初期䜜品にみる菊竹枅蚓の原点に関する研究 - スカむハりスず梅林寺ティヌハりスの比范を通しお-

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初期䜜品にみる菊竹枅蚓の原点に関する研究 - スカむハりスず梅林寺ティヌハりスの比范を通しお 梅林寺ティヌハりスの発展出雲倧瀟庁の舎 /1963・東光園 /1964・埳雲寺玍骚堂 /1966 ぞ

叀谷誠章研究宀 1X10A067 小林 ひかる

目次

梅林ティヌハりスの架構は筑埌川に察し垂盎に蚭けられおいる。

梅林寺ティヌハりスの、屋根を氎平に保぀ための梁、それを支える壁柱・柱、そしおその

それは壁や建具が措氎により流されおも架構䜓だけは残るようにず぀くられたず考えられる。

間に屋根が挟たれおいるずいう構造圢態は、埌の埳雲寺玍骚堂に発展しおいた。

この考え方は埌の出雲倧瀟庁の舎、東光園にも芋るこずができる。

序論    研究背景  研究抂芁・目的  仮説

第䞀章 菊竹枅蚓ずは    第節 菊竹が぀くり出したもの      1-1 時代背景      1-2 菊竹が぀くり出したもの        曎新建築代謝建築・メタボリズム )        䞉段階の方法論

第二章 原点ずなるスカむハりス / 1958

第節 菊竹の根底にあるもの      2-1 措氎ぞの恐怖      2-2「流されない建築」      2-3「流されるこずを芚悟した建築」  小結

第節 スカむハりスの発展性      2-1「代謝」する建築の原点      2-2 持ち䞊がる床の原点         ―江戞東京博物通 (1992) ぞの発展  小結

第䞉章 原点ずなる梅林寺ティヌハりス /1958    第節 梅林寺ティヌハりスが衚珟するもの      1-1 梅林寺ティヌハりスずは      1-2「生き残る架構」         ―柱・壁柱         ―梁      1-3「流されるこずを芚悟した建築」ずしお

第節 スカむハりスが衚珟するもの      1-1 スカむハりスずは      1-2 メタボリズムの端緒      1-3 スカむハりスに察する評論      1-4「流されない建築」ずしお

菊竹枅蚓 1928 - 2011

結論

梅林寺ティヌハりス /1958

第節 梅林寺ティヌハりスの発展性      2-1 壁柱の原点      2-2 屋根を氎平に保぀梁の原点         ―埳雲寺玍骚堂 (1966) ぞの発展      2-3「生き残る架構」の原点         ―出雲倧瀟庁の舎 (1963) ぞの発展         ―東光園 (1964) ぞの発展  小結

筑埌川のそばに䜍眮する

思想的発展

梅林寺ティヌハりス /1958

梅林寺ティヌハりス架構図

出雲倧瀟庁の舎・東光園に新たな芋解を䞎える  壁柱・柱

屋根の䞊に乗る梁

梁・壁柱によっお 支えられおいる屋根

研究背景

原点ずなる梅林寺ティヌハりス /1958

圢態的発展

埳雲寺玍骚堂の構造圢態に発展しおいる

「日本で、氎量が特に倚い川ずいうのは、関東地方の利根川ず、九州の筑埌川の二぀です。私は家が 梅林寺ティヌハりスは雑誌や䜜品集等に取 筑埌川のすぐそばにありたしたので、毎幎、措氎が起こるわけなんです。措氎がどれだけ怖いかは、 り䞊げられおおらず、図面が䞀般に公開さ 䜓隓した方はわかるず思いたすが、䞀床にどっずくるわけです。だいたい足のすねのずころから䞊に れおいないため、実枬による調査を行った。 なっおきたすず、自由に行動できない状態になりたす。」     - 菊竹枅蚓「菊竹枅蚓 巡瀌」より 菊竹の蚭蚈掻動の根底にあったのは地元久留米垂の筑埌川の氟濫の経隓から根付いおいる 措氎ぞの

堀川のそばに䜍眮する

出雲倧瀟庁の舎 /1963

出雲倧瀟庁の舎架構図

恐怖心 であった。そしお䜜られたのがなんずしおでも措氎に流されたいずするスカむハりスや江戞 東京博物通等のピロティをもった建築、いわば自然ず察峙するの姿を衚珟した建築である。

梅林寺ティヌハりス実枬図

埳雲寺玍骚堂 /1966

䞀方、筑埌川のすぐそばに、菊竹の梅林寺ティヌハりスずいう小さな䜜品がある。この䜜品は筑埌川 のわきに建っおいるにも関わらず、ピロティの構造を持っおいない。調べお行くずこれは措氎に「流 されおも良い」ずいう芚悟で建おられた建築であるずいうこずがわかった。自然を受容する建築 の姿を衚珟しおいるずいえる。これはなんずしおも「流されたい」ずしおいた菊竹のこれたでの通説 ずは異なる偎面であるず考えられた。そしおこの梅林寺ティヌハりスはスカむハりスのわずかヶ月 埌に発衚されおいた。

梁・壁柱によっお

海のそばに䜍眮する

぀たり、ほが同時期に東京の自邞では自然ず察峙する建築を衚珟し、犏岡県久留米垂の地元では

東光園 /1964

東光園架構図

屋根の䞊に乗る梁

壁柱

支えられおいる屋根

自然を受容する建築の姿を衚珟しおいたずいうこずである。

結論 結論 スカむハりス /1958

江戞東京博物通 /1992

梅林寺ティヌハりス平面図

菊竹の生たれ育った街 犏岡県久留米垂

本研究を通しお芋えおきたのは、 建築を぀くる菊竹の背埌に垞にあり続 けおいたのは、犏岡県久留米垂の原颚 景であるずいうこず、 そしおなんずしおも人々を自然の脅嚁 から守らなければならないず奮闘する 菊竹の人物像である。

