ミース・ファン・デル・ローエの独立住宅設計に見られる態度

Page 1

態度

る 夕

=

: 西岡降司

、    . メ´、′■ 4■  一●      .



1995年

卒業論 文

『ミース0フ ァン0デ ル0日 ―工の独立住宅設計に見られる態度』 Brick

渡 辺仁 史 研 究室

G2D124-7

西岡 隆司

Country

House

lg23


目次 こま ヒ)と 51こ

-2 3 研究 目的 研究背景一一一一一-4 研究概要――一一―-5 ′ 予 論 ―

■ 草

1-1 1-2 1-3

疑 ]う だ ル

2-1 2-2 第

3章 3-1 3-2 3-3 4章 4-1 4-2 4-3 4-4 5章 5-1 5-2 5-3

モデル案 と現実案 とは 独立住宅作 品の時期分類 と各 のモデル案 と現実案一一― ‐ 分

工=摩 概

析 一

- 20 一

-21

各時期 の比較・ 分析一一一―一-22 時期 の移行 に関す る比較一一一-51

_―

53

54

モデル案 と現実案 の 関係=一一一一

各時期 の分析・ 比較 に関す る考察―一一―-55 時期 の移行 に関す る考察―一一一一一一一-59

60

お 今

七)に

わ 望

あ とがき

64

-65

-66

68


めに1=l, はじ

建築家が経済的、技術的 、ある いは敷地 などといった設計 に関す る与条件 の一 切 を省 い た図面類、模型 を用 いて表現 する建 築案 とは いったい彼 (彼 女 )に とって どの よ うな意味 を持 っているのだ ろ うか。 それはいわゆるプロ トタイプと呼 ばれ る ものだ ろ うか。 一一 ― ― ― 一 ― 一 ― ぁるいて ぞ

0建

築 家 が そ う し た 図 面 類 、頂 型 を 発 表 し た 後 の 現 実 案 と そ れ ら は 三 体 ど の

よ うな関係を もつ だろうか。 このよ うな疑 問 か ら本論 を始 めよ うと考え るが、実際 の ところ例 えば、大勢 の建築家 の モデル案 とも解釈 で きるよ うなプ ロジェク ト群 を集 め、 またその後 の各 々の現実作品群 と 比較 したところで 、それは恐 らく単 なる建築家 ごとの手法 の分析 に しかな らな いのではな いか とも思われ る。 このよ うな不安 か ら、本論 において は一人 の建築家 を選 び出 し、彼 が その設計経歴 において幾度 とな く提示 したモ デル案 とその後 の現実案 との比較 が当初 に掲 げた疑間 に うま く、一例 と しての域 を 出 ることはで きな いに もかかわ らず、何 か解答 を示 して くれ るのではないだろ うか。 また唯一人 の建築家を選 び出す こ とは、おおよその建築 家 がそのス タイル・ 作風 といった ものを生涯 において必 ず変化 させ ることも考慮 すれば、 彼 の手法 の変遷 、彼 の建築 に対 す る概念 の変遷 もか いま見 ることができると期待 するわ け であ る。 ミース・ フ ァ ン・ デル・ ローエ

(1886∼ 1969)は

、現代 までにおおよその評価

が定 ま ってお り、 またその経歴 においては、初期 か ら晩期 に至 るまでの過程 で大 きな変遷 を遂 げてお り、か つ幾 つか の転換点 の時期 に紙 の上 で、あ るいは実際 の作品 による表現 で 近代建築 にとって重要 とまで言 われ る案 を発表 した建築家 である。彼 はまたその他 の現実 案 も数 多 く残 して い るので格好 の研究対象 にな ると思われ る。


■ 章

1-1 1-2 1-3

研究 目的 研究背景 研究概要


3

1-1)

研 究 目的

ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ のモデル案 をまず仮定 し、 その後 の現実案 との関係 を 明 らか にす る。 その際 、 この「 関係 」 とは設計手法 によって結 ばれて い るはずであるか ら、 これを明 らかにす ることはモ デル案 と現実案 にお ける彼 の手法 の分析 に拠 ることにほかな らな い。 このよ うな手続 きは手法 の変遷 も明 らか にすることと思 われる。そ して この観点 か ら ミースの設計姿勢・ 態度 を考 察 す る。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


1-2)

研 究背 景

ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ に関す る研究 は コル ビュジェほどではないに して も、豊 富 であ ることはよ く知 られて い る。それ らは彼 の近代建築 へ の貢献 や、 ユニバ ーサルスペ ースの是非、建築 史上 にお ける位置 などに関するもので あ り、分類 としては建築史、意匠 論 、空 間論、作家論 の類 いに属 す るもの である。 本論 いおいての ミースの研究 は、彼 の設計士 と しての姿勢 や態度 を明 らか に しよ うとす るものであ り、む しろ建築計画論 的 な視点 か ら展 開 したいと考 えている。 ところが建築計 じ 勺 とか ら、 この よ うな建 築 家 の 固有 的研究 はや は リー 作 家 論 ふ うにな るの もやむを得 な いの で は な い か と も思 うた め 、 で きるだ け建 築 計画論 の視 点 を維持 す る こ とを意識 す るの であ る。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


5 口

1-3)研

究概 要

まず比 較 の研究対象 とな る建築設計過程 にお けるモ デル案 と現実案 とはその言葉 の意味 と してどのよ うな ものか、定 義 を試 み る。次 に ミース・ フ ァ ン・ デル・ ローエの生涯 にわ た る独立住宅 の設計 にはその傾 向 にい くたびかの転換点 が あ り、そのた びに彼 はモデル案 と呼 ぶべ きプロジェク ト案 を提示 した と思われ るので 、それ ら転換 した時期 とそれぞれの モデル案 につて彼 の設計経歴 を明確 に分節 する ことを堤案 す る。 その次 に個 々のプ ロジェタ トについての比較・ 分析 を行 うが、その方法 は分析 の項 目の

比較・ 分析 は個 々のプロジ ェク トだ けでな く、先 に分節化 された時期 ど うしに も、 また 時期 か ら時期 へ の移 り変わ りに関 して も、行われ る。 その後 にそれぞれの比較・ 分析 に関 す る考察 、 そこか ら ミースの設計姿勢 に関す る考察 を行 う。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


6

2章

2-1)モ 2-2)独

_と

デル案 と現実案 とは

立住宅作 品 の時期分類 と各 々 のモデル案 と現実案 の堤案


7

2-1)

2-1-1)理

モ デ ル 案 と現 実 案 とは

想 と して のモ デ ル 案 につ い て の定 義

まず建築 に お け る計 画 と設計 の過程 を 定 義 した、「 建築 計 画 」 (実教 出版 ;鈴 木成 文 、 他 著 )に よれ ば その過 程 は以下 の 図 の よ うに な る。

求件 要条 的 部握 部外 把 内 との

形 態 の基 本

1)を つ く り,

方 式 を決 足 ││

││

設 計 (前 段

設 図 2・

1

設 計 (後 F貸

)

)

計画 と設計

上 の 図 にお け る

(i)お よび

(五

)は おおまかに基本設計 と呼 ばれ るが、前 出書 において、

その基本設計段 階 をさ らに細 か く分析 す るために以下 のよ うな設計 プ ロセ スモデルを用 い て説 明 して い る。 ・ ・・・ 前略・・・・ こ うして一般 に、基本設計段階 を、設計行為 の内容 か ら次 に記 す A ∼ Eの 5局 面 に分 け、 その局面 の変 わ り目 ごとに、設計者 によ って何 らか の決定 が行 われ る もの と思 わ れ る。

A.与 条件 の整理 :具 体 的・ 抽象 的与条件 の整理 など B.設 計条件 の設定 :資 料 の収集 ・ 分析 、設計条件 の まとめなど C.建 築空 間 のモデル分析 :動 線・ 平面 。規模・ 構造 。設備・ 造形 の分析 など D。

総合的検 討 :平 面・ 断面 。構造・ 造形・ 立面 。設備計画 など

E.表 現・ 伝達

:表 現方法 、説 明書 の作成 、建築 図面作成 など (途 中略 )

一 方 、先 に設計 プ ロセ スモデル とい う語 においてモデル とい う単語 を使用 したが ここで 改 めて その定 義 を確認 す る。「 新 建築学体系 23

建築計画」 (彰 国社 )の 第 3章 、設計

方法論 には次 のよ うな記述 がある。「 あ る事象 の理想形 と して のモデル とい う言葉 を使用 す る場合 と、 あ る事象 のひな型 を指 す場合 があるbし か しいづ れに して も、実物 とは本質 的 には異 なる けれども、実物 の あ る面 だ けを取 り上 げて作 った ものを モ デル とい うわけで

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


8

あ る。 したが って実物 では求 め られな いか もしれな いが、あ る面 を理想化 した ものを仮 に 考 えて作 った もの もモ デルであ り、 それがまね るに足 る規範 の意味 を持 つ ことになるので あろ う。・・・ 中略・ ・ 。この よ うにモデル とい う言葉 にはいろ いろな捉え方 があるが、 ここで は “あ る総体事 象 の中か らある必 要 な属性 、性能 だ けを問題 に してその側面 に限 り 総体事象 と同 じ働 きを有 するものをモデル と言 う"こ とにす る」

``ヽ ――

以上 の記述 の うちで `∼ "に お け る部分 を建築計画 で用 い るモ デルの定義 と 身

ところで、ある建築家 が 自 らの建築 に対 する概念 を表現 した平面図、パ ースペ クティブ 図、模型 を発表 した りす るが、 これ らは先 に挙 げた設計 プ ロセ スモデルにお ける、大部分 の項 目を省 いた (ほ とん どの場 合 が C.建 築空 間 のモ デル分析 だ けをお こなった もの と思 われ る)設 計行為 であ ると言 え る。 とすれば、 このよ うな図面類 は以下 の ように定義 づ け られ るのではないか。 先 に述 べたモデルの定義 と対照 させて、 `あ る総体事象 "と は建築全体 の ことであ り、 “あ る必要 な属性、性能 "と は建築家 の空 間概念 や新 しい表現言語、その他 の ことで ある。 これ らの図面類 、模型 は空 間概念 の表現 、新 しい表現言語 の表現 などに限 り実際 の総体事 象 すなわち実物 の建築 による表現 の働 きをすべ て とまでは言 えな くとも、有 する。 といえ るな ら、 こ うした図面類 、模型 は建築 の主 に空間や表 現 とい う側面 に限 り、建築家 の理想 モ デルであると定義す る。 いいか えれば、本論 にお いては独立住居 を扱 うわけだか らそ こ にお ける生活行為 へ の対応 を余 り考慮 していない、 ミースの建築 へ の思想を表現 した もの がモデル案 なのである。

