福永敦 ハリーバリーコーラス─ まちなかの交響、墨田と浅草 リーフレット

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福永敦 墨田と浅草“がやがや”交響楽団 河村恵理[アートコーディネーター]

福永敦は「かたちのない音」 を形にする作家である。彼は今回、 アサヒ ・アート スクエアの展示に際し、東京都墨田区や浅草のまちなかで頻繁に聞かれる ンの「模倣音声」を会場内に設置した音響スピーカー十数台、MP3プレー ヤー数十台から流す。墨田、浅草の情景を、音に凝縮して表現するインスタ レーション作品だ。

か たちの ない 音 もともと福永が感心を示した 「音」 とは、表情豊かな日本語の擬音語表現で あった。例えば 2007 年、 コペンハーゲンでのグループ展で発表した立体作 品《The sounds of broken colorpencil[色鉛筆が折れる音] 》。色鉛筆と厚紙 で構成された本作は、様々な色の色鉛筆が折れる瞬間をとらえ、 “バッキッ” “バキバキ” “ボキッ” あるいは “ポキッ” というカタカナ表記の擬音語がちょう ど折れている箇所に読めるというものだ。 これは福永にとって初期の作品であ るが、挑戦的な試みであったに違いない。日本語を理解できない者にとって は、 タイトルからサウンドに関わるものであることは分かるが、 それがまさか色 鉛筆が折れる様子を言語化したものだとは分からないだろう。読める、 読めな いに関わらず、 表現された文字は色鉛筆が折れたところに存在する造形物と して捉えられる。日本語を母語としないコペンハーゲンという都市で、 このカタ カナ表記の作品をあえて発表したことや、サウンドアートではなく視覚に訴え るビジュアルアートから音を感じさせようとした本作は、かなり挑戦的な作品 であったといえる。福永はある世界観に異質なものを持ち込んで自分の表現 を試みたのである。 福永はこの作品以外にも、カタカナ表記あるいはローマ字表記で擬音語を 扱った作品を様々に発表してきた。 例えば 2005 年、 ドイツのブラウンシュヴァイク大学で行われた交流展「アー トクロッシング広島プロジェクトウィンター」にて発表した 《ame no oto[雨の 音] 》。福永は “ピッ” “ 、ピチャ” “ 、ザーザー” “ 、ザー” などの雨の音の擬音語を、

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かわむら・えり│多摩美術大学大学院卒業。2000 年よりベルリン在住。ギャラリーMurata & friends、 ノイエナショナルギャラリー「東京ベルリン」展アシスタントを経て現在フリーランス。

音を集めた。さらにこれらを創作による 「模倣音声」に変換し、 この様々なシー


カタカナ表記のカッティングシートでつくり、天井からいかにも一筋の雨が落

恐らく、意味の有る無しに関わらず音は音として捉えるられるという、海外で最

ちて来ている様子を表現した。

初に感じるこの強烈な感覚が、 福永の作品に活かされているのではないだろ

2006 年 に 発 表 し た 《KURUMAGAAGAA AMEZAAZAA

うか。声でも物音でも耳に入ってくるもの全てが、福永の頭の中でその都度

K I K I WA S AWA S A S E M I J I J I J I J I J I K A Z E B Y U U B Y U U

ビジュアル化されていったのではないかと想像する。そして、擬音語の音を

HITOZAWAZAWA》では、広島のエビデン・ギャラリーにて、幅 10 m、高さ

言葉にすれば、小難しい文法も必要なく、共通言語として受けとめられるという

4 mもある窓ガラスに、4日間 4 人を動員して、広島の街の風景を文字どおり書

確信がこれらの作品を作らせたのであろう。

いていった。木々が “ワサワサ” 揺れる様子、 “ミーンミーン” という虫の泣き声、 街中 の車の “ガーガー” という騒音、 あるいは人が “ザワザワ” している喧騒、 そして “ギラ

