Carlo Scarpa 研究
日本旅行写真からみるスカルパの日本へのまなざし
古谷誠章研究室 1X10A126-2 仁 平 夏 実 Carlo Scarpa ( 1906-1978 )
序論
第1章 1969 年 - スカルパの日本旅行
第2章 桂離宮
結論 スカルパの日本へのまなざし
展望 日本旅行前後にみるブリオン家墓地(1968-1978)
・研究背景/目的
1- 1.スカルパと日本
2- 1.桂離宮について
・桂離宮への視点からみる思想
3- 1.ブリオン家墓地について
・研究対象
1- 2.スカルパの日本旅行
2- 2.西洋の建築家の桂離宮のみかた−タウトとグロピウス
3- 2.ブリオン家墓地水のパヴィリオンの日本旅行前後での設計変更
・研究方法
1- 3.スカルパが日本旅行で撮影した写真
2- 3.スカルパの桂離宮のみかたとの比較
3- 3.設計変更点の考察
1- 4.小結
2- 4.小結
3- 4.小結
■序論
■ 1969 年 - スカルパの日本旅行
■結論
・研究背景/目的
「私は日本に行ったことがあります。日本では神道信者と仏教徒を
タウトは空間がある理想的な方法で体験されるとき、ベストな効果が生まれるような建築を目指していたと考えられる。
本研究では、スカルパが日本に対して強い関心をもっていた、という背
はっきり見分けることができます。・・・神道は純粋に正真正銘の日
しかし本来、建築を体験する際の空間の見え方は、設計者が完璧に決められるものではない。
景のなかで、スカルパの日本旅行写真から、スカルパがどのように日本を
本のものです。我々の現代的な趣味、評価の範疇は親神道的であり、
スカルパは空間の知覚の仕方が、訪れる人によってつくられるものであるとも考えていた。しかし、ただ建築家が何もしないのではなく、自分のつ
見て、日本に対しどのような思想をもっていたのかを明らかにすることを
仏教のそれではありません。建築的に見れば、神道が仏教に比べて
くる空間において、知覚のしかたを無限に広げられるような仕掛けを用意することを目指していたのではないだろうか。
目的とする。
詩的であるとは必ずしも言えませんが、私の意見では、これは大き な価値の逆転であると思います。 」(1976 年 11 月 16 日カルロスカル
■展望
パ講演録より)
スカルパは、 「日本から影響を受けた」といっているが、それは 1969 年の日本旅行前後でカルパによって設計されたブリオン家墓地の日本旅行後の、
・研究方法
視線をさまざまな場所へと促すような設計変更点に反映されているのではないだろうか。
■一次資料
1. パヴィリオンへのアプローチ
・スカルパが日本で撮影した写真
芝生からまっすぐアプローチするものだった
・スカルパ講演録
のが、通路から屈折して入り込むよう変更さ れる。これにより、夫妻の墓や遠くに見える
・文献翻訳
「1969 年を経た陰翳に関するドローイング分析」 (斉藤信吾/中村碧)
・日本旅行のガイドブック
山へ、しっかり視線が通るようになる。
では、スカルパが視野に入っていたものからなにを切り取っていた
・タウト、グロピウスの桂離宮に関する著書
のかを明らかにしている。
■着眼点
■桂離宮
スカルパは日本旅行でなに注目し、
スカルパ:目を動かすことで、自由に桂離宮を体験
2. 通路の階段
なにを考えていたのか。 2種類の階段がつくられ、パヴィリオンへ向
他の近代建築家の桂離宮のみかた
かう暗がりのシークエンスと、夫妻の墓へと
からわかるスカルパの桂離宮への視点
向かう穏やかな風景の、2つのシークエンス が考えられた。
■結論 日本旅行写真からわかる スカルパ独自の日本への視点 3. 天がいのボリューム 天蓋の上下のボリュームが分化される。これ
・Guido 氏インタビュー
により、視線の高さによる視界の変化をうみ
・ブリオン家墓地ドローイング からわかる日本旅行前後での設計変更点
タウト:道行に沿った、ある理想的な桂離宮の体験
だそうとした。 4. 天井
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key plan
■展望 スカルパの日本での経験が反映されている かもしれない設計手法
設計変更前は、パヴィリオン内ではどこの断 面も同じであったが、変更後、天井の有無に
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より、より多様な断面がつくられた。これに より、立つ場所では空と水面に、坐る場所で は水平方向に視線が集中されるようになっ た。
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