サステナ第29号

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■司会挨拶

横張 真 よこはり まこと

東京大学大学院新領域創世科学研究科 教授

皆さま、こんにちは。あけましてお めでとうございます。ただいまより国 際シンポジウムを開催させていただき ます。六時近くまの長丁場ですが、ど うか最後までお付き合いいただきます ようよろしくお願いいたします。 本日の国際シンポジウムは「成熟し た持続性社会を目指して」というタイ トルです。同時通訳が付きますが、こ こからは海外からのお越しの先生方に 敬意を表して、英語で司会を務めさせ ていただきます。 最初に小宮山宏先生に開会のご挨拶 をお願いいたします。先生は、二〇〇 五年まで東京大学の総長をされ、その

後、総長顧問になられるとともに三菱 総合研究所の理事長になられました。 小宮山先生は国の政策、特に科学技術 ■開会挨拶

プラチナ社会 こみやま ひろし

小宮山 宏

政策に関するいくつもの委員会に参加 されています。それでは小宮山先生お 願いいたします。

ただきます。 世界の持続可能性に関する物質的側 面を考えるとき、経済と産業、人工物 の飽和、人の寿命、エネルギー資源の 四つをみておく必要があります。 図①は、世界の経済の約一〇〇〇年 間の動きを示したものです。縦軸は一 人あたりのGDPです。ただし、世界 平均のGDPで規格化しています。

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム理事長 東京大学総長顧問/三菱総合研究所理事長/プラチナ構想ネットワーク会長

シンポジウムに先立ちまして、いま なぜ持続社会を議論する必要があるの か、その背景をお話させていただきま す。申し上げたいことは二点です。一 つは、私たちは人類史上の大きな転換 点を生きているということです。私た ちの社会は激しく変わりつつあります。 第二に、 人類の新しいビジョンとして、 プラチナ社会というのを提案させてい

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成熟した 持続型社会を目指して サステイナビリティ学とは,地球環境問題など喫緊の地球的 課題に俯瞰的立場で取り組み問題解決に向けたビジョンを示す ための新しい学術体系である。日本では,2005 年に設立された 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)が,サステ イナビリティ学に関する日本の大学・研究機関を束ねる大学間 ネットワークを形成し,世界的な拠点形成を目指してきた。そ の後,一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソ ーシアム(SSC)が設立され,大学・研究機関に加えて,自治体 や企業の参加も得て,この分野の発展のための活動を展開して いる。 IR3S と SSC は,国内におけるサステイナビリティ学の認知 度を高めるために,これまで市民向けのシンポジウムを開催し てきた。今回のシンポジウムは,国際的な視野からサステイナ ビリティ学の展開を図るために,この分野で世界的に著名な学 者や,この分野をリードするトップクラスの企業人を招聘し, 学術界と産業界の対話を通じて,サステイナビリティ学の持続 型社会構築に果たす役割と貢献について将来展望を得ることを 目的とした。とくに,日本のような成熟社会では,たとえば高 齢化社会と持続型社会を融合させるような統合的な視点が重要 であり,そうした観点からの社会づくりの方向性についても討 議した。

特集

サステイナビリティ学国際シンポジウム

成熟した持続型社会

国際シンポジウム

●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシア ム(SSC)/東京大学サステイナビリティ学連携研究機構 (IR3S)/国際連合大学(UNU) ●日時:2 013 年 1 月 7 日(月)13:00~17:45 ●会場:国際連合大学ウ・タント国際会議場 2


していかないと、温暖化とエネルギー 資源の枯渇の二つによって、人類は持 続可能でなくなります。 先進国では私たち一般市民が、衣食 住が足り、車やジェット機で移動でき るようになり、情報端末をもち、長生 きできます。衣食住移動情報長寿、こ のような豊かさはつい最近まで、ほん

の一握りの支配層が独占していたもの です。こうした意味で文明が成功した 一方で、 先進国は低成長経済に苦しみ、 地球環境や高齢化等、さまざまな問題 を抱えるようになりました。 この先の目標を、人類はどこに定め るべきでしょうか。量的に足りてきた のですから次は質的充実でしょう。質 を上げていくところに新しい成長の可 能性があるというのが、おそらく持続 可能な発展の具体的中身だと思います。 そのような今よりも質の高い社会を、 私はプラチナ社会と定義しています (図②) 。 プラチナ社会はこれから私た ちがつくるもので、まだ見ぬ社会です から、その具体像は分かりません。世 界各地で異なった、多様な様相を帯び るでしょう。ただ、プラチナ社会に共 通な、いわば必要条件はあるでしょう (図③) 。 それを現在議論しているとこ ろです。 第一は環境です。公害を克服し、生

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もう一つがエネルギー資源です。物 質は循環できても、エネルギーは循環 できません。一五〇年前まで、エネル ギー資源のほとんどはバイオマス、つ まり薪でした。いまは八割が化石資源 で、一五パーセントが再生可能エネル ギー、五パーセントが原子力です。二 一世紀中に化石資源を限りなくゼロに 図②

図③


図①

一〇〇〇年前は、一人あ たりのGDPに差はほとん どありません。当時の産業 はほぼ農業だけで、ほとん どの人々の活動は食べるた めでしたから、国家間の差 は小さかったのです。一八 世紀になって産業革命を行 った国が急激に生産力を増 してGDPを伸ばし、先進 国となりました。産業革命 を経験しなかった国が途上 国としてとどまったのです。 そして、 ここ二〇年ほどで、 先進国の値が落ちています。 先進国も年に一~二パーセ ントは成長しているのです が、世界平均が上がってき たために、相対的に先進国 が落ちてきているのです。 現在の世界は、一〇〇〇年 前よりもはるかに豊かなレ

ベルでもう一度国家間の差が小さくな って均一化する方向に向かっています。 経済の豊かさと寿命はきわめて明確 に相関しています。一〇〇〇年前の平 均寿命は二十数歳でした。十分な栄養 や清潔な環境を得た支配層の寿命は長 かったのですが、大衆は短命でした。 産業革命を経て豊かになった国の寿命 が延び始めましたが、それでも一九〇 〇年には先進国が四十数歳、世界平均 は三一歳でした。先進国はいま八〇歳 ぐらいまで伸び、世界全体でもそろそ ろ七〇歳が視野に入ってきます。これ は一般人が豊かになってきたからです。 人工物は飽和しつつあります。日本 もドイツもイギリスも、二人に一台の 車をもったところで、だいたい飽和で す。廃車になった分を補う台数だけの 新車が売れるという状況ですから需要 も飽和します。他の人工物について同 様のことがいえます。人工物の飽和が 低成長経済の背景です。

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プタ先生をお招きします。先生は経済 学を専攻するケンブリッジ大学の名誉 教授です。一九七一年から八四年まで ロンドン大学で経済学の教鞭をとられ、 ケンブリッジ大学に移られたのは八五 ■基調講演

持続可能性と富の概念 パーサ・ ダスグプタ a t p u g s a D a h t r a P

ケンブリッジ大学経済学名誉教授

小宮山先生からインスピレーション にあふれたお話を頂戴しました。その 流れに乗ってお話ができたらと思って います。小宮山先生のお話でとくに強 く感じましたのは、人類の進歩を理解 するには、一〇〇〇年というような長 い時間でみることが大切だということ です。一〇〇〇年前に戻ると、世界に

年です。スタンフォード大学にいらし たこともあります。二〇〇二年には、 経済学の発展に寄与されとことに対し て、エリザベス二世女王から卿の称号 をいただいておられます。

は貧困があふれていました。現在の貧 困ラインは一日一ドル二五セントとい われています。それよりも厳しい貧困 の時代から、産業革命以降、一人あた りのGDPが急速に増加し、これから は平準化されていくというお話でした。 忘れてならないのは、多くの人々が、 何世紀にもわたって貧困に直面せざる

をえなかった事実です。すばらしい文 明があったことを示す遺跡が世界にた くさんあります。文明というのは、実 は多くの貧困層によって支えられてい ました。貧困は私たちが考えていかな ければならない大きなテーマです。 今日ここでは、一つの国が競争的環 境のなかで、どのような実績を挙げ、 どれぐらいの力を有しているのかとい うことから離れて、経済の評価を私た ち個人のレベルに落として、私たち市 民の行動をどのように認識しているの かということについてお話したいと思 っています。市民というのは非常に重 要なテーマです。経済の進展を考えた ときに、私たち自身の目からみるだけ でなく、他者にどのような視点がある のかということに思いを巡らせていた だきたいと思っています。私たち自身 の目線だけではなく、他者の目線でみ て考えることで、私たちの理解が補完 されるからです。

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物多様性を取り戻すことです。第二が 資源、エネルギーです。地域で自給す ることを考えます。第三が、人が生涯 成長し続けるような参加型社会です。 第四が精神的な幸福と物質的な豊かさ をともに得られる社会。第五に雇用の 機会が十分にある社会です。

図④

プラチナ社会を実現するために、グ リーン、シルバー、ゴールドなどイノ ベーションによる社会の変化が必要に なります。日本がなすべきことがたく さんあります。これは中央政府が掛け 声を掛け、お金を出したから実現する というものではないでしょう。ですか ら、私はプラチナ社会ネットワークと いうものを立ち上げて、地域からプラ チナ社会をつくっていく運動を一生懸 命行っているところです(図④) 。 本日のシンポジウムの背景として、 人類が転換期にあること、目指すのは プラチナ社会であるという私の提案を ご理解いただければ大変ありがたいと 思います。

横張(司会) ありがとうございまし た。私たちの社会の現状と将来の可能 性について明確にお話していただきま した。 次は基調講演としてパーサ・ダスグ

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いうことです。逆にいえば、理想的な 社会とは何かということです。 初めの三つの問いはアセスメント、 そして後の二つ問いは評価と、分けて 呼びましょう。 アセスメントについては、大変有名 な一九七八年の国連のブルントラント 委員会の発表がありました。持続可能 な発展をうたったレポートです。持続 的な発展の基本は、将来世代のニーズ を損なうことなく現在の世代のニーズ を満たす、ということだと、そのレポ ートで語られました。ニーズというの は、基本的には人類の福利です。世代 間の衡平とは、現代の世代の福利を考 えるときに、将来の世代の福利も考え るということです。人口は二〇五〇年 には九八億人になるといわれています。 九八億人の人類の福利がより良い状態 になっていくのか、そうではないのか というところを予測します。世代間で 福利が保たれているのか、つまり世代

を超えて福利が低下しないということ が、持続可能の定義として関わってき ます。 福利というのは、一人ひとり全く同 じではありません。いろいろな背景を もった人々がいるからです。特定の観 点に基づくのではなしに、人類の福利 として共通項を考えるにはどうしたら いいでしょうか。しかも、現在の人類 の、あるいは近い将来の人類の福利だ けでなしに、先の先の世代の福利を含 めた全体の福利を考えるのです。 価値というのは単一ではありません。 複数の価値観があります。場合によっ ては、特定の価値に関しては絶対的に 譲れないということもあるでしょう。 政府が干渉してはいけない活動もあり ます。 私たちが経済を考えるときには、 厳密な数学ではありませんから、一単 位も譲ってはならないというものでは ないでしょう。価値には代替可能性が あるとみなします。ある価値は自分に

とって非常に重要なので譲れないとい うものがあるとは思いますが、難易の 差はあるとしても、代替可能性がある とここでは考えます。 生産および消費は代替可能性があり ます。ものやサービスを私たちは暮ら しのなかで消費しています。消費とい うことを私が申し上げるのは、私たち は単なる消費マシーンだと考えるから ではありません。たとえば友情は、人 生にとって非常に重要です。私たちは 消費マシーンではないのです。 しかし、 ある人は、貧しければ隣人をお茶に呼 ぶこともできないということをいって います。友達をお茶に呼んで楽しい会 話をもつということも、友情を温める には大切であるのでしょう。友情を維 持して私たちが生きていくためには、 ものやサービスが必要でしょう。その ためのリソースが必要です。そして、 ものやサービスを消費することは環境 に影響を及ぼします。

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民主主義社会には言語が必要です。 言語によって意見を交わし、言語によ って政策を議論し、言語によって国家 が置かれている状況を語ります。私た ち人類は経済の状況についてずっと言 語で語ってきました。それは過去の記 録をみれば明らかです。しかし、世界 からの信号を、人類は場当たり的にし か捉えていませんでした。世界が実際

にいまどのように動いているのかとい うところの認識でしか理解できていな かったのです。これからは、一貫した かたちで、堅牢度の高い倫理的でしか も実利に基づいた手順で、経済を評価 することを確立すべきです。 ここで一つの注意事項を述べておき ます。経済( economy )という言葉を 私は使います。 私が経済というときは、 必ずしも国を対象としていません。国 際的なデータは国単位で政府から発表 されています。しかし、ここで私が経 済といっているのは、私たちの世帯、 あるいは近隣の世帯を指します。私た ち自身がそれぞれに生きている世帯の ことです。 経済について評価するときに、五つ の質問事項があるのではないかと考え ています。 第一の問いは、いま私たちの経済は どういう状況なのか。国家の状況がい まどうなのかということと類似した問

いです。 第二の問いは、過去五年、一〇年、 一五年、あるいはもっと長くにわたっ て、経済はどうであったのか。たとえ ば、世界銀行が出している報告書の後 ろにはいろいろな表があります。過去 の統計が時間軸にそって並べられてい ます。国家のレベルでの軌跡です。そ れを世帯のレベルでもみたいのです。 第三の問いは、経済が今後どういう かたちでの展望を呈するのかという予 測です。今後どのような政策が展開さ れたときに、経済の状況がどのように 展開するのか、知るうる限りにおいて 予測したいのです。 第四の問いは、政策を比較して評価 するということです。いくつかの政策 があって、政策が変わることによって どういった展開があるのかを評価しま す。 第五の問いは、これらすべてを包含 した上で、何が一番いい政策なのかと

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を使うことなので、消費として捉えら れます。一方で、学校は人的資産です から、そこにお金を使うのは投資と捉 えることができます。データをどのよ うに扱い、支出パターンをどのように 考えるか、実際に何が生まれてくるの かの捉え方で変わってくるのです。 人工資本、人的資本、そして自然資 本が資本資産を構成するものであると いうことになると、GDPをみるだけ では記録に残らない資本資産もあるで しょう。富を測定するとき、あるいは 富の変化を測定するときには、資本資 産のすべてを含む必要があります。総 量掛ける価格だけでは測りにくい定性 的な項目もあれば、非常に曖昧な項目 もあります。質と量の違いということ もあります。 生産基盤には資本資産以外に、エネ ーブリング資産があります(表①) 。所 有権、企業、政府、世帯などに関わる 制度、自然法、手続き、理論、文化的 な物語などの知識、さらに、法律、社 会の基本、習慣や慣習など社会関係資 本です。これらの資産は何かを可能す る資産、何かをしやすくするような流 れをつくる資産なので、エネーブリン グ資産と呼んでいます。 一つの事例を紹介しましょう。二つ の島を考えてください。 全く同じ島で、 人々がもっている価値は同じだとしま す。皆が同じ価値をもっている意味で はなくて、ある一つの島のある人のも っている価値と、もう一つの島のもう 一人の人がもっている価値が同じだと いう意味です。二つの島はそっくりで はあるけれど、一つだけ違いがありま す。それは社会関係資本です。一つの 島はお互いに信頼し合っています。非 常に固い信頼関係があって、これをし てくれたら、私もこれをしますという ような信頼が成り立っています。もう 一つの島には信頼がありません。お互 いに疑い合っていて、約束をしても何

も意味がありません。契約をするとき に弁護士を呼んでも、弁護士を信頼す る人がいません。二つの島には同じ資 本資産があっても、資本資産をどのよ うに使っていくのかというところで大 きな違いがあります。最初の島ではお 互いに取引をします。ある人が資産に 余剰があってそれを必要としないのな らば、資産を必要としている人と交換 します。つまり取引を行います。二つ 目の島には信頼関係がないので取引は 行われません。資産はあるけれどもス キルがない人は、最初の島ではスキル も取引して交換できます。スキルにも 価格が付きます。信頼があることで、 価格の概念も変わってくるのです。二 つの島の経済の結果は全く違ったこと になります。つまり、重要なのは、シ ャドー価格、すなわち概念的な価格が 変わってくることです。信頼関係がな い島では使われていない資産は全く価 値がないことになります。信頼のある

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先ほどの問いの第四に戻ります。評 価のためには指標が必要です。経済の パフォーマンスを判断するのに正しい 指標かどうか、まず考えておかなけれ ばなりません。経済に関わるすべての 資産には価格が付きます。価格は世代

