない人気のある寺、

の宗派や他の宗派の特別な教えもあまり気に

あるいは人気のある住職のいる寺へ行き、家

していない人が多いだろう。そして、仏教に

族全員を檀家として登録した。それは、葬式

ついて学ぶ機会も動機もほとんどない―人生

や法事などの機会に行われる寄付という形で

の終わりに近づいたり、親しい家族が亡く

あった。

なったりするまでは。

これにより、仏教は主に死と関わる宗教であ るという考えが生まれたのである。このシス テムはまた、僧侶を公務員へと変えた。彼ら の仕事は仏教を説くことでも、人々を悟りに

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鎌倉の大仏/神奈川県鎌倉市長谷

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なぜ日本人は “ 神社” と “ 寺 ” の 両方に行くのか 基本的に日本人は宗教に関して排他的ではな い。神や仏、その他の精霊は、ご利益を与え てくれるくれる対象である。だからほとんど の日本人は、神道の神に健康を祈ったり、正 月に仏教寺院を訪れたり、キリスト教式の結 婚式で結婚したりすることをためらわない。 このことに何の矛盾も感じないのである。 しかし、こうした行為への参加は、むしろカ ジュアルなものであることを認識するという ことが重要である。こうした「宗教的」行事 に参加すること自体は、特定の信仰や宗派に コミットする必要はない。ただ、祈りや儀式、 読経、参拝などによって、助けや利益、守護 を求めたり、感謝の気持ちを表したりするだ けである。歴史を通じて、 日本人はこのよう にしてきた。 日本人は歴史的に行ってきた、その伝統を維 持しているだけなのだ。

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伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)/京都市伏見区深草

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日本の自然崇拝の特徴 古代の日本では、 自然には神(カミ)が住み、 天と地の間で交流する場所だと信じらていた。 日本人は自然とその力に深い感謝と敬意を抱 いており、川や滝、海を使って浄化(ハライ) を行った。 山岳信仰は特に重要であった。 古代の人々は、 自然が神聖なものだとし、美し い場所はそれ自体が崇高であると信じていた。 そのため、 自然のパワーや美しさが感じられる 場所に神社を建てたのだ。 今日、 自然崇拝は日本人の宗教性の根底にある。

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“ 山の神” と “ 田の神 ” とは

昔の日本では、 山の頂上には神が住んでいると 信じられていた。春の田植えから秋の収穫ま で、稲作の季節になると “山の神” が田んぼ に降りてきた。農民たちは春になると、彼ら を “田の神” として祭りをして迎える。実り の秋、農民たちは “田の神” に感謝の気持ち を伝え、“田の神” は山に帰っていった。

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丸山千枚田(まるやませんまいだ)/三重県熊野市紀和町丸山地区

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石鎚山(いしづちざん)/四国山地西部

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山岳信仰とは 山は長い間、3 つの理由で崇拝されてきた。 第一に山は神であり、第二に山には神々が住 んでいると考えられていた。これらの神々に は、 生者を助ける死者の霊や、春になると田ん ぼに降り、収穫が終わると山に帰る田の神も 含まれている。第三に、彼らは “あの世” に 近かった。 山の上からは死者の霊と交信しやす い。御嶽山 (長野県と岐阜県の県境) 、恐山 (青 森県) 、富士山などの山は特に縁起がよいとさ れていたのだ。 古代、 人々は富士山を女性の “山の神” として 崇めていた。平安時代には、富士山は修験道 の中心となった。富士登山は何世紀にもわたっ て宗教的な行為であり、しばしば浄化の行為 とみなされてきた。

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01.2 世界遺産 “ 富士山 ”

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富士山は、標高3776m の日本 最高峰 の 活火

の結成や浮世絵に富士山が登場するなど、日

山である。2013 年 6月に開催された「第 37

本人の身近な存在となった。富士山の大きな

回世界遺産委員会」において、「富士山−信

特徴は、信仰と芸術の領域を通して、人と自

仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産に登

然が共存していることである。

録された。 このような歴史と文化に関連する 25 の場所 登録の理由としては、富士山が日本人の自然

から成る富士山は、後世に残すべき世界の宝

観や日本文化に大きな影響を与えていること

として、ユネスコの世界遺産委員会に認定さ

などが挙げられている。かつては噴火を繰り

れた。

返すことで恐れられていた富士山は、 「富士講」

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世界遺産とは

1972 年のユネスコ総会で採択された「世界の 文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」 。 「世界遺産」とはこの条約に基づき、世界遺産 委員会によって後世に残す価値のある文化遺 産または自然遺産として選定されたものを指 す。 世界遺産に登録されるためには、顕著な普遍 的価値(人類にとってかけがえのない価値で あり、国境や世代を超えた価値)を有し、将 来にわたって保存・管理される体制が整って いることが必要である。

