ͺ·ΞͻαȜΠ Ȇ ςȜέȁŏŰįĹijĵ
ʴဃƷзܭ ണ ྏ岜ඥ
年は見事なバラの花がたくさん咲きました。何年も 前に小さな鉢植えで買ったこのバラは、どんどん大 きくなるので、庭に地植えにし、毎年、春と秋にきれいな 花を咲かせるのを楽しみにしていたのですが、ここ数年、 だんだんつぼみが小さくなり、あまり良い花が咲かず、そ の上、小枝が密集し、病気になる葉っぱや枝が増えてきま した。 そこで去年、思い切って、木の大きさが半分ぐらいにな るほど、枝を剪定したのです。冬の間、すっかり葉を落と し、小さくなってしまったバラの木を見て、今年はあまり 花は楽しめないだろうなあ・・・と思っていました。 ところが、春になると突然、新しい枝がぐんぐん伸びて きて、みるみるうちに、きれいな葉っぱを茂らせた大きな 株になったのです。見ると、つぼみもかなりたくさんつい ています。病気の葉っぱもありません。それは、驚くほど の急成長でした。 そして、たくさんの美しい花を咲かせてくれたのです。 このバラの木が、こんなに大きな花を咲かせたのは初めて で、色も前より鮮やかです。肥料はずっと同じものを使っ ており、何か特別な世話をしたわけでもありません。思い あたるのは、去年思い切った剪定をしたことだけです。剪 定が、こんなにバラの木を元気にしたのだろうか・・・。 その効果に興味を持った私は、ちょっと調べてみました。
ʻ
庭木の手入れは色々ありますが、枝を切り落として形を 整え、風通しをよくする作業が剪定です。枝葉が密集する と蒸れて、病気や虫が発生しやすくなるので、剪定は、植 物の生育環境を整える上で大切な作業だということがわか
りました。また、不必要な枝葉を取り除くと、 吸い上げた栄養を適切な箇所に集中して送れる ので、植物の抵抗力が強まり、病気にかかりづ らくなるそうです。 さらに剪定には、樹木の成長を促す効果もあ ります。伸び放題にしておくと、栄養が分散 し、ひょろっとした細い枝が伸びてきて、花も 実も小さくなりますが、古い枝を切ると、新し い枝を作る細胞を活性化させることになるそう です。だから、剪定すると、新しい枝葉が育ち、 より美しい花を咲かせるというわけです。 確かに私の庭のバラもそうなりました。この ような剪定の効用を知って、私は聖書にある次 の言葉を思い出しました。 「わたし(イエス)はまことのぶどうの 木、わたしの父(神)は農夫である。わ たしにつながっている枝で実を結ばない ものは、父がすべてこれをとりのぞき、 実を結ぶものは、もっと豊かに実らせる ために、手入れしてこれをきれいになさ るのである。」 − ヨハネの福音書 15 章 1- 2 節
これは、ブドウ園を管理している良き農夫で ある天の神様と、ブドウの木であるイエス様と、 枝である信者たちとの関係についてのたとえ話 ですが、農夫である神様もやはり、手入れのた めに時に剪定をされるわけです。 農夫が木を剪定するのは木の健康や成長のた めですが、もし枝がそのことを理解していない ならば、突然枝を切られて、びっくりしてしま うことでしょう。そして、どうしてせっかく伸 ばした部分を切られてしまったんだろうと悩 み、もしかして農夫は自分に対して何か怒って
いるのだろうか・・・、もう役に立たないと思っ ているのではないか・・・と心配になるかも しれません。 でも、さっきの聖書箇所にもこうありま す。 「もっと豊かに実らせるために、手入れし てこれをきれいになさるのである。 」 手入れ とは、剪定のことです。枝が病気になってい たり、細い枝葉が出すぎてしまっているなら、 元気にするために何かをしなければなりませ ん。農夫が剪定するのは、 木をもっと健康にし、 更に良い実を結ばせるためなのです。 同じことが、私たち人間にも当てはまりま す。神様が私たちの生活の中で伸び過ぎてし まった部分や病んでいる部分を剪定されるの は、その剪定によって、私たちの人生がより 良く、元気なものになるためです。 私たちは日常生活で常に雑多なものに囲ま れており、多くの事に手を出し過ぎて、不必 要な事柄に時間や関心を奪われ、大切なこと に集中できなくなったりします。そのまま放っ ておくならば、私たちの生活も、風通しが悪 くなって体調不良や問題が発生し、お日様の 光がゆき届かない毎日になってしまうのでは ないでしょうか。また、忙しくなり過ぎると 神様との時間が希薄になり、幹であるイエス 様からの養分を十分に受け取れなくなってし まいます。まるで、長らく剪定していなかっ た樹木のような状態です。 考えてみると、去年大病で入院する前の私 の生活もそんな感じでした。突然の入院は、 急に強剪定(強めの思い切った剪定)をされ たような感じで、一気に多くのことができな くなり、様々な活動も停止してしまいました。 私は葉をすべて失い、短く刈り込まれた植物 のような気分で、最初の内は、これから先、 再び葉を茂らせ、花を咲かせることなどでき るのだろうかと落胆しました。 でも、強剪定を受けた翌年にこんなにも立 派に復活したバラを見て、私は神様の愛と知 恵にもっと信頼したいと思えるようになりま した。私たちの人生に起こる様々な試練や困 難は、それが起こった時には痛みを感じ、辛 いことです。でも、そこには必ず、神様から の愛と支えがあることが聖書では約束されて います。最後に、そんな約束の言葉をいくつ か紹介しましょう。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの 勧めの言葉を忘れている、 「わたしの子よ、主(神)の訓練を軽んじてはいけない。主 に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者 を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」 。 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたが たを、子として取り扱っておられるのである。いったい、 父に訓練されない子があるだろうか。 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を 与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、その きよさにあずからせるために、そうされるのである。すべ ての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ 悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって 鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 − へブル 12 章 5 - 7, 10 -11 節 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、 懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。 − 黙示録 3 章 19 節 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さっ たあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがた をいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 − 第一ペテロ 5 章 10 節 見よ、神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の 懲らしめを軽んじてはならない。彼は傷つけ、 また包み、 撃ち、 またその手をもっていやされる。彼はあなたを六つの悩みか ら救い、七つのうちでも、災はあなたに触れることがない。 − ヨブ記 5 章 17-19 節 わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒 めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるか らである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。 − 箴言 3 章 11-12 節
http://www.activate.jp © 2021 Aurora Production, Ltd. All Rights Reserved
ǃȪȷɎȫɡʀɐɿɲʀɝDŽǽ͙ǽ▉̗ǾƸɣʀɨɢʀɀǶǣ╒ⱹǠȍǨƹ
http://www.activated.org