表① 間の福利をみるときの標準的な重み付 けとなるでしょうか。 世代間の福利を評価するためにある 重み付けを使った場合には、経済のな かにおける資産にも焦点を当ててくだ さいということを申し上げています。 そして、その皆さんが考えている福利 を、富というかたちで追跡してみてく ださいと申し上げています。 たとえば、 大きな病院がどれだけあるのかという のは国によって違います。病院のベッ ド数が多ければ多いほど病人を救うこ とができます。健康を病院という側面 から評価することも大切です。 皆さんが持続可能な発展に関心があ って、世代間の福利に関心がある場合 には、経済の生産的基盤を追跡してく ださい。そして、福利がどのように分 配されるのかをみてください。 表①をご覧ください。生産的基盤を 二つに分類しました。資本資産 ( capital assets )とエネーブリング資

産( enabling assets )です。経済にお ける資本資産は単にものを生産するだ けではないのですが、世界である何年 間にどういった投資がなされたかとい うことでは、たとえば道路や建物の建 設にいくら投資したとか、機械設備に いくら投資したとかが報告されます。 それらは人工的な生産資本です。資本 資産はそればかりではありません。人 的資本もあります。たとえば人口の規 模や構成、知識やスキルといった教育 に関係するもの、 そして健康などです。

)を 健康は、生活の質( quality of life 強化し、 そして寿命を延ばすものです。 さらに、資本資産には三番目として、 自然資本、つまり生態系や地盤資源な どがあります。 私たちは資本資産をこのように分類 していますが、国の統計は、私たちが 考えているのとは違う方法で行われて います。たとえば、学校に子どもを送 るということは、家庭にとっては所得

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表③

三つの美徳がうまく加味されていると、 長寿命になるのだろうと思います。二 〇年前より寿命が長くなっているのは、 より健康になってきたからでしょう。 健康な生活を営めると、長く生きて、 富が増えます。その相関関係は完璧で はありませんが、比較的高い相関があ るといえます。 私たちの分析では長寿命に焦点を当 てました。この五年でインド人の長寿 化が進んでいます。九五年に比べると 死を迎えるまでの期間が二〇〇〇年に は長くなりました。統計的な寿命は実 際の人生の価値とは違います。一個人 が妥当な行動として投資をして、それ によって死を長引かせることができる という考え方で測っています。現在の インドで人的資本のうちの健康の部分 は一三〇万ドルと評価されました。 一九九五年のインドにおける一人あ たりの生産資本は一五三〇ドルでした。 自然資本は二三〇〇ドル、教育などの

人的資源が六四二〇ドルです。健康が 大変大きな要素となっています。 一九九五年から二〇〇〇年における 変化をみましょう(表③) 。一人当たり の生産資本は六五〇ドル増加しました。 自然資本は二〇ドル減少しました。教 育は一〇二〇ドルの増加、健康は九三 九〇ドルの増加です。地下資源に関し ては原油がマイナス一四〇ドルです。 二酸化炭素の増加を入れました。炭素 が増えるのはもちろんよくないので、 マイナス九〇ドルです。炭素価格が高 くなるとマイナスの数字がもっと大き くなります。一人あたりの富は、全体 で一万八一〇ドルの増加です。もとも とベースが非常に高かったことから、 変化率は〇・九パーセントのプラスで す。これだけ一人あたりの富が増えた ことになります。 将来に関しては、二〇年から三〇年 後には、健康資本の占める割合が非常 に大きくなって、他は小さくなると考

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方の島では私に資産があれば取引をし て何か別のものを借り入れることがで きることになるわけです。このように 信頼があることで、何かをおこすこと が可能になりますので、可能にする資 産、 エネーブリング資産というのです。 では、実際の数字を当てはめて考え

表②

ていきましょう。私は理論を信じてい て、それに命を吹き込むためにさまざ まなデータを扱い、そしてデータを積 み上げて理論をより堅固にしようとし ています。よい理論がなければ、間違 ったことをしていてもそれが間違いだ とわからないでしょうし、近道があっ ても見つけられないでしょう。 昨年の夏に、私をふくむ五人の研究 者でまとめたレポートがあります。開 発の持続性を五つの国でみています。 期間は一九九五年から二〇〇〇年の五 年間です。 まずインドの数字を挙げます (表②) 。 アクセス可能な一人あたりの資産の価 格を示してあります。この表で自然資 本のすべてが反映できているわけでは ありません。森林の価格は木材という ことでのみ反映されています。森林が 提供できるサービスが他にあっても包 含されていません。人工資本、生産資 本は国の統計から取ってきています。

ここで、一つのサブ定理として、妥 当な条件があれば、持続性分析を一人 当たりの富でみることができるという ことを申し上げておきます。富裕層は 加重を低くし、貧困層は加重を高くす るということで、調整します。 人的資本は教育と健康で分けて書い てあります。教育を改善して教育水準 が高くなるということは、所得が高く なるということにつながっています。 健康については、健康が良好であるこ とには三つの美徳があると申し上げお きましょう。一つは当然ですが、健康 であれば気持ちがいい。頭痛があるの は気持ちがよくないし、風邪をひいて いるのは気分がすっきりしません。第 二に、健康を害すると、福利の流れを 悪くします。第三に所得です。元気で あれば働けますし、生産性も高いでし ょう。不健康であれば会社を休まなけ ればいけません。それらが皆さんの年 間所得に反映されます。これら健康の

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社会的側面に関する国際研究計画(U NU‐IHDP)は、国連環境計画(U NEP)など複数のパートナーと共同 』 で『包括的富に関する報告書 2012 )を ( Inclusive Wealth Report 2012 発表しました。ここではその報告書を 基 盤 と して 、 包 括 的 富 指 標 ( IWI, )の重要性に Inclusive Wealth Index ついてお話します。

皆さんは理論よりも、たぶん結果に ご興味があるかと思いますが、いまま で私たちが苦慮してきましたのは、進 歩をどう測定するかという問題です。 朝、テレビをつけてCNNでもBBC でも、アルジャジーラでも日本のメデ ィアでもいいですが、経済について語 られるときには、かならずといってい いほど国民総生産(GDP)が出てき ます。この四半期はGDPがマイナス 成長で景気が後退しましたとか、GD Pの変化に対応して財政政策を導入し ますとか、そのようなニュースが流れ ます。政策はいつもGDPと関連して 出されるのですが、それは正しい戦略 なのでしょうか。GDPは経済の発展 を正しく測定する方法なのでしょうか。 それに対して、疑問符を付けたいと思 います。 GDPは経済的な生産性を推し測る ために五〇年代後半に開発されました。 もともと、人間の富や経済的な進歩を

測るためのものではなかったのです。 いわば代替としてこれまで使われてき たので、そのようなことに活用すべき ものではないのです。 ここで大変興味深いグラフをご覧く ださい(図①) 。国連大学において過去 三年間行ってきた「日本の里山・里海

評 価 」( JSSA, Japan Satoyama )の報告書に載 Satoumi Assessment っているグラフです。物の豊かさと、 心の豊かさについてどちらを求めるの かという問に対して、日本では八〇年 代に転換点がありました。物の豊かさ が下がり、心の豊かさを求める方が多 くなったのです。一人当たりのGDP を従来型の測定で行いますと、日本で は一九八〇年は九〇〇〇ドルでした。 これは少しばかり驚く数字です。他の 研究では、物の豊かさから心の豊かさ を求めるように変わるという現象は、 一人当たりのGDPが一万五〇〇〇ド ルという数字で現れるということが複

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えられます。どうして自然資本を大き く上回って健康資本が増えるかという と、自然資本の評価が非常に足りてい ないからです。今の推定値の弱点がそ こにあります。たとえば湿地がどれぐ らいの価値があるのか、確実にいえる 数字はありません。以前に比べるとそ の価値は認められてきていますが、価 値の評価が非常に難しいのです。温帯 域の湿地と熱帯域の湿地は価値が違い ます。全く同じ価値を持つ湿地はあり ません。山の傾斜地でも、日当たりの よいところとそうでないところは価値 が異なります。自然資本には非常に局 所的な違いがあるという問題点があり ます。自動車ならば、日本でつくられ たものも外国でつくられたものも取引 は可能で、計算も容易です。 大学の研究戦略は非常にイマジネー ションに富んでいますから、 自然資本、 教育、健康といったことに関して評価 するいろいろなケーススタディが行わ

れています。ケーススタディを積み重 ねて私たちの理解は高まっていきます。 この分野に関しては、まだまだかなり の量の研究が必要です。いろいろな指 標が出されていて、お互いに異なって います。よく考えなければいけないの は、経済のパフォーマンスを評価する にあたって、一体何を知りたいのかを 特定して見極めることです。

■講演1

包括的富に関する報告書

横張(司会) 非常にインスピレーシ ョンに富んだ基調講演をありがとうご ざいました。 ここからは五名のスピーカーによる 講演です。最初のスピーカーは、アナ ンサ・ドライアッパ先生です。ドライ アッパ先生は環境開発経済学の専門家 で、とくに生態系サービスの利用に関 する公正さについて研究されています。

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アナンサ・ ドライアッパ h a p p a i a r u D a h t n a n A

っています。二〇一二年六月の「国連 持続可能な開発会議」(リオ+ )で、 私たち国連大学地球環境変化の人間・

国連大学地球環境変化の人間・社会的側面に関する国際研究計画事務局長

このプレゼンテーションでは、グロ ーバルなレベルでの政策の状況がどの ようになっているのかお話したいと思

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ドオフです。 いろいろな指標があって、 それぞれに達成可能な目標を立てるこ とができます。ところが、それはお互 いに影響を与えます。いわば ただ飯 がどこかにあるわけではないので、何 らかのレベルでトレードオフが生じる のです。物の豊かさから心の豊かさへ ということもあると思いますが、どち らをとるのか意思決定をする必要が出 てきます。ときには、有限のシステム においては選択肢がそもそもないよう な場合もあるでしょう。 第二は、持続可能であるということ です。 「リオ+ 」でも、進歩は持続 可能でなければならないということが うたわれました。 第三は、衡平性です。国内でも、国 と国の間でも、衡平性を確立していく ことが重要です。衡平性からの乖離が ネガティブなフィードバックを及ぼし ているということが、いくつかの研究 で指摘されています。資源の利用で衡

図②

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平性が損なわれていると、競争関係に よって悪循環に突入し、一番の被害者 が自然や天然資源になります。 それらのことを考慮した指標をつく ろうとしてきた成果が『包括的富に関

する報告書 』です。論理的な枠組 2012 )氏とダス みは、アロー( K. J. Arrow グプタ先生が確立しました。この枠組 みは堅牢度の高いものです。 図②は概念フレームワークです。左 側にさまざまな資本があります。社会 的な資本も示してありますが、社会的 な資本は今回の報告書IWRではカバ ーしていません。社会関係資本におい てストックの考え方を導入するのが難 しいのと、入れてもあまり実りが期待 できないからです。このフレームワー クでは、相互依存をしているものを捉 えてトレードオフも加味し、地球生態 系に影響を及ぼす汚染や生態系サービ スなども捉えています。社会制度や人 的な側面も含んでいますし、価値の変

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数の国で確認されています。日本では GDPの低い段階でそのような変化が あったのです。所得は一人当たりのG DPと関連していて、豊かであること に所得は重要な要素です。しかし、そ れが唯一の要素ではないということは 念頭に置いておかなければいけません。

間開発指標( HDI, Human Develop )や生物多様性を保全し -ment Index 有効に活用するための指標などが考え られてきました。それぞれに重要な指

GDPを使うことには、八〇年代に おいてもすでに多くの批判がありまし た。識字率や就学率などを反映した人

図①

標ですが問題があります。指標の構成 要素が互いにどのような関係にあるの か理解できていないのです。 たとえば、 一日一ドル二五セント以下で生きてい る人々を貧困層と定義しています。そ の指標をみる限りでは、生物多様性の 持続可能性については何も語られてい ません。 フランスのサルコジ元大統領が、G DPを超えて環境や社会的な富を捉え ようとする構想を提示しました。私た ちの生活をこれまでは間違って測定し てきたと指摘し、新たな測り方を構築 しようといいました。しかし、具体的 にどのように行動に移すかまでの踏み 込んだ提言はできませんでした。 では、 豊かさということを測るのに、 私たちはどのように考えたらいいので しょうか。いくつか考慮すべき点を並 べていきましょう。 第一に、これまで欠けていて考慮し なければならない一つの要素はトレー

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す。持続可能でない発展を行っている ということです。次に悪いのはナイジ ェリアで、〇から〇・五の間にありま す。それ以外はほとんどの国々は持続 可能な開発を行っているということが この図ではいえます。 次に一人あたりのIWIをみてみま しょう(図④) 。ほとんどの国々で結果 が悪くなっています。よくなっている のはロシアだけです。ロシアのIWI の伸び率はマイナスだったので人口で 割るとマイナスの数字が小さくなりま す。人口のインパクトを大きく受けて いるのがケニアです。国のIWIは二 ~三パーセント伸びていたのですが、 一人あたりに換算すると〇・〇~〇・ 五パーセントに落ちています。ケニア はこの一〇年間で非常に人口が増えま した。 生産基盤を維持するために必要な人 口成長率はどれぐらいなのでしょうか。 ブラジルについて少し詳しくみてみま

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いるのです。また、人口増加の要因も 反映されていません。ですから、多く の政策策定者はこの報告書をみて、あ まり悪くないという印象をもったよう です。それでも、ロシアはマイナスで 図⑥

げておきます。自然資本に関して、実 際には、多くの生態系サービスが悪化 しています。しかし、生態系サービス の検証がまだ十分には行われていない ために、非常に楽観的な見方になって 図⑤


化も捉えられるようにしています。 時間が限られていますので、次にI WIを実際に評価した結果について紹 介したいと思います。今回の報告書で

図③ は、日本、アメリカ、ブラジル、中国 など二〇の国について、一九九〇年か ら二〇〇八年までのIWIの変化を評 価しています。

世界には一九〇余りの国があります が、そのうちの二〇カ国です。二〇カ 国を選んだのは、IWIの評価に対し て、政策策定者や一般市民からどのよ うな反応があるかを試す意味もあって、 ランダムに選んだのではありません。 人口の大きさや、天然資源、再生可能 資源、石油資源の多さなどをみて、す べての大陸から選んでいます。GDP をみますと、この二〇カ国で全世界の GDPの七二パーセントを占めていま す。人口は五六パーセントです。グロ ーバルな環境変化などに影響を及ぼす 国々といっていいでしょう。 私たちはIWIの絶対値ではなくて、 変化に着目しています。一九年間にど れだけ変わったかの変化率を重視して います。図③をみてください。濃いグ リーンは、二~三パーセントのプラス の変化があった地域です。現在のこの 指標は最も楽観的な見方に基づいたも のであるということを、ここで申し上

図④

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いのですが、日本学術会議の会長をさ れ、二〇一一年には、東京電力福島原 ■講演2

子力発電所の事故に関する国会の調査 委員会の委員長も務められました。

いたからです。 基本的なことは二つです(図①) 。一 つは、この地球上で人口増加がおきて いるということです。もう一つは接続 性です。いまや五〇パーセント、ある いは六〇パーセント、七〇パーセント の人たちがパソコンやスマホを通じて インターネットに接続されています。 二〇〇〇年前の地球上の人口は二億 から三億ぐらいでした。平均寿命は非

不確実な時代――変わる原則 くろかわ きよし

黒川 清 政策研究大学院大学アカデミックフェロー

五年前に、何人の方がオバマ大統領 が再選すると予想したでしょうか。ヨ ーロッパにおける金融危機を何人の方 が想像したでしょうか。アラブの春は どうでしょうか。そして、日本で毎年 首相が替わるということを予想してい た人はいたでしょうか。 小宮山先生の基調講演を伺って驚き ました。私がちょうど申し上げようと していたのと同じことをおっしゃって

常に短くて、二五歳ぐらいだったとい われています。それから一五〇〇年た って人口が二倍になりました。二〇世 紀になったころには一六億でした。そ れから非常に大きな人口増加があり、 いまでは七〇億を超えました。寿命も 大きく伸びました。これは科学が進歩 したからです。 私たちがいま望んでいるようなライ フスタイルは産業革命のころから生ま れてきました。その進化の先に、接続 性の大きな変化がありました。一九九 一年から二〇〇〇年の一〇年間でおき

と呼んでいます た変化を私は web 1.0 (図②) 。 この一〇年間に、まずソ連がなくな って冷戦が終結しました。それまでに も多くの人がパソコンを使ってはいま したが、インターネットに接続されて いたのは限られた専門家だけでした。

)が そこにWWW( World Wide Web 登場して、インターネットに接続でき

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図⑦

す。図⑤は一人当たりのデータです。 人的資本は延びていますが、一人あた りの自然資産がかなり落ちています。 これからいえるのは、人口政策を見直 していくのが適切であるということで す。IWRの報告は、政策策定者の間 での対話を促し、将来の投資をどこに するかをみる一助になると思います。 日本は非常に興味深い国です。図⑥ はやはり一人あたりの数値です。自然 資本の伸びがプラスになっています。 先進国のなかでプラスだったのは唯一 日本です。人的資本の伸びが徐々に落 ちてきています。ドイツが非常に大き く人的資本を伸ばしているのとは対照 的です。 総合的な評価( TFP, Total Factor )をするには、IWIか Productivity ら二酸化炭素によるダメージ、すなわ ち気候変動のダメージを引いて、石油 に関する資本の増減を入れます。一人 あたりの数字を出した図⑦をみていた