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世界遺産エンブレム/ UNESCO

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絹本著色富士曼荼羅図/富士山本宮浅間大社所蔵

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富士山と “ 信仰 ” 富士山は日本で最も高い山であり、 日本人にとっ

修験道の修行者たちに導かれて山頂を目指す

て神聖な場所である。古来信仰の対象であり、

ようになった。17 世紀以降、 富士山信仰は「富

日本人の自然観に大きな影響を与えてきた。

士講」と呼ばれ、多くの富士講信者が麓の霊 場を巡礼するようになる。また、登山者をサ

その昔、富士山が頻繁に火山活動をしていた

ポートするための「お宿」なども作られた。

頃、 人々は麓から山頂を見上げ、遠くから拝ん でいた。噴火が沈静化すると、 日本の伝統的な

現在も夏の登山シーズンには多くの登山客が

山岳信仰と外来宗教である仏教を融合させた

山頂を目指し、御来光を拝んだり、 火口縁を歩く

「修験道」の中心地となる。多くの修験道信者

「お鉢めぐり」をしている。

が、富士山の頂上を目指して登りながら参拝 した。その後、 「道者」と呼ばれる一般人が、

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富士山と“ アート” 雄大さと美しさを併せ持つ富士山は、日本人 だけでなく、海外の芸術家たちにも芸術的な インスピレーションを与えてきた。数え切れ ないほどの芸術作品を生み出し、絵画、文学、 詩、演劇の題材にもなっている。 8 世紀に編さんされ、現存する日本最古の歌 集である「万葉集」や、日本最古の散文物語 である「竹取物語」などの古典のほか、俳句、 漢詩などにも登場する。19 世紀には富士山 を描いた浮世絵が流行し、葛飾北斎の「富嶽 三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」 など特に有名である。 これらは海外にも輸出され、フィンセント・ ファン・ゴッホやクロード・モネといった西 洋の画家たちにも大きな影響を与えた。また、 横山大観のびょうぶ絵「群青富士」や夏目漱 石、太宰治の文学作品にも描かれている。

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「富嶽三十六景」の「赤富士」(厳葛飾北斎)

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「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」 (厳葛飾北斎)

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海外に与えた影響 19 世紀初頭の浮世絵に描かれた富士山の姿 は、海外の芸術家たちにも影響を与えた。フ ジサンを描いた木版画「富嶽三十六景」シリー ズはヨーロッパで人気を博し、フィンセント・ ファン・ゴッホやクロード・モネといった印 象派の画家たちは、浮世絵の色彩表現に影響 を受けたといわれている。 音楽家のクロード・ドビュッシーが交響詩 「ラ・メール」を作曲した際、インスピレーショ ンを得るために「富嶽三十六景」の「神奈川 沖の大波」の複製を部屋に飾ったと伝えられ ている。この「大波」は、後に出版された「ラ・ メール」の初初版楽譜の表紙にもなった。ま た、版画家のアンリ・リヴィエールは、「富 嶽三十六景」に着想を得て、「エッフェル塔 三十六景」と題する一連のリトグラフを制作 した。

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01.3 無形文化遺産 “ 和食 ” 2013 年 12月、和食は「日本人の伝統的な食

登録の際、和食には、以下の四つの特徴があ

文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録さ

ると定義された。

れ た。「和食」と い う言葉 は、「和」と「食」 という 2 つの要素から成り立っている。「和」

(1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重

は日本を、「食」は食べることを意味する。

(2)健康的な食生活を支える栄養バランス (3)自然の美しさや移り変わりの表現

和食は、日本の地理的、気候的、地域的特徴 から発展した食材として広く認知されている。

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(4)お正月などの年中行事との密接な関係


※参考動画

Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese, notably for the celebration of New Year(UNESCO)

画像:Youtube / Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese, notably for the celebration of New Year :UNESCO より (URL:https://www.youtube.com/watch?v=Xtnwt-Jq93E&t=52s)