N

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梅林寺ティヌハりス

研究目的 本研究では、この菊竹の氎ずいう自然に察する二぀の姿勢を、スカむハりスず梅林

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結論

5

結論

生たれ育った故郷での経隓から生たれた菊竹の建築に察す る思想ずしお自然ずの察峙自然の受容ずいう二぀ の面があったず考えられる。 自然ずの察峙

スカむハりスは菊竹のメタボリズムの理論を最も明快に衚珟した䜜品であ り、たた自然ず察峙する姿を埌の江戞東京博物通 (1922) に発展させ おおり、菊竹の原点ずなる䜜品であるず䜍眮づけるこずができる。

梅林寺ティヌハりスは、自然の受容ずいう姿を埌の 出雲倧瀟庁の舎 (1963) や東光園 (1964) に展開し、さら にその構造圢態を埌の埳雲寺玍骚堂 (1966) に発展させ おいた。

自然の受容

寺ティヌハりスずいう䜜品を取り䞊げるこずで明らかにし、菊竹の建築思想に察す る新たな芋解を提瀺するこずを目的ずする。

▷

スカむハりス /1958

仮説

それらの思想を䜓珟しおいる䜜品の原点ずしお、1958 幎 に発衚された䜜品、スカむハりス、梅林寺ティヌハりス をあげるこずができる。

スカむハりスず同時期に発衚された梅林寺ティヌハりスは、スカむハりスずは異な る点で、菊竹の建築の思想・圢態の原点ずなっおいるのではないか。 梅林寺ティヌハりス立面図

1958.4

スカむハりス

1958.7

梅林寺ティヌハりス

0

1

2

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展望

遠藀勝勧氏

犏岡県久留米垂の菊竹家の菩提寺内

流されない建築 自然ずの察峙

流されるこずを芚悟した建築

⇆

梅林寺ティヌハりスは日本建築である東屋をコンクリヌトで衚珟しおおり、日本の近代建築の転換点を明確

自然の受容

に珟しおいる䜜品ず蚀えるのではないか。 梅林寺ティヌハりス架構図

したがっお、菊竹の建築に察する根幹の意識を育んだ故郷 に建぀梅林寺ティヌハりスは、菊竹䜜品に察し新たな芋解 を䞎えるこずができ、菊竹の思想・圢態の原点であるず結 論づける。

「代謝建築論」菊竹枅蚓著  1969/2008/ 地囜瀟 「人間の建築」菊竹枅蚓著1970/1978/ 井䞊曞院 「建築のこころ」菊竹枅蚓著 「菊竹枅蚓 䜜品ず方法」菊竹枅蚓著1973/ 矎術出版瀟 「東屋っおいうず、蚭蚈しなくおも、たしおやお寺だから、菊竹さんに頌んだら、朚造じゃあね。朚造だった 「建築の倚様性ず察立性」R. ノェンチュヌリ著1982/ 鹿島出版䌚 ら怍朚屋さんが぀くった方がうたいから。やっぱり近代建築の、僕らはやっぱりコンクリヌトずか鉄骚䜿い 「デザむンずは䜕か」川添登著1981/ 角川遞曞 「建築における日本的なもの」磯厎新著2003/ 新朮瀟 」 たくお、うずうずしおたずきだったから。やっぱりそういう意味で。 「芋る枬る建築」遠藀勝勧著2000/TOTO 出版 「束井源吟䜜品集 1955-1989」束井源吟䜜品集刊行委員䌚1990/ 鹿島出版䌚 「プロゞェクト・ゞャパン メタボリズムは語る」レム・コヌルハヌス、ハンス・りルリッ 近代建築の代衚的材料であるコンクリヌトを甚い、日本の䌝統 ヒ・オブリスト著 2012/ 平凡瀟 建築を近代建築の流れに融合させた䜜品を生み出し始めた時代 日本近代建築の 「メタボリズムずメタボリストたち」倧高正人・川添登線2005/ 矎術出版瀟 「メタボリズムの未来郜垂展」2011/ 森矎術通 歎史における 「菊竹枅蚓巡瀌」磯達雄・宮沢掋著2012/ 日経 BP 瀟 梅林寺ティヌハりスの䜍眮づけ 「菊竹枅蚓䜜品集」1 ∌ 4 菊竹枅蚓 1990/ 求韍堂 「メタボリズム・トリップ」チャヌリヌ・コヌルハヌス著  2012/ 平凡瀟 「建築を考える̶建築デザむンぞのアプロヌチ」菊竹枅蚓線著 1992/ 鹿島出版䌚

遠藀勝勧氏は寺の東屋ずしお建おられた梅林寺ティヌハりスがコンクリヌトで぀くられたこずに぀いお次のように述べおいた。

菊竹事務所に 40 幎勀務

東京郜文京区音矜の自邞

梅林寺ティヌハりス /1958

参考文献

新建築 (1954.7 1955.8 1956.4 1956.5 1956.9 1956.12 1957.1 1961.12 1961.3 1964.9 1964.10 2012.5) 近代建築 (1958.4 1959.11 1960.1 1960.4 1960.11) SD(1980.10) 建 築 文 化 (1955.3 1959.1 1959.11 1960.10 1961.2 1961.11 1963.6 1964.7 1964.10 1989.5 ) INAX REPORT No.134.171  LIXILeye No.3  NIKKEI ARCHITECTURE 2012-12-25 Tokyo Society of Architects & Building Engineers OPEN COLLEGE 2010


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