だきますと、日本のTFPはマイナス です。私たちが評価した二〇カ国の中 で、先進国で負のTFPをもっていた のは日本だけです。報告書には、生産 性を伸ばすにはイノベーションが大切 であるといったことが書いてあります。 また、自然資本のなかで森林資産を増 やさなければいけないといったことを 政策策定者に勧告しています。 どこを伸ばすべきかは国によって異 なります。IWIはそれを知るのによ い枠組を提供できると考えています。 私たちの次の計画は一〇〇カ国をカバ ーすることです。そして、人的資本、 健康に焦点を当てていこうとしていま す。シャドー価格の推定をすることも 課題となるでしょう。

横張(司会) ありがとうございまし た。 それでは二番目の講演に移ります。 黒川清先生をお招きします。先生の卓 越した学術業績は申し上げるまでもな

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きました。二〇〇〇年にはコンピュー タのなかで何かがおこるのではないか という「二〇〇〇年問題」がいわれて いましたが、結局何もおこりませんで した。 そして二一世紀に入り、最初の一〇

選挙運動に引き込むことに成功しまし た。 二〇〇二年にヨハネスブルグで「リ オ+ 」の国連の会議が行われました。 それに限らず、国連の会議にはさまざ まなステークホルダーが招聘されるよ うになり、女性や若い世代もさかんに 参加するようになりました。世界を動 かすには、さまざまなステークホルダ ーを巻き込んでいかなくてはいけない ということが、 「リオ+ 」で明確に なったのです。 さらに、デジタル技術のイノベーシ ョンが、国境のないグローバルな世界

を発表 iPad

がい が普通になってきています。 iPad つ発表されたか覚えているでしょうか。

を 推 進 し て き ま し た 。 Facebook 、 、 WikiLeaks などによって全 Twitter 世界に向けて発信され、多くの人がア クセスするようになりました。一人で 二~三個のコンピュータを持ち歩くの

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スティーブ・ジョブズが

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でした。産業革命から始まった変化の 先に何があるのかという多くの予測が なされ、持続可能性の優先順位が高く なっていきました。気候変動に関する 政府間パネル( IPCC, InterGovern ) -mental Panel on Climate Change が発足したのが一九八八年で、アメリ カのアル・ゴア元副大統領とのノーベ ル賞の共同受賞につながる仕事をして

年間を私は web 2.0 と呼んでいます。 インターネットがより高速で使えるよ うになりました。電話回線だったもの から光ファイバーへと進歩し、ワイヤ レスになりました。一方で、二一世紀 の最初の年におきたのが 9・ の事 件でした。一〇年間に中国などの新興 国がどんどん台頭しました。二〇〇八 年に世界的金融危機(リーマンショッ ク)がおきました。アメリカではオバ マ氏が大統領になりました。再選を目 指した選挙運動では、ITを非常に活 用したことが知られています。ファン ドレイジング(選挙資金集め)で、イ ンターネットで小額の献金ができるよ うな仕組みをつくり、たくさんの人を 11


る人が爆発的に増えました。それによ って、一九九三年から九四年にかけて 新しい市場に生まれ、起業家精神をも った人たちが新しいビジネスモデルを 提案して、新しい市場に入っていきま した。多くは失敗しましたが、非常に 成功した会社がありました。私は、個 人的には、 国際機関に長く務めていて、

図① そのころに、国境がなくなってきたの を強く実感しました。「グローバルに考 え、地域で行動する」 ( Think globally, )ということがいわれるよ act locally うになりました。さらに、いくつかの 金融危機がありました。日本ではバブ ルがはじけました。その背景には非常 に簡単に通貨が国境を越えてやり取り

されるようになったことがあります。 一九九二年に、リオデジャネイロで 「地球サミット」が開かれ、持続可能 性がグローバルイシューになりました。 国連のブルントラント委員会の報告書 で持続可能性を提起したのは一九八七 年でした。 そのときは冷戦下にあって、 持続可能性の優先順位はまだ低いもの

図②

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設立されました。 私が委員長を拝命し、 半年間で報告書を出すようにというこ とで、二〇一二年七月五日に調査結果 報告書を衆議院議長および参議院議長 に提出しました。日本語の報告書とと もに英語の要約版も出しました。報告 書のすべてを英語化するには労力がか かり、昨年一〇月にフルでウェブサイ トにアップロードしました。調査委員 会はすべて公開とし、 聴講することも、 インターネットでみることもできるよ うにしました。英語の同時通訳も入れ ました。 この調査から何が得られたのかとい いますと、一つは、規制にとらわれて いたということです。シカゴ大学のジ ョージ・スティーグラー博士が提示し た「キャプチャー理論」 (捕虜理論)が あります。本来は規制すべき立場にあ る国や行政の側が、規制のとらわれの 身となって、規制すべき対象の団体な どを逆に擁護するようになってしまう で検索なさる Google

という説です。それにあてはまるよう なことが日本の原子力規制においてあ りました。同時に、日本ならではの特 徴的な要素も垣間みられました。日本 の社会的な構造、あるいは日本人であ るが故のマインドセットがあって、事 故はおこりえないと思ってしまったの かもしれません。いわば、 「黒い白鳥」 (ブラックスワン)はありえないと思 い込んでしまって、原発も壊れること があるということを忘れていたのです。 私たちは不確実な時代を生きていま す。原発の事故もありました。私たち は賢くなってきているのでしょうか。 同じようなことを繰り返しているので しょうか。 私の考えを申し上げます。私たちは 知識を基盤とした世界に生きています。 知識は重要です。知識は獲得していか なければなりません。いまや知識はデ ジタル化しています。疑問があると、 皆さんはすぐに

と思います。スーパーコンピュータの 「ワトソン」に質問してすぐに解を得 ることもできるでしょう。新しい技術 革新によって、もしかすると二〇年後 には、小さなチップの中に、学ばなけ ればいけないすべてのものが収まるよ うなるのかもしれません。 いわゆる 「シ ンギュラリティ」(技術的特異点) です。 人類の知恵を凌駕するようなものが出 現すると、そこが特異点となって、人 間の性向に基づいた従来の未来予測は 成り立たなくなるといわれています。 私は、知恵というものは、やはり努 力をして、実際の経験を積んで身に付 くものであると考えています。テニス のビデオをいくらみても、テニスの歴 史の本をいくら読んでも、いいテニス プレイヤーにはなれません。経験が欠 けています。 ここでいくつかの言葉を投げ掛けた いと思います。さまざまな原則が変わ ってきています。原則に関わるキーワ

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したのは二〇一〇年一月二二日です。 たったの三年前なのです。 Google はそ れと比べたらかなり前です。スタンフ ォード大学の大学院生が小さな研究室 で始めたのは一九九六年です。 短期間に多くの変化があったのはま さに驚くべきことです。このトレンド は失速することはなく、より加速され るではないかと考えられています。 インターネットへの接続性によって、 教育の世界でも変化がおこっています。 オープンキャンパス、あるいはオープ ン教育という新しい試みがあります。 スタンフォード、 MIT、 ハーバード、 バークレーなどの大学でオープンコー ス、オープンクラスを始めています。 教室にいる一〇〇人の学生が学ぶだけ ではなくて、インターネットを通じて 一〇〇〇人、あるいはもっと多くの学 生が世界中から二四時間接続して学ぶ のです。 さらにこの一年間で多くのことがお

きています。私は二〇一一年から Web に入ったとみています。二〇一一 3.0 年一二月に「アラブの春」が始まりま した。私は二〇一一年一二月一〇日に チュニジアにいて翌日カタールに移動 し、その一週間後に「アラブの春」が や Facebook 始まりました。 Twitter でデモへの参加が呼びかけられ、急速 に運動が拡大しました。ムバラク大統 領がエジプトから脱出しなくてはなら なくなったのは翌年の二月一一日です。 アラブの春はリビア、イエメン、バー レーンにも飛び火し、いまではシリア に達しています。それぞれ国は分かれ ていても、非常に相互関係があって、 一つ何かがおこると世界中に波及して いくのがいまの世界です。 余談ですが、一一日という日付は歴 史上何か悪いことのある日なのでしょ うか。私の誕生日は九月一一日で、今 世紀初めての私の誕生日に 9・ の事件がありました。そして二〇一一 11

年の三月一一日に東日本を大地震と大 津波が襲い、原発の事故がおこりまし た。 東京電力福島第一原子力発電所の事 故は大変悲劇的な事故で、世界に大き な衝撃を与えました。大気中の二酸化 炭素の増加によってもたらされる気候 変動に対して、原発は温暖化を抑制す る大きな要素であるとみられていたこ とから、 「原子力のルネッサンス」とい うことが語られていました。日本は第 三の経済大国として、科学技術で卓越 した国として知られていました。そこ で大きな事故がおきたのでした。多く の国が放射性物質はコントロールしが たい脅威であると考え、原発をなくし ていく方向での意思決定をしました。 日本では、福島原発の事故に関する さまざまな調査委員会が設立されまし た。そのなかで、日本の歴史で初めて 国会による独立調査委員会、「東京電力 福島原子力発電所事故調査委員会」が

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し、自分で乗り越えていくのです。理 論も重要ですが、それ以上に実践が重 要です。 プッシュよりもプルです。大量生産 でいろいろなものをつくって、市場の ニーズを本当に満たすことができるの でしょうか。自分の国のことだけを考 えていたのではだめです。インドの小 さな村、ケニアの小さな村の人たちの ニーズに応えられるのかを考えなけれ ばいけません。大量生産でつくったも のを押し出すのではなくて、ニーズを 引いてこなければいけないのです。テ ーラーメイドでなければいけない、適 応しなければいけないということです。 第三のセットは、ディスオベディエ ンス、クラウド、ラーニングです。 コンプライアンス、遵守・準拠に代 わって、ディスオベディエンス、反抗 です。大学でも企業でも、コンプライ アンスを強制すると、すべてのシステ ムは官僚主義に陥ります。反抗すると いうことが大切です。あるいは、合意 しないということを合意して、それに よってより活性化されたかたちでの意 思決定をします。単に従順に従うとい うことではいけないのです。革新性を もたせなければいけません。イノベー ションとは新しい価値の創出です。 エキスパート、専門家ではなくて、 クラウド、群衆です。オープン大学の 話をしました。教室で講義する教授陣 から全ての解が出るわけではありませ ん。教室に一〇〇人の学生が集まり、 インターネットの公開授業で世界各国 から数千人の学生が集まって、そこか ら解を模索していくのです。 教育よりも、学習です。大学という ところは、 教育をする場というよりも、 将来のリーダーとなる学生と経験知を 共有する場です。従来型の教育は、教 授がもっている教科書の中身を学生の ノートに書き写すことでありました。 頭のなかを全く通っていません。実践

的な学習が重要です。 これらのキーワードは、MITのメ ディアラボの所長をしている伊藤穰一

( Joi Ito )氏との議論から生まれたも のです。伊藤とは、一五年ほど前から 交友関係を結ばせていただいていて、 世界の事象のダイナミクスについて同 じような考えをもっています。今日の このような話をすることに関して、伊 藤氏に感謝しなければなりません。 彼はシカゴの大学を中退し、社会で 働いてから、コンピュータ科学に興味 があってもう一度大学に戻りました。 ところがそれも飽きて二年後にやめて しまいました。冒険家であり、やはり 奇才なのでしょう。MITメディアラ ボの所長になるにあたって、「自分は学 位もないので、信頼性のある学者の推 薦状がほしいので」 と連絡がきました。 MITが彼のような人材を採用したと いうことは、ちょっと考えさせるもの があります。大事なのは学位の有無よ

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ードを、三つずつセットにしてお示し します(図③) 。 第一のセットは、レジリアンス、リ スク、システムです。 レジリアンスという言葉を一〇年前 に耳にされたでしょうか。強靱性とい うことですが、以前はキーワードでは ありませんでした。ストレングス、強 さがキーワードでした。強い企業、強 い制度が求められていました。金融危

機があり、予想しなかったようなこと がおきました。完璧な強い制度を打ち 立てることは不可能なのです。福島の 原発事故もまさにそうでしょう。機械 は壊れ、人は間違いを犯すのです。レ ジリアンスという弾力性のある強靭性 が重要だと考えられるようになってき たのです。 安全神話をなぜ私たちは信じてしま ったのでしょうか。 安全神話があると、

図③

安全ということを忘れてしまいます。 何をするにしても必ずリスクがあると 考えるべきです。完璧な安全はありま せん。 何に投資をし、誰が実行するのか。 対象はものではなくてシステムです。 第二のセットはコンパス、プル、プ ラクティスです。 地図ではなくてコンパス、羅針盤で す。ビジョンあるいはミッションが必 要です。若い人たちの貧困の問題があ ります。人生の中で一番熱意のあると きに、俊敏性をもって自分で選択して いける道筋を示すことが大切です。コ ンパスがいるのです。 理論より実践(プラクティス)が重 要です。ビジネススクールで多くの若 者が学んでいます。ビジネススクール の教授が、果たして企業のCEOに就 いたときに成功するでしょうか。必ず しもそうではなく、多くの方々がたぶ ん失敗するでしょう。人は課題に直面

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八〇〇万トンの二酸化炭素の排出削減

ベーションを提案しています。エネル ギー節約につなげたり、運転の最適化 につなげたり、モーターの最適化につ なげたりしています。効率のよい照明 をしたり、波力を利用して燃料の節約 につなげたり、船体の形状も工夫して います。船体を長くするとエネルギー が節約できます。最新のタンカーは二 〇一〇年までに建造されたタンカーよ りも二〇パーセント効率がよくなって

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率的なのは船舶です。船舶が消費する エネルギーの節約に努め、二八パーセ ント削減しました。 NOx は四〇パーセ ント、二酸化炭素は一八パーセント削 減しています。 さまざまな削減を、二〇〇以上の小 規模なプロジェクトを実行することで 達成してきました。イノベーションで 大事なのは、労働者の心のもちようで す。半分ぐらいの従業員が、毎年イノ

図②

をしています。LTI( Lost Time 休業災害)は一〇〇万労働時 Incident 間あたり〇・五と小さい値です。船に よる輸送をしていることから、環境フ ットプリントは非常に大きくなってい ます。しかし、貨物を運ぶのに最も効

図①


) 。 ( www.kiyoshikurokawa.com/en/

りも、グローバルな課題に向かってど のような貢献ができるかなのです。 最後に、私は日本語と英語の両方で ブログをもっておりますので、皆さん のご質問をお受けしたいと思います 社のCEOをされています。 Stena

横張(司会) 非常に力強い明確なお 話をありがとうございました。実は私 の誕生日も六月の一一日です。 次のスピーカーはダン・オルソン氏 で す 。 広 範 な ビ ジ ネ スを 展 開 す る

■講演3

n o s s lB O nA e a t n S e nt a S D

事ができ、ケアがすべての価値につな がると考えています(図①) 。ケアとい うのは顧客の成功、社会の成功、従業 員の成功、パートナーの成功、ビジネ

持続可能な産業へのイノベーション ――勇気ある挑戦 ダン・ オルソン 社CEO(最高経営責任者)

グローバル・サステイナビリティの 専門家の皆様の前でお話するのを光栄 に思います。 私たちは、ケア( care )があって仕

スの成功につながります。顧客が満足 すれば私たちも満足し、私たちにとっ ても成功です。 社会の成功とは何かといいますと、 持続可能性があること、雇用の創出が できること、教育が続けられること、 すべてが調和していて継続性があると いうことです(図②) 。 私たちはファミリー会社です。私の 祖父が私の父のために計画を立て、父 が私たちの計画を立ててくれました。 成功を測るには達成された指標をみま す。従業員数、顧客数、どれだけの価 値を生み出しているのか、環境へのイ ンパクトがどれぐらいあるのか、生産 システムはどうなっているのかなどを 測ります。私どもには二万人の従業員 がいて、三万人が私たちの傘下で仕事 をしています。一四〇〇万人の顧客に サービスを提供し、八億トンの貨物を 運んでいます。六〇〇万トンの廃棄物 をリサイクルし、私たちのプラントで

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め立てが禁止されています。廃棄物を 分離し、選別して回収し、処理するこ とにコストがかかっています。よりよ いリサイクルのシステムの開発に、私

