VANESSA’S ANGELS
スティーブ・ラーソン
メキシコ中部を抜ける狭い二車線道路で車を走らせ ている内に、太陽が地平線に沈みました。助手席に目 をやると、妻のアンバーは寝ています。そして、バッ クミラーには、3人の娘が映っています。才気あふれ る4歳児トリー、2歳になったばかりで、なかなかお しゃべりが止まらないシェリー、そしてまだ赤ちゃん のバネッサです。子どもたちも皆、ぐっすり眠ってい
ました。コーヒーでも買おうかと思いましたが、やめ ました。車を止めると、家族を起こしてしまうでしょ うし、かなり時間に追われていたからです。子どもた ちが寝ていて、車内も涼しい、この夜の時間帯に運転 するのは気になりませんでした。それに、考える時間 もできました。私にはその時間が必要だったのです。
この1年は実に多くのことが起こりましたから。
妻がバネッサを妊娠中だった時のことを思い返しま
した。私たちは、まずアメリカ西海岸まで旅して、ア ンバーの家族を訪ね、それから東海岸にいる私の家族 を訪ねました。その後、メキシコ南部のミッションセ ンターで活動することになり、出産予定日の3週間前 にそこに到着したのです。妻はずっと、赤ちゃんの様 子がおかしいと感じていたのですが、私は心配しすぎ だと言って済ませていました。でも、アンバーの予感 は的中しました。
出産が終わってすぐに、バネッサには心臓の疾患が あり、手術が必要だと告げられました。病態を完全に 把握できたわけではないのですが、とにかくより良い 医療を受けられるよう、医師たちからアメリカに戻る よう勧められました。ありがたいことに、テキサス州 ダラスにいる友人が、1ヶ月の間、私たちを家に泊め てくれることになりました。そういうわけで、私たち
一番大切なこと
お金を出すだけで満足しないように しましょう。お金だけでは十分ではありま せん。お金を手に入れることができても、そ の人に必要なのは、あなたの心からの愛なので す。だから、行く先々で愛を広めてください。 マザー・テレサ
善行は決して無駄になりません。思いやり をまく者は友情を刈り取り、優しさを 植える者は愛を収穫します。
カイサリアのバシレイオス
はダラスに向かっていたのです。
早朝に友人宅に到着すると、きれいに準備された部
屋に案内されました。上の娘たちは、それぞれ自分の ために子ども用ベッドが置いてあるのを見て、大喜び です。トリーは目を丸くして、「ママ、このホテルに いつまでいられるの」と尋ねました。
まず循環器科へ行ってみると、そこから小児医療セ ンターの集中治療室まで、救急車で運ばれました。バ ネッサは、その小さな体で、心臓の手術、弱った肺、 チューブの挿管、連鎖球菌感染症などに必死に耐えな
がら、そこで2ヶ月以上過ごしました。私たち夫婦は
交代で病院に泊まり込み、24時間常にどちらかがバ ネッサに付いていました。そしてその間ずっと、この
素晴らしい友人たちが、娘たちの世話をし、食事を作 り、服を洗濯してくれていたのです。私たちの車が故 障した時には車を貸してくれ、病院の行き帰りに長距 離を走らずに済むよう、高速代まで出してくれました。
また、バネッサが自宅療養のために退院した時には、 バネッサのケアに必要な医療機器をすべて置けるだけ 広いからという理由で、自分たちの寝室を空けてくれ
ました。その間、彼らはこれがどれだけ大きな負担に なっているのか、一言も語ることはありませんでした。
6週間経った頃、バネッサは昏睡状態に陥って病院 に緊急搬送され、それから3ヶ月に渡り、医師たちが 問題の原因を究明しようと努めてくれました。検査結 果が出てくるたびに、私たちは打ちのめされました。 脳に損傷があり、耳が聞こえず、目も見えず、心臓は 何度も手術をしなければいけない状態だと判明しまし た。バネッサは末期状態にあったのです。医師は、1年、 あるいはもっても2年の命だろうと言って、私たちが 家で世話できるようにしてくれました。
友人たちはそれまで何ヶ月もの間、何の見返りも求 めることなく、持っているすべてのものを私たちに与 えてくれました。もうそれ以上私たちを助け続けるこ
とは出来ないはずだと考え、私たちは病院の近くに小 さなアパートを見つけて、そこに引っ越す準備をしま した。
すると、まったく思いがけないことに、友人たちは 私たちに残ってくれと言ってきたのです。それがどれ だけの負担になるか、考えてみたのでしょうか。私た ち夫婦が交代で毎日24時間、赤ちゃんに付きっきり になることを分かっていたのでしょうか。それに、バ ネッサには常に医療処置が必要で、毎週看護師が訪問 してくることを。彼らの家は混乱状態になってしまう ことでしょう。それに、金銭的な面でも、他の面でも、 私たちにはどれだけの貢献ができるか、分からないの です。そんな状態が何年も続くかもしれないと、分かっ ていたのでしょうか。
しかし、友人たちはそういったことをちゃんと理解 しており、静かにこう答えました。「何でも必要なこ とがあれば、それがどれだけ長く続いても、あなたた ちを助けますよ。」
* * *
数ヶ月後、母親の腕の中で眠っていたバネッサは、 静かに息を引き取り、イエスの腕の中へと旅立ってい きました。それから20年が経ちましたが、犠牲的に 与えることについて、この友人たちの行動ほど鮮明な 手本を見たことがありません。それは、真に無条件の 愛と親切です。自分が傷つくまでに与え、さらになお 与え続ける愛であり、受け取る側がお返しなど出来な いと分かっていても与える愛です。友人たちは、単に キリストの手本に従いたいと口にするのではなく、そ れを実行してくれたのでした。