「東京映像芸術実験室」の一年間に関するメモ ・12月19日|早朝 2013 年 12月19日早朝、展覧会オープンを目前にした会場では、山城大督やテクニカルスタッフたちが、本展唯 一の出品作品となる新作《 The Mirror Stage 》の最終チェックを続けていた。 透過性の高いカーテンの向こうには、大小色々なサイズのモニターに加え、風船や椅子、 テーブルにコップ、石や 氷など…、様々なオブジェクトが微かに見える。 そこからもれ聴こえるのは、子どもや大人の話し声や笑い声、 そして時 折響きわたる音楽。 それらに呼応するように、頭上や周囲からはゆっく りと光が注がれ、暗闇の空間を柔らかく包み込む。 少しずつ、 でも確実に、 アサヒ・アートスクエアを拠点に続けられた山城の小さな試行錯誤が、一つの作品としてか たちになろうとしていた。 それにしても、 『 東京映像芸術実験室』の最後に、誰がこんな展開を予想しただろう。 この目の前に立ち現れつつ あるものがもはや映像作品と呼べる類いのものなのか、私にはもうよく分からなくなっている。 もちろん表現ジャンルに 固執するつもりはないが、 「映像」にこだわってきたこの10ヶ月を振り返るとき、 そうした思いが自然とわき上がってくる。 しかし一方で、 プロジェクト名を決めるときに、 『 東京映像実験室』 ではなく、 『 東京映像芸術実験室』 にこだわり続 けた山城の思いが、今になってやっと分かったような気がした。腑に落ちたと言うべきか。 「映像芸術」 とすることで、映 像の捉え方に幅を持たせ、 その幅にこそ、山城の映像的な感性が滑り込む余地があるのだと、彼は感覚的に理解し ていたに違いない。 とすれば、山城の言う 「映像芸術」 とは何なのか、改めて思いめぐらす。 そして意識は10ヶ月前に 向かっていく。 ・2月25日|選考委員会 今年の2月、山城はアサヒ・アートスクエアの主催するグローアップ・アーティスト ・プロジェクトに応募し、 ヒアリング会 場にやって来た。プレゼン資料を片手に、 これまで表現手法としてきた「映像の “記録性” をモチーフとしたまったく新 しい形態の作品をつくりたい」 と熱心に語りながらも、 どこか割り切れない、 もやもやとしたものを抱えたような彼の表情 が記憶に残る。映像に対する強烈なこだわりは伝わって来るものの、 そのこだわりとこの先どう付き合っていくのか、彼自 身の映像に対する概念を今後どう更新していくのか、 はっきり言ってしまえば、悩んでいるように見えた。 アサヒ・アートスクエアとしても毎年 1 名の枠しかない貴重なアーティスト支援プログラムだ。最終の選考会では賛 否両論。議論は平行線をたどったが、最終的には、 これまでの活動に裏打ちされた問題意識の深さや意欲、映像 表現に対する一貫した姿勢、 このタイミングでの試行錯誤に必然性を感じることなどが理由となって、 アサヒ・アートス クエアとしてこの一年間を山城の実験に賭けてみることにしたのだった。
・4月5日|スクリーニングイベント 「映像にぶつかろう」 4月、 『 東京映像芸術実験室』 をスタートするにあたって、 まずこれまで山城が個人として、 もしくはナデガタ・インスタ ント ・パーティーとして制作した全ての映像を観たいと伝えた。 そこからしか、 このプロジェクトは始まらないと思った。一 瞬躊躇したものの、山城はこの提案を快諾してくれる。 スクリーニングイベントを開催してみて、山城の躊躇の理由を理解する。彼の映像は映像単体、 いわゆるモニター やスクリーンでの映像上映だけで完結するものは少ない。展示空間でインスタレーションと並べたり、事前に起こした
出来事[イベント] のドキュメントであったり、展示場所の歴史や意味と密接に関係していたりと、映像だけを取り出し て上映しても、 それだけでは「作品」 とは呼べない代物ばかり。結果イベントは、山城による細かな補足説明を聞きな がら、 目の前の映像と実際の展示状況を想像のなかで重ね合わせて鑑賞するという、何とも不思議なものとなった。 しかし、だからこそと言うべきか、 このイベントを通して、映像自体を対象化し、新たな文脈の上に映像を置くことで、 また違った映像体験、 もしくは映像“的”体験をつくりだそうとする、山城の基本姿勢が逆に鮮明に浮かび上がってき たようにも思えた。 ・2013 年 4月 -12月|東京映像芸術実験室 そうしてプロジェクトが本格的に始まった。毎月、山城は照明や音響機材の揃ったアサヒ・アートスクエアを、 「撮影 スタジオ」から 「対話の場」へ、 「ワークショップスペース」から 「映像編集室」へ、 そして「展示空間」へと、 その機能 を押し広げながら実験と対話を続けてきた。 まず実験では、 この機会に試してみたいと思ったことをシンプルにやっていった。鏡と照明の関係を探る光の実験。 グリーンバックの手法を使い、鏡に反射させた光だけを映像素材として抽出する撮影と編集実験。