たちのところでは、一一名のポスドク が研究に関わっています。すべてがリ サイクルできれば、地球から原料を抽 出する必要性が減ります。鉱山で採掘 するような金属を廃棄物のなかから取 り出すこともできます。リサイクルを 成功させることでコスト削減につなが ります。私たちでは、埋立地を掘り返 して使えるものを収集することも考え ています。 私たちは三隻のLNG船を運用して います。LNGは石炭、そして原子力 の代替エネルギー源となると期待され ていて、一年あたり七・五パーセント で需要が伸びています(図⑤) 。LNG を船舶に使うこともできますが、イン フラが整っていません。都市に近いと ころでは、ガスの取り扱いに対して正 しい規制をして、地方自治体に理解し てもらうまでに時間がかかるかもしれ ません。 LNGの代替案として、メタノール

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ません。私たちは、エレクトロニクス の廃棄物を回収するヨーロッパで最大 の会社を運営しています。 スウェーデンの法律では廃棄物の埋 図⑤

図⑥


図③

図④

います。他のどの会社よりも効率が六 パーセントいい船を所有しています。 水のなかでの抵抗力は摩擦によるもの で、それを削減するために塗料ではな くて空気を使う実験をしています(図 ③) 。一年あたり二から二・五パーセン トずつエネルギーの節約を進めていま す。 廃棄物のリサイクルも進めています (図④) 。廃棄物というと、家庭から出 る一般のごみを思い浮かべる方も多い と思いますが、スウェーデンでは産業 廃棄物がその一〇倍ぐらいあります。 私たちの会社もたくさんの産業廃棄物 を出しています。四〇〇万トンの鉄や 金属をリサイクルし、一〇〇万トンの 紙や段ボール紙をリサイクルし、五〇 万トンのエレクトロニクス廃棄物をリ サイクルしています。エレクトロニク スは日進月歩ですぐに新しい製品が出 てきて、寿命がどんどん短くなってい て、素早くリサイクルしなければいけ

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ネルギー化します。このシステムで、 ごみを運送する交通量も減りますし、 道のどこでも回収できます。生活の質 も、作業状況も改善できます。 まとめですが、私たち Stena 社はエ ネルギーに関するグローバルプレイヤ ーであります。エネルギーを使うにあ たっては、 環境に優しいだけではなく、 気候変動を防ぐために二酸化炭素を削 減しなければなりません。エネルギー の効率を考え、より安価なエネルギー で、よりエネルギーを必要としないも のをつくっていく必要があります。ビ ジネス事業にリサイクルを取り込み、 毒性物質を中和し、 分別処理をします。 効率的なリサイクルは、エネルギー効 率をよくし、二酸化炭素の排出を削減 することに大きな効果があります。今 後も大学と協力関係を続けていきたい と考えています。

次のスピーカーはエリック・スング レン先生です。先生はVOLVO社の 副社長をされていて、その前にはチャ ルマース大学の学長を一九九八年から 二〇〇六年まで務めてられました。二 ■講演4

〇〇一年に、私ども東京大学も加わっ

ているAGS( Alliance for Global の加盟に尽力されまし Sustainability) た。

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一九九九年にフォードモーター会社に 売却し(二〇〇九年にはさらに中国の ジーリーに売却) 、 現在では、 トラック、 バスなどの商用車に特化して生産し、 合せて建設機械、船舶などもつくる企 業グループです。トラック、バスでは ドイツのダイムラー社に次ぐ世界第二

共有価値を創造する ――持続可能な道路交通の実現 ヤン エリック・ スングレン

持続可能な輸送手段、とくに、道路 交通の持続可能な解決策についてお話 します。そのなかで、いかに経済的な 価値を創出できるかお話したいと思っ ています。 VOLVOグループについてご紹介 します(図①) 。私どもは乗用車部門を

VOLVO社副社長

n e r g d n u S c i r E n a J

横張(司会) ありがとうございます。

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図⑦

を使うことも考えられています。メタ ノールはガスからも廃棄物からもバイ オマスからも生産できます。メタノー ルは硫酸酸化物や粒子状物質の排出を 低く抑えられます。船舶でメタノール を使うにはエンジンを開発しなければ なりませんし、規制に対応する必要も あります。 私たちでは、そのほかにもいくつか の再生可能エネルギーに投資をしてい ます(図⑥) 。たとえば、小型の水力発 電の研究です。ヨーロッパではすでに いくつかの小型の水力発電が建設され ています。問題はコストです。太陽エ ネルギーは技術的な革新によって、将 来的には非常に競争力のあるものにな ると考えています。バイオガスも今後 台頭してくると期待されていて、スウ ェーデンでは自治体やコミュニティで 利用が進められています。バイオマス には非常に多くの事例がありますが、 競合優位性を確立するのが難しいとみ

られています。 私たちは風力発電に投資しています。 風力発電は原子力発電の三分の二ぐら いのコストですみます。スウェーデン では全エネルギーの一〇パーセントを 再生利用エネルギーでまかなおうとし ています。それに向けての助成もあり ます。現在のところ、八六の風力発電 所を設立しています。大体五億ドル規 模ぐらいのものです。ビジネスが立ち 上がるのには時間がかかるものですが、 風力発電は成功して一年に一億五〇〇 〇万ドルぐらいの投資効果を上げてい ます。今後は五〇ほどの風力発電所を 考えていす。 私たちが買収した会社でごみに関す る新たな取り組みをしています (図⑦) 。 一般家庭の下にパイプを設置して、そ のパイプからごみを吸い上げます。「シ ンビオシティ」と呼んでいますが、地 下のパイプを通じてごみを回収、分別 してリサイクルし、ものによってはエ

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図③

新をもたらすことのできる豊かな社会 づくりへの進歩が期待されています。 一つの事例として、企業がどのよう な経済的な変動に直面しているかを申 し上げましょう。図③はトラックの販 売台数が、北アメリカ、ヨーロッパ、 ブラジル、日本で、一九九五年からの どのように変化してきたかを示したも のです。一見して、ヨーロッパと北ア メリカでは乱高下しています。両者の 谷がほぼ重なって、アメリカの方が先 に落ちています。二〇〇八年、九年は 世界的な金融危機の影響で顕著に下降 しています。日本のトラック市場は低 迷しています。最近は若干上がってい ますが、これから先は未知数です。こ のような変動に私たちはうまく適応し ながら事業を営んでいかなければいけ ない現実があります。 私たちすべての人が輸送に依存して います。輸送は私たちが創出する価値 に重要な関わりをもっています。生産

物が市場に出され、都市に運ばれ、店 舗に並ぶところに輸送が必ず関わりま す。ごみが都市から運び出されるのも 輸送です。輸送は社会にとって必須の 要素です。 さまざまな課題があります(図④) 。 大気汚染の問題、温室効果ガスの問題 があり、渋滞はGDPのマイナス要因 です。毎年一五〇万人の人たちが道路 で命を落としています。これらは持続 可能とはいえない問題です。マイナス の影響は低減しなければいけません。 モビリティとアクセシビリティのバラ ンスをはかりながら、安全性とセキュ リティのレベルを押し上げていくとい うのが命題です。 私たちの会社はこれらの問題の一翼 を担っているということで、大きな課 題を負っているわけですが、同時に、 将来的に有望な展望が開けてくる機会 があるととらえることもできます。持 続可能な輸送をどのように実現してい

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です。 さまざまなブランド名を展開してい ます。ボルボブランドだけでなく、二 〇〇一年に買収したルノーのトラック、 二〇〇一年に買収したマークのトラッ

図①

ク、二〇〇七年に日産自動車から買収 したUDトラックもあります。これは インドで第三位の市場占有率を誇って います。建築機械では、ボルボ中国の 会社、SDLGという会社も買収して

図②

います。バスでは、ボルボのブランド にプラスして、カナダの二つの会社の ブランドがあります。 グローバル企業として、私ども生産 拠点は二〇カ国以上にわたっています。 日本では九〇〇〇人の従業員を抱え、 世界のなかでも主要な市場となってい ます。 VOLVOのビジョンは、持続可能 な輸送手段の解を提供する企業になる ということです(図②) 。お客様のため に価値を提供し、輸送インフラ産業に 革新的な製品やサービスを提供し、安 全で環境に配慮した品質を追求して、 持続可能性が大きなテーマになってい ます。 今日のこれまでのお話にもありまし たように、私たちはさまざまな大きな グローバルな課題に直面しています。 人口の増加、気候変動、景気後退、金 融危機、過当競争、さらに戦争がおこ っている地域もあります。継続した革

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づいた車を中国で運転したら、中国の 大気の質がよくなると保証できます。 規制によってよりよい車が生産され、 大気がきれいになって、社会にとって 価値を生み出します。私どもの会社に は利益がきます。

ではありませんが、長期にわたってみ るとかなりの削減になっています。 都市のシステムを構築する際には、 より効率的な公共交通手段を考えるこ とが大切です。コロンビアのボゴタに 優れたバスのシステムがあります。地 下鉄よりも安価に実現できます。自治 体は、より少ない費用でより素早くよ り多くの人を輸送する公共の交通機関 が導入でき、私たちにとってはより多 くのバスを売ることができます。 VOLVOのトラック製造施設でヨ ーロッパ最大の工場では、二〇〇七年 に風力発電を導入し、屋根にソーラー パネルを取り付けました。建物のなか に日光を取り入れるようにもして、エ ネルギーの消費を五〇パーセント削減 しました。そのための投資を回収する 期間は二年間です。環境に優れるばか りでなく、素早く回収できる非常に良 い投資です。従業員にとっても職場環 境がよくなり、非常に誇りをもって働

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温室効果ガスの排出量のグラフをみ てください(図⑦) 。VOLVOの四〇 トントラックについて、一九七五年か ら同じ方法で測定しています。一年あ たり一・五パーセントぐらいの削減に なっています。それ自体は大きな数値

図⑥

図⑦


くのか、特に利害関係者とともにどの ようにしていくのかということを、い くつかの事例でご紹介します。 ビジョンとして、まず、VOLVO の製品で命を失う人があってはいけま せん。 これは現実的で重要な問題です。 スウェーデンで交通の安全性に対して、 ビジョンゼロと呼ばれているものがあ ります(図⑤) 。交通事故による死傷者 をゼロに近付けるということです。一

図④

人当たりの事故数は、世界でマルタ島 に次ぐ少ない国となっています。マル タ島はそれほど大きな輸送手段がある わけではありませんので、この数字は 誇るべき数字だと思っています。 環境的な面では、エネルギー効率化 です。化石燃料であろうと、再生エネ ルギーであろうと、どのようなエネル ギーを使うにしても、燃費を高めてい くということです。同時に、再生エネ

図⑤

ルギーに積極的に取り組んでいきます。 車をよくするだけでなく、システムの 効率化も重要です。規範や行動を変え ていく必要性もあります。 すべての問題を解決する手法はあり ません。可能ないくつかの点について 言及します。二酸化炭素の排出量をど う低減するのか。燃費を高めること、 たとえばハイブリッドにすることがあ ります。二酸化炭素の排出が少ない燃 料を使うということもあります。道路 の流れを改善して物流の効率性を高め ることもあります。それには社会基盤 のインフラを改善しなければいけませ んし、私たちの行動も変えていかなけ ればいけません。 図⑥はディーゼルエンジンから排出 される粒子に対する規制を示したもの です。日本は非常に早い時期から規制

を導入し、一〇年ほどで NOx 粒子が 九七から九八パーセント削減されまし た。アメリカの二〇一〇年の規制に基

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■講演5

包括的富と企業経営 ――経済学で考える うえた かずひろ

植田和弘 京都大学大学院経済学研究科教授

私のトピックは、包括的富指標と企 業の社会的責任ということですが、最 初に、持続可能な発展の概念を経済学 的に定義付けしておきたいと思います。 一九八〇年に初めて、国際自然保護 連合(IUCN)の世界自然資源保全 戦略の中で持続可能な発展という言葉 が使われました(図①) 。自然資源をど う持続的に使っていくのか、生態学的 なサステイナビリティに関する持続可 能性でした。 持続可能な発展の定義として最もよ

く使われているのは、「将来世代のニー ズを満たしつつ、現在の世代のニーズ をも満足するような発展」というもの です。つまり、世代間の衡平です。一 九八七年の国連のブルントラント委員 会の報告に書かれています。 これらの定義は、経済学の外側から 出てきたもので、持続可能な発展の経 済学的な定義ではありませんでした。 持続可能な発展の経済学的な定義はさ まざまなものがあります(図②) 。ダス グプタ先生による定義は、「一人あたり

の生活の質が減少しない」ということ です。生活の質(クオリティ・オブ・ ライフ、QOL)というのは福祉(ウ ェルビーイング)と同義です。この定 義は非常に明解でありますので、異論 を唱える方はいらっしゃらないと思い ます。 QOLとは何なのか、あるいは、福 祉とは何なのかと質問される人もいる かと思います。QOLには二つの要素 があります。一つは構成要素です。Q OLの構成要素は、経済開発の結果か ら見出されるものだといえるかもしれ ません。経済開発が成し遂げられたお かげで、以前よりどれだけ幸福になっ たのか、以前よりどれだけ自由になれ たのかということです。持続可能な発 展とは、このようなQOLの構成要素 が一人あたりで減少しないことだとい うことになります。 包括的富(IWI)のなかには、Q OLの構成要素ではなくて、QOLの

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いています。 私たちの企業は、社会の他のパート ナー、顧客、従業員とともに経済的な 価値以上の価値を生み出そうとしてい ます。イノベーションによって価値を

生み出すために何が必要か考えてみま す。R&Dから生産、販売までのプロ セスは線形ではなく、非線形的です。 研究から開発、コンセプト開発、プラ ットフォームの開発、産業化の間のル ープを行ったり戻ったりして、最終的 に製品が市場に出るまで一五年ぐらい かかるものもあります。これが一番効 率的なやり方でしょうか。 答えはノーです。効率化するために は当事者が最初から関与する必要があ ります。新しい輸送システムを生み出 したい場合に、明らかに社会のさまざ まな当事者が最初から関与しなければ 不可能です。そして、非常に強力な関 係を大学ともち、革新をもたらすこと が不可欠です(図⑧) 。よい才能を確保 するパイプラインが必要です。ドイツ のダイムラー社は教育制度を非常にう まく使って、有能な人材を確保してい ます。すべてを自分たちだけで行うこ とは不可能で、大学との連携が必要で

図⑧

す。大学側としても新しい研究を実行 できて、理論的にも実践的にも意味あ る研究ができます。 「ボルボ・プリファード・アカデミ ック・パートナー」というプログラム があります。世界的に選ばれた大学と 協業して、戦略的な研究をしてもらう ための資源を提供しています。このよ うなプログラムを通じて、VOLVO は継続的に革新性のある製品を開発し、 持続的な輸送システムを世界に導入し ていきます。

横張(司会) スングレンさん、あり がとうございました。 それでは今日の最後の講演者として、 植田和弘先生をお招きしたいと思いま す。植田先生は、東アジア環境資源経 済学会の会長を二〇一〇年から二〇一 二年まで、また、環境経済政策学会会 長を二〇〇六年から一〇年まで務めら れました。

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の世代に引き継いで残していかなけれ ばいけないということになると思いま す(図③) 。つまり、世代間の衡平性と いうのは、その当時の世代が、生産的 基盤を、 将来への可能性、 あるいは源、 ソースとして残していくべきであると いうことです。 包括的富指標(IWI)というもの

DIなどとは違う政策的な示唆がIW Iから出てきます。 測定の問題は残りますが、私たちは このIWIのアイディアをさまざまな

方法で応用できると思います 図(④ 。) たとえば、経済ダメージを評価する。 東日本大震災、福島第一原子力発電所 の事故で、GDPの損失を評価するだ けではなく、QOLに与える損失、生 産的基盤のダメージも測定する必要が あります。決定要因に関するダメージ は、将来の世代に与えるソース、ある いは潜在性へのダメージでもあります。 復興プロセスをすすめていく上で、こ の包括的富指標は応用していけると思 われます。 私の最後のコメントは、企業の社会

的責任( Corporate Social Responsibil )についてです(図⑤) 。C -ity, CSR SRは企業戦略のなかで非常に重要な 部分になっています。とくに企業の利 益と社会的なゴールとの間で乖離が生

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図⑤

は、このようなアイディアに基づいて 考えられているところが、GDPやM EW、NNW、HDIといったほかの 指標とは違っています。なぜかという と、包括的富指標は、どちらかという とストックに関する指標ですが、GD P、HDIなどは流れ、フローの指標 だからです。それによってGDPやH 図④


図① 決定要因が書かれています。決定要因 は、今日のシンポジウムで、生産的基 盤として説明されています。経済開発 におけるソース、あるいはインプット といえるものです。ダスグプタ教授に よれば、生産的基盤は、資本資産とエ ネーブリング資産の組み合わせです。 資本資産は人工資本、人的資本、そし

図②

て自然資本です。エネーブリング資本 は、資源分配メカニズムのようなもの で、制度、知識、社会関係資本などを 含みます。 持続可能な発展のこのような要素を 使うと、ブルントラント報告のなかで いわれている世代間の衡平性とは、そ れぞれの世代における衡平性をその次

