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ᅕ ಮ ƔǒƷǢȉȐǤǹǛ ᬛ ƴƠƳƍƨNJƴ ണ ྏ岜ඥ たちは問題にぶち当た ると、神様に祈って助 けを求めます。すると神 様 は、様々な方法でその祈り に答えてくださいます。あ る時には何も言わずに状況 を変えてくださるし、 病 気 や怪我のために祈った時に は、少しずつ体を癒してくだ さったり、良い治療が受け られるようにしてくださった りと。 でも、ただ祈りを叶える代 わりに、解決のためのアドバ イスをくださることもありま す。直接心に語りかけてくださったり、誰かや何か を通して助けになるメッセージを送ってくださった りするのです。例えば、聖書やその他の本で読ん だ言葉を心に響かせてくださったり、誰かとの会話 からヒントを得るのを助けてくださったり、という 具合に。 私は、何かの問題に直面したときや、大切な決 断を下さなくてはならないとき、または心にのし かかっている悩み事があるときには、聖書を読ん だり祈ったりするだけではなく、静まってイエス 様とコミュニケーションをするようにします。そ ういう時間をとると、主はその状況にぴったりの 具体的な答えや導きを与えてくださり、心の中のモ ヤモヤがすうっと消えていくのです。 私は、そういう時に受け取った主からの言葉を 失いたくないので、それをパソコンに記録します。 たいていは、まず記録する準備をし、それから、 受け取りながらタイプするのです。最初に受け取っ た一行の言葉をタイプすると、不思議な感じで次 の一行が与えられます。それはまるで、神様が一 口ずつスプーンで言葉を食べさせてくださるような 感じで、最初の一口を飲み込むと、次の一口がも らえるのです。 主から受け取る言葉を記録するようになって、も う 20 年以上になります。毎回、その時自分が悩ん でいることと、主に尋ねたい質問を、短い祈りの
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言葉にして記録し、その後 に主がくださる答えや導き を記録します。だからそれ は、私と主との対話の記録 であり、心の日記のような ものです。 後で読み返すと、そこに ある主からの言葉は、何度 読んでも心が養われます。 なぜなら、それはまさに自 分が必要としていたもので あり、私にとって数々の宝 石のように貴重だからで す。もちろん、個人的に主 から受け取った言葉は、私 のためのものであって、私にとっては宝物ですが、それを他 の人に当てはめたり、押し付けたりすることがないよう気を つけなければなりませんが。 さて、今年のはじめ、いつものように主から聞く時間を過 ごしていると、主は私が、何度も同じような悩みについて同 じような質問を投げかけていることに気づかせてくださいま した。それで、どうしてそうなってしまうのか、そうならな いためにはどうしたらいいのかを尋ねてみると、主は、私が それまでに受け取ったアドバイスをあまり実行に移していな いからだ、と諭してくださいました。 言われてみれば、確かにそうなのです。私はいつも、答え を受け取った時には、 「わー、ピッタリのアドバイス! イエス 様、本当にありがとう!」と思うのですが、すぐにそのことを 忘れてしまい、同じような毎日を送ることが多かったのです。 そんな自分を変えたいと思い、変えるための工夫をしまし た。まず、主から受け取った言葉を、数日後にもう一度読み 直して、大切だと思うところにマーカーを入れることにしま した。これをすることで、受け取ったメッセージをもっと深 く理解し、また覚えていることができるようになりました。 でも、やはり時がたつと忘れてしまうし、たとえ覚えていて も、ほとんどは実践が伴っていませんでした。それでは、同 じような問題に直面するのも当然です。主からのアドバイス を、生活の中で活かしてないのですから。せっかくイエス様 が、私個人の状況に合わせて語ってくださっても、私がそれ について何もしないなら、イエス様だってがっかりするに違
いないと思い、私はアドバイスを受け取った 後に、実践計画を立てることにしました。 具体的には、受け取ったものを読み返して、 メッセージの要点と、それに応えて自分が何 をするつもりかを、手帳に書きこんでいくこと にしたのです。つまり、主との対話の要点と実 践計画のノートを作ったのです。各実践計画 のページの裏には、実際に行ったことと、そ の結果を記録できるようにしてあります。こ のノートをつけ始めてから、私の人生は少し ずつ変わっていきました。主からのアドバイ スに従って行動に出ると、物事や状況は良く なっていくし、自分の心も、少しずつですが 成長しているように感じます。 もし自分が、心をこめて誰かに励ましの言葉 をかけたりアドバイスをしても、その人が全 然それを大切に思わず、まるで聞かなかった かのように生活しているのを見るなら、やは りがっかりするし、忍耐がなくなってきてしま います。でも自分も、神様に対して、どれほ ど同じようなことをしてきたかを考えると、本 当に反省させられます。これからは、神様か らのアドバイスを、いっぺんに実行できなく ても、一つずつ実践して人生を変えていきた いと思っています。 皆さんも、悩んでいることや、神様に尋ね たいことがあるならば、静まって主から聞く 時間をとってみてはどうでしょうか。また、自 分の誕生日や新しい年の始まりのような節目 の時に、神様からの言葉を受け取るのもいい ものです。 聖書には、私たちが必要とする答えの基本的 なこと、土台となることが 書かれていますが、 個々の状況について具体的な導きがほしい時 には、主から直接聞くこともできるのです。た だ、神から何かを示されたと感じたなら、そ れが 聖書に適っているかどうかを確かめるのは とても大切なので、そのことについて聖書にはど う書いてあるか調べてみるといいでしょう。 神様は、特別な人にだけ語られるわけでは ありません。信じて求める者には、必ず語りか けてくださいます。語られる方法は、その時、 その時によって異なるでしょうが、きっとあな たにぴったりの方法で 語ってくださることで しょう。ですから、事あるごとに、ぜひ主と時 間を過ごしてみてください。そして、神様から の答えやアドバイスを受け取ったなら、それ を無駄にしないように生きていきましょう。
主を尋ね求める者は・・・ わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。 そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなた に示す。(エレミヤ書 33 章 3 節) 主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教 えられる。(詩篇 25 篇 12 節) イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるもので はなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』 と書いてある」。(マタイによる福音書 4 章 4 節) あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「こ れは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。 (イザヤ書 30 章 21 節) わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わた しの目をあなたにとめて、さとすであろう。(詩篇 32 篇 8 節) 助け主、すなわち、父 が わたし(イエス)の名によってつ かわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、ま たわたしが 話しておいたことを、ことごとく思い起させる であろう。(ヨハネによる福音書 14 章 26 節) あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その 人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、 願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 (ヤコブの手紙 1 章 5 節) イエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、 神の言を聞いてそれを守る人たちである」。 (ルカによる福音書 11 章 28 節) わが 子よ、もしあなたが わたしの言葉を受け、 わたしの戒めを、あなたの心におさめ、 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、 しかも、もし知識を呼び求め、 悟りを得ようと、あなたの声をあげ、 銀を求めるように、これを求め、 かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、 あなたは、主を恐 れることを 悟り、 神を知ることが できるようになる。 これは、主が 知恵を与え、 知識と悟りとは、み口から出るからである。 彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、 誠 実に歩む者の盾となって、公正の道を保ち、 その聖徒たちの道筋を守られる。 そのとき、あなたは、 ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。 これは知恵が、あなたの心にはいり、 知識があなたの魂に楽しみとなるからである。 (箴言 2 章 1-10 節)
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