2-1-2)現

実案 につ いての定 義

本論 にお ける現実案 は実際 に建設 された建物 、あるいは建設 されず に終 わ った プ ロジ ェ ク ト案 のなかで も、先 に述 べ た設計 プロセスモデル にお ける与 条件 や機能 、規模 、構造 な どを考慮 し、現実 に建設 する こ とを意図 された もの を い う。やは り生活行為 へ の対応 を考 慮 して いるものが現実案 とい う こ とになる。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


2-2)独

2-2-1)独

立 住 宅 作 品 の 時期 分 類 と各 の モデル 案 と現 実 案 の堤 案

立住宅作 品 の時期 的分類

ミースの独立住宅作 品 は 1907年 の リール邸 (ベ ル リン・ ノイバ ーベルスベル ク)か ら始 ま り、 1951年 のフ ァ ンズ ワース邸 (イ リノイ州 プラノ)に いた って、終 わ る。 こ の 44年 間 に彼 の設計 した住宅 はあ らゆる点 で変遷 を遂 げたが、その変遷 は い くつ かの時 期 に分 けて考 え ることがで きる ことを ここで提案す る。

第 1期

第 2期

1907年 1922年

新古典主義

リール邸 ∼ フェル ドマ ン邸

1923年

モダニ ズ ム

1930年 第 3期

第 4期

5期

煉瓦造 とコ ンク リー ト造 のカ ン トリーハ ウス案

ラ ンゲ邸

フ リー ス タ ンデ ィ ング ウ ォール

コー トハ ウス

1929年

バ ルセ ロナ 。パ ビ リオ ン∼

1931年

ベ ル リン建 築 展 モデル住 宅

1931年 1935年

グ ル ー プオ ブ コー トハ ウス∼ フ ッベ 邸

シ ング ル ス ペ ー ス 住 宅

1946年 1950年

∼ 1951年

フ ァ ンズ ワース邸

∼ 1951年

50× 50邸

以上 の よ うに分 けたその根拠 を ここで論証 した い。 主 な判断材料 と して、 1)デ ザイ ン (イ ンテ リア・ エ クステ リア )

2)材

3)構 造 および構法

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


10

第 1期

∼ 1922年

1907年

この時期 の 1913年 まで ミースは、 P.ベ ー レンスの設計事務所 に所員 と して働 いて いた。 P.ベ ー レンスの当時 の仕事 の方針 は二 つ に分 け られてお り、一 つ は AEGか らの 依頼 をW.グ ロピウスや A.マ イヤ ー らが、 もう一 つ は一般 的 な依頼 や コ ンペ を新古典主 義風 デザイ ンで ミースが担当 して いた。

1

このよ うな環境 にいたため 当然 の よ うに、 ミースは新古典主義 の影響 を受 け、特 に P. ベー レンスが K_F.シ ンケル に傾倒 して いたために、事 務所独立後 もシンケル風 のヴ ィ ラをい くつか設計 した。 (図

2.2.1お

よび 2)

このよ うな指摘 は従来 か らなされて きた ことで あ り、 ここにい くつかを取 りあげてお く。 ペ ールス邸 に関 して「 みが きの かか った シンケル様式」 2 ぁるい は「 ミースの先駆者 た ちはあちこちで共鳴 してい る。入 れ込 み 3間 ロ ッジアの両側 に両 開 き鎧戸 を配 すのは、 シ ンケルの シュロス・ シ ャル ロ ッテ ンブル クのパ ビ リオ ンか らの レベ ルを変 えた再現 であ り、 ・・・ 中略・・・ 簡素 なコーニ スは シ ンケル、 ベ ー レンス双方 にた どれる。」 3

ペ ール ス邸

1995年

1911

渡辺仁 史研究室

卒業論文


1■

図 2・

3

ウル ビッ ヒ邸

1914

この 時期 の主 な作品 (プ ロジェ ク ト案 を含 む ;以 下 同)

1911年 ・ ペ ールス邸 /1912年 ・ ク レラー・ ミュラー邸案 1913年 ・ ヴ ェルナ ー邸 /1922年 ・ アイ ヒシュテ ッ ト邸 1923年 ∼ 1930年 ・ 第 1次 世界大戦 (1914年 ∼ 1918年 )後 に ミースはデ・ ステ ィルのテオ フ ァ ン 4 また 1910年 ベ ドゥース プル フや構成主義 の エ ル・ リシ ッキ ー らと交流 が あ った。 第 2期

ル リンのヴ ァス ムー ト出版社 が催 した フラ ンク・ ロイ ド・ ライ ト展覧会 で ミースは大 きな 衝撃 を受 けた ことを、後 に吐露 して い る。「 我 々は、彼 (ラ イ ト)の 比類 なき才能 を、 そ の大胆 な考 え方 を、 またその孤高 の思想 と行動 を、ますます強 く尊敬 す るようになった。 彼 の作品 か ら放射 され るダイナ ミックな衝動 は、す べての世代 を元気 づ けた。彼 の影響 は、 それが実際 に形 として認 め られ ないときで さえ、強烈 に感 じられた。 この最初 の 出会 い以 来 われわれ は、 この希有 の人物 の発展 を注意深 く見守 った。 われわれは、驚異 の念 を も っ て、 自然 か ら最 高 の才 能 を与 え られ た人 間 の才能 が豊かに展 開 してゆ く有 り様 を見守 った。 衰 えを知 らな い彼 の力 を考 え ると、彼 は広 大 な風景 の中 にあ って、年 ごとによ り高貴 な花

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


12 l l

冠 を 開花 す る 巨木 の よ うな存在 で あ る。 」 5 また ミース はオ ラ ンダ のベ ル ラ ーヘ に も深 い感 銘 を受 け る。「 ベ ル ラ ーヘ の証 券取 引所 (ア ム ステル ダ ム・

1909)に

は大 きな感 銘 を受 け た 。私 が一 番 魅 か れ たのは ベ ル ラ ーヘ の慎 重 で 骨 格 に忠実 な構造 体 だ った 。 ま た 彼 の心 構 え は古典主 義 と も過 去 様 式 と も無縁 だ った 。私 もベ ル ラ ー ヘ に 習 って シ ンケル の古 典主 義 か らの脱却 に努 め な けれ ば な らなか

図 2・

4

ロバ ーツ邸 /F.L.ラ

イト

1907

った」 6 このよ うな影響 を受 けなが ら ミースは 1923年 に レンガ造 とコ ンク リー ト造 の 田園住 宅案 を提案 す るが、 これ らは明 らかにそれ までの新古典主義 の手法 とはデザイ ンのほ とん どす べてにお いて異 なる もので あ る。 このデザ イ ンの影響 に関 す る記述 をあげるな ら、「 やは リライ トのプ レイ リーハ ウスに お ける、 中心 コアか ら外 へ とウ ィ ングを のばす とい う手法か ら習 った教 えの証拠 が、特 に コ ンク リー ト造 田園住宅案 の風車状構成 に見 られ る。 ミースの建築 は、その非対照 マ ッス 配置 の 中 に入 って行 く空 間 と して、空 間 に貫入 し、実部 と虚部 が互 いに無関係 ではないよ うな演 出を作 り出 して い る」 7

「 煉瓦 は ミースにと って ア ーヘ ンで年季奉公 して いた ころに深 く親 しみを覚 えて いた し、 ま してベー レンスが ア ムステルダ ム証券取 引所 でな した技 を見 た ときにはなお さ ら深 く絶 賛 した ものであ った。今 や ミース は極 めて明瞭 なモダ ンデザ イ ンとして この煉瓦 を使 うこ とに、 自分 自身確信 が あ った。 アメ リカで定 め られた枠 を超 えたライ トの空 間処理 をやは り彼 は実行 す る準備 を して いた し、また、フ ァン・ ドゥース プル フか ら学 んだモデルの助

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


13

け につ いて もそ う した。・ ・ ・ 中略・ ・ ・ 煉 瓦造 田園住 宅 案 の平 面 図 こそ 、 最 も 目を ひ く特 性 で あ る。 デ・ ス テ ィル 派絵 画 に似 、

1924年

大 ベ ル リ ン芸術展 で初 めて

展 示 され て以来 、名 声 を博 して 来 た ことの理 由 の一 つ は、 この 図面 は建築表現 と して と 同 じよ うに絵画 的要素 が あ る、 と い う ことで あ る。 と りわ け 1918年 頃 の フ ァ ン ・ ドゥー ス プル フの “ロシ ア・ ダ ンス の リズ ム "と の類 似 につ いて 、 多 くの指 摘 が な され て きた 。・ ・・ 中略・ ・ ・ ミース は フ ァ ン・ ドゥース プル フの作 品 に親 しん で いたのだ か ら、 この ゲ シュタル トか ら平 面 図 を連 想 した の か もしれ な い。 」 8

_1:1:]:

図 2・

6

レンガ造 田園住 宅案

1923

この 時期 の主 な作 品

1923年 ・ 煉瓦造 田園住 宅 案 ・ コ ン ク リー ト造 田園住宅案 1926年 。モ ス ラ ー邸 /1927年 ・ ヴ ォル フ邸 1930年 ・ エ ス タ ース邸 /1930年 ・ ラ ンゲ邸

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


14

第 3期

1929年

∼ 1931年

ミースは 1928年 に、これ まで にな いほどの作 品実現 のチ ャンスを得 ることにな った。 それはバ ルセ ロナ国際博 での ドイツパ ビ リオ ンの設計依頼 である。彼 は この仕事 でそれま で に もって いた建築 ヴ ィジ ョンのおお くを試行 す る。例 えば耐力壁 に変 わ って 、非耐カ ス ク リー ンで あるフ リースタンデ ィ ングウ ォールの採用 。 (す なわち柱梁 による軸組構造。 ) また乗 れによる流動 的空 間の実現 。 ク ロ

Lム メ ッキを張 り付 けて輝 く十字形 の柱 。大理石

による空 間 の演出 な ど。彼 の この時期 の発言「 ギ リシ ャ時代 の神殿 、 ローマ時代 の会堂 、 中世 の大会堂 はわれわれ にとって個 々の建築家 の作 品 と してよ りもその時代全体 の創造物 と して意義深 い。 これ らの建造者 の名前 を詮索 す る ものがあるだ ろ うか。本来 こうした建 のシン 物 は非人格 的 であ り、 それぞれ の時代 を純粋 に表現 した ので、紛 れ も無 くその 時代 ボル として意 味 があ る。」 とい うの はそ の この作 品 に当 てはめ られ た 。す なわ ち 20世 紀 9 とい う時代 のシンボル である技術 の暗喩 とい う評価 を得 たのだ。

ース これ以降 第 2期 との差異 として は、特 に構造法 の変化 であ るといえ る。 とい うの もミ の作品 はす べて柱 と梁 による車由組構造 になるか らで ある。

図 2・

7

バ ルセ ロナ パ ビ リオ ン

1929

この時期 の主 な作 品 は

19

29年

。バ ルセ ロナパ ビ リオ ン/1930年 1

。 トゥーゲ ン トハ ッ ト邸

931年 ・ ベル リン建築展 モデル住宅

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


15

第 4期

1930年

1931年

∼ 1935年

になると ミースはバ ウハ ウス (デ ッサ ウ)の 校長 に就任 す る。 1°

ここで彼

は、 その生徒達 と共 に都市 にお け る住居 をテ ーマにい くつ か のモデル案 を思案 して いた。

H

それ らは外部 に対 して閉 じられ た空 間 を形成 す るもので あると同時 に、その内部 では

外吉 「 す なわ ち 自然 を取 り込 もうとす る工 夫 が見 られ る。第 2期 との差異 は このよ うに、 ミ ースが都市住居 とい うテ ーマを も って建築 に取 り組 んでいた ことで ある。 また この時期 に 彼 は第 2期 にお いて偏愛 して いた レンガ をその外観 に復活 させて いる (但 し構造 は軸組式 であ ることか ら レンガは化粧材 と して用 い られ たと思われ る)点 において も大 きな差異 が 認 め られ るのである。

.