図③

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■パネルディスカッション

[

] かずひこ)

成熟した持続型社会を目指す ――サステイナビリティ・サイエンスの役割

モデレーター

武内和彦 (たけうち 国連大学上級副学長 パネリスト

[

]

合場直人 (あいばなおと) 三菱地所株式会社常務執行役員

パーサ・ ダスグプタ アナンサ・ ドライアッパ 黒川清 ダン・ オルソン ヤン エリック・ スングレン 植田和弘

武内 パネルディスカッションを始 めるにあたって、最初に、この討論が 何を狙っているかについて、概略をお 話させていただきます。 私たちは、 七~八年前になりますが、 東京大学を中心としてサステイナビリ ティ・サイエンスに関わる新しい取り 組みを進めようと決心しました。その 背後にあったのは、アライアンス・フ ォー・グローバル・サステイナビリテ ィ(AGS)という取り組みです。A GSを構成していたのは、東京大学、 チャルマース工科大学、スイス連邦工 科大学、そしてマサチューセッツ工科 大学です。今日ここにお越しになって いる二人のスウェーデンからの演者の うちのお一人が、チャルマース工科大 学の前の学長です。いまはボルボ社の 副社長です。そしてもう一人がステナ 社のCEOであります。 私たちが東京大学サステイナビリテ ィ学連携研究機構(IR3S)を立ち

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-


じた場合に重要な役割をもちます。企 業の利益と社会的なゴールの間に乖離、 不一致、矛盾があるということは、皆 さん容易におわかりいただけると思い ます。 企業の社会的責任とは、外部化され たコストを削減するためのアクション を取るプログラムです。企業の私的費 用と、社会的費用には違いがあるため に、 外部化されたコストが出てきます。 CSRは、それを削減するためのアク ションプログラムです。 そして同時に、 分配上の対立を避けるためのアクショ ンプログラムでもあります。 企業のCSRによって、企業の利益 を向上させることもできるし、風評被 害のリスクのようなものから守ること もできます。こういったことが現在考 えられているのですが、包括的富指標 の考え方を取り入れるならば、新しい 解釈をCSRに与えることが可能にな るのではないでしょうか。 つまり、CSRは、アクションプロ グラムとして包括的富指標に寄与でき るのではないか。そうすれば、CSR はアクションプログラムとして持続可 能性に寄与できるのではないのか思い ます。これが私が思う企業のCSRと 包括的富指標の関係です。このような 解釈を取ることができれば、より堅固 にCSRが理解されるようになると思 います。

横張(司会) ありがとうございまし た。CSRには若干懐疑的な側面もあ ると思っていましたが、CSRが包括 的富に貢献することができるという示 唆をいただきました。 さて、次にパネルディスカッション に移らせていただきます。 新たにお二人の方をご紹介します。 まずモデレーターとして、武内和彦先 生です。先生は国連大学副学長で、国 連大学サステイナビリティと平和研究

所所長もお務めです。また東京大学サ ステイナビリティ学連携研究機構長で もいらっしゃいます。 もうおひと方は、三菱地所の常務執 行役員をお務めの合場直人様です。合 場様は、大手町、丸の内、有楽町まち づくり協議会の理事長をされています。 それでは武内先生をモデレーターと してパネルディスカッションを開始し ます。

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いう計算が成り立ちます。日本のGD Pの約四分の一をここでマネジメント しているということになります。この 地区の再構築を始めて二五年ぐらいに なります。特徴としては、ここに集う 地権者の方々が自らこの街の将来像を 作り出して、行政と協議をして、まち

づくりのルール、ガイドラインを成長 させ、それに基づいて開発を進めてい るということがあります。 丸の内という地名はいろいろな地域 にもありますが、お城を囲んでお城を 守る家臣が住んでいたところです。い まの皇居の位置に江戸幕府があって、 図①

丸の内には大名屋敷が並んでいました。 街路の骨格は当時とあまり変わってい ません。一つの区画がだいたい一〇〇 メートル四方で、これだけの街区が連 続しているのは日本でも他にないよう です。 明治の時代になりますと、丸の内の 大名屋敷だったところを、明治政府は 練兵場として使っていました。政府の 財政事情が苦しくなって、どこかへ払 い下げようということで、一八九〇年 に、三菱の創設者である岩崎弥太郎の 弟の岩崎弥之助が、政府からの要請を 受けてこの土地を一括して購入しまし た。最初はロンドンの赤煉瓦のオフィ ス街に似た街をつくろうということで 赤煉瓦の建物が並びました。それが一 九二〇年代までで、第一次開発の前半 です。 一九二〇年から四〇年代までが第一 次開発の後半で、アメリカ型の大型の ビルを建てようということで、丸ビル

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上げましたときに、最初に基調講演を お願いしましたのが、今日ご参加され ているパーサ・ダスグプタさんです。 IR3Sは文部科学省科学技術振興 調整費の支援をいただきまして、最初 の五年間は京都大学を初めとする多く の大学との連合というかたちでスター トしました。そして五年間の育成期間 を経て、一般社団法人サステイナビリ ティ・サイエンス・コンソーシアム(S SC)を立ち上げました。今日のこの 会合はSSCと東京大学IR3S、お よび国連大学サステイナビリティと平 和研究所の共催です。 三菱地所株式会社は私どものSSC の大変重要なメンバーでありまして、 その関係から民間の代表ということで 合場さんに登場していただいています。 このパネルディスカッションでは、 まず会場からにご質問についてお聞き したいと思っています。いままでの発 表に対していろいろなご質問を頂戴し

ていて、そのなかにかなり大事な点が 含まれています。 その上で、学術の世界で生み出され た包括的富という考え方が、企業がサ ステイナビリティを目指してその活動 を大きく転換している状況のなかで、 企業活動とどうつながっていくのかを 考えたいと思っています。包括的富の 考え方と、企業活動の方向性とが歩み 寄って、持続可能な社会の実現に向か っていく方向性が、もしもこのディス カッションのなかで見出すことができ るとするならば、討論は大変成功した といえるのではないかと思います。私 としてはできるだけその方向にもって いきたいと思っています。 質問内容はパネリストの皆さんには 事前にお知らせしていません。誰に何 を話していただくかも決めていません。 私がパネリストの皆さんにお願いした のは、私が指名したら必ず回答をして くださいということです。

前置きが多少長くなりましたが、パ ネルディスカッションに入らせていた だきたいと思います。最初に、まだこ れまでお話のなかった合場さんから、 丸の内を中心とした地域の取り組みに ついて、プレゼンをしていただきたい と思います。

大手町・ 丸の内・ 有楽町地区が描く サステイナブル・ シティとは

合場 企業活動としてサステイナビ リティにどのように取り組んでいるの か、私どもが進めている大手町、丸の 内、有楽町地区の都市再開発について ご紹介をさせていただきます。 この地区の概要として図①をみてい ただきます。 下の方に東京駅があって、 上の方が皇居です。その間に挟まれた 約一二〇ヘクタールの地区で、二三万 人が働いています。この場所で生み出 される企業の連結売上は一二四兆円と

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図④

図⑤

の三菱一号館です。これは昭和の時代 に壊されましたが、近年になってもう 一度正確に復元して、いまでは美術館 として活用しています。これも情報処 理の場から知識創造の場への変化に対 応して、文化の要素も加えて、まちに 深みを与えるものとなっています。こ のような空間もつくって、人が集い憩 うことで、デスクの上だけからではな い知を生み出していこうとしています。 サステイナブル・シティを実現する には、環境、防災、知的生産、文化、 福祉といったさまざまな課題がありま す(図⑥) 。それら一つひとつの要素を 解決していかなければいけないのです が、これらを足し算で一つずつ積み重 ねていくということではなく、掛け算 的発想でということを私たちは提案し ています。総合的に相互作用がうまく いくように仕組んでいくことが費用の 面からも効率の面からも必要だろうと いう考え方です。

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などが建ち並びました。 その次が、一九五〇年から高度成長 を経て一九七〇年代までの第二次開発 です。すべての街区に大型のオフィス ビルが建ち、景観としてもこれでいっ たんは完成をみました。 いま進めていますのは第三次の開発

図② で、二〇〇〇年ぐらいから超高層化が 進み、約一〇年間で二〇棟ほどの連続 建て替えが行われています 図(② 。)高 度成長期には、ここのまちで働くホワ イトカラーといわれる人たちは、自分 のネットワークのなかで情報をうまく 吸い上げ、情報処理をして、会社の判

図③

断を仰ぐということをしていました (図③) 。いまはそうではありません。 ここで知恵を生産する、知識の創造が 彼らの役目となっています。都市の競 争力は、どれだけ大きな容量があるか ということではなくて、どれだけの価 値を生み出しているかということにな ってきています。したがって、私たち の仕事も立派なオフィスをつくること ではなく、いかにして知が生まれる場 をつくってネットワークしていくか、 どのように交流させて付加価値創造が できるようにしていくかということに 移っています。 図④をみていただきますと、左が高 度成長期の丸の内です。非常に無味乾 燥ですが、 オフィス街としては完璧で、 他の要素が何も入っていません。右は 現在の同じ通りです。緑があふれて人 が交流する場としてのまちづくりが進 められています。図⑤は一八九四年に このまちで最初にできた建物、赤煉瓦

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を途絶させない、いわゆるBCDにつ いてもきちんとしていかないと、都市 のもつ役割を果たせないということに なってきました。低炭素化と掛け算で 解決していこうと考えています。 そのためのハードとしては、自立分 散型電源を導入して情報インフラで連 図⑧

結します(図⑨) 。ソフトとしては、人 の協力によって防災を実現するとか、 あるいは効果的な需要コントロールで ピークカットや総量削減を実現してい きます。まち全体として環境共生を図 っていくという考え方です。 まとめますと、都市というものを、

新たな価値を創造する場であると定義 して、私たちデベロッパーは、その場 をつくり、運営して、ネットワークす ることを仕事としています。一つひと つを積み重ねるということではなく、 同時に相互作用によって解決し、掛け 算的に持続可能性を高めるということ をしていきたいと考えています。目指 すのは、世界で最も美しくサステイナ ブルな都市です。美しくというのは、 見た目を指しているだけではなくて、 クオリティや環境に優しいといったこ とも含めて、次の世代にきちんと引き 継いでいくまちであるということです。

包括的富指標をめぐって

武内 合場さん、ご発表、ありがとう ございました。 それでは、会場からの質問を紹介し ながら進めてまいります。非常に興味 深い質問が出されています。

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図⑨


一つの例として、環境共生と知的生 産の掛け算を考えてみます(図⑦) 。環 境共生を図るにはやはりエネルギーを セーブするということがあります。一 つは、いままでの明るすぎたオフィス を、人が快適な明るさにすることによ ってエネルギーをセーブしていく。空

図⑥ 調にしても、風を吹き出して冷房する のではなく、輻射による気持ちのいい 冷房をする。暖房でも同様です。省エ ネのために、冷房は我慢をして二八度 以上に設定しましょうという話を従来 はしていました。いまは、快適性を向 上させ、知的生産性を向上させ、その

図⑦

結果として省エネを導くというような 考え方で実行していこうとしています。 環境と防災の掛け算は、一つひとつ のビルでもいろいろな技術で取り込ん でいますが、面的に、あるいはまち全 体で取り組むことで大きな効果が出る と期待されます。 低炭素化では、これまでは、一つの 建物をつくるときに、いろいろは要素 をすべて入れ込んで徹底的に低炭素化 をはかるということをやっていました (図⑧) 。また、地域冷暖房を高度化、 効率化することや、再生可能エネルギ ー、自然エネルギーに注目して、地方 でつくった自然エネルギーを都市の真 ん中にもってきて、二酸化炭素の排出 がゼロのビルをつくるということもし てきました。さらに、地域のエネルギ ーマネジメントシステムを導入して、 デマンドサイドも調整しようという動 きもありました。そこに、東日本大震 災がおきてからは、地区としての機能

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たら、アメリカやアフリカで何がおこ っているのかということはあまり関係 しないのかもしれません。インドにお ける変化だけをみればいいのかもしれ ません。 もしも世界を一つとしてみて、 世界がどうなのかということを考える のだとしたら、世界のなかにインドも アメリカもアフリカも入ります。その ときは、さきほどの貧困層の話と同じ 原則で、それぞれ違う加重付けをそれ ぞれの国の富に付けることになります。 天災によって、たとえば地震によっ て、資本資産は破壊されます。皆さん の資産の一部がなくなってしまったら、 皆さんの資産のシャドー価格を再計算 しなければなりません。同様に、市場 価格も計算し直さなければなりません。 つまり、マイナスの価値をどのように 再計算するのかという問題です。汚染 は、経済に損害を与えるのでマイナス のシャドー価格になっています。汚染 が広がっていくと、富が少なくなって

持続可能性と企業活動

しまいます。汚染というのは、保全の 逆、自然保護の逆を考えればいいので はないかと思います。自然保護は増や していきたい、汚染は減らしていきた い。二酸化炭素もやはり全世界の富が 減るのです。

武内 ありがとうございます。アナン サ・ドライアッパさん、何か付け加え たいことがありますか。

武内 では、次の質問に移ります。ダ ン・オルソンさんに対するものです。 環境を配慮して新しい事業を展開して いく際の一番大きなモチベーションは 何でしょうか、利益でしょうか、社会 的責任でしょうか。この質問を、私は 少し拡大して考えたいと思っています。 国際的に活動している企業の責任者に 対して質問したいことです。企業を持 続させるために、利益と社会的責任を 上手に組み合わせる必要性について、

くらいの期間受けたのか、あるいはど ういった資産をもっているのかといっ たことは世帯別に調べられていると思 います。私が関心があるのは、緻密に マッピングをしていくことです。所得 には反映されないような要素も含めて、 集団がどのように変化していくかをみ ることは非常に興味があります。

ドライアッパ 衡平の問題に関連して、 簡単にいいますと、国レベルよりもも っと細かくみていきたいと考えていま す。人口に関して、五〇〇〇人とか一 万人とかの集団をみて、人口構成がど のように変化していくのかを追跡して いくのと同じようなことが、富にも関 してもできるのではないかと考えてい ます。世帯別調査を定期的に行ってい くとそれが可能になります。すでに行 われている例もあります。教育をどれ

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最初の質問は、包括的な富、あるい は包括的富指標についての質問です。 持続可能な発展の定義として、世代間 の衡平という考えに基づいての説明が ありました。一番目の質問をされた方 は、持続可能な発展は、世代間の衡平 だけではなく、環境の悪化や貧困の悪 化によって深刻な影響を受けている人 がいるということも考えるべきではな いのかという指摘をされています。同 じように、 世代間の衡平だけではなく、 南北間の衡平もあるので、どのように 対応するのでしょうかという質問もあ ります。さらに、ウエルビーング、福 祉を構築するにあたっては、シャドー 価格を反映して考えるという話があり ましたが、現実には市場価値が使われ ていますので、それにはどのように対 応するのですかという質問もあります。 二番目の質問として、人間の健康や 人間の福祉にマイナスの影響を与える ものに関してはどのように対応するの でしょうかという問があります。IW Iのなかで、たとえば天災などマイナ スの資産をどう扱うべきかということ です。

ダスグプタ ご質問に答えるかたち でIWIのもとになっている原則につ いての話ができるかと思います。 二つの質問には共通要素がありまし た。どういう経済を取り上げて評価す べきなのかということです。 さきほど、 経済というのは何にフォーカスするか というところから話をしました。それ は衡平性という問題に関連します。 ある国、たとえば日本やインドで経 済を評価するときに、どのようにした ら富裕層と貧困層を捉えて分離してい けるでしょうか。できれば個々の世帯 の経済をみるべきなのですが、それは 不可能です。実際に可能な何らかの方 法を用いなければなりません。一般的 には、所得でみれば貧困の測定は可能

です。理想的には、所得を再計算しま す。違うグループの所得には異なる加 重を掛けて計算するのです。より高い 加重を貧困層の所得の方に付けるとい うようなことです。 また別のやり方として、貧困に関し て別の指標を使うということもありま す。理想的には、別々の人たちがもっ ている資産には別々のシャドー価格を 課すということもあります。貧困層の 人によって着られているシャツは、富 裕層の人が着ているシャツと物理的に は同じシャツでも、違う価格であると いうことです。もし二つを分けられる のであれば分ける方がよいです。標準 的なテクニックとして私たちが慣れて いるのは、ものの発生した日にちで区 別をする、あるいはどのような状態で あるかで区別をします。 南北間の衡平についての質問があり ました。もしもインドの経済発展が持 続可能なのかどうかを考えるのだとし