数 字 / 動 物 / パ ブ リッ ク ア ート

ギラ” した太陽や“ビュービュー “と吹く風の様子。 これらを擬音語の文字だけで、 ラテックスゴムと筆により書いては消し、 書いては消すことで描いていった。

擬音語から生まれた作品のほかに、世界の誰もが理解、認識できる 「数

2008 年のベルリンでのグループ展、 「Show me the way!」で発表した 《The

字」で出来た作品もある。2007 年、古代ローマ遺跡が数多く残るイタリアの

sounds of airplane in Germany》では、飛行機が飛ぶ時にあげる音、 “ヒュー

小村サビーナで行われた 「20 eventi ARTE CONTEMPORANEA IN

ン” “ 、ミューン” “ 、ドドド” “ 、シュン” “ 、ババババッツ” などを、 カタカナではなくド

SABINA」では、村中に張り巡らされた石畳を数え、パステルで数字をつけ

イツ人が読めるようにローマ字表記に変換した。塩ビ板をカットして制作した

ていくパフォーマンスを行った。緻密に黙々と続けられた福永の単純な行為。

個々の文字は、螺旋を描くよう円錐形に配置され、 その頂点の影に合わせて 壁面に描かれた飛行機を鑑賞者がみつけるという作品であった。

「25911」 という最後の数字を書きあげた時、 それは中世から続く村の歴史 が数字で表された瞬間であった。 また2002 年の 《動物シリーズ》では、 自らデザインした陸上動物や水中動物 をカッティングシートで大量に制作し、 それを障害者支援施設のトイレにイン

擬 音 語との 出 会 い

福永敦 墨田と浅草 “がやがや” 交響楽団

2008 年の広島アート スタレーションしていった。 この 《動物シリーズ》 はその後、 本格的にベルリンに移住した2006 年以降、 またそれ以前の海外での展覧会

プロジェクト2008「汽水域」で、工事現場の目隠し壁を飾った作品《太田川

において、福永は日本語の擬音語を自らの表現に使ってきた。折角海外に出

と瀬戸内海の生物シリーズ》へと発展した。工事が終わるまでの一時でも、生

て来たのにどうして日本語の国語的表現にこだわるのか。何となくではあるが、

物のシールで街の人々に壁を楽しんでもらおうという作品であった。

私自身が海外で暮らした経験から、 そのこだわりの理由が分かる気がする。

さらに翌年の 2009 年には、広島駅の開発現場の目隠し壁に、市民が作った

習慣も言葉も違う土地にきた異邦人は、 しばらくの間、 目にするもの、耳にする

カッティングシートの動物を貼っていく市民参加型作品《Green Houses and

もの、口にするもの全てに驚く。驚くことにつかれてしまうほど驚く。そして、人々

Creatures’Caravans[みどりの家といきものキャラバン]》を発表。前年のプロジェク

が何の気なしに談笑したり、物事が進行するのを目の当たりにしても、内容を

ト同様、 これは都市景観を美しくしようという企画の一貫であったこともあり、動

自分が把握できないまま物事が流れていく。理解できない言葉は単なる音、

物を移動可能にすることで、 日々この壁の前を通ると位置が微妙に変わり、殺

意味の含まれない音、つまり雑音にしか聞こえない。理解できない人の会話

伐とした工事現場に変化のある風景が立ち上がるという作品に仕上げた。

は、 ドアが “バタン” と閉まる音、人が “タッタ” と歩く音、何かが “カサカサ” と擦 れる音などと同様に単なる音というレベルに収まる。あちこちから聞こえてくる

福 永 作品の基 盤

声は重なりあい、人間が発する言葉も一つのある鳴りものとしてしか聞こえなく なる。その雑多な音の中で何回か繰り返された言葉が抽出され、頭に残り

このように福永の作品をみて行くと、擬音語をカタカナやローマ字に転換して

記録されていく。言葉を習うとはその繰り返しであろうか。

表現したもの。誰もが理解できるアラビア数字や、親しみのある動物を使って

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表現したものなど、 どれも人がイメージしやすい形を取り上げていることに気づ