1ご

日 一 L │

1 : │

]

ニイ可 ¬ 「 菫

││'│li,

二二[I:三 二[EIII三二 二 ]

│―

ー1_'││ 菌¨

│ │

__三 二 │ : │ 1 1 口│ │

ロニ 電 │

図 2・

8

三 つの庭を持 つ コー トハ ウス案

1934

この時期 の主 な作 品 は

19

1931年 ・ グル ー プオ ブ コー トハ ウス案 1934年 ・ ガ レージ付 コー トハ ウス案 34年 ・ 3つ の 中庭 を もつ住宅案 /1935年 ・ フ ッベ邸

1995年 度

渡辺仁 史研究室

卒業論文


16

第 5期

1938年

1946年

∼ 1951年

に ミースはアメ リカ、 シカ ゴヘ移住 し、アーマーエ科大学 の教授職 に就 くの

だが、 ここでの彼 の独立住宅 の作風 は一 変 する。第 4期 との大 きな差異 は、既 に 1938 年 にはワイオ ミの レザー邸 にお いて考案 されて いた シングルスペース

12住

宅 の コ ンセプ ト

であるが、 これが実現 したのは 1946年 ∼ 1951年 の フ ァンズワース邸 においてであ る。 さらに構造 によ る力学表現 に強調点 をお いたデザ ィ ンは第 4期 よ りもその誇張度 を増 して い る。 (こ の点 が レザー邸 の第 5期 との差異 になっている)

9

図 2・

フ ァ ンズ ワース

195

この 時期 の主 な作 品 は

1938年

。レザ ー邸 /1950年

1946年

50× 50邸

∼ 51年 ・ フ ァ ンズ ワ ース邸

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


17 □

2-2-1)に

関す る註

1)ARCHITECTURAL MONOGRAPHS “ Mies

van der Rohe"(Sto MARTIN' S PRESS

N.Y 1986)p.14 2)P。 ブ レー ク `現 代建築 の 巨匠た ち"(彰 国社 1963年 )p.170

3)S.シ ュルツ p. 55

“ 評伝 ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ"(鹿 島出版会

4)シ ュルツ

p.89

評伝

1987年

他 に もハ ンス・ リヒターによれば ミースは ヒル ベ ルザ

イマ ー、ペ プスナ ー、 マ ン・ レイ、 ベ ンヤ ミンらと交流 があった。

5)山 本学治 、稲葉武司共著

p.26∼ 27 6)D.ス ペース p. 50

`巨 匠 ミースの遺産

'(彰 国社 1970年

“ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ"(鹿 島出版会

)

1988年

)

p.111 8)シ ュルツ 評伝 p. 113∼ 4 9)参考 スペース ミース p.92 10)`建 築 20世紀 partl"(新 建築社 1991年 )p.151 11)ARCHITECTURAL MONOGRAPH `Mies'p.86 12)`シ ングルスペ ース"と い う呼称 は ARCHITECTURAL MONOGRAPHS `Mies'p.91 による 7)シ ュル ツ

評伝

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文

)


18

2-2-2)各 時期 におけるモデル案 と現実案 の堤案 前段 (2-2-1)で 述 べ た ことは現段 階 にお いては仮定 と して の分類 であるが、本論 の進行 の便宜上 、 これを固定 した もの とす る ことを ここでお断 り してお く。 段落 (21)に お いて定義 された意味 でのモデル案 と現実案 の比較 が本論 の主題 であるか ら、各時 期 にお けるモデル案 とい くつか あ る現実案 の うちの代表 的 な ものを ここに堤案 す る。

第 1期 第 1期 に関 して の比較 は、現実案 は い くつ か存在 す るのだ が モ デル案 に該 当す るものの 存在 が認 め られな いため、あるいは ミースが評価 された ミー ス 固有 の建築観 の実現時期 で はな い と判断 で きるため、本論 では扱 わ ない こと とす る。

第 2期

1923年 27年 1925∼ 1928年 1928年

モ デル案 として

煉瓦造 田園住宅案

現実案 として

ヴォル フ邸 エ ス タ ース邸 ラ ンゲ邸

第 3期 モ デル案 として 現実案 として

1929年 ベル リン建築展 モ デル住宅 1931年 チ ューゲ ン トハ ッ ト邸 1928∼ 30年

パ ルセ ロナパ ビリオ ン

第 4期 モデル案 と して

ガ レージ付 コー トハ ウス 現実案 と して

1934年 1934年 1935年

二 つの庭 を もつ コー トハ ウス案

フ ッベ邸

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


19 ロ

第 5期 モ デル案 と して

50× 50邸

現実案 と して

フ ァ ンズワース邸

1950∼ 51年 1946∼ 51年

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


20

角言

3讐

3-1 3-2 3-3

上 L車 交 ‐ 多}夕千

概要 各時期 の比較・ 分析 時期 の移行 に関する比較


21 口

3-1)概

第 2章 までに堤案 された モデル案 と現実案 との比較・ 分析 の方法 について概観す る。 ま ず個 々のプロジェク トを分析 す るがその方法 は以下 のよ うに行 う。

(I)平 面図か ら i)全 体 の構成 ・・・ 平面 図 を シングル ライ ンで描 き直す ことによ り、大 まかな構成 を 観察 す る。 五)構 造法・・・ 柱線 や柱 の位置、壁式構造 の場合 の壁 の位置 などを観察 す る。 ■)機 能 の割 り付 け・・ 0生 活行為 へ の対応 が どの よ うになされて い るかを見 る。 (Ⅱ

)パ ース ペ クテ ィブ図、写真 および文献記録 か ら

i)エ クステ リア・ イ ンテ リア のデザイ ン 五)材料及 び構法

(Ⅲ

)こ のよ うな視点 か らの分析 の後 、 その時期 において対応 して い ると思 われ る項 目を 比較 す る。

(Ⅳ )次 に時期 の変遷 に伴 って変化 した項 目を比 較 す る。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


22

3-2)各

時期 の 比 較・ 分析

.

第 2期

(I)平 面 図 か ら i)全 体 の構成 煉瓦造 田園住宅 ○ 全 体 は遠心 的構成 を とる。 ○ 内部 を仕 切 る壁 はす べ て が フ リー ス タ ンデ ィ ング ウ ォール で 、 それ らは細 か く配 置 され 、 流 動 的空 間 を形作 って い るの が うか が え る。 ○室 名 な ど機能 を表 す よ うな表 不 は な い。

○二 つの壁が外側 に向か って伸 びる。

図 3・

1

レンガ造 田園住 宅案

平面図

ヴ ォル フ邸 ○ 全 体 は煉 瓦造 田園住 宅 の 同様 に遠 心 的構成 を と る。 ○ 内部 を しきる壁 は従来 の手法 の もので フ リー ス タ ンデ ィ ングで は な い。 ○室 が細 か く分 け られ て いて 、 生 活行 為 へ の対 応 が み られ る。

図 3・

1995年

2

ヴ ォルフ邸

渡辺仁史研究室

平面図

卒業論文


23

エ ス タ ー ス邸

○全 体 は完 全 な遠 心 的構成 とは 言 え な い。 ○ 内部 を仕 切 る壁 は従来 の 手 法 の もので フ リー ス タ ンデ ィ ン グで は な い。

○室 が細 か く分 け られ て いて 、生 活行 為 へ の対 応 が み られ る。 ○ テ ラス の部分 に、 外部 へ と伸 び 図 3・

る壁 が 見 られ る。

3

エ スタース邸 平面図

4

ランゲ邸 平面図

ラ ンゲ 邸 ○ エ ス タ ー ス邸 にお け る特 徴 の 始 めの 3項 目 につ い て は 同様 で あ る。 ○外 部 に 向 か って伸 び る壁 は、 計 二 か 所 あ る。

図 3・

五)構 造法

: 煉瓦造 田園住宅

○煉瓦 の組積造 で ある。外周部 分 は耐力壁 と して、内部 の フ リース タ ンデ ィ ングウォール は非耐力壁 と して想定 されて い ると思 われ る。 ヴ ォル フ邸・ エ スタ ース邸・ ラ ンゲ邸 ○煉瓦 の組積造 であ る。外周部分 および内部 の一部 は耐力壁 、他 の内部 の壁 は非耐力壁 。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


24

面)機 台旨の割 り付 け 煉 瓦造 田園住宅

レンガ造 田園住宅案

○ この平面 図 には機 能 に関 す る記述 はな い。

ヴ ォル フ邸 ・ エ スタース邸 ・ ランゲ邸

図 3・

6

1995年

ヴ ォル フ邸

平面図

渡辺仁史研究室

卒業論文


25 │ │

図 3・

7

エ ス タース邸

図 3・

8

ラ ンゲ邸

平面 図

平面 図

○ これ らの住宅 には寝室 、居 間 、便所 、風 呂 など生活 のための諸室 が配置 されて い る。そ れ らの配置 には平面 を分割 する ことで対応 して い る。 ○ これ らに共通 する特徴 は、 中央 にホ ール と呼 ばれ る室 を配置 し、風 呂・ トイ レな どのや やノ さな空 間 は隅部 に集 中 させて い る。 1ヽ

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


26

(■

)パ ー ス ペ クテ ィ ブ図 、写真 および文献記録 か ら

i)エ ク ス テ リア・ イ ンテ リア のデザ イ ン 煉瓦造 田園住 宅

図 3・

9

レンガ造 田園住宅案

パ ース図

○直方体 が幾 つ か組合 わ さ った外観 である。 ○ ガラスの縦 の長 さは階高 と同 じである。 ○ フラ ッ トな庇 が水平 に伸 びて い る。 ○ コーニ スが煉瓦 を縦方 向 に並 べ ることによ り形成 されている。