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オルソン 私たちは民間企業ですから、 これが私たちのスタイルである、こう いうかたちで活動していきたいと私た ちで決めます。そのときに、従業員の なかには、企業と考えをともにする人 もいるし、必ずしもそうではない人も います。完璧に事業を成し遂げようと する企業もあれば、不完全ながら満足 している企業もあると思います。経営 体制も違いますし、従業員の体制も違 いますので、 いまのご質問に対しては、 文脈によって考え方が異なるだろうと いうお答えになるかと思います。 武内 アナンサ・ドライアッパさん、 何かありますか。 ドライアッパ 企業の社会的責任、C SRについてここで何かを語るという のではなくて、私からは、測定の手法 について申し上げたいと思います。こ

れまでに企業の方々と話をしていろい ろな可能性があると考えています。た とえば、途上国の企業に投資をしてい るドイツの開発銀行と一緒に作業をし たのですが、包括的な富と同じような 考え方をとっていました。人的資本、 教育や人材開発に企業がどれぐらい人 に対して投資をしてきたのかというこ との評価をしていました。自然資本に 関し、一つには所有ということ、一つ には破壊ということがあります。エコ ロジカルフットプリント、あるいは汚 染といったことを、企業レベルでどれ くらい改善できるのかということがあ ります。 私たちとして気になるのは、包括的 な富のアプローチを取ることが、企業 にとって活用できうるものなのかどう かということです。

共通価値の創造へ

武内 これにはヤン・エリック・スン グレンさんからお答えいただくのが最 も適切だと思いますが、 いかがですか。

スングレン いろいろなやり方がある と思います。CSRはある意味でファ ジーな定義です。慈善事業の活動がC SRの発端でした。CSRをどのよう 発展させ、手法を磨いていくのかとい うことはこれからの課題です。包括的 な富指標を教訓として企業に当てはめ るにはどうしたらいいのか、いまはス タート地点にあると思います。 ここで持続可能な指標についてさま ざまに語られました。企業が積極的に 持続性の問題に取り組んでいるのは二 つの側面があると思います。一つは、 多くの投資家が、そういったところに も企業は投資をしなければいけないと 考えるようになったということがあり

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オルソンさんのビジョンをお聞かせい ただけるとありがたいです。

オルソン スウェーデンにおいては、 たとえば廃棄物に関していろいろな規 制があって、企業の行動が制約されて いるのは事実です。ですが、そのよう な規制が革新をもたらすもとになって、 利益を上げる推進力となっています。 しかしながら、時間軸を短くとると、 環境的なコストのない方が利益は上が ります。環境問題に対応して研究し、 革新をもたらすということは、長期的 にみたときに、より高い効率、あるい は低コスト社会を実現して、利益に結 びついていくのです。利益と社会的責 任の組み合わせは、長期的に考えるこ とから実現していきます。 なお、私がお話をさせていただいた エネルギー効率について補足しますと、 これは規制に対応するためにエネルギ ー効率を上げたというよりも、原油価

格が五倍にも跳ね上がったことが省エ ネの動きの大きな推進力となったので した。

ダスグプタ いまのお答えに質問さ せていただきます。民間企業が市場価 格を一つのシグナルとして行動してい るのは確かだろうと思います。それに よって株主に対する責任を果たそうと するのも妥当だと思います。社会的に 望まれている責務を果たそうと意思決 定するには、市場からのシグナルとの ある種のすり合わせが必要なのでしょ う。市場価格がシャドー価格と同じで あればいいのですが、現実にはそうで ありません。革新を目指そうとするに は大きな投資が要るとしたら、経済性 を求めて安価な方へと手を伸ばすとい うことが、民間企業としてはむしろ自 然であるのかもしれません。そのよう なことについてはどのように思われま すか。

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潜在的価値をもっていると理解しまし た。

原発事故の教訓 武内 では、次に黒川先生に質問があ ります。福島原子力発電所の事故の調 査をされて、どのようなことが明確化 されたのでしょうか。今日ここで話題 になっている人類の健康、福祉という ことにからめてお話していただけます か。 黒川 事故調査についてまず申し上 げたいのは、これが議会によって行わ れた初めての調査だったということで す。私がそのように話しましたら、イ ギリスの財務省の人が、信じられない と驚いていました。原発事故のような 大きな事故がおきたとき、イギリスで は、独立した調査が三つも四つも行わ れます。アメリカには、調査委員会が

多すぎるくらいにあって、一年に一〇 〇ぐらいはあるでしょう。日本でこれ まで議会による調査委員会がなかった のは、立法、行政、司法の独立がきち んとしていなかったのではないのか、 民主主義に基づいていなかったのでは ないかと、 そのイギリスに人いわれて、 逆に私は驚きました。 初めての議会による事故調査という ことで、ゼロからのスタートでした。 誰もが行政府に関わっている状況のな かで、独立した調査を行うのはほとん ど不可能ともいえる作業でした。誰に 作業してもらうのかという問題もあっ て、従来の日本のやり方と全く異なる ことをしました。幸いにも、六カ月の 間、多くの人々が調査に協力してくだ さいました。すべてのメンバーにラッ プトップを渡し、二重のセキュリティ をかけました。携帯電話にもセキュリ ティをかけました。委員会はすべてオ ープンにし、私たちと当局のやりとり

もインターネットで公開されました。 私たちは初めてだったので、それをみ た人には、アマチュアの調査と映った かもしれません。 事故調査委員会は七つの勧告を出し ました。民主主義に基づいたやり方で 出されたこの勧告は国会議員が聴くべ きものです。ここで内容については詳 しくは触れませんが、グローバルな重 要性があると考えています。東日本大 震災から二年目を迎えるときには、よ り簡素化されて、より多くの人が読め る報告書を出したいと思っています。 いまのは専門家向けの報告書ですので、 国民の信頼を得るために多くの人々が 読めるものを出すのは重要だと考えて います。 CSRにからめてコメントします。 CSRの活動は、企業の存在が企業の ためだけのものでもなく、株主のため だけのものでもなく、関連のする人々 すべてに関わるものだというところか

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ます。民間企業は、投資家が求める企 業活動をしなければなりません。もう 一つはもっと重要かもしれません。有 能な人員を確保するのにそれが必要だ からです。企業として責任あるかたち での行動が求められていて、そうした 活動をしていると実証できないと有能 な人材を確保できなくなってきている のではないでしょうか。 CSRから、私の講演のタイトルに ありましたように共有価値を創造する ようになっていくでしょう。CSR共 有価値というものを利害関係者と本当 に構築することができるのだというこ と、それによって事業は利益を上げる ことができるのだということが、実証 がされていくと私は考えています。

オルソン 私も共有価値の方がCSR よりもいいと思います。CSRはもと もとは慈善事業ということで、事業活 動とややかけ離れたものがある気がし

ています。多くの方が認識する共有価 値という方が、やはりお客様に説明す るにしてもいいのではないかと思いま す。

スングレン 共有価値というのは、あ る意味、世界のいまのあり方を反映し ているものではないかと思います。そ れを理解する民間企業の代表者がいら っしゃることはうれしいです。 武内 この話をもう少し続けます。植 田先生から包括的富のコンセプトをも う少し押し広げていこうという提案が ありました。企業活動を包括的富指標 のなかにうまく組み入れて、持続性を 推し測ろうということであったと思い ます。皆さまの意見と聞いて、何かコ メントはありますでしょうか。 植田 CSRは、持続可能な発展の定 義でいう生産的基盤のなかのエネーブ

リング資産の一つとして入ってきます。 政府やコミュニティなどのいろいろな 社会関係資本や、知識、技能などの人 的資本と相互作用しながら、資源配分 メカニズムの一部を構成しているとい う関係になっています。つまり、CS Rだけを単独で議論することは実際に はできないのです。市場価格が公正な 価格になっていないときに、CSRは どういう活動をとるのかということは、 最初の質問にあった公平性や、富への アクセスとか所有の問題ともつながっ てきます。ですから、さしあたりいえ ることは、包括的な富指標というもの を、理論的な基盤を明確にした評価シ ステムとしてつくるということです。 企業活動が及ぼす影響や効果が、その 評価システムに基づいて計算できるよ うになれば、そこから自ずと示唆が得 られるようになると思います。CSR をどうすればいいのか考える基盤をつ くれるという意味で、IWIは大きな

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武内 時間がまいりましたので、これ でパネルディスカッションを終わりに したいと思います。 パネリストの皆さま、この非常に興 味深いパネルディスカッションに参加 していただきありがとうございました。 本日の成果は、英語では『サステイナ ビリティ・サイエンス』というジャー ナルに報告したいと思いますし、日本 語では『サステナ』というオンライン のフリージャーナルで皆さまにみてい ただけるようにしたいと思っています。 ぜひご覧になって、ご意見をいただけ ればと思います。

横張(司会) 以上をもちまして本日 のシンポジウムを終了させていただき ます。本日は長時間にわたりご静聴い ただき大変ありがとうございました。 もう一度壇上の皆さまに拍手をお願い いたします。

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お話いただけるでしょうか。

合場 先ほどご紹介した丸の内の地 区に土地をもっている方々の顔ぶれは、 大体が日本を代表する、あるいは世界

で活躍する企業であり、あるいは公官 庁です。いわゆる共通の価値を作り出 しやすい地権者であるかと思います。 ですから、 丸の内で行っていることが、 全国どこでも適用できるのかというと、 少し違うのかもしれません。 先ほどから議論がありますが、企業 は何のために存在するのかというなか で、まちづくりは、共通の価値を生み 出すことそのものであります。各企業 にとって自分の利益に結び付くことで もありますし、先ほど申し上げました ように、丸の内は日本のGDPの四分 の一ぐらいをマネジメントする地域で すから当然社会的な責任もありますの で、まちづくりに共に取り組もうとい う機運があるのだろうと思います。自 分の企業だけではなく、日本の社会、 あるいは経済を担っていくという責任 感があって、世界に誇るまちをつくろ うという共通認識が丸の内ではできた のではないかと思います(図⑩) 。 図⑩


らきています。CSRは会社の評判を 左右します。評判によっては、企業は 大きなリスクに晒されています。国家 間で、政府から政府に与えられるOD Aには、政府間だけにとどまらず、国 際的な目が向けられています。この一 〇年ぐらいで、政府対政府のパートナ ーシップばかりでなく、官民のパート ナーシップも進んでいます。そのよう な方向で世界は動いています。グロー バルなパートナーシップのあり方を、 企業も政府も考えなければなりません。 原発の事故に関しても、まさにそうで なければなりません。

オルソン 一つここでコメントさせて ください。今日はここまで興味深いこ とをお話してきたと思います。もう一 つだけいいたいことがあります。戦略 の前に価値があるべきだということで す。価値さえきちんと認識できていれ ば、それに伴う戦略は付いてくると思

まちづくりと共通の価値

います。

武内 現在の日本の政治状況に関す る質問がきています。日本の新しい政 権は物価上昇の目標を二パーセント以 上といっています。このようなインフ レ目標は持続可能な社会の観点からど のように考えられるのかという質問で す。新政権は持続可能な経済であると 考えているのかわからないのですが、 どなたかお答えいただける方はいらっ しゃるでしょうか。パーサ・ダスグプ タさん、いかがですか。

武内 今日の議論のなかで非常に大 事な一つのポイントは、インクルーシ ブネス、包括的ということだと思いま す。企業も含めていろいろなステーク ホルダーが参加するということが強調 されてきました。まちづくりにおいて はとくにそのようなことが大切ではな いと思います。合場さんからその点を

スに実際にアクセスできるということ で資本資産を捉えています。 もしも英国銀行の総裁が、インフレ のターゲットとして二パーセントだと いったとしたら、実際にそれを維持す るのは難しいでしょうし、不可能かも しれません。私たちがここで話をして いるのは、すべてリアルなものです。 インフレのターゲットに関しては、ち ょっと申し訳ないのですが、やはり申 し上げられることはありません。

ダスグプタ 誰も明確な答えは出せ ないと思います。なぜなら、私たちは 金融システムに関して基本的に無知で あるといわざるをえないからです。私 がおみせした資産のリストには、財務 的な資産はありませんでした。財務資 産ももちろん資産ではあるのですが、 包括的富では、有形なグッズやサービ

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通勤の途中に、最大で四か所、若干の遠回り も厭わず道を選べば、それでも一か所電車の 踏切を渡る必要があります。朝の通勤時間帯 ですから、二分おきとも思われるたくさんの 電車が上り下りで通過しますので、当然、踏 切は、開かずの踏切化します。大学研究所近 くの踏切は迂回路が遠く、必ず通過しなけれ ばなりません。朝の時間がないときにこの踏 切をどのようにクリアするのかいつもその日 の課題になります。道路の信号待ちもありま すので一〇キロメートル弱の道のりは三〇分 程度かかりますが、その踏切は運が悪ければ 通過に二〇分かかることもあります。遮断機 をくぐり抜ける不届きな歩行者、自転車通勤 者も後を絶ちませんが、公然とルール違反を し、自らの命をたかが踏切通過に懸けるリス クを取る気にはなりません。じっと我慢して 待つか、すぐ近くの高架橋の駅で約二〇キロ グラムの自転車を担いで階段を上下し、パス するかになります。 悟りを開く前、自転車のスピードの爽快感 を大事にしていた時は、その踏切の遮断機が

開くのをひたすら待ちました。待つ間、通過 する電車で扉のガラスに顔を押し付けられた 乗客の表情を観察し、一緒に遮断機が開くの を待つ歩行者や自転車通勤者、自動車運転手 の表情がどのように変化していくか観察する のはそれはそれで面白いものです。この踏切 通過時間の多寡で本日の運勢も占えます。偶 然、遮断機が開いた僅かの間に、この踏切に 差し掛かった時は、宝くじが当たる時はこん なものかと思うほどに幸運を喜びました。転 んで怪我をし、悟りを開いた後は、もうこの 踏切は相手にせず、ほとんどの日は自転車を 担いで駅の高架橋を渡っています。ギャンブ ルの危うさを避け、堅実に生きる真面目さを 習得したのでしょう。 誠に思い出深い踏切ですが、ついにこの三 月末、電車線路の地下化で廃止されます。長 く待ち望んだ日はあまりにあっけなく来て、 それが日常になるかと思うと少し複雑な心境 になります。

連載 エッセイ

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踏切 自宅から大学研究所まで交通の便は悪くな いのですが、片道一〇キロメートル弱を自転 車通勤の届を出してなるべく自転車で通勤し ています。東日本大震災後の俄自転車通勤者 ではなく、現在の自宅に引っ越してからもう 一〇年ほどになるプロの自転車通勤者を自認 しています。大学では通勤に交通機関を使う 場合、半年間の通勤定期券を使うルールがで きて、 通勤手当は半年ごとになっていますが、 自転車通勤や徒歩通勤の場合は、手当は毎月 いただけます。高校生などの通学用のコスト パフォーマンスの良い自転車であれば二年に 一度は、買い替えができるほどの金額で、有 り難くいただいております。 自転車通勤を始めた頃は、自転車のスピー ド感に魅惑されていました。もちろんスタイ ルも大事ですので、自転車専用のヘルメット をかぶり、雨の日も専用のカッパを着込んで 自転車に乗り、顔が雨で濡れるのも楽しく通

勤しました。大学外で会合があり、直行、直 帰したくなる時も誘惑に負けず、必ず自転車 で大学まで通勤し、どんなに夜が更けていて も自転車で帰宅しました。朝の混雑した道路 では、行きかう自動車より遥かに速く進めま す。自転車のスピードは爽快で、結構良い運 動になり、 体力の維持増進にも役立ちました。 しかし、 スピードは危険と隣り合わせ、 数回、 道路でスリップ転倒し、危ない目にあいまし た。脛には転倒した際の傷跡が今も勲章のよ うに残っております。ようやく今は当時の自 転車通勤の強い思い込みから解放され、自然 な自転車通勤者になりました。ママチャリの おばさんやお姉さんに邪魔者扱いされて抜か されてもムッとせず、広い歩道や住宅街の車 の少ない道を、 ゆっくり楽しく通っています。 結構、気持ちの良い自転車通勤で、皆様に も大いにお勧めしますが、いつも癪に障る難 点が一つあります。朝の開かずの踏切です。

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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で視点が拡散していく。そんな情景ですが、 両歌ともまるで、 魂が自分の躰から抜けだし、 自然のなかを自由に徘徊している感覚があり ます。この視点は、明らかに内観法によるも ので、自然の中で〈おのずからなるいとなみ〉 の視点をもちえています。自然の中に溶け込 んでいなければ、決してこのような視点を持 ち得ないはずです。 ヨーロッパのように、ネーチャーを、今見 ている眼の視点から見るのみですと、遠近法 的視点しか得られず、それはランドスケープ のような描写になるでしょう。さきの啄木の 歌はむしろ、背景(ネーチャー)が自分の中 に入り込んでくる、あるいはそれに入り込ん でいく感覚といってよいでしょうか。このよ うなズームイン(あるいはズームアウト)的 視点・感覚は、日本の詩歌によく認められま す。例えば(斎藤茂吉『赤光』岩波文庫) 、 紅き日の落つる野末の石の間の かそけき蟲に聞き入りにけり

