今年、芸能生活 周年を迎え第一線を走り続けてきた今
「日本人が持つ心の鍵を開ける旅」をプロデュース
さん
〜イタリア マルケ州〜 歌手 江木 俊夫
関係なく全ての職人を尊敬す
き た 江 木 俊 夫 さ ん は、 年 齢 に
る。 全 く 違 う 世 界 で 過 ご し て
さ ば き の 彼 は、 ま だ 若 く 見 え
が伝わる丁寧さと熟練した手
と目で「良い仕事をしている」
す る こ の パ フ ォ ー マ ン ス は、
明るくまた印象的にアピール
を、 こ の 街 の 工 芸 品 と し て、
面目で地味ともいえる靴作り
靴 を 陽 気 に 作 る 彼 を 見 て、 真
香 り の す る 青 空 の 元、 巨 大 な
め、 我 々 を 楽 し ま せ る。 海 の
靴作りのパフォーマンスを始
景に、一人の地元の靴職人が、
し弾いて周りを驚かせる。
す っ と 自 然 に 手 を 伸 ば し、 少
やはりそこは江木俊夫さんだ。
れたことがない人が多いなか、
ば す。 ア コ ー デ ィ オ ン な ど 触
にある工房にも取材に足をの
名 な 街、 カ ス テ ル フ ィ ラ ル ド
そ こ で、 ア コ ー デ ィ オ ン で 有
またマルケ州は、アコーディ オンなどの楽器の製造も有名。
となったに違いない。
イタリアに来てからという も の、 彼 が 見 る も の 感 じ る も
を与えること」は忘れない。
を 通 じ て、 日 本 自 体 に も 活 力
内 外 に 伝 え る こ と、 そ の 活 動
として日本の素晴らしさを国
も ち ろ ん、 彼 の ラ イ フ ワ ー ク と し て 掲 げ て い る「 日 本 人
える旅の中核に入っていく。
を 感 じ、 そ の 素 晴 ら し さ を 伝
イタリア工芸品と歴史と文化
の 江 木 俊 夫 さ ん は、 肌 で そ の
た イ タ リ ア 中 部 の 州 だ。 今 回
く、 大 自 然 と 伝 統 を 兼 ね 備 え
こ の 州 は、 イ タ リ ア の 職 人 が生み出す伝統工芸品が数多
るマルケ州へ移動。
常に楽しみである。
遺産の街ウルビーノの街も非
て い る。 続 い て、 訪 れ た 世 界
が学ぶべき姿勢であると感じ
を 学 ぶ 姿 は、 多 く の 大 人 た ち
に国内外の伝統文化と工芸品
自分の人生の経験を生かし、 周 り を 楽 し ま せ、 そ し て 真 摯
ぶりである。
も喜ばすエンターテイメント
伴奏の元、歌も歌い工房の人々
弾 い て み た く な っ た よ う だ。
に 作 業 中 の 職 人 に 出 会 う。 ひ
国際的なブランドのメー カーらしい高級感と洗練され
いるのだ。
3分2がマルケ州で作られて
イタリアからの輸出用の靴の
カ ー を 取 材。 と い う の も、 マ
にある高級革のシューズメー
ポ ル ト・ サ ン テ ル ピ ー デ ィ オ
ま ず は、 マ ル ケ 州 フ ェ ル モ 県のコムーネ(自治体)の一つ、
く時がある。
柔 ら か く 優 し い 瞳 が、 鋭 く 輝
の機会をさぐっているかのよ
の 全 て に お い て、 日 本 の 伝 統
る と い う。 そ ん な 彼 も 多 く の
イタリアならではの光景だ。
繊細なアコーディオンの作り
工芸品とのコラボレーション
後輩からも尊敬を集めている
イ タ リ ア 文 化 の 一 旦 を 感 じ、
方 を 目 の 前 に し、 ど う し て も
タ リ ア・ ミ ラ ノ か ら、 中
のに、常に謙虚な姿勢である。
彼の日本の伝統工芸品をプロ
部アドリア海側に位置す
次 に、 海 が 近 い サ ン テ ィ ル ピ ー デ ィ オ の 街 ら し く、 海 辺 デュースする一つのアイデア
イ
のレストランで昼食をとる。
最 後 に は、 ア コ ー デ ィ オ ン の
た 雰 囲 気 の 工 房 の 中 で、 実 際
ル ケ 州 は 靴 の 製 造 が 盛 ん で、
う に 感 じ る ほ ど、 時 お り 彼 の
その美しい海辺のビーチを背
アコーディオンで有名な街、カステルフィラルドで、アコーディオン工房 Brandoni & Sons Accordions 社を訪れ、気さくにアコーディオン伴奏で歌う江木俊夫さん。
サンテルピーディオ・ビーチ前でパフォーマンスする地元の 靴職あ人。目の前の大きな靴が印象的で目を惹く。 マルケ州フェルモ県ポルト・サンテルピーディオの LORIBLU 社
60
マルケ州 イタリア中部アドリア海側に位置する、州都「アンコーナ」。 人口150万人ほどが暮らし、古代ローマ以前からの歴史 をもち、また美しい砂浜・海岸が魅力的。靴製造業が盛んで、 多くのイタリアン・シューズが製造されている。フェルモ の街の中心は丘の上の大聖堂。ローマ時代以前に文明をもっ た “ ピチェーニ族 ” の都市として栄えた後、ローマ帝国の 一部となり、当時の城壁と塔が今もまだ部分的に残る歴史 的な街。尽きない魅力が多く、衣食住の本物がここにある。