対話のシーンを 一般的なドキュメント手法ではなく、2 台のモニターで再現するための撮影実験。上空の映像を、天井にスクリーン を設置し投影することで身体的な体験としても再現しようとする投影実験。 それら対話や上空の映像をつかって、 シー ンを構成する展示実験。山城が興味を抱く 「ビデオレター」の形式を借りた、作品のための撮影実験とパフォーマ ンスへの応用。 そして新作のもととなるプロトタイプ作品《 Natural Light 》の制作と発表などなど。 もちろん、 これらの実験がやりっぱなしで終わらないように、 フィードバックの場として、 トークシリーズ「映像への対話」 のような公開イベント、非公開のトークなど、様々な対話の場も設けた。運営委員、映像を扱うアーティストたち、 テク ニカルスタッフ、 そして山城の仲間や協力者たちとの対話は、実験にバラエティと深みをもたらし、試行錯誤の振り幅 を間違いなく広げていった。 そして、山城自身にとって大きな変化となったのは、 この10ヶ月間どこにいるときも、個人として、 日々自分自身との対話 を続けてきたことだろう。毎回、 やってくるたびに新たなアイデアを携えてくる。山城にとっての 『東京映像芸術実験室』 は、
24 時間、常にどこででも、行われていたに違いない。 その尽きることのないポジティブな意欲とエネルギーには、毎回た だただ驚かされた。
・2005 年 - |美術家 この10ヶ月、彼と並走しながら、彼の現在地について色々と考えていた。山城は、美術家/ナデガタ・インスタント ・パー ティー [NIP ]/映像ディレクターという三つの肩書きを持つ。彼の関心領域を、 この三つの視点から掘り下げることで、 彼の志向する 「映像芸術」、次なる表現の輪郭を考えてみる。 まず個人の美術家として。本展チラシでも紹介している通り、山城は自身の基本姿勢として「ある時間と時間、 ある 場所と場所を結びつける映像の力に魅了されている」 と語る。過去の作品をみれば、 その表現手法はオブジェクト や映像、 ツアー型体験作品やそのドキュメントなど様々だ。しかし、一貫しているのは、作品を通して鑑賞者の想像 力の引き金を引き、今この瞬間同時に存在する世界の広がりを感覚として意識させる 「時間」をつく り続けてきたことだ。 幼少期より映画やビデオカメラに親しんできた山城は、映像が可能とする時間や空間、世界認識の在り方に対して 強い関心を抱き、 そうした映像的発想を様々なアートフォームに展開してきたといえる。
2005 年に発表した初期作品《 The alarm rings every hour 》は、毎時間同時にアラームの鳴るデジタル腕時 計を、ニューヨークの展示会場と日本の山城がそれぞれ1 台ずつ展示/所有する、地球を跨いでシンクロする時間 と想像力についての実験作品だった。 2009 年には、広島のとある街全体を舞台にした「ピアノ・レッスン・コンサート」を構想する。 まちなかで時折聴こえる ピアノの音色が山城の意識を刺激したようだ。 「このまちで、同時に再生される姿を想像した。あの家や、 この家、 あっ ちの家。今、見えない向こうで、確かに起こっている事を想像してみる。」 (チラシより) その後山城は、 ピアノ教師など の協力を得ながら、 ある日の1 時間、総勢 50 人が同時にピアノレッスンを行う同時多発自宅演奏コンサート 《 Time
f lows to everyone at the same time. 》を出現させた。 3 年前の初個展『トーキョー・テレパシー』では、展示会場の最寄り駅で、2 台の列車が同時刻に発車し、 そのまま 並走している光景に着目する。以前から山城は、並走する列車の間で生じる、人と人のコミュニケーションに興味を 抱いてきた。 これまでも、 そしてこれからもきっと出会うことのない二人に、不思議なシンクロ感と妙な気恥ずかしさが込 み上げる。 そんな瞬間を、映像作品《 Tokyo telepathy 》に定着させた。 ・パーティー [ NIP ] ・2012-13 年|ナデガタ・インスタント 次に山城は、近年活躍の目覚ましいアーティストユニット 「ナデガタ・インスタント ・パーティー」のメンバーとして、多 くの人々を巻き込む「出来事そのもの」を作品として発表してきた。 その手法は、 インスタレーションや、映像ドキュメン ト、演劇といった多様なメディアが使われるが、本展との関係で特に注目したいのは近年、東京都現代美術館での グループ展『 MOT アニュアル2012 』 や 『あいちトリエンナーレ2013 』 で発表された、大規模な回遊型インスタレーショ ン作品である。 テーマパークのパロディーのように、 どちらも数十台のモニターやプロジェクターなど、多数の映像メディアを空間 に偏在させ、他のオブジェクトや、 その展示空間の場の性質とも共存させながら、一つの体験する時間をつくっていく。 鑑賞者はそれらを巡りながらNIP のつく りだした時間を体験する。 