蟲の声をききながら、 「紅き日の落つる」を ぼうっとながめているといった風情を歌った 歌でないことは明らかでしょう。 「紅き日」の 「野末」の「石」の「間」の「かそけき蟲」 へと、啄木の歌のように一気にズームインし ていきます。ズームインしていく光線がまる で「赤光」で、 「聞き入りにけり」の自分を貫 いていきます。 「赤光」はもちろん「魂」の動 きですから、茂吉はこの歌のような気の動き を「実相観入」と呼んだと思います。魂が気 が自然の中に完全に溶け込んだ状態を「実相 観入」とよんでもよいかもしれません。そし て、それは視野の自由度が極めて高いことに より得られる世界認識法です。 茂吉のズームアウト的歌は、 麥の穂に光りながれてたゆたえば 向こうに山羊は啼きそめにけり このような世界認識法は、 基本的には道 (タ オ)に通じています。道(タオ、 Tao )は、 老子の中核的思想で、中国の古典『道徳経』

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大地の裂け目Ⅱ

不来方城址の高所で寝ころびていると、魂が 空に吸い込まれていくようで、平地の低きか ら、ズームアウトで見ている自分がいる感覚 の歌です。前歌は、腹ばいで蟹を見つめ視点 が凝縮していき、後歌は、仰向けで空を仰い

不来方 こ(ずかたの)お城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心

いて、さらに小さな「蟹」へと収斂していく 描写です。場所は正確には分かりません(大 森浜に磯はないので)が、 「の」の機能をつか って、まるで宇宙から「蟹」までズームイン で見ている自分がいて、そのビームが自分の 感情「泣き濡れて」を貫いて、 「蟹」に照射し ている感じがします。あるいは、

道 (タオ) ――現世と異界の共界 二〇一二年は石川啄木の没後一〇〇周年と あって、特に北海道では、なにかと啄木の話 題にふれる機会も多く、久しぶりに『一握の 砂』 (新編『啄木歌集』 (久保田正文編、岩波 文庫)を開いてみたりしていました。 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 本歌は、 『一握の砂』の冒頭の歌でありますの で、いわば全体の見通しをたてる緒論か、門 構えみたいな歌ということになります。これ がタオ(道)の歌であるといったら、訝 (いぶ 「東 か)しげに首をかしげられるでしょうか。 海(東アジアの日本?) 」の「小島(北海道?) 」 の「磯」の「白砂(大森浜?) 」に「われ」が

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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これが道(タオ)だと口でいったからって それは本当の道(タオ)じゃないんだ。 これがタオだと名づけたって それは本物のタオじゃないんだ。 なぜってそれを道(タオ)だと言ったり 名づけたりするずっと以前から 名の無い道(タオ)の領域が はるかに広がっていたんだ。 まずはじめは 名の無い領域であった。 名の無い領域から 天と地が生まれ、 天と地とのあいだから 数知れぬ名前が生まれた。 だから天と地は 名の有るすべてのものの「母」と言える。 老子の考えを了解するとして、しかし、そ もそも、 「天地を創成し、万物を生成する霊妙 な働き」に、なぜ「道(タオ) 」という、漢字 があてがわれたのか、不思議になります。白

川静の『字通』 (平凡社)によりますと、 「道」 は首 (しゅ)と辵 (ちゃく)より構成されます。 「古文は首と寸とに従い、首を携える形。異 族の首を携えて除道を行う意で、導く意。祓 除を終えたところを道という。(中略)道路は また邪霊のゆくところであるから、すべて除 道をする。その方法を術という。術は呪霊を もつ獣(朮じゅつ)によって祓う意で、邑中 の道をまた術という。そのような呪法の体系 を道術という」とあります。つまり、中国の 古代では、 「道(タオ) 」とは、異族にも、異 界にも通じている道で、異族や異界の獣(邪 霊)の首を狩って祓除を必要とするような不 気味な意味を含蓄しています。魑魅魍魎(ちみ もうりょう)とした異界に通じる道を祓除で清 めた原意が、老子の「道(タオ) 」にも流れて いるはずです。 古文とは甲骨文字で、殷王朝の時代に成立 しました。浚(しゅん)県にある浚県農科所(地 方の農業試験場)で育種したトウモロコシの 収量が超多収で、ここの調査に行ったことが あります。浚県の県内は衛河や淇河、さらに

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に説かれています。この書は、八一章からな り、五〇〇〇語で簡潔に書かれており、この 中で道(タオ)は、万物を天地の交合調和に よって生じせしめる、 〈 (そのような)霊妙な はたらきを可能にする存在〉と捉えることが できます(林田槇之助『 「タオ=道」の思想』 講談社現代新書) 。したがって、道(タオ)は、 理性的よりは感性的了解事項になり、内観法 が強く作用しますので、先に挙げた「芥川の 四象限図」(前号掲載)でいいますと、東南領 域の世界了解(認識)システムといえます。 林田槇之助は、道(タオ)を自然との関係で、 次のように見事に説明しています。 老子は、この大自然のいとなみは、道=タ オとしかいいようのない、おのずからなる いとなみのなせるわざだと、考えた。しか しながら、老子は、この道のはたらきを、 造物主である神のいとなみとしてとらえて いない。なにものかがそうさせているので もなければ、なにものかがそうしているの でもない。ひとりでにそうなっているのだ

―─老子はそのように道のいとなみをとら 」 えたのである。/「無為自然 (むいしぜん) とは、そうした道のいとなみを、そのまま ことばに移したもので、 「為 (な)す無くし て、自 (おのずか)ら然 (しか)り」と読むべ きであって、ここでいう自然は、 nature の 意味の自然ではない。 「無為」とは、道、タ オのいとなみには、まったく作為がないと いう意味であり、それがおのずからそうな るという意味で、 「自然」なのである。した がって、 「無為」と「自然」とは、道のいと なみを、ただ観点を変えてとらえたにすぎ ないのだ。 道(タオ)は「自然」で、自然( Nature )で ないというのは、全くその通りと思います。 道(タオ)の意味は、老子の『道徳経』のそ の第一章に凝縮されています。いろいろな解 釈・解説書がありますが、詩人の加島祥造の (ちくま文庫)が、かみ砕いて 『タオ 老子』 いて分かり易いです。

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But the chief contribution of Taoism to Asiatic life has been in the realm of aesthetics. Chinese historians have always spoken of Taoism as the "art of being in the world", for it deals with the ── ourselves. present なんということもない文ですが、この文のタ オイズムの「処世術」 ( art of being in the )の「処世」が「世界内存在」と逐語 world 訳され、二〇世紀に大騒ぎとなった実存主義 へと流れていったとすると、 「狐につままれ た」とまではいいませんが、実存主義からま るで空気が抜けていく感じがしないでしょう か。 張錘元 (チャンチュン・ユアン)は、老子の『道 徳経』を現代西欧哲学が、特に、ハイデッガ ーが、どのように理解し、吸収し、影響を受 けたかについて解説・論考しています( 『老子 の思想 タオ・新しい思惟への道』上野浩道 訳、講談社学術文庫) 。張錘元は一九七一年に ドイツのフライブルグにハイデッガーを訪問

し、お互いに共鳴するところがあったといい ます。その対談後に著されたのが本書という わけで、ハイデッガーが、 「道(タオ) 」をど う理解していたかを知る上では、絶好のテキ ストと言えます。 『道徳経』の第一章「道の驚 き」の張錘元の解説に、 「ハイデッガーもい う。 」 という一節でハイデッガーの言葉が記さ れています。

老子の詩的思惟のキーワードは「道」であ る。それは「正確にいえば」道を意味する。 しかし、我々は「道」を表面的に二つの場 所を結びつける道として考えがちである。 そして、 「道」という言葉をあまりにもせっ かちに考え、 「道」の意味することに名前を つけないのは不適当であると考えてきた。 そこで、 「道」は理性、精神、存在、意味、 ロゴスと訳されてきた。もし、我々がこれ らの名前を語られないところへ戻せるなら ば、思想豊かな「言説」のもつ神秘は「道」 という言葉にふくまれるであろう。

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古黄河といった河川が多く、土地は肥沃で、 ) で 、 荘 子 の 「 処 世 」 に 対する苦 Book of Tea 古代から作物の収穫量が高い地域でした。ち としました 心の訳語を “Being in the world” が、ハイデッガーはそれをドイツ語に引き写 なみに、浚県泥人形(また土偶、土人形とも 言う)が有名で、泥が文化と成っているとこ し て “In-der-Welt-sein” ( 「世界内存在」 )とし たことは、よく知られていて、例えば、佐々 ろでもあります。浚県の近くの安阳(安陽、 木健一『美学への招待』 (中公新書)や『叡知 )市にある 殷虚 を訪れました。 殷 Ānyáng 虚 は約三三〇〇年前の商代後期の都で中国 の台座―井筒俊彦対談集』(岩波書店) 「Ⅱ ( 東 西の哲学」中での今道友信との対談)に詳し 古代王朝の一つである殷の時代の遺跡で、甲 いです。つまり、 「世界内存在」は、実は「処 骨文字が大量に出土しています。殷墟博物館 は殷墟宮殿宗廟遺跡の上に造られた博物館で、 世」であり、つまるところ「世間」のことに ほかならないということになります。 さらに、 地下に生贄と殉葬の跡が展示されていて、じ 今道友信は、リヒャルト・ヴィルヘルムの訳 つに不気味な博物館です。殷の時代の戦争は した荘子や老子の書物から取った言葉を黙っ 呪力と呪力の戦いだったと、白川静は述べて て知らん顔して(使って)いるようなところ 居ますが、なにやらそのような雰囲気が漂い があり、ハイデッガーは大嫌いだとも述べて ます。殷墟博物館の地下には、馬車と道路が います。 しかし、 ほんとうに興味ぶかいのは、 そのまま発掘された六座の車馬坑の遺跡があ ハイデッガーのパクリかどうかよりも、荘子 ります。冥府につながる道と死者の魂を運ぶ の「処世」に該当する適当な言葉(つまり概 馬車は、現世と異界を結ぶ「道(タオ) 」を歩 念) が、 ヨーロッパにはないということです。 んでいく、そのような地下世界観を感じさせ この部分の英文は、次のようです( 『茶の本 る遺跡です。 英文収録』 (桶谷秀明訳、講談社学術文庫) 。 」

岡倉覚三(天心)が英文著書『茶の本』 ( The

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間から取り残され、朽ち果てつつあります。 まるで、人里離れて結 (むす)んだ、吉田兼好 か良寛の庵 (いおり)の風情を想像させます。 高村光太郎が花巻市太田村山口に疎開して住 んだあばら屋の高村山荘も、裏手にすぐ山裾 がせまる寂しいところですが、ハイデッガー の山荘はいっそう世間から隔離されています。 深山幽谷とまではいいませんが、そのように 現世から隔絶した庵で、 『存在と時間』が執筆 されました。当時の室内の写真を見ますと、 書物がほとんどありません。瞑想と思索によ って『存在と時間』は生み出されたといえま す。 また、ハイデッガーが幼い頃を回想して書 いた、美しい小文『野の道』のハイデッガー の生誕地、メスキルヒにも、ハイデッガーの 原点があるような気がしてでかけてみました。 フランクフルトから列車でツゥトリンゲンに いき、そこからバスでメスキルヒに向かいま す。村々をくねくね練って走るので、ドイツ の田舎見物にはもってこいです。途中の風景 は、トトナスブルグに行く途中と似た風景が

多く、氷河に削られた荒れた草原(牧草地) が続きます。殺風景なバス停で、街の地図も 何もなく、氷雨の中、取り残されてしまいま す。 『野の道』の場所はホーフガルテンが起点 と分かっていたので、バスを待っている、お

と聞いたら、 じさんに、 “Wo ist hoff-garten?” あっちだというので教会の塔も見える斜面を 登り、教会の下に出ます。教会はセント・マ ルチンで、その奥に、城庭があって、その情 景はハイデッガーが『野の道』で描いている そのままでした。城門からつながる大きな庭 には、林が一杯に広がって見えて、 「野の道」 はその先にあるはずである。 野の道は、ホーフガルテンの城庭の門を出 て、エーンリートの方へ走っている。城の 館の庭には古い菩提樹の木がある。野の道 は、 復活祭の頃には、 青く芽を吹く麦畑と、 活気づく牧場の間に、あかあかと光り、降 誕祭の頃には、吹雪の下に、間近の岡の彼 方に消えて行く。しかし城の館の庭の古い 菩提樹の木は、いつも城壁越えに、その野

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この文章からすると、ハイデッガーは、か なり正確に「道」 (タオ)を理解していたもの と思われます。 「道」 (タオ)は形もなく、名 前もなく、言葉によって表現されることもな い根源的・原初的状態であると。ハイデッガ ーは、青年期、故郷メスキルヒ近郊のボイロ ン修道院にて、本格的な深い瞑想生活に入り ます。度重なる心臓発作(神経性心臓病) 、生 を揮発されたような神学徒生活、戦争で残虐 の野原と化した焦土のなかで、ハイデッガー は、 「死を極限まで思うそのメレテ・タナトの 行法がこうじたある日、最終最後のあるなに かを、しっかりつかむ。それは、 「驚異中の驚 異、つまり、存在者が《存在するそのこと》 」 を経験する(古東哲明『ハイデガー=存在神 秘の哲学』講談社現代新書より) 。 「なにか神 」を感じたという神 のようなもの( ein Gott) 秘体験で、精神的な「死の淵」から「生」へ と転換をとげます。 ハイデッガーはトトナスブルグの山荘で、 『存在と時間』の大部分を執筆しました。ハ イデッガーの哲学を理解することはかないま

せんので、せめて、その思索の場の情景を知 りたいと思い、トトナスブルグの山荘を訪ね たことがあります。フライブルグ駅からバス でシュバルツバルト(黒い森)を抜け、アル プス風高地の草原・牧草地を走り、トトナス ブルグに着きます。トトナスブルグは、今は 避暑地で、冬はスキーの保養地として有名な ようですが、閑散としていました。草原の尾 根を行くと高山植物の可憐な花々が道に彩り を添え、一本の大木に至ります。その木陰の ベンチでハイデッガーがしばしば時を過ごし たといいます。朽ちかけたベンチにかけ、谷 間をみると、眼下の彼方に雲霧に煙る村が見 えます。放牧されたスイスブラウン牛のカウ ベルのかそけき音(ね)が風とともに牧草地を 這い上がってきます。大木が道標なのか、そ こから森林と牧草地の境の「野(辺)の道」 となり、踏み分け道をしばらく行くと、ハイ デッガーの山荘が森と牧草地の境にひっそり たたずんでいました。まるで大雪山の白雲岳 避難小屋の石室のようです。この山荘を訪れ る人はほとんどいないようで、時代から、世

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すると「現世と異界」を繋ぐ薄い皮膚のよう な共界といえるかもしれません。もし、ハイ デッガーが大和路の「山の辺(野辺)の道」 を訪問したときの文章だと、前書きされてい たらそう信じてしまいそうな文章です。 (エーンリートから道はホーフガルテンの 庭城の門へと戻ってくる。 ) 時を打つ槌の最 後の響きと共に、静けさはますます静かに なって行く。その静けさは、二度の世界大 戦を通じて、時代のために犠牲に捧げられ た人々のところにまで届くのである。単純 なるものは、 さらになお益々単純になった。 いつも同じ一つのものは、 疑義を感ぜしめ、 また解決する。野の道の叫び声は、今こそ ありありと聞かれる。魂が語るのか。世界 が語るのか。神が語るのか。/すべては同 じ一つのものの中への断念を語っている。 だが断念は奪ひはしない。断念は与へるの である。断念は単純なるものの汲み尽し難 き力を与えるのである。 野の道の呼ぶ声は、 長き来歴の中において、故郷の家に憩い住

まはしめる。

高い槲(オーク)の木は倒され、 「野の道」 はすでにたたれ、 「呼ぶ声」すらありません。 しかし、なぜか、石の十字架だけは取り残さ れています。 ハイデッガーは、自らの哲学は思想体系を 提出するのではなく、 「道」 (道路)をつくる (指し示す) だけだと、 何度も述べています。

その思考様式は「形式的指標( die formale 」と呼ばれ、存在神秘という極点を Anzeige) 「かたちばかり指標するにとどめる叙法」(問 題を指し示すだけの叙法)によって全著作が 編みあげられていることが明らかになってい ます(古東哲明) 。これは、まるで、老子の『道 徳経』の叙述のようです。 『存在と時間』でさ え、この本は「一つの道にすぎぬ」という趣 旨で、とじられています。また、全集出版に あたり、 「全集編集上の留意」という覚書をの こしていて(全集第一巻冒頭) 、死の数日前の せりふで、いわば遺言はたった一言(古東哲 明) 。