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大晦日に「そば」、正月に「おせち料理」

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日本人の多くは、年の瀬である 12 月 31 日の

まり、 長い歴史の中で変化しながら受け継がれ

大みそかに「そば」を食べる。これは「年越

ていき、 今の形となった。始まりは弥生時代で、

しそば」とも呼ばれ、“そばを食べて年を越し、

定着したのはのは平安時代ごろといわれてい

よい新年を迎える” という意味がある。そば

る。重箱に詰めるようになったのは江戶時代

を食べるのは、そばのように “元気で長生き”

末期から明治にかけて。昭和に入ってから「お

するためと考えられている。また、江戶時代、

せち」と呼ばれるようになった。暦の上で季

金銀を使う職人たちが、仕事中に散らばった

節の変わり目となる五節句に無病息災を願っ

金銀をそば団子に集めたという。つまり、そ

て食べられ始めたため、 「おせち料理」と名付

ばを食べることは金銀を集めることに通じて

けられたといわれている。五節句の中でも新

いたのである。

年を迎える 1 月 1 日は特に重要な日と考えら れていた。そのため、豪華な食材を使って作

一方「おせち料理」は、中国の暦が伝わり、

られるようになり、正月料理として定着して

季節の変わり目である節句のお供えとして広

いったのだ。

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なぜ食事をする時に 「食器」を持つのか

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茶わんなどの食器を持つ食べ方は、日本独特

を落とさないようにおわんを持って近づける

の食文化だといえる。

必要があったのだ。また、食べ物は神様から の大切な贈り物であり、おろそかにしてはい

欧米の多くの国では、フォークやスプーンで

けないものだと考えられていた。そのため、

食事をするが、食器はテーブルに置いておく

食器を持って食べることで感謝の気持ちを表

のが一般的である。カトラリーを使わず手で

していたという説もある。もちろん、あらゆ

食事をする国でも、食器は持たない。韓国の

る食器を持って食べるわけではない。大皿に

人たちは、日本人同様箸を使うが、食器は持

盛られた魚などは箸で食べ、お皿はテーブル

たない。

の上に置いておく。

なぜ食器を持って食事をするのか。ーそれは、 畳の上で正座し、お膳(食器を乗せた足の低

現代では、お皿に盛られたご飯を食卓で食べ

い台)で食事をしていたからだといわれる。

ることが多いので、食器を手に持って食べる

おわんから口までの距離が遠いため、食べ物

こともそれほど多くはない。

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東京で食べる寿司を なぜ「江戶前寿司」と呼ぶのか

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東京で食べる寿司をなぜ「江戶前寿司」と呼 ぶのか 今や寿司は、外国でも人気があり、 世界中で食べられている料理である。しかし、 日本ではいつから食べられるようになったの だろうか。 寿司はもともと東南アジアの国々で魚類を保 存するための知恵として生まれた、魚を塩と 米飯で発酵させた食品である。日本には奈良 時代(8 世紀頃)に中国から伝わったといわ れている。当初、寿司は「なれ寿司」と呼ばれ、 なじみのある魚を漬け込み、塩と煮た米で発 酵させたものだった。その後、幾多の変遷を 経て、江戶時代末期に現在の寿司の原形であ る「江戶前寿司」が登場した。

当時、屋台で売られていた寿司は、握ってす ぐに食べられる「握り寿司」だった。寿司の 語源は「酢飯(すめし)」で、酢飯を酢で締 めたものだといわれている。では、なぜ東京 で食べる寿司を「江戶前寿司」と呼ぶように なったのだろうか。 「江戶前」とは「江戶前の海」のことで、「江 戶湾」のことである。「江戶湾」には黒潮の 分流が次々と流れ込み、プランクトンが豊富 なため、それを追ってさまざまな魚がやって くる。豊かな漁場である江戶湾で獲れた魚介 類を使った江戶の寿司が「江戶前寿司」と呼 ばれるようになったのだ。

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Point

日本が有する文化の多様性の背景には、 信仰心の源泉であるアニミズムが深く関係している

「“ 有形の価値 ” に潜む “ 無形の価値 ” を読み解く」 伊勢神宮には川や森などの自然に加え、鳥居、神殿、橋などの “有形の価値” が存在するが、 それらは“無形の価値”によって支えられている。だからこそ、 “有形の価値”に潜む“無形の価値” を読み解くということが重要である。