その時間が作品となる。 そうした Time Based Art[タ イム・ベースド・アート] もしくは時間芸術と呼べるような展示手法や時間のつく り方の引き出しを、山城は NIP の様々な 現場で培ってきたと言えるだろう。 ・2010-13 年|映像ディレクター 最後に、映像ディレクターとしての仕事である。国際美術展や演劇フェスティバル、国際シンポジウムや音楽ライブ といった大規模なドキュメンテーションプロジェクトや、 ミュージックビデオやイベント告知用 PV の制作など、近年山 城は映像ディレクターとしてジャンルを超えた様々な現場でカメラを構え、 その様子を記録してきた。現場の体験を、 商品としての映像にまとめ、誰かに届けるというこの経験は、 ジャンルごとに存在する映像文法に山城の目を開かせる。 しかし他方で、 この経験は、 どれほど進化した映像メディアを使っても、 どれほど共有するテクノロジーが発達しても、 当事者が見聞きし体験し思考したことをそのまま映像に記録することは不可能であると、 むしろ映像で伝えることの不 可能性の方に山城の意識を向けさせたようだ。 ・三つの関心領域 こうした三つの立場から振り返ると、 シンクロや時間といった「映像的発想」への興味、NIP で続ける 「映像による
大規模な回遊型インスタレーション」の展開、 そしてディレクターとしての「映像文法の習得と記録の不可能性」へ のまなざし、 といった現在の山城の関心領域が浮かび上がってくる。 山城は、 これら 「映像」を出発点に深めてきた関心領域を巡って 『 東京映像芸術実験室 』 を展開してきた。 この 関心の先に、山城の考える 「映像芸術」や次なる表現が待っているのは間違いない。 この観点からあらためてアサヒ・ アートスクエアで展開した映像実験を眺め直してみれば、彼がそうした興味や問題意識を、一つ一つ丁寧に試して いったことがわかる。 そしてその過程で出会った様々な発想のかけらを拾い集め、山城は新作《 The Mirror Stage 》 を構想することになる。
・ 12月19日 -23日|展覧会『 VIDERE DECK /イデア・デッキ』 本展『 VIDERE DECK /イデア・デッキ』は、展覧会の形式をとりつつも、今年最後の「実験室」でもある。作品 発表を通して、 この一年間のプロセスを報告するというものだ。同時に、山城にとっては3 年ぶりの個展となる。 ここでは 本展に関して2 点ほど記しておきたい。 まず、本展で発表する 《 The Mirror Stage 》の制作過程はとても刺激的だった。作品の構想段階ですでに、一 つのモニターやプロジェクターという枠を飛び越え始め、空間に様々なメディアやオブジェクトを展開し、同時進行す る時間を作品化するというアイデアは確定していた。 しかし実際に素材をどう空間と時間に落とし込み、 スタディを繰 り返して、作品化していくのか。彼にとっては初めての試みでもあり、正直イメージができなかった。我々制作サイドや テクニカルスタッフとどう意識を共有するのかも心配された。 12月のある日のミーティング。山城が1 本の映像をみせたいという。それは、本作のシーケンスとイメージを一つの 映像にまとめたデモ映像だった。映画監督にとっての絵コンテ、デザイナーにとってのラフスケッチが、山城にとって は一つの映像というわけだ。絵コンテから映画が立ち上がるように、山城はこの一つの映像から、三次元の空間と時 間から構成されるインスタレーションを生み出したいという。 どこまでも映像的な感性に信頼を置き、映像的な発想を 追求しようとする山城にただただ驚かされた瞬間だった。新たな手法の開発は、新たな作品制作のプロセスを導く。 それは山城にとって、 これまでにない感覚を操作し、作品化することにつながっていったようだ。 二つ目に注目したいのは、 シンプルに空間内で起こる目の前の体験だけで、作品を完結させたことだ。 これまで得 意としてきた、 まちに繰り広げる屋外での体験型作品や、複雑な構造の作品ではなく、 アサヒ・アートスクエアという閉じ られた空間の中で、作品内で生まれる体験を、 すべて自身の感性でのみ構築した。一見些細なことのように思えるが、 山城にとってこれは新たな展開だと言えるだろう。 またこのシンプルさは、彼自身の率直な気持ちがストレートに表明さ れている本作の内容とも通底しているように思える。
本展は展覧会の形をとりつつも、 これもまた 『東京映像芸術実験室』の一つの過程である。 「映像芸術」 という言 葉に託し、今回の実験室で模索してきた山城の新たな表現に対して、 ぜひ率直な感想をお聞かせいただきたい。 最後になりましたが、本展覧会の開催にあたり、多くの皆様から多大なるご協力を頂戴いたしました。あらためまし て心より御礼申し上げます。
坂田太郎|アサヒ・アートスクエア事務局
2013 年 12月19日朝 アサヒ・アートスクエアにて *12月23日夜 加筆修正