音をどのように模倣できるかを研究し、 実際に擬音語に直し、 声で録音してい

く。 もう少し分析を続ければ、 あるグループが共有するシンボルを、作品の

くという作業を行った。墨田のまちなかで聞こえた踏み切りの音、町工場から

基盤に扱っていることが分かる。

漏れてくる機械音、夏の終わりのツクツクホウシ、高い音の調子で急ぐ救急

例えば擬音語は日本特有のものであるが、中でもマンガ世代にとっては音を

車、 そして同じように甲高いトーンで鳴くカラス。一昔前までは街を練り歩いて

表現する時の文字として受け入れられているものだ。また発音は違えど、世

いた金魚売りの声も登場し、 昔の情緒も伝えている。

界中で共通して使われている数字と、昔から続くイタリアの小村という共同体

これまでは日本語の特徴である擬音語を使った作品を制作していた福永

の石畳。そして 《動物シリーズ》の動物は、人それぞれイメージの細部は違う

が、今度は墨田、浅草の街から新擬音語を作ろうとしている。 これは既存の

が、大まかに共有できる任意の形をもつ。そして広島という自治体とその自治

言葉で多くの作品を創っていた福永にとって新たなる挑戦となる。母音、子

体が運命を共にすることになる開発という事実がその背景に存在している。

音、 また濁音、半濁音、清音、鼻音、拗音、促音や長音を駆使し、 より本物の

福永の活動は、平面、立体、パフォーマンスなど作品の形態を問わず、 また

音に近い言葉にしていく。 もしくは時代、 季節、 個人、 文化の相違も加味して創

スケールもアートフェア会場に出品する小作品から、ギャラリー空間に合わせ

られる 「新しい音声」 といった方が適切かもしれない。

た作品、 そして市民を巻き込むパブリックアートまで実に多岐に渡るが、 どれも

メイド・イン・墨田、 メイド・イン・浅草の擬音語が大量のスピーカーを通り、声

コミュニティが共有する現象、 イメージ、 そしてある事実を土台としていることは

(ハリーバ となって空間に響いていく。都会の喧騒の疑似音はやはり騒々しく

共通している。

リー) 、音を奏でる。既存の擬音語を使えば、 「 墨田と浅草 “がやがや” 交響

楽団」 といったところだろうか。 か たちの ない 音

in 墨田&浅草

福永は音を選び、擬音語をつくり、声を録音していく。そしてそれぞれのス ピーカーから出す音声、 タイミング、 そして聞こえてくる音と音の重なり合いを

皆さんは自分の声を聞いた事があるだろうか。留守番電話に吹き込んだ自

熟考しつつ、全体のでき上がりをアレンジしていく。 このような福永の姿は、

分の声。ホームビデオから流れる、 あるいはテレビやラジオの取材に応える

多種多様な楽器、 そして多彩なキャラクターの奏者たちを抱えるオーケスト

自分の声を聞いた経験があるだろうか。それは日々聞こえている自分の声と

ラの指揮者だと言えるかもしれない。福永の指揮下で、墨田、浅草の街が

比べて、 「これが自分の声だろうか ?」 と疑ってしまうぐらい違う。記録メディア

音で立ち上がる。

[2012 年 11月末に執筆]

を介して耳にする自分の声は、音の伝わり方が違うからだ。 「生」の声を知る ことは、 自分自身を客観的にみる事にもつながり、ひいては自分が他人とどう 接しているのかが分かる、 良い機会ともなる。 本展「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、墨田と浅草」は墨田と浅 草の街の姿を音で立ち上がらせるという試みである。それはちょうど自分が発

福永敦 墨田と浅草 “がやがや” 交響楽団

した声を録音し、再生させて聞かせてくれるようなものだ。普段、喧騒(ハリーバ リー) の中で生活していると気づかない音があることが分かり驚かされる。また

意識して街の音を聞くことにより、 日常では浮かび上がらない街の全体が認 識できるのではないだろうか。あるいは言葉にならない物語を語ってくれるか もしれない。 福永は今回、ボイスレコーダーを持ち墨田と浅草を歩いた。 また地元住民の 協力も得て、彼らと共にまちなかの音を収拾してきた。その後、人の声でその

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Atsushi Fukunaga: Sumida and Asakusa“Gaya-Gaya”Symphony

into romaji for German visitors. The expressions –“hyun,” “myun,” “dododo,” “shun,” – were cut out from vinyl chloride plates and aligned on a spiral cone. “bababababa!”

Eri Kawamura, Art Coordinator

s summit cast a shadow on the wall that pointed to a hidden drawing of an The cone’ airplane for the visitors to find. Atsushi Fukunaga is an artist who gives shape to formless sounds. For the current exhibition at Asahi Art Square, he sampled ambient sounds heard in the downtown

Encounter with Onomatopoeia

Sumida and Asakusa districts in Tokyo. These sounds were then imitated by human voices and played back via more than ten MP3 players and speakers in the exhibition

Fukunaga has been using Japanese onomatopoeia as an instrument of his practice since

space. The result is an installation composed of extracted sound elements that depict the

relocating to Berlin in 2006 and in some exhibitions abroad before 2006 . Why does

urban landscapes of Sumida and Asakusa.

he insist on these Japanese expressions now that he is abroad? From my own experience living abroad, I can hazard the following explanation.

