デービッド・ボリック
歴史や小説のページをめくってみれば、物質的な繁 栄、報われた愛、輝かしい勝利、さらには不死に至る まで、さまざまな形で報いを得た無数の人たちの労苦 や犠牲、英雄的な行為が記されています。聖書も同様 に、報いに関する多くの記述で彩られています。神は アブラハムに、「あなたの受ける報いは、はなはだ大き い」と言われました。 1 またイエスは、山上の説教の中 で、信じる者たちがどんな報いを得ることになるのか 説明しておられます。 2
ほとんどの場合、「報い」と言えば、勤労や人助け に対する報い、または不当・不正な行為に跳ね返って くる報いのことでしょう。 3 聖書の中では、神の正義 が、すべての人にその働きに応じて誠実に報いること によって示されることがよくあります。 4
クリスチャンは「キリストと共同の相続人」と呼ばれ ているので、 5 私は特に、イエスがお受けになる報いに 興味を引かれます。ヘブル12章2節には、こうあります。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを 仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前にお かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架 を忍び・・。」そして、同じようなことがイザヤ53章 11節にも書かれているのです。「彼は自分のたましい
の激しい苦しみのあとを見て、満足する。」 6
イエスは、ヨハネ16章21節で、まもなく訪れる
ご自身の死について弟子たちを備えておられる際に、 産みの苦しみ(陣痛)の例えを用いられました。パウ
ロも、その比喩を被造物全体にあてはめて、こう書い ています。「実に、被造物全体が、今に至るまで、共に うめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたし たちは知っている。それだけではなく、御霊の最初の 実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきな がら、子たる身分を授けられること、すなわち、から だのあがなわれることを待ち望んでいる。」 7 医学の発達により、出産予定の親は胎児のエコー写 真を見て、新しい生命の誕生を思い描くことができるよ うになりました。それと同様に、「鏡に映して見るよう におぼろげに」ではありますが、 8 クリスチャンは神の御 言葉を詳しく見て、自分の働きが実を結んだ時に得ら れる喜びを思い描くことができます。 9 その日が来れば、 私たちは主の喜びにあずかり、 10 主と共にお祝いするこ
とでしょう。親が、自分たちの生み出した新しい生命を ようやく腕に抱いた時に、驚嘆の念と安堵と心からの 感謝の気持ちで溢れて、喜び、お祝いをするように。
1. 創世記15:1(本記事で引用され た聖書の言葉は、特に注記のな い限り、日本聖書協会の口語訳 聖書からのものです。)
2. 参照:マタイ5-6章
3. 参照:ヨブ34:11
4. 参照:1コリント3:8
5. 参照:8:17
6. 聖書 新改訳2017
7. ローマ8:22-23
8. 1コリント13:12
9. 参照:1コリント3:14; 黙示録22:12
10. 参照:マタイ25:21, 23