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考えてみれば、 ただで受け取っているものは、他にもたくさんある。 自分の体、自分の命、親や兄弟姉妹、子どもは、神様がくれたもの。 そして、友人や同僚、私が知り合うすべての人は、 みんな神様が出会わせてくれたものだ。 世の中に、お金や努力で得られるものはいろいろあるが、 自分にとってかけがえのないものは、みな神様からの贈りものだ。 それなのに、私たちは神様に感謝することを忘れてしまう。
朝、
散歩をしていると、鳥のさえずりが聞こえて きます。チュンチュンというスズメの声に混 じって、きれいで透き通るような声で鳴いている鳥が いるかと思えば、クークーポッポッと可愛い声を出し ているキジバトもいます。普通の住宅地ですが、林も 点在しているので、耳を傾けるといろいろな鳥の鳴き 声が聞こえてくるのです。 春には、空高く舞うヒバリのさえずりも耳にします。 まるで何かのお祝いでもしているかのような嬉しそう な声です。そんな鳥たちの声を聞いていると、私の心 にも小さな喜びと安らぎが流れこんできます。 このところ、朝のすがすがしい空気を感じながら鳥 たちの声に耳を傾けるのは、私にとって楽しい日課と なっています。わざわざ散歩にいくわけではないので すが、定期的に通っている治療院へ行く時間を朝の早 い時間にしたり、近所のスーパーでの買い物を午後で はなく朝にしたりすることで、朝に外を歩けるように スケジュールしているのです。その日を始めるにあた り、ゆっくり歩きながら瞑想するこのひとときは、心 を調整し、良いスタートを切る助けとなっています。 そんなある朝、いつものように鳥の声を聞きながら 歩いていると、こんな思いが心に浮かんできました。
いつもそこにあるので、 それが尊い贈りものであることに気づかなくなってしまう。 当たり前にあったものがなくなってはじめて、 私たちはその価値に気づく。 ああ、もっとはやくに、そのことに気づいていたなら、 ありきたりの毎日が、どれほど喜びで溢れたことだろう。 でも、今からでも遅くない。 当たり前にあるものを感謝して、一瞬一瞬を楽しもう。 そうしたら、空を自由に翔ける鳥たちのように、 小さな感謝のさえずりが心を明るくしてくれるから。
そんなことを考えながら、物思いにふけっていると、神様が無 料でくださったもので、決して忘れてはならない大切なものをも う一つ思い出しました。それは、魂の救いです。多くの人は、魂 が天国に行けるようになるためには、良い人にならなければなら ないとか、宗教的な決まりを守るとか、何かの修行をする必要が あると考えがちです。でも聖書には、そうではないと、はっきり 書かれています。 「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるの
太陽、空気、風、水・・・
である。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の
自然界にあるこれらのものはみな、神様が造ってくれた。
賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇 (エペソ人への手紙 2 章 8 - 9 節) ることがないためなのである。 」
そして神様は、そのすべてを無料でくれている。 私たちの社会では、 たいていのものにはお金を支払わないといけないのに、 ただでもらっているものがこんなにたくさんある。 ただなのに、どれも価値あるものばかり。 何てすごいことなんだろう。
「しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。 (ロー そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。 」 マ人への手紙 11 章 6 節)
神様は、すべての人の魂が救われて天国に戻ってくることを 望んでおられるので、その恵みによって、ご自分の息子である イエス・キリストを救い主としてこの地上に送り、誰でもイエス
ඥ
を信じて受け入れる人は救われるようにしてくださった のです。
つまり、聖霊を受けると、天からの知恵や洞察、そして力を 受け取ることができるようになるのです。さらに・・・
「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世につかわし、
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、
彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。そ
(ガラテヤ人へ 自制であって、これらを否定する律法はない。 」 の手紙 5 章 22 - 23 節)
れによって、わたしたちに対する神の愛が 明らかにされ (ヨハネの第一の手紙 4 章 9 節) 」 くれたもの。 たのである。
「ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、 同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によっ 神様の愛と恵みによって、魂は救われるのです。でも、 て信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 それだけではありません。神様は別の助け手として聖霊 またほかの人には力あるわざ、またほかの も送ると約束されました。そして聖 、 人には預言、またほかの人には霊を見わけ りものだ。 霊も、やはり、ただ求めるだけで受 「最も大切なものは みな ただ る力、またほかの人には種々の異言、また け取れるようにしてくださったので 太陽の光 野や山の緑 ほかの人には異言を解く力が、与えられて す。人によっては、いつも正しく歩 う。 雨や川の水 朝夕のあいさつ いる。すべてこれらのものは、一つの同じ んでいる人、または神様に選ばれた 神への祈り そして母の愛」 御霊の働きであって、御霊は思いのままに、 人だけが 聖霊を受けることができる う。 − 河野進(詩人、牧師) それらを各自に分け与えられるのである。」 と感じているようですが、聖書には
こうあります。
。
(コリント人への第一の手紙 12 章 8 -11 節)
「そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、 与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。 門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべ て求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあ けてもらえるからである。あなたがたのうちで、父である ものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与 えるだろうか。卵を求めるのに、さそりを与えるだろう か。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分 の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれ
ば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらな (ルカによる福音書11章 9 -13 節) 」 、神様が無 いことがあろうか。
なものをも の人は、魂この聖霊を受け取ると、さまざまな素晴らしいことが起 ければならこると説明されています。たとえば・・・ する必要が 、はっきり 「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされ る聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわた しが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであ (ヨハネによる福音書 14 章 26 節) 」 仰によるの ろう。
これらのものは、人の性格だとか、才能だとか思われるよう なものですが、考えてみれば、性格も才能もその多くは天から 与えられたものだと分かるでしょう。もちろん、イエス様が語っ たタラントのたとえ話のように、与えられたものをどのように 磨き、どのように成長させるかで人生は大きく左右されますし、 与えられたものを活かすのは、本人と周りの人たちの責任です。 でも、すべての人には何らかの良い性格や才能が埋め込まれて おり、それを見出して成長させることも、人生の醍醐味と言え るのではないでしょうか。 こうして考えてみると、私たちは、こんなにもたくさんのも のを神様からいただいて生きています。自然界にあるすべて、 持って生まれた特質や才能、かけがえのない人間関係、これら すべてが 天からのプレゼントです。命でさえ、いただきもので す。私たちはいただきものによって生かされているのです。こ の神様からのいただきものを大切にして、いつも感謝して生き ましょう!
なく、神の
、だれも誇 「真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなたがたをあらゆ 章 8 - 9 節) る真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るの ではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあな
(ヨハネによる福音書 16章 」 ではない。 たがたに知らせるであろう。 13 節) (ロー る。 」
くることを 息子である でもイエス
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力 を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さら (使徒 に地のはてまで、わたしの証人となるであろう。 」 行伝 1章 8 節)
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