ヴ ォル フ邸

3

10

ヴ ォル フ邸

外観

図 3・

11

ヴ ォルフ邸

外観

○直方体 が幾 つ か組 み合わ さ った外観 である。 ○ ガラス窓 は大 きさ、サイズなどごく普通 の タイプ。 ○ テ ラスの上 の庇 は水平 に伸 び、梁 がある。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


27

○ コ ーニ スが 煉 瓦 を縦 方 向 に並 べ る ことに よ り形 成 され て い る。 ○ 雨樋 ・ 屋上 、 ベ ラ ング の手 摺 りが つ い て い る。

エ ス タ ース邸

:i事 :憾

エスタース邸 外観

-L/\ 7 - ,,rUlt

7A● Pフ 肉 J‐

○雨樋 。手摺 りがつ いてい る。 ○ フラ ッ トな庇 が水平方 向 に伸 びて い る。 ○ ガラス面積 はやや大 きめにな って い る。 ○ コーニ スが ない。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


28 │ │

ラ ンゲ 邸

図 3・

14

ンゲ響 ン トラ ラ ノ′′ ンス ノイ ハ 邸 エ 一ノ

図3・

15

ランゲ邸 外観

○雨樋・ 手摺 りが つ いている。 ○ フラ ッ トな庇 が水平方向 に伸 びて い る。 ○ ガラス は大 きなサイズの もの が一 枚 で使用 されている。 ○ コーニ スがない。 ○玄 関前 ポーチには一 枚 の版 が いす のよ うに取 り付 け られて い る。 ○玄 関前 ポ ーチの頭上 にあ るベ ラ ングを支 えるために柱 が あ る。

五)材 料 および構法 煉瓦造 田園住宅 ○外壁 は煉瓦。 ○庇部分 の材料 は何 であるか は不 明。 (少 な くとも煉瓦 ではない) ヴ ォル フ邸・ エ スタース邸・ ラ ンゲ邸 ○外壁 だ けでな く、テラス・ ステ ップの床部分 など、ほ とん どで煉瓦 が使用 される。 ○庇部分 の材料 は煉瓦 ではな い。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


29 │ │

Ⅲ )こ の 時期 にお け る モ デル 案 と現 実 案 の比較 ○煉 瓦造 田園住 宅 で 描 かれ た外 に 向 か って伸 び る壁 お よ び内部空 間 で の フ リー ス タ ンデ ィ ン グ ウ ォ ール によ る流 動 的空 間 は実現 され なか った 。 ○平 面計 画 にお い て は、 中央 に ホ ール す なわ ち大 きな空 間 を お き、 小 さな室 は よ り隅部 に 集 中 させ て 配 置 して い る。 ○ コーニ ス に 関 して は ヴ ォル フ邸 で の それが 煉瓦 造 田園住 宅 に 同 じだ が、 ヴ ォル フ邸 で は 外壁 と面 一 に な って い る。 エ ス タ ー ス・ ラ ンゲ 両 邸 にお い ては消 え て い る。

6

ヴォルフ邸

■:

コーニ ス拡大図

図 3・ 17 ランゲ邸 コーニス拡大図 ○外 観 にお け る マ ッス の組 み合 わせ に 関 して、一 階 と三 階 のマ ッス の組 み合 わせ 変 化 は煉 瓦造 田園住 宅 とヴ ォル フ邸 に は み られ るが、 エ ス タ ー ス・ ラ ンゲ両 邸 ではな くな る。 ○煉 瓦造 田園住 宅 ・ エ ス タ ー ス 邸 ・ ラ ンゲ邸 の庇 に は梁 が な い。

図 3・

19

ヴォル フ邸 庇拡大図

○ 階高 と 同 じ高 さ の あ るガ ラス 板 が 煉 瓦 造 田園住 宅 では描 か れて い るが これ は実現 され な か った 。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


30 │ │

第 3期

(I)平 面 図 か ら i)全 体 の構成 バ ルセ ロナパ ビリオ ン ○全体 の輪郭 は、矩形 の組 み合 わせであ る ○ プールを二 か所 に配置

'

○本屋内部 にはフ リース タ ンデ ィ ングウォ ールが配置 され、流動的空 間 を形作 って い るのが うかがえる ○ はなれ の執務室 は平面 は分割 されて い る 図 3・

(フ リー スタ ンデ ィ ングウォール ではな い)

20

バルセ ロナパ ビリオ ン 平面図

チ ュ ー ゲ ン トハ ッ トJ5

01Fの

全体 の輪郭 は 、矩 形 の 組 み合 わ

:

せである

02Fの

:

全 体 の輪郭 は 、二 つ の 矩 形 の分

散 配置 で で きて い る

01Fに

はフ リースタ ンデ ィ ングウ ォー

ルが二つ あ り、一 つ は円形 にな ってい る。 2Fに はそれ らはない

図 3・

21

チ ュー ゲ ン トハ ッ ト邸

2F平 面 図

01Fの 一 部 および 2Fの 全部分 の平面 は分割 によ り諸室 が割 り当 て られて い る

図 3・

22

チ ューゲ ン トハ ッ ト邸 lF平面 図→

1995年 度

渡辺仁 史研究室

卒業論文


31

ベル リン建築展 モデル住宅 ○内部 にはフ リースタ ンデ ィ ングウ ォ ールが配置 され、流動的空 間 を形作

ID

って い るのが うかがえる ○外 に向か って伸 びる壁がみ られ る ○ テ ラスが壁 に囲 まれ つつ も完全 には 閉 じられていない 図 3・

23

ベル リン建築展 モデル住宅 平面図

五)構 造法 バ ル セ ロ ナ パ ビ リオ ン

○柱 と梁 による軸組構法 チューゲ ン トハ ッ ト邸

01Fは 庭園側 は柱 が均等 に並 んでいるので、柱梁式 による軸組構法 、道路側 は壁式構法 と推定 される

02Fは

柱 の存在 はあるものの 、 これ らのみで荷重 を支 え ることは不可能 と思 われ る。ゆ

えに壁式構法 と推測 できる ベル リン建築展 モデル住宅 ○柱 と梁 による軸組構法

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


32

El

m)機 能 の割 り付 け バ ル セ ロ ナ パ ビ リオ ン

図 3・ ○特 に生 活行為 に対 す る機 能 を この 建物 は有 して い な い

24

バルセロナパ ビリオン 平面図

1

チ ュ ー ゲ ン トハ ッ ト邸

01Fで

は庭 園側 に居 間 を 大 き

く取 って い る。 キ ッチ ン・ ト イ レ・ バ ス は隅部 に 固 め られ る。 階段室 は 180度 転 換 さ せ るた めに半 円形部 分 が つ く 居 間 は フ リー ス タ ンデイ ング ウ ォール が、空 間 を幾 つ か に 分割 し、適 当 な領域分 けを行 って い る

02Fで

はおお まか に三 つ の プ

ロ ック に分 け られて い るが 、 各 々 にバ ス・ トイ レが あ る こ

図 3・

25

チューゲ ン トハ ッ ト邸

2F平 面図

とを考慮 す ると、 それ ぞれが 独立 した生活 の場 と して想定

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


33

され て い る こ とが 解 る。 ま た テ ラ ス に は ベ ンチ が 置 か れ て いる ○ 平 面 図 に は 1・

2Fと

もに家

具 な どが 描 か れ て お り、生 活 行 為 へ の 対 応 が な され て い る

図 3・

26

チ ューゲ ン トハ ッ ト邸

lF平 面 図

ベル リン建築展 モデル住宅

図3・

27

ベル リン建築展モデル住宅 平面図

○ 生 活行 為 へ の対 応 が な され て い る ○寝 室 の 中央 に は トイ レ・ パ ス ル ー ムの ための 空 間 がおか れ る ○ 中央 に大 きな居 間 を置 き、 フ リース タ ンデ ィ ン グ ウォ ール が そ こを分割 す る ○ ノ さな書 斎 、 トイ レ、キ ッチ ンが 隅部 に 固 め られて い る lヽ

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


34

(Ⅱ

)パ ースペ クテ ィブ図、写真 お よび文献記録 か ら

i)エ クステ リア・ イ ンテ リアのデザイ ン パ ル セ ロナ パ ビ リオ ン

○建築 全 体 を持 ち上 げ る基 壇 が 視 覚 的 に 目立 つ よ う にデザ イ ンされ て い る

○室 内外空 間 の力動 的相互 作用 ○ フラ ッ トで水平 に伸 び る 屋根 ○十字 形 にデザ イ ンされた 柱 ○全 て フ ラ ッ トな天丼 ○天丼 高 と 同 じ縦 寸法 の大

図 3‐

28

バ ルセ ロナパ ビ リオ ン 外観 図

きな窓 ガ ラス ○壁 が プ ール を 囲 って い る

図 3・

29

バ ルセ ロナパ ビ リオ ン 内観 図

1995年 度

渡辺仁 史研究室

卒業論文


35

図 3・

30

バルセ ロナパ ビリオン 内観図

チ ュ ー ゲ ン トハ ッ ト邸

4 ゴ η ″

も変

―´

図 3・

31

チ ュ ー ゲ ン トハ ッ ト邸

1995年

外観 図

渡辺仁史研究室

卒業論文


36

1 酬 酬 司

○街路佃1、 庭 園側 と もに

図 3・

32

チ ューゲ ンチハ ッ ト邸

内観 図

図 3・

33

チ ュ ー ゲ ン トハ ッ ト邸

内観 図

量塊感 を感 じさせ る ○ ホ ワイ ト仕 上 げ、連続 横長 窓 、 デ ィテ ー ルの 処理 が ワイゼ ンホ フジ ー トル ンク の よ うな ザ ッハ リヒカイ トを思 わ せる 〇上 に述 べ た よ うに窓 ガ ラスは、 階高 と同 じだ け の高 さは な い ○ 円形 の フ リース タ ンデ ィ ング ウ ォ ール が空 間 を象 る ○十字形 にデザ イ ンされ た柱 〇全 て フラ ッ トな天丼

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


37

ベル リン建築展 モ デル住宅

-- trrllr;rll,l3="‐

・、 "‐

図 3・

34

ベ ル リン建築展 モ デ ル 住 宅

外観 図

図 3・

35

ベ ル リン建 築展 モ デ ル住 宅

内観 図

1995年

○基壇 は な い ○室 内外 空 間 の力動 的相互 作用 ○ フラ ッ トで水 平 に伸 び る屋 根 〇 円柱 ○天丼 高 と 同 じ縦 寸 法 の大 きな窓 ガ ラス ○ 全 て フ ラ ッ トな天 丼 ○寝室 中央 の トイ レ・ バ スル ー ム が 突如 、挿 入 され た よ うで あ る

渡辺仁 史研究室

卒業論文


38 ロ

五)材 料及 び構法 2 パ ルセ ロナパ ビリオ ン ○オニ ックス・ チニ ア ン・ トラバ ーチ ン大理石 をふんだんに床 、壁 に使用 して いる 〇柱 は鉄骨 に クローム貼 り ○ ガラスは色付 きの透 明 ガラス、および不透 明 ガラス

チューゲ ン トハ ッ ト邸 ○外壁 は RC、 スタッコの ホワイ ト仕上 げ ○床 は トラバ ーチ ン大理石 ○ 円形 カ ー テ ンウ ォール は黒檀 ○柱 はパ ルセ ロナパ ビリオ ンに同 じ

ベル リン建築展 モデル住宅 ○ ガラスを本屋 の壁体部分 に多用 ○室 内の フ リースタンデ ィングウ ォール はウ ッ ドパ ネル仕上 げ

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


39 l l

Ⅲ)こ の時期 にお けるモデル案 と現実案 の比較 ○前項 の特徴 を比較 すれば、平面 の全体 の構成 に関 しては、チューゲ ン トハ ッ ト邸 よ りも ベル リン建築展 モデル住宅 のほ うが、よリバ ルセ ロナパ ビリオ ンの忠実 な写 しとい うこ とができる ○構造法 に関 して、 同様 のことが言 える。チューゲ ン トハ ッ ト邸 では柱線 は完全 な閉 じた 矩形 にはな らない

.

