928:期待どおりの答えがない時

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Why Not?

6歳で新年を迎えた時、私は山へ引っ越せたらと 思いました。クリスマス休暇に、山間部に住む親戚 を家族で訪ね、生まれて初めてそんなにもたくさん の雪を見て、魅了されたのです。

そのようなわけで、クリスマスの頃から1月にか けて、私は家族で山地へ引っ越せるようにと真剣に 祈り続けました。始めの内は、それがすぐにでも実 現すると確信していたのですが、2月、3月と過ぎ ていくうちに、引っ越しの気配はないことが明らか になってきました。やがて、子どもっぽく引っ越し

に執着することはなくなりましたが、ある疑問がし ばらく心に残りました。「神はなぜ、私の祈りに答え てくださらなかったのだろう。」

今ならわかります。神はいつも祈りに答えてくだ さるけれど、必ずしもすぐに、あるいは私たちが望み、 期待していたとおりに答えられるわけではないという ことを。神の答えは、時には「イエス」、時には「ノー」 であり、また時には「待ちなさい」と言われること もあるのです。

子どもは、店にある物や学校の友だちが持ってい る物をよく欲しがり、それが手に入れば幸せになる

に違いないと確信して、神がそれを与えてくださる よう祈ったりします。大人になってもそういう考え 方が抜けず、まるで神は願い事リストにある項目を 次から次へと片付けていくサンタクロースであるか のような態度を持つ人がいます。

私たちが望み、期待するような形で神が祈りに答 えてくださらないことがあるのは、祈り求めている ものが、実際には自分あるいは他の人たちにとって 良いものではないとご存じだからです。また、神は 祈りに答えてくださったけれど、その答えてくださっ た方法が好きではなかっただけということもありま す。自分の欲しいものはこれだと心に決め、それを 与えてくださるよう神に求めたとしても、もし私た ちの計画は最善ではないと神がご存じであるために、 その願いどおりにしてくださらないとしたら、それは 神の賢明さと愛情深さの表れです。

私について言えば、子どもの頃のあの祈りはかな わなかったかのように見えましたが、それ以来、さ まざまな国や地域で、雪の多い冬を何度も楽しんで きました。私の場合、神の答えは、「いいよ、私が良 しとする時にね」だったわけです。

©2023 Aurora Production, Ltd. All Rights Reserved Translated from English Activated Magazine Vol.24-2 p2 http://www.activate.jp http://www.activated.org
ロ ナン・キ ン

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