Formless Sounds

When you travel to a different cultural environment, where the local language and customs are foreign to you, for the first while you may be shocked by everything you see,

It is as the rich and diverse onomatopoeic expressions in Japanese language that sounds

hear – or even eat – to the extent that you become fatigued by your own reactions. And

initially concerned Fukunaga. For instance, his three-dimensional work The Sound

you may feel bypassed by everything that it is taking place around you: you only witness,

of Broken Colored Pencils (2007 ), first exhibited at a group show in Copenhagen, is

without comprehending, what is being done or talked about. You hear words that you

composed of cardboard and colored pencils. In this work, Fukunaga froze the moment

do not understand as just meaningless sounds, i.e., noise. A stream of words is only a

when pencils of various colors were snapped, from the each ruptured pencil emerges

sequence of sounds, no different from a slamming door:“batan,”the footsteps of passers-

an onomatopoeic string of text in cardboard katakana (a Japanese phonetic alphabet):

by:“tat-tat,”or leaves rustling on trees:“kasa-kasa.”Multiple layers of sound from all

“bakki!” “bakibaki!” “boki!”or“poki!”Those foreign to the Japanese language would

directions overlap in your perception, and human voices are just another facet of all the

know from the title that the work relates to sound, but would not be able to recognize

many sounds perceived. From such a mixture of sounds a handful of repeated words may

the (written) verbalization of snapping sounds. But even those who cannot decipher

stand out and be stored in your memory (leaning a language is perhaps a continuous

these onomatopoeia can at least perceive them as sculptural objects laid at the snapped

repetition of this process).

section of the pencils. Exhibiting such works using the katakana script in Copenhagen,

s works is the striking perception, from his What is present in the body of Fukunaga’

where Japanese is not the mother tongue, and presenting such works visually rather than

own experience abroad, that sound, regardless of whatever significance is usually attached

acoustically is quite a challenge. Fukunaga attempted to arouse a living sense of sound

to it, can be perceived simply as sound. And I imagine that in his case everything

through visual presentation, to realize his practice by injecting an idiosyncratic foreign

audible, whether a voice or an accidental sound, was constantly being visualized in

element into the established view of visual art.

his imagination. The belief underlying the production of these works may be that

s other works use katakana or romaji (romanized Japanese) scripts. A number of Fukunaga’

communicating in onomatopoeia is a way to form a lingua franca with the audience

In a 2005 show at the Braunschweig University of Art, Art Crossing Hiroshima Project

without the obstacles of grammatical complexity.

Atsushi Fukunaga: Sumida and Asakusa“Gaya-Gaya”Symphony

Winter, Fukunaga exhibited ame no oto (The Sound of Rain, 2005 ), an installation of onomatopoeic words such as“pi,” “picha,” “zah-zah,”and“zah”that imitate the sounds of

Numbers / Animals / Public Art

raindrops progressing to heavy rainfall. These, cut from vinyl sheets in katakana, stream down from the ceiling like a falling strand of rain.

Fukunaga has also worked with Arabic numerals as a common denominator that most

In KURUMAGAAGAA AMEZAAZAA KIKIWASAWASA SEMIJIJIJIJIJI

people in the world can understand. In 2007 20 eventi: Arte Contemporanea in Sabina

KAZEBYUUBYUU HITOZAWAZAWA (Cars gah-gah Rain zah-zah Trees wasa-wasa

was held in the Italian village Sabina, known for remains and ruins of ancient Rome.

Cicadas ji-ji-ji-ji-ji Wind byu-byu People zawa-zawa, 2006 ), Fukunaga with a team of

s performance was to count the cobblestones in the village and number each of Fukunaga’

four others transcribed the townscape of Hiroshima into onomatopoeia which they then

them with oil pastels (Lively Numbers, 2007 ), an extremely monotonous work conducted

s four-by-ten-meter front window: inscribed across the expanse of the Ebiden Gallery’

in his scrupulous and diligent approach. The communal history and heritage of this

), cicadas chirping“ ( ji-ji-ji” ), the loud street noise of passing trees swaying“ ( wasa-wasa”

ancient village was (metaphorically) signified in the number 25,911, as inscribed on the

), a chattering crowd“ ( zawa-zawa” ), the sun glaring“ ( gira-gira” ), automobiles“ ( gah-gah”

final stone.