,

○外観 に関 して、チューゲ ン トハ ッ ト邸 は屋根 スラプが他 の二 者 の よ うにその まま水平 に 伸 びずに、壁 と共 に完全 な直方体 を形成 して い る ○柱 に関 しては、バ ルセ ロナパ ビ リオ ンとチューゲ ン トハ ッ ト邸 が十字形 を採用 して いる 点 で共通 す る ○ 同様 に床 に トラバ ー チ ンパ ネ ル を使用 して い るの もこの二者 に共通 する ○材料 に関 しては、最 も贅沢 な使用 を して いるのは、バ ルセ ロナパ ビリオ ンであ り、ベル リン建築展 モデル住宅 はよ り質素 な材料 を使用 した と言 える

3期 の分析・ 比較 に 関 す る註

1)“ THE Mies van der Rohe ARCHIVES"

(Museum of Modern Art)p,216よ 2)材 料 に関 す る記述 はす べ て前 掲 書

シュル ツ

り 評伝

1995年 度

より

渡辺仁 史研究室

卒業論文


40

第 4期

(1)平 面図か ら i)全 体 の構成 一つ の庭 を持 つ コー トハ ウス

○敷地 は壁 によ り長方形 に囲 われ る ○敷地内 にお いて居住部分 は T字 型 である ○ フ リースタンデ ィ ングウォールが互 いに 図 3・

接 して い る

36

二 つの庭を持 つ コー トハ ウス案

ガ レージ付 コー トハ ウス

図 3・

37

ガ レー ジ付 コー トハ ウス案

平面図→

○敷地 は壁 により長方形 に囲 われ る ○敷地内 にお いて居住部分 の外郭 は不整形 なが らも長方 形 である

○ ガ レージ部分 が斜 めに貫入 して いる って湾 ー ○ フ リースタ ンデ ィ ングウ ォール はガ レ ジに沿 曲 されて いる ○半 円形 が使用 されて いる (使 用人室 )

1995年 度

渡辺仁 史研究室

卒業論文

平面


41 □

フ ッベ邸

○敷地 は長方形 で壁 がその一 部 を囲 う ○敷地 内 の居住部分 は T字 型 にな って いる ○ フ リースタンデ ィ ングウ ォール が 中央部

図 3・

38

フ ッベ邸

平面図

に存在 する

五)構 造法 二 つの庭 を持 つ コー トハ ウス・ ガ レージ付 コー トハ ウス ○柱梁 による軸組構造 と推測 され る フ ッベ邸 ○家屋 中央部分 は柱 によ つて屋根荷重 が支 え られて い ると思われ る ○家屋 の両端部分 は柱 がな いので壁式構造 と推定 で きる

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


42

Ё )機 台旨の 割 り付 け

=つ の庭 を持 つ コー トハ ウス ○ フ リー ス タ ンデ ィ ング ウ ォ ール によ って空 間 が細 か く仕切 られ、生 活必 要 諸 室 が 割 り当 て られ る ○ その よ うな細 か な空 間 は一 つ の プ ロ ック に 固 め られ る

図 3・

39

二つの庭を持つコー トハ ウス案 平面図

ガ レ ー ジ付 コ ー トハ ウ ス

○中央 に リヴ ィングス ペ ースがある ○ ガ レージの位置 が必 要諸室 の位置 に影響 を与 えて いる ○必要諸室 はフ リース タンデ ィ ングウォー ルによ って分節 され た空 間 に配置 される ○使用人室 として、付

図 3・

40

ガ レー ジ付 コー トハ ウス 案

平面図

属的 に半 円形 の室 が 与 え られ る

OY字 型 のフ リースタンデ ィ ングウォールの挟 まれた部分 にバ ス・

1995年 度

トイ レがある

渡辺仁史研究室

卒業論文


43

フッベ邸

・        コ

i ーE L Π﹂ r

イニ ングスペ ースである

一 世 〓

○ 中央 の大 きな空 間 は リヴィ ング とダ

尚 F ト

閣 肥ー

==三

二11=三 ≡菫

○必要諸室 は家屋 の両端部分 の平面 を 図 3・

分割 して、そ こに配置 される

41

フ ッベ 邸

平面 図

(I)パ ースペ クテ ィブ図、写真 および文献記録 か ら i)エ クステ リア・ イ ンテ リア のデザイ ン =つ の庭 を もつコー トハ ウス

一 一 一

︱︱︱︱︱︱︲︱ ︲︲ 一

一 一

図 3・

42

二つの庭を持つコー トハウス案 内観図

○室 内 と コー トの境 界 は全 面 ガ ラスを使用 し、空 間 の相互流 動 性 を高 めて い る ○柱 は十字形 の もの が室 内 に立 て られ る ○床 に グ リッ ドが ひか れ る ○ 梁 の ないフ ラ ッ トな天丼

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文

「1 _


44

○ 階数 は地上 一 階 〇 フ リー ス タ ンデ ィ ング ウ ォ ール には抽 象画 が貼 られ て い る ガ レー ジ付 コー トハ ウス (外 観 ・ 内観 を示 す資料 は確 認 されて いないが 、恐 ら く二 つの庭 を もつ コ ー トハ ウス とほ

ぼ 同様 の もの と思 われ る) フ ッベ邸

○ リヴィングエ リアとコー トの境界 は全面 ガラスを使用 し、空 間 の相 互流動性 を高 めている ○柱 は十字形 の ものが室 内 に立 て ら れる ○床 にグ リッ ドが ひかれ る ○梁 のないフラ ッ トな天丼 図

図 3・

44

フッベ邸

43

3

フ ッベ 邸

内観 図

内観 図

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


45 □

五)材 料 三 つの庭 を もつ コー トハ ウス・ ガ レージ付 き コー トハ ウス・ フッベ邸 ○外壁 には レンガを使用 Ⅲ)こ の 時期 のモデル案 と現実案 の比較 ○ モデル案 において空 間の分割 は フ リース タ ンデ ィ ングウ ォール によってお こなわれてい ヽ るのだが、フッベ邸 におし てそ の使用 は 中央 の リヴ ィ ング・ ダイニ ング空 間だけで、それ 、 以外 は これ までの平面分割 の手法 によ ってい る ○敷地 を囲 う壁 はフ ッベ邸 にお いてはモデル案 よ りも躊躇的である し、外壁 を形成 する家 屋部分 に窓 があることもモデル案 との相異 である ○ ガ レージ付 コー トハ ウス とフ ッベ邸 の共通項 と して、空 間配置 の近似が認 め られ る。そ れは 《i)外 部 か ら家屋 に入 るとエ ン トランス空 間 が用意 されて、 五)フ リスタ ンデ ィ ン グウォールが正 面 にあ り、 面)そ の背後 に リヴィングスペースがある》 ことである ○ ガ レージ付 コー トハ ウスは、角度 をつ けて空 間が貫入す るとい う点で、他二 者 に くらべ て特異 である

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


46

5期

(I)平 面 図か ら i)全 体 の構成 50× 50邸

○平面 は大小 の正 方形二つを一 部分重 ねて、雁行 に 配置 した もの ○居住部分 は単一 の正 方形 ○ 中央 コアは中心軸 よ り若干 ずれ て配置 されて いる ○家具が点在 されて いる 図 3・

45 50X50邸

図 3・

46

平面 図

フ ァ ンズ ワース邸 ○平面は長方形二 つ を雁行 に配置 した もの居住部分 は単 一 の長方形 ○ 中央 コアは中心軸 よ り若千 ずれて配置 されて い る

○家具が点在きれている ファンズワTス 邸 平面図

■)構 造 法

50× 50邸・ フ ァ ンズ ワ ー ス邸

OS造

(柱・ 梁 に よ る軸組 式 )

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


47

■)機 台旨の割 り付 け

50× 50邸

○ 中央 コアは トイ レ・ バ ス・ キ ッチ ン

輿

と一 つの小室 で形成 されて い る (こ

図 3・

47 50× 50邸

平面 図

れは配管 を一 カ所 に集 中 させ るため) ○単一空 間ではあ るが、家具 の配置 に より生 活行為 の場 は定 め られ る

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


48

フ ァ ンズ ワース邸

罐 ぜ

図 3・

48

ファンズワース邸 平面図

○ 中央 コ ア は トイ レ・ バ ス・ キ ッチ ンで 形成 され る ○単一 空 間 で はあ るが、 家具 の配 置 に よ り生活行 為 の場 は定 め られ る

(Ⅱ

)パ ー ス ペ クテ ィ プ図 、写真 お よ び文献記録 か ら

i)エ クス テ リア・ イ ンテ リア の デザ イ ン 50× 50邸 l:角

顧翠

3

49

50× 50邸

1995年 度

外観

渡辺仁史研究室

卒業論文


49 ¬ 「

OI型 柱 は家屋 の外側 に張 り付 け られ る OI型 柱 は 4本 使用 される ○ 外壁 は全 周 、全面 ガラスであ る ○内部空間を遮 るのは 中央 コア と家具 である ○ フラッ トな屋 根 ○天丼 には梁 が剥 き出 しにな って い る

'

○外壁 (ガ ラス面)の 四方 に出入 り口が つ いている

フ ァ ンズ ワース邸

OI型 柱 は家屋 の外側 に張 り付 け ら れる

OI型 柱 は 12本 使用 される ○外壁 は全周 、全面 ガラスであ る ○ 内部空間 を遮 るのは 中央 コア と家 具 である ○ フラッ トで家屋入 り日前 のテ ラス 上部 に まで の びる屋根