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伊勢神宮の魅力 02.1 皇大神宮( 内宮) 02.2 豊受大神宮(外宮)

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02.1 皇大神宮(内宮)

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式年遷宮は アンチ SDGs ではない 伊勢神宮の魅力を伝えるためには、まず 20 年に一 度行われる「式年遷宮」の本質的な 価値を理解する必要がある。 「式年遷宮」は、20 年ごとに社殿の建替えや 神宝の更新を行う神事だが、「20 年に一度、 社殿を新しくする行事」と安易に捉えている 人も多い。あえて壊してしまうのはもったい ない、エコではないと考えている人も少なく ないだろう。 しかし、実際にはその逆なのだ。「繰り返す」 という性質が、伝統や技術を伝承させ、伊勢 神宮の森の循環に寄与している。 例えば、木は無限に成長し続けるものではな い。成長を終えた木や、木が密集している箇 所では、新しく生えてきた木は光合成を効果 的に行うことができず、栄養不足になり、朽 ちてしまう。木材は「究極のカーボンストッ ク」ともいわれており、炭素カーボンを排出

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吸収するのは、燃やす時と朽ちる時の 2 回だ け。それ以外の状態では、樹木から木材となっ ても大気中に炭素は放出されず、蓄えられた ままなのだ。時期が 2 回しかない。一度は朽 ちる時、そしてもう一度は燃える時だ。 「式年遷宮」の際には、木材を切り出すと同時 に新しい苗木を植え、森林を循環させている。 森林 の生態系の維持にも貢献している。古い 社殿の木材は、日本国内のさまざまな神社に 奉納され、再利用されており、無駄になるこ とはない。このようにして、資源の無駄を最 小限に抑えつつ、伝統を維持し、環境に配慮 された方式が採用されている。 「式 年 遷 宮」は、2000 年 以 上 も 前 か ら、 SDGs の目的に沿ったサステナブルな取り組 みを実践し続けている事例として、国際的に も希少な存在であるといえるのではないだろ うか。


御杣始祭(みそまはじめ)の後、切株に梢を刺して感謝を表す「鳥総(とぶさ)立て」の様子

成長が期待できる檜にはペンキで印が付けられる

200 年後の為に檜の苗木を植える植樹祭

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“ 常若 ” に象徴される 有形無形文化の伝承に不可欠な 20 年周期という絶妙なタイミング

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かつて、天武天皇が「式年遷宮」を始めた当

その技術を次世代に伝える必要がある。一般

時は、おそらく「神の存在が永遠に良好な状

的に、師匠から弟子への技術伝承には約 20 年

態を保つべき」という意向が強かったのかも

が必要とされているが、もし「式年遷宮」が

しれない。この周期的な儀式がもたらす価値

20 年ごとではなく、100 年ごとに設定されて

を考慮すると、20 年という期間には、特別な

いた場合、宮大工の技術は次世代に受け継が

意義があるようにも感じられる。

れず、失われていた可能性もある。

「式年遷宮」は、建造物の老朽化、清浄な環境 の維持といった目的だけではなく、日本に古 くから伝わる技術伝承に貢献してきたと考え られる。伊勢神宮の建設に携わる職人たちは、

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プロトコル ( 参拝の儀式 ) の インタープリテーションの重要性 古来、伊勢神宮参拝は、二見浦でみそぎをし