). The words were continuously updated over four days, the wind blowing“ ( byu-byu”

In Animal Series (2002 ), Fukunaga designed images of land and sea animals, cut these

erased and rewritten with latex erasers and brushes.

from adhesive vinyl sheet, and installed them throughout the bathrooms of a support

In The Sounds of an Airplane in Germany (2008 ), exhibited at the group exhibition Show

facility for people with disabilities. The project later developed into Creature Series in Ota

Me the Way! in Berlin, katakana onomatopoeia for an aircraft taking off were transliterated

River and Seto Inland Sea (2008 ) as part of Hiroshima Art Project 2008 : Brackish Water Area.

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The work was displayed on the barrier wall around a construction site, offering temporary

For this project, Fukunaga wandered around Sumida and Asakusa with a audio recorder

entertainment for local residents.

in his hand, sampling sounds with the locals’help – the alarm at a railway-crossing in

The following year this evolved further, into a public participatory work – Green Houses

Sumida, machinery noise from small downtown factories, cicadas chirping at the end of

and Creatures’Caravans (2009 ) – in which local people could design animal shapes

summer, the high-pitched siren of a racing ambulance, crows cawing in the sky . . . even

on vinyl sheet themselves and place the resulting stickers on another construction

(nostalgically) the voice of the gold-fish merchant that used to echo through the streets

s main railway station. This barrier wall, this time at a development site at Hiroshima’

until some decades ago. He then investigated how the sampled sounds could be imitated

project, like that from the previous year, was aimed at improving the urban landscape

by the human voice, created phonetic guidelines to indicate the pronunciation of the

in Hiroshima. By making the animal pieces detachable and daily changing the layout,

sounds, and recorded these being spoken.

Fukunaga added playful alterations to an otherwise stark view of a construction site.

Fukunaga has been using existing onomatopoeia unique to the Japanese language in his practice; now he is inventing onomatopoeia from real-life environments. This exhibition

T h e B a s i s o f F u k u n a g a ’s W o r k s

marks a new challenge for the artist in arranging phonetic components – the vowels and consonants; the voiced, unvoiced, half-dull, nasal, contracted, and long sounds that are

Exploring Fukunaga’ s works, one notices that the artist has utilized basic signs that

available in Japanese language – as closely as possible to real sounds. Or, more precisely

are easy for everyone to grasp: onomatopoeia in katakana and romaji, Arabic numerals,

speaking, he is creating new Japanese phonetics that take into account the diverse nuances

familiar animal shapes, and so on. Further examination shows that his works are grounded

of historical, seasonal, individual, and cultural differences.

on symbolic signs shared by a particular group of people.

These new onomatopoeia“made in”Sumida and Asakusa emerge from multiple

Japanese onomatopoeia, for example, are unique to this language; but among manga-

loudspeakers into the exhibition space in the form of human voices. The hustle and

reading generations they are already widely accepted as graphic signs for sound effects.

bustle of urban life is resited in the gallery but retains all the liveliness of the actual

Arabic numerals may be pronounced differently they but are used throughout the world.

neighborhoods: to describe it with an existing onomatopoeia, it is the“gaya-gaya (bustling)

The stone pavement in the Italian village of Sabina has supported its community over

symphony”of downtown Sumida and Asakusa.

the course of its history. Each person at the support facility may have a slightly different

Fukunaga selects sounds, invents onomatopoeia for these, and records them in voices.

image of a particular animal, but the animals in the Animal Series have recognizable

Balancing out on loudspeakers the volume, timing, and layering of each sound, he

shapes that everyone can identify. The two installations on construction barrier walls in

carefully and thoughtfully coordinates the sound space as if conducting an orchestra

Hiroshima appeared at sites of development for the city and its community.

s baton, the town of Sumida and of various instruments and players. Under Fukunaga’

s practice extends to a variety of media, from two-dimensional to sculptural to Fukunaga’

Asakusa will rise up on a wave of sound. [written in late November, 2012]

performance art, as well as a range of scales, from small entries to art fairs to larger works tailored to exhibition spaces to public art that involves local participants. One common factor is that his works are based on a recognizable fact or visual image that all members of a target community can share.