図 3・

50

フ ァ ンズ ワ ー ス邸

内観

図 3・

51

フ ァ ンズ ワー ス邸

外観

○ フラッ トで梁 のない天丼

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


50

五)材 料及 び構法

50× 50邸 (パ ー ス 図以外 の 資料 の存在 が確認 されて いないので、記述不可能 )

フ ァ ンズワース邸 2

0屋 根 ス ラブは鉄骨 と PC版 によ り形成 される

'

○床 は トラバ ーチ ンパ ネル

○ 中央 コアの表面 はプ リマヴ ェー ラ (本 の一種 )の パ ネル ○外観 となるフ レーム部分 および鉄骨 はホワイ ト仕上 げ

Ⅲ)こ の時期 のモデル案 と現実案 の比較 ○基本 的 に正 方形 と長方形 とい う差 がある ○ フ ァ ンズワース邸 は地彗 面 か ら鉄骨柱 によ り持 ち上 げ られて いるが、 これは季節 によ り 発生 す る洪水 の被害 を避 けるためである

050× 50邸 は屋 根 が水平 に延長 されて いない ○柱 の数 が フ ァ ンズ ワース邸 の ほ うが多 いのは実際 の力学 上 の問題 か らであると推測 で き る

第 5期 の分析・ 比較 に関す る註

1お よび 2)三 川幸夫 企画 フ ァ ン・ デ ル・ ロ ー エ

1974)か

`GA

グ ローバ ル

フ ァ ンズ ワ ー ス 邸 "(ADA,

アーキテ クチュア

M27ミ

ース・

EDITA Tokyo

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


51

3-3)

時期 の 移 行 に 関 す る比 較

I)第 2期 か ら第 3期 へ の変化 ○第 2期 では実現 で きなか ったフ リースタンデ ィ ングウォールが第 3期 ではパ ルセ ロナパ ビリオ ンか ら使 われ、流動 的空 間が 出現 した ○同様 に外 に向か って伸 びる壁 もベル リン建築展 モデル住宅 において実現 された ○第 2期 の平面 の遠心的構成 は放棄 された ○ フ リースタンデ ィングウ ォールの応用 として円形壁 がチ ューゲ ン トハ ッ ト邸 において見 られ る ○平面 にグ リッ ドを用 いるよ うにな った ○構造法 が壁式か ら柱梁 による軸組式 にかわ った ○十字形 の柱 が使 われ るよ うにな った ○平面 において、 中央 に大 きな空 間を用意 し、小 さな空 間 は隅部 に固める手法 は第 2期 、 第 3期 共通 である ○小 さな空 間 は、平面 を分割 す ることによ つて用意 され る点 も変わ っていない ○ レンガ造 田園住宅案 パ ース 図で見せた大 きなガラス面 は第 3期 にな って実現 された ○第 3期 になって庇 および基壇 の強調 されたデザイ ンにな った ○同様 に梁 のない天丼 も第 3期 か ら ○ レンガの使用 をや めた

Ⅱ)第 3期 か ら第 4期 へ の変化 ○第 4期 の敷地 は壁 によ つて矩形 に区切 られ る ○第 4期 にな って、外 に向 か って伸 びる壁 は放棄 された ○家屋 の平面構成 が L字 、 T字 形 になる ○軸組式 の構造 、十字形 の柱 は引 き継がれた ○平面 において、中央 に大 きな空間 を用意 し、小 さな空 間 は隅部 に固め る手法 は第 4期 で も変 わ らな い ○小 さな空 間 は、平面 を分割 する ことによって用意 され る点 も変わ らない ○梁 のない天丼面 、大 きなガラス面 は保持 された

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


52

○ レンガを再 び使用 した

Ⅲ)第 4期 か ら第 5期 へ の変化 ○第 5期 になって平面 としては矩形 一 つの みが用意 される ○ フ リース タ ンデ ィングウォールの放棄 ○ 中央 コアが 出現 した

.

'

○柱梁 による、軸組式 は引 き続 いている ○柱が十字形 か ら I型 鋼 へ と変化 した ○ シングルスペ ースの実現 のため家具 による生活領域 の暗示 、 中央 コアに生活必要設備 の 集 中 とい う手法 が用 い られた ○庇 の強調 されたデザイ ンは 50×

50邸 では放棄 された

○梁 のない天丼 は保持 された ○家屋 の四周がす べ てガラス面 で囲 われ るデザイ ンに ○柱が家屋内部 にあ った もの が、第 5期 では外部張付 に ○ レンガの使用 をや め、鉄骨 の強調 され る外観 になった

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


53

4-1 4-2 4-3 4-4

4章

モ デル案 と現実案 の関係 各時期 の分析・ 比較 に関 する考察 時期 の移行 に関 する考察 総論


54

El

4-1)

モデ ル 案 と現 実 案 の 関 係

本論 の当初、仮定 的 であ ったモデル案 と現実案 はどのよ うな関係 を もっていたのかを こ こで考察 す る。 まずモデル案 か らの現実案 へ の アイデア・ 手法 などのフ ィー ドバ ックを概観 す ると、 第 2期 について・・ ・

a)レ

ンガの使用

b)遠 心的構成 の実現 C)フ

リースタンデ ィ

ングウォール と大 ガ ラス面 の未実現 第 3期 につ いて・・ ・ a).フ リース タ ンデ ィ ングウォール とそれによる流動 的空間 大 ガラス面

c)フ

ラッ トな天丼

d)庇

の強調 されたデザイ ン

e)十 字形 の柱

b) 以上

a∼ eの 実現 . 第 4期 につ いて・・・

a)敷 地 を レンガで囲 い込 む手法 b)レ

第 5期 につ いて・ 。・

a)シ

ングルスペ ース と中央 コアの採用

ンガの使用

b)I型

鋼 の柱 の採用

とい うことになる。 このよ うなアイデ ア・ 手法 が モデル案 に先行 して現実案 に登場 する ことはなか った。 (注 :但 し第 5期 に 関 しては モデル案 と現実案 が ほぼ 同時 に構想 されたと思 われるので こ

の場合 は例外 である )こ のよ うに思推 す ると ミースはまず モデル案 を提示 し、その後 で現 実案 へ とその アイデア・ 手法 を還元 させ ていった といい得 るのである。 と ころで ここで一 つの問題 が浮 かび上 がるのだ が、それ はフランチェス・ ダル・ コ ォに よる指摘 、 “ミースの計画案 の過激 な反 自然主義 、彼 自身 の言語学的構成 を主張 し続 けた 固執 ぶ りを考慮す ると、革新 の豊 か さと共 に彼 の手法 の遅 さ こそが実践 の非常 に多 くの側 面 に現 れ 出 て くる"1に 関係 して くるもの とも思 われ るのだ。 たとえばフ リースタンデ ィ ングウォールの登場 の時間的 ギ ャップやガ レー ジ付 コー トハ ウスにおけるガ レージな らび にフ リース タンデ ィ ングウ ォールの斜方 向変換 の放棄 の ことである。 ここに第 2期 か ら第

4期 において のモデル案 と現 実案 の間 には もう一 つ別 の ミースの確信的行為 を示 して くれ る ものがあ りそうで ある。 それ は次 の (考 察 4-2)に お いて述 べ る。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


55

4-2)

各時期 の比較・ 分析 に関 す る考察 《第 2期 》

ミースは第 1期 であ る新古典 主義 の手法 か ら大幅 な脱皮 を果 たすアイデアを既 に 192

0年 代 には もっていた し、実際 にそのモデルを確実 に表現 す ることができて いた

(レ ンガ

造 田園住宅案、 コ ンク リー ト造 田園住宅案 、ガラス のスカイスクレイパ ー案 、他 2案 )。 しか し現実案 に関 しては前項 までに示 したよ うに フ リースタ ンデ ィ ングウ ォール、大 ガラ ス面 、外 に向か って伸 びる壁、 は実行 されて いない。特 に前二 者 は この時期 のモデル案 (レ ンガ造 田園住宅案 )に おける中心 的堤案 の はずであ ったのに、である。 ガラス面 に関

しては ミースの「 わた しは この邸宅 (エ スタース・ ランゲ両邸 の こと)に ガラスを多用 し たか ったが、依頼客 が嫌 が ったので、大変苦労 した」 2と ぃ ぅ弁明か ら、それが実行不可 能 であった ことを理解 で きる。 だがフ リースタ ンデ ィ ングウォールについてはどのように 解釈 で きるだろうか。

1923年

ミースは G誌 にお いて次 のよ うな発言 を載 せている。「 本質的 に建築行為 を

3ミ 美術理論家 の管理 か ら解放 し、建築 の専 らあるべ き姿 に戻す のが我 々の仕事 である」

ースは第 1次 世界大戦後 か らフ ァン・ ドゥース プル フや リシ ッキ ー ら芸術家 との交流 のあ っ た ことが知 られて い る し、ファ ン・ ドゥースプル フの「 ロシアダ ンスの リズム」か らの レ ンガ造 田園住宅案 へ の影響 もよ く指摘 された ことである。 ところが先 の G誌 の発言 はむ し ろ建築 の 固有性 や独立 と言 った ものを謳 ってい る こ と、そ して彼 の建築 の固有性 の基盤的 考 えがそれまでの手法 の 中心 であ った新古典主義 であ ったのではな いか、と推考 す るなら ば フ リース タ ンデ ィ ングウォール とはまさに絵画的事象 であるがゆえに実行 されなか った ので はな いか とも思 え る。 ここか らさらに考 えを進 めることがで きる。遠心 的構成 に 目を向けてみると、 この手法 は F.L.ラ イ トによ つて既 に確立 されて いた手法 である し、 1904年 の段階 でベル リ ンにおけるライ トの大規模 な展 覧会 で これを ミースは驚嘆 と称賛 の念 をもって、実際 に評 価 して いた ことを後 々 、述 べ て い る。 こ うして ミース はライ トの影響 を受 けた と評価 され ているのだが、 ここで 問題 とな るのは この遠心的構成 がヴォルフ邸 においては実現 されて い ることなのであ る。 つ まりこのライ トの もって いた手法 、すなわ ちそれはアメ リカ国内 だ けでな くヨーロ ッパ で も既 に高 い評価 を受 けて いた手法 、だけが実際 に実現 されたとい

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


56

うことで あ る。 ここに ミースに関 する他 の事例 を持 ち出す までもな く、 ミースの建築設計 士 として の大胆 さにつ いて この時期 にお いては、前例 に基 づ いた もの を実行 するとい う、 躊躇 ぶ りが伺 える (つ まりこの ことか ら ミースの不安 や経験 の浅 さか らも由来 して い るの か もしれ ないということがほの かに見 えて くるので ある)。

《第 3期 》 第 3期 の特徴 の純粋 な結晶 はやは リバ ルセ ロナパ ビ リオ ンに表出 されて いると考 えるの は 妥 当 であろ う。以前 か ら指摘 され るよ うにこれはパ ビリオ ンとい う特殊 な設計条件 を最大 限 に ミースが利用 し、彼 にと っての真 の建築思想・ 空 間表現 を反映 させた構築物 である。 前項