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の道を見送っている。野の中に十字架がた っている。野の道は、その十字架の所で森 の方へと曲がって行く。森のほとりに高い 槲(オーク)の木がある。野の道は、その ほとりをすぎる時、その槲の木に挨拶を送 る。槲の木の下には、荒けづりのベンチが 置いてある。(マルティン・ハイデッガー 『野 の道 ヘーベル一家の友』〔ハイデッガー選 集8〕理想社、なお新字体に改めていて、 以下同様) 。 この情景、ハイデッガーのトトナスブルグ 山荘の情景に似ています。森と牧草地の間の 野(辺)の道、大木の下の椅子、この情景に 一生こだわっていた感じがします。 そのベンチの上に、時として、偉大な思想 家たちの、この或ひはかの書物が置かれる ことがあった。年若く、とまどひつつ、私 はそれらの書物の謎を解こうと試みた。謎 はさまざまに交錯し、逃れ出る道は現れよ うともしない。その時、助けになってくれ

たのは、この野の道であったのだ。野の道 は、曲折した徑の上を、荒れた荒野の遙け さの中へと、静かに歩みを導いて行ってく れたからである。

ハイデッガーの弟子エゴン・フェエタは、 ハイデッガーはこの「野の道」において生涯 を思索に捧げる決意を定めたのであるといっ てます。しかし、残念なことに、ホーフガル テンの城庭の門をくぐると、左手にあるはず の野の道沿いの森は全くありません。住宅や 工場がせまり、その奥は牧草地か麦畑です。 高い槲(オーク)の木にまみえることはもう ありません。ハイデッガーがこだわった、ア ルプスの裾の森林(自然界)と草原(人間界) の「境界の道」すなわち「野の道」も断たれ ました。ハイデッガーの「野の道」の次の文 は、まるで、大和盆地の東の、神の住まう三 輪山山裾と里との境 (さかい)の「山の辺(野 辺)の道」を描いているような感じにすらさ せます。 「野(辺)の道」は「現世と異界」の 境で、大地からすると裂け目ですが、人から

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一八世紀まで支えていた「絶対的神」に替わ って、 「霊」だとか、 「エーテル」だとか、 「魂」 だとか、いわば「絶対的神」の脇役を歌いま す。たとえば、 「エーテルに」の詩( 『ヘルダ ーリン詩集』小牧健夫・吹田順介訳、角川文 庫) 。 汝 (いまし) われを養育 (はぐく)み かつ 到る処われに伴いきたりしもの わが胸のなかなる神 力強き霊のけだかき 友だち 悦ばしげなる世界の矜持(ほこり)と喜悦(よ ろこび) 不死なるエーテルよ 世界の魂よ 生気に満てる世界の要素よ 見よ 幼児の如く おん身の膝の上に大地 はいこう これは、さきにふれた自然詩人のイェイツ にも、ワーズワースにも同じにみられる現象 で、ヨーロッパに共通のある精神・文化構造 を反映したキー概念であることがわかります。 は精神や(精)霊とも訳されています。 Spirit

精神は、実は絶妙な訳のような気がします。 精神は「神の精(エキス) 」ですので、 「霊」 や「エーテル」や「魂」こそが、ヨーロッパ では「精神」と言ってよいでしょう。そして、 それは架空の存在ではなく、実在する「実存 的存在」です。少なくとも、詩では、これら の言葉は象徴的語としてではなく、具象的語 として扱われています。 ヘルダーリンの詩は「神の精(エキス) 」で 満ちあふれています。これには、辟易とさせ られます。ヘルダーリンの詩や思想は、西欧 的形而上学の転換点であるという指摘も多い ことから、なんとか読み進めますが、実際の ところかなりの苦痛です。 何度も中断し、「霊」 や「エーテル」や「魂」が何度でてくるか、 数えるだけの興味となって来ます。 そうして、なんとか、角川文庫では最後に 配置されている、ヘルダーリンの晩年の乱心 時代の作の「生のなかば」 ( 『ヘルダーリン詩 集』小牧健夫・吹田順介訳、角川文庫)にた どり着きました。そして、覚醒しました。ヘ ルダーリンが讃えた「光りなき闇に跼蹐(きょ

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「道。著作ではない」 ( Wege-nicht Werke) ハイデッガーは生涯通して、老子の道(タ オ)を極めようとしたといってよいかもしれ ません。 さて、ハイデッガーは老子の道(タオ)以 外に、ヘルダーリンの詩をとおして、西欧的 形而上学を超えようとしていたともいえます (仲正昌樹『危機の詩学 ヘルダリン、存在 と言語』作品社) 。 プラトンからフッサールに至るまでの西欧 的形而上学が依拠してきた〈超感覚的なも の/感性的なもの〉の二項対立図式を超え て、前ソクラテス的なフェシスの中に立ち 返ろうとしたハイデッガーは、ヘルダリン の詩的エクリチュールの内に〈存在〉その ものの現成を見ようとした。ハイデッガー にとって、ヘルダリンの詩的エクリチュー ルはデカルト的座標軸的な時空間(=表象

空間)の制約を超えており、 〈存在〉そのも のを地上に〈樹立〉する力を持っていたの である。 彼等(ヘーゲルとヘルダーリン)が生まれた十八 世紀は、超越論的なシニフィエとしての 〈神〉の〈存在〉によって支えられていた 中世的なコスモスの崩壊が一気に進んだ時 代であった。自らを支えてくれる根底を失 い、アトム化されて空虚の中に投げ出され を断ち切られた て自然との紐帯(ちゅうたい) 反省的自我意識は、 〈主体/客体〉の分裂の 中で苦しみ続ける。こうして神を見失った 近代人は自己の依拠することができる絶対 的な足場を求めるようになったのである。 西欧近代とは、孤立を強いられた近代的自 我が無限の〈深淵〉からの脱出を試みたプ ロセスであると言ってもよいであろう。

ヘルダーリンは、 「神 人-間 自-然」の絆がま だ繋がっていた時代の神々、特にギリシャ・ ローマの神々への讃歌を歌います。 あるいは、

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子」 「結合子」 「連関子」といったもので、現 代的表現で言うと情報網といってよいかもし れません。道(タオ)が示すのは、情報とい う虚空間があって、その情報の認識や接続の 仕方によって、実空間が生じます。この道(タ オ)の認識法は、内観法そのものです。脳内 での内観法により認識される情報ネットワー クは、千変万化、森羅万象におよびます。ゆ えに、内観法により見る視線は、多彩を極め ます。それが、例えば、石川啄木のズームイ ン(あるいはズームアウト)的視点を生み出 します。

ヘルダーリンは、錯乱の果てに「人間 自-然」 の調和した・融合した道(タオ)=「自然」 の世界を感得したといえます。ヘルダーリン は、 「芥川の四象限図」の南東の領域に彗星の ごとく近づき、燃え尽きました。ヘルダーリ ンに、齋藤茂吉の『赤光』 (岩波文庫)から、 「赤光」の歌を捧げます。 赤光のなかに浮かびて棺ひとつ 行き遙けかり野は涯 (はて)ならん

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った実存体、つまり「神の精(エキス) 」を必 要とする詩です。その意味で、ハイデッガー は、道(タオ)を言葉(表層的概念)として 完璧に理解したかも知れませんが、道(タオ) の世界(深層的観相)に立ち入ることはかな わなかったと理解してよいと思います。それ は、芥川龍之介が「実相観入」を明確に理解 し評価しながら、自ら「実相観入」の歌を作 ったりすることはかなわず、 「実相観入」の世 界に入り得なかったのに似ています。道(タ オ)を概念(構造) (ハードウエア)として理 解はできるでしょうが、道(タオ)を文化(規 範) (ソフトウエア)として生きぬくこととは まるで別であることを、ハイデッガーが身を もって示してくれたといえます。 老子の道(タオ)は、すべてに先立って存 在します。しかし、それはつきつめれば「無」 で、ヨーロッパのように「有」ではありませ ん。したがって、道(タオ)は物質的実体で はありません。道(タオ)は、文字通り、つ なぐものの意味ですので、その機能は、 「連結

連載 エッセイ


する雷神」に打たれた感じがしました。 くせき) 黄色なす梨の実は 枝もたわわに 野薔薇水に映ろう 湖の岸べに立てば ろうたき白鳥よ 汝達 (なれたち)は 愛の接吻 (くちづけ)に酔いしれつ 頭 (こうべ)をひたに浸すらし 浄 (きよ)らにも冷やけき水の中に 悲しからずや 冬としなれば われはいずこに花を摘ままし いずこに日の光を 地上の影をや求めえん 隔ての障壁 (しきり)は言葉なく 冷かに連 なりて 風吹くなべに風見 (かざみ)ぞきしめく この詩だけ取り出して読んでもなんの変哲 もないかも知れません。しかし、この詩は、 「絶対神」がフォース(理力)で統合してい たモザイク的世界が「絶対神」の死でバラバ

ラにされた時代に、そのモザイク的世界をギ リシャ・ローマの神々、霊、エーテルといっ た「神の精(エキス) 」を糊として修復を試み た悪戦苦闘の果てに、それらの拘泥から解き 放たれて観 (み)た、内観的統合世界に達した 詩とみることができます。少なくとも、 「神の 精(エキス) 」や「遠近法的自然やランドスケ ープ的自然」 の呪縛から解き放たれています。 訳者等の注解でも、この詩を「詩句の簡浄、 観照力の明微、凡手の及ぶ処ではない」と評 しています。 「観照力の明微」にいたって、 「実 相観入」 の入口にようやく達した感じですが、 それは精神を病み、朽ちる寸前に到達した、 認識世界です。 「人間と自然の分離」を霊やエ ーテルで連結する必要がなくなり、自らの心

の中に「人間 自-然」の調和した「自然」を感 得したのでしょう。これこそが道(タオ)の 世界観です。 ハイデッガーが讃えたヘルダーリンの詩は、 「ライン――イザーク・フォン・ジンクレー アに」 のように、 人と自然を結びつけるのに、 ギリシャ・ローマの神々や霊やエーテルとい

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よ!」 「ほー」 「それで、相手が見つからなくて見境いなく なったオスがね、魚にまで飛びつくんですよ ー。カエルなのに、魚に…クククッ」 「へー、見境いなくなるとねー、オスは必死 だからなんでもやるよねー…って、私、スタ ッフA君の話ししてるんだけど」 「あ、そうですよね? ついつい、A君の話 ししていたら、そのカエルの必死の姿が浮か んできちゃって、クックックッ」 というわけで、周囲はもう本当に心配して、 A君の幸せを心から願っているのである。 一方、昨年末に開かれたある学会に、とあ る研究室の卒業生で、地方の大学の教員にな っていた男性が参加しており、懇親会がお互 いの近況報告をしあう場となった。彼は、東 京の超一流大学を出て大学院で学び、頭脳明 晰、性格にも何の問題もない。しかし、彼の 将来について周囲は心配していたのである。 コミュニケーションが上手ではなく、女性を リードするタイプでもなく、どちらかという とオタクタイプだったのだから。

ところが、今回会った彼が「一昨年結婚し ました」と教授に報告したのである。その時 教授と私の口から同時に出た言葉は「えっ! どうやって?」であった。失礼なことこの上 ないが、あまりに意外で、驚きを隠せなかっ たのであった。 さらに私たちを驚かせたのは、 彼の回答が、 「ネット婚活です」だったからで ある。結婚相手に求める条件と自分の情報を 入力すると、コンピューターがぴったりの相 手を見つけてくれるのだそうだ。 そんな方法でちゃんと結婚相手を見つけて くれるとは、すごいぞネット! 彼は条件に 合う女性を見つけ、一年後にはなんと子供も 無事生まれたのであった。私はインターネッ トは必ずしも人を幸福にはしない、とネガテ ィブにとらえているのだが、彼の話を聞くと ネットは人類の未来を救うのかもしれない、 と思う。スタッフA君にも、こんな方法があ ることを教えてあげなければ。がんばれ、A 君! 魚に飛びついている場合じゃない! …あ、それはカエルか。

連載 エッセイ

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婚 活 なんでも省略して呼ぶ昨今だが、 「就職活 動」は「就活」となり、結婚相手を探すのは 「婚活」となった。 日本の出生率は低下する一方で、このまま 下がり続ければ、数百年後には日本人はいな くなる、と試算する人もいる。これは大変、 一人も多くの赤ちゃんを産んでもらわなけれ ば、 と思うが、 皆さんの周りにもいませんか? 「あの人、早く結婚すればいいのにねえ」と 思う人。 人生の下り坂に入った私のような人間は良 いのだ。今結婚すればまだ子供を持つことが 可能、という人が一番周りをやきもきさせる のである。私も、余計なお世話なのだが周囲 の未婚の若者の将来が気がかりだ。 とある研究室に、三十を少しばかり超えた 男性がいる。 「スタッフA君」と呼ぼう。彼は 結婚したいのであるが、面食いであることも 災いしてなかなか良い相手が見つからない。 性格は良いし、彼なりに努力し、適齢期の女 性が現れると果敢に挑戦している。周囲は気 づいても気づかないふりをして横目で観察し、

「うまくいくといいけど、ちょっと高望みか なあ」となどとやきもきしている。ある日、 彼がトライを繰り返していた相手に逃げられ たらしい、という噂を聞いた私は、同僚と彼 の身を案じて語り合っていた。 「いい人なんだから、だれか見つかるといい のにねえ」 「そうですよね (しみじみ) 。 …そういえばね、 プププッ」と急に笑い出す彼女。きょとんと する私。 「そういえばね、昨日テレビを見ていたんで すけどね」 「え?うん…」 (テレビの話しか?) 「野生生物の番組なんですけどね。 クックッ」 「ふーん」 (野生生物?) 「カエルがね」 「えっ! カエル?」 (いや、スタッフA君の 話しなんだけど) 「そう、カエルがね、発情期で。クククッ」 「う、うん」 (発情期…) 「入り乱れて交尾をしているので、オスがも う誰彼かまわず、オスにまで抱きつくんです

戸髙恵美子

とだか えみこ

千葉大学准教授

(専門はリスクコミュニケーション)

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いのちのつながり パックリと皮をやぶって、どんぐりが芽 を出した。土にしっかり根をはってい る。その隣にひっそり横たわる穴のあい たどんぐり。虫の赤ちゃんが出てきたの だろう。どんぐりとして命をつなぐも の、犠牲になって他の命をつなぐもの。 静かな自然の営み。

0歳からの こども サステナ にまなぶ

春の号 2013

『 木はいいなあ』 (偕成社 一・〇五〇円) ユードリイ 絵 シーモント さいおんじ さちこ 作 訳

文 ・構 成

平松 あい)

木があるとどんないいことがある? こんなことあんなこと…こどもの目 線で書かれています。この本は、アメ リカで都市化が進み自然が失われて いくのを憂えて書かれたもので、初版 は1950年代です。作者の幼い時の 木とのふれあいをもとに、やわらかく やさしく書かれています。

(こどもサステナ


シェアリング・ ネイチャー こ どもは自 然が本当 に大好 きで、都 会でも、 植え 込み の根元にい るだんご虫や 、池にいる ザリガニと りに 夢中になっ て遊ぶ。セミ の抜け殻を 見つけると 宝物 のように嬉 しがり、チョ ウやバッタ を捕まえる のがうまければヒーローである。 (シェアリング・ネイチャー)とい Sharing Nature う活 動をご存じ だろうか。日 本ではネイ チャーゲー ムとして知られている。さまざまな感覚を使いなが ら 自 然 と ふ れ あ い 、 自然と の 一 体 感 、 自 然 へ の 共感を 育 む も の で 、 米 国 の ジョセ フ ・ コ ー ネ ル 氏 か ら 始まっ た 。 言 葉 の 通 り 「 わ かちあ い 」 と い う こ と を と ても大 切にしており、自ら体験し、 感じ、それを仲間とわかち

あうことを重視する。リーダーも「自然案内人」と

いう立場で、日常の中で閉ざされていた感性が徐々

に開かれるよう、そっと手助けするだけである。

自然の中で遊び心がなごんだ次の日の早朝、森の

中で木の根元にこしかけ、目を閉じて聞こえてくる

音の数に耳を すます。近くで遠くで聞 こえる鳥の

声、吹き抜けていく風、肌に当たる日差し、まるで

自分が自然の一部になったようである。目を開けゆ

っくり森の中を歩くと、普段気づかないような森の

中の自然の営みに気づく。生きる力や優しさが感じ

られ、一本の木が特別な存在になったりもする。そ

のメッセージに深く心の目が開くと、日常生活に戻

ってもその感 覚が残っていて自分のも のになって いて、不思議である。

自 然にふれ あうこと が少な くなった 現代の子 ど

もたちも大人たちも、時にはゆったりと自然の中に

足を踏み入れてみてはいかがだろうか。全国にある

ネイチャーゲームの会を活用するのもいい。


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