はみそぎの儀式を簡略化したものだ。次に伊

て身を清め、外宮と内宮を参拝し、最後に朝

勢神宮へ。まずは、食と産業の神様として豊

熊岳に登るというルートだ。

受大御神が祭られる豊受大神宮(外宮) 、そし て国民の総氏神とされる天照大御神の皇大神

参拝は、二見興玉神社の海で身を清めること

宮(内宮)を参拝する。最後に、伊勢神宮の鬼

から始まる。現代は二見興玉神社に参拝する

門を守るといわれる朝熊岳金剛證寺へ。伊勢

ことで みぞぎ (浜参宮) としている。手水舎 (て

神宮へお参りする人々はこのお寺にも参詣す

みずや、ちょうずや)は「心身を清めるみそ

るのが習わしであった。

ぎの場」という意味があり、手と口を洗うの

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日常と非日常を 感じることの大切さ

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なぜ、こんなにも時間をかけて参拝をする必

ドバックも大きくなる。

要が あるのか。 神域へ入る前に「日常」を手放すのが大切な それは、参拝者を「非日常」へと誘うためで

ことであり、頭を空っぽにした状態で、時間

ある。もし、なんの苦労もなく、内宮への参

に捉われずに、ふらりと訪れるくらいがちょ

拝だけで終わらせてしまったら、きっと伊勢

うどいい。ただそこにいるだけで、ありとあ

神宮の良さを 100 分の 1 も体験せずに帰るこ

らゆるものから解き放たれていくような感覚

とになるだろう。

になったり、インスピレーションが湧いてき たりするだろう。

日本特有の宗教・神道の中に「ハレ(非日常) とケ(日常) 」という考えがある。巡礼の道の

伊勢神宮は、そんなセレンディピティが得ら

りが長ければ長いほど外宮、そして内宮で得

れる場所なのである。

るものが大きくなり、ハレ(非日常)での体 験が大きければ、その分ケ(日常)へのフィー

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巡礼に拘った 神宮物語に着目した インタープリテーション 伊勢神宮が伊勢に鎮座する背景を知りたけれ

当時、交通機関の整備は進んでおらず、倭姫

ば、 内宮から「風日祈宮」に至る橋を渡る際に、

命は奈良県から出発し、滋賀県や岐阜県を含

立ち止まってみることをお勧めする。2 つの

む約 15 の場所を訪れた中で、この場所が選ば

川が見えるだろう。実際その場所こそが神聖

れたといわれている。

な場所として選ばれた理由だとされている。 古代から川が交わる地は、縁起が良いとされ 簡単に解説すると、2000 年以上前には、内宮

ており、加えて山、清流、海、平野といった

で祭られていた天照大御神は宮中に祭られて

自然の恵みが共存する美しい土地だった。古

いた。しかし、祭祀(さいし)と政治を分け

代人にとっては、正に理想の場所だったので

る必要が生じ、古代日本の皇族である倭姫命

ある。

(やまとひめのみこと)に、新たな神聖な場所 を探す使命が託された。

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02.2 豊受大神宮(外宮)

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食の在り方と感謝の念を伝える豊受の神 命をいただくことの大切さを教える

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とある説によれば、天照大御神は一人では安

その背景には、日本と食物との深い結びつき

心して食事を摂ることができないと考え、丹

が見受けられる。平安時代中期に編さんされ

波国(現在の京都府中部から兵庫県東部辺り)