(3-2-Ⅲ )で 指摘 したパ ルセ ロナパ ビリオ ンとベル リン建築展 モデル住宅 との

比較 に関 す る考察 を試 みる。 モ デル住宅 は夫婦二 人 で子供 は いない とい う設計条件 である。 そのための対策 でむ しろ注 目す べ きは a)大 理石 の使用 をや め、 RC造 にする 形 の柱 は円柱 にする

b)十 字

ことだ つたが これ らの意味す るところは コス トダウ ンである (十 字

形 の柱 は施 工 に手間がかかる):ま た平面 の変化 について も述 べ る必要 がある。パ ルセ ロ ナパ ビリオ ンでは流動 的空 間が示 され るだけだが、 モデル住宅 では必要諸室、特 に小空 間 の割 り付 けを行 っている。 中で も特異 なのは寝室 中央 に現 れ るパ ス・ トイ レルームである。 以上 に挙 げた部分 に ミースのモデル案 の現実化 へ の姿勢 が見 て取 れ る。 一方 、チ ューゲ ン トハ ッ ト邸 とバ ルセ ロナパ ビリオ ンを比較す ると、 この二者 には先程 見 た もの よ りももっと大 きな相違 がみて とれる。それはチ ューゲ ン トハ ッ ト邸 において a) 大 ガラス面

b)流 動的空間 C)強 調 される庇 のデザイ ン

が実現 されて いないことで

ある。 む しろチ ューゲ ン トハ ッ ト邸 は 1927年 のワイゼ ンホーフジー トル ンクのようなザ ッ ハ リッヒカイ トなデザインである。 ところでチ ューゲ ン トハ ッ ト邸 とモデル住宅 は設計時期 がほぼ同時期 である

(1929

∼ 1931)4と 伝 え られて いるが、 この相違 に何 を見 いだせ るだろ うか。 ワイゼ ンホー フジー トル ンクは 1927年 に発表 され評価 を受 けて いた こと、モデル住宅 は設計条件 が

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


57

あるとは言 えそれは想定 された もので あ り現実 ほどの もので はな いとい うこと、 この二 つ を考慮 するとチューゲ ン トハ ッ ト邸 にみ られ るデザイ ン・ 手法 の逆行 は実 は第 2期 にみ ら れた躊躇的姿勢 と同様 の もので あ る。それは ミー スが この時期 において もモデル案 の断片 だ けを現実案 にち らつかせて終 わ る ことの理 由 である。

《第 4期 》 第 4期 におけるモデル案 と現実案 の差異 を挙 げると、 a)敷 地 を完全 に囲 う壁 レージの斜 めの挿入 とそれ に呼応 するフ リース タ ンデ ィ ングウォール

b)ガ

は未実現 である。

一方 、共通項 を挙 げると、 a)空 間配置 の近似 (二 つの庭 を もつ コー トハ ウス とフッベ邸 )

b)十 字形 の柱 0フ ラッ トな天丼 c)全 体 の平面構成 が T字 型 であること

である。

ここに共通項 として挙 げた もの は実 は ミースが これ まで に現実的 に試 みてきた もので あ る ことが判 るし、また この時期 のモデル案 の中心 的堤案 であ るはずの敷地 を囲 う壁 と空 間 の 斜 めの挿入 がで きなか った ことは、やは りかれが新 しいイメ ージ・ 手法 を考案 し、表現 は す るものの現実 には躊躇的 であ ることがみてとれ る。

《第 5期 》 第 4期 か ら十数年 近 く経 て い るが、 この時期 のモデル案 と現実案 が非常 に近 い もので あ ることは容易 に理解 できる。 ここでは 50× 必要 がある。 50× のために 50×

50邸 が いつ考案 されたか について注視 す る

50邸 とフ ァ ンズワース邸 はほぼ同時期 と思われ るか らで あるが、 そ

50邸 はフ ァ ンズ ワース邸 か らの彼 の建築 へ の概念 の抽 出物 であると言 え

そ うである。 50×

50邸 はその後 の彼 の住宅建築 のモ デル になるはず の ものだ った

(こ

れ以降 ミースは独立住宅 の設計 を して いない)。 この 2邸 の差異 は a)平 面 の かたちが長方形 か正 方形 か と い うこと 基壇 の有無

b)柱

の本数

c)

であ る。 ミース は次 のよ うに 1968年 に発言 して いる。「物事 は単純 な の

がよ い。単純 な ものが決 して馬鹿 ものではない。わ た しが 単純 な ものを好 む のは恐 らく明

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


58

確 だか らであ って、安直性 などが原因 ではない」 5こ の発言 は先 に挙 げた差異 の a)と b) に関 して の理 由付 けと して受 けるとる ことがで きる。 c)に 関 してはフ ァンズワース邸 の 敷地 は洪水 の恐 れがあるた めに基壇 を設 けて いるとい う説 明がある。 6 いづ れにせ よモデル案 と現実案 とが これ までにな いほ どに接近 して いた。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


59

4-3)

時期 の 移 行 に 関 す る考 察

第 2期 か ら第 3期 へ の変化 は a)フ リースタ ンデ ィングウォール 外 に向 か って伸 びる壁

b)大 ガラス面 c)

とい う レンガ造 田園住宅案 で見せた ものの実現 、および d)柱 梁

による車由組構造法 への転換

とい うことになる。 a)∼

c)に 関 して、留意 しな くてはな

らな いの は実現 されたのは真 に住宅 で あ ったチ ューゲ ン トハ ッ ト邸 ではな く、パ ルセ ロナ パ ビリオ ン・ モデル住宅 とい う非現実 的構想 の もとであったことである。 さらにフ リース タ ンデ ィ.ン グウォールは レンガ造 田園住宅案 とバ ルセロナパ ビリオ ンを 比較 す ると圧倒的 に後者 の方 がその数 が少 ない。 エス タ ース・ ラ ンゲ両邸 ですでにみ られたデ ィテ ールの消去 、遠心的構成 の放棄 は第 3 期 にな って確定的 になる。 この事例 か ら言 え る ことは、 ミースはそれまで の経験 で確信 した ことを後 にな って実行 す る事 である。彼 の手法 の遅 さ、躊躇 さは この視点 か らで も見 ることができるので ある。

第 3期 か ら第 4期 への移行 で注 意 した いの は彼 の空間配置 が余 り変化 して いないことで あ る。 つ まり (中 央 に大 きな空 間 を リビング・ ダイニ ングなどに用意 して、ノ さな空 間を lヽ

固 めて隅部 に配置 す る)手 法 の ことであ る。 このよ うな継続 はこの手法 に関 す る彼 の 自信 を伺 わせ るもので ある。

第 4期 か ら第 5期 への移行 はあま りに も大 き くこれまでに数 々の史家 か らの指摘 を受 け ているため、特 に述 べ ることはないほ どである。ただモデル案 と現実案 の近似 か ら彼 の こ れまで の不安 か ら一転 して 自信 過剰 な までの態度 が伺 える。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


60

4-4)

B。

総論

ロー ソンは建築家 の思考 プロセス とは『解 志向型』 であると論文 “HOW

igners Think"7に

Des

お いて 明 らかに したが、 この定義 の意味す るところは、

まず解 を提示 し、それがあ らゆる条件 に合致 す るかどうかを検討 する こと、である。 ミースの独立住宅 の設計行為 をまず第 1期 か ら第 5期 に分類 し、それぞれがモデル案 を もつ とい う仮定 か ら本論 は始 ま ったが、 この ローソンの設計行為 の定義 にその概念 が 由来 ま リローソンの言 う解 とはそれぞれに仮定 したモデル案 であ り、 して いた と考 え られ る。つ、 それ らを もとに して ミースが現実案 へ と向か うときの解 の模索 、抽 出、適用 、を探 ろ うと い うのが本論 の 中心 だ ったのだ。

この時 にどのような設計者 であれその解 とそれへ の条

件 の適用 との 間 には当然 の ごと く距離が存在 す るわけであ り (実 際 の ところ本論 において はその距離 を測 っていたよ うに も思 え るのだが )、 ここでは総論 として、 ミースのモデル 案 と現実案 の距離 について、その設計経歴 の 中での変化 について考察 してみた い。

考察 2ま でにおいて既 に第 2期 か ら第 4期 までのモデル案 と現実案 の距離 について と、 第 5期 におけるその近似 につ いて言及 したわけだが ここで第 2期 か ら第 4期 の それぞれの “ 距離 "は 一 律的 にほぼ同 じであ つた と果 た して言 えるのだ ろ うか。

それぞれについて再考 してみ よ う。第 2期 におけるモデル案 と現実案 の差 を列挙 す るな ら、 a)フ リース タンデ ィングウォール

c)外 に向か って伸 びる壁 材料 による空 間 の演 出

の未実現 である。次 に同様 に第 3期 においては、 a)高 価 な

b)チ

ューゲ ン トハ ッ ト邸 (よ り厳密 な意味 での現実案 として)

における流動的空 間構成 、大 ガラス面 を完全 に囲 い込 む外壁

b)大 ガラス面

の未実現 、つづいて第 4期 においては、 a)敷 地

の未実現 が挙 げ られ る。 これ らの各 々についてさらに検討 す ると、

第 2期 におけるフ リースタンデ ィ ングウォール はそもそ もが この時期 の中心 的 テーマだ つ た事、第 3期 においてチューゲ ン トハ ッ ト邸 において未実現 だ った要素 もベル リン建築展 モデル住宅 では実現 された こと、第 4期 における外壁 に関 しては現実案 のフ ッベ邸 にそれ へ の意志 の断片 はは っきりと見 て取 れ ることを考慮するな ら、第 2期 か ら第 4期 に至 るに つ れゆるやかなが らもモデル案 と現実案 との距離 の差は縮 ま って い ると言 うことがで きる。

1995年 度

渡辺仁史研究室

卒業論文


61

第 5期 におけるモデル案 と現実案 の近似 に関 しては もう述 べ る ことはないと思 われ る。

ここで彼 の設計経歴 と ミースにお きた出来事 の概観 と各時期 の対応 を改 めて見直 してみ よ う。

11886年 生 まれ 1907年

リール邸 (初 設計 )

P.ベ ー レンスの設計事務所 に所属

1913年 (第

独立

2期 )

1923年

レンガ造 田園住宅案 他 に 4つ のモデル案提示

1927年

ワイゼ ンホーフジー トル ン

ク主 催 (第

3期 )

1929年

バ ルセ ロナパ ビリオ ン

1930年 31年 (第

バ ウハ ウス校長 に就任 バ ウハ ウス解散

4期 )

1934年

コー トハ ウス案群

1938年 (第

アメ リカ移住

5期 )