Atsushi Fukunaga: Sumida and Asakusa“Gaya-Gaya”Symphony

Formless Sounds in Sumida & Asakusa Do you have the experience of listening to your own voice – the outgoing message on your answering machine or a recording of yourself in a home video or even on the TV or radio responding to an interview – and wondering if it is really your voice? Your voice through a recording device is transmitted in a different way. Hearing your voice from outside helps you to reflect on yourself objectively and know how you interact with others. The current exhibition Hurly-Burly Chorus: Urban Symphony in Sumida and Asakusa is an attempt to reproduce the acoustic scenery of these neighborhoods, to reflect on them with the help of sounds, just as you might record your own voice and play it back. You could be surprised by the things you discover, things which usually escape your attention in the “hurly-burly”of your daily life. And being more conscious of what you hear may reveal

quite a different picture of the town, one that is concealed in daily life, or a story that cannot be put into words.

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Eri Kawamura MA Tama Art University (Tokyo). Lives and works in Berlin since 2000 . Gallery assistant at Murata & Friends (Berlin), curatorial assistant for the exhibition Tokyo Berlin at the New National Gallery (Berlin), now freelance.

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作家略歴│ Biography

福永敦[ふくなが・あつし] 1980 広島県広島市生まれ。 2004 広島市立大学大学院芸術学研究科博士課程前期修了 2007 ベルリン・バイセンゼー美術大学研究生

2013 ─ 「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、墨田と浅草

The hurly-burly chorus – Urban symphony in Sumida and Asakusa」 アサヒ・アートスクエア、東京 /Asahi Art Square, Tokyo 2006 ─ 「KURUMAGAAGAA AMEZAAZAA KIKIWASAWASA SEMIJIJIJIJIJI

現在、ベルリン在住 1

[個展│ Solo Exhibitions]

KAZEBYUUBYUU HITOZAWAZAWA」

言葉の擬音、 擬態表現を表した 「文字」や「音声」 を用い、

エビデンギャラリー、広島/YebidenGallery, Hiroshima

その擬似的な音を知覚的に体験させる事を試みている。

2004 ─ 「Schmetterling」Joachim Gallery、ベルリン/Berlin [主なグループ展│ Selected Group Exhibitions]

2

Atsushi Fukunaga

2012 ─ 「Cosmos」Galerie 5 th people project、ベルリン/Berlin

1980 Born in Hiroshima, Japan 2004 MA, Hiroshima City University, Faculty of Art 2007 Guest student at Kunsthochschule Berlin-Weissensse,

─ 「中之条ビエンナーレ2011| NAKANOJO BIENNALE 2011」 中之条町、群馬/Nakanojo-Town, Gunma

Berlin Germany 3

2011 ─ 「Nippon Nacht vol.2」Theaterhaus Berlin Mitte、ベルリン/Berlin

Currently lives and works in Berlin, Germany

─ 「Durchgang」48 Stunden Neukoelln、ベルリン/Berlin 2010 ─ 「WE ARE THE ISLANDS」Kunstraum Kreuzberg Bethanien、ベルリン/Berlin

Fukunaga explores the perception of sound in relation to language

─ 「almost the same, but not quite」48 Stunden Neukoelln、ベルリン/Berlin

and creates experience-based installations using onomatopoeic words 4

presented in visual and audio formats.

2009 ─ 「都市ギャラリープロジェクト 「みどりの家といきものキャラバン」

City Gallery Project Green Houses and Creatures’Caravans」 若草町、広島/Wakakusa-Town, Hiroshima http://www.atsushifukunaga.jpn.org

2008 ─ 「広島アートプロジェクト2008「汽水域」 │Hiroshima Art Project 2008 Brackish Water Area」

吉島地区、広島/Yoshijima area, Hiroshima ─ 「Show me the way!」Galerie la-condition-japonaise、ベルリン/Berlin

5

2007 ─ 「though I can’ t see them, they are there. though I can’ t find them, they are there」

