THE GOOD PLACE
カーティス・ピーター・バン・ゴーダー
イエスは、人生の虚しさと不確実さに替えて、新しい意味 と目的を与えてくださいます。そのためには、まず、次の ように祈って、イエスをあなたの心に招き入れましょう。 「イエスさま、どうか私のすべての罪をおゆるしください。 あなたが私のために死んでくださったことを信じます。心 の扉を開いて、あなたをお招きしますので、あなたの愛と 聖霊で私を満たしてください。私があなたを知ることがで きるよう助け、真理の道へと導いてください。アーメン。」
高校の文学の授業で、ジャン=ポール・サルトル の戯曲『出口なし』を勉強したことがあります。地 獄の住人たちが部屋に閉じ込められて、何もするこ とがなく、ただ無意味な議論に明け暮れるばかりと いう話です。
また、地獄が洗練された病院のような施設として 描かれた記事を読んだこともあります。どの部屋も、 地上と同じような仕事に従事する人たちでいっぱい なのですが、価値ある何かを成し遂げる見込みがまっ たくありません。科学者は結果を生み出せない実験 を延々と続け、兵士は終わりのない戦いをし、列車 は目的地に到着することなく、ロケットはいつまで も飛べないといった具合に、何一つ成し遂げられな いのです。ダンテの叙事詩『神曲』の第1部「地獄篇」
でも、地獄の一部が果てしなく続く山脈として描か れており、1つの峰から次の峰へと登り続けなけれ ばなりません。
しかし、天国は、それとは正反対の場所です。聖 書によると、天国では、平和と美、実りある仕事、 また充足感が永遠に続きます。神のおられるところ で、互いとの交わりの中で生き、完全な喜びを味わ うことができるのです。 1 「天国とは、祝福された人た
ちが雲の上に浮かんで、ぼんやりとハープをかき鳴 らしながら永遠を過ごす場所だ」という誤った考え がありますが、まったくそうではありません。
そして、天国で楽しみにしている喜びは、今すぐ
にでも味わうことができるのです。イエスは、「主の 祈り」の中で、父なる神にこのように祈っています。 「御国がきますように。みこころが天に行われるとお り、地にも行われますように。」 2 また、別の時には、 神の国はいつ来るのかと尋ねられて、こう答えまし た。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」 3 つ まり、私たちの心の中にすでにある、あるいは、あ りうるということです。
ウェブスター辞典の1828年版では、「life(命、 人生)」の項目に次のような定義が含まれています。 「現世における楽しみや祝福。無上の喜び。天国にお ける永遠の幸福。」やはり、今ここでも、また後に向 こうでも、ということです。
使徒ヨハネは、もっと個人的なものに感じられる 言葉を記しています。「永遠の命とは、唯一の、まこ との神でいますあなたと、また、あなたがつかわさ れたイエス・キリストとを知ることであります。」 4
イエスを個人的に知ることこそが、天国を味わう ことなのです。