1951年

50× 50邸

それぞれ の時期 の節 目と ミースの身 の回りに起 こった 出来事 との関係 につ いての細 かな 考察 は本論 における主 旨ではな いので省略するが、第 4期 か ら第 5期 に至 る間の彼 の アメ リカ移住 に関 して、 ここに興味 ある考察を挙 げた い。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


62

それは建築史家 の鈴木博之氏 による もので ある。『 二 次世界大戦 の激動 の 中でアメ リカに 移住 し、 シカゴに新 しい活動 の場 を築 いていった ミースが、アメ リカ建築 の印象、特 にシ カ ゴの それを尋 ね られた ときに、「 私 はタクシーで動 いていて、途 中の風景 を見 ていない」 と語 った とい うエ ピソー ドは有名 であるが、 ここに窺 われ る彼 の無関心 ぶ りは、決 して ド イツ的傲慢 さとい うもので は な く、彼 が心 の 中で「 自分 はすでに全体的 ビジ ョンを見 て し ま った」 と確信 して いた ことの証左 であろ う。彼 の確信 は、次 々に事実 によって証 明 され てゆきつつあ ったか らであ る』 8 この考察 と ミースの設計活動 の経膠 が 50×

50邸 に至 っては 44年 間の キ ャリアが ある

ことを考慮 す ると、第 2期 か ら第 5期 に至 るまで のモ デル案 と現実案 の同一 化 へ の ゆ るや かな接近 は以下 の よ うに説 明 で きる。

(考 察 4-2)に おける、 ミース・ フ ァ ン・ デル・ ローエの設計態度 に関 する読 みが妥

当性 を もつ な らば、保守 的 な人 間 であれば特 に、 自己 の経験 に対 する自信 が彼 のモデル案 へ の確信 を確 かな ものに した ことで あろ う。 こうして モ デル案 と現実案 は接近 してゆ くわ けだが、 問題 なのは “ 経験 "と い うことである。例 えば既 に 1931年 の チューゲ ン トハ ッ ト邸 に関 す る批評「 果 た してチ 三―ゲ ン トハ ッ ト邸 に人 は住 めるか ?」 や 1951年 のフ ァ ンズワース邸 に関 す る訴 訟 問題 な どをみて も判 るよ うに、必 ず しも彼 の経験 が純粋 な意味 での住居 の機能向上 を果 た す もの ではなか ったのであ る。 つ まり彼 の経験 とはあ くまで建 築意匠や空 間、あるいはそれ らへ の思想 などとい うものへ の経験 である。 このよ うな意味 においての “ 経験 "の 視点 に立 つ と、 モデル案 と現実案 の関係 を考察 す ることがで きる。彼 は経験 を重 ね ることによ って徐 々 にではあるが、建築 の現実化 へ のプ ロセスを十分 に把握 す る こ とがで き、 モデル案 を思考 し、完成 させ るその過程 においてそ の経験 が現実 の もつ条件 を意識的・ 無意識的 にかかわ らず作用 させたがためにモデル案 は 現実案 に接近 してゆ くことがで きた のである。その一 方 で、 これ と対極的 な考 えではな く 全 く別方 向 の考察 として挙 げ るのだ が、彼 が経験 を重 ね ることによ り得 られた もの はその よ うな設計与条件 に関 す ることな どではな く、む しろ彼 の イメージに建築が擦 り寄 らなけ ればな らな い、あるいは人 間 の生活行為 その ものが近 づいて こな くてはな らない とい う考

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


63

えに ミースが到達 したので あれば、第 5期 のモデル案 と現実案 のほぼ同一 さが説明でき も す るので ある。

考察 に関 す る註

1)フ

ラ ンチェス・ ダル ,コ ォ

`ミ ース再考一 ―― その今 日的意味"(執 筆 は第 4章 )

1992年 ) p.134 “ミース" p.84 スペ ース スペ ース `ミ ース" p.62

(鹿 島 出版会

2)前 掲書 3)前 掲書

4)前 掲書 `THE ARCHIVES'Vol.3 p. 158,216,282 より 5)前掲書 スペ ース ・ ミース' p.26 6)前掲書 ニ リ:│ `グ ローバ ル ア ーキテクチ ュア 7)B.Lawson `HOW Designer Think"

ミース"よ り

(The Architectual Press 1980) 8)鈴 木博之 “新建築学体 系 近 。現代建築 史"(彰 国社 1993年 ) p.179

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


64

5章

5-1 5-2 5-3

り に

今後 の展望 参考文献 あとが き


65

5-1)

今後 の 展 望

ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ に関 する研究 は、 コル ビジェに比 して少 ないようであ る。 その一 因 には ミースがあま り自信 の建築論 につ いて著作 を残 さなか った ことや (邦 訳 され て い るよ うな著書 は一冊 もない )、 しゃべ りたが らなか った ことに もあるよ うだ。それ ゆ えに彼 に関す る研究 は、 いづ れに して も局外者観察 の域 を脱 する ことはで きな い し、 また そ こに決定的 な難 しさも存在 す るのだ。 本論 は ミースの設計士 と して の建築 へ と向か う姿勢 を、 その経歴 を追 って 明確 にす る試 みだ ったわけだが、 その資料調査 の途次 に、例 えば彼 の アメ リカ移住 とともにあ らわれた シ ングルスペース建築 の概念 や、パ ルセ ロナパ ビリオ ンとと もに登場 した十字形 の柱 な ど 彼 の建築 への概念 と形態 (意 匠 )の 関係 およびそれ らと時代 の関係 に関す る研究 、著述 が 案外 に も少 ないと思 われた。 近年特 に、建築意 匠の混迷 ぶ りが盛 んに論 じられて い る し、ネオ モダ ンあるいはネオ ミ ースなどの流行 が もてはや されて いるが、 このよ うな時代 に こそ再 び近代 の建築概念 と形 態 の関係 や時代 と形態 などにつ いて研究 するの も価値を持 つのではないか と思 う。

1995年

渡辺仁史研究室

卒業論文


66

Eコ

5-2)参

考 文献 ⅣIi

Blaser,Werner“

e s van der Rohe The Art

of Structure"(Birkhauser Verlag 1993) ブ レー ク、 ピー ター “ 現代建築 の 巨匠 た ち"(彰 国社

Cater,Peter“

1963)

Mies Van der Rohe at work"

(PALL MALL PRESS London 1974) フランプ トン、 K

“ミース再考

ギ ーデ ィオ ン、 S

“ 空間

堀 口捨 已

時間

建築 史 "(オ ーム社 他 “

GA

_り │1幸 夫 “

'そ の今 日的意味"(鹿 島出版会 1992) 建築 1"(丸 善 1969) 1970)

グ ローバ ルア ー キテクチュア

M27ミ

ース・ フ ァン・ デル・ ローエ

1945-50"(ADA. EDITA Tokyo 1974) 日本建築学会 建築計画委員会 `設 計方法 "(彰 国社 1968) "(彰 国社 ) 日本建築学会 建築計画委員会 `設 計方法 Ⅱ/ケ ースス タデ ィ 日本建築学会 建築計画委員会 `設 計方法 Ⅲ/道 具 の堤案"(彰 国社 ) 日本建築学会 建築計画委員会 `設 計方法 Ⅳ/設 計方法論 "(彰 国社 ) "(彰 国社 1987) 日本建築学会 建築計画委員会 `設 計方法 V/設 計方法 と主体 建築構法 "(市 ケ谷 出版 1981) 大野隆司 他 “ 建築計画 '(実 教 出版 1975) 太 田利彦 他 “ シュルツ、 フランツ `評 伝 ミース・ フ ァン・ デル・ ローエ"(鹿 島 出版会 1988) スペース、デイ ビッ ド `ミ ース・ フ ァン・ デル・ ローエ"(鹿 島出版会 1988) "(共 立 出版 1980) “ 建築計画 計画・ 設計課題 の解 き方 柳沢忠 "(彰 国社 1970) 山本学治 、稲葉武司 “巨匠 ミー ス の遺産 フ ァンズ ワース邸

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


67

“ARCHITECTURAL

Monographs Mies van der S PRESS 1986) Rohe"(ST.MARTIN´

“JA

1994 ANNUAL'(新

建築社

1995)

Partl"(新 建 築 社 1991) `建 築 20世 紀 Part2'(新 建築 社 1991) `新 建築学 体 系 建 築 計画 1(彰 国社 )' “ 新 建築 学 体 系 近 ・ 現代 建築 史 "(彰 国社 1993) “THE Mies van der Rohe ARCHIVE Vol. 1" `THE Mies van der Rohe ARCHIVE Vol.2' “ 建築 20世 紀

“THE

Mies van der Rohe ARCHIVE Vol.3"

“THE

Mies van der Rohe ARCHIVE Vol.4"

(Museum of MOdern Art)

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文


68

5-3)

あ とが き

論文 とは一 体 どのよ うな もの を言 うのか、 とい う初歩か ら始 めて、テーマを捜 し出 し、 背景 、調査、結果、考察 と進 めて行 くたびに不安 を伴 ったが、形 だけは何 とか しなければ とい う思 いだ けで最後 まで来 て しま ったよ うな感 じがする。言 わば論文入門・ 概要把握 の 段 階 を過 ごしたわ けだが、果 た して この時期 の学生 としてつかむべ きものをつ かみ得 たの か どうかとい う不安 はやは り残 る。 文献資料 を追 ってゆ くと、近代建築 の 巨匠 と評 されるだ けあ つて ミース・ フ ァン・ デル・ ローエの懐 の深 さ (あ るいはそれは彼 の論説嫌 いか ら由来 して い るのか もしれ ないが) にただただ驚嘆 するばか りだが、 そればか りでは い られな いと も思 うし、今後 なにか学 び 得 るもの も見 つ けて いかなけれ ば ならな い と痛感 して いる。

1995年

渡辺仁 史研究室

卒業論文



j ︻      ・ ¨        一 ・ 〓

ヽ^t

1〓 ,

1 こ一

、 ﹂  ■ 一■● ・ ヽ   ・ ■

、 一        一 一   一 ´一 ,  ・

﹁¨ ヽ 〓t   一   ● ・ ”ヽ 4

_7

t・

、 ・■・ ・    ∴● た 三 ︱ ,

﹁ 仁・ ・鷲

‘■卜 ごギゃ■﹁■ .

﹂ 卜 .             一    ■ 一 、                ︸、 ヽ         一  ・・ ・ ・一 ■ ‘・ , , ,

4

`:1

・ 、│=tす ぃ

lil '

I、

:`11 .

■.

:`

'

,.

'`

1 ,

,・

│´

11,■

・ :ヘ

へ1

. 11


Turn static files into dynamic content formats.

Create a flipbook
Issuu converts static files into: digital portfolios, online yearbooks, online catalogs, digital photo albums and more. Sign up and create your flipbook.