Co-Lab.、 コペンハーゲン/Copenhagen ─ 「20 Eventi Arte Contemporanea in Sabina」、サビーナ/Sabina ─ 「旧中工場アートプロジェクト2007「わたしの庭とみんなの庭」 6

Hiroshima Art Project 2007 : Former Naka Waste Incineration Plant Art Project」 吉島地区、広島/Yoshijima area, Hiroshima ─ 「FLAT GLAY」FungSway Gallery、 コペンハーゲン/Copenhagen ─ 「OTO - Geraeusch -」ActAcker Gallery、ベルリン/Berlin 1 : The sounds of broken colorpencil, 2007 . 2 : Dance in the dark, 2011 (collaboration with Ayaka Azechi/畦地亜耶加とのコラボレーション ). 3 : Lively numbers, 2007 . 4 : Green Houses and Creatures’Caravans, 2009 .

2005 ─ 「ギフト ・オブ・ヒロシマ アートクロッシング広島プロジェクト2005 ウィンター|

GIFT OF HIROSHIMA – Art Crossing Hiroshima Project 2005 . Winter」 Hochschule fuer Bildende Kuenste Braunschweig、 ブラウンシュヴァイク/Braunschweig

5 : KURUMAGAAGAA AMEZAAZAA KIKIWASAWASA SEMIJIJIJIJIJI KAZEBYUUBYUU HITOZAWAZAWA, 2006 . 6 : Kosmos, 2011 . 7

7 : The sounds of airplane in Germany, 2008 .

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略歴は作家より提供されたデータに基づく│ The biography is based on data provided by the artist.

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[展覧会]

[Exhibition]

アサヒ ・アートスクエア

Asahi Art Square Open Square Project

オープン・スクエア・プロジェクト [現代アート展]

Atsushi Fukunaga exhibition:

福永敦

The hurly-burly chorus –

墨田と浅草」 「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、

Urban symphony in Sumida and Asakusa

[土]─ 2 月 3 日 [日] 会期:2013 年 1 月 12 日

Date: January 12[Sat]- February 3[Sun],2013

会場:アサヒ ・アートスクエア

Venue: Asahi Art Square

主催:アサヒ ・アートスクエア

Organizer: Asahi Art Square

協賛:アサヒビール株式会社

Sponsor: Asahi Breweries, Ltd.

後援:墨田区、 台東区

Support: Sumida city, Taito city

[冊子]

[Brochure]

編集・発行:アサヒ ・アートスクエア

Edited and published by Asahi Art Square

発行日:2013 年 1月12日

Issue date: January 12 , 2013

執筆:河村恵理

Text: Eri Kawamura

翻訳:大坂紘一郎

Translation: Koichiro Osaka

デザイン:木村稔将

Design: Toshimasa Kimura

[オープン・スクエア・プロジェクト] 公募により選出されたアーティストが、 アサヒ ・アートスク

[Open Square Project]

Artists selected from the public showcase

エアのユニークな空間を活かした作品制作と発表を

their works making unique use of the Asahi

行います。創造性豊かなアーティストと、創造力を刺

Art Square. These exhibitions bring together

そ 激する空間[=アサヒ・アートスクエア]が出会うことで、

creative artists and a creativity-stimulating

れぞれの新たな可能性を提示すること。そしてアーティ

space (=Asahi Art Square) and demonstrate new

ストの飛躍の機会となることを目指しています。

possibilities for both. It aims to help artists progress greatly in their works.

─ ●

本冊子はアサヒ・アートスクエア オープン・スクエア・プ

─ ●

This brochure is published on the occasion of

[現代アート展] ロジェクト 「 福永敦 ハリーバリーコーラ

Asahi Art Square Open Square Project, Atsushi

ス─まちなかの交響、墨田と浅草」に合わせて制作さ

Fukunaga exhibition: The hurly-burly chorus –

れたものです。

Urban symphony in Sumida and Asakusa.

©Asahi Art Square, 2013

アサヒ ・アートスクエア│ Asahi Art Square 〒130 -0001 東京都墨田区吾妻橋 1 -23 -1 スーパードライホール 4 F

Address: Super Dry Hall 4 F, 1 -23 -1 Azumabashi, Sumida-ku, Tokyo 130 -0001 Tel: 090 -9118 -5171 │ E-mail: aas@arts-npo.org │ http://asahiartsquare.org/


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