た法典である「延喜式(えんぎしき) 」の中に

から食物の神である豊受大御神を招き、外宮

ある「祝詞」と呼ばれる部分に「食国(おす

として祭ったといわれている。内宮からやや

くに) 」という言葉が残っている。これは、天

離れた場所だが、食事の神を祀祭るために、

皇が各地の特産品を食べることで、国を統治

五穀が豊かに実るこの広い土地がふさわしい

し、平和と繁栄をもたらすという考え方の発

として、現在の場所が選ばれたとそうだ。

露であった。

この話から、天照大御神がいかに「食」とい

つまり、 「食」の重要性を認識し、それが国内

う要素を重要視していたかがうかがえる。実

の安定に寄与するという古代の考え方に基づ

際に、食事を摂らなければエネルギーが得ら

いて、 「食」の神を祭ったとも考えられている。

れず、生活が成り立たないことを日常的に私 たちも体験している。ただし、多くの神々が 存在する中で、 なぜ「食」に焦点を当てたのか。

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日本人の食文化の 多様性を象徴する外宮

神事では、神への奉納食事である神饌(しん

と呼ばれる葉を食事の下に敷いていた。また、

せん)が供される。 「神饌」は、 「神と食事を

生鮮食品を干物にすることで、グルタミン酸

共にする」という考えに基づき、朝と夕の 2

という栄養素が生まれるそう。加えて、一般

回にわたり、人間が摂る食事と同様の食品と

的な塩と異なり、二見で生産される塩はカリ

量が神に奉納される。これらの調理作業は「忌

ウムやマグネシウムを多く含み、毒消しの効

火屋殿(いみびやでん) 」という建物で行われ、

果もあるといわれている。祭りのため生魚が

供える場所は「御饌殿(みけでん) 」として知

奉納される際は、殺菌作用のあるワサビやショ

られており、どちらも外宮内に位置している。

ウガも供えられることがある。驚かされるの

基本となる献立は、蒸し米である強飯(おこ

は、古代の人々がこれらの技術や用法を熟知

わのような料理) 、二見エリアで生産される自

していたこと、そして食品の腐敗や食中毒を

家製の塩、外宮内の上御井神社でくみ上げら

防ぐ方法を自然の資源だけを用いて実践して

れる水の 3 つだ。明治時代以降、交通や冷蔵

いたことだ。

施設の発展に伴い、魚や野菜なども供される ようになったといわれている。

もちろん、当時から神饌の調理においては、 「必 要以上のものは獲らない」という精神に基づ

興味深いのは、食に関する古代の知恵だ。例

いて、食品の無駄を最小限に抑えるよう心が

えば、神饌は忌火屋殿で調理されてから 御饌

けられている。こうした知恵や価値観、そし

殿に運ばれるまでに時間がかかるので、食品

て神に対する畏敬の念から生まれた古代の食

の腐敗を防ぐために生鮮食品は干物に加工

文化には、敬意を表さずにはいられない。

されたり、腐敗を防ぐ効果のある「トクラベ」

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03

インタープリターへの提案 03.1 伊勢の “無形の価値” を体感するための提案

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03.1 伊勢の “ 無形の価値 ” を体感するための提案

『FOOD ZERO』 フィロソフィーとの親和性 伊勢神宮における SDGs に結び付く取り組み は、「FOOD ZERO(フード・ゼロ)」のフィ ロソフィーとの親和性が高い。 食べる人(神様)と、食事を作る人(神職)、 食材を提供する人(地域の生産者)の関係性 は、一般的に言えば「消費者」「料理人」「生 産者」にそのまま置き換えられる。当インター プリター養成セミナーの講師である髙橋が提 案する「FOOD ZERO」とは、 「生産者」と「消 費者」、そしてその両者をつなぐ仲人として の「料理人」が、それぞれの立場で持ってい る物語・哲学を一つのテーブルを囲んで共有

し、交流することによって、食の文化や持続 可能性についての理解を促進し、お互いの存 在感や共感性をも高めることができる取り組 みのことである。3 つの異なる立場の人々が 紡ぎ出す一つの大きな物語だ。 伊勢神宮のインタープリテーションストラテ ジーの一環として、食の在り方と命をいただ くことの大切さを教える豊受の神を感じるこ とができる交流・体験の提供は、有効な手段 であり、価値のある取り組みになるといえる だろう。

「FOOD ZERO」事業 伊勢市

三重県立明野高等学校 生産科学科畜産専攻の生徒が育て た、豚さんのお肉『伊勢あかりのぽーく』をたっぷり使 用した肉みそを解説している様子

高橋が伊勢の食材を使ったインタープリテーションのデ モンストレーションをしている様子

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『FOOD ZERO』事業とは 当インタープリター養成セミナーの講師である髙橋が提案する「FOOD ZERO」事業は、日本社 会が長年抱える課題に対し、「食」を通して、地域自らが持続的に発展し続けるための力を養う ことを目指している。特にポスト / ウィズ・コロナ期において浮き彫りになった「国内における 食糧調達」問題を解決していくことを主な目的とし、同時に SDGs の目標達成を果たしていくも のとする。

事業ミッション

1、食料自給率の改善 2、フードマイレージの低減 3、フードロス解消

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『FOOD ZERO』で解決できる 3 つの課題

(課題 1)

食料自給率

(課題 2)

フードマイレージ

(課題 3)

フードロス

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『FOOD ZERO』のメリット

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インタープリター養成セミナー テキストブック

『 日本文化の多様性と伊勢神宮のインタープリテーション 』 発行:伊勢観光再始動事業協議会 企画・製作・編集:一般社団法人 日本地域国際化推進機構、ORIGINAL Inc. 監修:髙橋 政司(一般社団法人 日本地域国際化推進機構) 特別監修:音羽 悟(伊勢神宮 神宮司庁 広報室次長)

画像クレジット:Cover・P36・37・38・39・40・41・42・43・44・45・47・48・49・50・51・52(伊勢神宮) 、P5・7・8・ 9・10・12・13・16・17・22・23・24・25・28・29(CC0) 、P14(Takuya Aono /iStock) 、P19・27(UNESCO) 、P20 (Kano Motonobu/CC0) 、 P26(norikko / Adobestock) 、 P30・31(kazoka303030/Adobe stock) 、 P32・33(mnimage/Adobe stock) 、 P55・57・58(ORIGINAL Inc.)

伊勢観光再始動事業協議会

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